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2. エジプトの水供給事情と開発政策

2.1 エジプト(大カイロ圏)水供給と下水道整備の現況

 エジプトの古くからの諺に“ナイルの水を飲んだ者は再びナイル(エジプト)戻る”ということわざがある。エジプトの魅力に捕りつかれた有名な若い考古学者は、今から30年ほど前に必ずや再びエジプトに戻りたいと切望し、諺を信じてナイルの水を飲んだ。その結果は、死にかけるほどひどい感染性の下痢を経験したが、偶然にも九死に一生を得て帰国した。その人は日本人で今や世界的なエジプト考古学の権威者にもなった早大の吉村作治教授であることを彼の講演会の対話で知った。さらに、エジプト滞在中のご注意(在エジプト日本国大使館:H14.02.03)の最初に、“一流ホテルといえども、水道水は飲まずミネラルウォータをオーダーして下さい”、その他“ナイル川及びその支流と運河には、住血吸虫がいますので決して入らないようにして下さい。外出後は必ず、うがい、手洗いをして下さい”と明記してある。今日までのエジプトの水事情がどのような環境にあるかを身近に計り知るには十分であろう。
 “エジプトはナイルの賜物である”、といっても現地のカイロ市民でさえナイル川の水を直接に飲んだりしたりはしない。一般に中東地域の河川の水は透明であっても住血吸虫や雑菌が混在していて極めて危険なため、紀元前から人々は経験的に飲料水は湧水か地下水に依存してきた歴史がある。河川の水を安全な飲料水として利用するためには砂濾過技術と水圧を加えた送水パイプシステムを組み入れた近代上水道技術がヨーロッパで確立された19世紀以降のことである。はたしてナイル川の水を直接に飲んでしまった結果の下痢か、カイロ市内の水道管の老朽化と水圧不足(負圧)による水道管に汚水を引き入れることによる水質汚染による下痢かは分からないが、ここにカイロ市内の上水下道整備の構造的な問題と課題の構図が見え隠れしている。
 エジプトの国家経済基盤の基本指標に示されるように(表-1 参照)、アラブの大国(盟主)であることはまちがいなく、産油国を除けば1人あたりの GDPが1,250US$ (1997)と決して低くはない。中東地域における国際政治の一つの要と世界から認められていることから、米国を始めてとする西欧諸国からの手厚い援助合戦が継続するなかで、最近の無償資金協力を主軸にした水道インフラ整備プロジェクトに対する日本の援助の存在も際立っている。

表-1 エジプト国家経済の基礎指標


面積 99.8万km2
人口 6,605万人(1998)(カイロ679万,ギザ 478万,アレクサンドリア 333万)
人口増加率 1.86%(1998年)
人口密度 66人/km2 (都市部 45%, 農村部 55%)
識字率 全体 51.4% (女性 38.8%, 男性 63.6%)
宗教 イスラム教 (主にスンニ派) 94%, コプト教、他 6%
産業 第1次産業; 17.7%, 第2次産業; 31.8%, 第3次産業; 50.5%
国家財政歳 209億851万US$, 歳出:202億4905万US$ (1995)
国内総生産 (GDP) 756億472万US$ (1997)
1人あたりの GDP 1,250US$ (1997)


