第2章 IDIの目的の妥当性
本章では、IDIの目的を妥当性という評価項目で評価する。IDIが、わが国の上位政策と整合しているか、国際的な感染症対策の傾向/合意と整合しているか、被援助国側ニーズと整合しているかを検証した。
1.わが国のODA上位政策との整合性
わが国のODA政策の政策的枠組みは、政府開発援助大綱(ODA大綱)‐政府開発援助に関する中期政策(ODA中期政策)‐国別援助計画・分野別イニシアティブ‐個別のプロジェクトとなっており、IDIは分野別イニシアティブに該当する。以下、IDIの上位政策であるODA大綱及び中期政策、そしてIDIと関連する政策との整合性を検討する。
1.1 ODA大綱との整合性
ODA大綱は、政府の開発援助の理念や原則等を明確にするため策定したものであり、1992年6月に閣議決定され(旧大綱)、2003年に改定された(新大綱、2003年8月閣議決定)。ここでは、IDIが発表された2000年当時の大綱である旧大綱との整合性を検討する。
IDIは、「1.基本理念」として、「(1)開発の中心課題としての感染症への対処」、「(2)地球的規模問題での連携と地域的対応」、「(3)公衆衛生活動と連携させた日本の経験と役割」の3つを挙げている。そのうち、上記1.(2)の中で「感染症問題を地球規模の問題として捉え、地球規模での連携(パートナーシップ)をもって取り組む必要がある」としており、旧大綱が、地球規模問題への取り組みを重点項目としていることから、旧大綱との整合性がある。また、上記1.(3)では、わが国の公衆活動の経験を途上国において応用・普及する支援の方策に努めるとしており、これは、旧大綱の「4.政府開発援助の効果的実施のための方策」の一つが「わが国の開発政策の経験の活用を図ること」としていることから整合性がある。
IDIは「2.感染症対策の方針」として、「(1)途上国の主体的取組み(オーナーシップ)強化」、「(2)人材育成」、「(3)市民社会組織、援助国、国際機関との連携」、「(4)南南協力」、「(5)研究活動の促進」、「(6)コミュニティレベルでの公衆衛生の推進」の6つを挙げている。上記2.(2)及び2.(5)は、旧大綱の重点項目「(ハ)人造り及び研究協力等技術の向上・普及をもたらす努力」と整合している。上記2.(3)及び2.(4)は、旧大綱がODAの効果的実施のための方策として、先進国の援助機関、国際機関、NGOとの連携を図ること、他の途上国の有する知識や技術の十分な活用を図るための支援を行うことを掲げているのと整合している。上述の通り、IDIは旧大綱と整合性があるといえる。
第1部第3章で示したとおり、感染症問題がG8の場で取り上げられるようになったのは1990年代後半のことである。参考まで、IDIの発表から3年後に改定された新大綱は、感染症を地球的規模の問題の一つとして挙げ、こうした問題に積極的に取り組むとしている。「3.重点課題」、「(3)地球的規模の問題への取り組み」で、地球的規模問題の具体例の一つとして「感染症」を挙げ、ODAを通じて地球的規模問題に取り組むとともに国際的な規範作りに積極的な役割を果たしていくとしている。また、「2.基本方針」、「(2)「人間の安全保障」の視点」では、人間に対する直接的な脅威の一つとして感染症を挙げ、これに対処するために「人間の安全保障」の視点で考えることが重要であること、それに向けて人づくりを通じた地域社会の能力強化に向けたODAを実施する、そして、「3.重点課題」、「(1)貧困削減」で、貧困削減に向けて保健医療・福祉分野における協力を重視するとしており、IDIは新大綱とも十分に整合している。
1.2 ODA中期政策との整合性
ODA中期政策は、1999年8月に閣議報告され、今後5年程度を念頭に、わが国ODAの基本的考え方、重点課題、地域的援助のあり方等を示したものである。
