はじめに
本調査は、我が国が有償資金協力によって1990年から東インドネシアで実施している小規模灌漑管理事業(SSIMP)を「参加型開発」という視点からみて教訓を得ようとするものである。小規模灌漑管理事業は、インドネシアで最も開発が遅れた東インドネシアの水資源灌漑農業開発を促進し、農業生産を増大することにより農民の所得向上を図り、地域格差是正と地域の安定に資することを目的とするものである。本稿では最初に、米を中心にインドネシアの生産と政策の動向を概観し、小規模灌漑管理事業が行われている東インドネシア地域の留意点を検討し、後に小規模灌漑管理事業を参加型開発の視点から評価を行う。
(1)インドネシアの米の生産と輸入
インドネシアの農業は自由化・市場経済化の方向に動いていた。そのさなかの1997年7月に経済危機が発生、同時に食糧の柱である米の大幅減産、大量輸入という食糧危機が発生した。加えて1998年5月には32年続いたスハルト体制が崩壊し、インドネシアの農業・農村は大きな影響を受けた。 IMF等の勧告を受けて断行された自由化・市場経済化の中で、米をはじめとする食糧の流通を独占してきた食糧調達庁(BULOG)は機能縮小と規制緩和の対象とされている。国営肥料工場によって主に生産される化学肥料に対する補助金も打ち切られることとなった。このような動きの中で、農村の地域経済と農民はどのように対応すべきか課題は大きい。
インドネシアはこの数年来、米の減産、生産不安定化が顕著である。1984年に米の自給達成を宣言したものの、1994年には長期化した旱魃の影響を受け、再び米を輸入せざるを得ない状況にある。1996年の米生産は5,110万トンであったが、その後2年連続の減産となった。政府の報告では1997年、1998年の米の生産量はそれぞれ4,938万トン4,924万トンであった。1998年の米生産停滞は、エルニーニョの長期化によって1997/1998年雨季作の開始が遅れ、1998年の2期作目が困難となる生産地が出たからである。また、雨季作は多雨によって病虫害が発生した。これらの影響で1997年の大幅減産から回復できなかった。自然条件の変動に弱い米生産の体質であるといえよう。1998年の米の輸入は約600万トンという空前の量となった。
1998年以降は米増産のための梃入れが行われている。たとえば肥料は生産性向上の要だが、特に重要な尿素の場合、国内流通量は1994~1996年で240~290万トン台であったが、1997、98年には増産対策により大幅に増えて、各々369万トン、386万トンの実績だった。それでも1999年の米輸入量は310万トン程度であろうとみられている。このようにインドネシアは米の大量輸入がここ数年常態化している。
表1-1-1 米の生産動向
年 | 収穫面積(ha) | 単収(Qu/ha) | 生産量(t) | 生産増加率 (対前年比%) |
1995 | 11,438,764 | 43.49 | 49,744,140 | 6.65 |
1996 | 11,569,729 | 44.17 | 51,101,506 | 2.73 |
1997 | 11,140,594 | 44.32 | 49,377,054 | -3.37 |
1998 | 11,730,325 | 41.97 | 49,236,692 | -0.28 |
1999 | 11,624,065 | 42.61 | 49,533,584 | 0.60 |
(2)米市場の混乱と危機対策
1998年に米の大量の輸入が行われた背景には、米の減産に加えて通貨危機に端を発する国内経済の混乱があった。ルピアの急落によりドル建てインドネシア産米の価格は突然国際競争力をつけることになり、1998年の7月~9月にかけての端境期には、米の大量輸入の必要性が叫ばれる一方で、隣国マレーシアやフィリピンに大量に米が流失した。流通は混乱し、国内価格の高騰から農民や商人によって売り惜しみと投機的退蔵が行われた。このために地方の精米業を営む規模の大きな華人系商人が焼き討ちにあうという事件が頻発した。また、ジャワ北海岸の流通ルートでは窃盗団が現れて米輸送が滞り、市場が分断されるといった事態も発生した。
