公邸料理人

(在エジプト大使館・萩本栄治公邸料理人)

平成29年5月26日
(写真1)Cuisine Festival参加各国のシェフたちと Cuisine Festival参加各国のシェフたちと
(写真2)和食紹介事業でのレクデモ 和食紹介事業でのレクデモ
(写真3)和食紹介事業で香川大使らと 和食紹介事業で香川大使らと

 在エジプト大使館の公邸料理人・萩本栄治さんは、フレンチの料理人です。
 大阪で生まれ育ち、ホテル勤務を経て、北新地の評判の良い洋食レストランで腕を磨いた萩本さんは、30歳を迎えたことを契機に料理人として独り立ちする決意をし、公邸料理人に応募しました。時を同じくしてエジプト駐箚を命ぜられた私が、これまで一切の接点をもたない萩本さんとの出会いを得たのは、このようなときでした。
 しかし、カイロに赴任直後から、待ち受けていた幾つものハードルに行く手を阻まれます。公邸料理人どころか海外生活も初めてとなる萩本さんのチャレンジには、もちろん頼りになるレストランのサポートもなければ、融通の利く出入り業者もいません。一歩外へ出ればそこは見当もつかないアラビア語の世界です。現地スタッフとの会話すらままならない中で、献立、食材の調達、仕込み、経理など一切の仕事を独りでこなさなければなりません。個人の生活立ち上げなどすべて後回し。これが第一のハードルです。もっとも、こうした苦労は、実は海を越えて外国で頑張る多くの職業人に共通することです。萩本さんは、見事にこれをクリアしてくれました。
 さて、大使として期待される役割は幅広い分野に及びますが、昨今においては日本の文化である「和食」の発信も、外交に欠かすことの出来ない大使の仕事です。これまで一貫して中東に携わってきた経験から、純和風のメニューをエジプト人が必ずしも好まないことは予め分かっていました。これが、和食の料理人ではなく、あえて洋食を専門とする萩本さんをエジプト勤務の相棒に選んだ理由です。ただし、「洋食を基本としながらも、和のテイストや飾り付けなども織り込み、和を感じさせるメニューを」という難題を引き受けてもらったわけです。第二のハードルです。
 色とりどりの小鉢、枝葉や花をあしらうなどして四季を表現する伝統的な和食のスタイルは、見た目にいくら素晴らしくても食材として何が使われているか分からないため、食に保守的なエジプト人にはなかなか手をつけてもらえません。もとより、暑い夏場にはほうれん草などの葉物が店頭から姿を消すなど食材選びも容易ではありませんから、時期限定のごく限られた食材で、しかも和食をイメージさせる様々なメニューをあみ出すことが求められるのです。
 萩本さんの答えは、たとえばこの地域で代表的な夏野菜であるモロヘイヤ。独特の粘りをもつモロヘイヤを使ったスープは当地では非常にポピュラーですが、萩本さんはこれを「あんかけ」にしてしまいます。エジプト人にとり馴染みの食材が普段とまったく違う形で目の前に出てくると、そこには安心と驚きが生まれ、ひいては和食に対する関心が芽生えるのです。
 9,200万人を超えるエジプトの人口の90%はイスラム教徒です。広く知られるとおりイスラム教では豚やアルコールが忌避されますが、こうした制約は調理においては深刻です。そう、第三のハードルです。豚はともかくも、洋食の調理に欠かせないワインやリキュール、和食に欠かせない料理酒やみりんが一切使えません。食材の風味やコクを引き出すための代わりの手段として、蜂蜜や水飴などを駆使するそうですが、それ以上は企業秘密だということです。料理人の腕が大いに試されるところです。
 さらに、同じテーブルにつくお客様も、イスラム教徒だけでなく、ベジタリアンの多いコプト教徒(古代のキリスト教)、様々な国籍の外交官など多種多様ですから、お客様から予め食の制約や嗜好を伺い、場合によっては一人ずつ異なるお食事を提供することが不可欠になります。つまり、全員同じメニューを供するお食事と比べて、調達すべき食材の種類も、仕込みの手間も、勢い3~4倍になるわけですからまことに料理人泣かせな話ですが、宗教、食文化、人種等に応じた分け隔てのないおもてなしをする上では、むしろそれが標準なのです。
 三つのハードルを越えた先には、公邸の外に羽ばたく扉がありました。萩本料理人は、エジプトの大手新聞社が主催し1,600人以上の集客を誇るキュイジーヌ・インターナショナル・フェスティバルに3年連続で参加、16か国を代表するシェフたちと腕を競い、毎回参加者の人気の的になっています。また、昨年11月、カイロ国際映画祭とのコラボ企画として、カイロ交響楽団の本拠地でもあるカイロ・オペラハウス(日本の無償援助により1988年に建設)で開催した和食紹介イベントにおいては、各界要人や映画関係者らの前で寿司の実演を行いました。これらイベントの様子は現地のメディアにも取り上げられたことから、まさに独り立ちした料理人として世の中に胸を張ってデビューを果たしたわけです。言い換えれば、カイロに来てからこれまでの約2年半にわたる努力が実を結び、今や日本の対エジプト外交、異文化交流に不可欠な存在となったのです。
 「どこへ行っても、エジプト人はたいへん親日的で、皆一様に優しく接してくれます。日本を離れてみて分かったのですが、本当に日本人で良かったと思います。」と彼は言います。エジプト人の対日観向上にご自身が貢献しているという自覚をあまり感じさせないのは、見た目どおり謙虚で誠実な人柄のなせるところでしょう。萩本さんは今日も、すっかり打ち解けたエジプト人スタッフたちと共に、プロフェッショナルな思考と技術をこらした調理に、賢明に取り組んでいます。
 最後に、古代エジプト第五王朝(紀元前2500年頃)で首相を務めたプタハヘテプが残したとされる格言をご紹介します。
 「賢者のことばを探すのはエメラルドを探すより難しい。
 しかし、目立たない粉ひき職人のところにあったりするものだ。」

駐エジプト日本国特命全権大使  香川 剛廣

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