1.1で述べた通り、IDIは、基本理念の中で、感染症は貧困を削減する上で中心課題の一つであるとしているが、ODA中期政策が「II.重点課題」、「1.貧困対策や社会開発分野への支援」で、貧困対策の支援において保健医療分野への支援の果たす役割は極めて大きいとしていることと整合している。
ODA中期政策では、保健医療分野の支援にあたって、プライマリ・ヘルス・ケアの視点を重視する、わが国の経験を最大限生かす、住民の参加やNGOとの連携を積極的に進める等とし、さらに、エイズ対策については、UNAIDSとの協力を更に深めるとともに、二国間協力と国際機関との連携を強化するとしている。さらに、その他の重点課題として人材育成が、また、援助手法として「NGO等への支援及び連携」、「他援助国及び国際機関との協調」、「南南協力への支援」を挙げており、IDIが掲げる感染症対策の方針はODA中期政策と整合しているといえる。
IDIは、わが国が支援する主な感染症対策として、HIV/AIDS、結核、マラリア・寄生虫、ポリオの4疾患を挙げている。これは、ODA中期政策が、エイズ、結核、マラリアをはじめとする寄生虫疾患等の新興・再興感染症が大きな脅威となっていること、地球規模問題の一つとして、HIV/AIDSが開発の大きな阻害要因となっていることを認識しているのと整合している。よって、IDIはODA中期政策と整合性があるといえる。
1.3 関連政策との整合性
関連政策との整合性に関しては、第1部第3章で述べた通り、IDIはGIIを受けて発表され、また、橋本イニシアティブもIDIに包含されており、世界の重要感染症を焦点にしていることから、お互いに政策間の矛盾はない。IDIは、「3.我が国の支援する主な感染症対策」において「橋本イニシアティブ」の推進が謳われており、「4.ODAを通じた感染症対策支援の強化」においてGIIを踏まえるとなっている。ただし、GIIでは重点国として16ヶ国が選定され、対象が絞られているが、IDIでは重点国等が示されておらず、全世界を対象としていることから、必ずしも継続して実施されているわけではない。
2.国際的な感染症対策の傾向/取り組みとの整合性
第1部第2章で述べた通り、サミットで感染症問題取り上げられるようになったのは1990年代後半からであるが、わが国は、1997年のデンバー・サミットにて橋本イニシアティブを、2000年の九州・沖縄サミットにてIDIを発表し、国際社会に対して積極的に感染症対策への取り組みを提起した。こうしたわが国の感染症対策に対する取り組みは、その後、2001年に国連エイズ特別総会の開催や、2002年の世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)の設立へとつながった。よって、IDIは国際的な感染症対策の潮流と整合度合いが高いといえる。
他ドナーの感染症対策支援との整合度合いについては、第1部第2章で示したとおり、支援対象とする疾患に関しては、主要ドナーのあいだではHIV/AIDSが重要であるとの認識が高かった。例えば、USAIDはHIV/AIDS対策に、DFIDはHIV/AIDS対策及びマラリア対策に力を入れており、他の疾患、特に寄生虫とポリオについての重要性は高いとはいえない。この理由として、ポリオについては、根絶計画が順調に進んでおり、多くのリソース(資金等)を割く必要性が薄れたからであり、寄生虫については、生命に重篤な影響を及ぼす疾患が少ないため、HIV/AIDSや結核、マラリアと比較し政策的な優先度が高くなることはないことがあげられよう。HIV/AIDSについては、自国内においても重要な問題となっていることから、研究や対策への取り組みが進み、それらに関わる人材が豊富であることから、途上国に対する支援の実施に結びついている。
