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特定事項調査議員団(第6班)報告書

団長 参議院議員     宮澤 弘

   同     真鍋 賢二

   同     但馬 久美

   同     千葉 景子

   同     田村 公平

同行 決算委員会 調査室調査員  信国 隆裕


1、はじめに

 本議員団は、アジア諸国における開発援助等の実情調査並びに各国の政治経済事情等に関する調査のため、平成9年7月22日から8月1日までの11日間、タイ、シンガポール、インドネシア及びマレーシアの4カ国を訪問した。

 日程は次のとおりである。

 7月11日 東京発 バンコク着(1泊)

 7月23日 バンコク発 チェンマイ着(1泊)

 7月24日 チェンマイ発 バンコク着(1泊)

 7月25日 バンコク発 シンガポール着(1泊)

 7月26日 シンガポール発 ジャカルタ着(1泊)

 7月27日 ジャカルタ発 ジョグジャカルタ着(1泊)

 7月28日 ジョグジャカルタ発 スラバヤ着(1泊)

 7月29日 スラバヤ発 ジャカルタ着(1泊)

 7月30日 ジャカルタ発 クアラルンプール着(1泊)

 7月31日 クアランルプール発 ウチン着

       クチン発 クアラルンプール着

       クアラルンプール発(機中泊)

 8月1日 東京着

 我が国の政府開発援助(以下、ODA)は、援助案件に応じて無償資金協力、有償資金協力及び技術協力(専門家派遣、研修員受入れ及び機材供与で構成された援助形態はプロジェクト方式技術協力と呼ばれる)の形態で実施されている。また、無償資金協力の一環として、NGO(非政府援助基幹)、地方公共団体等の小規模な案件を対象とした草の根無償がある。

 本議員団は、こうしたODAの実情調査に先立ち、まず外務省から訪問国に対する我が国のODAの概況説明を聴取した。

 訪問国においては、各々の在外公館、国際協力事業団在外事務所、海外経済協力基金海外駐在員事務所から説明を聴取するとともに、援助案件の現場を視察し、現地関係者胃および国際協力事業団の派遣専門家等との懇談を行った。また、タイ及びインドネシアにおいては、政府首脳と会談を行う機会を得た。


2.タイにおけるODA案件の視察

 我が国とタイは、伝統的に政治・経済・文化等の各分野において密接な関係を有していること等から、政府は、タイを我が国の援助重点国の一つと位置付け、タイの経済・社会開発を積極的に支援してきている。

 タイは、経済発展段階の実態に照らし1993年度をもって原則として無償援助を卒業した(草の根無償及び文化無償は実施されている)。また、タイの一人当たりGNPは既に2,740ドルに達しており、今後も順調な経済発展が続けば、早ければ2000年前後に中進国化(一人当たりGNPが3,035ドル以上の国)し、「円借款卒業」の水準に達すると見込まれている。

 援助実績は、1996年度、有償資金協力1,184億円、無償資金協力3億円、技術協力96億円であり、96年度までの累計実績は、有償1兆4,119億円、無償1,589円、技術協力1,428億円である。タイは、我が国の2国間ODAの受取国として、96年実績第3位、96年までの累計で第4位になっている。

 以下、現地視察の概要を報告する。

 7月22日、バンコクに入った後、23日、チェンマイで「メイクワン灌漑農業開発センター設立計画(無償)」を視察した。24日、バンコクに戻り、「社会教育文化センター建設計画(無償)」及び「スラム青少年印刷技術訓練事業(草の根無償)」を視察した他、タノン大蔵大臣と会談を行った。

 <チェンマイ>バンコクから北へ空路1時間、古都チェンマイは山の中にある。

(メイクワン灌漑農業開発計画)

 空港から車に揺られること小1時間、山道を走ってダムへ到着した。

 メイクワン灌漑農業開発計画は、既設の灌漑施設から灌漑を受けている地域とこれまで天水による農業が行われていた地域について、メイクワン川に三基のダムを建設し、このダムを水源として、幹線水路及び支線水路により灌漑を行うとともに、洪水防止・水力発電用にダムを多目的に活用するものである。供与額は66億円(事業費132億円)で、1992年10月に完成した。

