世界が報じた日本

平成28年7月8日

 最近の海外主要メディアにおける日本関連報道の中からいくつか紹介いたします。メディア側から予め承認が得られたものの中から選んで掲載しています。転載・複製を禁じます。詳細はリンクから原文をご参照願います。

掲載日:

4月13日付:

媒体名(国名):

アフリカリポート誌(仏)

執筆者(発信地):

ニコラス・ノアブルック記者(大分発)

 アフリカの再生可能エネルギー・プロジェクトに関する経済・政治は,非常に大きく変化しつつある。ナイジェリアでは革新的な投資計画があり,モロッコでは太陽光発電の導入を政府が全面的に促進している一方,日本はケニアの地熱発電を援助している。
 すでにコスト面で競り合っているエネルギーが,アイスランドや日本が先駆けとなった地熱発電だ。大分県周辺の丘陵山岳地の一角に九州電力八丁原地熱発電所がある。9本の冷却塔から大量の湯気が山の澄んだ空気に悠々と立ち上っている。
 屋内では,地中数キロまで浸水した雨水が地球の核の熱の伝わったマグマに加熱された岩により熱水となり,その熱水から発生した蒸気により作動する2つの三菱製タービンの鈍い轟音が鳴り響く。当社はアフリカで,プロジェクトを展開することを模索している。九州電力の西田GMは「南アフリカに,発電所設立のためのポテンシャルがあるかを探るため技師を派遣している」と本誌に語る。

掲載日:

7月1日付:

媒体名(国名):

エスノス紙(ギリシャ)

執筆者(発信地):

94年後の多大なる感謝~小アジアで命を救った日本人達~

 ギリシャ・トルコ戦争の終盤,1922年9月8日。トルコ軍によってイズミルや小アジアの海岸へ追いやられたギリシャ人難民はギリシャ政府からの救助を得られずにいた。他国の船が自国民を中心に救助する中,当時イズミルにいた日本商船の日本人船長は船員と共に,貴重な絹やレースの積み荷を海に捨て,ギリシャ人やアルメニア人の難民を船に乗せてギリシャの海岸まで輸送した。証言の数々は,船上での日本人の礼儀正しさや親切さを非常に鮮明に表している。恐らくこの証言によって,94年の経過にもかかわらず,今でも日本人船員の慈悲深さを示すこの出来事が忘れられていないのである。人から人へ,世代から世代へと語り継がれ,今日まで守られてきた。
 数日前,ネア・スミルナ市で1930年に創立された小アジアからのギリシャ難民の団体「エスティア」が初めて,当時の出来事に対する顕彰を示すプレートを西林万寿夫駐ギリシャ日本大使に授与した。ヤニス・パパザトス「エスティア」会長はエスノス紙に対し,「当時の出来事は世間であまり知られておらず,日本人船長の名前も未だに不明である。当時の日本人船長及び船員の方への感謝の気持ちとして,駐ギリシャ日本大使にこの賞を授与することにした」と述べた。

掲載日:

6月28日付:

媒体名(国名):

パリジャン紙エソンヌ版(仏)

執筆者(発信地):

マリオン・リヴェット記者

 クローヌがイル=ド=フランスの日本となるまであと5カ月となった。これは,新しい祭典を開催することでともかくエソンヌ県の同市が実現したいと強く望んでいることだ。新しいフェスティバルは,野菜の「クローヌ」の日本語名にあたる「チロギ」と名付けられ,11月25,26日に開催される。「このフェスティバルの斬新なところは,日本の魅力を余すとこなく紹介する点です」とミカエル・ダミアティ市長は語っている。今年のテーマは「悪役」の予定。
 最初のスペースは「東京」と名付けられ,アーケードゲームやコスプレ大会,カラオケなどにより現代日本をフォーカスする。次のスペース「京都」では,折り紙,入れ墨,漫画,書道,日本画のブースを設け,さらに武道講習やイラストコンテストを行うなど伝統的日本を中心とした展示となる。

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