世界が報じた日本
海外主要メディアの日本関連報道
最近の海外主要メディアにおける日本関連報道の中からいくつか紹介いたします。メディア側から予め承認が得られたものの中から選んで掲載しています。転載・複製を禁じます。詳細はリンクから原文をご参照願います。
掲載日:
11月5日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
<ボー・ルアントーン・キャスター/p>
日本とタイとの関係は,アユタヤ時代にも遡る交流の歴史がある。また,日本人は,タイを食事がおいしい国,微笑みの国であるとのイメージ,親近感を持っている。
両国の経済関係では,特に製造業の分野で日本企業はタイに莫大かつ集中した投資を行っており,多くの企業が進出している。2011年には,タイ所在の日本企業による部品の生産工場が洪水被害を受け,北米,欧州向けの部品の輸出に影響が出たことからもわかるように,日タイ両国の経済には緊密な関係があることは明らかである。
現在,タイが直面する様々な課題は,日本にとっても共通の課題でもあることから,双方ともに協力して課題を克服して行きたい。
掲載日:
9月26日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
イブラヒーム・バダウィー記者
1995年に起きた震度7の地震で,神戸市は完全に破壊された。同地震では,火災によって6,000人が死亡し,下水道や鉄道線路,さらには高速道路の橋が崩落し,わずか20秒で10兆円の損失を被った。
政府や外部からの支援のおかげでインフラが2か月で復旧する等,歴史上最も短い時間で生活を再建することができた。過去数年間にわたり,世界で最も強じんなインフラを整備できるよう努力をしてきた。また地震の再発に備え,4週間以内にインフラのサービスを復旧できるよう体制を立て,地震に強いパイプラインを備えた貯水槽を47か所に設置している。
掲載日:
9月26日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
イブラヒーム・バダウィー記者
原爆生存者の桒本勝子氏は,原爆による恐ろしい体験について以下のように語った。
自分(桒本氏)は,爆発の中心地から約3.5キロ離れた場所に親戚と一緒に住んでいた。父は陸軍の兵士で,母は爆心地から半径1,300メートル以内の家に住んでいた。
自分は,原爆が起きた数日後,母親を探している時に,川の水を飲もうとして死んでいった人々の死体が川に埋め尽くされている恐ろしい場面を目の当たりにした。母は,原爆によって崩れた家から逃げ出すことができたが,放射線により体が麻痺し,癌を発症し50歳で亡くなった。
掲載日:
9月26日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
イブラヒーム・バダウィー記者
兵庫県立福祉のまちづくり研究所総合リハビリセンターの陳隆明センター長は,ロボットを活用した知的技術とリハビリテーションについて以下のとおり紹介した。
ロボット技術は,痛みの原因を検出し脳に信号を与えることができる。同技術を,過去5年間ドイツと協力しつつ使用してきた。
自分(イブラヒーム氏)は,同リハビリセンターを訪問の際,全身麻痺に苦しんでいる17歳の若者がロボット技術の支援を得ながら円滑に歩き,階段を登る事例を目の当たりにした。陳隆明センター長は,ロボット技術は依然として高価であり,義足の作成には最大で8千ドルの費用がかかると述べた。