1.日時: | 9月19日(水)18:00~19:45 |
2.場所: | ホテルメトロポリタン仙台 「曙の間」 |
3.出席者: |
●パネラー: ・安達 三千代(国際ボランティアセンター山形・事務局長)(兼コーディネーター) ・徳田 昌則(東北大名誉教授、未来づくり国際仲間(PHD)・代表) ●第2次ODA改革懇談会委員: ・浅沼 信爾(一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授) ●外務省 ・秋元義孝(経済協力局政策課長) ●聴衆 約190人 |
4.議事概要: |
以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんのであらかじめ御留意ください。)
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1.まず司会より出席者紹介及び本会合の趣旨説明が行われたのち、丸谷佳織外務大臣政務官の挨拶が行われた。引き続き、秋元政策課長から第2次ODA改革懇談会中間報告の説明があった。
(丸谷佳織外務大臣政務官) 仙台の皆さん今晩は。田中大臣のもとで外務大臣政務官をさせていただいている丸谷佳織です。皆さんからどのようなご意見がでたのか、ご要望があったのかしっかりとお伺いをし、大臣に伝える使命を持って来ている。私自身も会場の中にあって、このタウンミーティングに参加させていただきたい。 開会に先立ち申し上げたいことがある。先日11日の米国同時多発テロにおいて被害にあわれた方や、まだ行方が分からない多くの方に心からお悔やみとお見舞いを申し上げる。また、日本の外交、防衛面あわせて、これらからの新しいタイプのテロ事件に対してどのように道筋をつけて平和を築いていくか、しっかりと考えていきたい。平和への対話の枠組みのなかで、外交政策は非常に重要な位置を占めると思う。 ODAは透明性に欠けるなど非常にお叱りを受けているが、外交戦略の一環としても、皆様の税金をODAという形で使わせていただいている以上、成果が目に見えるものでなくてはいけない。日本経済が立ち直っているとは言えない中、聖域なく、見直すべきものは見直すという小泉改革ではODAも対象となっており、14年度ODA予算は10%カットとなった。しかし、一様にカットするのではなく、国民の皆様が納得した形で、外交政策に生かせていけるようすべき。また、プライオリティーをつけて、世界から何が望まれているのかをしっかりと踏まえなければいけない。今後のODAのあり方については、浅沼先生も出席されている第2次ODA改革懇談会の中で議論していただいているところだが、国民の税金なので、皆様のご意見を伺うことも重要であり、こうした機会を設けさせていただいている。今日しっかりと皆さんのご意見をお伺いし、外交政策に役立たせていきたい。みなさまからの忌憚のないご意見を伺えればと思う。
2.パネルディスカッション (安達氏) ODA批判の背景には、国内で公共工事への批判が高まっていること、行財政改革で効率性・優先性が重視されるようになったこと、山形では県民250人に1人が定住外国人となっているなど国際化が身近になったこと、海外滞在者や海外渡航者が増えて、ここ10年、15年で世界が随分世界が身近になってきたことが挙げられる。急激に国際化が進み、それに伴いODAも身近になってきた。また市民団体が直接海外で援助活動をし、国際協力を考えるようになったなど、市民活動が高まっていることもあり、ODAへの関心がこのところ高まっている。こうした中、ODAはあり方を問われており、今転換点を迎えていると思う。そこで、このパネルディスカッションではODAについてまず皆さんに知ってもらうよう、ODAに関して知っていることを分かち合うための場としたい。 私のカンボジアで行っているNGO活動を紹介すると、自分は最初ホームレスの自立支援事業を手がけた。これは、まず食べるものを作ろうというもので、病人や子供が多いという悪条件のなかで行った。次に、スパイレン州に入ってホームレス化の食い止め支援などにも従事した。こうして世界の最底辺を見てきた視点から今の日本のODAをみると、まず第1に、目指すべき方向で「住民参加」をキーワードとしたい。