(1)インドネシアにおける参加型開発の歴史 動員から参加へ
プロジェクトの効果発現、持続性に受益者の「参加」が重要であると認識されるようになっている。ただ、「参加」の度合いはプロジェクト、地域により、様々の段階がある。
インドネシアにおいては、1970年代にはスハルト体制のもとで開発計画が様々な形で、様々な地域で展開されるようになった。その推進のためには、上からの指示であれ動機付けであれ、一般住民の何らかの「参加」がなければ開発事業は推進し得なかった。
政府はまず、住民・農民の協力をあおぐために特に農村リーダー層の指導的な役割と実力に着目した。たとえば村の小学校教師、退職公務員、イスラムなどの宗教指導者、長老らの協力が農村住民の理解と協力を得るのに不可欠とされた。インドネシアはこのような農村行政外のリーダーをインフォーマルリーダーと称して開発行政の中に位置付けてきた。また80年代前半には、アグロフォレストリーなどの事業において住民参加をあおいだプロジェクト、開発事業が行われた。他方、スマトラやカリマンタンの森林火災の防止対策として、周辺住民の適正な焼畑耕作をうながす社会林業といった活動も行われた。中核農園農家方式によるゴム、オイルパーム等の農園開発事業もその一形態といってよいであろう。この事業は、ジャワ・バリなどの人口稠密地域から他の島々、いわゆる外島への移住事業と連携して行われることが多かった。移住地には新たなコミュニティ、つまり村をつくる必要があり、移住民自身の参加、村づくりがなければこうした開発事業は実現し得ないものであった。
これらは、政府が住民に一方的に参加を働きかける「動員」型から、住民の意見や意思決定をより多く取り入れようとする、現在いわれている「参加」型に近いものまで、その内容にはバリエーションがある。NGOの参加を得て、しかも事業の実施状況や行政の活動もモニタリングしうる「参加型」プログラムは、ここ2~3年の経済危機下で急速に増えたものである。貧困対策を草の根のレベルで速やかにしかも公正に行う必要から、加えて行政に対する不信もあってNGOの役割が特に注目され、国際機関による貧困対策の中で積極的に取り入れられるようになっている。
(2)意識化・社会化・政治化 参加型開発の要諦
すでに述べたように、住民・農民あるいは受益者の開発への参加はあった。とはいえ、従来のものは行政が開発の名のもとに押し着せたものが多かったことは否定しがたい。それは自主性のある「参加」というよりは「動員」と呼ぶほうがふさわしかった。発生する便益が大いに喧伝されるのに引き換え、受益者が負担すべき費用や代償はあいまいにされる傾向がある。人々の「動員」や「参加」を難しくしかねないからである。
ダムや堰の建設では水没地の土地の近隣住民からの収用、また住民移転も必要となることがある。灌漑水路の拡張やアクセス道路の建設にも土地の収用が必要になる。便益を受けるのみでなく、費用の一部を住民・農民も負担しなければならない。便益のみを受ける住民がいる一方で、便益は小さいにもかかわらず多くの負担を迫られる、あるいはプロジェクトの恩恵を受けないにもかかわらず立ち退きを迫られるなどの不平等も発生しうる。
これは便益と負担の配分の問題を超えて、一種の社会的緊張に結びつく可能性がある。住民・農民同士の共通の問題として解決に前向きに取りくむ課題の社会化(sosialisasi:ソーシャリサシ)が必要となる。住民の積極的な関与を呼びかけ、自らのイニシアティブでプロジェクトに対応しようとする動きをうながす過程が、インドネシア語でいうソーシャリサシである。このようなソーシャリサシが開発事業の推進にとってクリティカルとなる局面は、第1に用地確保のための土地収用の段階、第2に収用に加え住民移転が伴うようなケースである。これらはプロジェクトに伴う利害得失が直接的であるだけに、住民・農民の関心は強くかつ真剣に受け止められる。
