公邸料理人
公邸料理人の活動紹介
「外交の真髄は食卓に宿る」
(在カナダ日本国大使館・嶋 泰宏 料理人)




21世紀の国際情勢は、厳しい地政学的現実と地球温暖化の進行と最先端技術の飛躍的発展によって日々刻々と変化しています。激動の時代、平和と繁栄を維持する上で外交の果たす役割が一層重要になっています。そこで、外交について考えてみます。そこは国益がぶつかる真剣勝負の場です。が同時に、そこは極めて人間的な折衝とコミュニケーションの場です。違いを克服し問題を解決する上でも、機微な情報を引き出す上でも、核心的に重要なことは、相手との間で信頼関係を築くことです。正に、世界中の外交官がそのために日々努力しています。それでは、どうやって信頼関係を築くのでしょうか。
答えは、食卓です。食事を共にしリラックスした中で、天気の話から趣味の話など軽い話題を交えながら、政治・安全保障・経済・科学技術・文化についての議論を通じて、相手への理解が深まり人間性に触れ、信頼関係が育まれていくのです。有名レストランでの会食も効果絶大です。しかし、公邸には敵いません。公邸に招待し最高のおもてなしで相手を魅了することは外交の真髄です。
したがって、極論すれば、大使館や総領事館といった在外公館の長に就任するに際して最も重要な要素は、腕が良く、かつ、同じ方向を向いて仕事ができる公邸料理人と巡り会うことに尽きます。在外公館長と公邸料理人の任期は、人によって様々ですが、私について言えば、前任地のニューヨークから現在のオタワに至る約7年の月日を共有しています。その間、新型コロナ感染爆発の苛烈な日々を含め常に苦楽を共にして来ました。長い外交官人生の中でも、これだけ長い期間を連続して伴走する同僚は公邸料理人をおいて他にいません。その意味で、公邸料理人は「相棒」と言える存在です。
前置きが長くなってしまいましたが、私の「相棒」である公邸料理人・嶋泰宏シェフを紹介します。嶋シェフは、経歴20年の日本料理専門家です。調理師免許取得後、まず地元のホテルグランコート名古屋で勤務した後に、東京は日本橋のロイヤルパークホテルの名店「源氏香」で更に研鑽を積みました。私が在ニューヨーク総領事・大使を拝命した2018年にニューヨークに一緒に赴任しました。そして、食の都ニューヨークでの嶋シェフの活躍が始まります。
2019年、キッシンジャー元米国務長官をゲストにお迎えした際には、嶋シェフの極上料理を食しながら、トランプ政権や国際情勢について極めて率直な意見交換ができました。印象深いのは、キッシンジャー氏が「日本食は大好きですけれど、本日の料理は特別に素晴らしいです。存分に堪能しました」と絶賛されたことです。ニューヨーク時代の嶋シェフの活躍は、インターネットで「嶋泰宏」の名で検索すれば多数出てきますので、説明はそちらに譲りたいと思います。令和4年(2022年)度「優秀公邸料理長」を受賞したことは、ニューヨークでの活躍を如実に表す証左と言えます。まずは3年半にわたって日米関係の発展のために共に尽力してくれたことに心から感謝しています。
その後、私が在カナダ日本国大使館特命全権大使を拝命したことにより、2022年5月からは共にカナダに舞台を移しました。嶋シェフは、現状に甘んじることなく、更に磨きをかけて日々取り組んでくれています。首都オタワでは、ジョリー外相、シャンパーニュ革新・科学・産業大臣等閣僚・政府高官、ファーガス下院議長等連邦議会の議長や委員長、ワグナー最高裁長官を始めとするオタワにおける重要な賓客を公邸に招いて頻繁に会食を行っていますが、全ての賓客が嶋シェフの料理に魅了されています。味はもちろんのこと、季節の要素を的確に取り入れる等の創意工夫を常に心がけていることもあって、視覚的にも非常に美しく、多くの賓客が「美しすぎて、食べられない」とコメントするほどです。また、公邸等では、少人数から多い時には十数名が参加して行う着席での会食、さらには、100名~数百名のゲストを招いてのレセプションまで規模も様々です。いずれの場合でも多くのゲストに感銘を与えていることには、職業人として感嘆していますし、日本人として誇りに思います。それが証拠に、多くの賓客からお礼状を頂きますが、嶋シェフへの賛辞が必ず含まれています。最高の食事を共にしたことで育まれる信頼が、私や当館館員の外交目的の達成に直結し、また、人脈の拡大及び強化に貢献しています。
このように賞賛のエピソードに事欠きませんが、嶋シェフを語る上ではその人柄の良さも忘れてはなりません。各在外公館では、毎年、天皇誕生日祝賀レセプションを開催しており、当館においても一年で最も重要な行事として、オタワ等における各界の賓客を数百名程度お招きして開催しています。多くの賓客は嶋シェフが握るお寿司などの料理を非常に楽しみにしていますので、嶋シェフもそれに応えるべく、食材の調達からレセプション本番での握り寿司(4,000貫以上)の提供・実演等に向けた仕込みまで、入念な事前準備を行っています。当然ながら、その作業量は非常に膨大です。すると、大使館・公邸の職員から、嶋シェフを手伝おう、という声が自然と上がってくるのです。大使館の仲間達の優しさも無論ありますが、これも嶋シェフの人柄あってのことだと思います。
本稿の冒頭で、同じ方向を向いて仕事ができる公邸料理人と巡り会うことの重要性を指摘しました。外交官を長くやっていますと、信頼できる人間関係の構築こそが日本の国益そのものだと感じることが増えてきます。公邸に招いて最高の和食を共にすることはそのような人間関係の構築に不可欠です。しかしながら、首都オタワの政治・外交・経済・文化等関係者は誰もが非常にタイトな日程で仕事をしていますので、非常に重要なアポが急遽設定されることもままあります。こうした時でも嶋シェフは、その趣旨を十分に理解して急な要望に柔軟に対応し、高い使命感を持って期待以上の仕事をしてくれます。こうした姿勢には本当に感謝の気持ちで一杯です。
2023年から24年のG7議長国引き継ぎ式典の際に、嶋シェフとイタリア大使公邸料理人が両国の食文化を融合させた料理を披露して大変好評を博しました。また、2025年3月に当地ユダヤ団体と共催した杉原千畝ビザ関連のイベントの際には、和食とユダヤ料理とのコラボも提供して大好評でした。大手メディアにも取り上げられました。こうしたことに着想を得て、オタワに所在する他国の大使館から共同イベントの申込みが後を絶たず、実際に5月に韓国大使館と、6月にフランス大使館とそれぞれ実施しましたが、カナダの政財界等の要人に日本産食材の素晴らしさ、和食の懐の深さを改めて打ち込むことができました。嶋泰宏シェフは、人々を魅了する超一流の日本料理外交官であると改めて実感しています。嶋シェフと協力しながら、我が国とカナダとの更なる友好親善協力関係の発展のために邁進していきたいと思います。
在カナダ日本国大使館
特命全権大使 山野内 勘二