参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in 富山(議事概要)


平成16年11月21日


日時: 11月21日(日)14:00~16:00
場所: 富山県富山市の高志会館
出席者: パネリスト:
・堂故 茂
(富山県氷見市長)
・佐藤 幸男
(富山大学教育学部教授)
・白山 肇
(富山国際大学地域学部教授・富山県青年海外協力隊を育てる会会長)
・塚田 玉樹
(外務省経済協力局政策課企画官)
コーディネーター:
・松井 治伸
(NHK富山放送局アナウンサー)
議事概要:  以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんので予め御留意ください。)


(松井) 皆様、本日は、ようこそお越しいただきました。ただいまから、「ODAタウンミーティングinとやま」を始めさせていただきます。
 私は、本日、司会としてコーディネーターを務めさせていただきます、NHK富山放送局のアナウンサーの松井です。よろしくお願いいたします。(拍手)
 このODAタウンミーティングは、もうご存じの方も多いかと思いますけれども、平成13年8月に第1回を開催しております。東京で始まりました。その後、全国各地で開催されております。今回が27回目です。富山では初めての開催となります。
 このODAタウンミーティングは、ODAをはじめとする国際協力の現状を国内でご紹介するとともに、ODAあるいは国際協力に関する国民の皆さんの声をお聞きしようということで開かれているものです。こうすることで、ODAの改革に反映させることを目的に行われているものです。今回のタウンミーティングで、国際協力への関心、そして参加、こういったことを少しでも増やすことが狙いとなっております。
 ことしは2004年ですが、日本にとりましては、国際協力50周年という節目の年に当たります。この国際協力50周年というのはどういうことかといいますと、ちょうど50年前の1954年の10月6日、日本は、コロンボ・プランというものに加盟をいたしました。このコロンボ・プランは、技術協力を通してアジアや太平洋地域諸国の経済や社会開発の促進を目的として設立された国際機関です。ここに加盟することで、政府ベースの援助をこの年から始めたわけです。それが50年前ということです。ですから、ことしは、日本が経済協力を始めてから50年という節目の年に当たるわけです。このコロンボ・プランに加盟した10月6日は「国際協力の日」となっておりますが、これを前後しまして、9月から11月まで、3カ月間を「国際協力50周年記念事業期間」と位置づけまして、シンポジウムや国際協力のイベントなどの記念事業を行っております。今回のこのODAタウンミーティングも、そういった事業の一つということです。
 ちなみに、今回の主催団体の一つであります財団法人富山国際センターにとりましても、創立20周年という節目の年にも当たります。
 前置きが長くなりましたが、こういった趣旨で、きょうのODAタウンミーティングを始めさせていただければと思います。
 今回のODAタウンミーティングは、「地域における市民参加型協力の可能性」をテーマに、ODAにとりまして、地域の市民の皆さんがどのように参加していくのか、そういった可能性を探っていこうというものです。各分野でご活躍のパネリストの皆様から、それぞれのお立場からご発言をいただきます。そのご発言の後、会場の皆さんからご質問をいただきまして、質疑応答という形式を考えております。終了は4時ごろを予定しておりますので、最後までどうぞよろしくお願いします。
 それでは、早速、本日のパネリストの皆様をご紹介いたします。
 まず、氷見市長の堂故茂さんです。よろしくお願いいたします(拍手)。氷見市は、ご存じの方も多いと思いますが、まさに草の根での国際協力をたくさん行っていらっしゃって、そういった実践例も含めていろいろとお話をいただければと思います。
 続きまして、富山国際大学地域学部教授で富山県青年海外協力隊を育てる会の会長、白山肇さんです。よろしくお願いします(拍手)。きょうは、白山さんには、国際協力を通じた人材育成という観点でお話をいただきます。
 続きまして、富山大学教育学部教授の佐藤幸男さんです(拍手)。佐藤さんには、NGOをはじめとした市民活動とどのようにしてこのODAが連携できるのかといった観点でお話をいただきます。
 そして、さらに、外務省から、経済協力局政策課の塚田玉樹企画官です。(拍手)
 以上、4人のパネリストの皆さんとともに、きょうは進めていきます。
 まず、外務省の塚田企画官から、ODAとは一体どういうものなのか、そして、日本のODAは現在どういう状況にあるのか。さらに、一般の市民の皆さんがODAとどのような形でかかわっていけばいいのか、こういったことにつきましてお話をしていただきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
(塚田) ありがとうございます。
 皆様、こんにちは。休日にもかかわらず、かくも大ぜいの方々にODAについて関心を持っていただいていることを改めて拝見しまして、大変心強く、また、うれしく思います。主催団体を代表しまして、改めて御礼申し上げます。
 また、堂故市長、白山先生、佐藤先生も、本当にお忙しい中をご参加いただきまして、ありがとうございます。
 きょうは、私がトップバッターということで、まずODAの全体像について、ODAは一体何なのか、どういう役割があるのかということを、スライドショウを通じて皆様に簡単にご紹介させていただきたいと思います。その中で、一つの切り口といいますか、それぞれのお立場から、ODAをいろいろな角度から分析していただければ、皆様からもいろいろとご批判というか、ご意見を賜れば、望外の幸せでございます。
 それでは、最初のスライドをお願いします。
 (スライド)
 まず、ODAと一口に申しましても、恐らく、正確にその中身というか、位置づけについて理解するのはなかなか難しいのではないかと思います。というのは、概念が非常に複雑でわかりにくい部分も多いので、簡単に申し上げますと、日本国から途上国に向かって流れる資金あるいは技術の中で、特に税金を使って行っている部分、すなわち日本政府を通じて行っている部分がODAと言われるものです。
 一番下にある、「国民・企業」、「政府」を介して途上国に流れる、そこの部分がODAの流れでございます。「ODA」の一つ上に「NGO」という分類がございますが、ここは、例えば皆様からの寄付とか、税金ではないか形で、政府ではない団体を介して途上国に流れる資金、これも途上国の開発に役立っている部分がありますが、日本の場合は、ここの部分の流れは余り多くなく、ほとんどが政府を通じて途上国に流れているという構図だと思います。
 例えばアメリカですと、実は、税金以外の寄付の部分が、途上国へ流れるお金の全体の3分の2ぐらいを占めているようでありまして、例えば協会を通じた慈善活動、開発系のNGOを通じた寄付活動、こういったものがかなり流れています。それ以外にも、企業活動を通じて、貿易とか投資という形でかなり大きな資金が途上国に流れております。
 (スライド)
 そういった形で途上国に流れている皆様の税金を原資とした政府開発援助(ODA)というものは、受け手の側にとってどう評価されているのか。これを幾つか例を挙げましたけれども、例えば外国の通過になっている日本のODAということで、バングラデシュの 100タカ紙幣と、あと5タカという硬貨がありまして、ここに出ているジャムナ橋という大きな橋がありますけれども、これは日本の有償資金協力である円借款で2年前に完成した橋でございます。バングラデシュの真ん中を南北に流れる大きな川がありまして、これが東西を分断してしまっていたわけですけれども、最近、この橋が開通して、バングラデシュの国民の間では大変高い評価を受けておりまして、それが日本からの援助であるということで通貨にも出ています。
 お隣は、切手になったODAです。これは皆様ご存じの青年海外協力隊が派遣されてから25周年を記念してつくった切手でございます。
 下は、同じくガーナですけれども、野口英世博士の生誕 120周年ということで、これも日本のODAでつくった野口記念医学研究所、これを記念してつくられた切手でございます。
 (スライド)
 こちらには、ASEAN諸国において、日本のODAがどういう評価を受けているかということを世論調査した結果が出ております。上二つが、「日本のODAは十分役立っている」あるいは「ある程度役立っている」と返事をした人の塊ですけれども、8割から9割ぐらいの人が、日本のODAを肯定的に評価しているという結果が出ております。
 下のほうに移ると、これはODAとは直接関係ないのですけれども、「あなたの国の友邦として今日の日本は信頼できると思いますか」という問いに対して、これも8割近くの人が信頼できるという肯定的な返事をしています。これはもちろん、ODAだけではないと思いますけれども、日本に対するいい印象は、やはり日本から援助をしていることも大きな底支えになっているのではないかと思える一つの材料だと思います。
 (スライド)
 ひるがえって、日本国内における評価はどうかというものがこちらの世論調査でございます。見ていただくと、昭和50年代前半、60年代を通じて、ODAを積極的に進めるべきだという人は、ほぼ一定していて4割ぐらいで推移しています。それが、平成元年ぐらい、バブルが崩壊して経済が悪化するに伴い、どんどん「積極的に進めるべきだ」というラインが落ちてきているのが見えると思います。
 逆に、「なるべく少なくすべきだ」という声がだんだん増えてきていて、ついに二、三年前にはこの二つがクロスしてしまって、いまや、少なくすべきだという声が大きくなってしまっています。
 「現在程度でよい」という声はほぼ横ばいではあるのですけれども、一番下の「やめるべきだ」という極論がじりじり増えているのがちょっと気になるところでございます。
 こちらを見ると、「予算を減らすべき項目」の上から2番目にODAが入ってきてしまっておりまして、日本国内では、かなり評判が悪いことがこういった世論調査からうかがえると思います。
 (スライド)
