2016年版開発協力白書 日本の国際協力

国際協力の現場から 08

ボスニア・ヘルツェゴビナの地滑り対策
~民族の壁を越えて相互の協力関係を構築~

スクリーン上に映し出された地形を判読するトレーニング(写真:菅原純)

スクリーン上に映し出された地形を判読するトレーニング(写真:菅原純)

ボスニア・ヘルツェゴビナは、民族紛争が終結した1995年以降、国際社会の監督の下で和平プロセスが進められています。しかし、中央政府の下に、ムスリム系およびクロアチア系住民を中心とする「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系住民を中心とする「スルプスカ共和国」という二つの「エンティティ」(自治権能を持つ行政主体)が存在し、エンティティごとに異なる経済政策や教育などの制度を施行しているため、民族融和はなかなか進んでいません。

こうした複雑な政治体制は、防災対策の遅れの一因にもなっています。同国では地滑りが発生しやすい地形、地質、気象などの要因が重なっている上、森林伐採、斜面上への違法建築等によっても、地滑り災害が発生しやすくなっています。そうした状況にもかかわらず、現地では地滑り対策マニュアルは策定されておらず、地滑りの予防対策も十分に行われていないのが現状です。また、二つのエンティティの間では、十分な連携がとられていないことが多く、防災に向けた取組をより非効率なものにしています。

こうした状況の中、2014年5月に記録的な大雨に伴う洪水等によってボスニア・ヘルツェゴビナ全土で3,000を超える地滑りが発生し、約2,000世帯の家屋が被災しました。日本は洪水被害への支援の一環として、国連開発計画(UNDP)※1の「ボスニア・ヘルツェゴビナにおける地滑りリスク管理計画」に資金を拠出しました。これは、被災地域の九つの自治体で地滑り対策工事を実施して再発防止を図るとともに、技術支援などを通じて地滑り対策とモニタリングを強化するものです。

この計画で、UNDPの国際コンサルタントとして地方自治体向けの地滑り対応マニュアルの作成や担当者向けの研修を支援したのが、土木工学・地盤工学の専門家である菅原純(すがわらじゅん)さんです。菅原さんは、災害発生後から地質や物理探査の専門家らと共に現地で地滑りや地盤の調査を行ってきました。

航空写真の判読のトレーニングを指導する菅原純さん(写真:菅原純)

航空写真の判読のトレーニングを指導する菅原純さん(写真:菅原純)

地滑り対策には、地滑りの発生を予測して未然に防ぐことと、地滑りが発生してからの対応の二つの柱があります。しかし、地方自治体や両エンティティの担当者は地盤工学や地質学の専門家ではない場合が多く、地滑り発生のメカニズムついて正しく理解している人は少数でした。そこで、菅原さんは、専門家でなくても利用できるように、地滑りの分類、観測、解析、安定計算、対策工事といった、実務ですぐに役立つ内容を中心にマニュアルとしてとりまとめました。「資金が不足している」という現場の声を受け、安価な建築資材を用いた簡易地滑り観測装置や、無料でダウンロードできるソフトウエアを用いた地滑り解析など、低コストでも効果が見込める方法をできるだけ多く盛り込むことも心掛けたといいます。

また、一週間の研修プログラムでは参加者の主体性を重視し、実際に地滑り地へ出掛け、現地踏査をしたり、簡易地滑り観測装置を設置したり、地形判読や地滑り発生予測などのグループ学習を多く取り入れたりしました。研修では、これまで協力体制ができていなかった二つのエンティティの参加者が一堂に会して意見を交換する機会を設け、同じ教材やマニュアルを用いて、エンティティや自治体の役割、責任分担の確認も行いました。

「地滑りなどの自然災害は地域をまたいで発生することもあります。今回の研修で両エンティティの関係が構築され意識の改善ができたことは、ボスニア・ヘルツェゴビナの今後の地滑り対策を考える上で非常に重要な成果でした」と菅原さんは語ります。

参加者は、研修で習得した技術と知識を持ち帰って他の職員たちと共有し、今後はそれぞれの自治体で地滑りの対応に当たっています。菅原さんは「日本が伝えた技術で、地滑りの発生を未然に防ぐ、あるいは地滑りの被害を最小限にとどめてほしい」と、研修を受けた行政職員の活躍に期待を寄せています。

今回のプロジェクトは自治体や両エンティティから高い評価を受けており、菅原さんには同じ研修を別の自治体で行いたいという要望も届いているといいます。

そうした要望を踏まえ菅原さんは、「地震や洪水などの自然災害が多い日本は、経験に基づく防災・減災の技術とノウハウを持っています。それを活かせる場所は、ボスニア・ヘルツェゴビナ以外にもまだまだたくさんあるはずです。この分野で日本がさらなる貢献をしていくことに、大きな可能性を感じています」と話しています。日本が重視する防災の主流化が、民族の壁を超えた相互協力の中で活かされつつあります。


※1 国連開発計画 UNDP:United Nations Development Programme

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