(現地調査期間:1996年9月28日~10月9日)
■神戸大学客員教授 多谷 千香子
<評価対象プロジェクト>
プロジェクト名 | 援助形態 | 協力年度、金額・年度 | 協力の内容 |
林業普及計画 | プロジェクト方式技術協力 | 1991年7月~1994年7月 | 森林破壊の激しいネパールの環境を保全するため、日本の技術協力により、林業普及についての体制設備、ニーズ調査、モデム計画の策定を行う。 |
淡水魚養殖振興計画 淡水魚養殖計画 |
無償資金協力 プロジェクト方式技術協力 |
90年度、2.98億円 1991年度、2.01億円 1991年11月~1996年10月 (フォローアップ協力) 1996年11月~1998年10月 |
ネパール国民の動物性蛋白質の摂取量を増加させるため、日本の無償資金協力及び技術協力により、養殖技術を改善し種苗を安定的に供給する。 |
(1) 歴史
ネパールが統一されたのは18世紀で、それまでは小さな王国が拮抗して対立していたが、1768年、現在のシャー王朝によってカトマンズを首都とする国家が建設された。しかし、シャー王朝200年あまりの歴史も必ずしも平穏ではなく、1845年からラナ将軍家による専制政治が約100年続いた。その後、1951年、インドのネール首相の調停によって、王制に復古し、バンチャヤット制と呼ばれる独特の国王親政・長老体制がとられてきた。バンチャヤット制の起源はインドにあるといわれ、政事を行う際5人の長老が集まって相談したのがその始まりで、Village又はTown、District、Nationと、順次、間接選挙により議員が選ばれるもので、Panchayat Democracyとも呼ばれる。しかし、民主化運動により1990年に主権在民・複数政党制を定めた憲法が公布され、コングレス党、共産党の各政権を経て、現在はコングレス党を母体とした連立政権が統治しており、1992年11月以降、大幅な行政組織の簡素化・地方分権化がおこなわれている。
(2) 地理・人口
ネパールは、北海道の約2倍の面積を有し、北はヒマラヤ山脈を境にして中国チベット自治区に、南みインドにはさまれた内陸国である。伝統的に非同盟中立主義を掲げているが、地理的・経済的にインドに喉元を押さえられた状況にあり、貿易の相手国は、輸出入ともに70%前後がインドで、インドとの政治・外向的友好関係はネパールの生存にとって不可欠である。天然資源に乏しく、国土の83%が山岳・丘陵地帯で、北方の山岳地帯は標高5,000メートル以上で8,000メートル級のエベレストなど7つの峰々を擁し、中部山岳・丘陵地帯は標高600~5,000メートルで年間雨量約3,000ミリの寒冷な気候地帯であり、カトマンズをはじめとする諸都市・集落、段々畑などネパール特有の景観を呈し、南方のタライ平野は標高300メートル前後の洪積層地帯で年間雨量2,000~2,500ミリの亜熱帯気候地帯であり、インドとの国境に幅25~32キロにわたって帯状に広がる(国土の17%の面積を占める)ネパールの穀倉地帯であるが、山に分断されて東西の交通の便が悪い。
ネパールは、人口過多(19.9百万人……1994年世銀アトラス)で、増加率(2.6%……1985~1992年平均、1994年世銀アトラス)も高い。一人当たりGNPは170ドル(1992年)である。ネパールの人口分布は、中部山岳丘陵地帯に比較的集中しており、約47.7%が住んでいる(中部山岳丘陵地帯の約10%が耕作可能地である)。タライ平原はネパールの耕作可能地の3分の2を占める穀倉地帯であるにもかかわらず、歴史的にインドからの侵入を度々受けてきたため、人口分布は比較的閑散で約43.6%にすぎない。ネパールは、人種的にもタライ平野に多いインド・アーリア語族(バフン、チェトリ、マイティリー、ポジプリ、タルー)と中部山岳・丘陵地帯に多い蒙古系チベット・ビルマ語族(ネワール、リンブー、ライ、タマン、チベットなど)との接合地点である。前者は少数者であるが、上級カーストで、政治・軍事・官庁の主要ポストを占め、後者は多数者で、商業・サービス業・農業牧畜などに従事している。ネパールの国語はネパール語であるが、40前後の民族語があり、ネパール語は実際の日常生活では総人口の約半数が使用しているにすぎない。
ネパールの各地方は、このように各地が地理的に分断されているうえ、人種的にもそれぞれ固有の文化・歴史・宗教(国教はヒンドゥー教で、ヒンドウー教徒は89%、仏教徒は7.5%、イスラム教徒は3%)を有して混在しており、地域性が著しい。
(3) 産業
主要産業である農業はGNPの約6割を占め、農業人口は約9割である。野菜・果物の種類は豊富で、熱帯産のパパイアからリンゴ・ナシに至るまである。耕作に適する土地が少なく農業生産性は低い。主要な工業産品は既製服、カーペット、皮製品であるが、いずれもインドの下請け家内工業的なものである。
(4) 開発・援助
ネパールの国家予算の総額は、約700億円で、これは、東京都調布市の1992年度一般会計の歳入にほぼ等しい。しかも、国家予算の約40%は、外国からの援助・ローンで、慢性的赤字構造を呈し、援助慣れした行政の体質がある。国家予算の約7割は、開発予算に向けられており(ただし、開発予算の約7割を外国援助で充当)、その中でも道路・橋の建設に全予算の17.8%、電力開発に11.7%(いずれも1979年度予算)が当てられ、人口の81%が文盲であるのに教育予算は6.3%にすぎない。
