第4章 我が国援助についての総合評価
4.1 評価基準及び総合評価
国別評価の基本方針は、我が国援助の主要受取国を対象として、我が国援助が当該国の経済開発及び民生向上にいかなる成果を上げているかを国全体や主要援助分野・地域単位の視点から巨視的に調査・分析することを主な目的としている。しかしながら、巨視的視点に基づく二国間援助に対する総体的な評価を実施する際の普遍的且つ一義的な定義は存在しないことから、この評価目的を達成するにあたり本調査団は、1991年の経済協力開発機構開発援助委員会(DAC)上級会合において採択された評価原則を参考として国別評価調査を実施することとした。
同評価原則によれば、「評価とは、実施中或いは実施完了後の開発援助プロジェクト、プログラム並びに政策或いはプロジェクトの計画策定、実施状況、成果等に対し、可能な限り体系的且つ客観的に実施される評定であり、査定対象各々について、計画の妥当性、目的達成度、開発の効率性、効果並びに持続性を評定することを目的とする。・・・」、と定義されているが、これらの評価5項目は本来、個別プロジェクトの評価基準として適用されることを想定していると思料される。したがって、これら評価5項目を国別評価が目的としている援助分野・地域単位に関する総体的な評価基準として厳密に適用することは必ずしも合理的ではないとの判断から、本評価調査ではDAC評価原則を十分に念頭に置きつつ、我が国のODA大綱等の援助基本方針に照らし、我が国援助が評価分野・地域及び評価対象国の社会・経済発展に如何に寄与したかを重点として評価調査及び分析を実施した。
ザンビアは、現チルバ政権が誕生した1991年以降、基本的には民主化、構造調整計画に基づいた経済の自由化・民営化の路線を歩みつつあり、対外債務の負担や過度な銅依存型経済からの脱却を目指して積極的に努力している。しかし、対外債務の返済のための行政改革及び財政改革の結果、公務員の削減による失業率の上昇が顕在化したのをはじめ、公共サービスの削減は、平均寿命、乳児死亡率、就学率などの社会指標の悪化をもたらしていることからも、ザンビアは依然として厳しい社会・経済条件に置かれている。
このような厳しい社会・経済的な状況下において、我が国の対ザンビア援助対象分野は建設、基礎インフラ、農業、水資源開発、保健医療、教育など広範な分野をカバーしていると共に、ザンビアのニーズや政権交代による社会の特殊性を十分に考慮した先端的でユニークなものがあり、広く同国政府及び国民から非常に高い評価を受けている。これらの受益国からの高い評価並びに現地踏査を踏まえた総評として、我が国によるこれまでの援助は、概ね妥当且つ有効であり、ザンビアの社会経済開発及び貧困削減に貢献し、同国民の生活水準向上に資したと思料される。
我が国の対ザンビア援助の主要援助分野である農業、保健、教育及び基礎インフラの各分野における評価の総括は次の通りである。
(1) 農業分野
農村道路整備、穀物倉庫の拡充等を通じたわが国の対ザンビア援助は食糧増産、地方部における所得及び雇用機会の増加に対して非常に効果的であった。また、農村道路の建設及び維持管理は、自立発展性を確保する上において、及び農業振興及び地方開発のためにも必須条件であると考えられる。
(2) 保健分野
保健分野における我が国の援助は、医療専門家の育成に貢献したと言え、援助の妥当性及び目的の達成度いずれにも総じて高いと考えられるが、自立発展性の確保の観点からも同分野における一層の人的資源開発・財源増の必要性が認識される。
(3) 教育分野
教育分野におけるわが国の対ザンビア援助は小中学校建設が主となっており、マヘバ、ルコナ、ジンバ地区で4校の教育施設を建設したことにより就学児童数の大幅な増加が達成されると共に、高等学校への進学率の上昇をもたらした。
(4) 基礎インフラ分野
我が国援助は、水資源開発及び道路網整備等を通じ、ザンビアの経済開発及び社会インフラ開発に貢献したと考えられる。近年では、我が国はベーシック・ヒューマン・ニーズ(人間の基本的ニーズ)の充足を目指した社会インフラ開発を重点としていることから、ザンビア国民の社会インフラへのアクセスを容易とすることにより、国民の生活水準の向上に貢献していると言える。
4.2 分野別評価
4.2.1 農業分野
農村人口が56%(1998年)を占めているザンビアでは、農業部門は自給用および都市向け食料生産、農産物輸出による外貨獲得、さらに雇用創出という面で重要な経済部門であり、同時に、農村の住民はいわゆる生業として広義の農業を営んでいることから農村地域住民の生活水準の向上や福祉向上のために農業開発や農村開発の重要性が強調される。
農業成長率は1965-95年間の平均で1.5%と低率であった。1992年以降の構造調整によって農業部門に対する補助金の削減、流通の自由化・民営化、さらには干ばつの影響を受けたことにより成長率はマイナスを示している。
ザンビア農業の特徴の一つは、気象変動に極めて脆い点にある。農業生産のほとんどは天水畑作で営まれており、特に干ばつの被害を受けやすい。近年では1991-92年に大干ばつが発生しており、気象変動に対して強い体質をもった農業の開発が望まれるところである。
ザンビアでは、人口の約7割が貧困層に属しており、その8割程は農村に居住している。貧困層の人々の栄養水準低下は疾病の発生を高め、平均余命の低下をもたらすことから、労働生産性の向上を妨げる状況となっている。このため、同国の貧困問題を解決するための有効な手段の一つとして、農林水産業部門の開発による食料安全保障の達成が喫緊の課題であると思料される。
