1. 評価対象時期(1990年代後半)のスリランカの経済社会概況
ここでは評価対象である「国別援助方針」が、その形成過程において同国の経済社会状況や政策を適切に反映したものとなっているかとの観点から、評価対象時期の概況をレビューする。
1990年代後半、スリランカは民族紛争など国家的な問題を抱えながらも、そのマクロ経済は国内総生産(GDP)成長率が約5%で推移するという比較的安定した状態であった(表2.1-1参照)。1994年に統一国民党(UNP)から人民連合(PA)への政権交代後も、一貫して自由経済体制がとられ、価格・投資・為替の規制は緩和され民間投資や輸出も好調に推移した。これらを背景に、1990年代後半途中までは堅実に経済は成長し、失業率も減少した。
1997年には、良好な気象、茶の国際市場価格の上昇、観光客の増加などの好条件により6.3%という高いGDP成長率を達成した1。しかしながら翌年はアジア経済危機の影響で、東南アジア諸国における輸出産業との競争激化とスリランカの主要な輸出先であるアジア諸国の需要低下により、当国経済も低迷、1999年にはGDP成長率が4.3%まで下落した2。さらに1990年代後半の比較的良好な成長の際にも財政面では改善が見られず、再び悪化の傾向が顕著となった3。
表2.1-2に示した産業別のGDP成長率を見ると、農林水産業など一次産業の成長率は1980年代から、国全体のGDP成長率と比べて低い伸び率だったが、1999年には4.5%を記録した。製造業は1990年代後半に一貫して高い伸び率を維持しており、この傾向は2001年の世界的な経済停滞まで続いた。表2.1-3にも示すように、製造業は、当該期間において、輸出の3/4を占めており、輸出はもとよりスリランカの経済成長のかなりの部分を牽引したと言える。電気・ガス・水道サービスや輸送・倉庫・通信、行・保険・不動産業なども1980年代から1990年代後半にかけて高いGDP成長率を凌ぐ成長率を達成した。
指標 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 2001年* |
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GDP成長率 | 5.5 | 3.8 | 6.3 | 4.7 | 4.3 | 6.0 | - 1.4 |
失業率 | 12.3 | 11.3 | 10.5 | 9.5 | 8.9 | 7.6 | 7.8 |
粗投資対GDP比 | 25.7 | 24.2 | 24.4 | 25.1 | 27.3 | 28.0 | 22.0 |
粗貯蓄対GDP比 | 15.3 | 15,3 | 17.3 | 19.1 | 19.5 | 17.4 | 15.3 |
経常収支対GDP比 | - 6.0 | - 4.9 | - 2.6 | - 1.4 | - 3.6 | - 6.4 | - 2.4 |
財政収支対GDP比 | -10.1 | - 9.4 | - 7.9 | - 9.2 | - 7.5 | - 9.9 | - 10.9 |
対外債務残高対GDP比 | 75.0 | 68.6 | 62.3 | 61.6 | 63.5 | 61.0 | 61.8 |
債務返済比率 (DSR) | 16.5 | 15.3 | 13.3 | 13.3 | 15.2 | 14.7 | 13.3 |
マネーサプライ上昇率 | 21.1 | 11.3 | 15.6 | 13.2 | 13.4 | 12.9 | 13.6 |
消費者物価上昇率(コロンボ) | 7.7 | 15.9 | 9.6 | 9.4 | 4.7 | 6.2 | 14.2 |
指標 | 1980 - 89年 |
1990 - 96年 |
1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 2001年 | |
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農林水産業 | 2.3 | 2.2 | 3.0 | 2.5 | 4.5 | 1.8 | - 3.0 | |
鉱工業 | 鉱業・採鉱 | 6.3 | 3.3 | 3.8 | - 5.4 | 4.1 | 4.8 | 0.7 |
製造業 | 5.5 | 8.6 | 9.1 | 6.3 | 4.4 | 9.2 | - 4.0 | |
建設 | 1.3 | 5.0 | 5.4 | 7.1 | 4.8 | 4.8 | 2.5 | |
