1.日時: | 8月5日(日)13:00-15:00 |
2.場所: | 早稲田大学国際会議場井深大記念ホール |
3.出席者: |
●司 会:生島ヒロシ(キャスター) ●パネラー: ・須磨佳津江(キャスター) ・佐藤友紀(女優) ・白幡利雄(シャプラニール次期ダッカ事務所長 ・宮内雄史(国際社会貢献センター(ABIC)事務局長) ●第2次ODA改革懇談会委員: ・渡辺利夫(座長、拓殖大学国際開発学部長) ・荒木光彌(国際開発ジャーナル社代表取締役・編集長) ・市川博也(上智大学比較文化研究所所長) ・船戸良隆(国際協力NGOセンター(JANIC)理事長) ●外務省 ・秋元義孝(経済協力局政策課長) ●聴衆 約220人 |
4.議事概要: |
以下の通り(なお、発言の内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんので予めご留意下さい。)
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(1)生島キャスターから出席者紹介及び本会合の趣旨説明が行われた。
世界人口60億人のうち40億人が途上国に住んでおり、13億人が貧困状態にある。現在多岐にわたる問題が途上国で見られており、日本の貢献が求められている。日本は一番金額的に貢献している一方、今経済が低迷しており、ODAはどうあるべきか、日本の資金がきちんと使われているかなどを取り上げていきたい。本日は、有意義な会にしたいので、皆様よろしくお願いしたい。 (2)渡辺座長による挨拶及び第2次ODA改革懇談会中間報告の紹介 (渡辺座長)日本のODAは90年代を通じて世界最大規模を誇ってきたが、現在かつてない逆風にさらされている。経済が長期にわたり低迷し、抜け出るシナリオが見えてこない。また、財政赤字が修復不可能かもしれないほど拡大するなど、ODA予算にも厳しい制約があるといわざるを得ない。平成10年度にODA予算が10%強削減されて以来、一般会計予算全体の伸びと比べODA予算の伸びは下回っている。今、来年度予算の策定の動きがあり、楽観は許されない状況である。 一方、国民のODAに対する支持率もじりじりと低下している。こうした中、日本のODAはどうあるべきか考えないといけない。ODAの中心財源は国民の納める税金であり、そうであれば国民はODAに高い関心を持ち、ODAの諸活動に積極的に参画していくべきである。今の時点、ODAはどうあるべきか、改革してくべき点は何か、本格的に議論していく必要がある。 こういう中で、第2次ODA改革懇談会が5月に設置され、かなりの回数議論され、先日中間報告が発表された。中間報告としては、問題提起を行っており、これに対し、色々な意見を聞きたく、メールやタウンミーティングなどで意見募集している。そして、11月に最終報告を出したいと思っている。従って、今回のタウンミーティングには大きな位置付けが与えられている。 -以下、中間報告「骨子」に基づき説明-
(3)パネルディスカッション(敬称略) (生島氏)今日は皆さんの意見を幅広くきいていきたい。ではまず須磨さんからODAにどのような印象があるのか、NGOとODAのかかわり方も変わってきたと思うが、そうした視点も含めて伺いたい。 (須磨氏)15年ぐらい前、外務省がまだ縦割りの中NGOと手を結ぼうとしていない頃、「目で見る国際協力」というパンフ作成に関わったことがある。そのパンフは官報のように中身が非常に固くて面白くなく、いろいろと助言したことがある。それが私と国際協力との最初の接点である。その後大分たち、「国際協力の日」のシンポジウムでコーデネーターをしたときに、様々なNGOや外務省の方にお目にかかった。たった5年前には、外務省とNGOが同じテーブルに付くだけでも画期的と驚かれたものだった。それがいまやNGOと政府関係者とのパートナシップの強化がみられるなど、ここ1,2年で大幅に関係が変わってきている。またNGOにお金をあげるだけでなく、意見もきくようになってきている。更に、民間モニター制度のように多くの人に見てもらいたいという思いが外務省に現れてきた。ただ、国民に知ってもらおうという姿勢が強くなってはいるものの、それがまだシステムとして実を結んでいない。今のご理解下さいという視点から、いいことをしているから見て下さいと、真正面に応えるという考えに変わるべき。中間報告に描かれたポリシーがすばらしいだけ、理念が理念で終わらないようシステム造りに励んでほしい。中間報告にはその視点が足りないのではないか。 (佐藤氏)ODAという言葉は正直言えば、今回のイベントに参加することで初めて聞いた。