ザンビアの耕地面積は約526.5万haであり、国土面積の7%程を占めるに過ぎない。また、潅漑可能面積約43万haのうち、5万ha程度が利用されているにすぎない。したがって、未利用地が依然豊富に存在することから、少なくとも土地面積だけで判断すれば、農業開発の潜在的可能性は高いと言える。他方、小規模農家を戸数でみると全体の9割以上を占めているが、自給自足的な性格の強い農業を営んでいることから、都市近郊地域を除いて都市向け食料生産の担い手としては当面の期待はできないと思料する。この意味からも、小規模農家は経済自由化への対応が容易でないと言える。
農業分野の評価を実施するに当たり、このようなザンビアにおける農村並びに農業の位置付けとそれらの特徴を踏まえた上で、我が国がこれまで実施してきた援助を評価することが肝要であると言える。我が国の対ザンビア援助は、食糧増産援助による農業機械や化学肥料の供与を主とするものであるが、これらは前政権時代の社会主義的政策下において妥当性が特に高いものであり、食糧増産による地方農村部における所得向上への波及効果も大きいと考えられる。しかし、1997年以降、ザンビア側の実施体制が不十分であることを理由に食糧増産援助は中止されている。なお、自由化移行後に化学肥料価格が相対的に上昇したことにより、農村住民の所得水準の低下や食料安全保障の悪化を招き、化学肥料の援助が国内市場に影響を及ぼすとの指摘が他の援助国から寄せられていた。
農業輸送力増強計画(1980、81、84、85年)及び穀物倉庫建設計画(1984、85、88年)は前政権時代に実施されたものである。いずれも食料安全保障の確立や農村の所得向上、雇用創出という視点から妥当であり、目標や成果は十分に達成されたと考えられる。また民間流通業者に穀物倉庫が貸与されていることから、自立発展性の向上に寄与していると言える。しかし、経済の自由化・民営化後の緊縮財政下で農村道路の整備が停滞していることから、商品流通経路の確保のためにも適切な維持管理が不可欠であると思料される。
遠隔地域における農村開発計画は、農業生産の拡大を軸とした画期的な計画であることから農村の所得向上及び雇用創出の観点から妥当であったと考えられる。
ザンベジ川流域モング地域農村開発計画は、ザンベジ川の氾濫源地域を対象とし、コメや野菜などの栽培を中心とするものであるが、生産物の市場性を十分に考慮すればさらに高い妥当性や波及効果並びに自立発展性が期待できる。カウンガ地区農村開発計画は、ザンビアでも特に干ばつの被害を受けやすい地域における雨期補完潅漑と果樹野菜の開発を中心とする画期的なものであった。メケラ水産養殖は、内陸国ザンビアで動物性タンパク質として貴重な淡水魚の養殖を目的としたものであり、食料安全保障の確保の観点から援助の妥当性は高いと考えられる。
現地視察したプロジェクトに関する評価については次の通りである。
(1) カナカンタパ農村開発計画
本案件は、「副大領府入植局」の管轄下で実施された。定職を持たない青年の入植地として1988年に事業が開始され、入植者の定着と生活安定を最終目的として、進入路(橋梁の設置を含む)の整備、入植者訓練農場の造成(30ha)、給水設備、運営用管理施設等の設置が実施された。しかし、現地サイドの事業運営管理体制の問題から、その継続性に支障が生じた。現在、現地スタッフの総入替がなされ、計画の立直しが計られている。
本案件は、政府が失業者に農地を与え、農業生産活動の推進を図る、という点において、極めて妥当性の高いものであると考えられる。また、援助の効率性及び波及効果の点からも日本側の投入及び事業実施は妥当であった。しかし、ザンビア政府の財政削減などにより、プロジェクトの運営管理は改善される必要が認められる。
(2) チョングウェ地区村落開発計画(1999年)
本案件は、250万8千円(=約54万クワッチャ)万クワッチャの草の根無償資金によりコミュニティー・ホールと貯蔵庫の建設、ミシン等の購入が計画された。全ての事業計画が実行され、同村の全105世帯に対して2袋の化学肥料の配布も行われた。農業流通の自由化以降、化学肥料価格の高騰によりメイズ生産の経済性が低下していることから、本案件のように配布された化学肥料の購入代金が回収され、他の経済活動に投資できるようになれば、貧困軽減の事業目的は達成されると考えられる。本案件の更なる成果が大いに期待され、将来の面的拡大が注目される。
(3) ザンビア大学獣医学部
獣医学部の新設と獣医師の養成、獣医研究と普及活動の強化、大学院教育プログラムの確立を目的に、無償資金協力(1983~84年)および技術協力、フェーズI(1985~92年)、フェーズII(1992~97年)が実施された。現在は1名の元北大教授が専門家として派遣されている。
ザンビアにおける畜産部門の開発は今後も重要であり、獣医学の発展と獣医師の養成はきわめて妥当な事業目的であると言え、獣医師及び大学教員の養成という技術移転の面では高い成果が得られたと判断される。しかし、大学の財政難から供与された教育機材の維持管理が困難になりつつあり、教育実習の充実、家畜病院の拡充、農場の整備等の今後の課題も多いことから、何らかのアフターケアーが必要となると思料される。なお、2000年1月17日から開始された南部アフリカ地域の獣医師を対象にした熱帯家畜病の第三国研修は、本案件による成果の一部であり、人材育成の観点から今後大いに注目される事業であると考えられる。