住民間、あるいは住民と行政の間の利害の調整が必要な局面が生じることは想像に難くない。インドネシアでは土地や水資源利用に絡む問題は、権利そのものがあいまいで慣習法が生きていたり、あるいは現代法の整備が不十分で関係者の権利が確定できないなどの問題を持っている。行政側は多くの場合、問題が政治化することを極力避け、行政的手続きの範囲内で事態を処理収拾しようとするであろう。住民が自らの権利を正当なものとして政治過程に問題を持ち込む道が閉ざされているとすれば、参加型開発の本来の姿とはいえない。
4.国際機関の参加型開発アプローチ
(1)世界銀行
(イ)インドネシアでの実施プロジェクト
1997年央から顕在化したインドネシアの経済危機(国際収支危機)の克服に向けて、世界銀行はインドネシアに対し一連の構造調整プログラムを提示した。その一環として、世界銀行は1999年4月に、総額3億ドルにのぼる水資源・灌漑部門に対する一連の改革を含む構造調整プログラム(水資源部門調整借款:Water Resources Sector Adjustment Loan) を提案した。この提案は、世銀のインドネシア水資源・灌漑部門に対する将来のアプローチを示唆するものとして興味深いものがあるので、以下この提案のベースとなっている考え方を紹介する。
水資源部門調整借款(WATSAL)は、「水資源・灌漑部門の管理における政策面、制度面、規制面、法律面、組織面での諸改革を支持する構造調整プログラム」である。四つの目的がある。すなわち、1)国家政策および制度的・規制的・意思決定支持的なフレームワークを改善することによって、効率的な環境的および社会的に維持できる水資源開発および管理を促進する、2)統合的かつ平等な河川流域管理のために制度的・規制的なフレームワークを強化する、3)水汚染の減少および地域的な水質管理のために効率的な規制的制度および実施体制を確立する、4)透明性が高く責任の明確な灌漑サービスの実施、および民主的な農家組織を支持する参加的な財政支持のために必要な制度的フレームワークを確立することによって、灌漑制度のパフォーマンスとサステナビリティを改善する、の4点である。
一見して明らかなように、世銀のアプローチは水資源部門での包括的あるいは全面的な改革を求めるものである。「参加型開発」もその一環として取り込まれているが(目的の項目4))、それ自身全面的な改革の中の一環として組み込まれているという点に特徴がある。上記の目的4)の中心となっているアイデアは、「地方政府による、自立的な、自己資金による、水利組合(water user associations: WUAs)および水利組合連合(water user association federations: WUAFs) の設立、という国家的な枠組みを採用すること」というものであって、分権化の一部をなすプログラムである。したがってその中には、「権限をもった(empowered)民主的な水資源組合の設立」、および「行政組織の分権化を促進するための中央政府、州政府、および地域政府レベルでの灌漑担当機関の役割と責任体制の見なおし」が含まれている。
包括的あるいは全面的な水資源部門改革を求めるという世銀の考え方は、長期的な視野からインドネシアの水資源利用のあり方を再検討するという立場から生み出されたものである。すなわち経済発展および食糧安全保障、公衆衛生、水資源環境の悪化という様々なファクターを考慮に入れたうえで、水資源部門の改革の方向を見据えるというアイデアである。こうした観点からみると、インドネシアの水資源部門における基本的な問題は、「水資源不足の増大、水資源の獲得を巡る部門間での競争の増大、下流域における水質悪化、そして既存の灌漑基盤設備における物理的および財政的なサステナビリティの低下」に関わっていることになる。したがって、こうした諸問題に対処するためには「包括的な諸政策、各部門を超えた統合的な諸戦略、制度の改善、および財政的・環境的にサステナブルなプログラム」が必要だということになる。