そこで、ODAの一番の問題は私が知らないことにあるのではないかと思った。ODAについて今回の会合への参加が決まってから勉強したが、すばらしいことをしていることに気づいた。日本のODAは10年間世界1を維持していることも知られていない。海外に興味を持っている人は多いのに、ODAについて関心のある人は少ない気がする。国際協力をしたくない人というのはおそらくいないのではないか。一般に言って、ODAのことを知っている人がどのくらいいるのか、ODAについてもっとPRしてほしい。 (白幡氏)8年間NGOに所属しており、うち3年間、世界から多額の援助を受けているバングラデッシュに赴任した経験があるが、「援助」という言葉はあまり好きではない。なぜならば、この言葉にはどうしても何かしてあげるという考えから抜けられない面があるからだ。援助には日本の主体性、独自性が強調されるべき。これからの日本のODAを考える上で、大切な視点として持ってほしいのは、欧米の真似をしないでほしいことである。欧米の援助は日本よりも歴史もあり経験を持っている。彼らがやっていることは誤解を恐れずに言えば「施し」である。そこで、日本が独自性を出すとすれば、市民と市民との交流、市民対話から生まれてくるものにあろう。日本にはスタディツアーが多い。貧しい国と思っていざ途上国に来てみると、どうも感じが違い、日本が失った豊かさが残っているという感想を述べる人が多い。途上国の市民が何を望んでいるかは、市民交流によって分かってくるのではないか。その意味で、国別援助計画の策定の過程で、これまであまりNGO、現地を含む一般市民の声が反映されてこなかったのは残念である。今後は日本だけでなく現地の声も取り入れてほしい。そこに日本の独自性が出るのだから。 (生島氏)今のような意見は大変良いポイントだと思うがいかが。 (渡辺座長)白幡さんの意見はその通りと思う。今まではどうしても官主導になってしまっていた。そうならざるを得ない理由もあったが、これからは国民各層が参加する時代である。援助主体が多元的化すればするほど一元化の動きも必要である。この点は秋からの懇談会でしっかりと議論しないといけないと思う。 (荒木委員)ODA政策を透明化していく必要がある。一般市民にとって今の国際協力は、航路なき航行といえる状態だが、開かれた国別援助計画が作成されれば、自治体、NGOにとってもより羅針盤的な役割を果たすこととなる。色々な因果関係を丹念に検討して計画を策定していく必要がある。 (宮内氏)自分が所属する国際社会貢献センターは、昨年商社の集まりである(社)日本貿易会によって設立された特定非営利活動法人で、965名の商社OB等が登録されており、専門家としての人材派遣や大学への講師団を派遣するなど、JICA、NGO、自治体の活動などに協力している。商社の仕事を40年も続けるということは、ある意味大変なコストを払って人材育成をしていることを意味する。従って当センターはコストが安く、何かしたいという人材のプールとなっている。ODAの限られた資産、限られたファシリティでもって効果的効率的な援助をしていくには、彼ら人材をいかに活用するかが大切である。その際シニアの人を人材として活用していくシステムの充実が必要である。 (生島氏)小泉内閣は「構造改革なくして成長なし」と標榜しているが、限られた予算の中で、そもそも途上国への援助は必要なのかという点についていかがか。 (渡辺座長)こういう場なので、ラディカルな問いかけをしたい。例えば電車の中でお婆さんが乗って来た。席を立とうか迷っているとき、席なぞ譲る必要もないし、譲らなくとも法律的にも罪でなく、勝手である。しかし、そのような人を我々は信頼する気にはならない。ODAも同じ文脈で語れる。軍事力放棄の日本が国際社会の信頼を得て生き抜き、繁栄していくには、是非ともODAは必要である。 (市川委員)佐藤さんが言うように、日本のODAが10年連続1位であることは誰も知らない。また、従来からあるODA批判は、国民の税金を効率的に使っているかよく分からず、改善の余地があるのではという考え方が国民にあると思う。国民は気持ちとして自己収入の1%くらいを地球上の弱者に使ってもいいというような素朴な感覚を持っていると思う。ただ「施し」という視点ではなく、素朴な人に触れ、かつて日本にもあった人間としての温かみに触れることで、我々が彼らから学ぶ点もあるのではないか。ODA予算では効率性などの議論も重要だが、ODAは富とは関係なく、人間としての生き様を教えてくれる重要な手段なのではないか。金額の問題ではなく、日本人の心に生きている人間としての心を覚ますことで、日本社会の活性化につながるのではないか。