ザンビアは豊富な水と土地(必ずしも全てが肥沃な土壌とはいえないが)を有しており、農業は銅に次ぐ重要な産業として認識されていることから、農業開発は引き続き今後の重点援助分野の一つになり得ると思料する。本評価調査の総評として、我が国がこれまでザンビアに対して実施してきた農業分野の開発協力は、特に援助の妥当性や波及効果の点で有効であったと考えられる。
4.2.2 保健分野
ザンビア経済は銅生産に大きく依存する体質が続いてきたが、近年ではその埋蔵量も減少してきていることに加え、銅の国際価格の低迷及び採掘コストの上昇等により、銅をはじめとする鉱業セクター依存型経済からの脱却が急務となっている。しかし、国内政治体制の変遷、社会資本の質的・量的な不足等により、単一産業依存型から産業多様化への道程は必ずしも平坦なものではない。
また、構造調整政策下での補助金削減、民営化等の経済自由化路線が推進され、都市部への過度の人口流入による個人所得の逓減及び雇用不安に加えて、財政赤字の増加による保健・医療サービスの低下をはじめとする公共福祉事業の後退が引き起こされている。
同国の保健政策は、1992年に策定された国家保健政策(National Health Policies and Strategies)を軸に、「全ての国民に効果的な質の高い保健サービスを普遍的に提供する」ことを基本方針として実施されている。また、1995年には、同基本政策の戦略計画である国家保健戦略計画(National Strategic Health Plan)が実施され、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の質的・量的改善、医療要員の育成を目的とした人的資源開発及び保健行政の地方分権化の推進等が政策目標として掲げられている。この保健医療基本戦略の下、ザンビア大学教育病院(UTH)を含む中央病院では医療要員の教育・訓練及び第三次医療機関としての機能強化が進められている。また、PHCを担うアーバンヘルスセンター(UHC)とUTHの医療供給連携体制の確立が望まれている。
このような社会・経済状況において、保健分野に対する我が国の援助は、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)及び母子保健技術の向上を継続的に支援すると共に、教育・訓練を通じた医療専門家の育成に貢献したと言える。また、今後の保健水準の向上に一層資するためにも、地方部での人的資源開発を進めると共に、我が国援助で供与された設備・医療機器等の適切な維持管理、ルサカ市プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)プロジェクトとUTHプロジェクトの連携強化が必要であると考える。
本評価調査で現地視察を実施したプロジェクトの評価結果については以下の通りである。
(1) ザンビア大学教育病院(UTH)
本プロジェクトは3期にわたり実施され、UTHの小児内科部門の強化を目的に施設、機材の供与が次の通り行われた。
-
- |
「UTH小児医療センター建設計画」第1期(施設、機材供与、約13億円)1981年度 |
- |
「UTH小児医療センター建設計画」第2期(施設、機材供与、約10億円)1982年度 |
- |
「大学教育病院(UTH)小児科改善計画」(3期目に担当)(施設、機材供与8.04億円)1995年度 |
(施設機材供与額 計31.04億円)
本プロジェクトの主な目的は、次の3点である。
1) |
ザンビア国における第三次医療を担う大学教育病院(UTH)の小児内科の外来部4) 門及び隔離病棟部門の改善。2) |
2) |
同病院の医療機能の向上及び医療環境の改善。3) |
3) |
ルサカ市周辺のプライマリ・ヘルス・ケア(PHC)を担うアーバンヘルスセンター(UHC )の医師、技師及び看護婦等の医療要員に対して、アウトリーチ活動(技術指導・研修)によるPHCに係る技術レベルを向上させるためのセンターを4) 同小児内科内に設置し現在、第三次医療施設であるUTHに集中しがちな患者がUHCを利用することにより、本来のレファラルシステムを確立すること。 |
本プロジェクトは、小児内科部門での第三次医療を担う点では目標を達成しつつあると考えられるが、PHCプロジェクトとの連携、アウトリーチ活動の実現は引き続き課題となっている。また、施設供与に関しては、第1期、2期、3期を通じて概ね計画段階の目標は達成され、供与された施設やX線撮影装置、麻酔等の機材は比較的良好な状況で維持管理されている。施設面では、エレベータを設置せず1~2階にスロープを設置した構造は、停電が多い発展途上国での多数階の施設には「適正技術」の一つと考えられる。
案件の実行計画の妥当性に関しては、調査計画の段階でルサカ市での第二次医療機関の未整備によるリファラルシステムが確立されていないことが指摘されていたことに鑑みれば、同システムの確立後に第三次医療機関であるUTHの整備・改善を実施したならば、費用対効果が一層向上し、ルサカ市の第三次医療機関、教育機関としてより効果的に機能したと考えられる。また、第三期に投入されたNICU(新生児集中治療室)並びに小児の感染隔離病棟は重症感染症の治療に有用であり、公衆衛生学的見地からも効果的であったが、施設の運用に携わる専門技術を有する医療職員の不足及び財政難による施設・設備の維持管理体制を勘案すると、ザンビアの保健部門における施設優先順位の設定が必ずしも明確であったとは考え難い。