 それでは、なぜこういうことが起きてしまっているのかということですけれども、これは、私の個人的な分析をまとめただけなので、政府の立場とは直接は関係ないのですけれども、恐らく、ODAというのは海外で行われている事業ですので、なかなか実態が見えにくいことが大きな原因だと思います。そこで、一般的にイメージとして出来上がってしまっているものが、ここに書いてあるようなことだと思います。最初は、むだが多いのではないかということ。確かに、途上国という、気候も、風土も、言語も、習慣も違うところへ日本人が出かけていっていろいろな事業を展開することは非常に難しい。これは認めざるを得ないし、失敗案件もあったと率直に認めざるを得ないと思います。
 ただ、実態は、会計検査院の相当厳しい審査もありますし、むだは極力省かれるように厳しいチェックが入っております。予算についても、この7年間で3割以上カットされておりまして、いまは規模もかなり小さくなってきているのが実態です。
 それ以外の、例えば、ばらまきではないかというようなこと、全世界にまんべんなくやるというのはわかるけれども、ただ、実態は、我々は新しいODA大綱をつくりまして、かつ、国別援助計画をいま十数カ国にわたって作成済みないし作成中ですけれども、その中の標語としては、「選択と集中」、「国益重視」、こういった二つの大きな目標のもとに、できるだけ絞ってODAをやっていくことをいま進めているところです。
 次は、不透明であるというイメージ。これも最近、情報公開を相当進めておりますし、あと、抜き打ち監査も進めておりますし、中身がほとんどガラス張りの状況で、国民からの厳しい監視が求められ、実際は行われている状況です。
 次は、政治と利権。これも事後評価あるいはモニタリング、調達ガイドライン、こういった手続きにがんじがらめになっておりまして、実態としては、こういったことはほぼできない状況になっていると思います。
 最後に、縦割というイメージがありますけれども、これも、中央省庁の再編を数年前に行いまして、外務省が中心になって総合調整をしなさいという指導を受けております。また、現地タスクフォース、現地では、大使館を中心に、JBICとかJICAが一丸となって、少なくとも外に出ていくときには一つの声で政策をつくる形になっております。
 (スライド)
 それでは、なぜODAを行うのかという根本的な問いかけですけれども、これも幾つか切り口があると思いますけれども、一つは、国際的な交際費。日本は、地球村という大きな町内会に属していて、その町内会の会費を払う必要があるという考え方。
 次が、地球市民税。貧困税とも言えると思いますが、豊かな国は貧しい国を助ける義務があるのではないかという考え方。
 3番目は、国際的な公共事業費ではないか。日本のいろいろな企業活動、経済活動は、外国でも行われているわけですし、外国における道路、発電所をつくるということは、すなわち日本が外国で行ういろいろな活動の主体を支えており、そのために一定の投資をする必要があるという考え方。
 最後に、これは外務省が最も気にしている部分ですけれども、軍事的ではない形で日本の安全保障、国の防衛と安全、繁栄を守るための一つの手段であるという考え方。こういったものが渾然一体となってODAを行うべきだという世論があるのだと思いますけれども、そのキーワードとなるのは、憲法全文の中にあるこの二つの文言が念頭に刻み込まれているのではないかと思います。
 (スライド)
 「国益か開発か」という、大上段に振りかぶった問題提起ですけれども、先ほど申し上げた国益というのは、すなわち、日本国民のため、日本のためということで、開発というのは途上国のため、どっちを優先すべきかということですけれども、実は、日本の場合は、明確にODA大綱のために、日本の安全と繁栄、国民の利益の増進、これが我が国の外交政策、ODA政策の基本であると明言しております。実は、日本だけではなくて、アメリカ、オーストラリア、フランスなども同じようなことが書いてあります。
 (スライド)
 日本のODAの歴史を簡単に振り返っても、日本が国際社会からいろいろな援助を受けていまの姿があることは、我々として忘れてはいけないと思います。
 ちなみに、富山との関係で申しますと、黒部ダムも世銀の借款でつくられております。
 (スライド)
 外務省がODAでどういう役割を果たしているかと申しますと、ここに書いてあるとおり、国際社会における日本及び日本国民の利益の増進を図ることは我々の任務でございます。そのために、ODA政策を推進すべきだと。すなわち、国益のためにODAを展開すべきだということが法律の中に明示的に書いてあります。
 (スライド)
 それでは、外交政策として我々が行っているODAとはどういうものかというと、いま皆さんの関心が大きいと思いますが、対中ODAは日本国内で非常に厳しい批判がございます。開発課題も変化してきております。難しい政治経済関係もあります。こういった中で、ODAをどう使っていくか。
 (スライド)
 重点分野は、いまは環境と人材の二つの分野に特化しています。また、沿海部はもう発展していますので、自分のお金でやってくださいということを言っております。当然、軍事支出、武器輸出をきちんと見た上でやっていきます。
 中国に対する円借款はいまや 1,000億円を切る状況になっていて、逆に、回収金が増えていまして、回収金のほうが供与している額よりも多いという状況で、今後は回収金がずうっと増えていって、供与する分が減っていく流れになろうかと思います。
 (スライド)
 もう一つの外交交渉で使っているODAの例としては、ロシアとの平和条約がございます。もちろん、まだ平和条約は締結されていません。ただ、交渉の中ではODAが一つの大きなカードになっておりまして、これがロシア側を前に譲歩させるための有力なカードの一つになっていることは間違いありません。
 北朝鮮との国交正常化も、平常宣言が合意できましたけれども、ここにはODAという文言が入っております。もちろん、まだ一銭も流れていませんけれども、正常化をさらに進めるための大きな交渉の材料としてODAが使われているということがございます。
 (スライド)
 「軍縮・不拡散問題とODA」。実際に核実験とかミサイル輸入をした国に対してはODAを止めております。こういった形で、いわばアメとムチという形でODAを使うことによって、日本の外交政策あるいは日本の国益を推進するということでODAを使っている一つの例としてご紹介させていただきます。
 (スライド)
 最後に、皆様の税金を原資として行っている日本のODAは、単に受動的に世の中の動きをながめるだけではなく、ぜひ皆様国民の立場から積極的に関与していただきたい、参加していただきたいというのが我々の考え方でございます。そのための幾つかの場がありまして、例えば国際協力プラザコーナーを日本の全都道府県に設置しておりまして、ここにいろいろな形で情報提供の場がございます。あるいは、ODA民間モニター。これは、入り口のところにもパンフレットを用意させていただきましたけれども、いままで四百五十数名の方が一般公募の形で、現地で展開しているODAのサイトに実際に視察に行っていただいております。あるいは、ここにもあるタウンミーティング。これは、去る10月に町村大臣に参加してもらった内閣タウンミーティングで、ここでもいろいろ厳しい批判をいただいておりますけれども、こういった形で意見を承る。
 最後に、開発NGO活動への参画。これはカンボジアでの不発弾処理の事業ですけれども、こういった事業に参画する、あるいは、寄付その他の形で応援いただくことも、これからはぜひご検討いただければ幸いでございます。
 (スライド)
 最後に、いままでに申し上げたようなODAの活動は、1人当たりにして年間約 7,000円を供与していることになります。日本は、全先進国の中の真ん中ぐらいにつけています。一番多く出しているのが北欧で、年間4万円近く出しています。GNP当たり、経済規模にすると、日本は後ろから3番目という不名誉な立場にあるわけですけれども、いままでに申し上げたようなODAが、果たして 7,000円の価値があるかどうか。これはもちろん、我々自身、日々問いただしているわけですけれども、きょうの討議を一つのきっかけにして、ぜひ皆さんもこれからODAの価値を考えていただければ幸いでございます。
 以上、大変駆け足しでしたけれども、私の冒頭の発言は以上とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
(松井) ありがとうございました。1人当たり年間 7,000円ということですね。私も初めて知りました。
 かつては日本もODAを受ける立場であったけれども、いまは供与する立場であると。それと同時に、中国に対するODAに関してはいろいろな質問があるかもしれませんが、これはあくまでも円借款という形で、いつかは返ってくるものであるということですね。いろいろなことを、確かに駆け足ではありましたけれども、全体的な概要がわかったのではないかと思います。
 税金で1人当たり年間 7,000円という話にかかわっているわけですから、確かにODAは外交政策と深くかかわっているわけですけれども、私たち自身の問題として考えていかなければいけないことが、改めておわかりいただけたかと思います。
 この後は、具体的に現場でODAを利用してさまざまな国際交流、あるいは、現場の立場からまたいろいろとお話をいただければと思います。
 まず、氷見市長の堂故さんから、具体的にどのように地元の市民の皆さんがかかわっていらっしゃるのか、それが地域にどのように影響を与えているのか。先ほどのお話ですと、まさに国益だというお話がありましたけれども、地域そのものにとっても大きな利益といってあれかもしれませんけれども、影響があることですから、こういったことも含めていろいろお話をいただければと思います。
(堂故) 氷見市長の堂故です。どうぞよろしくお願いいたします。
 一昨日ぐらいから、ブリ起こしと言われる雷が鳴り始めておりまして、いよいよ寒ブリのシーズンです。氷見では、 400年以上も前から定置網による漁がなされておりまして、 100年ぐらい前から、氷見は越中式定置網の発祥の地と言われております。そういった古い伝統漁法を生かした国際協力、国際交流といった点についてお話しさせていただきたいと思います。
 (スライド)
 定置網というのは、皆さんご存じだと思いますが、地先からほんの数百メートルから数キロの間に設置された網です。魚が回遊してくるのを待って、この部分だけ上げるのですけれども、いわゆる消極的な漁法です。ただし、大変すぐれているのは、回遊してきた一定の魚しか、網にかかったとしても獲りません。それから、働く人たちも、朝、この辺から通勤して、また浜へ水揚げして、漁港へ持ち帰って、毎日がその繰り返しですから、遠洋漁業のように、ずうっと数カ月も出かけていくような漁法ではありません。