サービス | 電気・ガス・水道サービス | 6.6 | 7.5 | 8.1 | 10.1 | 9.5 | 4.5 | - 2.9 |
輸送・倉庫・通信 | 4.7 | 5.5 | 8.8 | 7.7 | 8.1 | 7.8 | 5.2 | |
卸売り・小売業 | 4.6 | 5.7 | 6.3 | 4.5 | 1.0 | 8.7 | - 6.5 | |
銀行・保険・不動産業 | 9.4 | 8.2 | 10.2 | 6.4 | 4.6 | 6.4 | 5.0 | |
賃貸 | 2.9 | 1.3 | 1.3 | 1.2 | 1.2 | 1.7 | 1.4 | |
行政・防衛 | 10.2 | 3.1 | 5.2 | 3.0 | 4.2 | 4.2 | 1.0 | |
その他のサービス | 2.2 | 5.3 | 6.1 | 3.7 | 9.8 | 2.3 | 2.2 | |
国全体 | 4.2 | 5.3 | 6.3 | 4.7 | 4.3 | 6.0 | -1.4 |
農林水産業のスリランカ経済における位置は表2.1-3の通りである。1990年代中期から後期にかけて、そのGDPに占める割合、輸出に占める割合、就業構造に占める割合は減少した。また、GDPに占める割合が1978年の30.5%から2000年に19.5%へと減少したのに対して、就業構造に占める割合は41.5%から36.0%とあまり減少していない。就業人口に占める割合が減少しているとは言え、依然、1/3の人口が農林水産分野に就業しており、多くの貧困層が農村に居住していることから、農林水産業の生産性と所得の向上は、スリランカの貧困削減にとって重要だったと言える。製造業の成長率が高い大きな要因としては、製造業への海外直接投資と先進国市場の存在が挙げられている4。製造業において、1995年の民間部門の付加価値が年平均13%で増加しているのに対し、石油を除く製塩・ゴム・製紙・砂糖等の国営企業はマイナス13%であり、この傾向は1990年代後半も変わっていない。製造業の成長は、民間主導であることを示している。
GDPに製造業が占める割合も、1991年の14.8%から1999年には16.4%と増加し、2000年には、南アジア地域協力連合(SAARC)諸国の中でも最も高い16.8%となった(表2.1-3参照)。しかし、1999年の東南アジア諸国連合(ASEAN)先進5カ国と比べると依然低い5。
1978 年 |
1993 年 |
1994 年 |
1995 年 |
1996 年 |
1997 年 |
1998 年 |
1999 年 |
2000 年 |
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GDPに占める割合 | 農林水産業 | 30.5 | 24.6 | 23.8 | 23.0 | 22.4 | 21.9 | 21.1 | 20.7 | 19.4 | |
鉱工業 | 鉱業 | 1.8 | 1.9 | 2.0 | 1.9 | 2.0 | 2.1 | 1.9 | 1.8 | 1.9 | |
製造 | 20.0 | 15.2 | 15.4 | 15.7 | 16.2 | 16.4 | 16.5 | 16.4 | 16.8 | ||
建設 | 4.9 | 7.2 | 7.3 | 7.4 | 6.9 | 7.0 | 7.6 | 7.6 | 7.3 | ||
サービス | 42.9 | 51.1 | 51.5 | 51.9 | 52.4 | 52.6 | 52.9 | 53.5 | 54.5 | ||
輸出高に占める割合 | 農林水産業 | 79.3* | 22.9 | 21.9 | 21.8 | 23.5 | 22.9 | 22.6 | 20.5 | 18.2 | |
鉱工業 | 鉱業 | N/A | 2.6 | 2.7 | 2.3 | 2.3 | 1.9 | 1.2 | 1.4 | 1.8 | |
製造 | 14.2* | 73.4 | 74.8 | 75.4 | 73.4 | 74.1 | 75.2 | 77.0 | 77.6 | ||
その他 | N/A | 1.1 | 0.6 | 0.5 | 0.8 | 1.1 | 0.9 | 1.0 | 2.5 | ||
就業構造 | 農林水産業 | N/A | 41.5 | 39.5 | 36.7 | 37.4 | 36.2 | 40.6 | 36.3 | 36.0 | |
鉱工業 | 鉱業 | N/A | 1.5 | 0.8 | 1.7 | 1.6 | 1.6 | 1.2 | 1.3 | 1.1 | |
