4.1 日米コモン・アジェンダおよびGIIとは何か
「地球的展望に立った協力のための共通課題(日米コモン・アジェンダ)」は、1993年7月に、日米の政治的・経済的パートナーシップの一環として、地球的規模の課題に共同で取り組むことを目的として発足した。日米コモン・アジェンダは、4つの柱を軸としており、その1つが「保健と人間開発の促進」であった。また、これら4つの柱の下、経済および開発分野で18のイニシアティブが対象となり、このうち2つが、「人口・健康」と「新興・再興感染症(特にHIV/AIDS)」という保健関連イニシアティブであった。
1993年以前は、両国とも保健関連分野における活動支援は政府開発援助(ODA)の一部に過ぎなかったが、この合意により重点対象国における連携した活動が促進されることとなった。発足当初は不明瞭であった日米コモン・アジェンダの「人口・健康」イニシアティブの目的も、特に実務レベルにおいて明確化され、非公式にも以下のような方向性が認識されるようになった。
人口・健康分野において、地球規模や国レベルでのプログラム・プロジェクトの計画、実施および評価において、日米間の様々なレベルでの協議や協力の機会を増やすことにより、日米両国のODAのインパクトを最大化する |
日本は94年2月に「人口・エイズに関する地球規模問題イニシアティブ(GII)」を発表し、1994年度から2000年度までの7年間にODA総額30億ドルを目処に、開発途上国に対し、積極的な協力を推進していく旨を表明した。このイニシアティブは、日米コモン・アジェンダで示された「人口・健康」とHIV/AIDSといった特定の保健分野におけるODAプログラムへの資金配分に呼応したものだった。米国もまた、日米コモン・アジェンダに応じて、同期間に人口と保健分野へおよそ90億ドル供出することを決定した。94年から2000年までに、日本がGII関連分野で実施した協力実績数は約50億ドルであり、日本は当初の予算レベルを約20億ドルも上回るものとなった。また、GIIはODAに日本のNGOがより積極的に関与していける道を開いた。
GIIも日米コモン・アジェンダも2001年に終了したが、多数の外部者にとっては、GIIと日米コモン・アジェンダの関係は依然として不明瞭なままである。日本側にとっては、GIIは優先事項を実施していくための内部的なツールであり、日米コモン・アジェンダはODAのうち米国との相互活動に関わるものであった。米国にとっては、日米コモン・アジェンダは日米の二国間援助の連携に関わるものであったが、GIIはほとんど理解されていなかった。この章では、日米コモン・アジェンダは、両国のODAにおける政策や活動が重複している部分を指すものとする(下図参照)。
なお、日米コモン・アジェンダおよびGIIは2001年に終了したが、保健分野での将来のODAイニシアティブやプロジェクトにおける連携の方法について、日米間の対話は続けられている。