 農地に用水を供給する末端水路の工事は、タイの政府機関である農業共同組合省王室灌漑局(以下、灌漑局)により92年5月より開始されたが、海外経済協力基金によると、約10カ月の工期の遅れがあるとされ、計画灌漑面積2万8千ヘクタールのうち、95年時点の灌漑実施率は約74%であり、99年までに完成の見込みである。基金では、末端水路の工事の進捗状況が思わしくなければ、水路整備の専門家の派遣等も検討するものとしている。

 末端水路の工事費は、灌漑局が負担し、農家は土地と労働を提供する。灌漑局によると、毎年度の予算の確保と農民からの土地の収用に難しさがあると言うが、末端水路の工事が計画通りに進捗していない背景には、タイの工業化の進展の中で、農民がバンコクへ移動しつつあり、農業の酔態に伴い灌漑用水の需要が現象していることがあると見られる。                                

 本議員団は、ダムと水路の視察の後、村の集会場ともなる寺院で12名の日焼けした現地農民の話を聞くことができた。農民からは、灌漑用水路の整備のお陰で、「収入は前より大きくなり、生活は良くなった。」「日本にお礼を言いたい。」と感謝の言葉が述べられた。また、現在は、生産の問題より、「どういう物が売れるか、何を作るか」という販売の問題に関心があるとも述べた。

(チェンキアン高地農業開発センター設立計画)

 チェンマイは、カレン族・モン族・ヤオ族等の山岳民族の村々への入口の町でもある。山岳民族は、海抜9百メートル以上の高地でケシの栽培を行っている。

 タイ政府は、1961年以来、山岳民族の民生安定のため、ケシ栽培に代わる換金作物栽培の普及を図ることとした。しかし、訓練のための施設が不足しているため、我が国は、訓練実施のためのセンターの建設及び関連機材の供与について無償資金協力を行ったものである。供与額は6億円で、1994年に完成した。

 チェンマイ大学農学部に隣接するセンターで、同大学の農学部長は、山岳民族への農業指導の成果について熱心に語ってくれた。

 この地では、70万人の山岳民族が暮らしているが、山岳民族によるケシの栽培や焼畑農業により環境破壊が続いていた。そこで、17年前から麻薬撲滅に取り組み、センターにおける山岳民族への農業指導の実習訓練により、焼畑農業からキャベツ・米等換金作物の栽培等への転換を指導した結果、ケシの栽培は、年150トンから20トンに減少した。また、森林伐採が減少し、環境保全も図られている。

 1979年以降、2千名の山岳民族の訓練を行っており、延べ500名の農業普及員を養成した。本年からは、日本の支援により、山岳民族を抱えるカンボジア・ラオス等に対し、果樹・人参等の栽培農法を指導する第三国研修を行っている。

<バンコク>バンコクは、慢性的な交通渋滞に悩まされている。特に、通勤時は尋常でなく、大使館車も渋滞の渦に巻き込まれてしまった。

(社会教育文化センター建設計画)

 社会教育文化センターは、バンコク市内の中心部に位置している。大・小ホール・屋外コンサートホール等を備え、日本式庭園を模した竹林や池を擁する施設は、先進国の文化施設にひけをとらない。

 タイ政府は、第5次経済・社会開発5カ年計画において、教育文化活動の推進を提唱し、その一環として、文化・芸術に係る活動を目的とした教育文化センターの設立を計画した。その実施のため、我が国は、無償資金協力による施設の建設と必要な機材の供与を行ったものである。供与額は29億円(事業費64億円)で、1987年に完成している。                                

 無償資金協力として、大規模な文化ホールが建設されることに対して、一部の批判があった。この批判に対して、センターの女性所長は、むしろ「予約超過の状態で、施設が小さ過ぎると思う。第二のセンターが必要であろう。」と言い切った。また、年間の運営予算は5,600万バーツ(約2億円)であるが、建設後10年を経て施設の修理・機材の交換に多大な経費を要するとも語った。さらに、建築手法や建築デザインについて、タイの建築家が批判的であったとする見方に対しては、「完成してからは、タイと日本の建築家同士の意見の相違はない。」と述べた。

 見るからに建物は先進国並みではあるが、単なる貸席業にならないためにも、企画・演出・製作といったソフトウェアーの充実を図る必要があると思われた。

(スラム青少年印刷技術訓練事業)

