外交史料館

概説と主な展示史料

平成27年10月14日

 1861(文久元)年、海軍操練所教授であった榎本武揚(えのもと・たけあき)は、幕府の発注した軍艦「開陽丸」の建造監督を兼ねてオランダに留学しました。榎本は1866(慶応2)年に留学を終え、開陽丸に乗って帰朝途中の翌年1月21日(同12月16日)年、リオデジャネイロに寄港しました。開陽丸は同地で「甚々宜しき風聞を得たり」と、幕末外交史料集『続通信全覧』の「荷蘭(オランダ)製造軍艦開陽丸一件」に記されています。

 その後、新政府に出仕した榎本は、北海道開拓使、駐露公使、駐清公使などを経て1891(明治24)年に外務大臣となり、条約改正事業にあたる一方、外務省に移民課を設置して移民事業に意欲を見せました。また、外務大臣辞任後の1893(明治26)年には「殖民協会」を設立し、移住地建設計画に取り組みました。

 同年、殖民協会会員でもあった外務省通商局の根本正(ねもと・しょう)はメキシコに赴き、同国の地質・気候・国情などにつき調査しました。根本はさらに1894(明治27)年7月、ブラジル・ニカラグア・グアテマラの調査にも向かいました。実に234日をかけた調査の内容は、その報告書である「南米伯剌西爾、中米尼加拉瓦、瓦地馬拉、西印度ゴアデロプ探検報告」(注)に詳細に記されています。この報告書において根本は、ブラジルのサンパウロ州が「土地豊饒気候温和」であり、「法律正明ニシテ山野ヲ旅行スルニモ短銃ノ携帯ヲ要セズ」と評し、同地が移民に適していることを述べました。

榎本武揚
  • (注)伯剌西爾=ブラジル
  • 尼加拉瓦=ニカラグア
  • 瓦地馬拉=グアテマラ
  • ゴアデロプ=現在のフランス領グアドループ島
【展示史料2】
「南米伯剌西爾、中米尼加拉瓦、瓦地馬拉、西印度ゴアデロプ探検報告」
・・・「サン・パロ」(サンパウロ)州ハ土地豊饒気候温和ニシテ人情風俗モ亦或ル拉丁(ラテン)亜米利加国ト相異ナリ法律正明ニシテ山野ヲ旅行スルニモ短銃ノ携帯ヲ要セズ本州ハ真ニ世界無比ノ珈琲栽培地ナリ・・・
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