マリア・テレサの自分は貧しい人に教えてもらっているという言葉に、感銘を受けたことがある。 (生島氏)確かに効率性を追求するだけでは生きている意味がない。感動がなければいけないと思うが。 (白幡氏)援助を続けるべきか否かという議論はもう止めるべき。援助をすることは当然であり、やらないという選択はない。日本一国で世界が成り立つわけではないのだから。ただ巨額のお金なので無駄のない形を求める必要があるのは当然である。一方、お金がかからない関係もある。例えばネパールのスープというNGOは、お金はもういらないと言った。代わりに日本の経験を教えてほしいと。これを聞いて私はショックを受けた。現地NGOではいかに大金を獲得するかに力を入れる団体も多いなか、そういうNGOが草の根レベルで育ってきた。お金のかからない援助のあり方が問われているのではないか。 (生島氏)お金よりも経験をというのは非常に重要なコメントだと思うが。 (渡辺座長)日本のODAにNGOをどう組み込むのか。須磨さんはシステム化という表現をされたが、船戸さんはいかがか。 (船戸委員)NGOというより20年以上携わってきた者としての私の意見を言うと、白幡氏のいう「援助」に代わる言葉について、政府は「協力」、例えば国際協力事業団、という言葉を考えた。協力とは共生という概念から出てきた。お金を持っている国が持っていない国にあげるんだという発想は今や無くなってきている。こういう考えのNGOはもうほとんどないのではないか。佐藤さんは日本が10年ODAがトップであることを知らなかったと言われたが、国民の大部分はODAについて知らないということは事実だと思う。事業予算1兆8千億円がいつ、どういう理由でどう使われるのか、国民はほとんど関心がなかった。今後は国民の方でも関心を持つと同時に、どうODAをPRするかが重要。国民が自覚的に国際協力をどの程度思っているかが重要。第2次改革懇のテーマとして、国民中心が掲げられているが、国民がODA予算に関する自覚を持つことが大事である。 (生島氏)素朴な疑問であるが、1兆8000億円の予算が本当に困っている人に渡っているのか。ピンハネされているという話もきくが、いかがか。 (宮内氏)この10年から20年、ODAを巡る環境は変化してきた。以前は、日本の援助によるインフラ整備は途上国の発展に大いに役立った。しかし、こうした成功例が目に見える形で検証されていない。北京では10年前は牛乳は誰でも買えるものではなかった今は違う。中国の発展には、日本によるインフラ整備が大きく寄与したはずである。一方、当事者の方も、かつての成功体験に基づき、時代が変わってもかつてのままで走ってしまった。このミスマッチをなくすため転換することが必要。 (須磨氏)あらゆる報道から、ODAに疑問を持っている人が多い。本来日本人はやさしいので、途上国の役に本当に立っているならば、支持してくれる。しかし、電気のない国に最新鋭の病院を建てたり、たくさん資金を投じて、うまく使われていないなど無駄に対しては国民は大変敏感である。ある国が欲しいといったものを日本があげるという要請主義により、日本は主導権が握れず、相手国が使いこなせないものを供与する羽目になり、これが無駄につながった。途上国側は夢を供与してもらおうとし、日本は内政干渉に当たらないよう気をつけるあまりそれを供与してしまっていた。その結果、日本のODAは何をしているのかという疑問につながった。 (秋元課長)不正があれば厳正に対処する。ただ、マスコミではどんなにいいプロジェクトでも成功例は報道されず、不正はすぐに報道される。私の経験ではODAはそんな無駄に使われてはいないと思う。国内の公共事業よりもむしろ効果的効率的ではないか。ただ、途上国相手なので、開発上の優先順位を正しく認識していなかったり、行政能力が低かったりということはある。いずれにしても年間供与案件のうち99%は効果が上がっている。 (船戸委員)大切なのは援助ニーズをいかに吸い上げるかである。まず日本の援助機関をみると、バングラでは日本の無償資金協力が世界中で一番なのに、大使館では数名が担当しているだけで、人員がとても少ない。日本の援助定員一人当たりの援助額は5億4800万ドルに対して、カナダでは一人当たり1億4千万ドルであり、日本の1/4である。これではいくら現場で一生懸命働いても、人手が足りなすぎである。こういうところをなんとかしないと、適切な仕事はできない。 本当に現地のニーズに適したものかを知るには、現地語を話せる人を育成する必要がある。むろん、現地の役人とも交渉できないといけない。現地役人の多くは欧米に留学経験があり、欧米化されていて、庶民のニーズが反映されない傾向がある。