製造 | N/A | 13.2 | 14.3 | 14.7 | 14.6 | 16.4 | 14.3 | 14.8 | 16.6 | ||
建設 | N/A | 4.4 | 4.1 | 4.7 | 4.9 | 4.8 | 4.7 | 5.1 | 4.9 | ||
サービス | N/A | 34.3 | 36.8 | 35.7 | 37.1 | 36.2 | 35.4 | 37.4 | 37.1 |
スリランカ経済社会の発展に最も色濃く影響を及ぼしてきた問題は武装対立と内紛の激化である。1970年代以降、スリランカではシンハラ語の国語化、シンハラ人居住区への公共事業の集中などの、政府によるシンハラ人優先政策が取られた。その結果、これに反発するタミル人の分離独立を求める動きが高まった。1983年に起きた暴動以来、民族紛争は激化し、双方の過激派によるテロ活動が大きく経済活動の停滞を招いた。この紛争により、増加し始めていた外国投資や、観光業に悪影響が及んだだけでなく、1990年代半ばにはGDPの5%以上が軍事費に充てられ財政を大きく圧迫した(表2.1-4参照)。
指標 | 1990年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 |
---|---|---|---|---|
政府支出における軍事費の割合 | 14.6 | 15.2 | 18.1 | 21.6 |
GDPにおける軍事費の割合 | 4.5 | 4.4 | 5.4 | 6.0 |
こうした中、評価対象期間の1990年代後半には、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)の本拠地である北部・東部州で政府軍との戦いが激化し、首都コロンボをはじめ、多くの都市で自爆テロが発生した(別添8「平和構築に関する出来事(年表)」参照)。 こうした状況に対し、政府は民族紛争の沈静化が経済成長と貧困削減の重要なカギであることを認識していたことは、2000年に入りノルウェー政府などの介入のもと政府とLTTE間の和平交渉を促進する努力が続けられたことからも推論される。一方、LTTEも、イギリスを初めとするLTTEの国外活動の拠点国での活動禁止の可能性が浮上してきたため、和平交渉を開始する用意があることを表明した。
対象期間のスリランカ国行政の大きな柱は民間活力の導入であった。1995年以来、スリランカ政府はマクロ経済安定化・税制近代化・民間投資の促進・雇用者に有利な労使関係などに向けた改革の重要な政策として、従来は公的事業として行われていた部門への民間活力の導入を推進した。この背景には、長引く内戦による軍事費、社会福祉費の拡大が政府の財政を圧迫していたことがあったと考えられる。
1996年、行政・民間の代表者からなる国営事業改革委員会(PERC)が、公営企業効率化の推進を担当する機関として設立された。PERCは国営エア・ランカ航空など約60企業の民営化計画を発表したが、労働組合などの激しい抵抗にあい、当初の民営化目標を達成できなかった。1999年末までに、民営化処理を締結した企業は、プランテーション・ガス・鉄鋼・製塩・開発銀行・電気・通信・航空などの20件のみであった6。
民営化企業 | 民営化年 | 民営化の理由 | 民営化後の実績 |
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スリランカ・テレコム(SLT) | 1997年 | 需要に応えるための設備投資資金の不足 | 新規増設電話が1997年と比較し84%増加 |
スリランカ航空 | 1999年 | 経営の非効率と設備投資資金の不足 | エアバスを含む11機の航空機の購入と稼動航路の拡大 |
シェル ガス・ランカ | 2000年 | ガス・ ターミナルの建設資金の不足 | ガス・ターミナルの建設着工 |
プランテーション (経営のみの委託) |
1997年 | 債務返済にルーズな経営 低い生産性 |
1992年当時に比べ約2倍の収量で約3倍の生産高 |
種苗圃場 | 1998年 | 良質の種を安定して生産できない | 生産が45%増加 |
1990年代後半には、規制緩和、金融緩和政策により、港湾・エネルギー・通信・運輸・倉庫などインフラ部門、上下水道・廃棄物処理など都市公共サービスへの民間資本の導入が進められた。港湾における船着場は、BOT(Build, Operate and Transfer)方式で最も早く民営化が進められた。電力公社の分社化により経営の自立化と民間投資を促進する計画も進んでいた。