第3期ではアウト・リーチ・センターが開設されたが、人材の配置と運営管理及びルサカのUHCとの連携を強化・促進することにより、さらに効果的に機能させることができると思料する。UTHの第三次医療機関としての機能がルサカ市以外の地域に展開すれば、ザンビア全体の保健医療提供システムの構築という波及効果が見込まれる。また、第一次及び第二次医療機関の整備と同時に第三次医療機関の整備が行われれば、より効率的になったと考えられる。
また、ザンビアの厳しい財政状況を考慮すると、高度の医療機器の維持管理を適切に行うことは容易ではなく、第1期に設備されたスロープのように機材及び建物の構造等における適正技術の活用等により、より高い自立発展性が確保されるであろう。
(2) ザンビア感染症対策プロジェクト
1980年2月から1989年2月の9年にわたり、ザンビア大学医学部教育病院(UTH)プロジェクトの新生児管理、小児外科分野の協力が実施された。引き続き1989年4月より1994年3月まで小児医療の標準化及びウィルス・ラボラトリーの設立、機能強化のための協力が行われた。
本プロジェクトに関する協力の目標と期待される成果は、以下の2点を通じたザンビア国における感染症対策の向上に貢献することである。
1) |
ウィルス学、細菌学、免疫学の手法を用いた感染症検査・診断技術の向上 |
2) |
首都及び地方において、感染症検査・診断を適正に行える医療従事者を養成する |
1989年4月より1994年3月まで実施された小児医療の標準化、ウィルス・ラボラトリーの設立・機能強化のための協力においては、ラボラトリー機能の適正規模から判断すれば、上記の目標は概ね達成されたと考えられる。
本プロジェクトが実施されたことにより感染症検査・診断技術が向上し、医療従事者の育成にも成功していると言える。また、ウィルス・ラボラトリーは日本や他の先進国の施設と比較しても見劣りしない高水準のラボラトリーである。ラボラトリーでは、機材その他の活動内容及び実施している「検査」は、「研究」(リサーチ)志向が極めて強いことから、研究上の意義は十分認められる。しかし、ザンビアの経済・財政状況を鑑みると、電子顕微鏡及び複数台のディープフリーザー等比較的有用性が低い機材の維持管理を適切に行うことは、同国にとって極めて負担が大きいと懸念される。
今後は、ザンビア保健分野において優先的に取り組まなければならないエイズの早期診断、抗結核剤耐性菌の検出に主眼をおいた公衆衛生ラボへと発展することが望まれる。加えて、地方分権化の流れを受けて地区レベルで適切な機能を持ち、適正規模のラボへの援助を実施することも一案であろう。
(3) ザンビア国ルサカ市プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)プロジェクト
本案件は、プロジェクト実施開始から3年弱が経過し、その実施期間は残すところ2年余りであり、LHMT (Lusaka Health Management Team)を実施主体としてプライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の確立を目標としていたが、1999年1月に実施された巡回指導で活動方針およびプロジェクト目標がPHCの中で次の3項目に絞り込まれた。
1) |
リファラルシステムの確立。 |
2) |
1次医療センターとしてのジョージクリニックの強化。 |
3) |
UHCの強化(X線撮影装置の導入など)による2次医療施設の確立。 |
プロジェクトサイトがあるジョージ居住地区は無償資金協力によって供与された給水施設による飲料水の地域への提供が可能で合ったことによりPHCの基礎要素1つを具備したが、衛生の問題は課題として残っている。
また、PHCプロジェクトは住民参加、コミュニティを主体とする統合的かつ包括的なプログラムであることから、1次及び2次リファラルシステムが一部実現しつつある現状を勘案すると、住民主導でのシステム確立が強く望まれる。
無償資金協力で建設された給水施設によりプロジェクトサイトまで水供給が可能であったこと、学校保健、AMDAザンビアやCare Internationalなどの国際NGO及びローカルNGOとの連携、カウンターパートの責任者のモチベーション及び能力が高かったこと、派遣専門家の技術協力等の諸要因が有効に作用し、住民との関係そしてPHCの基盤である住民参加が少しづつではあるが実現している。
現在は、プロジェクトサイトに2次リファーラル保健医療施設としての機能を持たせるために、X線撮影装置を設置しつつある。また、住民の衛生に対する考え方が変容するきっかけになると考えられる試みとして、有料トイレの設置が今後どのように展開されるのか注目に値する。
また、PHCプロジェクトの波及効果に関しては、前述のNGOとの活動の連携、ルサカ市衛生局とのより一層の密接な連携等がより促進されれば都市地域において大きな可能性が秘められていると言えるだろう。
総じて、保健分野における我が国援助は、医療専門家の育成に貢献したと言えるかもしれない。また、同時に保健分野における更なる人的資源開発及び財源増が必要であるかもしれない。ザンビアの保健レベルの向上に一層資するため、我が国ODAで供与された設備、機材の適切な維持管理の必要性、ルサカ市プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)プロジェクトとUTHプロジェクトの効果的な連携の必要性及び地方部での人的資源開発の強化が今後必要であると考えられる。
4.2.3 教育分野