 (スライド)
 漁師さんにもやさしい。また、消費者も、朝獲れの、しかも、氷見あたりでは、獲った魚はすぐに氷で絞めて鮮度を保って、そのまま消費者に届けます。最近は道路事情もよくなったので、東京あたりにも朝獲れの魚が昼の市に間に合うようになりました。資源にも、働く人にも、消費者にもやさしいし、また、繰り返しが効く、まさに古くて新しい漁法なのではないかと思います。
 (スライド)
 ところが、そういった漁法を繰り返し行っている私どもの富山湾ですけれども、平成11年には流木が大量に流れてきまして、浜を埋めつくしました。10トンダンプで 500台分の流木が流れてきました。流木はこのときだけではなくてときどき流れてくるわけですが、困るのは、恒常的な漂着ごみです。国内だけのごみではなくて、韓国やロシア、中国、そういった国々のごみも相当数流れてきて、環境が大変悪化しています。
 (スライド)
 漁獲量についても、金額についても、横ばいから減少傾向にあります。これは、環境が悪化してきていることもさることながら、魚を獲る技術がどんどん進化してきまして、衛星を利用した魚群探知などの技術の進歩、巻き網漁法をはじめ、資源をいっぺんに採ってしまう漁法が大勢を占めてきているということで、氷見にとっても大変厳しい環境にあります。その中で漁業者も自信をなくし、後継者もだんだんいなくなってきつつあるという大変厳しい現状も突きつけられておりました。
 (スライド)
 しかし、時代の背景は、世界的な規模で見ても、環境、食糧、エネルギーがどうか。そういう傾向にあるのではないか。そういう時代背景の中で、氷見が 400年以上も前から繰り返してきた古くて新しい定置網漁法というものを、いまこそ自信を持って内外に発信していくべきときではないかと思います。私たちのアイデンティティをもっと自信を持って発揮していくべきときではないか。そのことによって、私たちの地域に住み続けていくこと、それと、内外の皆さんと交流を図ることによって地域の活性化を図っていく。こういう事業に取り組んでみたいと思います。
 (スライド)
 定置網を通じてそういったことが発揮できないかということを考えまして、定置網トレーニングプログラムという事業を3カ年実行することにいたしました。二つの視点で事業を進めたいと考えました。一つは、定置網というものを、氷見は、まず富山県の人に理解してもらうこと、それから日本国じゅうの皆さんに知ってもらうこと、さらには世界の皆さんに知ってもらうことをしていく。もう1点は、実際にどこかの国でこの定置網を実証実験して、国際協力を実行すること。この二つの視点で3カ年の事業を行いました。
 1年目は、県レベルの皆さんの集会を持たせていただいたりして、実際に実行する国をコスタリカに決めました。なぜ決めたかというと、国際海洋の環境問題について、大学の教授さん方でネットワークを持っておられまして、その中の有力な教授さんがコスタリカ国立大学のアレハンドロ・グティアレスという方でありまして、その方が積極的に、コスタリカでやってもらえないかということをお話しいただきました。まず、コスタリカから、教授と漁師さん方を受け入れました。これが1年目です。
 (スライド)
 次に、2年目には全国レベルのフォーラムを開催させていただきました。というのは、定置網は、 100年ぐらい前に氷見で大型の網が考案されたのですけれども、それから日本国じゅうに伝わっていったという経緯があります。戦前には、台湾とか、いまの北朝鮮にも氷見から定置網が伝わって、網元や漁師の船頭さんが実際にその普及に努めたという歴史もあります。ですから、全国の皆さんに定置網発祥の地氷見と知ってもらって、定置網の優位性をもう一度知っていただくということ。それから、実際に、コスタリカという国で、これはやや模型に近い定置網ですけれども、実際にやってみました。
 (スライド)
 3年目には、このことをもとに、コスタリカでの2年間の実証の報告を含めて、世界から34カ国の皆さんにお集まりいただいて、「世界定置網サミットin氷見」を開催させていただいて、世界の定置網に興味ある国々の皆さんと、海と共生していくという宣言を採択させていただきました。
 (スライド)
 与えられた時間が短いので、はしょってお話ししますのでわかりづらいこともあろうかと思いますが、お許しいただきたいと思います。
 その結果として、一番大きいのは、定置網というものを広く知っていただく機会ができまして、特にNHKで幾つか取り上げていただいて、「海のけもの道」というNHKスペシャルで、2年間ぐらいかけて、海の中も撮影したり、大変な費用と労力をかけて番組をつくっていただきました。
 それから、これはコスタリカでの実証の様子をNHKの「金曜フォーラム」でも取り上げていただくなど、数多くのテレビや新聞で取り上げていただいて、定置網というものを広く知っていただくことができました。
 (スライド)
 その結果、定置網事業者というのはかなり弱小の事業者で、政治的な発言力とか世論に訴える力というのは、日本国レベルで言うと弱いのですけれども、環境にもやさしい、資源にもやさしいということを相当メッセージさせていただく中で、根こそぎ獲ってしまう巻き網漁法に対しても一定の発言力が出てきまして、さまざまな交渉のテーブルにつくことができるようにもなりました。
 (スライド)
 それから、何と言っても、市民の皆さんが、身近に漁師あるいは定置網というものがあって当たり前と思っていたけど、これは地域の大事な財産の一つだ、これは誇りにすべきものではないかという意識を徐々に持っていただいて、愛郷心や、この地域で暮らしていくことの意義をもう一度見つめなおしていただく一つのきっかけになったのではないかと思います。
 (スライド)
 それから、この3カ年の事業が終わってからも、JICAさんのご協力によりまして、毎年、10カ国以上の皆さんが研修においでるようになりました。まさに氷見の地域で国際交流が展開されるようになりました。このことをもっと大事にしていきたいと思っています。漁師さんだけではなく、小学生や中学生との国際交流を進めていきたいと思っています。
 特に、定置網サミットを終えてから、JICAさんの受入れ事業で印象に残ったのは、モロッコという国で、ODAを使って、実際にモロッコの漁港建設がなされまして、その後、漁業関係者が氷見にいらして、漁港建設はしたけれども、魚を獲る定置網のこと、鮮度保持のこと、魚の流通のこと、加工のこと、漁業者の共同経営のことなどについて、氷見の地で、それをバックアップするソフトみたいなものも勉強していただいたことが大変大きな印象に残ることであります。
 それから、もう一つは、これから進めようとしているのですが、定置網サミットに参加された中で、タイ国の方で、アーサニーさんという方が実際に定置網について相当詳しく氷見で勉強されまして、その後、タイにお帰りになった後、SEAFDEC(Aquaculture Department of the Southeast Asian Fisheries Development Center:東南アジア漁業開発センター)という組織の資金を利用して、実際に自分たちだけで定置網を、見よう見まねでつくりまして、昨年から、タイのバンコクから東へ 200キロほど進んだラヨーンというところで、実際に定置網を設置して1年間がんばられました。相当成果は上がりつつあったのですが、そこまで一生懸命に自分たちでやっておられるならということで、今年、氷見から使節団を出しまして、氷見の本物の定置網を、小型定置ですけれども、実際に持っていきまして、ことしからラヨーン県で網を下ろすことにいたしました。
 (スライド)
 氷見の定置網を持っていってから、実際の漁獲量は多いときで 500キロぐらい。十四、五人が生計を立てられるぐらいの量だと思いますが、実際に成果が上がり始めておりまして、これをもう少し確かなものにするために、この12月に漁業関係者を2人ほどもう一回派遣させていただく予定にしております。これが本当に実になれば、先ほど、モロッコの話のときにも申し上げましたけれども、魚を獲ることだけが成功ではないので、漁業者の共同体をつくること、鮮度保持、流通、魚食文化の交流であるとか、そういったソフトやハードも大事になってくると思います。
 そういったことをできれば、政府のJICAさんや外務省のODAを利用させていただいて、さらに本当の段階へ持っていけたらなと今は思っています。そのことによって、私どもの定置網の価値が、東南アジアで実際に認められ、日本の地方がやっていることが日本へフィードバックしてくる。そして、海の環境や資源の、これからも持続可能な魚の獲り方について、共通の価値観が形成されていけば、小さい一地方からのメッセージですけれども、大きな声にすることもできるのではないかと思って事業を続けさせていただいているところです。
 以上です。(拍手)
(松井) ありがとうございました。タイで氷見の定置網が実際に使われ始めているというか、漁が始まっているというお話でした。しかも、ODAといいますと、遠い外国で何かが行われているというイメージでしたが、ODA予算で始まったものが本当に身近なところで始まって、いまどんどん広がりを見せている。
 私が一番思いましたのは、定置網という技術そのものが海外に広がっていくことのみならず、まさに環境にやさしいという価値観までも広がっていくことがすばらしいのかなと感心しました。
 氷見市長の堂故さんに具体的な実践例をお話ししていただきましたが、その中で、地域の方が自信や誇りを持ったというお話もありました。まさに地域の皆さんがこれをどう受け止めていくかということが大きなポイントになろうかと思います。
 続きまして、富山国際大学の白山先生から、ODAを通して地域の人材をどのようにして育成していくのかという観点でお話をしていただければと思います。よろしくお願いいたします。
(白山) 国際大学の白山です。よろしくお願いします。
 私がきょうお話しする役割は、富山県という地域を通してどういう人材育成をやったかという具体的事例が中心と思います。
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 これは、現在、JICAボランティア派遣国の国々と、実際に派遣されている数で、これが一番新しいものです。ちょっと小さくて見にくいと思いますけれども、協力隊はすでに2万 5,000人という累積人数が出ています。最近は、シニア海外ボランティアがどんどん伸びてきていまして 2,000名を超えているという現況です。