ODAに日本の住民も、途上国の最貧層の住民もともに参加するのはいかがだろうか。自分たちは、募金をいただいているので、募金者へいつも事業説明を細かく行っているが、国民に対してODAの事業が直接語られる機会はまだ少ない。今後はそういう機会を増やすべき。国民は税金をどのように使われているか関心がある。第2に、途上国の最貧困層に直接協力すべきである。例えば、スパイレン州にもODAで出来たアジアハイウェイが通っているが、果たしてこの高速道路が明日食べる米がないという人達に本当に必要なのだろうか。この人達では、ちょっとお金がある人達でも持っている交通手段はボロボロの自転車である。高速道路よりもアゼ道の整備の方がいいのではないか。高速道路を使うのは、外国資本のトラックや、私たちNGOや援助関係者の車であり、時には出稼ぎの人がこうした地方から出て行くための交通網になってしまう。それよりも最貧層に直接役に立つ協力をして欲しい。 次の徳田先生は、海外協力の大先輩でもあり、一つよろしくお願いする。 (徳田氏) 私はこの3月まで東北大学におり、留学生や研修生の受け入れや、日本の科学技術をいかに途上国に移転するかなどについて従事してきた。こうした立場からODAについて話させていただく。まず3つの主張をしたい。第1に、日本のODAは日本の国益にかなうように使うべきである。そこで、日本にとっての国益とは何かという場合、貿易立国、技術立国である日本にとって、世界の平和・安全が基本にあり、これに資するために使うべきである。それには色々なアプローチがあるが、具体的な活動目標として教育があげられる。JICAが自立能力を高めることに重きを置いているという哲学は発展させるべきである。21世紀はますます知識社会になっていくなか、貧乏のために知識社会に参加できないというのは大きな問題である。貧乏だからこそ、教育を得て、自分でやっていけるように力を入れるべきである。大学人に呼びかけ、こうした活動にもっと参画していくようにしたい。自分は、インドネシアの研修生をかつて受け入れたことがある。その研修生は製鉄を学びたく、木炭を使った製鉄を国産で行えるよう応援したことがある。普通は製鉄には石炭を使うので、日本では木炭を使う技術は廃れていた。木炭高炉はピルピルという木を用い、環境にやさしいといわれ、インテグレイテッド・インダストリーと言われる。日本では思いつかないこの技術を、地元の人達は合理的であると気づき、日本はそれを支えていく。もう一つは地球環境の保全に貢献していくことは国益に大変かなうものである。日本は環境技術で非常に高いものを持っているので、これを世界に出して、環境を守ることをしない手はない。ところが残念なことに、こういう高い環境技術を持った企業が今の日本ではどんどんつぶれている。なぜならば、この技術を買うところがないためである。折角高度な技術を開発しても使われない。そこで、環境管理システムなどの制度をもっと援助で出していけば、環境技術を使う企業もでてくると思う。ここは、環境を守るソフトを途上国にも援助し、そのソフトを使うには技術が必要という形、つまりソフトと技術が一体となる方向でODAをしていくべきではないか。 第2は、日本のプレゼンスを最大限にするような援助にすべきである。日本のプレゼンスとは、日本の顔が見えるようにすることである。これがなぜ大事かというと、別に日本人が偉いと思われたいわけではなく、世界がグローバル化し、情報化が進展し、価値観が一元化しているなか、日本ができることは、欧州や中国とは違うやり方で、これだけの文化、高度な文明社会や平和を作っていることを見せることである。世界の多様性の確保に貢献することで、日本の顔を見えるようにする。日本はもっと相互交流をし、日本の文化やソフトや伝統技能をもっと紹介し、庶民レベルでの交流をし、色々な形態があることを示すべきではないか。日本が途上国の芸能や流儀を学ぶことも当然である。 最後は、「援助」から「パートナー」への転換ということである。途上国の人は被援助国というよりもパートナーとして見られて欲しい。一緒に諸問題を解決していこうという意識が必要である。 (安達氏) では、今の2人の意見を踏まえ、浅沼先生、コメントを。 (浅沼教授) 安達氏および徳田氏の意見のキーワードとして、(イ)国益、(ロ)被援助国である途上国の自助努力、(ハ)直接的な貧困削減の努力、(ニ)日本の顔の見える活動、(ホ)被援助国とのパートナーシップが挙げられると思う。ODA改革懇談会でもいつも取り上げられているテーマであるが、ODAというとまずその目的は何か、国益とは何かという話になる。そこで出てくる話では、まず第1に、我々は国際社会に住んでいるだけではなく、地球市民であるので、ODAを進めようという立場がでてくる。安達氏はそういった人道的立場からの視点でODAを見られていると思うが、私はODA活動とはそれ以上のものがあるのではないかと考えている。我々一人一人の日常生活を考えると、インドネシア産のエビを食べ、おかずにビクトリア湖産のホワイトパーチを食べ、新疆綿のカジュアルウェアを着て、中国絹のシャツを着て、中国製の電子レンジを使い、オフィスでは台湾や韓国製のチップの入ったコンピューターを使っている。こうした社会に住んでいるが、これは同時に日本経済の繁栄でもあり、そのベースになっているのは、国際経済体制が機能していることにある。そのために日本は何を貢献しているのか。日本国内体制維持のためには税金を払っている。同様に考えれば日本の国際的な経済活動のためには、例えば輸出入をあわせると100兆円以上になるが、そのうちの数%を国際経済体制の維持のために使ってもいいのではないか。国際経済体制をどう維持するかについては、構成員でもある途上国が自分達の経済社会を目標に向かって運営できるように協力することであり、これは地球市民という人道主義的な考え以上に日本の義務であろう。 ODA活動は最近始まったものではなく50年位の歴史がある。なぜ50年かといえば、まず途上国の最初の目的は政治的独立であった。その独立が達成されたあと、途上国政府が目指したものは経済発展、経済的な繁栄であった。国際経済の維持発展のために資するODAは彼らの政治的目的や希望を満たすものでなければいけない。彼らが考えている希望とは、なんとかして経済的発展をしたい、ともかくは貧困をなくしたいということである。一方で日本のODAを考えていくには、貧困とは多面的で、貧困の結果・現象と原因を区別して考えていかなければいけない。貧困の原因を除きたいという途上国政府の政策には協力していかないといけない。そのときに、50年のODAの歴史からの教訓は何かといえば、初めは援助ではモノ、資本、資金が重要と考えられていた。しかし、それで全てがうまくいくわけではなく、次に人的資本が重要とされ、教育や健康への支援が行われた。しかしそれでも十分ではなく、技術移転が重要と考えられたが、それでも十分ではなかった。今までの教訓としては、ODAは常に試行錯誤にあり、失敗を続けながらある程度の効果をあげてきた。今は、途上国が持っている組織や機構、政策が重要と考えられている。つまり、途上国の政府や人達が苦労して組織、機構、制度を作り、経済発展が出来る政策を作れるようになるための協力が必要と考えられている。こうした経験から、今後のODAは何をしていけばいいのか。モノは最早最も重要なものではなく、これまでのモノと人的な支援との割合が間違っているのではないか。この点に注目していかなければいけない。従って、ODA要員やODAに携わる専門家を増やしていくべきである。そのために資金援助を減らしてもいいだろう。ただ、これは自分の考えで、今日は皆様の意見を聞き、今後の懇談会の議論の資料にさせていければと考えている。 (秋元課長) 浅沼さんに包括的な説明をして頂いたので、数点付け加えさせていただく。ODAは何のために行うのか、目指すべき国益とは何か、という点が国民の皆様の素朴な疑問であると思う。日本自身が平和で繁栄している状況だとなかなか意識されないが、例えば湾岸戦争や今回のように米国でのテロなどがおきると、日本の平和と安定というのはまさに国際社会の平和と安定、国際経済体制が維持されていることによって成り立っていることが実感される。こうした中で、日本はいかに国際社会の平和と安定及び国際経済体制の維持に貢献、参画して行くべきかを考えた場合、これまでも効果的に使ってきたし、これからも一番効果的な手段として、ODAがあると思う。