外交史料館

コラム 嘉納治五郎 日本オリンピックの父

令和3年7月12日

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 サイト上では、展示史料を含む関連文書が一括で掲載されています。画像下にあるアジ歴●コマ目という情報を参考に展示史料をご覧ください。

(写真1)かのうじごろう 嘉納治五郎
(写真:国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」)

 嘉納治五郎は1860(万延元)年に生まれ、東京帝国大学を卒業後、学習院教授等を経て、1893(明治26)年、東京高等師範学校(現在の筑波大学)校長に就任し、日本の学校教育の充実、体育・スポーツの発展に尽くしました(3期23年半在任)。
 また、柔道の創始者としても知られる嘉納は、柔道を通して、事実を観察する科学的な態度、正義感、公正さや謙虚さを身につけるとともに、修行で得たことを社会生活に生かしていくことを説きました。この「精力善用・自他共栄」の理念を胸に、嘉納は自ら世界各国を飛び回り、柔道の実践と理念の普及に努めました。また、他者に誠実に尽くしてこそ、自身も自国も繁栄するという信念から、多くの中国人留学生を受け入れ、近代中国の教育の基盤となる人材を育成しました。
 このような嘉納の理念は、スポーツを通じて人格を形成し、相互に交流を行うことで親善を深め、世界平和を構築するというオリンピック精神とも合致したため、嘉納は日本におけるオリンピック普及に尽力しました。嘉納は、欧米のIOC委員たちからも尊敬を集め、「青年の真の教育者」「スポーツ教育の総合的人格者」と評されました。

イタリアからの柔道教師招聘希望に対する嘉納治五郎の書簡

 1910(明治43)年、イタリアから柔道教師招聘の希望が寄せられたため、外務省は嘉納治五郎に候補者の推薦を依頼しました。本史料はそれに対して、嘉納が外務省通商局長宛に送った書簡で、2名の候補者が挙げられています。
 この時は調整がつかず、招聘は見送られたようですが、1928(昭和3)年に嘉納がイタリアで柔道の実演と講演を行うと、イタリアでは柔道が盛んになりました。現在においてもイタリアスポーツ教育協会では、「精力善用・自他共栄」という嘉納の教育理念を生かしたスポーツ教育が実践されています。

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