 私自身がやってきたことを簡単に触れ、富山県内でどういうことをやってきたかということで進めていきたいと思います。
 (スライド)
 1980年から2年間、協力隊員としてマレーシアの国立大学で分析化学、環境化学の講師として活動しました。これは、当時のボルネオ島にありますサバ州の州都コタ・キナバルにあるキャンパスです。その当時は貧弱な建物ですけれども、最近の情報ですと、かなり整備されて、場所も都心に近いところに移ったということです。
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 これはその当時の実験指導の様子です。
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 帰ってくる直前に、マレー語のテキストで、『分析化学と環境化学』という本を出してきました。
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 次に、JICAの専門家で、1993年から95年、インドネシアの環境管理センターの水質汚濁の専門家として行ってまいりました。96年には、同じ環境管理センターの短期の専門家で行ってまいりました。それから、98年以降は、いま、富山県と中国が遼寧省と友好姉妹の関係にあるものを通しながら、中国とのかかわりで、特に遼河という部分の調査をしています。それから、昨年ですけれども、JBICのミッションで、やはり中国の内蒙古自治区のフフホト市というところの水環境改善調査にも参加しました。
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 ここら辺は、インドネシアの河川の状況で、川がごみ捨て場になるというのが開発途上国では一つの共通項ですけれども、これはジャカルタ市内を流れているチリウン河という重要な河川で、この流域にこういう水上生活をやっています。
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 これもチリウン河の河川汚濁の状況で、これは我々日本が経験したような、20年、30年前の状況が現在でも開発途上国の環境問題として注目されると思います。
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 この映像は、右にいる彼女は、私が行ったときのカウンターパートとして指導をしていましたが、たまたま富山に縁がありまして、現在、富山大学の理学部で、博士課程で勉学中です。これも現地での人材育成を通して、たまたま私を仲介に彼女が望んで、それでいまは富山大学に来ております。
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 これは、先ほど言いました富山県と遼寧省の関係の調査の河川汚濁の研究です。やはりかなり悪化している。中国はいま急激に経済が進展する中で、一番大きな問題は環境問題です。最初に外務省の塚田さんがおっしゃいましたけれども、いわゆる人材育成と環境という二つの分野にターゲットを絞って、中国に対するODAを実施しています。
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 その中でこういう環境問題は、これも昨年、いまは遼河の出口の遼東湾という海の近くの河口調査のサンプリングのものです。
 (スライド)
 これは、そういう一連の写真です。
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 JICAの短期専門家で遼河の調査をやる中で、技術指導として行っています。
 (スライド)
 これは逆に、遼寧省から技術研修員を富山県で受け入れてやってもらっています。この5年間で延べ10名の中国からの技術研修員を受け入れて技術指導に当たっています。これはまだ継続しているものです。
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 これは、JICAが提供したいろいろな機材の贈呈式ですけれども、こういう機材を中国の遼寧省の環境観測センターへ提供しております。
 (スライド)
 これは、北京にある日中友好環境保全センターで、これもJICAの対中ODAでは非常に大きな事例で、現在でもここに多くの中国の研究者、それから、日本からも毎年専門家が入っています。
 (スライド)
 これは、そのときに、たしか「国際環境の日」というものがあるのですが、それに合わせて、JICAが中国に対してどういう協力をしているかという一つのPRを中国国民にやっているものです。
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 これは、昨年、国際協力銀行を通して中国の黄河を見てまいりました。
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 現在、中国では、環境保全のために植林事業をいろいろなところでやっていますけれども、この黄河流域でも植林が実際にこのように行われています。
 (スライド)
 これは、内蒙古自治区の区都であるフフホト市内の河川汚濁の現況で、これが非常にひどいところで、多分皆さん、この現場へ行くと、一、二分としてその場におられないくらい、悪臭がものすごい状況です。
 (スライド)
 具体的な事例として、いま、富山県と中国の遼寧省の関係で、いろいろな協力を富山県は中国に対して行っています。先ほどの活動の様子は、2002年9月28日に、NHKの報道スペシャル、「21世紀 変貌する中国」というものが、日中国交正常化30年記念事業として放映されたのですけれども、我々富山県がやっている遼河の調査が、環境の事例として放映されております。
 それから、先ほども少し出ましたが、国民参加型草の根技術協力を、いまJICAが地域提案型ということで推進している事業ですけれども、これにも1999年から現在も継続して行っております。
 もう一つ、CLAIR(Council of Local Authorities for International Relations)と称する自治体国際化協会というものがあります。こういうところを通しながら、中国からの技術研修の受入れも実施しております。
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 次に、日本国内において行っていることですけれども、最初に、青年海外協力隊富山県OB会というものがあります。これは、1975年、いまから約30年前に設立されて、息の長い活動を、極めて地道に毎日こつこつとやっているものですけれども、この中で特徴的なのは、きょうは氷見市から堂故市長もお見えですが、これが特に富山県の活動として特徴的なものです。市町村の首長表敬ということを、11年間がかりで、9市18町8村において、毎年四つぐらいの自治体に対して、これは、育てる会とOB会の共通活動として行ってきました。
 こういうことが一つの成果として、現在の自治体派遣の市の条例として、協力隊の場合は、富山市、高岡市、氷見市、そういうところが条例化されて、協力隊員が行きやすい状況ができました。
 あと、OB会では、機関紙「異文化をこえて」とか、隊員の活動記録の『異国の青春』という本も出版しています。
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 これは、そのときの雑誌の表紙でございます。
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 それから、これは、第1作目として、1986年3月から1987年4月、北日本新聞の夕刊に1年と1カ月、54回という長期連載して、そこに、富山県出身の協力隊員が13人登場します。それを1冊の本にまとめて出版したものです。
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 それから、育てる会というまた別のものがありまして、私はその諸先輩の代表をやっておりますけれども、これは1985年、約20年前に設置されております。二つの柱があります。一つは、派遣される人の身分措置の問題、二つに、帰ってきた後の就職についての活動でこれら二つを原点にしてずっとやっています。これもそれぞれ特徴的なものがありますけれども、ここでは、隊員の活動記録の第2作目「海の向こうの宝物」、第3作目「世界に夢架け」という本を出版しております。
 それから、他団体の協力では、富山国際センターであるとか、富山市民国際交流協会などと協力して事業を行っております。
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 これが「海の向こうの宝物」、1998年、15人の富山県出身のOB、OGの活動がここに収録されております。
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 第3作目の「世界に夢架け」。一番新しいものですけれども、第1作目と同じように、2000年10月から2001年7月まで、北日本新聞の夕刊に、全部で27名載っているのですけれども、ここでは、そのうちの20名がこの本の中で紹介されております。
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 もう一つは、富山県のJICA派遣専門家OB会という、これは専門家で行った人たちのOB会の組織です。これは一番新しくて、約10年前の1995年に誕生しました。富山県から行った人が帰ってきて、帰国専門家報告会というものを地球メッセージという形で毎年開催しております。
 それから、これは北陸三県では特徴的な事業で、特に北陸支部が一つの中核になりまして、富山、石川、福井の3県の専門家OB会が協力して、毎年「国際協力フォーラム」というものを開催しております。富山の場合ですと、「国際協力フォーラム in TOYAMA」という名称で行っております。
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 これの富山県の第1回が1997年10月25日に、「環境と生命(いのち)」というタイトルで開催しました。
