世界が報じた日本
海外主要メディアの日本関連報道
最近の海外主要メディアにおける日本関連報道の中からいくつか紹介いたします。メディア側から予め承認が得られたものの中から選んで掲載しています。転載・複製を禁じます。詳細はリンクから原文をご参照願います。
掲載日:
6月28日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
シプリアン・カプク記者
現在,日本外務省及びJICA本部は,TICAD VIの最終準備の段階にある。日本のイニシアティブによるものでありながら,TICADは他の多くのバイ・マルチのドナー,企業,市民社会に対して開かれた会合であり続けてきた。TICAD VIには政府関係者のみならず,150社もの日本企業の参加が見込まれており,平野克己JETRO理事は,一次産品の価格低下により,アフリカの経済成長率が当初見通しより2.2%も低下している現在,TICAD VIは民間セクターにとっての好機となるであろうと述べている。
丸山則夫外務省アフリカ部長は,先般ガンビアで行われたTICAD VI閣僚級準備会合において,保健,テロ及び武装勢力との戦い,及び一次産品の価格低下に関する議論の3つが暫定的な優先課題であり,また若者及び女性に対する職業訓練も特に重点が置かれる旨述べた。
掲載日:
7月5日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
シプリアン・カプク記者
北岡伸一JICA理事長は29日,「貿易に多くを依存する日本にとって,アフリカの重要性は大きい」と述べ,アフリカにおける平和と安定の促進が重要であると述べている。
治安情勢が不安定な国では優良な開発計画の実施は望むべくもないという点で,平和と安定の促進分野における日本の関与は正当なものであると言える。現在,アフリカ54カ国で行われている,司法やグッド・ガバナンス分野における5千人以上の公務員研修は,まさしくこの枠組みに沿うものである。コンゴ民主共和国においても,既に2万人もの警察官が研修を受けており,同研修モジュールは,コートジボワールを初めとする他のアフリカ諸国でも実施されている。
8月にTICAD VIが初めてアフリカで開催されるのは,「アフリカと日本の彼我の距離を縮める」という理由による。両者の地理的な距離は確かに大きいものの,1993年の第一回TICAD開催以降,日・アフリカ間の貿易額は倍増し,両者の距離は着実に縮まってきた。
掲載日:
7月8日付:
媒体名(国名):
執筆者(発信地):
シプリアン・カプク記者
これまで採られてきたアフリカ開発へのアプローチが期待された結果を伴わない中,日本及びJICAは,強靱で持続的・包括的な経済成長が,暗黒大陸の経済離陸を実現しうると確信している。
日本はいま,豊かな天然資源を有しながらも困難な状況にあるアフリカを助け出すための新たなモデルを試そうとしている。江口・JICAアフリカ部長は,一次産品の急激な価格変動が,アフリカ大陸の経済成長見通しに深刻な影響を与えたことを引き,「アフリカ諸国は自国の経済構造を変えることを考える必要があり」,「そのような条件の下で,アフリカは持続的に,また開発協力に貢献しうるあらゆるパートナーをないがしろにすることなく,経済成長を実現できる」と強調する。
強靱性(résiliente),持続性(durable),包括性(inclusive)の頭文字を取った「RDI」は,TICAD VIの主要な議題となることだろう。各国政府だけでなく,民間セクター,市民社会にまで開かれたこの会合は,アフリカの開発をグローバルな観点から捉えようとする日本の決意を表している。
掲載日:
6月21日付:
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執筆者(発信地):
蘇海河記者
世界で最も高い牛肉は,日本の牛肉である。記者は先日,三重県松阪市を訪れ,長年に渡って肉牛の飼育を専門とする栃木治郎氏を取材した。84歳の栃木氏は,牛の食欲や性格に応じて飼料を調合するが,これは完全に個人の経験によるものであり,秘訣もまたここにあると述べた。
栃木氏が育てた肉牛は,かつて3回の品評会で優勝し,3千万円,1千万円といった高値で競り落とされた。この数十年間,松阪牛の飼育規模は,常に一万二千頭前後を保っている。優勝するため,角の形は美しく整形し,肉牛にビールを飲ませて消化を促進するとともに肉質を柔らかくし,あるときには肉牛をリラックスさせるために音楽を流したりマッサージをしたりすることもある。特産牛とされるのは,商品化される牛の10分の1にすぎない。
鈴木英敬・三重県知事は,松阪牛は既に三重県のネームカードとなっており,昨年から米国や欧州への輸出を始めたのに続き,今年は香港等のアジアの高級市場にも売り込んでいる,と述べた。
掲載日:
6月30日付:
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執筆者(発信地):
ギルアド・カビロ・NGO団体StandWithUsアジア代表
1940年夏,杉原千畝日本領事は8月末までに退去を命じられた。荷物をまとめている時,ユダヤ人達が必死な要望をもって戸外で彼を待ち望んでいると聞かされた。杉原領事は数千の通過ビザを発行した。彼は出発まで一日20時間,数百のビザを書き続け,列車の窓越しにも署名した。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによれば杉原ビザによる生存者の子孫は4万人を越える。
StandWithUs Asiaは今週,杉原千畝氏の唯一の存命中の子息である伸生氏の旅に同行した。千畝氏が戦後に暮らした藤沢市に立てる小さな記念碑へのイスラエルの支援を得るささやかな試みから始まり,それはすぐにイスラエル各地を訪れながら,喜ぶ生存者の子孫達と出会う旅となった。しかしイスラエルではその訪問はほとんど報じられなかった。
残念ながら杉原氏の話は広く知られていないままである。これは,イスラエルの若者に世界一般に対する広い視野を持たせる機会を逃していたことを意味する。杉原氏の話は,良心に従い,不可能な状況の中で正しいことを実行した一人の人間の力についての,価値ある教訓である。
掲載日:
7月8日付:
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森本康敬・在釜山総領事インタビュー
先月,森本康敬・在釜山日本国総領事が新たに赴任した。「多くの日本人は,2001年に新大久保駅で酔客を救おうとして亡くなった義人李秀賢氏の故郷として釜山を知っている。特に,対馬とは49.5kmしか離れておらず,九州地方の人々は釜山を同一地域内の観光スポットと考えるほどだ」。
現在,総領事館は高校生や大学生を対象としたスピーチ大会やクイズ大会,ディベート大会,日本語演劇祭等を開催しており,公館内に図書館も運営している。図書館は漫画をはじめ5千冊にも及ぶ日本語書籍が置かれ,日本の旅行情報や日本国内の大学情報も多く扱っている。先月,総領事公邸で日本酒レセプションを開いたのも,釜山市民に親しみをもってもらうためだ。
「4月に熊本地域で大きな地震が発生した際,釜山で多くの方が協力してくださり,非常に感謝している。この地域は観光が主要産業だが,地震後の観光客が急減して苦労している。地理的に近い釜山の市民が今後も関心を持って観光地として選択してくださることを願う」。