外交史料館

国書・親書にみる明治の日本外交

平成30年3月29日
(画像1)「国書・親書にみる明治の日本外交」ポスター

 平成30(2018)年は,明治元(1868)年から起算して満150年に当たります。

 幕末の日米和親条約調印を機に,欧米諸国を中心とする国際秩序に参画することになった日本は,明治時代,新たな国際関係構築の歩みを始めます。政府は欧米諸国の制度・技術・文化を吸収しながら,近代化を進め,諸外国との国交樹立や国境画定,不平等条約の改正などの外交課題に取り組みました。そして,日清・日露戦争を経て,日本は欧米列強と並ぶ国家へと成長していきます。

 本展示では,外交史料館が所蔵する国書・親書を通して,明治期の日本外交の歩みをご紹介します。現在にまでつながる国の基本的な形を築き上げた明治の時代を振り返り,国際社会に踏み出して行った明治の日本人の姿に思いを馳せていただく機会となれば幸いです。

(注)国書・親書とは,国家の元首が相手国の元首にあてて発出した手紙のことで,通常,元首の自筆の署名(サイン)が入っています。
国書・親書は国ごとに異なったデザインで書かれています。明治の外交を振り返るとともに,各国の多種多様な公文書の世界をお楽しみください。

  • 場所:外務省外交史料館別館展示室(地図
  • 開催期間:平成30年1月11日(木曜日)~平成30年5月31日(木曜日)
  • 開館時間:午前10時~午後17時30分(土曜日・日曜日・祝日を除く)
  • 入場無料

(注)本展示は政府がすすめる「明治150年」関連施策の一つとして開催するものです。

主な展示史料

慶応4年1月11日(1868年2月4日)イギリス女王ヴィクトリア発明治天皇宛駐日イギリス特命全権公使パークスの信任状

(画像2)イギリス女王ヴィクトリア発明治天皇宛駐日イギリス特命全権公使パークスの信任状

 明治天皇が初めて受け取った親書。大政奉還等を経て,新政府が日本の正統政府となったと認識した英国は,列国に先駆けて本信任状を明治天皇に捧呈した。

慶応4年3月28日(1868年4月20日)フランス皇帝ナポレオン3世発明治天皇宛駐日フランス特命全権公使ウートレーの信任状

(画像3)フランス皇帝ナポレオン3世発明治天皇宛駐日フランス特命全権公使ウートレーの信任状

 フランスが明治政府に提出した信任状。これ以前に幕府に提出した信任状では宛名が“Taicoun du Japon”とされていたが,本史料では,” Mikado du Japon”に変更されている。

明治4年3月19日(1871年5月8日)オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ発明治天皇宛修好通商条約締結に対する感謝状

(画像4)オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ発明治天皇宛修好通商条約締結に対する感謝状

 同条約に代表されるような欧米列強と結んだ不平等条約の改正は明治政府の重要外交課題であった。

明治28(1895)年2月18日清国皇帝光緒帝発明治天皇宛日清講和会議の際に李鴻章が持参した全権委任状

(画像5)清国皇帝光緒帝発明治天皇宛日清講和会議の際に李鴻章が持参した全権委任状

 日清戦争の講和会議において,日本側は伊藤博文総理大臣,陸奥宗光外務大臣が全権として清国全権李鴻章と交渉を行い,日清講和条約が調印された。

明治38(1905)年11月1日イギリス国王エドワード7世発明治天皇宛駐日イギリス特命全権大使マクドナルドの信任状

(画像6)イギリス国王エドワード7世発明治天皇宛駐日イギリス特命全権大使マクドナルドの信任状

 日露講和会議の直後,英国は駐日公使館を大使館に昇格させ,駐日大使を任命した。日本の国際的地位が向上し,大使を派遣すべき国であると認められたことがうかがえる。

明治43(1910)年6月22日清国皇帝宣統帝(溥儀)発明治天皇宛駐日清国特命全権公使胡惟徳の解任状

(写真7)清国皇帝宣統帝(溥儀)発明治天皇宛駐日清国特命全権公使胡惟徳の解任状

 映画「ラストエンペラー」でおなじみの宣統帝(溥儀)から送られた国書。全長221cmに及ぶ本史料の表紙に刺繍されている龍は,送り主である清朝皇帝を象徴している。


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