 バンコク最大のスラム街と言われるクロントイを訪問した。ここでは、約10万人の住民が生活しており、その多くは、隣接する港湾で荷役、建設工事現場作業者、バイク・タイシーの運転手等に従事している。この地で、我が国のNGOである曹洞宗ボランティア会は、1991年に職業訓練センターを設立し、青少年の雇用拡大と自立のための活動を行っている。

 ここにおける草の根無償は、青少年及び障害者を対象とした印刷技術の職業訓練を行うことにより生活環境改善と雇用機会の向上を図るため、職業訓練センターに対して、印刷技術訓練用のオフセット印刷機及び裁断機を供与(供与額約1千万円)したものである。                        

 本議員団を迎えてくれたプラティープ女史は、アジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞し、スラムの天使とも呼ばれている。同女史が事務局長を務める財団は、ここで子供の生活・教育を支援しており、子供たちの間における麻薬の撲滅やエイズ孤児の対策にも取り組んでいる。

 また、ここでは、小学校から中学校へ上がる子供は半数程度に過ぎず、中学校へ行けない子供は働くことになるが、就職できない子供も多い。同女史は、子供の教育について、義務教育の拡大、政府の監視の教科、専門のNGOとの連係の強化が必要であると言う。                        

 同女史と日本人ボランティアの案内で、スラム街の狭い路地を抜け、幼稚園を訪問した。貧困と病気に喘ぐ住人の中で、我々を迎えてくれた園児達の屈託のない笑顔が印象に残っている。

(タノン大蔵大臣との会談)

 タノン大蔵大臣は、本議員団が訪問する僅か1月前の6月21日に就任した。折からのタイバーツの急激な下落という事態の中で、訪問日程の調整が難航した。

 タノン大蔵大臣は、「1人当たりGNPが3千ドルを超えると円借款が中止されるのは残念であり、また、日本の来年度のODA予算が10%削除されるという議論は聞いている。」と述べたが、タイは未だ発展途上にあり、「必要な援助が削除されると発展の潜在力がなくなる。もし1~2年タイへのODAの削除を先延ばししてくれると、人々の生活は更に良くなるだろう。」とODAの低下に懸念を示した。

 本議員団は、「我が国は極めて厳しい財政状況にあるが、現行の援助の水準を維持するよう様々な形で知恵を出して、政府側の対応を促していきたい。」と答えた。


3.シンガポールにおける社会資本の整備状況の視察

 シンガポールは、既に相当の経済発展を遂げている(1996年の1人当たりGNPは2万6,266ドル)ことから、我が国は、資金協力は実施せず、技術協力を薦めてきているが、99年度以降は技術協力も行わない方針をとっている。96年度の技術協力は3億円、96年度までの技術協力の累計額は208億円である。

 本議員団は、シンガポールにおいては、高度な社会資本整備の充実が図られている空港・高速交通網・港湾等の整備状況を視察した。以下、現地視察の概要を報告する。

 7月25日、バンコクからシンガポールへ降り立った直後、「チャンギ国際空港」を視察し、MRT(地下鉄)に乗車して「大量高速輸送機関」の一端を体験した。翌26日、「シンガポール湊」を視察した後、港湾局の会長であるヨー・ニンホン博士と会談した。                        

(チャンギ国際空港)

 チャンギ国際空港は、1975年に建設に着手され、1,500億円の経費と6年の歳月をかけ、81年に24時間空港として開湊した。開湊して以降、政府のオープンスカイ政策により、ハブ空港化を目指している。空港全体の年間旅客処理能力は3,500万人と、従来の2倍以上に拡大され、アジア・太平洋地域最大の規模を誇っている。また、2004年の供用開始を目指して第三旅客ターミナルプロジェクトが進行中である。

(大量高速輸送機関)

 MRTに乗車した。車社会の交通渋滞緩和のため大量高速輸送機関として1987年に開通したものである。初乗り区間60セントで、乗車券には乗降の制限時間が設けられている。ホームには、車両のドアと連動して開閉するドアが設置されており、また、ホームは中央から線路寄りに向かって高田めに傾斜角度がつけられているなど、安全性を考慮した極め細かい配慮がなされている。車窓から見る風景は、高層の集団住宅と建設工事現場であり、経済成長著しいシンガポールを象徴するものであった。

