ニカラグァにおける民主化の歴史は浅く、民主主義体制の強化と良い統治の確立に向けて残された課題は多い。1936年から1979年にかけて44年間に及ぶソモサ一族の独裁体制が続いた。独裁体制の基盤は、国内主要エリートの抱きこみと政敵暗殺の使い分け、国家警備隊の直接支配、米国による支持の3点にあった。1979年7月、サンディニスタ革命が実現する。11年半に及んだサンディニスタ政権時代は二つの時期に区分できる。第一期は、国家再建政府の時代(1979年7月から1985年1月)であり、国家評議会を通した職能代表制度が組織化された。第二期は1984年選挙を受けて誕生した立憲政府の時代(1985年1月から1990年4月)である。84年選挙は主要野党がボイコットしたなかで行われている。1987年には憲法と大西洋岸の自治憲章が制定され、最高選挙管理委員会(CSE)を含む4権分立体制1が誕生する。この政治システムは現在まで維持されている。
1980年から米国政府の支持を受けた反政府勢力(コントラ)との間で内戦状態となったが、1987年の中米和平協定(エスキプラスII)に沿って、1988年3月、政府と反政府勢力の間で暫定停戦合意が成立する。1990年2月には我が国の監視団も参加した国連等による国際監視の下、自由で公正な選挙が実施された。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は敗北を認めて平和裏に退陣し、1990年4月に国民野党連合(UNO)のチャモロ政権が誕生する。同年6月、国連中米監視団(ONUCA)の監視の下、コントラの武装解除、サンディニスタ軍の縮小が実現し、実質的に内戦の終了に至る。
チャモロ政権は1995年7月に憲法改正を行う。この結果、歴史的に強大であった行政府の権限が縮小され、代わって立法府の権限が強化された。だが、憲法改正の意図とは異なり、4権の権限と境界がかえって不鮮明になった点も否めない。実際、司法府や最高選挙管理委員会(CSE)のトップ人事をめぐる主要政党間の抗争と裏取引が引き続いており、民主主義を支える基本的制度への国民の信頼性の低下がもたらされている。
1996年10月の総選挙で自由同盟のアルノルド・アレマン候補が復権を狙ったFSLNのオルテガ候補を押さえ、当選を果たし、1997年1月にアレマン政権が発足する。1999年11月、立憲自由党(PLC)とFSLNの協定に基づく憲法改正案が議会に提出され、2000年1月に可決成立した。主な改正点は大統領選挙の決選投票の要件変更、会計検査院の改組、最高裁の裁判官の増員などであった。同時に、選挙法も改正され、政党組織要件が厳格化された。これらの改正の目的は、二大政党制をベースにニカラグァの民主体制を強化する点におかれていた。だが、国民の間では、改正はPLCとFSLNという主要政党の間で政府主要ポストを分け合う談合政治の導入であり、その他の政党を事実上排除するもので、かえって多元的民主主義の弱体化を招くという批判もでている。
2001月11月に3度目の総選挙が実施され、PLCのエンリケ・ボラーニョス候補がダニエル・オルテガ候補の3度目の挑戦を退けて勝利を収めた。事前予測ではオルテガ候補とFSLNの勝利の可能性もあったため、国内監視員9,500人に加えて3,000もの国際監視団が監視活動を行った。これは96年選挙の倍、1990年選挙の5倍という規模であった。一部、事前の選挙運動に混乱が見られたものの、投票から開票に至るプロセスは極めて平穏に行われ、投票率も高水準であった。
表2.1-1 2001年選挙結果 | ||||||||||||
|
||||||||||||
(出典)Tribunal Nacional de Elecciones |
通常、民主体制への移管を判断するメルクマールとして、3期連続の自由かつ公平な選挙による政権交代の実現が挙げられるが、ニカラグァはこの要件を十二分に果たしたと言えよう。この意味で、2001年選挙は二大政党制にもとづくニカラグァ民主体制の確立を国際社会に向けて示した重要な出来事であったと言える。
ニカラグァは民主体制の確立へ向けて着実な歩みを遂げているものの、良い統治という観点からは、未だに残された課題は多い。1821年の独立以来、大半の時期が権威主義体制の下にあったことから、民主的な制度の確立と運用能力の改善、民主的な政治文化や民主体制を支える市民社会の育成・強化には、長い時間が必要とされる。公正な分配を伴う経済成長や援助効率の改善のうえでも、良い統治の定着へ向けた国際社会からの継続的支援が待たれる。
通常、良い統治(Good Governance)の基準は、以下のカテゴリーやセクターに分類される。
1)法治主義と人権擁護の確立に向けた司法制度の強化
2)透明で効率的な行政・立法制度とアカウンタビリティの強化
3)市民社会の育成・強化
4)分権化と参加の促進
司法制度については、1997年以来、総合的な改革プログラムが開始されたにもかかわらず、各種世論調査では国民の60%以上が司法制度に不信感を抱いており、成果が浸透するには未だ時間がかかるとみられる。また、政府に汚職・腐敗が存在すると見なす国民は90%にも達している。アレマン政権時代の腐敗は援助関係者の間では周知のこととされ、投資効率・援助効率と貧困削減への重大な障害となっていた。
他方、市民社会の育成・強化については国家経済社会計画諮問委員会(CONPES)を軸に、市民社会の多種多様な団体が結集し、公的政策の立案・策定への参加を果たしている。とりわけ貧困削減戦略(PRSP)の策定プロセスは市民社会の強化のうえで極めて良い実験の場となったと言える。
良い統治は、ボラーニョス新政権の主要課題である貧困削減戦略の実施にも密接に関連する。とりわけ、貧困削減に関連するプログラムを最優先する予算の編成と執行能力、その財源である公的貯蓄率の向上とマクロ経済の均衡維持、ならびに市民社会の参加拡大が重要となろう。
また、ニカラグァの特殊事情として、経済成長・貧困削減・良い統治の実現には、長年の懸念となっている所有権をめぐる問題の根本的解決が不可欠とされる。所有権に関わる紛争解決を目的に、1992年から93年にかけて地権合理化局(OOT)と補償局が創設され、1997年には新所有権法が議会を通過している。2000年には紛争仲介のための特別法廷が設置されたものの、依然として全面解決とは程遠い現状にある。この問題の根底には、然るべき土地の測量・登記が実施されずに先送りされたままになっていることがある。土地登記制度の整備はニカラグァの政治経済の近代化にとって最優先課題の一つとされる。
1 立法、行政、司法、選挙管理の4権