匠の技術、世界へ 6
パラグアイのゴマ産業の復活へ!
~生産管理技術の向上と新しい市場の開拓に向けて~
パラグアイの産業の中心は農畜産業です。国内には約25万戸の小規模農家が存在します。その数は全農家数の約83%を占め、これら農家の多くが貧困の度合いが高い東部地域に居住しています。
こうした小規模農家では、90年代半ばまで綿花が主要産品でしたが、綿花の国際価格が低下し、代わって2005年ごろからゴマが主要産品としての役割を果たしてきました。ゴマ栽培は細かい手作業を要するため、小規模農家に適した作物であったことがその背景にあります。
パラグアイのゴマ産業は、日本とたいへん深い関係があります。もともとパラグアイのゴマ産業は日本人移住者である白沢寿一(しろさわとしかず)さんにより1989年に始められました。そしてできあがったゴマのほとんどは日本に送られ、一時期は日本へのゴマの最大輸出国として日本の食用ゴマを支えてきました。しかし、近年はゴマばかり連続して栽培することによる連作障害の影響等による生産量の減少、農作物に関する日本の残留農薬基準の強化によって、その輸出量が減少しています。また、生産経費の安いアフリカなどの競合国が多くなり、ゴマの価格が下落し、多くの小規模農家にとって、ゴマ栽培の魅力は薄れていました。

サンペドロでの講習会(杵つき)参加者と深堀社長。(写真提供:(株)わだまんサイエンス)
こうした状況の中、京都に本社のあるゴマ製品の専門メーカー株式会社わだまんサイエンスは、パラグアイのゴマ産業をもう一度復活させ、小規模農家が豊かに暮らしていける環境を作り上げるため、JICAの協力の下、「ゴマ加工品の生産管理技術の普及・実証事業」の活動を2016年から2年間の予定で開始しました。
プロジェクトの活動には3つのテーマがありました。
1つ目は、ゴマの加工技術の移転と加工による高付加価値化を図ることです。同社は、まず企業やゴマ生産農家など、パラグアイのゴマ関係者に対して加工技術の移転を試みました。ゴマ加工品が生産できるようになれば、国内消費が増え、また現在の生ゴマでの輸出から将来は加工品として高付加価値の製品が輸出できます。
2つ目は、ゴマを素材に現地のニーズに合わせた商品開発を行い、パラグアイ国内に市場を作ることです。海外市場の価格競争が激化し輸出量が低下してしまうと、ゴマ産業自体が消滅しかねません。こうした事態を防ぐため国内にも新たな市場、さらに将来に向けて周辺諸国にも市場を広げることを目指しました。
そのためパラグアイ側の協力機関である国立アスンシオン大学とともに市場調査から商品開発までを行い、7つの試作品を完成させ、消費者の反応などを見る市場アンケートを実施しました。その結果は非常に好評で、たとえばゴマと砂糖を混ぜた“ゴマシュガー”は現地の人々に大人気でした。また、ゴマ関連企業に向けて、技術的な講習会を実施し、独自の商品開発を技術面でサポートしています。
3つ目は、ゴマ食文化の普及を図ること。実はパラグアイでは輸出品としてゴマの生産は盛んに行われていますが、ゴマが食べ物であるという認識はほとんどの人が持っていません。ゴマが美味しく健康にも良い食品であるということを知ってもらうため、ゴマ生産農家を集めて何度も講習会を実施し、ゴマの利用方法を紹介するとともに、実際に臼などでのゴマの加工を実演することも繰り返しました。
こうした活動を、パラグアイの農家の人々はどのように受け止め、変わっていったのでしょうか。わだまんサイエンスの深堀勝謙(ふかほりかつのり)社長は、現地の様子を次のように語ります。

最終報告会(アスンシオン)での参加者集合写真。(写真提供:(株)わだまんサイエンス)
「パラグアイでは日系人やJICAの活躍もあって、日本人への信頼はとても厚いものでした。ただ、当初は熱心に技術を学ぶ様子はあまり見られませんでした。しかし、ゴマで世の中を良くしていきたい、という私たちの会社の姿勢が徐々に伝わっていったことで、どんどん意見交換もできるようになりました。特に女性のみなさんには美容に良いというアピールポイントが大いに受け、積極的に活動に参加していただけるようになりました。」
こうした参加者の変化に影響されるように、講習会の協力者である農牧省農業普及局職員、農協職員にも変化が見られてきたそうです。参加された農家の方からも、実際に自分の家で食用の素材としてゴマを使い始めたとの報告もあります。また、地元レストランでもゴマを使った製品の販売が始まった等々の知らせも届いています。
近い将来、わだまんサイエンスでは、パラグアイで精製したゴマ油を輸入し、サラダ油と配合させ、おいしい揚げ物ができるセサミックスオイルを日本で発売する計画もあり、付加価値の高いゴマ製品の新商品開発も動き出しています。原料としての生ゴマ輸出だけであったパラグアイのゴマ産業にとって、この事業を通じて始まった加工品のゴマ油の輸出は、新たな一歩となりました。