(シンガポール港)

 港湾地域に入ると、幾層にも積み重ねられたコンテナが我々の目を引いた。シンガポール港は、世界の380以上の船会社により、580以上の港と結ばれている。1996年には、11万7,723隻(前年比13%増)、76億8,500万GRT(前年比8%増)の船舶が寄港し、隻数・トン数ともに世界一である。また、コンテナ取扱量、貨物取扱量でも香港に次いで世界第2の規模を誇っている。

 シンガポール政府は、1995年に、港湾局を2年以内に民営化するとの方針を打ち出した。これを受け、本年8月に民営化法が国会で成立し、本年10月1日から民営化される運びとなっている。これにより、港湾局は、政府機関から、政府を唯一の株主とする株式会社に衣替えされる。

 港湾局にヨー・ニンホン博士を訪ねた。ヨー博士は、80年代初め交通関係大臣就任中に将来の港湾局の民営化を決定し、それを確認するために94年に港湾局の会長となった。博士によると、「港湾局の財政状況は好調で、海外においても20以上のプロジェクトを実施中である。3カ月後に株式会社化されるが、50億米ドルの投資により、現行の3倍規模の港湾を構築することが内閣決定されている。」と言う。

 資源のないシンガポールにおいて、物流基地の機能強化に力を入れている姿には確かな国家経営戦略が見てとれた。


4.インドネシアにおけるODA案件の視察

 インドネシアは、我が国と歴史的・経済的・政治的に密接な関係を有すること、我が国の海上輸送にとって重要な位置を占めており、石油・ガス等の天然資源供給国となっていること、今後とも同国には多大な援助需要が見込まれること等から、これまですべての援助形態において積極的な援助が実施されてきた。その結果、我が国の2国間ODAの受取国として、1996年の実績は第1位、96年までの累計も第1位となっている。

また、インドネシア側から見ても我が国は最大の援助供与国(2国間ODAの1995年占有率は68.5%)となっている。

 本年7月に開催された対インドネシア支援国会合においても、環境・社会基盤整備を中心として、総額2,137億円の支援策が決定されている。

 援助実績は、1996年度、有償資金協力1千900億円、無償資金協力71億円、技術協力115億円であり、96年度までの累計実績は、有償2兆9,565億円、無償1,595億円、技術協力1,842億円である。

 以下、現地視察の概要を報告する。

 首都ジャカルタに入った後、かつての首都であるジョグジャカルタ、第二の商都スラバヤを訪問し、ジャカルタに戻った。7月27日、ジョグジャカルタで、「ボロブドゥール・プランナバン国立史跡公園建設事業(有償)」を視察した後、国際協力事業団の派遣専門家及び青年海外協力隊員と懇談した。28日には、「砂防技術センター(無償及びプロジェクト方式技術協力)」を視察した。

 また、28日、スラバヤで、「ストモ病院救急医療(無償及びプロジェクト方式技術協力)」を視察し、翌29日、「グレシック火力発電所(有償)」を視察した。29日、ジャカルタで、「漁港整備事業及び魚市場整備事業(有償)」を視察した他、ギナンジャール国土開発企画庁長官と会談を行った。

<ジョグジャカルタ>ジャカルタから空路1時間のジョグジカルタは、中部ジャワに位置する。ジャカタルに次いで人口密度は高いが、のどかな田園風景と山並みが続く。

(ボロブドゥール・プランナバン国立史跡公園建設事業)

 ボロブドゥール寺院もプランナバン寺院も巨大な宗教遺跡として訪れる人を圧倒するが、資金協力による周辺の公園整備によってより多くの人を引きつけている。

 ボロブドゥール・プランナバン国立史跡公園建設事業は、宗教的文化遺産であるボロブドゥール寺院及びプランナバン寺院の保全を行うとともに、観光地としての価値を高めることを目的として、両寺院を中心に公園とその関係施設の整備を行ったものである。供与額は32億円で、1988年に完成した。