 エジプトはナイルの賜物であるが、アスワンハイダムから安定に取水できる水量555億m3に地下水取水量を加えたおよそ600億m3が、エジプトの使用できる水資源量の上限である。大半が農業用水に使用されている。都市用水には4%の約24億m3/年(650万m3/日)が割り当てられている。
 エジプトの人口は6,700万人、うち約1,700万人がカイロ首都圏に集中している。現在、ナイル川の右岸にカイロ県カイロ市、左岸にギザ県ギザ市があり両市と周辺を合わせた首都圏に約1700万人と首都機能が集中している、首都の上水道と下水道は国有であり、運営管理は首都圏一体として行われている。建設組織と維持組織は別であるが、大カイロ水道庁、大カイロ下水道庁と呼称する。
 ナイル川の両岸に広がる首都圏市街地の海面上の高さはわずか16~18m程度であり、地中海までの平均勾配は1万分の1程度でしかない。したがって地下水位の高い水はけの悪い低湿な土地がカイロ下流に広がり、約4,000万人が居住している。
 都市用水は2系統で供給されている、一つは飲料用上水道、もう一つは公園緑地へ散水する緑化用水道である。
 カイロ首都圏水道庁の給水人口は約1,600万人、1日平均の送水量は約570万m3である。うち98%はナイル川河川水を急速濾過方式によって処理した水で、約2%は地下水から補給されている。ナイルに面する市街地の上下流に13箇所の浄水揚があり、11カ所は本流の河岸から2カ所は分流された運河から表面水を取水している。浄水場での損失水量が多いので、ナイルからの取水量は620万m3程度と推測される。
 上流9カ国に1億数千万人が住むけれども、サッド湿原ならびにアスワンハイダムのナセル湖での滞留時問が長いので、ナイル川下流の下水性の汚染物質は分解安定化していると考えられる、アスワン(旧)ダム湖ならびにフラッシュ作用(洪水)の無くなったカイロまでの河道の富栄養化は進んでいるが、カイロでの異臭味は未だ顕箸ではない。しかし上エジプトと中エジプトにはルクソールほかの観光都市や集落がカイロ郊外まで連統しており、その下水は無視できない。
 浄水施設としては、フランス、チェコ、ドイツ、アメリカの援助になるさまざまな方式の施設が稼働しているが、なかでもフランスの脈動型高速凝集沈殿装置と空気・水併用洗浄方式の砂濾過池が多い。しかし、各浄水場から発生する沈殿汚泥ならびに濾過池洗浄排水は(違反行為であるが)無処理放流されている。
 配水区城は地盤高度により高区・中区・低区にわかれており、浄水場から直按圧送されている。ナイル河岸に近い場所、すなわち低い土地がオフィス街や高級住宅地になっており、20階30階といった高層住宅が建ち並ぶ口市内には毎日24時間連続給水されているが、周辺の高台や貧困層の居住地の一部では時間帯による水圧低下や断水が生じている。また各建物に受水槽の設置義務はなく、水圧低下時には配水管内から水を吸引して建物上層階に送る増圧ポンプの使用が野放しになっているが、配水管の漏水管理が十分ではないので、汚水の吸引の可能性が高く、給水の水質維持上で間題を抱えている、
 浄水場からの送水量を人口で除した値は、一人あたり1日340リットルである、しかし米国国際開発援助庁(USAID)は、カイロの不明水を80リットルが道路で漏水し、130リットルが家屋内で無駄に流れているので、実質的に使用されている水量は1人あたり1日130リットル(340-(80+130)=130)となる、老朽管を更新し漏水を減らすことは、末端の水不足を解消し、浄水場拡張工事を不要とし、収入を確保することにつながるので極めて重要である。しかしエジプトでは市民の暴動をおそれるあまりカイロ首都圏での公共料金の値上げを禁止しており、それでいて国家財政は苦しいので財政基盤の脆弱な組織では何の改良もなしえない。
 年間降水量25mm程度の強乾燥地帯では、灌概しない限りは草木も育たない。樹木や草花は都市環境を構成する重要な婁素である。カイロの緑化用水道は、ナイル川から取水した河川水を有圧の配管で直接市街地内の公園緑地に供給するもので都市美化局(Beautification Bureau)が管理している。散水も割かれていた上水道水の節約を図るため、1970年代以降整備が進められたものである。13箇所ある浄水場の約半数に緑化用水専用の取水ポンプが併設されており、配管延長数km、供給水量は日数万m3 程度と推測される(具体的な数値資料がなく聞き取り情報)。