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 それから、これは3県持ち回りで回っていますので、毎年富山県というわけではありませんので、次が2001年11月10日、この年は「国際ボランティア年」の年でしたので、国際ボランティアというものに焦点を合わせてシンポジウムを富山市で開催しております。
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 それから、これは宣伝ですが、来週の土曜日に、ことしは福井が担当します。「国際協力フォーラム in FUKUI 」というタイトルで、テーマは「教育」です。「世界と共に学ぼう」というタイトルで、教育に関するフォーラムを開催する予定ですので、もし、時間と興味をお持ちの方はぜひご参加していただければありがたいと思います。
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 それから、いま私は富山国際大学で働いているのですけれども、富山国際大学とJICAのリンクした事業が一つあります。
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 「国際協力論」というものですけれども、これもユニークなもので、スタートしたわけですが、昨年度に大学側が提案して、JICAと一緒に、ことし2年目を迎え、前期の講義ですからすでに終わっていますけれども、一般の市民もこの講座に参加できるということで、国際ボランティア実務士の資格取得であるとか、国際理解あるいは異文化理解などに興味を持つ人がこれを受講しております。
 そこで講師にどういう人がいるかというと、富山県の協力隊のOB、OGであるとか、あるいは、専門家OB・OGであるとか、国際協力の実践者が実際の活動を通しながらこの講座を行っております。
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 最後になりますけれども、富山県の高等学校あるいは小学校、中学校の先生方が青年海外協力隊の現場へ視察に行くという事業がJICAで取り組まれております。
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 例えば、これはガーナへ行った先生が写してきた、ガーナでの教育の視察現場です。
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 それから、これはマラウイに行った先生が撮られた写真です。
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 これは一番新しいものですけれども、ラオスに行った先生が富山に帰ってきて、高岡の戸出中学の先生ですけれども、生徒の方が、ラオスに鉛筆や絵本を贈ろうということで、こういう事業まで展開できるようになりました。これは、平成16年11月14日の一番新しい情報としてありましたので、紹介いたします。
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 これが最後です。
 先ほど、協力隊のほかに、いまはシニア海外ボランティアがかなり大きな影響を持って、国民の方が参加しだした事業です。年齢的には40~69歳。実際、この前の20~39歳が青年海外協力隊で、この年の次から、いわゆるシニア海外ボランティアという考え方で、これもJICAが行っております。派遣国も協力隊と同じようなところを、約50カ国が派遣先として、派遣期間もほとんど同じで1年または2年。派遣実績はもうすでに 2,000名を超えておりますけれども、こういうボランティアを富山県レベルでも実は行っていることをご紹介したいと思います。
 これはやってからまだ日が浅いのですけれども、同じ名称でシニア海外ボランティアの富山県版ですけれども、これは富山国際センターが実際に窓口で行っております。資格要件はJICAのボランティアと同じです。ただし、派遣国は、富山県がこれまでいろいろな交流を通して近い国々、中国、韓国、ロシア、モンゴルの4カ国に絞られております。それから、期間も、JICAとは違いまして、1カ月から3カ月と比較的短期間のボランティアになっております。こういう形で、第二の人生をこういうボランティアに自分を置きたいという希望者が非常に多くなってきまして、これはJICAのほうからも報告があるかもしれませんけれども、協力隊の募集説明会では、最近はシニアのボランティア募集の説明会が多くなったということもあります。
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 これは、それを募集しているパンフレットの表紙です。「~出会いたい~もう一つの生きかたに」ということで、これは北陸支部が出しているものです。
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 最後に、これは北陸三県における、富山、石川、福井のJICAボランティアの派遣実績としてこういうものがあります。それぞれ協力隊であるとかシニアボランティア、いろいろな形でJICA、ODAのお金をいただきながら活動しております。
 以上です。(拍手)
(松井) ありがとうございました。青年海外協力隊につきましては、皆様、名前はよくご存じだと思いますが、最近はシニア海外ボランティアということで、私も40代でシニアに入るのかなと思っていますけれども、そういった方々がもうかなり出てきていらっしゃるということですね。きょうも会場にはそういった年齢の方がたくさんいらっしゃると思いますが、後でそういったお話も出ようかと思います。
 何よりも、人材育成ということで言いますと、行きっぱなしということではなくて、地域に帰ってこられて、そういった人たちが核になりながら、いろいろな情報やいろいろな活動が展開していく。そういったことの重要性がわかっていただけたかと思います。
 最後に、今後、ODAがいろいろ広まっていくに当たりまして、NGOとかの市民団体との連携が一つの大きなポイントになってくると思います。
 そういったことにつきまして、富山大学の佐藤先生からお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
(佐藤) どうもありがとうございます。富山大学の佐藤と申します。
 きょうは、タウンミーティングということですので、第1点として、ODAあるいは開発協力という問題を研究している立場から、ODAについての一般的な考えを述べさせていただいた後、私ども富山大学の学生たちが取り組んでいる、あるいは、取り組んできたNGO活動から学ぶべき点はどういうものなのか、あるいは、ODAに対する提言というものを含めて、2点ほどお話をしてみたいと思います。
 まず第1点は、ODAが、冒頭にお話がありましたように、ことし50年目を迎える節目の年です。この50年間、日本が戦後賠償を皮切りに、国際経済あるいは国際社会において地位を向上させてきたことは事実ですし、また、それに応じてODAの額も飛躍的に増大してきた報告がありました。
 この間、50年間、統計資料によれば 185カ国・地域にODAを展開し、 2,210億ドルのお金が動かされてきたわけです。けれども、この50年間のODAの効果あるいは成果にもかかわらず、私たちが現在住んでいる地球社会は、50年前と比較してどのように変化しているのかを考えますと、依然として50年前と同じように貧富の格差が拡大して、現在でもなお1日に3万人の人々が貧困のふちに追いやられて命を落としている現実があります。
 こういう現実を前にして、ODAを供与する豊かな国に暮らしている私たちが、地球環境あるいは地域経済の悪化、さらには、感染症という健康への不安が広がっていて、希望を持つことが見出しにくい状況にあることも確かであります。特にここ一、二年は、経済のグローバル化が強まっている中で、社会的弱者が生み出されているという現実を踏まえて、これからのODAのあり方を考えていかなければならないのではないかと思います。
 それでは、どういう方向にODAを導いていくのか、あるいは、日本政府は、このODA50周年を節目にどのように変えていくのかという問題が、政治的にも、社会的にも浮上してきているのが現実だろうと思います。
 そういう中でODAは、国益を重視する方向性が強く意識されているわけですけれども、むしろ、私たちは、ODAを三つの保障という考え方に立ってとらえていくべきではないかと思っております。
 その第1の保障は何かというと、国境を越えた、社会に対する保障であるということ。2番目は、行き過ぎた経済活動に対するメンテナンスとしての保障があり、3番目には、将来の持続可能な地球社会を維持していくための保障としてODAが役立てられるべきではないか。つまり、国益を超えて、これからのODAは地球公共政策としてのODAという色彩強く意識することが求められているのではないかと考えております。
 こういう地球的公共政策という観点からODAを考えたときには、それは必然的に、国家だけに任せておけばいいのかというと、決してそうではない。そこで果たすべき役割は、きょうは一つの事例としてですけれども、氷見市長が提起されたように、地方でも担うべき役割があると同時に、また、若者、大学生をはじめとした市民レベルでもODAを担っていく責務があるのではないかと思います。
 そういう中から、富山大学は、これまで、将来を担う地球的な関心を持った若者たちを社会に出して、彼らによって新しい社会がつくられていくことの希望を込めて、従来のような、単に国際交流という形で外国に出て、旅行して帰ってくるだけの国際理解ではなくて、外国に出て、汗を流して、協力の現場に入って体験をするという、大学のとしての授業の一つのあり方を模索しています。2000年から2001年の2年間にかけて、私どもは、アフリカ大陸の南東にありますマダガスカルという、日本の 1.5倍の国土面積を持っている地域で、JICAのプロジェクトを支える形でボランティア活動をやってまいりました。
 さらに、マダガスカルに学生たちが行く以前は、ベトナム、カンボジアにおいて、NGOの仲間と、小学校の建設、孤児院への慰問を繰り返してまいりましたし、2002年には、ケニアにおける農村の村落調査を兼ねて村に入って、各人が1人ずつ、言葉も通じない社会でしたけれども、一人一人が各家族に預かってもらって、そこで寝食をともにしながら、彼らの生計の実態を調べるということをやってまいりました。
