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第2章 評価対象の外的要素

2.1 ODA中期目標からODA中期政策への転換

 わが国では、1977年より複数年にわたる供与額の目標を示した「ODA中期目標」を策定した。1954年のコロンボ・プラン加盟によって実質的にODA事業を開始した我が国は、1960年代から1970年代の経済成長とともに、その援助規模を拡大させていった。1970年代半ばには10億ドルを超え、世界的にみても援助国としてのプレゼンスは主要援助国に比肩するものとなっていた。
 一方、当時は対GNP比1%の資金移転と対GNP比0.7%のODA供与を目標として掲げた「(第二次)国連開発の10年」(1970年)にもみられるように、援助の量的側面がクローズ・アップされる傾向にあった。この様な流れを受け、我が国においても、積極的に時限と金額目標を定めたコミットを行い、対内的・対外的に発信していく必要性があるとの認識が強まっていた。
 この結果、我が国は、1977年5月の国際経済協力会議(Conference on International Economic Cooperation: CIEC)において5ヵ年で倍増を図る計画を発表し、その後目標期間を3ヵ年に短縮の上、1978年7月のボン・サミット宣言の中で表明することとなった2。これが第1次中期目標となり、以降、中期目標は策定の度に数値目標を掲げることとなった(図表2-1)。

図表2―1 日本のODA中期目標
  制定年 目標年次 中期目標
第1次 1977 1978-1980 年間14億ドルから28億ドルへ倍増
第2次 1981 1981-1985 5年間で107億ドルから214億ドルへ倍増
第3次 1985 1986-1992 年間38億ドルを倍増、7年間で400億ドル以上
第4次 1988 1988-1992 5年間で250億ドルから500億ドルへ倍増
第5次 1993 1993-1997 700-750億ドル、援助の無償化・アンタイド化
(注) 第3次中期目標は円高の影響もあり、完了を待たずして目標を達成したため、1988年に第4次中期目標が策定された。
(出所) 山下道子「日本のODA政策の現状と課題」(内閣府経済社会総合研究所「ESRI調査研究レポートNo.3」)、2003年、p12


 しかし、1997年3月に財政構造改革会議が決定した「財政構造改革の五原則」において、「歳出を伴う新長期計画は作成しない」との旨が表明されたことを受け3、同年6月3日の閣議決定により「今後は量的目標を伴う新たな中期目標の策定は行わない」こととなった。
 さらに、翌1998年7月には、小渕恵三総理より、その初閣議において、「ODAの在り方については、その透明かつ効率的な見直しを行う」べきことが指示された。この指示を受けて関係省庁間で検討が重ねられ、同11月、ODAの透明性・効率性の向上にかかる「対外経済協力関係閣僚会議幹事会(局長級)申合わせ」が行われた。この申合わせにおいて、ODAの課題を明確にしてプロセスの透明性を高めるとともに、効果的・効率的援助の実施のための計画性をもたせる措置の一環として、5年程度の期間を念頭とするODA中期政策を1999年半ばを目途に策定・公表することとされた。この申し合わせに基づき、有識者意見等を踏まえ策定が進められたODA中期政策4は、1999年8月10日、対外経済協力関係閣議会議及び閣議を経て、同日公表された。当時の発表によると、「ODA中期政策はODA大綱の基本理念、原則の下に、向こう5年間程度の我が国ODAの基本指針となるもの」であり、これにより、「ODAは大綱、中期政策、国別援助計画の三層構造に基づき実施される」こととなった。

2.2 ODA中期政策の内容と時代的背景

 ODA中期政策は、旧ODA大綱、当時の潮流及び時代的要請をも反映した内容となっている。例えば、地球的規模の問題への対応、民主化・市場経済化の支援、債務救済等の積極的な活用、評価活動の充実、OOF・民間資金の動員、技術協力と資金協力の連携強化、開発人材の育成、国際協調等が挙げられる。1996年5月には「経済的福祉」「社会的開発」「環境の持続可能性と再生」を開発目標として掲げた「DAC新開発戦略」がOECD-DAC第34回上級会合において採択され、1998年10月には、世界銀行・国際通貨基金(IMF)年次総会において、経済発展のみに依拠しない貧困層救済のための開発枠組みとして、「包括的開発フレームワーク(Comprehensive Development Framework: CDF)」が打ち出された。これ以降、「貧困削減・社会開発」が一つのキーワードとなり始めた。さらに、1998年12月には小渕恵三首相(当時)がASEAN公式首脳会議における演説「第1回 アジアの明日を創る知的対話」において「人間の安全保障」についての考え方を表明した。この様な経緯から、ODA中期政策は、「経済・社会インフラ整備への協力とのバランスに配慮しつつ、従来以上に貧困対策や社会開発の側面及び人材育成や制度、政策等のソフト面での協力を重視する」5ものとなるとともに、「人間の安全保障」や「紛争・災害と開発」等の新しい概念・項目が盛り込まれることとなった。
 一方、1997年7月2日のタイ・バーツ切り下げを契機とするアジア通貨・経済危機は、アジア各国経済に深刻な打撃を与えた。我が国は、1998年10月に「アジア通貨・経済危機支援に関する新構想(新宮沢構想)」を発表して大規模な支援を行うこととする一方、ODA中期政策においては、旧ODA大綱の重点事項の一つである「構造調整等」を、アジア地域を重点地域とする大綱方針に則って「アジア通貨・経済危機の克服等経済構造改革支援」にフォーカスさせ、継続的な対アジア支援を表明した。