これまで、ザンビアの教育分野に対する我が国の援助は、学校建設を中心に行われてきた。下の表に示すとおり、これまでにすでに4校(「メヘバ難民キャンプ中学校建設計画」で1校、「ザンビア国中学校建設計画」で3校)が建設されている。そして、現在も「ルサカ市小中学校建設計画」で8校が建設中である。
学校建設プロジェクト名 |
E/N金額 |
年度 |
建設学校数 |
(1)メヘバ難民キャンプ中学校建設計画 |
無償:計6.39億円 |
1985,86年 |
1校 |
(2)ザンビア国中学校建設計画 |
無償:27.68億円 |
1989,90年 |
3校 |
(3)ルサカ市小中学校建設計画 |
無償:19.12億円 |
1998,99年 |
8校 |
教育分野に対するこれまでの援助が学校建設や機材供与といったハード面中心であったのにはいくつかの理由がある。それは、教育内容や教育方法といった教育のソフト面は、その国の歴史や文化に関わるものであり、外部援助にはなじまないと考えられてきたためである。また、教育内容や教育方法など「ソフト面」はその国の自助努力の範疇に入ると考えられたこと、ソフト面の協力ができる適切な人材が不足していること等、これまであまりソフト面での教育援助が実施されてこなかった理由と考えられる。
本評価調査で現地視察したプロジェクトの評価結果は以下の通りである。(1)
(1) メヘバ難民キャンプ中学校建設計画及びザンビア国中学校建設計画
メヘバ難民キャンプ中学校建設計画は、ザンビア北西部州にある同国最大の難民キャンプに中学校の建設および機材供与を行ったものである。この難民キャンプには小学校はあるが中学校はなく、中学校教育に対するニーズは高かった。建設は1986年5月に着工、完工(引渡し)は、1987年3月である。
ザンビア国中学校建設計画は、南部州のジンバ、東部州のジュンベ、西部州のルコナといった中等教育普及の遅れている地域に対して中学校建設および機材供与を行ったものである。第I期では、ジンバ校とジュンベ校が、第II期ではルコナ校が建設されている。完工(引渡)は1991年3月である。
本件学校建設は中学校レベルを対象としたものである。案件の妥当性を評価するために案件要請当時(1980年代)のザンビアの教育状況を理解する必要がある。
サハラ以南アフリカにおける教育の原点は1961年のアディスアベバ会議にあるといわれている。そこでは、基礎教育は「基本的人権」であり、それ自体に尊い価値があることが強調された。ザンビアでは、1964年独立後、教育の普及は政治的にも経済的にもきわめて重要な課題となっていた。国家建設に要するザンビア人養成が急務であり、独立後は急速な勢いで教育は普及していった。教育政策は「教育を通しての国民意識向上」や「国家統一」という政治的目的に利用され、積極的な教育拡大政策が取られたのである。1966年にはザンビア大学が設立されるなど、この時期は高等教育も重視された。1960年代後半から70年代はじめは高学歴失業問題が顕在化したため職業訓練が重視された。
しかし、1970年代後半には、増大する初等教育卒業生の受け皿として中等教育整備が中心となった。しかし、中等教育拡充にも限界があり、政府は基礎教育(初等教育と前期中等教育)終了後にすぐ就労できることを目的に、1978年の教育政策で9年制の「ベーシック・スクール(小中学校)」構想を打ち出した。そのため、中学校の増設が不可欠となった。日本に対して中学校建設計画の要請があったのはこの頃のことである。
一般的にいって、教育の普及はザンビアにとって重要な課題であるし、学校(特に中等学校)の数は大きく不足していた。1960年代から70年代にかけて初等教育が拡大していく中で、当然、中等教育への需要は高まる。当時のザンビアでは、中学校校舎が不足しているために中等教育を受けられない子供が多かったことを考えると、中等レベルへの協力は妥当であったと思料される。また、本件対象校はいずれも中学校に対するニーズの高い農村部に建設されており、サイトの選定も妥当であったと考えられる。
ただ、ここで注目しておくべきことは、日本の協力は「中学校」(前期中等教育)の建設であったが、実際には建設後まもなく「高校」(後期中等教育)も付設されるということである。前期中等教育が拡大すれば、当然、中学校卒業生の受け皿として高校教育への需要も高まる。そして、このプロジェクト対象地域の近くには高校は全くないのである。そのような状況のもと、必然的に、これらの中学校は前期中等教育だけでなく後期中等教育をも付設していかざるをえなくなった。しかし、後期中等教育を付設したため、教室数は不足し、前期中等レベルで過密学級が生じている。計画の妥当性という点では、計画段階で後期中等教育への需要を予測できていたのかどうか、予測できていたとすればあらかじめ高校教育も視野に入れた学校建設を視野に入れたものにすべきではなかったかという点が指摘される。
学校建設のインパクトは、就学者の増加という形であらわれる。まず、「中学校建設計画」では、ルコナ校とジンバ校では学校規模は定員360名、ジュンベ校では400名とされている。先に述べたように、開校後まもなく高校が付設されているが、1997年の時点の就学者は、ルコナ校では431人、ジュンベ校では441人となっている。また、ジンバ校では1991年から1998年にかけて、毎年240人の入学者があったという。これらの点から考えて、学校の定員は十分に充足されている。むしろ、定員をオーバーして受け入れているという現状がうかがえる。ザンビアでは教育機会の地域格差(都市部と農村部の格差)が問題となっていたが、本件実施により、かなり地域格差は改善されたと考えられる。特に、ルコナ校の属するカラボ地区は中学校が非常に少なく、中等教育への進学率が低い地域であったが、本件の実施により進学率が大きく向上した。