世銀の議論の出発点となっているのは、「水資源が不足している状況下でどのように水資源を配分すべきか」という問題である。特にジャワ島のジャカルタおよびスラバヤ都市圏では水資源利用はすでに限界点に達しており、水資源の獲得を巡る各部門間での競争が生じている。都市圏での工業の発達による水資源需要の増大は、灌漑農業に対する水資源供給の低下をもたらしている。灌漑農業部門はインドネシアにおいて最大の水資源使用部門であり、インドネシアの米生産の79%を占めている部門である。したがって世銀によると、この問題を解決するには「灌漑効率の向上、米収量の向上、そして収益率は高いが水資源集約的ではない穀物への作付けパターンの多様化」が唯一のとりうる方策である。そのためには、「水資源権利とライセンスというフレームワークの中において機能する、強力な流域管理組織による、効果的な季節ごとの水資源の配分と規制」が必要になる。そのためには水資源管理戦略の抜本的な方向転換が必至である。すなわち従来型の「水資源開発志向」的なアプローチから、水資源の利用および管理、水利権、水資源の価格づけ、そして水資源保護に基づいた「効果的な制度的フレームワーク」に基づいたアプローチへの転換である。
「工業化、都市化、環境の悪化、農業灌漑」という経済開発全体の枠組みの中で、水資源管理のあり方を「政策面、制度面、規制面、法律面、組織面」のすべてにわたって再考すべきであるというのが世銀のアプローチである。こうした包括的なアプローチのなかで、灌漑農業の再検討がうながされている。
インドネシアは1984年に米生産の自給を達成した。ヘクタール当たりの米の平均収量は1960年代の2.1トンから1990年代初頭には4.3トンにまで増加した。これは米の品種改良と灌漑の拡大によって達成されたものである。上記の傾向は、米の純輸入国となった1994年まで持続した。近年における米生産の停滞は、1)新しい高収量品種の導入が停滞し、また灌漑の拡大が停滞したこと、そして、2)肥料価格に対する米価格の比率が1.3へと大幅に下落し、米に対する消費者補助金の結果、米の出荷価格が抑えられたことの結果である。1995年時点で4,875万トンの米生産量のうち79%が灌漑によってもたらされたものであり、このうち65%がジャワ島で生産されている。
ジャワ島における米の年間平均生産増加率は、1980年の5.7%から1996年には1.1%へと下落する一方で、ジャワ島以外では同時期にかけて3.5%から4.1%にまで増加した。この非対称的な動きは、ジャワ島では米生産増加が頭打ちになったこと、および都市化の進展によって灌漑地域が減少したこと、これに対し、ジャワ島以外で灌漑地域が拡大し湿地帯の開墾が進展したことによるものである。しかしジャワ島以外での灌漑投資による米生産能力の向上は、依然として遅々としたものである。50~70万ヘクタールの水路網が機能していない。また湿地帯の開墾プロジェクトは高コストであって、たとえ実施されたとしてもジャワ島における灌漑計画と比較すると、その潜在的な生産性は50~60%も低い。現時点で、政府の湿地帯開墾計画は灌漑地域の3分の1を占めているにも関わらず、米の総生産量に対する貢献度はわずか4~5%しかない。
上記のような事実認識をベースにして、世銀は「将来資本不足が生じるものとすれば、灌漑および湿地帯開墾によって米の自給を達成するという投資戦略を見なおす必要がある」と提言している。すなわち新規の灌漑計画を実施するのではなく、むしろ既存の灌漑計画での米の生産性向上に力を注ぐべきであるという提案である。具体的な提案としては、1)ジャワ島においては11万ヘクタールの砂糖きび生産を米生産に転換することに加えて、ジャワ島以外では、2)灌漑による米収量の向上と作付け度をジャワ島並の水準に近づけるための市場インセンティブ、3)70万ヘクタールにのぼる、技術的にも経済的にも実行可能な、部分的に建設されている灌漑網の完成、4)新規灌漑の開発を12万ヘクタールに抑えること、である。
さらに世銀は、「米の生産改善戦略の成功は、農業部門に対する政策および構造調整に依存している」と論じている。「農業部門に対する政策および構造調整」には「米の価格づけおよび輸入政策、穀物の多様化とマーケティング、生産投入財の価格づけ政策、農業の調査研究および品種改良政策、灌漑栽培の実地研究」が含まれる。