 こういう汗を流しながら協力をする。こういうことができるのは、JICAの現地の調整官だけではなくて、在外公館の協力も必要ですし、現地の側の受入れも整備されていなければならないわけですが、たまたまマダガスカルで2年継続して植林のボランティア活動ができたのは、何よりもマダガスカルにおける、先ほど申し上げたJICAの調整官の力量もありましたし、また、在外公館の協力も得て、村に入って、土壌浸食が激しい地域で、土壌浸食をくい止めるための植林活動を行ってまいりました。
 しかしながら、2年以降、実は継続的にやりたかったわけですけれども、マダガスカルでクーデターが起きたこともありまして、政情が不安定であるという理由から、そのプロジェクトが継続できなくなってしまったわけです。そういうマダガスカルでの植林活動は現地の森林省の大臣からも奨励され、また、大臣による絶大な賛辞を得ると同時に、その大臣のもとにある森林研究所のスタッフ、さらには現地の村の人々、ボランティアに私たち外部から大学生が入って植林活動を行うということをやってまいりました。
 そこで見聞きしたことはどういうことであるかというと、歴史も、社会風土も言語も異なる地域での活動ですけれども、やはり若い人たちの力のすごさを目の当たりにして、各自が植林活動を終えた後、村々に引き取られて、一人一人、そこで浸食をともにするわけでありますが、翌日になってしまうと、もうすっかりコミュニケーションがとれてサッカーの試合をやったり、一緒に川に飛び込んで若者たちと遊ぶということを通じて、まさにマダガスカルの人々の考えや社会のあり方を視野に入れて、より積極的に植林活動のインセンティブを高めていく。
 こういう活動は本当の意味でODAが現地社会の中で役立っている。そういう一翼を若者たちが担うことで、まさに「顔の見える援助」が可能になっていく。ぜひこういう仕組みを、外務省の方にもこれから積極的に考えていただきたいし、JICAの皆さんにも考えていただき、大学が協力をすることは十分に可能な状況になっていると思います。
 そういう意味で、いまや国際交流から国際協力への流れが生まれ、そういう流れの中で若い人たちは、ある意味では地球市民としての役割を担おうという意欲を持って世界を見ている。ODAのこれからの一つの方向性の中でくみ取られていく大変重要なのではないかと思う次第であります。
 長くなりましたが、以上でございます。ありがとうございました。(拍手)
(松井) どうもありがとうございました。以上、4人のパネリストの皆さんのお話を伺いました。
 きょうは、最初に外務省の塚田企画官からODAについての概要ということで、実際に、私たちの国内の評価と国外の評価のギャップもありますけれども、今後ますますそういった意味も含めて、私たち自身がODAにどうかかわっていくかを考えるべきだと思います。
 そして、具体的な実践例ということで、氷見市長の堂故さんからは、定置網が世界にどんどん広がっていくだけの契機になったものがODAであって、そのことによって地域も元気になるといったお話を伺いました。
 富山国際大学の白山さんからは、青年海外協力隊の面々が国内に帰ってきて、そこでまた新しく新たな種をまいて、それが広がっていく。また、最近は、シニアの世代も非常に積極的にかかわり始めているというお話でした。
 そして最後に、富山大学の佐藤さんからは、大学での活動そのものが、また新たにJICAやODAとの連携の可能性も十分にあるのではないかといった提起をいただきました。
 いずれにしましても、きょうのお話の中からは、地域であるとか市民の皆さん自身がODAに積極的にかかわっていくことがいま求められているということがおわかりいただけたのではないかと思います。
 ここで、会場の皆様からご質問を受けたいと思います。パネリストの皆さんのどなたに、どういう質問をしたいのかということを具体的におっしゃっていただければと思います。できるだけたくさんの方に質問をしていただければと思いますので、質問はお1人1回にさせてください。質問内容を簡潔に、そして、質問される相手をご指名の上ご発言いただければと思います。
 それでは、手を挙げていただきますとご指名いたしますので、ご質問がある方、挙手をお願いいたします。
 奥の女性の方、マイクを持っていきますので、どうぞご発言ください。
(質問者A) 私、Aと申します。塚田さんにお聞きします。
 中国には円借款があるということで資金援助をなさっているということをお聞きしました。年間約 900億円ぐらいの資金援助が日本政府からされていると思うのですが、中国は、軍事とか軍備を増強していまして、そんなにも援助する必要があるかどうか疑問を思ったのですけれども、いかがお考えでしょうか。
(松井) では、お願いします。
(塚田) ご質問ありがとうございます。私自身、ふだん仕事をしていて、投書とかEメールでの抗議の文書を、一日に何十通、何百通と受けているのですけれども、そのほとんど対中ODAに関するもので、即刻やめるべしという意見が、日本国民からいただく声の中の圧倒的大部分を占めているのが実態でございます。
 そういう意味で、私はその質問に対して答えなれているというわけではないのですけれども、政府としての立場として幾つか申し上げさせていただきますと、おっしゃるとおり、中国というのは、昔のような貧困人口が十何億という国ではなくて、軍事的にも経済的にもかなり進んできている国であることは間違いありません。一方で、日本と深い関係にある国でもあります。貧困人口も決して少ないわけではない。そういうことから、日本政府としましては、日本の安全あるいは利益に直結する分野、具体的には環境分野、人材育成の2分野にしか供与しないという方針を決めております。したがって、中国のために利他的に供与しているというよりは、むしろ、中国に協力をすることを通じて我々の安全を守るという意味での協力に限定して行っているというのが供与の実態でございます。具体的には、環境とか人材育成。
 もう一つは、中国に対する供与の圧倒的大部分を借款という形ですけれども、皆さん、例えば住宅ローンをお借りになるとか、企業であれば銀行から資金を借り入れるということを考えた場合、資金を供与する側、銀行が借り入れる人をある意味でコントロールするわけですね。その人の財務状況、資産状況を全部調査した上で資金を貸すわけです。日本政府が中国政府に資金を貸すときも、中国政府の中を十分に審査した上で、ある意味、彼らの政策をコントロールする形で資金を供与しているわけです。したがって、ただ単純にお金を貸しているというよりも、我々は、資金協力する形で中国の政策をある程度管理すると言うと言い過ぎですけれども、我々として、こうあってほしいという政治的メッセージをあわせて中国側に申し入れた上で貸し付けているというのが実態でございます。
 当然、経済の分野でいろいろな注文をつけるわけですし、それ以外のいろいろな政策的な観点から中国に対して非常に厳しい申し入れをしております。そうした形で、中国に対して我々の意思を貫く、あるいは、将来的に中国をいい方向に誘導していく上で我々が行っている円借款は有効な手段であると考えております。
 当然、日本国内の世論は十分に配慮する必要があるし、中国自身、自分で資金手当てしていただきたい分野にはもう貸し付けていません。実際、借款は、一時の水準から半分から以下の水準に落ちてきておりますし、将来的には、恐らく、ODAから卒業するというのも当然出てくると思いますので、ある意味、中国がODAから卒業するというのは、日本としての協力が成功したことになるのではないかと思います。できるだけ早くそういう形で、中国のみならず、国際社会全体が貧困から脱出して、経済的に安定することが日本にとってもよいことではないかと思っております。
(松井) そのほかにいかがですか。
 そちらの男性の方、どうぞ。
(質問者B) Bと申します。市民、学生の立場から、塚田さんにお聞きします。
 今回、地域における市民参加型協力の可能性とか書いてありますけれども、昨年度以降、外務省なりOGA、JICAなりは、国民の声とかいろいろな声を聞こうということを緒方さんが提案されて、それをされていると思いますけれども、いかがでしょうか。聞く機会があるはずですよね。ないのでしょうか。まずそこをちょっと聞きたかったのですけれども。
 では、具体的に。実は、昨年のいまごろ、市民の立場として貧困地域の支援をしたいということで、北陸JICAのほうに、富山大学の理学部の学生と一緒にご相談に参ったときのお話をさせていただきたいのですけれども、この話は、皆さんにも客観的にちょっと聞いてほしいと思います。
 私は、インドネシア、タイのほうで市民レベルの支援活動をやっておりまして、インドネシアで貧困地域の子どもたちにITを通した教育支援をしたいということでご相談に参ったときの話です。その話は、こちらにもオブザーバーで聞いていた方もいらっしゃいますので、後ほどまた確認を取っていただければよろしいと思います。
 そのときに、私どもがインドネシアと出したときに、インドネシアはイスラムの国ですよねということで、イスラムはどんな国ですか、ということをまず言われました。イスラムはちょっと危ない国ですよねということを言われました。あと、ITということで、貧困の地域になぜITが必要なのかということも言われました。そのような形で、ご相談の中身に全然入れなかったような状況でした。
 私が何を言いたいかといいますと、市民レベルでできることを模索したいと思いましてJICAさんを訪問したわけですけれども、実際には全然かけ合ってもらえないような状況があったということをご報告させていただきたいことと、実際にこの案件といいますか、これのミニチュア版ですけれども、ほかの財団で 100万もの予算をつけていただきまして、ことし実現することができたこともあわせてご報告させていただきたいと思います。窓口の敷居の高さといいますか、その辺はどのようにお考えなのか。市民の意見を聞く気があるのかということをお願いできますか。
(松井) 塚田さん、事実関係はともかくとしまして、実際にその姿勢が本当にあるのかどうかということですよね。そこら辺についてのご指摘ですが。