 カイロの年間降水量は25mmに過ぎないため、道路面にも家屋にも雨水排水設備は全く考慮きれていない。ナセル革命後、カイロの飲料水状況改良のため共産圏諸国の援助により水道施設を増強するに伴い、使用後の汚水が家屋の周囲に溢れる状況が出現し、生活環境を悪化させていた。周辺市街地に残されていた農業排水路の水質は生活排水の流入によって極端に悪化したが、雨の降らないカイロではそもそも市街地からナイル川に出る排水路は無かったので、ナイル川の汚染をもたらすことは無かった。したがって西側(欧米諸国)の援助によって1980年以降に建設された下水道は、「ナイル川の汚染対策」という意味は全く持ち合わせず、もっぱら「市街地に溢れている生活排水を排除することによる生活環境の改良」に置かれた。現在でも下水排除施設は汚水管のみからなる。カイロ首都圏にはエジプトの人口の1/4に当たる1,700万人が集中し、ナイルの両岸には中高屑の住宅と商業ビルが集積立地している、これらのほぼ100%に水洗便所が普及している。
 ナイル川の右岸(カイロ市とカルベヤ県の一部)と左岸(ギザ市)の排水区はそれぞれ独立している。何れも下水は河川(ナイル川)とは反対側の後背地の方向へ排除しており、ナイル川下流には戻らない。かつては下水畑の悪臭に悩まされていたようで、市街地での処理水利用は考えられていない。したがって下水は5-40kmほど郊外の人里離れた砂漠まで流送されており、処理水は外周部の沙漠緑化に使用されている。カイロ大都市圏は後背の台地を除いてナイル河畔の低湿地に広がっているため、地表面勾配は緩く、下水はポンブで流送している。東岸排水区の幹線にあるアメリア中継ポンプ場が、地下30mに直径5mのトンネルで到達する下水を竪軸遠心ポンプ8台で地上部まで揚水している以外は、中継にも処理場場内にも揚程(水位差)5-7mのスクリューポンブ(アルキメデスポンプ)が多用されている。
 処理場は、束岸に4カ所、西岸に2カ所の計6箇所設けられているが、完成しているのは、東岸のベルカ処理場(60万m3/日)と西岸のゼネイン処理場(33万m3/日)のみである。処理方式はいづれも散気式(ヘルワンだけが衷面撹梓式)の標準活性汚泥方式であり、汚泥処理は天日乾燥方式から消化+機械脱水方式に移行しつつある。焼却方式のものはない、最大規模のガーベルエルアスファー処理場は、規模100万m3/日の処理場として汚泥消化槽も含めて一部が完成し供用されているが、300万m3/日への拡張が予定されている。東岸南部のアブラワッシュ処理場は、最初沈殿池のみの竣工で工事が中断されたまま供用されている。またヘルワン処理場はヘルワン地区の工場排水と住宅排水を合併処理する処理場であるが、最初沈殿池から最終沈殿池まで池数の4割程度しか出来ていないままに過負荷運転されている。
 処理水は二次処理水も一次処理水も全て専用潅概水路を経て沙漢緑化に使用されている。また汚泥は上壌改良材というか砂漠の砂への有機質添加材として用いられている。カイロ空港を北に飛び立つとすぐに都市周辺の砂漠との境界にガーベルエルアスファー処理場の後背地に造成されている広大な森林と農地が見渡せる。エジプトでは潅概された農地と水道の敷設された都市部は国土面積の4%のみで、残り96%は沙漢のままである。沙漢緑化にはWatering(水やり)の継統が不可欠であり、都市周辺で問断なく発生する下水処理水は格好の持続的水源である。沙漠は原則的に国有地であり立ち入りが制限されている。下水処理場白体が一部未完成のまま放置されているのに、1,700万人分の下水が毎日放出されているのだから、砂漢緑化といっても他人に見せられる状況に無いことは想像に難くない。アンモニア、硝酸塩、塩分集積、作物の生育瞳害、耐塩性作物選別、重金属集積など問題は多々あると、思われるが、惰報は一切公表されていないので知り得るべくもない。しかし下水処理水を農作物生産に供する場合の重金属濃度要件の基準を有しているので、林木や花卉栽培など食糧生産以外の用途が主体と一思われる。
 カイロ首都圏の下流は広大なデルタ穀倉地帯であり、乾燥地農業の宿命としての土壌への塩分集積を緩和するための排水施設整備が進められている、したがって下水を、処理水といえども、脱塩処理を施さずに農業用水路に放出するわけにはいかない。一方で、エジプトの水利用が水資源賦存量の限界まで使い切っている状況下で、失業対策、食料不足対策としての新規農地開拓に当てられる水が下水処理水、農業排水、工場排水しか残っていないことも事実である。エジプト水資源省の将来需給計画によると、下水処理水の再利用によって24億m3/年を生み出すとされ、農業省は塩分濃度3,000 mg/l までの農業排水は再利用する方針で排水再利用を推進している。