我が国は、1980年以来、1988年を除き、ネパールに対する最大の二国間ODA供与国で(我が国は、1991年以降、毎年約100億円を供与しており、ネパールが受け取る二国間ODA総額の約45%を占める。1993年実績で2位のドイツ、3位のアメリカなどは、我が国供与額の約20%にすぎない。1996年10月現在青年海外協力隊員の数は60名にのぼり、パラグアイとならんで最も多い)。我が国供与額の大部分は、無償資金協力・技術協力(1994年実績では97%)である。協力の分野は、農業、保険・医療、居住環境などの社会インフラが中心であるが、ネパールがLLDCであることに鑑み、運輸・通信、電力などの経済インフラについても無償援助を実施している。
その他、我が国の対ネパール援助の重点分野は、人材資源開発、環境などである。
(1) 協力の背景
農業は主要産業で(GNPの約6割を占め、農業人口は約9割)、耕作に適する土地が少なく農業生産性も低いため、貧困・人口増を天然資源の収奪的利用・傾斜地などの新たな開墾に頼っており、過放牧・過耕作・薪炭採取による森林破壊が著しい。カトマンズからポカラに至る上空からみてもネパールの人々が丘と呼ぶ4,000メートル級の山々は、あるいは山頂まで段々畑が連なり(もっとも、ネパールの人々は、病害虫をきらって山頂に住み、耕作地を広げてだんだん麓の方まで耕すそうである)、あるいは草が一面に茂っていて樹木は見当たらない。山々の所々に黒々とみえる斑点は、実は雲の影にすぎないのである。森林破壊は、ネパール国内及び下流のインド・バングラデシュに洪水などの自然災害をもたらしているほか、土壌流出・水質の悪化など深刻な事態を招いている。森林の保全は、全世界が取り組むべき地球環境問題であるが、ネパールにとっては、それ以上に、その生存をかけた喫緊の課題なのである。ネパール政府もこのような認識に基づき、「林業部門マスタープラン」(1989~2010)を策定し、外国援助機関に対しては、従来のようなプロジェクト毎の支援にかえて同マスタープランの各分野毎の支援を求めてきた。我が国に対しても林業研究普及分野への支援を要請してきたのが本件援助に至る背景である。
(2) 調査結果
(1) 協力の背景
ネパールにおける国民一人当たりの年間動物性蛋白摂取量は、1985年当時、7.5キログラム(そのうち0.8キログラムが魚介類)で、非常に低い(我が国の摂取量は100キログラム、そのうち魚介類は40キログラム)。ネパールでは、牛、水牛、ヤギ、羊などの家畜数合計は、総人口に匹敵するともいわれているが、粗放的生産で生産性が低いのみならず、無秩序な放牧は森林破壊の原因となっており、牛は宗教上の理由で乳しか利用されず利用効率が悪い。そのため、ネパールでは、漁業生産を高めることが国民の栄養状態の改善に必要であって、主に南部のタライ平原において、亜熱帯気候とため池を利用した粗放的な養殖漁業が行われ、養殖魚生産を1975年の500トンから1985年の2,500トンへと飛躍的に増大させてきた。しかし、タライ平原の養殖可能水域面積5,000ヘクタールのうち4,500ヘクタールがすでに開発され尽くされており、他方、利用可能な天然水系は、401,500ヘクタールもの膨大な面積を有して主に中部岳陵地帯に未開発のまま残っている。そこで、ネパール政府は、第7次、第8次の5ヵ年計画をたて、第8次5ヶ年計画1990~1994においては、第7次5ヶ年計画1984~1989に引き続いて、タライ平原におけるため池養殖魚生産拡大を追求のほか、ポカラなど中部岳陵地帯において、新たに水産業を振興し、同計画終了時までに国民一人当たりの年間魚介類消費量を1.2キログラムにすることを目標とした。
ポカラなど中部岳陵地帯は、寒冷な気候のもとにあり、湖・河川など天然水系が豊かな自然環境を有する。同地方においては、1961年にLake Fisheries Development Centreが開設され、翌年にはUSAIDの援助で孵化場が建設され、それ以降も、FAO/UNDPの技術協力が行われて養殖魚業の振興が図られてきた。FAO/UNDPの技術協力については、JOCVが協力を行い、漁獲量の増大にともなう魚の減少をくい止めるべく、在来魚の人口種苗生産に取り組み、試験的規模ながら成功をおさめた。また、親魚を養殖するための網生け簀養殖、及び湖沼・在来魚の調査・研究においても成果をあげてきた。
ネパール側は、中部岳陵地帯の魚増産のネックになっているのがタライからの種苗供給不足であることと、従来のJOCVの活動の成果を踏まえ、我が国に対して、ポカラ及びゴダワリに水産研究センターのなどの建設(無償資金協力)と淡水魚養殖などの技術協力を要請してきた。
我が国は、ネパール側の要請を受けて、1989年プログラム形成調査団を派遣し、1990~1992年にポカラ及びゴダワリに、施設建設を行い(ベグナス種苗センター・フェワ漁民研修施設・ルパ出荷検量小屋・ゴダワリ水産開発センター)、本プロジェクトは、この無償資金協力(水産無償5億円)を追うような形で、かつ、JOCVの活動をふまえ、これを発展・充実・強化するために実施されたものである。
(2) 調査結果