2.3 ODA中期政策策定後の環境変化

 世界の援助政策は、現行中期政策策定後も大きく変化している。1999年9月のIMF・世界銀行合同開発委員会では、CDFの具体化のため、重債務国・IDA対象国に対して、債務削減・IDA融資供与を目的とする「貧困削減戦略ペーパー(Poverty Reduction Strategy Paper: PRSP)」の作成が要請されることとなり、貧困削減が現在の開発課題に極めて大きな位置を占めるようになった。さらに、2000年9月には「国連ミレニアム宣言」を受けて「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)」がまとめられ、2002年3月にはモンテレーでの国連開発資金会議で米国・EU等が援助額の大幅増額を表明した。
 援助手法では、「援助の有効性(Aid Effectiveness)」を向上させるため、セクター・ワイド・アプローチ(Sector Wide Approaches: SWAps)や財政支援の導入が図られるとともに、「援助手続きの調和化」が検討されるようになった。
 この他、アジア通貨・経済危機が収束に向かう一方、2001年9月11日の米国同時多発テロ等、安全保障問題がクローズ・アップされるようになり、ODAに関しても「平和構築」が一つの重点課題として議論されるようになった。また、国内的には経済財政事情を背景としてODAの効果、効率性の向上を求める声が一層強まっている。

2.4 ODA大網の見直しへ

 このような情勢の中で、2003年3月、対外経済協力関係閣僚会議は「政府開発援助大綱の見直しの基本方針」を決定し、ODA大綱の見直し作業に着手することとなった。同7月には新ODA大綱原案を公表し、パブリック・コメントの募集及び公聴会の開催を経て、同年8月閣議決定・公表した。
 新ODA大綱は、旧ODA大綱と比較して次のような特徴を有している6。第一に、「我が国にとっての利益」が理念の一つとして謳われたことである。旧ODA大綱においては「人道的見地、国際社会の相互依存関係、環境の保全及び平和国家としての使命等を掲げるとともに、自助努力支援を基本とした、開発途上国における資源配分の効率と公正や『良い統治』の確保を図り、健全な経済発展を実現するよう努めること等を基本理念としていた。新ODA大綱はこのような「普遍的価値」に加えて、「各国との友好関係や人の交流の増進、国際場裡における我が国の立場の強化など、我が国自身にも様々な形で利益をもたらす」、及び「我が国の安全と繁栄を確保し、国民の利益を増進することに深く結びついている」との表現が盛り込まれた。
 第二に、「要請主義」の原則が見直されたことである。旧ODA大綱は、相手国の自助努力を損ねることがないよう、援助実施に際して「相手国の要請」があることを原則の一つとしていた。しかし、この原則は「相手国の要請を待って援助を行う」という解釈から受身的であるとの批判もあった。従って、新ODA大綱は、我が国がODAに主体的に取り組むことができるよう、「開発途上国の援助需要」を実施の判断基準とすることとした。同様に、「援助政策の立案及び実施」においても、「開発途上国から要請を受ける前から政策協議を活発に行うことにより、その開発政策や援助需要を十分把握することが不可欠である」としている。
 第三に、重点分野に新たな国際的開発課題が加えられたことである。具体的には、(1)平和構築分野(平和の定着及び国造り)におけるODAの積極的な活用、(2)貧困削減等の国際的な開発目標が挙げられる。
 この他、ODAへの理解と支持を高め、国民参加の拡大を促すため、「開発教育」や「情報公開・広報」の規定が詳細化されるなど、ODAを取り巻く現状に即した改正がなされた。
 今後、日本のODA政策を推進していくためには、新ODA大網をいかに具体化していくかが重要な鍵となろう。


2 海外経済協力基金「海外経済協力基金史」、p47。

3 1997年4月13日付日本経済新聞(朝刊)。

4 例えば、「対外経済協力審議会」(総理の諮問機関)での有識者意見、国会での議論、自民党対外経済協力特別委員会の提言「21世紀に向けた戦略的な経済協力の実現を」等。非公式にNGO代表者の意見も聴取した。

5 外務省経済協力局編「我が国の政府開発援助(ODA白書) 上巻」、1999年10月、p14。

6 以下の記述は、新・旧政府開発援助大綱の原文、及び「政府開発援助大綱見直しの基本方針」(対外経済協力関係閣僚会議「政府開発援助大綱見直しについて」(別紙)、2003年3月14日:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/kaikaku/ugoki/sochi/t_minaoshi/030314.html)を参照した。


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