1997年1月を基準とすると97年7月まで米価は安定していたが、通貨下落とともに、輸入米価が高騰した。1997年~98年の減産がこれに追い討ちをかけた。1997年1月を基準にすると、ピーク時の1998年9月には約3倍に米価が跳ね上がった。大幅減産と米価の高騰から国内調達の見通しがたたず、食糧調達庁(BULOG)による国内調達量は例年の半分以下の50万トンと予測された。輸入・流通補助金として、食糧調達庁に対して1998年5月4.7兆ルピアが手当てされたが、1998年7~9月は危機的状態だった。
こうした米問題に対する危機対応として、インドネシア政府がIMFと約束した政策の基本は次の点である。1)食糧調達庁はあらゆる種類の米を大量に市場価格より低く一般市場に放出する、2)米価を引き下げるために、米(および他の必需品)の付加価値税を棚上げとする、3)各州知事の協力の下に、貧困世帯に対し十分に低い価格で米を供給するプログラム(OPK:特別市場操作)をできる限り速やかに拡大する、4)民間商人の米輸入事業参入を自由化する。1998年9月以降、日本などからの援助米や買い付け米が到着し始め、また、二期目の収穫米が出回り始めるなどして価格高騰は収まり、沈静化の方向に向かった。
危機対策、いわゆるクラッシュプログラムとして行われている農業増産対策がGema Palagung (Gerakan Mandiri Padi, Kedelai dan Jagung) 2001である。これは1998年の乾季作(7~9月が中心、ただし地域によっては降雨がある)より始まり、食糧・飼料の核となる米、大豆、トウモロコシにターゲットを絞って2~3年で今次の危機を脱し、趨勢自給を可能とする生産力水準に復帰しようとの意図が見えるが、肥料の供給、農業信用供与の実態から見ると容易ではないと思われる。
Gema Palgungなどのプログラム実施の具体的な方法は「国家食糧自給力強化特別策」(UPSUS)と呼ばれる。その内容は、1)投入財利用の増強対策PMI (Peningkatan Mutu Intensifikasi)および、2)圃場での水管理の徹底と、3)作付け面積の拡大(PAT: Program Areal Tanam)である。集約事業の質の向上を目指し、農業普及員等の農民への直接的働きかけによる活動強化を一つの柱とし、化学肥料等の利用促進を強化するものである。1998/99年度の対象面積は914万ヘクタール(稲 736万ヘクタール、トウモロコシ 117万ヘクタール・・・ハイブリッド利用促進、大豆 62万ヘクタール)であるが、1999年1月時点の達成率は25.9%程度といわれる。肥料補助クレジット(KUT:農事クレジット)は6.5兆ルピアが用意されたが、1999年1月時点で達成割合は25.1%にとどまっていた。
貧困者に対するソーシャルセーフティネットとして行われている米供給プログラムOPKの実績も順調とはいえないようである。これは貧困層に対し、一世帯当たり月に20キログラム(当初10キロ)の米をキロ当たり1,000ルピアで供給するものであるが、1998年7月~1999年1月末までの間に供給できた米の量は50万トンに過ぎなかったという報告もある(Bulletin of Indonesian Economic Studies, April 1999, p.27)。
畜産、水産の中では特に養鶏・鶏卵業が経済危機の強い打撃を受けた。輸入飼料に多くを依存している飼料価格の高騰と購買力の低下によって操業停止が相次いだ。飼料原料の確保、調達のためのクレジットプログラムの開始、原料となるトウモロコシの増産などが図られている。
他方、経済危機下でも、カカオ、エビなどの輸出一次産品の生産地帯では、逆に価格高騰によって突然の好景気に沸いた。
(3)政策の変化
1999年の米生産は安定を取り戻しつつあり、1998年のような大量輸入には至らなかった。米価は1997年初めの2.5倍を上回る水準にあるが、インドネシア政府はこれを妥当な水準と考えているようである。米輸入が自由化され関税もゼロになったために、外国産低品質米が大量に流入し、国内米価引き下げの圧力となっている。政府は農民に対する増産インセンティブを与えると同時に、輸入低品質米を国産米に混入した米(oplosan)による品質のごまかしを防止するため、1999年9月には民間輸入業者による低品質米の輸入を禁じる措置を取った。
2億の人口を抱え、大量の米輸入が常態化しているインドネシアであるが、ここに至った要因として政策的な背景も無視できない。