援助の効率性に関しては、プロジェクトが期限内に終了したか、供与機材は適切であったか等の点がポイントとなる。まず、予定通りの施工期間で建設が終了し、適切な時期にザンビア側に引き渡されているかという点については、特に問題はない。建設そのものは概ね効率的に実施されたと思料する。本件は、学校の建設のみならず数多くの機材(例えば、理科の実験器具、家庭科のための調理器具や木工・金工などのための工具、AV機材、学校運営用車両等)が供与されているが、それらも開校時には供与済みであった。電圧の違いや電気供給量の問題等を考慮した機材選定をさらに徹底することで、供与機材の一層の有効活用がなされると思料する。また、日本から購送された機材の仕様書を適切に翻訳したり、維持管理に必要な部品の第三国及び現地調達を促進すること等により、より効率的な学習環境の整備に結びつくと考えられる。
また、供与された機材の修理が不十分である背景には、財政的な問題だけではなく技術的な問題もある。機材引き渡し後、有効に使用されていたものも、一旦故障すると学校現場では修理できず、長期間修理を待っていることもある。実験室にはかなりの種類の薬品・実験器具が供与されたが、前述の財政難及び現地の電力事情等の問題により供与後の活用・維持管理に問題点が残る。この観点から、補修部品が第三国又は現地調達することができ、現地で修理可能な簡便な機材の供与を促進することが肝要であると思料される。
目標達成度に関しては、以上の4項目を総合的に検討し、本案件の目標がどの程度達成されているかを明らかにするものである。まず、「インパクト」の項でも触れたように、本件は中等教育に対するニーズが極めて高い地域に中学校が建設されたため、学校は十分に利用されており、その地域にニーズを満たしている。寄宿舎が付設されているため通学の便もよいといえる。中学校の就学者を増大させるという目標に関しては十分に達成されているといえよう。また、本件には教員住宅の建設も含まれており、教員に対する配慮がされているという点は高く評価できる。
しかし、「妥当性」の項でも触れたように、開校後まもなく高校が付設されたことにより教室は過密状態である。また、供与機材の維持管理が適切でない等、教育環境の整備という観点からは改善の余地が残る。その意味で、教育の質の改善は現状では十分とは言えず、今後の課題となろう。教育環境の整備を含め、教育の質の改善を達成するためには、各学校の自助努力と地域社会の支援が不可欠である。技術的な問題については外部からの支援が必要となるが、教育環境の整備については、地域一体での支援組織の構築が課題となろう。
(2) ルサカ市小中学校建設計画
「ルサカ市小中学校建設計画」については、現在建設中であり、事後評価には時期尚早であると思われるが、中間評価(モニタリング)という観点からみていくつか重要な論点を指摘する。
現地調査では「プリンス・タカマド小中学校」を訪問した。建物は、鉄筋コンクリート製となっており、その耐用年数は50年以上である。井戸も深い井戸を掘っており、水も飲料水に適した質のものが出る。トイレも2種類完備しており、排水や屋根の長さに気をつかうなど、使いやすさの配慮が随所にされている。また、ザンビアの学校では盗難が非常に多く、学校の備品が盗まれるという被害が多発している状況において、塀の高さや窓の形が工夫され、管理人宿舎が作られていること等、適切な防犯対策も施されている。
本校には、この地区に居住し、現在は遠方の小中学校に通っている生徒を就学させることになっている。学校建設地に関しては、当初は世銀が学校を建設する予定のサイトであったが、コモン・バスケットにより世銀が資金を引き上げてしまったという背景があり、教育省からの要請の中でも優先順位第一位の建設予定地であった。
学校には、入学費用として合計50,000クワチャ
1(入学金として20,000クワチャ(PTA会費を兼ねる)、制服代として30,000クワチャ)を負担できる家庭の子どもが入学する。この入学金に含まれるPTA会費に関しては、学校の維持管理のために不可欠であると考えられる。
建設の質は良く申し分なく、世銀の予定していたものより工夫がなされている。建設コストに関しては、世銀案と比較すると高くなったが、耐用年数や施設の使い勝手などを考慮に入れると、本件小学校のほうが優れているので、単純な比較はできない。しかし、初等・中等教育施設の需要に鑑み、質は落としてでも多くの学校を建設するということも将来的には検討に値すると思料される。
現段階では建設中であることから、今後必要な教員が揃うか、生徒がどれくらい来るのか等、まだ未知数の部分もある。本案件は、維持管理がしやすいよう工法がなされているが、建設途中でもあり、学校の維持管理能力や地域住民の支援体制についての課題も多い。
立派な教育施設・設備が整備されても、それが十分に利用されなければその効果を発揮することはできない。インフラ整備の効果的な活用を促すためにはハード面の援助と共にソフト面の援助も必要であり、ハード分野のみでの成功事例は残念ながら非常に少ないのも現状である。この意味で、住民参加型、且つ、充実したソフト面を持つ案件として成長すれば大きな期待がかかるものとなるだろう。
4.2.4 基礎インフラ分野
