本章では、近年のインドの経済・社会状況の変化の中でインド政府が採用してきた開発政策を概観すると共に、他ドナー及び日本の対インド援助の推移を見る。それによって、本評価対象期間である1997~2001年度の日本の援助政策の策定・実施の背景を記述することを目的としている。
1947年の独立後、インドは「混合経済体制」の下で輸入代替工業化による経済自立の達成を目指してきた。1960年代半ばまでの初期経済成長期を経て、その後1970年代末にかけては、「ヒンドゥー成長率」と呼ばれる年平均3.5%前後の比較的低い経済成長率を達成するに留まった。1980年代より徐々に産業・貿易政策をはじめとした経済自由化政策が導入され、年5%台の成長にまで回復した。1990年代初頭に入り、ナラシンハ・ラオ政権はマクロ経済危機をきっかけとして経済安定化政策と自由化政策が一体となった「新経済政策」を導入し(1991年7月)、本格的な経済改革に乗り出すこととなった。
「新経済政策」導入以降のインドのGDPは順調な成長を見せ、1990年代半ばには7%を上回る伸びを示したが、その後若干減速し、1997年度以降は5%前後の成長率で推移している(図表2-1)。
次に、産業構成比率と各部門の成長率の推移を見る。1990年代を通じて、農業部門の比率が低下し続ける一方で、運輸・通信、金融等のサービス部門が拡大を続けてきている。こうした産業構造の変化はセクター別の成長率に反映されている。農業セクターは、モンスーン期の降雨量など天候に左右され、各年の成長率にばらつきがあるが、サービス部門及び工業部門の力強い伸びがこの期間の経済成長の牽引役となった(図表2-1)。
雇用については、1999年度の就業労働人口は約3.97億人であり、約60%が農業に従事している(図表2-2)。また、2001年センサスにおける農村人口比率は72%を占める。従って、上述の通りGDPに占める農業部門の比率が低下傾向にあるとはいえ、農業部門はインドにとって依然として重要である。
「新経済政策」による経済安定化政策は一定の成果を上げた。卸売物価指数上昇率は1990年度の12.1%から1990年代後半には5-6%レベルを維持し、2001年度には1.6%となった。経常収支赤字の対GDP比率も、1990年度の3.1%から、1990年代後半には1%台となっている。91年初頭には年間輸入額の2週間分である12億米ドルにまで落ち込んでいた外貨準備高は、2002年度末には748億米ドル(金・SDRを除く)にまで増加した。
しかしながら、インド経済の最大の問題として引き続き足かせとなっているのが財政赤字である。1990年度に対GDP比6.6%に達した中央政府の財政赤字比率はその後徐々に削減されてきたが、1990年代後半になって再び5%台にまで増加してきている。更に、中央・州政府を統合した財政赤字比率は2001年度には10%に達している(図表2-3)。財政赤字を補填するための利子支払いの支出は補助金等と共に、インフラ整備や社会セクター向け公共支出の大きな抑制要因となっている。すなわち、財政支出に占める利子支払いの割合が拡大傾向にある一方で、資本支出をはじめとした計画支出の割合は低下傾向にある(図表2-4)。
「新経済政策」による自由化政策に伴い、1990年代には貿易及び外国直接投資も着実な拡大を見せた。
インドの貿易は、輸出・輸入共に1990年代半ばまでに著しい伸びを示した。その後の成長は停滞したものの、1999年度及び2000年度の輸出等においては再び2桁成長を記録している。恒常的な貿易赤字は1999年度に128億米ドルのピークに達した(図表2-5)。インドにとって日本は、輸出先として第6位、輸入先として第5位に位置付けられている(2001年度)。1990年代の10年間において対日貿易額は約3倍となったのに対して、日本を除くアジアとの貿易額は約8倍に拡大している。中でも、中国との貿易はインドにとって重要性を増しつつあり、2002年度の対中輸出入額は共に日本を上回った。
一方、対インドの外国直接投資は、1990年前半に著しい伸びを示し、1997年度には5489億ルピー(148億米ドル)のピークに達した。その後アジア経済危機を経て、現在まで全般的に減少傾向にある(図表2-6)。1991~2001年度末の総投資額で日本は米国、モーリシャス、英国に次ぐ第4位である。
