外交史料館
特別展示「日本とペルシャ・イラン」
V イランとの戦後の交流
概説と主な展示史料
平成27年5月18日


1951年(昭和26年)9月8日、イランはサンフランシスコ平和条約に連合国の一員として署名しました。 その後、イラン議会でのサンフランシスコ平和条約批准が長引いていましたが、イラン政府は、日本とイランの両国民間に古くから友好的関係と親愛感があることから、速やかに両国間の戦争関係を終了し、友好関係を新しく開始する必要があるとして、批准を待たずに戦争状態の終結と友好関係の確立を布告しました。これによって、1953年(昭和28年)11月1日、イランのエンテザーム外務大臣と広瀬達夫(ひろせ・たつお)臨時代理公使との間に、外交関係再開に関する公文が交換されました。
1955年(昭和30年)10月には、戦前の日本・イラン修好条約の効力存続に関する公文も両国間で交換されました(同年、公使館を大使館に昇格)。
また、日本政府とイラン政府は「相互の利益のため、両国を結ぶ文化的のきずなを維持し、かつ、緊密にすることをひとしく希望」するとの主旨で、1957年(昭和32年)4月16日、東京で岸信介(きし・のぶすけ)内閣総理大臣兼外務大臣とホセイン・ゴズ・ナカイ駐日イラン大使が「日本国とイランとの間の文化協定」に調印しました。協定は前文と本文6条からなり、学者などの交換、文化活動の奨励、奨学金など様々な文化交流について規定しています。1958(昭和33)年10月20日、テヘランで批准書の交換が行われ、翌月から発効しました。日本・イラン文化協定は国交再開後の最初の協定です。それ以後、現在に至るまで文化交流関係が継続しており、近年もテヘランやイスファハンにおける日本文化週間や、東京におけるイラン文化週間が盛んに開催されています。