以上、世銀のインドネシア水資源部門改革の概要を紹介した。繰返しになるが、世銀のアプローチは財政面、行政面、立法面、制度面での抜本的かつ多様な改革を求める包括的、統合的、全面的なものである。こうした枠組みの中で、必ずしも参加型開発アプローチだけが、突出して強調されているわけではない。むしろ参加型開発というアイデアは、分権化の一環として組み込まれていることに特徴がある。ポイントは、「地方政府による自立的で自己資金による水利組合および水利組合連合の設立」である。すなわち、「権限をもった民主的な水資源組合の設立」、および「行政組織の分権化を促進するための中央政府、州政府、および地域政府レベルでの灌漑担当機関の役割と責任体制の見なおし」である。
(ロ)「分権化」と「参加型開発」に対する世銀のアプローチ
「分権化(decentralization)」というテーマは、開発の主体は「政府なのか市場なのか」という議論の一環として注目をあびてきた。つまり、発展途上国の経済開発を進めるにあたって「政府か市場か」という二分法的アプローチの限界を克服する一つの有効な手段として、分権化の推進が必要であると主張されるようになった。世界銀行の『1997年度世界開発報告』では、分権化は「政府を人々に近づける」参加型開発の一典型例であるとして、その有効性が検討されている。
分権化を主張する論拠には全く異なった二つの立場がある。一つは、中央政府の介入による失敗を減少させるために、分権化が必要であるとする立場である。「市場自由化派」と呼んでおきたい。もう一つは、市場の失敗を補完する機能を地方自治体あるいは地域社会に求める立場である。「グラスルーツ派」と呼んでおきたい。
世界銀行の立場は、前者を代表するものである。『1997年度世界開発報告』では、分権化は経済自由化、民営化、市場経済化の一環として重要であると主張されている。そこで意識されているのは、中央集権型あるいは社会主義型の開発システムがもたらした歪みと遅れである。経済学的理念に従えば、分権型システムを代表する経済システムは「市場経済」である。元来、市場経済はネットワーク型であり、ヒエラルヒー型の中央集権型経済とは対極をなすと主張されてきた。ここには、政府あるいは国家は権力の座であって、大きな政府はより大きく失敗するという考えがうかがわれる。旧ソ連圏における社会主義システムの崩壊という現実によって、こうしたステートメントはかなりの説得力をもつようになった。「分権化は公共サービスを地方の需要や選好に一層近づけ、よく反応し、説明責任のある政府を下から作り上げる機会を提供する」ために、より市場メカニズムに親和的であると想定されるようになった。
他方、対極的な議論を展開しているのが、グラスルーツからの参加型開発を提唱するグループである。彼らによると、分権化は市場に依拠した開発に対抗する手段となりうる。市場に依拠した開発は成長優先になりがちであり、そこでは社会的弱者や後進地域や環境破壊等の問題は切り捨てられてしまうと主張されている。したがって「人間の顔をした開発」が復権すべきであるということになった。「オールタナティブな開発」を重視する立場からのステートメントである。ジョン・フリードマンは、「権利が剥奪されていた人々を巻き込んだ民主主義(inclusive democracy)」を目指すプロセスとしての分権化に着目し、ロバート・チェンバーズは、途上国の貧しい農民の置かれた状況を改善するためには地方分権化がキーポイントになると論じた。
市場自由化論者とグラスルーツ論者との議論は対極からのものであるが、両アプローチに共通する点も少なくない。その共通点は、おおよそ次のように要約できるであろう。