1989年の第5次開発5カ年計画以来、食料資源全体を視野に入れ、米増産のみに偏しない政策を基本としてきた。そこでは、多額の財政資金と外国援助を必要とする新規の灌漑開発、とりわけ大規模なダムと灌漑施設の建設を伴う新規開発は抑制された。そして既存施設の復旧、維持管理に重点がおかれてきた。優良農地の減少問題は放置され、ジャワなどの既存の生産地帯での農業普及活動の弛緩、化学肥料流通の混乱、そして灌漑水路の維持管理活動の停滞などの事態が90年代を通じて進行していた。これが昨今の食糧、特に米の危機を招いたといえよう。
インドネシアの米輸入行動は米の国際市場に重大な影響を与える。国内的には、生産者たる農民の増産インセンティブをそぎ、米自給水準からますます後退してしまうことになる。農民保護の必要が叫ばれ、経済危機の打撃を極力おさえ農民に増産のインセンティブを与えるためにも、国内の米価を高く維持する必要があった。こういった現実を踏まえて、IMFも従来の強引な自由化グローバル化政策を転換し、インドネシア政府に対し1999年末には米の関税化を認めるに至った。
インドネシア政府はIMFの承認を受けて2000年1月1日より米の輸入関税を30%とした。また同時に砂糖については25%とした。1999年12月の米の市場価格はキロ当たり約2,400ルピアである。他方、輸入米の価格は1,500ルピアに過ぎず、これに関税その他を勘案したとしても国内価格2,100ルピアの水準となり、依然国産米の市場平均価格より低い(Kompas, 1999年12月24日付け)。
(4)東インドネシア
東インドネシア地域の農業に関しては次の点が注目される。第1は、自由化政策が進められるなかでの地域の食糧確保の問題である。これは単に生産増のみだけでなく流通の問題も重要である。島嶼間流通を独占してきた食糧調達庁の機能縮小と関連する問題である。第2は、地域開発、貧困対策としての灌漑・農業開発である。
第1点についていえば、東インドネシアは多数の島々よりなり、孤立傾向の強い経済であるので、地域ごとに水資源の活用等により一定水準の食糧生産を行うことが食糧の安定確保上重要である。同時に、島嶼間の米の流通体制の整備が課題とされる地域である。たとえばイリアンジャヤの場合、県食糧事務所(スブドログ)の倉庫から、OPK(米供給プログラム)の分配指定地までの輸送費が平均でキロ当たり2,339ルピアにものぼるといわれるほど島嶼部、辺境地での食糧の輸送費用は極めて高い。島嶼間の米・食糧流通を民間の商人のみに預けたのでは、安価で安定的食糧確保に支障をきたす可能性が高い。
加えて、食糧の不足状況をいち早く的確に把握することが、東西に地域が広範に広がっている東インドネシアでは特に重要である。食糧調達庁の機能が縮小されるなかで、食糧の過不足の状況を的確にウオッチし迅速に供給手当てをするなどの点に関して、今後、楽観はできない。WFPの支援によって食糧の需給状態について早期警戒システム(SKPG: Sistem Kewaspadaan Pangan dan Gizi、エスカーペーゲー)の構築が行われているが、東西ヌサトゥンガラやイリアンジャヤをはじめとする遠隔地では、このことが一層重視されねばならない。
第2点に関し、インドネシア全体に対する食糧増産の貢献度は南スラウェシ州を除いて東インドネシアは小さい。しかし、カカオ、コーヒー、その他の特産品、乾燥地での畜産等の可能性がある。水資源をはじめ開発可能な農業その他の資源を一つ一つ掘り起こしていかなければならない。スンバワ島などで行われている小規模灌漑管理事業(Small Scale Irrigation Management Project:SSIMP)は、灌漑・農業開発の契機となるものであり、農業生産と地場産業を刺激し、地域開発としての意義は大きい。東インドネシアのような開発の遅れた地域の経済発展、雇用機会と所得水準の向上には、このような地道な努力が必要である。
ただ、東インドネシアでの分散した一つ一つの小規模な灌漑・農業開発は、全国的視野からの米増産・自給策に対する貢献はマイナーでしかない。だが、1)地域における食糧安保と、2)地域経済の振興という観点から、地域の実態に即した小規模な灌漑開発が東インドネシア地域では有効であり重要である。