IDIは、HIV/AIDS、結核、マラリア・寄生虫、ポリオを主な支援対象疾患としており、わが国は、この4疾患に対し、まんべんなく支援を行っている。わが国は、過去に結核対策や寄生虫対策に成功した経験を有し、その知見・経験を活かした支援が可能であり、得意分野といってよい。また、この2分野においては、被援助国の対策プログラムに対する直接的な支援に結びついている。しかし、HIV/AIDSについては、日本国内におけるHIV/AIDS対策と途上国に対する対策支援が結びついておらず、また、一部専門家を除いてHIV/AIDSに対する関心が低いため、途上国での対策プログラム支援に十分関与できていない。
感染症対策の方法としては、国際機関の多くは当該被援助国の保健政策の策定支援から関わり、当該機関の支援が当該被援助国の保健政策の一環として実施されている。また、国際機関が設定している各支援目標は、MDGsやロールバック・マラリアなどの国際的に合意した目標との整合性が図られている。また、HIV/AIDS、マラリア、結核の各疾患対策プログラムに対する直接的な支援が主流であり、援助協調の流れの中で、バスケット・ファンドの整備も進んでいる。それに対して、わが国の支援は、IDIは途上国の主体的取り組みを強化すべく政策対話と保健制度・政策等のソフト面での協力を行うことを方針の一つとして掲げ、保健政策策定への関与が謳われているものの、実態は、相手国の保健政策策定には関与せず、各支援国・機関が実施している感染症対策プログラムへの直接的な支援とは異なるアプローチが多く見られる。また、基礎教育や水対策、地域保健などを含む包括的な感染症対策支援を推進している。ただし、援助協調については、IDIは「4.ODAを通じた感染症対策支援の強化」で活用するわが国の援助スキーム・形態に具体的に言及しているものの、SWAPs(コモン・バスケット・ファンド)やセクター財政支援等への言及はなく、また、こうした援助形態は、わが国ODAで一般化されてはいない。
感染症対策の方法について、結核についてはDOTS、ポリオについては予防接種の推進が標準的な介入方法としてすでに確立しており、わが国も結核及びポリオ対策支援に際しては、これらの介入方法を採用している。HIV/AIDSについては、世界的には予防と治療の両方に対して支援が行われているが、わが国は、予防及び特にHIV検査を中心に支援を実施している。マラリア対策については、ITNの普及が中心となってきているが、標準的な介入方法としてはまだ確立されていないので、整合度合いを判断することはできない。
実際には、各ドナーは感染症対策支援の長い歴史の中で培われた経験に基づき、投入可能な人材と、得意な支援分野に応じた感染症対策支援を実施しており、世界的な感染症対策支援、援助動向と一致している場合が多い。この点を考慮すると、IDIは世界的な感染症対策支援、援助動向と一致していない点がみられる。
3.被援助国側ニーズとの整合性
IDIの基本理念、6つの方針は、広く公衆衛生に必要な要素を含んでいるため、被援助国である途上国の保健医療のニーズに合致している。これは、支援対象となる4つの主要感染症に限っても同様である。これら主要感染症に関しては、国際的にも標準化された対策方針が存在する。しかしながら、被援助国は、財政上の問題よりこれらの対策方針を実施できていない場合が多い。そのために、国際的な援助形態及びスキームは、職員の賃金及び薬剤等の消耗品の供与を可能としている場合が多い。これに関してわが国の援助スキームは制約が多く、具体的な感染症対策のニーズに応えていない場合も見られる。
アジア地域においては、HIV/AIDS、結核対策へのニーズが高い。HIV/AIDSに関しては特に予防への必要性が高く、結核はBeyond DOTSへ移行しつつある。しかし、国によってその状況は異なり、フィリピンでは患者の多い結核対策への支援ニーズは高いがHIV感染率が低いといわれるHIV/AIDSに対する支援ニーズは低い(ただし、WHOはフィリピンへのHIV/AIDS対策の必要性を挙げている)。