すなわち、【緊密な人間関係を維持している「地域社会」には、外部の人間には容易にアクセスできない「地域固有の情報」が集積している。地域固有の情報はより安価でより適切な公共サービスを提供するうえで、重要な役割を果たす。また特に途上国の遠隔地では、旱魃や洪水などの自然災害に対するより効率的な早期警戒システムを提供するにあたって分権化は必要である。さらに地域社会には、市場と同様に中央集権的政治制度に比較して情報面での有利性がある。しかし同時に市場に備わっていない利点をも併せ持っている。市場は、しばしば不十分な情報と不完全な契約のために、需給の調整メカニズムが正しく機能しない場合がある(いわゆる「モラルハザード」および「逆選択」のケース)。地方社会は、もしその成員が安定的で、成員相互の間で情報と規律の伝達機構があり、また地方政府の支持があるならば、市場よりもすぐれた調整制度となりうる。また民主主義制度の下では、分権化によって政治的責任がより明確になる。そのことによって意思決定に関する責任が明確になり、政策の実行度が向上し、ひるがえって公共サービスの質が向上しコストが削減される】。
『1997年度世界開発報告』は、1)地方政府は地方の選好によりうまく合わせることができる、また2)分権化されたサービス供給は効率性を向上させることができ、消費者に他の行政管轄地域へ転出する選択肢を与えて、供給における行政管轄地域間の競争を促進できる、と論じている。地方の選好にサービスを合わせることで、取引費用が低下し、効率性が向上し、地方経済発展のインセンティブが生み出されるとする考え方である。さらに3)分権化は人々の参加拡大の方策を強化し、補完する。同様に、政府を人々に近づけ、地方の問題を地方政府自身で定義できるようにすることで、多数による専制を防止することができる。4)公共機関への異議申し立てが可能で、人々が選挙に参加でき、政府の様々なレベルにおける代表を決定できる場合は、政治的な選択肢の数が増加し、異なるレベルの政府間の競争が刺激される。地元の参加はまた、有権者による政策決定へのより大きな信頼と容認を意味する。したがって、分権化は、地方公務員に何をどのように行うかに関する説明責任を持たせる一方で、地方の政策決定の選択肢を増やす、と論じている。
しかし分権化は魔法の杖ではない。しばしば分権化によって大きな歪みが産み出されてきたことを忘れてはならない。大規模な、テクノクラティックな、上からの開発は悪であり、これに対してきめの細かい、住民の参加を伴う、下からの開発は善であるという対抗図式は、あまりにも形式的である。確かに参加型開発がプロジェクトの効率を高めることはよく知られているが、しかし問われるべき課題はどのような形で、またどういう条件の下で、住民がプロジェクトに参加するかである。
地域社会もまた、ヒエラルヒー型権力システムから自由であるわけではない。特に地方の自治体や政府が地方のエリートによって支配されている場合、分権化は陰湿なものとなり、汚職にまみれたものとなる可能性がある。閉塞した地域化は不健全な結果をもたらしうる。外の世界に開かれた分権化が不可欠となろう。また分権化が好ましい結果をもたらしうるためには、所有権構造の歪みが大きくないこと、あるいは資産と所得の分配の不平等が大きくないことも必要となろう。
「参加」の意味もより広くとらえられる必要がある。ジャン・ドレーズとアマルティア・センが喝破しているように、プロジェクトを意味のあるものにするためには、政府に「協力的な参加(collaborative participation)」だけでなく、政府を批判的できる「対抗的な参加(adversarial participation)」の双方が必要である。「対抗的な参加」に貢献する主要なものは、野党の政治的活動、ジャーナリズムの圧力、そして見識ある人々やNGOの批判である。「対抗的な参加」が容認されないならば、そうした地域社会における「参加」は「自発的」参加ではなく、「強制的な」参加以外の何ものでもなくなってしまう可能性がある。
(2)アジア開発銀行
「参加型開発」という観点からみて、インドネシアの小規模灌漑部門に対するアジア開発銀行(ADB)の支援プロジェクトとして注目されるものとして、1)第二次統合灌漑部門プロジェクト(Second Integrated Irrigation Sector Project:SIISP)と、2)農家管理灌漑システム・プロジェクト(Farmer Managed Irrigation System Project:FMIS)の二つがあげられる。
