国際協力の現場から 08
国際機関で活躍する日本人職員の声
~時々でベストを尽くし、憧れを実現(日本人職員のキャリア紹介)~

マリでインターンをしていた頃の筆者

ワークショップで発言する筆者
『国際的で人の役に立つ仕事』に憧れた中高生時代
広い世界を飛び回り人々の役に立つため国際機関で働くことに、中高生の頃から漠然とした憧れがあり、自分も将来そうなりたいと思っていました。時は1990年代、当時国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんをはじめ、日本人の国際機関職員の活躍が報道されていた時期でした。
しかし、海外旅行どころか、地元の北海道から出ることも少なく、「世界」は途方もなく遠いものでした。地方の中高生が具体的にできることは限られていましたが、大学に進学するために英語を含めた勉強をしっかりと行い、また所属していたガールスカウトを通して社会貢献活動に参加しました。英語の弁論大会への出場や、アラスカでのガールスカウト交流キャンプに参加したことは非常に貴重な経験です。
多文化・多言語の魅力 世界・アフリカとの出会い
大学は国際基督教大学に進学し、卒業論文でケニアの若者層を対象にした多言語使用をテーマに研究を行いました。夏休みにケニアに滞在して同年代の学生達と交流し周辺国を旅する中で、豊かな文化とポジティブ思考な人々にすっかり魅了され、多言語・多文化の環境で働きたい、アフリカ大陸で仕事をしたいという強い思いを持って帰国しました。
回り道の進路 会社勤めから大学院留学、その後セネガルでJICA企画調査員に
大学卒業後、東京で「石の上にも三年」と社会人経験を積みながら、アフリカ諸国で働くために必要なフランス語を学びました。その後会社を辞めてフランスに留学し、語学を学んだ後大学院に進みました。大学院では「多言語・多文化」と「移住・移民」の研究を続けるため開発学を学び、西アフリカのマリでインターンおよび卒業研究を行いました。卒業後は西アフリカ、セネガルの首都ダカールで、商社の社員、その後JICA企画調査員として通算6年半勤務し、この間、出産も経験しました。
JPOを経て国際移住機関(IOM)の職員に
ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)注1には年齢制限ギリギリで応募し(2人目の子どもが生まれ、JICA企画調査員の任期終了の間際でした)、採用され、翌年、世界的な人の移動(移住)の問題を専門に扱う唯一の国連機関であるIOMのモロッコ事務所に赴任しました。JPO派遣期間終了後、同事務所付きの職員として採用され、本稿執筆時点で通算5年間勤務しています。
IOMではモロッコの首都ラバトで「移住と開発」、「ガバナンス」事業の実施や事業全体のモニタリング評価を担当しています。具体的には、移住が受入国と流出国双方の発展に寄与できるよう、国の政策づくりを支援するものや、多文化共生を推進する支援など様々な案件を実施しています。現場での仕事が多く、期日内に限られた予算で事業を運営していくことの連続ですが、これまでの社会人経験を十分に活かせています。
読者へのメッセージ 回り道も大丈夫、そして女性にエール
日本を出て約10年後に国際機関の職員になったことから、回り道をしたように見えますが、全く後悔はしていません。企業とJICAで効率重視、プロセス重視のそれぞれの仕事の仕方を学んだため、即戦力として活躍できました。その時々、与えられた環境の中でベストを尽くしてきた結果、次の道が開け、今に辿(たど)り着いたと言えます。そしてここがゴールでもありません。
そして、女性のみなさまに一言。国際機関ではたくさんの女性が活躍しています。私自身、出産や育児がキャリアを積む上でハンデにならなかったと言えば嘘になりますが、女性の管理職が多く(これまで当たった上司は全員女性!)、職場の理解もあり働きやすい環境であることは確かです。仕事をしながら2人の子どもを産み育てることができました。そして家族がいるからこそ、仕事で困難なことがあっても日々前向きに過ごせています。
国際移住機関(IOM)モロッコ事務所 船川夏子(ふなかわなつこ)
注1 JPOの詳細は、「(2)開発協力人材・知的基盤の強化」を参照。