 事業完成後においては、海外経済協力基金による援助効果促進業務を通じて、公園公社の運営管理に係る調査の実施・改善計画の策定が行われ、公園運営の改善が図られた。

 ジョグジャカルタで、国際今日陸事業団の派遣専門家や青年海外協力隊員と懇談した。文化財保全、ラジオ・テレビ包装技術、砂防技術の専門家であり、さらにはソフトボールの指導に当たる協力隊員である。

 技術協力の在り方について、技術移転のみならず、政策上の支援が必要であるとの意見があり、また、事業団からは、援助案件の選定に当たって複数の案件から適切な案件の選定を行ための事前の現地調査の必要性という指摘もなされた。

(インドネシア砂防技術センター)

 インドネシアは火山大国である。129の活火山があり、火山活動による火砕流や火山で慰留等により引き起こされる災害によって多大の被害を被ってきた。

 このような状況の中で、我が国は、1982年より90年まで「火山砂防技術センタープロジェクト」を実施した。86年には、無償資金虚力により、同センターの施設整備と関連機材の供与がなされ、約200名以上の火山砂防技術者が養成されている。

 一方、近年、非火山地域においても、土砂災害による被害の危険も増大したため、協力対象を一般砂防・地滑りに拡大し、実戦的な災害対策と災害予防対策の技術水準の向上を目的として、1992年より97年3月まで「砂防技術センタープロジェクト」を実施した。このプロジェクトにより約400名の砂防技術者が養成された。

 「火山砂防技術センタープロジェクト」への供与額は15億円で、72名の専門家が派遣されている。

 「砂防技術センタープロジェクト」は、本年3月31日をもって終了したが、インドネシア側からの強い養成によって個別専門家1名が派遣され、2年間の任期で砂防技術に関する補足的な技術指導を行っている。このプロジェクトによって技術移転がなされた技術者のレベルは向上してきており、公共事業省関係の他の事業現場からの砂防関係技術指導の依頼も増大している。また、センターには、大学・民間コンサルタントからの研修生もおり、センターの砂防ダム・植生・山腹工を含めた砂防技術は高く評価されている。

 センターの所長は、南南協力はインドネシアの政策であり、砂防の南南協力を推進していきたいと延べ、第三国研修について次のように語った。

 第三国研修は、本年で5年目を迎えた。本年は第三国から10名の技術者を集め、1か月間の研修を行う予定である。国際協力事業団は、昨年度3,100万ルピア(約150万円)の援助を行ったが、インドネシア側も経費を負担している。

 また、我が国から派遣されている専門家は、インドネシアは災害の多発地域で蟻、今後の災害対策として、日本の高度な技術を理解する専門家を養成・人材の育成が急務であると述べた。我々は、砂防対策とともに水害対策も行うべきだとの意見を述べたところ、所長は、インドネシアにおいては、河川の上流域で森林省が植林による侵食対策を行っていると答えた。

<スラバヤ>東部ジャワに位置するスラバヤは、ジョグジャカルタから空路僅か40分の所にあるが、インドネシアにおいては国内航空機の遅延・欠航が少なくなく、我々がジョグジャカルタから搭乗の予定であった航空機も遅延した。

(ストモ病院救急医療)

 スラバヤを中心とする東ジャワ州においては、経済発展に伴う産業事故や交通事故が増加携行にあり、救急医療の必要性が高まっている。こうした中で、インドネシア政府は、ストモ病院の救急医療部門を拡大するため、我が国に無償資金協力として救急医療棟の建設及び機材供与を養成し、また、救急医療部門スタッフの能力向上を目指したプロジェクト方式技術協力を養成してきたものである。供与額は30億円となっている。

 協力期間は1995年2月から2000年1月までで、本年7月までに我が国から長期専門家9名、短期専門家15名が派遣されている。今後は、現場医療従事者への技術移転のみならず、現地の行政組織への救急医療面での政策的助言を行うことが検討されている。

 本議員団は、ストモ病院への派遣専門家4名と懇談した。彼らは、病院の運営について、ハードとソフト両面の整備が必要であるが、とりわけ、病院を「誰がどう運営していくかという知識」や救急医療が必要な現場への医師・看護婦の派遣の方法等ソフト面の改善が求められており、その意味では人材の育成が急務であると述べた。

(グレシック火力発電所)