(イ)第二次統合灌漑部門プロジェクト(SIISP)
このプロジェクトのバックグランドとなっている考え方は、今回の調査対象となった小規模灌漑管理プロジェクト(SSIMP)によく似ているが、一件当たりの規模はSSIMPよりも小さく、500ヘクタールから3,000ヘクタールである。1994年に承認されたプロジェクトで2000年10月が借款の最終期限である。借款規模は、総額で1億ドルである。
SIISPは上位目標として、持続的な社会経済成長、貧困撲滅、そして開発プロセスへの農民参加の拡大の3点を掲げている。またプロジェクトの直接目標としては、ターゲットとなった受益者の所得と雇用の改善、持続的な灌漑効率を確保するための効率的な維持管理(O&M)および費用回収の導入、そして灌漑の維持管理および費用回収にむけての政策改革の3点を掲げている。具体的にプロジェクトの内容を構成するものは、1)物的インフラの開発、すなわち灌漑および排水設備の建設と統合的農業デモンストレーション・ユニットの建設、2)水管理組合(WUAs)の組織化、訓練および法的地位の付与、3)農村制度の強化、4)灌漑のデザイン、維持管理および費用回収への農家の参加の拡大、である。
このプロジェクトは、灌漑・排水設備の建設およびデモンストレーション・ユニットの建設というハード面に対する支援とともに、水管理組合の組織化、訓練、法的地位の付与というソフト面に対する支援が2本柱の一つとして組み込まれている点に特徴がある。ハード面では既存の灌漑・排水設備のリハビリテーションに重点が置かれており、それがカバーする総面積は45,000ヘクタールである。一方、新規の灌漑・排水設備建設によってカバーされる総面積は5,000ヘクタールにとどまっている。また、既存灌漑・排水設備の改善のために一件当たり500ヘクタール未満の「小規模計画」が設定されており、この計画下で総面積15,000ヘクタールがカバーされることになっている。さらに全体で12にのぼる統合的農業デモンストレーション・ユニットが建設され、約5万農家がその便益を享受することができる。組織化され訓練される水管理組合の数は、約2,200組合(各組合は50名の農民から構成される)である。
これまでに実施された地域はバリ、ヌサトゥンガラ、南東スラウェシ、そして北スラウェシである(図3-1-1参照(PDF))。特に、このプロジェクトはバリで顕著な成功を収めている。その理由は、バリには「スバック」と呼ばれる伝統的な水管理組合があったためである。SIISPはこのスバックをWUAとして登録し第3次灌漑の維持管理にあてた。各WUAはそれぞれ50ヘクタールを管理している。
(ロ)農家管理灌漑システム・プロジェクト(FMIS)
農家管理灌漑システム・プロジェクト(FMIS)の承認は1995年9月、借款の期限は2000年3月である。借款総額は2,300万ドルである。このプロジェクトの上位目標は貧困水準の引き下げ(農家所得の向上によって、2003年までに40%引き下げる)であり、プロジェクトの直接目標は、米収量の増加、米生産量の増加、および農家の持続可能な灌漑維持管理能力の改善および農業改善によって、米生産を行っている貧困な小規模農家の可処分所得を増加させることである。すべてリハビリテーション・プロジェクトである。プロジェクトの実施地域は、西ジャワ、ジョクジャカルタ、西ヌサトゥンガラ、南スラウェシ、中央スラウェシ、北スラウェシの6地域である(図3-1-2参照(PDF))。平均規模50ヘクタールという小規模の、共同体による灌漑制度の建設をねらったプロジェクトで、上記の6地域で総面積9万ヘクタールがカバーされる計画である。上記6地域でこのプロジェクトが実施されるのは、大半は丘陵地帯あるいは山岳地帯である。
FMISの特徴は、プロジェクトの対象となるサイトの選定方法にある。「農家の参加」を基準としたサイト選定が行われたが、当初の選定基準は後になって変更された。
当初のFMISサイト選定基準の手続きは次のようなものであった。