外国企業の出資比率上限や送金規制の緩和、自動認可制の導入等、各種の直接投資促進政策が推進される一方で、インフラ整備の遅れ、許認可等手続きにおける官僚主義の弊害、労働者に有利な労働法規、高い資金調達コストなどが依然としてインドに対する高い投資障壁となっている1。日本の外国直接投資全体においてインドの占める割合も1990年代前半から拡大するには至っておらず、2001年末の対外直接投資残高(資産)は対中国の残高の約9分の1に留まっている(図表2-7)。
尚、対インド外国直接投資の各州別投資先を見ると、1991年8月から2002年3月までの認可累計額の大きい順に、マハラシュトラ、デリー、タミル・ナード、カルナータカ、グジャラートとなっており、これら上位5州で認可総額の52%を占めている。上位10州の割合は68%にのぼり、外国企業の投資先が特定州に集中する傾向が顕著に見られる2。
次に、90年代を通じたマクロレベルでのインドの主要な社会セクター指標の推移を見る。
貧困ライン以下の人口比率については、1980年代から2000年にかけて、農村部・都市部共に一貫して低下している。1980年代には成功していなかった貧困ライン未満人口の絶対数の削減も、1990年代に入って進んできていることが示されている(図表2-8)。しかしながら、依然として人口の4分の1以上、2億6千万人余りが貧困人口として定義付けられている。
1日1ドル以下で生活する人口比率は44.2%と、中国や周辺国よりも高い。貧困への取り組みがインドにおいては一層重要であることが示されている(図表2-9)。
識字率にも改善が見られ、2001年には人口の約3分の2が識字人口とされている。男女の格差も過去20年間で若干縮小してきているものの、その差は未だに小さくない(図表2-10)。また、他国との比較においても、識字率向上の余地は大きいことが示されている(図表2-13)。
平均寿命、及び乳児死亡率についても、男女共に着実な改善が見られる(図表2-11,12)。その一方で、上述の貧困率、識字率と同様に、依然として中国、スリランカに遅れをとっている(図表2-13)。
次に、各州別の経済・社会指標の推移を見る。本格的経済自由化が導入された1990年代は、各々の州においては各種経済・社会指標の改善が見られるものの、概して先進州と後進州の間の格差が拡大した期間であったといえる。
(1)一人当たり州内純生産(Net State Domestic Product: NSDP)
NSDPでは、デリーを含むいくつかの連邦直轄地の他、マハラシュトラ、パンジャブ、ハリヤナ等が1万5千ルピー前後(1999/2000年暫定値)を超える高所得州である。その一方で、オリッサ、ビハール、アッサムは5千ルピー前後(同上)に留まっている。これらの低位グループは1990年代を通じて成長率も相対的に伸び悩んだことから、一人当りNSDPの州間格差は進行した(図表2-16)。
(2)貧困ライン未満人口比率
貧困ライン未満の人口比率は、パンジャブ、ヒマーチャルプラデシュ、デリー等が10%未満となっているのに対して、ビハールとオリッサは未だに人口の半分近くが貧困層とされている(1999/2000年)。1987/88年から1999/2000年の変化を見ると、ビハール、オリッサ等の後進グループの貧困層比率の削減ペースは先進グループに遅れをとっていることが分かる(図表2-17)。
(3)識字率
ケララの90.9%を筆頭に、ミゾラムや、直轄領であるポンディシェリーやデリー等において80%以上の高い識字率となっている(2001年)。1990年代において、マディヤプラデシュやラジャスタンなどこれまで後進教育州とされてきた州の中にも約20ポイントもの著しい伸長を示しているところがある。一方、ビハールでは同期間の伸びは相対的に低く、未だに50%に達していない(図表2-18)。
(4)平均寿命及び乳児死亡率
平均寿命については、ケララ、パンジャブが70歳前後にまで達しているのに対して、マディヤプラデシュ、アッサム、オリッサは55歳前後に留まっている(1993~97年)。1980年代前半と比較しても、上位州と下位州の格差の縮小はあまり進展していない(図表2-19)。
乳児死亡率については、各州において1990年代に着実に低下してきている。しかし、1000人当たり16人のケララをはじめとする先進州に対して、オリッサ、マディヤプラデシュは比較的大きな減少幅を記録しながらも、未だに100人近くのレベルにある(2001年)(図表2-20)。