 火力発電所は、スラバヤ市北西20キロの臨海地に位置し、市内から車で30分程度の距離にある。発電所への道は舗装されてはいるが、いわゆるでこぼこ道に近い。

 グレシック火力発電所への資金援助は、商工業の振興によって増大する東部ジャワ地区の電力需要に対処するため、4機の発電所の建設、送変電設備の整備を目的としたものである。1号機、2号機は1981年、3号機、4号機は88年に完成したが、その後、稼働効率向上のため3号機、4号機についてガス化事業が行われ、燃料コストの削減が図られた。供与額は、4機の建設費及びガス化事業をあわせて752億円に上る。

 発電所の所長によると、従業員は695名、資産は6万4,883万米ドルに上り、電力供給の占有率は、ジャワ島全体の20%、東部ジャワの66%に達するという。

 本議員団は、火力発電所の建設に当たって住民との摩擦はなかったか、すなわち、摩擦があるとすれば日本が資金援助を行ったことがその遠因になるのではないかと質したが、所長からは「住民からの抗議はなかった。」と明快な答えが返ってきた。

<ジャカルタ>ジャカルタは人口900万人にで、東南アジア最大の都市であるが、空港から市内へ向かう道の両側には水田風景が広がる。

(ジャカルタ漁港及び魚市場整備従業員)

 ジャカルタの魚市場は夜に開かれるため、本議員団の視察は午後11時半近くにまで及んだ。

 この事業は、ジャカルタ漁港の整備を行い、漁業振興及び水産物貿易の増大を図ることを目的として、第1~第3期工事が実施された。漁港、魚市場は1984年に完工したが、排水処理施設等が未整備であったため漁港内の衛生レベルが低く、改善の必要があった。また、鮪を主とした水揚げから輸出までの流通改善が必要であるとして、第4期工事が実施されている。供与額は第1~4期を通じて127億円である。

 漁港の所長は、ジャカルタ漁港はインドネシア最大の漁港であり、その整備計画について途中見直しが必要となったが、他にもビトン・ベラワン・シボルガ・サバンと整備を必要とする漁港があり、これら漁港整備についても「日本の資金援助をいただけると有り難い。」と延べ、我が国のODAに期待を寄せた。

(ギナンジャール長官との会談)

 インドネシアの国土開発企画庁長官であるギナンジヒル氏は、日本への留学経験を持っている。落ち着いた物腰で我が国との関係を語った。

 ギナンジャール長官は、本年7月の対インドネシア支援国会合における我が国の積極的な支援策に感謝の意を表した。これまでの我が国のODAについて、特に農業技術分野、医療分野、釈迦的基盤整備の分野での貢献を高く評価した。一方、インドネシアの一人当たりGDPは今や1,100ドルを超えたが、人口2億2千万人のうち11%が貧困であり、今後も日本の支援が必要であるとして、政治・社会・経済の各面で我が国と緊密な関係を築いていきたいの希望を述べた。

 本議員団は、我が国の財政は逼迫しているが、インドネシアにおける貧困の克服等社会基盤整備の重要性は認識しており、知恵を出して貴国の要望に応じたいと答えた。


5.マレーシアにおけるODA案件の視察

 マレーシアも、我が国経済協力の重点国の一つと位置付けられ、環境保全・貧困撲滅と地域振興、人材及び中小企業の育成等の分野で積極的な援助が行われてきた。しかし、近年の経済成長を背景に援助額は減少している。同国は、我が国の2国間ODAの受取国として、1996年までの累計では第11位となっているが、96年の実績は第165位と大きく後退している。また、有償資金協力については、円高による債務負担増への懸念から、当面は新規の借款は求めないとの方針が同国より打ち出されている。

 援助実績は、1996年度について、有償資金協力ゼロ、無償資金協力1億円、技術協力38億円であるが、96年度までの累計実績は、有償6,463億円、無償112億円、技術協力746億円である。

 以下、現地視察の概要を報告する。

 7月30日 首都クアラルンプールでシニア海外ボランティアから技術指導の説明を受けた後、翌31日、サラワク州のクチンで、「サラワク総合病院救急医療(プロジェクト方式技術協力)」及び「サラワク木材有効利用研究計画(プロジェクト方式技術協力)」を視察した。最後に、「ワイルドライフリハビリセンター」を訪問した。