対象期間のスリランカのもう一つの大きな柱は行政改革の実施であった。1990年代の初めから、確実で効果的な開発には行政改革が必要であることが、政府の内外で言われていたが、1990年代後半に至るまで顕著な進展はなかった。コロンボの「政策研究所(Institute of Policy Studies)」は、行政の諸手続きの遅れ、汚職、国民よりも政治的事由を優先することなどが組織文化になっており、開発を阻んでいると指摘した。所得の向上、雇用促進、教育機会や職業技術習得機会の拡大、環境改善、インフラ改善など国民が認知できる開発を効果的に達成するためには、中央の省庁の役割を再定義し、入閣する大臣の数を大幅に削減し7、適正な数の内閣によるセクターを越えた政策決定過程を取ることが必要と同研究所は表明した8。
一方、世銀は財政赤字の削減、民間投資を促進する政策環境の改善、人的資源への投資の開始、貧困削減重視を構造改革の骨子として提言した9。国際通貨基金(IMF)は年次協議で、マクロ経済政策への提言をし、中期的な目標をスリランカ政府と合意した(対象期間のIMFメモランダムが入手できなかったため、2001年の合意内容10を参考として下記に示す)。
1) | 年5.5から6.5%の経済成長を達成する。 |
2) | インフレーション率を5%以下に下げる。 |
3) | (外資の導入により)経常収支の赤字を対GDP比3%以下にする。 |
4) | 外貨準備高を適正な水準にする(3.5ヶ月分の輸入額相当)。 |
対象期間の行政改革の進捗に関して、1998年に世銀は下記のように概括している11。
1) | 財政赤字の主要な原因として膨大な軍事支出があることは確かだが、軍事費以外の構造的な問題(例えば、過去の数年の累積赤字や公務員の給与の多さと、その削減プログラムが不明確で維持管理費に公費が使われ続けていることなど)も深刻。。 |
2) | 現状の財政支出の削減には、人件費と年金の制限、非効率な国営企業の削減、助成金・補助金の削減、貧困対策の改善が依然として必要。。 |
3) | 支出の大きかった小麦粉への補助金(GDPの1%に相当していた)を1997年に廃止したことは評価される。。 |
4) | 債務削減、赤字国営企業の民営化、一般サービス税の導入(1998年)などでは進展が見られた。。 |
5) | 歳入が減少傾向であり、不安要因。。 |
6) | 1996年の公務員の大幅な人員削減にもかかわらず、1998年には港湾、石油公社などを含む多くの政府機関で、不必要な人員が雇用されている。。 |
7) | 教育改革が推進されているにもかかわらず、多くの資格のない教員が新規雇用されている。。 |
1 World Bank, Country Assistance Strategy, 1998
2 Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 1998v
3 1990年代に着実に経済成長しているように思われたスリランカであったが、2000年から続いた旱魃による農業生産の減少と水力発電能力の不足、2001年の世界経済の停滞による工業製品輸出の減少、国際空港テロによる観光客の減少などが災いし、GDPはマイナス成長となった。
4 例えば、輸出製造産業の外資の割合は、1977年は24%であったものが1994年には75%に増加している。
5 シンガポール25.2%、マレーシア29.9%、タイ34.6%、フィリピン24.5%、インドネシア26.1%
6 Public Enterprises Reform Commission of Sri Lanka "Report for the Years 1997-1999"、および同機関のAnnual Report 2000
7 2002年からは入閣する大臣としない大臣が区別されている。
8 Institute of Policy Studies, Sri Lanka State of Economy 2000, p.61
9 World Bank, Country Assistance Strategy 1998, p.3
10 International Monetary Fund, Sri Lanka - Memorandum on Economic and Financial Policies, 2001
11 World Bank, Country Assistance Strategy 1998, p.3