途上国の開発において、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)として「安全な水へのアクセス」が重要視されるようになってから久しい。ザンビアでは、安全な水へアクセス出来る人々の割合は1994年時点で47%に留まっており、これは近隣アフリカ諸国と比べても低い水準である。このため、ザンビアでも安全な水へのアクセスの改善が大きな問題として取り上げられており、多くのドナーが「安全な水へのアクセスの改善」を目的とした支援を実施している。我が国も、都市部及び農村部において積極的な援助活動を展開している。
また、首都であるルサカ市において道路が建設されたのは今から20年以上も前であるが1980年代に入ってからの経済衰退により財政難に陥ったザンビア政府は、これらの道路の維持管理費を捻出することが出来なくなった。現在、ルサカ市の道路網は劣悪なコンディションとなっており、経済基盤、必要最小限のインフラとしての機能を果たしていない。例えば、空港へ向かう幹線道路にもバケツ程度の大きさの穴が開いており、病院や学校へ行くために道路を満足に利用することが出来ない状態である。また、市内に居住する貧困層が市場へアクセスするのも困難となっている。しかしこうした状態にも係らず、ザンビア政府が独自に道路の補修をしていくことは財政難のため難しい。
このような背景の中、我が国の対ザンビア援助は、ベーシック・ヒューマン・ニーズの充足を目指した社会インフラ分野への支援を実施しており、ザンビア国民の社会インフラへのアクセスを容易とすることにより、国民の生活水準の向上に貢献していると言える。
本評価調査で現地視察を実施したプロジェクトの評価結果は次の通りである。
(1) ルサカ市周辺地区給水計画
ザンビアの首都ルサカの北西周辺部に位置するジョージ地区(都市計画上の非居住地区)に不法に貧困層が住みついた。1970年代に市当局は、世銀の支援を受けてインフラの整備を実施し、居住地区(コンパウンド)として合法化した。現在は、12万人近い人口を抱える高密度居住地区となっている。
この地区においては、世銀やECなどが支援を行い給水活動を試みたが、施設の破壊や盗難等が発生し、持続的な利用が実現されなかった。給水量不足や断水(週2回程度の給水)のため住民は、2-3mしか掘らない浅井戸に依存した。しかし、直ぐ近くにトイレを敷設していたことなどから、コレラが頻繁に発生していた。本件援助は、1992年度のコレラの大発生を受け、ザンビア政府は日本に対して支援の要請を行ったものである。
本件援助で設置されている水道システムは、水源施設、導水施設、排水・給水施設等から構成され、地下水位が比較的浅い対象区域に井戸を掘り、湧き出た水をタンクに溜めた後、配管を敷設し水飲み場まで給水を行うものである。ザンビア政府は、1991年3月にルサカ市周辺地区の給水システム改善を目的とした「ルサカ市周辺地区給水計画」を策定している。本件援助は、この計画と合致した内容であり、同時に、絶対貧困層の生活水準の直接的な向上を目指すことを目的として我が国に支援の要請が成された。
本件援助の実施により、一家族当たり、午前と午後に各5バケツ(約35リットル)の水利用が可能となり、住民は炊事・洗濯等の目的に揚水を常時利用している。援助実施以前には、遥かに離れた地区まで水を汲みに行かねばならず、一日に1バケツ程の水にアクセス出来る程度であった。従って、我が国援助の実施により、水へのアクセスは格段に改善されたと言える。幾つかの水飲み場まで住民にヒアリングを実施したが、利便性の向上に関して感謝の意を示す受益者(主に女性)が多数いたことからも、本件の世評は高いと考えられる。また、患者数に関しての正確なデータを得ることは出来なかったものの、案件対象地区にあるジョージ・クリニックでのインタビュー及び大学病院の医師からの聴き取り調査等から判断すると、本件援助の推進により、水関連の疾病患者数が減少したと思料する。
地域住民の雇用機会の増加という観点からは、事業実施過程で建設要員として地元の住民を雇用したこと、これらの建設要員の中から精力的な活動を行った者を事業実施後のメンテナンス担当要員として雇用したこと等から、本件は失業率の高い(7割・8割近いと言われる)同地区の雇用促進にも貢献したと考えられる。
また、従来の社会主義政権のもとでは公共サービスは原則無料で提供されていたが、現在、住民は水利用のために、1世帯当たり 2,500クワチャ(約1ドル)/月 の水道料金を支払っている。こうした費用負担の意識を住民に持たせることが出来たこともプロジェクトを通じた貢献と言えよう。水道料金の支払い状況は、水道公社担当者の監督のもとデータベース化されており、住民からの収入と維持管理へのコストが4半期毎にまとめられ、レポートが提出されている。現在、水道料金を支払っているのは、全世帯の約50・60%程度に留まるものの、同地区での高い失業率及び社会的背景を鑑みれば致し方のない数値であると考えられる。このように、本案件を通じて住民の間に公共施設の維持管理を行うシステムの形が構築されてきていることから、本件が目的とした住民参加型のアプローチの趣旨は達成していると思料される。
(2)南部州地方給水計画
南部州はザンビア国の中でも水量が少ない地域で、乾期には井戸が涸れ水利用が出来ない村が数多く存在する。また、浅井戸の水位低下及びハンドポンプの施設の故障のため、利用できなくなってしまった古井戸も多く存在していることから、ザンビア政府は同地における井戸の建設を推進してきた。