(塚田) 問題提起、ありがとうございます。ODA改革ということで、ここ二、三年はいろいろな方面から、より国民の声に直結した形でODA行政を展開すべしという大号令がかかっている中で、もちろん、緒方JICA理事長もそういう考えでJICAを指導していると思います。仮にそういう形で、外務省の敷居が高いとお感じになったとしたら、私も大変心苦しいというか、残念なことだと思いますし、おわび申し上げます。
 ただ、IT支援に限って申し上げれば、もちろん貧困削減というか、貧困撲滅に対して非常に重要な役割を果たしていることは我々も認識しております。実際、アジアの幾つかの国々では、具体的にITを通じた村落レベルでの貧困削減プログラムも進んでいますので、ここ二、三年の間にITの技術も飛躍的に進行しておりますし、貧困撲滅におけるITの位置づけというか、役割についての認識はかなり変わってきていると思います。そういう意味で、外務省のODA政策の中で、ITが組み込まれていないということでは決してなくて、我々としては、いい内容のものであればぜひ積極的に取り上げていきたいと思っております。
 1点、先ほど申し上げたとおり、ODAといってもいろいろなレベルの協力がございます。第一義的には、インドネシアの要請書がきちんとした形でまとまっている、あと、インドネシアの国家開発計画の中にきちんとそれが位置づけられているといったようなレベルから、あるいは、NGOレベルでの支援であれば、そのNGOが行っている協力プログラムが全体の中でどう位置づけられているのか、あるいは、そのNGOがどの程度財政基盤がしっかりしているのか、その程度は、国レベルで行う政策である以上、かなり難しい審査を経て行わなければいけないという部分はご理解いただければと思いますけれども、我々として、ITだから貧困と関係ない、あるいは、イスラムの国だから我々としては審査を厳しくしている。そういったことは恐らくないと思います。
 ぜひ、具体的なプロジェクトの中身が今後ともご提案いただけるのであれば、これに懲りずにというか、ぜひ外務省にもご提案いただければ、我々として真剣に検討させていただきたいと思っておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。
(松井) ありがとうございました。次の方、いかがでしょうか。
 そちらの方、どうそ。
(質問者C) お聞きしたいことはたくさんあるのですけれども、1点だけ。
 実は、いま一番考えているのは、私は富山のほうでNGOをやっていまして、むだを省いて、それが向こうの国にとっていいものになればということで、古着を売ったりして学校を建てました。その都度、実際にそういうところと交流している中で、病院などに行きましたら、これはODAからもらったと見せられたりしたものがあったりしました。そのときには、その病院の中で最先端のものというのは全くないわけです。入院するのもままならない国に電子顕微鏡なんか贈られて、使う人もいなければ、ただよい物を贈られたというだけで、ちょっと使って、あとは動かすことが全くできない。そのケアも全くなしで、いろいろなところを贈られているところがたくさんあるわけです。
 やはり医療関係者が一緒に行ったときに、日本の中でいっぱい捨てられてもったいないもの、例えばピンセットにしてもそうです。向こうはさびたものを使っているわけです。メスとか。そういうことを考えて、私たちが日本に帰ってきたときに、税金ばかりではなくて、日本ではまだまだ使えるものを廃棄処分にしたりしていますね。これはやはり絶対におかしな話なので、そういうものをこれから援助しようとか、そういうことがプログラムの中に入っているとかいうことがあるのでしょうか。
 それと同時に、外務省だけではなくて、NGOの私たちと組むことができる何かそういうものがあるのでしょうか。
(松井) 塚田さん、お願いします。
(塚田) 非常にいいご指摘だと思います。途上国には、決して最新鋭の高価なものを贈る必要がないというのは全くご指摘のとおりで、実際のニーズとかけ離れたものを提供するという事例は、極めて少ないと思います。ただ、仮にあるとしても、それは極めて例外的なことではないかと思います。
 ただ、ご指摘の、古いものでもいいものがあるのだから、そういったものを途上国に供与すればいいではないかという話は、実は、だいぶ前から我々も取り入れておりまして、具体的には、リサイクル無償資金協力という形で行っております。もちろん、ODAという枠組みの中では、直接個人に対して個人が使うものを供与することはできませんけれども、例えばNGOの団体が日本国内で集めた中古のものなどを向こうの個人ないし団体に供与するときの輸送費、運賃費、そうした足腰部分をODAでサポートするというシステムがあります。したがって、そういう形で日本国内の善意を途上国に伝えると同時に、環境にもやさしい、あるいは、現地のニーズに直結したものを供与することは、我々としてもぜひサポートしていきたいという気持ちがありますので、そういったニーズがもしございましたら、どしどしとご提供いただければ、できるだけのお手伝いをさせていただきたいと思っております。
(質問者C) もう一つだけいいですか。
(松井) では、もう一つだけ。
(質問者C) 前に、NGOと小規模開発事業ということで、うちがオーケーということで一緒にやろうとしていたのですけれども、それがいろいろととても難しい。賄賂を通さなければだめだというところを、外務省は絶対にここでなければだめだと言われたことがあります。私たちは私たちで見つけたカウンターパートがあるでしょう。そうしたら、国を通して、そこはだめだよと。そこはその国で認められていないから、国が認めているカウンターパートを通してくれないと援助はできないという話がありました。それでいろいろなことで、それはうちのほうではいまは棚上げになっています。
 この間も、JICAのほうから、草の根支援で一緒にもう一度考えてみませんかというお話をいただいたときに、その中に、例えば 1,000万円使って何かやりましょうという中に、渡航費用は認められないということがあります。草の根支援をやっている私たちは、財源としていろいろなものを売ってやるわけです。そういうときに、一緒に何か向こうの国に対してやりましょうというときに、海外なのに渡航費用は含めませんよといったら、自分のところで渡航費用を用意しなければならない。一緒にやるプロジェクトなのに、どうして渡航費用が認められないのでしょうか。いろいろな事業をやるときに。
(松井) 塚田さん、いかがですか。
(塚田) 細かいスキームの手続きについては、私自身、余り詳しいことをご説明できるだけの情報がいま手元にないのですが、一般論として申し上げると、国が行う事業は、いわゆる行政経費といいますか、言葉は悪いですけれども、飲み食いに消えるお金‥‥。もちろん渡航費用はそういうことではないのですが、一般的に行政経費は税金ではサポートできないという考え方が強くあります。これは、外務省というよりは、むしろ財務省さんの強い問題意識で、我々も実は、NGO活動に対するODAでの支援、これはできるだけ行政経費も含めてサポートしたほうが、より円滑に支援ができるはずだという信念のもとに、その壁を取り払うべく財務省とは日々協議しているというか、何とかそこの行政経費みたいなものをみれるように、できるだけカバーする範囲を広げたいと思っていますけれども、ここはなかなか、財政というか、予算全体のルールが、そういう形で行政経費的な部分はなかなか見れないことが一つの壁になっていると思います。
 そこは、本体事業と深く一体化されている部分ですから、将来的にはその壁を取り払いたいと私は思っております。実際にそういう方向で、いまいろいろと制度を改善したりと、取り組んでいるところでございます。
(松井) 次の方、いかがでしょうか。
(質問者D) 氷見から参りましたDと申します。堂故市長の応援を兼ねて参りました。全体の中で、漁業の協力がどのように位置づけされるものなのかなということにも関心があって参りました。
 皆さん、塚田さんばかりをご指名されていますけれども、お願いします。
 きょう、お話を聞いていて、来てよかったなと思っています。一つは、なぜ不評かということが非常にわかりやすくてよかったと思います。だけど、なぜ継続するのかということもよろしいわけで、そういう意味では、先ほど発表がありました氷見のケース、富山大学の生徒さんが実際に行われているケースなどは、その二つの矛盾する答えになる好例なのではないかという思いで聞きました。別の言い方をしますと、草の根の活動といいますか、広い活動にようやく目が向いてきたかなと感じたということであります。
 また、大きな橋をかけたというのは、50年の活動の中でフフヒョウの紙の部分があったのではないかという印象を持っておりますので、そういう意味では、草の根の活動の時代が来たのかなと、大変期待を持っております。
 ちょっとよけいなことを申し上げますけれども、氷見市もただいまは独立市政で、行財政改革に一番頭が痛いのが堂故市長ではないかと思っております。氷見の重要な産業ですから、漁業に光を当てていただき、我々も大変ありがたいけれども、そういう大きな、しなければならないことを進めながら、どの辺でいい区切りがつけられるのかなというようにも思っていましたが、今後、そういう草の根の活動のほうに、塚田さんの立場からの視点を大いに当てていただくということで、 400年の伝統があるということは、 400年もかかって築き上げた技術でもあるわけです。そういったものがコスタリカやタイの国で、1年や2年で成功するとはなかなか思えません。ですから、そういったことの広がりを見ていくというのは、教えた人たちが次に教えていってくれるようなところまで指導を継続しなければ、せっかくやったものも効果がないのではないかという感じもいたしますので、いままで光が当たっていなかった草の根的な広がりを見せるいまの動きについて、塚田さんのご意見を承れればと思います。
(塚田) ありがとうございます。いままでの政府と政府の間の協力を中心に進んできた日本のODAが、いろいろなレベルを巻き込む形のODAに徐々に進化してきているというのは、まさにご指摘のとおりですし、我々もそういう方向に大きくかじを切っているというのも間違いないと思います。
 実際、ODAのスキームとしても、草の根無償資金協力とか、そういった直接NGOを介して行う協力とか、先ほどの氷見の定置網漁法の例のように、自治体レベルでの協力を側面支援するODAが増えてきているのも事実です。恐らく、そういった方向での国際協力は、今後ますますニーズが高まってきて、そういったものがより望ましい国際協力のあり方であるという世論は高まってくると思います。