<クアラルンプール>空港から都心へ向かうハイウェイは整備され、緑の多い町中に超高層ビルが聳え立つ。

(シニア海外ボランティアとの懇談)

 シニア海外ボランティアから技術指導の説明を受けた。マレーシア国立オイルパーム研究所において、1995年から97年までの2年間、油脂化学の分野で指導を行っている。

<クチン>クチンは、クアラルンプールから東へ空路2時間のサラワク州(ボルネオ島)に位置する。木材生産地らしく、山と樹木に囲まれた緑豊かな町である。

(サラワク総合病院救急医療)

 サラワク州は、人口約200万人、医者の数約400名で、医者は人口5千人につき1名の割合である。

 サラワク総合病院救急医療プロジェクトは、サラワク総合病院・救急部を拠点とした救急医療体制の強化を目的として、救急部の機能強化・救急医療技術の指導・サラワク州の救急医療従事者育成のための教育課程の開発の3点を重要目標としている。

 協力期間は、1992年8月から97年7月までの5年間である。5年間に延べ24名の医師が派遣されており、看護要員を含めた長期派遣者は12名、短期派遣者は32名である。

 本議員団が面談した派遣医師は脳外科医で、3年間技術指導を行っている。同医師によると、赴任した1992年当時、サラワク州に脳外科医は一人もいない状態で、救急車もなかった。その後、医師や看護婦の緊急医療教育訓練を行い、緊急医療体制は整備されてきている。日本にも研修員を送っているが、日本では、研修期間中、実地の手術・臨床が不可能であり、実のある研修ができないとの意見を述べた。

 本議員団が病院を訪問した日は、奇しくも協力期間の最終日の7月31日であり、技術指導を行った医師は任務を終えた安堵感に満ちていた。しかし、院長や関係者は、我が国からの技術協力が終了した後の不安を口にし、我々に継続的な技術支援の要請を行った。                        

(サラワク木材有効利用研究計画)

 サラワク州は世界でも有数の木材生産地域であるが、近年過剰伐採が指摘されている。マレーシア木材関係収入を確保するためには、木材利用技術を向上させることが必要であるとして、我が国に技術協力を要請した。

 協力期間は、1993年4月から98年3月までの5年間である。現在4名の専門家が業務に従事しており、これまで、我が国から国際協力事業団を通じて長期専門家10名、短期専門家18名が派遣されている。

 センターの所長は、我が国のODA予算の削減の議論については承知しているとしながらも、センターへの技術協力は依然必要であり、今後も日本の援助をお願いしたいと更なる我が国の協力を要請した。

 我々も協力期間が5年では短いとの感想を持ち、技術移転による専門家の育成の難しさを感じた。日本人の専門家が帰国した後の機材の維持・補修についても、所長は「難しい。」と延べ、5年という技術協力の期間に些か疑問を感じた。

(ワイルドライフリハビリセンター)

 センターでは、青年海外協力隊員としての任務終了後、マレーシア政府に請われて、再度当センターで働く青年から説明と案内を受けた。


6.おわりに

 本議員団の主たる目的てあるODAの実情調査については、具体的なODA案件の実施状況について、訪問国の首都のみならず、地方都市にまで足を伸ばし、現場の実態を目で確かめ、関係者の生の声を聞くことができた。国会からの派遣議員団が初めて足を伸ばした地域もあり、極めて有意義な視察ができた。こうした現地視察を通じて、まさに開発途上にある国々のODAに関して、現場は一層の援助の充実を望んでいるというと、また、ODAが有効に生かされるためには、受入れ側における運営システムの確立等ソフトの整備と人材の育成が重要であることを痛感した。

 ODAは、我が国の重要な外交手段として年間1兆円を超える額が供与されている。しかし、現在の厳しい財政状況の下で、その効果的・効率的使用の在り方に国民の強い関心が集まっている。そうした中で、政府は、去る6月、「財政構造改革会議」の報告を受けて、来年度予算においてODAを10%削除する旨の格技決定を行った。

 このような状況を踏まえ、ODA予算の在り方、その効果的・効率的運用の在り方について、今回の視察を通じて得た知見を生かしながら、今後国会審議の中で論議していくこととしたい。

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