1981年に深刻な旱魃を経験したザンビア政府は、日本政府に220の新規井戸の敷設と100の既存井戸の補修に関する支援を要請した。我が国は、この要請を受け1985-1988年にかけて無償資金協力を実施した。しかし、1991年に再び大旱魃が発生したことから井戸の絶対数が不足している南部地域では特に深刻な水不足へ見舞われることとなった。斯かる情勢下で、ザンビア政府は、日本政府に対して再び給水事業の支援を要請する運びとなった。
本件援助は、南部州8郡1市の101村落を対象に、深井戸、ハンドポンプ等を設置するものであり、一村落当たり2基以上の給水施設の設置が予定され、給水施設総数は220基が計画された。
南部州は住民の約8割が農村部に居住している。しかし、同地の農村部において適切な井戸の普及割合は低く、農民は手掘りの浅井戸や村から何キロも離れた水源に水を汲みに行くような状況下にあった。このため、ザンビア政府をはじめ、他のドナーも同地における安全な水へのアクセス改善を目的として、井戸(Borehole)普及プロジェクトが実施されている。しかし、井戸普及率は十分とは言えず、依然として十分な数の井戸が利用できる状況ではない(1996年の推計では17%のみがカバーされていると言われている)。
本件援助の実施により、一人当たり20-30リットル程度の水利用が可能となり、住民は炊事・洗濯等の目的に水を利用している。事業実施前は、遥かに離れた地区まで水を汲みに行かねばならず、一日10リットル程の水にアクセス出来れば良い方であった。従って、本件援助の実施によって水へのアクセスは格段に改善されると共に、女性や子供の水汲労働が軽減されると思料される。また、裨益住民からの聴き取り調査の結果、本件援助の実施により水関連の疾病が減少したと言える。地理的条件を鑑み、医療施設へのアクセスは極めて制限されていることからも予防措置としての効果は大きいものと考えられる。
井戸掘り用の堀さく機には、80年代の援助において日本政府が供与したものが使用されている。また、ポンプはザンビアにおいて最も普及しているインド式のポンプが使用されている。これは、故障などが生じた場合に部品を容易に手に入れることが出来るよう配慮した結果である。
このように、本件事業は援助の効率性と自立発展性に可能な限り配慮しつつ推進されている。しかし、援助の効率性を考慮すると、日本の会計年度に従って事業を実施しようとすると実質的な事業を実施する時期には雨期に差し掛ってしまうことも多く、可能な限り雨期を避けて事業を実施できるような、より柔軟な援助実施体制が必要とされることが指摘される。
本件の自立発展性に関しては、ルサカの水供給プロジェクトの場合と同様に、水道料金徴収が行われている。住民は水利用のために、1世帯当たり1,000クワチャ(約40セント)/月 の利用料金を支払っている。井戸管理を通じて住民組織が形成されており、井戸はコミュニティーの共有財産として認識されるようになっている。また、エネルギー・水開発省、NGOを通した啓蒙活動も功を奏しており、住民の間に衛生教育の普及も実現されつつある点からも、自立発展性は高いと言える。
(3)ルサカ市道路網整備計画
ルサカ市は現在人口200万人を抱えるザンビアの首都であり、その人口は年々増加傾向にある。また、これに伴って交通量も増加している。同市の道路網は総延長約1,600kmであり、その53%の約830kmが舗装道路である。ルサカ市が建設された当初は、現状の様に都市化が進展するものと見込まれていなかった。このため、道路網が時代遅れな設計となってしまっている。例えば、適切にバイパス道路が建設されなかったため大型車両が市内に乗り入れる形になってしまっていたり、雨期に多量な降雨があるにも係らず側溝が設置されないためプールが出来てしまったり、と多くの見直しが必要であるが、ザンビア政府は財政難から独自で道路計画の拡充及び道路の補修を行うことは極めて困難な状況にある。
本件援助では、第1期(1996-98年)に、ルサカ市のメインストリートであるカイロ道路を含む、約65kmの道路修復が実施され、1999年からは、第2期の工事が実施されており、60km の道路修復が達成される見込みである。本件援助の実施によって、交通渋滞の緩和、バイパスの設置による大型車両の市中心部からの排除、交通事故の削減、消防車出動の効率化、工業地区のインフラ改善、コンパウンド(居住地区)の貧困住民のマーケットへのアクセス改善等が達成される。
世銀等が中心となり道路網の改善を目的とした道路セクター投資プログラム(Road Sector Investment Programme; Road SIP)が策定されてきた。このセクター投資プログラムにおいては、ドナー間で担当する工区の分担調整がなされていおり、ルサカ市内では、ザンビア政府が市の中心から東を担当し、日本政府に対しては市の北部の道路網拡充が要請され、開発計画の整合性がとれるよう計画が策定されており、援助の効率性の観点から高く評価される。
補修した道路が適切に維持管理していくことが出来るかどうかは、ザンビア政府の財政能力に負うところが大きい。先に述べたように、ザンビア政府の財政能力を鑑みると、この点は心もとないと言わざるを得ない。1999年度の予算をみても、燃料税(Fuel Levy)は195.6億クワッチャ、自動車登録税 220億クワッチャとなっているが、これらを合わせても415.6億クワッチャ(1,700万ドル程度)に過ぎないことから、ルサカ市内の道路補修を適切に行うことが容易ではないと思料される。
1 (2000年1月現在1ドル=約2600クワチャ、ザンビアの一人当たりGDPは360ドル程度)