そこで同時に現地のNGOなどと接しないといけない。現地語を話せる人を育成して初めて、現地ニーズを的確に理解することができ、税金が適正に使われることとなる。 (渡辺座長)相手のニーズにあった援助が大事。ただ、日本はこれまで相手国からの要請を聞きすぎた面がある。日本は要請主義であるが、これがいいのか。日本の独自性と要請主義との兼ね合いが難しい。その意味で国別援助計画の作成は大事である。 (生島氏)その点政府は前向きに取り組んでいるようにみえるがいかがか。 (白幡氏)政府関係者とのみの話し合いだけでは実情とずれる。これは構造的な問題である。もっと色々な人を参画させることが重要である。先般、日本政府とシャプラニールが中心となって、日本政府と現地NGOが国別援助計画について意見交換を行った。こういう場をもっと色々な国においても持ったほうがいい。JICAなどの実施機関とNGOが会合を持つなど、もう自主的な動きは始まっている。 (生島氏)現実にODAがカットされるとなると、援助はお金だけではないと言われはしたものの、現場の人からみてどう思うか。 (白幡氏)極端に言えばカットされてもいいと思う。どの位までカットしてもいいかは言えないが。お金をかけなければ質が高まる経験則がある。現地の人に役立つ協力は金がかからない傾向がある。お金のかからない援助が重要で、たとえODA予算削減されても構わない。 (宮内氏)効率性、コストパフォーマンスに対する厳しい目を養うべき。そこで、先程シニア人材の活用という例を出させていただいた。これは日本全体の構造改革の一環といえよう。 (生島氏)もっとお金をつぎ込まないといけない国もあると思うが。 (市川委員)私はもっとODAのお金はあった方がいいと思う。無駄を省くことは当然だが。欧米のあるNGOを調べて驚いたのは、年間事業費が500億円もあったことだ。これは日本の環境省の予算に匹敵するのではないか。そこにはPhDを持った人が数百人のレベルで存在している。衛星を使い、象の居場所を一頭ずつ把握して保護しようといった、最先端の科学的方法を用いた支援をしているNGOもある。欧米のNGOにはこういったプロフェショナルなものもある。別に色々なNGOがあってもいい。心と心の交流はNGOでしかできない部分である。日本の教育水準を考えるともっと色々な可能性があるのでは。欧米型のNGOのマネは駄目という視点ではなく、多様なNGOのあり方が必要。ただ、いずれNGOにお金が流れると、アカウンタビリティの問題は生じてくるだろう。そういうことに対応できる社会の仕組みが今後長期的には必要である。大学などでプロフェッショナルな人材を生み出すという社会の仕組みがあってもよいと思う。欧米では、海外で経験を積まないと入学が認められないところもある。海外での経験によって問題意識をはっきりと持てるようになり、何が本当に勉強したいか分かるようになる。 (荒木委員)第2次ODA改革懇談会では予算削減の問題があったが、その前にどういうシステムであれば効率的なのかを考えることが必要。ODAは膨張してきた。精査すると無駄もある。これまでのODAは大量生産型で、少ない人で粗製濫造といった面があった。無理をかなりした援助だったが、今後は高品質をめざすべき。2スクラップ1ビルドにより、一ついいものを作ることで、より効果のある、目にみえる援助が出来るのではないか。選択と集中がキーワードである。 (4)市民との対話 (聴衆A)外務省にいくつか注文がある。外務省は昔からほとんど変わっていないと思う。(1)1994年に子供サミットがあったが、世界中の子供がたくさん死んでいる中で、日本政府はもっと子供達を助けることに重点を置くべきではないか。(2)マイクロクレジット(小口融資)について、電気もガスも水道も何もないところで企業を起こして学校作って必死に働いて頑張っている人達がいるのに、なかなかお金をつけてくれない。共同組合だからお金をつけないという点は不満である。(3)リストラされているが経験が豊富な中高年代の人々をODAと結びつけてうまく援助を実施すべきである。(4)国連は武器とバンソウコウをセットで売っているが、これにメスを入れるべき。 (聴衆B)アジア開発銀行に15年いたが、外から眺めると日本のODAは、資金と技術協力が別々なことが最大の問題だと思う。JICAとJBICが密接に連携することでよりよい援助ができるのではないか。NGOを通じた資金協力や技術協力と比べ、JBICなどの機関の援助のやり方に問題があるのではないか。資金協力は4割を占めるし、外務省、JBICと聖域を設けずやってほしい。 (渡辺座長)今言われたことは非常に重要な問題である。長い慣行や権益があるので、改めることは簡単なことではないが、今後改革するための方向性を作り上げていく上で大変貴重な意見である。 (聴衆C)アラブ関係に40年以上携わっているが、根本問題として、ODAは日本国民全体の進路であると思う。日本はすばらしい経験を積んでいる。日本で一番すばらしいのは、日本の国民である。途上国は、資源もない日本がこれほど発展した経験を学びたい。こうした点を踏まえて外務省や国会はもっとODA全体を取り仕切っていくべきである。途上国からみると日本は世界で一番信頼されているのだから、真の日本を発見するためにも、ODAを進めていくべきである。 (聴衆D)フィリピンやケニアのダムを扱っているが、ODAを行う中で、環境破壊につながるようなことをやっていないか。日本のODAも脱ダム宣言をすべきではないか。脱ダム宣言は長野県でなされ、行政全体での統一見解ではないのは事実だが、私は大変先駆的だと思う。ダムを作る際には立ち退きや環境破壊を招くので、今の時代、ダム自体がもう時代遅れではないか。ダム以外の治水方法もあり、ダム以外の方法を模索していく時代になったのではないか。そこで、まず国際部分だけでも脱ダムをしていくべきではないか。 (秋元課長)途上国が発展するためには、電力が大変重要である。火力発電に頼れる資源や財力がある国ならばいいのだが、山がちで水力資源が多いときなど、その国にとってどういう電力供給システムが最も望ましいかは一概には言えない。環境問題はますます重要になっており、ODAを行う際には環境破壊をもたらさないよう入念な調査を行い、適切な形で実施するということではないかと思う。 (生島氏)こういう意見をきく会合は大変重要だと思うが。 (秋元課長)今回、初めてのタウンミーティングを行い、様々な意見を吸い上げることは重要である。皆さんの意見を頂き、政策に生かしていきたい。行政のあり方として、今後もこういう場をもっと増やしていかなければいけないと思う。 【なおここで田中大臣から、途上国の人々がいかに幸せに暮らせるよう協力できるかがODAの原点。ASEAN諸国から日本の援助は大変役立っていると感謝された。国際社会の中、心の痛みを共にし、皆で一緒に生きることが私の原点で、感動を感じられることや生きがいが大切。なお、予算削減の動きの中、必要なものは必要と言わなければならないなどの挨拶があった。】 (生島氏)大臣、突然の発言ありがとうございます。感動という話が出ましたが、お金だけではない触れ合いなど、ODAの活動をもっと理解してもらい、よりベターな方向に持っていってほしいと思う。座長に最後に一言お願いする。 (渡辺座長)本日の貴重な意見を今後の懇談会に生かしていきたい。どんよりした雰囲気の現在の日本で、ODA支持率はじりじりと下がってきている。同時にODAへの厳しい見方もある。無駄をしてはいけない、効率を高めるべき、量よりも質を求めなくてはならないという意見も今日あった。しかし、効率性だけを求めてもいけない。ODAは本質的には効率性を求めるべきなのか。もしそうならば、供与先国は限られ、産業インフラにODAを集中することになる。効率性に乏しい途上国は、援助が受けられなくなる。これで目的は達成されるのか。ODAの根本は、世界の弱い人々に何かしてあげたい、という気持ちである。無駄や非効率性を無くすことも重要だが、無駄や非効率性に耐える一面も必要だ。その兼ね合いは非常に難しい。議論は一方にぶれてはいけない。バランスをとりつつ、最終報告に向けて作業していきたい。これからも、タウンミーティングの場のみならず、出来る限りメールなどで意見を投じてほしい。 (生島氏)渡辺座長のあとになるが、佐藤さん何かコメントを。 (佐藤氏)ODAは何かすばらしいことをしていると実感した。こういう対話をもっとたくさんの人に聞いてほしいと思う。 (須磨氏)ODAの見えにくい部分は本当に多い。今の援助額が多いか少ないかを答える事は大変難しい。何に必要かどうかは答えられても、10%削減といっても国民は分からない。タウンミーティングだけでなく、国民と言葉のキャッチボールを増やしていくべき。 (生島氏)ODAはグローバル化のなか、大変重要なことだと思う。ODAをもっと取り上げてほしい。今後とも開かれた外務省、開かれた官民連携をしていただきたいと思う。本日はお忙しいなか、ありがとうございます。これで終わりにする。 是非外務省ホームページもご覧になっていただきたい。11月には最終報告が発表される。また、8月26日には神戸でもODAタウンミーティングを行うので、こちらの方もよろしくお願いする。どうもありがとうございました。 |