アフリカ地域では、HIV/AIDSは、単に保健医療の問題にとどまらず、労働生産性の高い世代がHIV/AIDSに罹患することで、経済的に大きな問題となっており、国家の崩壊に直面している危機的状況の国もある。対策としては、予防のみならずARV投与といった治療へのニーズが増加している。マラリアについては、近年の気候変動によりマラリア汚染地域が拡大している。対策としては、ITNの配布が実施されている。
ラテン・アメリカ地域においては、カリブ地域におけるHIV抗体陽性率は、アフリカについで高い。また、ボリビア、ペルーなど南アメリカ地域においては、結核の蔓延度が高い。しかし、マラリアは多くない。ラテン・アメリカ地域では、地域全体で共通して問題となっている疾患はないが、国・地域ごとで見ると、IDI対象疾患対策に対する重要性が高い地域が見られる。
その他、旧ソ連邦諸国では、近年、薬物使用によるHIV/AIDS感染者の増加がみられると言われているが、正確なデータはない。また、大洋州諸国においては、マラリア汚染地域も点在しているが、高負荷な疾病として報告は成されていない。
HIV/AIDS、結核に関しては世界的に対策への重要性が高い。HIV/AIDSでは、近年、予防ニーズのみならずARV治療への需要も増加しているが、現在のところ、わが国は、国際機関への拠出等を通じ間接的に支援しており、ARV治療への直接的な支援は行っていない。結核はDOTSにより対策がとられつつあるものの対面内服確認が困難である遠隔地等のDOTSではうまくいかない地域が残っている。また結核対策においては、技術協力を通じて、多剤耐性結核への対策であるDOTS-plusへの協力も展開されつつある。
わが国は、アジア地域ではHIV/AIDS、結核、寄生虫への対策を中心に、アフリカ地域ではHIV/AIDS、マラリア、寄生虫への対策を中心に支援しており、各地域のニーズとほぼ合致している。ラテン・アメリカに関しては、当該地域に対する感染症対策支援実績が少ないので判断できない。援助国、国際機関が考える支援の必要性と被援助国の認識が必ずしも一致しているわけではない国もあるが、わが国は被援助国の要請に基づいて支援を行っているので、被援助国のニーズに沿った支援が行われている。
4.IDIの目的の妥当性:まとめ
IDIは、わが国のODA政策における感染対策分野の援助政策と位置付けられており、国際的には1990年代後半の諸サミットの流れを受け、G8国家元首レベルで討議された、世界の“感染症問題”への取り組みへのわが国の方向性を示すものである。IDIの現在の位置付けは、上述のとおり、わが国ODA上位政策や被援助国側ニーズとの整合性も認められるが、国際的な感染症対策との整合性という面では、わが国と国際的な取り組みとの間にいくつかの相違点が見られると言って良い。
現在の国際的な感染症対策支援における新たな潮流(コモン・バスケット・ファンドの有用性、HIV/AIDSにおける予防から治療への移行など)に照らし合わせると、わが国も感染症対策への取り組みの方向性をより一層明確にし、被援助国のニーズとのすり合わせをより緊密に行うことが重要である。
HIV/AIDSについては、サブサハラ・アフリカの惨状に影響され、HIV感染予防からエイズの治療へと重点が移りつつあり、基本的に消耗品に対する支援を行わないわが国に対しても、治療への貢献としてエイズ治療薬等の消耗品の供給が求められている。現在のところ、わが国は、主に国際機関への拠出やGFATMへの拠出などを通じ治療に係る消耗品の供給を実施しているが、マルチ・バイ協力を通じてもEPIなどと同様に治療薬の供給の検討など、国際的な潮流を踏まえた上で、わが国として如何に対応するかという課題が残されている。
一方、わが国が感染症を克服した過去の経験に基づき、感染症対策支援における日本の独自性を出すことは、対策支援の多様性の観点からも重要である。この意味からも、衛生教育を含む基礎教育の強化や、安全な水の供給、地域保健促進等に見られる、感染症対策における間接支援を包含するアプローチも評価されるのである。よって、IDIの妥当性はやや高いと判断した。