1) | まず潜在的FMIS地域の州政府(district government)の長から、それぞれのサブディストリクトにFMIS有資格条件がアナウンスされる。ついでそれぞれのサブディストリクトから各村落へとFMIS有資格条件のアナウンスが送付される。有資格条件のアナウンスメントには、支援を受けられる有資格計画のタイプ、利用可能な支援のタイプ(水利用組合の登録、技術支援の内容、建設機材、維持管理に対する支援)、農民による水利用組合の責任(情報の提供、プランニングおよびデザインへの農民参加、水利用組合の登録、同一水源を共有するグループ間での水利権の交渉)が含まれる。 |
2) | FMISの優先順序を決定するミニマム基準は、(a)灌漑システムの改善を正当づけるだけの十分に利用可能な水があること、(b)下流域村落あるいは環境に対してマイナスのインパクトがないこと、(c)効率的で機能しているロ-カルな水利用グループ(必ずしもWUAである必要はない)があること、(d)灌漑システムの改善が技術的および経済的に実行可能であること、(e)必要な情報の提供、および建設に必要なローカルな資材と労働の提供を農民が責任をもつこと、また建設後の維持管理に農民が責任をもつこと、である。 |
3) | 農民からの申請用紙に書き込まれた情報に基づいて、第一次審査が行われる。審査基準は、(a)計画の概要、灌漑の数、灌漑地域、作付けパターン、(b)灌漑システムの修復に必要な日数および修復のタイプ、(c)計画を改善するために必要な建設労働の内容、(d)修復に必要な労働と資材の推計、(d)労働および資材を提供する責任を負う農民のリストと署名、である。 |
4) | 申請用紙によるスクリーニングの後、サブディストリクト実施チーム(サブディストリクトのオフィサーおよび農業実地訓練専門家)による現場の視察が行われる。 |
5) | サブディストリクト実施チームからの情報をもとに、ディストリクト・コーディネーション・チームによる評価とサイトの選定がなされる。しかる後に、Provincial Water Resource Service (PWRS) のオフィサーによって資金面での承認がなされ、最終的にはDGWRD(水資源総局)およびBAPPENAS(国家開発計画庁)による承認がなされる。 |
6) | プロジェクトの実施後は「参加型農村評価(participatory rural appraisal: PRA)」手法によって、改善のための措置が講じられる。「参加型農村評価」には、現場視察、地図の作成、農民および水利用組合員とのディスカッションが含まれる。 |
しかしFMIPの実施にあたっては、サイト選定の方法は変化せざるをえなかった。第1にプロジェクトの開始時点で十分な時間がなかったこと、第2にインドネシア政府の村落灌漑開発プロジェクト(PID)のためにサイト選定条件と環境が大きく影響されたためである。PIDは総額8,000億ルピアにのぼる、1995~98年の3年間におよぶプロジェクトで、スハルトによる一種のばらまきプロジェクトである。PIDプロジェクのカバレッジが急速に拡大したために、FMISに含まれる計画は急減し、より遠隔地のプロジェクトへと限定されることになった。また PIDプロジェクトはよりトップダウン方式であって、農民あるいは水利用グループからの貢献を要求するものではなかった。その結果、PWRSオフィサーたちのFMISへの参加意欲がそがれただけでなく、農民たちのFMIP参加インセンティブもそがれてしまった。PIDならば農民たちは「ただで」灌漑水が得られるのに対し、FMISの場合には農民は工事費の最低20%を自己負担しなければならないためであった。
その結果、FMISに含まれうるサブプロジェクトの評価・選定基準の変更が余儀なくされた。FMISの最低条件を満たすサイトのロング・リストが地域水資源(DWRS)局によって作成されることになった。その際、選定されるサイトはPIDに含まれていないことが条件になった。「ロング・リスト」アプローチは当初の方法と比較すると、時間の節約という観点からみて、より実行可能な方法である。その後より詳細な評価を行う、候補地のショートリストが作成されることになった。