 片や、ODAというものは税金を原資として行われる事業であり、政府としての意見を相手に強くぶつける、あるいは、日本国の総意としての問題提起をする場合には、やはり引き続き有効な手段として、特に難しい国、あるいは、日本として困難な立場に置かれているような政策がある場合の政策意思を伝える手段としてのODAの役割も引き続きあると思います。
 草の根レベルだけに税金が流れていくと、恐らく、例えば核実験をパキスタンが行ったときに日本政府として抗議する手段は、もちろん言葉で、けしからんという申し入れはできますけれども、より具体的な形で日本政府あるいは日本国民の意思を伝える手段はなかなかないというのは、やはり考えておかなければいけないことから、そういった政府レベルでの協力と、より草の根レベルを巻き込んだ協力、これはいろいろなレベルの協力が併存していくことが最も望ましい形の開発協力のあり方ではないかという気がします。最後のほうは個人的な意見ですけれども、そういう気がしております。
(松井) ありがとうございました。
 もう時間も迫ってまいりましたが、もうひと方だけ、あればどうぞ。
(質問者E) 青年海外協力隊OBとしてずばり聞きたいのですけれども、協隊事業推進派の僕としては、今後も協隊事業をどんどん拡大してほしいくらいですけれども、予算は、先ほどの話では3割削減とか、ちょっと厳しい状況もあると思いますけれども、その辺、今後拡大の方向にあるのか、縮小の方向にあるのか、とりあえず現状維持で将来的に上げるのか、下げるのかというところを、はっきりと聞きたいです。
 というのも、私は、自分が行ってきて、自分の目で見て、自分の五感で感じてくるわけです。こういうものは、日本人の方は世界のことをよく知っていると思っていますけれども、そうではなくて、井の中の蛙で、実際に向こうの現状はどうなのかということは、やはりわかりづらい。これはいくら口で説明してもわからないところがいっぱいあると思います。そういうところを、自分で行って、見て、体感してくるという体験はすごく大事だと思うので、今後、若い人たちにはぜひ参加して、見て、理解して帰ってくるということが必要だと思います。それが国際理解につながるし、ODAがなぜ必要なのかというところをすごく感じて、これだったらちょっとお金を出さなければいけないということで協賛も増える話になると思いますけれども、僕はそのように思いますので、今後どのように動いていくかということを聞きたいです。
 あわせて、せっかく市長さんとか教育機関の方々もいらっしゃるので、各市町村でもそういうことを理解していただきたいし、各教育機関でも、私は前から、学校とかに行って、いくらでも講師とかやりますので、時間の許す限りですけれども、そういったことも十分に考えを聞きたいと思います。
 以上です。
(松井) 予算のことはいかがでしょうか。
(塚田) 予算については、まさに来年度予算は折衝している最中でございまして、我々はもちろん、青年海外協力隊の予算を含めて、ODA予算をこれ以上減らすべきではない、ぜひ増やすべき、少なくとも横ばいにすべきだということで一生懸命に各方面にお願いしているわけですけれども、いかんせん、三位一体改革、社会保障の問題、小泉改革の中で予算の規模が全体的に縮小する中でODA予算を守ることは非常に厳しいというのが私の現状認識です。したがって、来年度もさらにODA予算が削られることがあったとしても驚きではないというか、国民全体の世論の趨勢としては、ODA予算にお金を回している余裕はないという声が強いのだと思います。私は決してそうあってはならないし、経済の状況が苦しくても、いま申し上げたような形で、非常に心強いお声をいただきまして、私もぜひその声を、永田町とか財務省に直接ぶつけたいという気がするわけですけれども、そういった中でもODAは守るべきだという声が少しでも増えるよう、引き続き努力したいと思っております。
 ただ、私が一つ気づくのは、青年海外協力隊の事業は非常にすばらしい、ぜひ予算を増やすべきであるという方は多いのですが、それが実はODAであることをご存じない方が結構多かったりして、その辺、我々自身の説明というか、努力不足のところもあるのですけれども、協力隊の方々は非常にすばらしい活動をしているし、少しでも多くの国民の方々にその活動を知ってもらいたいと思います。そういう意味で、皆さんの経験をぜひいろいろなところで説明していただければ、今後の予算を増やす上での一つのいい材料になるのではないかと思っております。予算について非常に厳しいというのが私の印象です。
(松井) 堂故さん、いかがでしょうか。そういった体験をいくらでも話したいという方がいらっしゃるようですが。
(堂故) 小さい行政、マネジメント、行革などを進めているということで、予算の配分に迷ったりしていますが、ときどき、複雑になった思考回路を簡単にするために繰り返し自分に問いかけるのは、お金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上と。ときどき迷ったときには、思考回路を簡単にしています。
 今後、ODAの場合もやはり、人づくりが大切だと思います。
(松井) 残り時間も少なくなってまいりまして、質疑応答は塚田さんがほとんど矢面に立ったという感じがありますが、最後に、パネリストの方に、手短ではありますが、本日のODAタウンミーティングを終えるに当たりまして、感想でも結構ですので、一言ずつお願いいたします。
(塚田) 僣越ながら、私の個人的な感想を含めて申し上げますと、当初、厳しい質問とか、厳しい批判の声の中に乗り込んでいくことになると思って、針のむしろに座らされる気持ちで乗り込んできました。もちろん、そういう声もあったわけですけれども、予想以上に、ODAについて、あるいは、草の根レベルでの国際協力について、富山は、熱心なというか、ご理解のある土地だなということを実感して非常に心強いというか、勇気づけられる気持ちでいっぱいです。
 もちろん、予算財政も経済も厳しい中、私自身の問題意識もそうですけれども、1年先、2年先という目先の問題ではなくて、恐らく、10年、20年という日本の国のあり方自身が日本のODA政策に問われているのではないかという気がいたします。非常に大きなことを言うようで心苦しいのですけれども、ぜひ、冒頭のスライドでごらんにいれた、1人 7,000円出すことが本当に価値があるのかどうか。この問題提起をぜひ皆さんもこれをきっかけに自問していただいて、これからも、ODA事業、ODA政策に積極的に参画していただけることを心よりお願い申し上げます。
 きょうはありがとうございました。(拍手)
(松井) 続きまして、堂故さん、お願いいたします。
(堂故) きょうは、大変勉強になりました。先ほど控室で話していたのですが、国同士ではありますが、対中のあつれきがあり、今年5月には、県の代表で、友好20周年で訪問させていただいたり、市レベルでも、中国のまちと付き合いをさせていただく中で、全然そういう話が出ないです。まったく友好的です。また、協力関係もどんどん進んでいます。
 ですから、国家戦略と草の根、個人や地方自治体とのありようを一緒にさせていくというか、将来的には同じくらいのレベルになっていくことが必要なのではないかと思います。そのためにも、もちろん国家戦略も大事ですが、地域を動かし、そして国を動かすような、人と人とのかかわり合いがもっと大事になってくるのではないかと思います。
 きょうは改めて勉強しました。ありがとうございました。(拍手)
(松井) どうもありがとうございました。
 白山先生、お願いします。
(白山) 皆さん、どうもありがとうございます。実をいいますと、私はいま大学で、環境の問題と福祉の問題の二つを学生と学習しています。そこでよく感じるのは、三つの助け合いです。自助、互助、公助の三つが成り立ってやっと一つのことが出来上がる。21世紀は非常に難しい局面にあるのだろうと思っております。
 ことしはODA50年ということで、50年の間に一体何が改善されたのか、日本国民の間でそういうものが一体どれだけ改善されたのか。あるいは、我々がサポートした多くの開発途上国の人々がどれだけ喜んで日本を迎えてくれたのかということを、やはりしっかりと詰め直す。まず一つはそういう転機だと思います。いま堂故市長が言われたように、私も一つの共通の意識は、50年前のODAは国と国、二カ国間の一つの約束ごとで、あとは個人がそれに引っ張られていった時代ではなかったかと思います。でも、これからは、個人が、それはNGOとかNPOというのはまさにそういうことでやっているわけで、個人の主体性をどうやってODAの中に取り込むかということの手法を、外務省をはじめJICAも考えていく。そのためには、小規模でも、いい事業はどんどんサポートしていくことをぜひ実施して、あと50年後、 100年後には、もう少し形が変わったものを‥‥。それから、日本のODAも世界に誇れるものを展開してやっていければいいなと思います。
 ありがとうございました。(拍手)
(松井) ありがとうございました。
 それでは、最後に佐藤先生、お願いします。
(佐藤) 私はよく学生たちに言うのですけれども、社会人になって社会的に責任を負う一人の人間として果たすべき役割は二つあると。一つは「稼ぐこと」。「稼ぐ」だけでは人生をまっとうすることはできない。もう一つは「務め」があって、その「務め」とは何かというと、ボランティア、人のために役立つ、介していくという役割が一人の人間として求められている。こういうことを考えれば、今回のタウンミーティングを契機にして、富山で、開発援助のあり方、県境を越え、国境を越え、人々とつながり合う方法を見つけ出すための議論が高まることを期待したいと思っております。(拍手)
(松井) ありがとうございました。
 あっという間の2時間でございました。私もきょう初めて、1人当たり年間 7,000円という額を知りました。それが本当にどう使われているのか、改めて考えるいいきっかけになったと思っております。
 本日は、皆様、長時間本当にありがとうございました。そして、パネリストの皆さん、会場の皆さんからも貴重な意見をたくさんいただきました。きょうの意見を今後のODA政策に生かしていっていただければと思っております。
 以上をもちまして「ODAタウンミーティングinとやま」を終了させていただきます。皆さん、どうもありがとうございました。(拍手)
(閉会)
 
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