本節では、1951年以来策定されてきたインドの開発計画である5カ年計画の重点分野と、それに基づいた財政支出の推移を見る。その際、本国別評価の対象期間(1997~2001年度)と一致する第9次計画(1997~2002年)を中心とする。
第9次5カ年計画は、「新経済政策」による本格的経済自由化政策の開始後に策定された第8次計画(1992~97年)を引き継いで、改革路線の強化を基本的な方向としていた。第9次計画においては、「社会的公正と公平な分配を伴った経済成長」という目標の下に、以下の9つの個別重点項目が設定された3。
(1)雇用創出と貧困削減を視野に入れた農業・農村開発
(2)経済成長の加速
(3)貧困層の食料・栄養確保
(4)安全な飲料水、基礎医療、初等教育等のベーシック・ミニマム・サービスの充足
(5)人口抑制
(6)持続的発展のための環境保全
(7)女性・社会的弱者層のためのエンパワーメント
(8)住民参加を通じた、環境的に持続可能な開発の実現
(9)自助努力
これまで民間セクターのコントロール役、また国営企業を通じた直接的な生産者であった政府の役割の見直しを求めながらも、引き続き政府の関与が必要な重点分野として、特に経済インフラ整備と農業・農村開発は公共投資計画の6割を占めた。インフラ整備については、6.5%の成長目標を達成するためには民間部門による投資も不可欠であることが示された。
第9次5カ年計画期の公共支出の実績を以下に見る。まず、公共支出総額は9兆4,104億ルピー(計画値は8兆5,920億ルピー)となった。部門別比率の毎年の推移を見ると、重点分野とされた農村開発、及び経済インフラのうち特にエネルギー部門については、当初計画された配分比率を下回る実績となった。一方、教育や医療・保健等の社会サービスについては、当初計画を概ね上回るレベルで推移した(図表2-21)。
一方、国内総投資に対する公共投資の割合(公共投資率)は経済自由化政策が本格的に開始された第8次計画期と比較しても一層低下し、第9次計画期全体では30%を割り込んだ(図表2-22)。公共投資率の低下は、電力等の経済インフラへの民間投資の促進により補われることが前提とされていた。しかし民間投資についても、GDPに占める総投資の比率も第8次計画期より低レベルとなったことから、計画通りに進まなかったことがわかる。
結果として、第9次計画期全体のGDP成長率(5.35%)は前計画期実績(6.68%)及び計画値(6.5%)を下回った。セクター別では、サービス部門が前計画期を若干上回った(7.54%→7.78%)ものの、農業部門(4.69%→2.06%)、工業部門(7.58%→4.51%)共に前計画期の実績を大幅に下回る伸びとなった。
以上、2.1においては、1990年代を中心としたインドの経済・社会状況と開発政策を概観した。1991年の「新経済政策」導入によって、サービス部門及び工業部門を中心とした成長が促進された。しかし1990年代後半に至って、財政赤字の継続が公共投資を一層圧迫する一方で、電力などインフラへの民間投資も期待した通りには進んでいない。その結果、インド全体及び個々の州における経済・社会指標は改善を続けているが、州間格差はむしろ拡大したか、少なくとも著しく縮小したとはいえない状況にある。外資規制の緩和など経済自由化の取り組みは、民間セクターによる投資先(州)の選別を促し、今後も州間の経済・社会格差を拡大する可能性がある。また、貧困率の低下のためには、人口の4分の3を占める農村部及び農業部門への対策が引き続き重要である。
1 在インド日本国大使館「インド概況」(2003年8月)17頁。また、インド政府も直接投資を一層促進するために改善すべき点として、各種の施策において同様の認識を示している。例えば、2001年8月にPlanning Commissionは海外直接投資に関するステアリング・コミッティを組織したが、同コミッティの提言のひとつとして、許認可プロセス等の迅速化のための法規の簡素化と官僚主義的手続きの削減が挙げられている(出所:Economic Survey 2002-2003)。
2 投資先の6位から10位までは、アンドラ・プラデシュ、マディヤ・プラデシュ、西ベンガル、オリッサ、ウッタル・プラデシュ。(出所:Ministry of Commerce and Industry, "SIA Newsletter" April 2002)
3 Planning Commission, GOI, Ninth Five Year Plan