新規の選定基準は、当初のそれとよく似たものであって、1)乾季において適切な水供給が可能であること、2)技術・組織の向上から得られる潜在的なベネフィットが十分に確保されること、3)ローカルな農民が参加への興味と意志をもっていること、4)機能している水管理グループがすでに存在していること、5)外部からの技術面・財政面での支援が必要なこと、である。
ロングリスト化に伴って、案件数は1,800件から1,059件へと41%減少する一方、平均規模は50ヘクタールから84ヘクタールへと増加した。各州ごとの実施計画は表3-1-1である。
表3-1-1 州ごとの計画
目標(ヘクタール) | 案件数 | 平均規模(ヘクタール) | |
西ジャワ | 60,000 | 678 | 88 |
南スラウェシ | 20,000 | 155 | 130 |
ヌサトゥンガラ | 5,000 | 85 | 57 |
ジョクジャカルタ | 2,000 | 118 | 17 |
中央スラウェシ | 2,000 | 13 | 153 |
北スラウェシ | 1,000 | 10 | 107 |
合計 | 90,000 | 1,059 | 84 |
FMISプロジェクトで特筆に値する点は、「費用分担への農民の参加」に重点が置かれたことである。農民の参加をうながすために、次のような、いくつかのインセンティブが準備された。
1) | 現場の選択とニーズを反映した設計への積極的な参加 |
2) | 実施過程への参加による主体性(ownership)意識の形成 |
3) | OJT、実行による学習の準備 |
4) | 都市の賃金標準による農民の労働貢献価値の評価 |
5) | 賃金率が顕著に下がったときの賃金補填 |
6) | 賃金の代わりとしての食糧(米)の準備 |
またFMISプロジェクトでは、プロジェクトの実施とモニタリングのためにコミュニティ・オーガナイザー(CO)と呼ばれるコンサルタント(NGO)が大きな役割を果たしている。彼らの役割は参加型手法を促進することである。具体的に、彼らの仕事は次のようなものである。
1) | FMISの発展のために分権的で参加型のアプローチを実施する能力を確立するために、州およびディストリクトのオフィサーたちとともに働く。 |
2) | 多様な訓練活動に対する支援を行う。 |
3) | 現場での実施に関わる問題の調停役として働く。 |
4) | ディストリクト・レベルおよび村落レベルでのFMPSの実施を支援するために頻繁に現地を訪れる。必要なかぎり村の中で一夜を過ごす。 |
5) | 灌漑発達への参加型アプローチを実行する能力を、政府の実施機関およびコーディネーション委員会の中に作り出す。 |
「コミュニティ・オーガナイザー」は、先述した第2次統合灌漑部門プロジェクトでも利用されている。一人のCOは平均で20~30件のプロジェクトを担当している。
ADBジャカルタ・オフィスでのヒアリングによると、FMISはきわめて有効で、その実施地域では二期作が可能になり、内部収益率も100%近いということであった。水利用組合(WUA)を登録し、合法化することによって、水利用料金の徴収が強制的にできるようになる。また規模を小さくしたことが農民間での相互監視(peer pressures)を強化することにつながり、これがFMISプロジェクトの成功の一原因であるということであった。
インドネシアの灌漑部門開発に対するADBのアプローチは、世銀のアプローチとは大きく異なっている。前述したように、世銀の議論の出発点となっているのは、「水資源が不足している状況下でどのように水資源を配分すべきか」という問題である。これに対しADBが強調している目的は「貧困の撲滅」であり、その目的を達成するために「参加型アプローチ」が必要であるという論理である。ADBのアプローチは日本がインドネシアで実施したインドネシア小規模灌漑管理事業(SSIMP)とよく似ているといえよう。