2.2 エジプト水分野開発政策

(1)エジプト政府水分野の開発政策

 砂漠の国エジプトの最優先の政策課題が、人口増加に対応して食料を増産させ人々に安全な飲料水を確保する水供給にあることは今日でも変わりはないが、唯一といってよいナイル川の水資源は極限までに開発しくつされており、限られた資源(水資源)をいかに有効に利用して持続的に管理していくかについて真剣に考えなければいけない時期に来ている。援助に求められているコンセプトが「開発のポリシー」から「マネージメントのポリシー」へと段階的に変わりつつある。
 都市のインフラ施設は本来、長期計画のもと主体的に整備されるべきだが、外国援助に依存して当座しのぎの部分的整備を積み重ねてきた結果として、カイロ首都圏では水道システム全体の間題が山積している。社会公共財を形成するための負担についての市民意識の啓発、惰報公開、住民意志決定過程の定着などが、社会墓盤整備を支えるための課題として不可欠である。暴動をおそれ、パンと水の料金の値上げには、踏み切ろうとしない「政治(補助金)主導」から「民間主導」へと変わるための施策、また、女性の参加という視点も重要である旨、そして、これらを踏まえ、自立的な管理(マネジメント)技術の統合を視野に入れてプログラムレベルでの評価を行う。

(2)水供給分野におけるドナーの援助実績

 水供給分野の援助は、カイロ市水道の原型をつくったといわれるフランスの技術協力から始まり、ナイル川を水源とする浄水場の建設、幹線導水管の敷設を経て市内中心部の給水ネットワークまでを整備した。第二次大戦後にカイロ市が急激に拡大する過程で都市水道整備が追いつかずに給水状況が劣悪な環境にあったため、イギリス、フランス、米国、チェコ、日本、ドイツ、イタリアから上下水道整備の援助を受けながら人口増加に対応する拡張工事を進めてきた。
 ナセル大統領時代の1960年代から社会主義的政策に転換する過程で共産圏のチェコ・スロバキアから有償援助(ソフトローン)を受けて水道施設のインフラ整備を進め、1960年代から1970年代にかけてはヘルワン・ノース浄水場、ギザ南部地区の整備を行った。
 サダト大統領時代から一転して西側寄りの政治姿勢に転じたため米国や欧米および日本の援助にとってかわった。カイロの水道マスタープランは1974-75年に日本(JICA)が有償資金協力にリンクした開発調査を行った。1972-1979年には米国(110百万$の無償資金及びローン)と英国が総合的な上下水道のマスタープラン、1987にはドイツ(GTZ)が管路網のマスタープラン、1990年には米国(USAID)が東岸地域のマスタープランの見直しを行った。すべての有償・無償資金協力はこれらのマスタープランに基づいて実施されている。
 米国国際開発援助庁(USAIDS)は、これまで多くの無償援助を行ってきており、実施方式としては、設計や監督はエジプトが行う方式である。その援助内訳の25%がソフト・ローン、75%がグラントであり、1984年から1988年の間はエジプトで最大の援助国だったが、1989年以降、水道事業への援助の新規案件の採択を止めている。これは、米国が受益者負担(エジプト政府の補助金政策の停止)による整備を唯一のコンディションとしたが、エジプト政府はこの条件を受け入れていない。「エジプトはナイルの賜物」・「水はただ」という文化と歴史を考えると、内政的な理由からも採算のとれる価格付けはは非常に困難で、構造改革にも手がつけられないまま様々な問題を山積させてきている。
 ドイツは、KfWを通じた資金協力をしており、大半が、利率2.5~3%のローンである。ドイツのコンサルタントが設計と入札準備を行うとともに、エジプトの建設業者の管理を行う。資金調達から設計と入札に至るプロセスにおいてはアメリカもほぼ同様のスタンダードを有している。エジプトの公共事業の70~75%は、“Direct Order"方式で行われており、費用は完成後に支払われる方式で、時間的には利点がある。一方、KfWでは、国際基準による競争入札による契約手順であるため時間がかかる。フランスは民間ビジネス面での貢献が主であり、政府によるローンも過去にはあったが、現在はほぼ完了している。水道事業民営化の最先鋭にあり、官民をあげて民営化プロジェクトを私企業化させる世界戦略をとっているため、有償援助は行う可能性はあるが水道整備事業に対する無償援助は殆どない。イタリアは、ロッドエルファラグ浄水場内に水道送水管理モニタリング・センターをグラントで1988年に建設、テレメータを1990年代はじめに整備している。
 1980年代に入ってから、欧米諸国は水道給水事業の無償資金援助から次々に撤退して、下水道・環境整備の協力に移行した。この最大の理由はエジプト政府がカイロの水道事業に対して著しい補助金政策を取りつづけていることにある。エジプト水分野の最大のドナーは米国であるが、興味深い点は上水(給水)プロジェクトには技術センターなどのキャパシティー・ビルディングに関与する無償援助程度で援助の大部分は環境衛生に関わる都市下水道整備に集中していることである。
 エジプトの現在の平均寿命は63歳に達しているが、数年前に米国国際開発援助庁(USAID)が、エジプトの衛生状況では発ガン物質生成の制御よりも水道による消化器系伝染病の抑制の方が社会的により重要で優先性が高いと判断し、塩素の運搬と注入の施設を援助した。そこでどの浄水場でも取水後、アンモニア分解を目的に5~mg/lの塩素が添加されている。
 2000年代に入ってからは、米国(USAID)が、エジプトのインフラ整備分野からの完全撤退を目指して貧困対策とリンクしたキャパシティー・ビルディングに援助の方向性を転換させているために、新規の社会基盤開発案件のコミットは皆無になっていることが判明した。
 世界銀行やINFの政府補助金をなくして水道事業独立採算性を重視する援助ポリシーに追従する他の欧米諸国もほぼ同じ傾向にあり、下水道・環境整備には無償と有償を組み合わせて総力をあげて積極的に取り組むが、水道整備には極めて消極的である。この隙間を突くかたちで突出したのが日本の水道援助で、1990年には無償資金協力の分野ではカイロ首都圏水供給分野の最大のドナーとなっている。

(3)我が国の水供給分野における援助実績と我が国援助に占める水供給支援の割合

 1980年代から欧米諸国が水供給分野から撤退を始め、都市下水道・環境整備分野に方向を転じていくなか、1990年代入ってからは日本がカイロ水道整備事業の協力を重点的に始め、無償援資金協力分野の殆どを独占する状態になった。 1992年から1998年の7年間にコミットした無償資金協力の総額は642.15億円で、単体プロジェクトではスエズ架橋117.52億円(1998年度供与)が最大である。カイロ水道整備関連プロジェクト(複数)は合計185.47億円で、総額の29%(スエズ架橋を除けば35%)に相当する(表-2 参照)。すなわち、1990年代のエジプトへの無償資金協力のうちの1/3程度をカイロ水道整備関連プロジェクトが占めていたことになる。

表-2 カイロ水道整備事業における無償資金協力 (1992-1998)

年次 プロジェクト名 金額
1992年 ギザ市モニブ地区上下水道整備計画(無償) 48.90億円
1993年 第2次ギザ市モニブ地区上下水道整備計画(無償) 15.27億円
1994年 第2次ギザ市モニブ地区上下水道整備計画(無償) 23.86億円
第1次アメリア浄水場施設改善計画(無償) 10.18億円
1995年 第2次ギザ市モニブ地区上下水道整備計画(無償) 15.62億円
第2次アメリア浄水場施設改善計画(無償) 5.25億円
1996年 第2次アメリア浄水場施設改善計画(無償) 16.29億円
第2次ギザ市モニブ地区上下水道整備計画(無償) 3.14億円
1997年 第2次アメリア浄水場施設改善計画(無償) 7.06億円
ギザ市ピラミッド南部地区上水道整備計画(無償) 19.95億円
1998年 ギザ市ピラミッド南部地区上水道整備計画(無償) 19.95億円
注)資料:JICA Activities in Egypt(1999年6月16日)


 プロジェクト技術協力は日本独特の援助方式で他国と比較するには難しいが、1997-2002年に実施されたエジプト水道技術訓練向上計画の総額は2.4億円である。米国は1990年代にキャパシティービルディングを目的とした水道水質分析管理センターの援助を行っており、国内で世界スタンダードの水質分析がカイロで可能となった。エジプトにおける水質分析能力の最初の基礎固めで人材育成にも貢献した良質の援助プロジェクトとして評価されている。その後、日本はエジプトの水質と大気の環境分析を担う人材を育成するためにカイロおよび地方8ケ所のラボラトリーに対して無償資金協力による施設および分析機材を供与、及びプロジェクト方式技術協力(エジプト環境モニタリングセンター:1998-2002)を実施し、環境分野での貢献を際ださせている。

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