ただ、ODAの使い方について今まで通りで良いのか、新しい状況の変化に応じてもっと効果的、効率的に使っていく必要があるのではないか、という点についてきちんと考えることが今一番求められていると思う。 ODAの実施に当たり、国対国のODAから日本の住民対途上国の住民というODAにすべきではないか、という点については、正にそのとおりと思う。米国ではODAの3割位がNGOを通じて供与されている。国対国となるときめ細かい、迅速な援助は難しい面がある。草の根レベルに届くようなきめ細かい援助については、もっとNGOを活用していかなければいけないと痛感している。ただ、そのためには、日本のNGOも国際スタンダードとなり、国際的NGOに劣らないように体力をつけていただきたいと思う。どうやって日本のNGOを育成し体力をつけていけるか、今、真剣に考えているところである。 目指すべきは貧困削減なのか、或いは経済成長なのか、というのは非常に難しい問題である。これまでも、国際社会のなかでもこの点は議論されてきており、試行錯誤が行われているが、自分としては一概には言えないと思う。無論、最貧層に届くような、保健、初等教育、食料や水の確保といった貧困削減への援助は重要だが、本当にそれだけで良いのだろうか。ある国がある段階で自立して経済発展していくには、対処療法的なものだけではなく、国として体力をつけるような援助をしていかなければならない。従って経済インフラの整備などをしていかなければいけない。例えば日本が重点的に支援してきた東南アジアの国々は、それなりの経済発展を遂げ、まさに今援助を受ける側から援助する側に羽ばたいていこうとしているところである。東南アジアへの日本の援助は、ODAの世界でも非常に日本が自慢できるサクセス・ストーリーである。欧米諸国が主として行ってきたアフリカ支援は結局うまくいかなかった。80年代とくらべると今のアフリカ諸国の経済規模はむしろ悪化している。だからといって、日本が東南アジアに行ってきたのと同様の援助をアフリカにしてもうまくいかない。アフリカ諸国に日本からの多額の借款を供与しても、きちんと使いきちんと返済していく能力があるのか、そういう制度が整っているのか、となるとおそらくそうではないだろう。従って、どの国にどういった援助をしていくのかとは、きめ細かく考えていかなければいけない。貧困削減なのか、経済成長を目指すのか、ハードかソフトか、そういった点を国ごとに戦略を日本として決めていくというのが、中間報告に書いてある、国毎に国別援助計画を作っていくことではないかと思う。 (安達氏) では、時間もきたので、皆さんからODAについてのご意見ご質問をいただきたい。 3.市民との対話 (聴衆A) ODA10%削減という話があったが、反日国への援助はやめるべきだと思う。日本の奨学金を受けている中国人留学生は多いが、彼らは日本人個人に対しては悪い感情を持っていなくとも、日本の国に対し良い感情を持っていない。中国に何兆円も援助していると聞くが、軍事に使われている可能性もあり、何にどう使われているかをはっきりとすべきである。 (聴衆B) 日本の援助は、第1に日本の国益ではなく相手国の国益を考えるべし。第2に国際的に評価できるODAをすべきである。実態として、どこかの日本の役所あたりが机の上で案を作って押しつけていることが多い。そのため現地で役に立たないものがたくさんある。同じようなことでも外国が行っているものは、現地に則しており、機能している。そのような無駄なものをしていては評価なぞできない。機能できる援助をするには、相手国と協議し、その国のために何をするとよいかを真剣に考えるべきで、商社などのプランに乗ってはいけない。第3に外務省にリーダーシップはない。外務省員ならよく分かるだろうが、出先機関は皆本省を向いて仕事をしている。だれも現地を向いておらず、本当にひどいものである。夜の歓楽街にいくと、大使館員の天国である。その金の出所は新聞に出ているとおりだろうが、そういうことでODAが世界に誇れるようなものになるとはとても思えない。 (聴衆C) 先ほど浅沼先生をはじめ、多くの方は、ODAはモノの援助ではなく、人を重視すべしというが、自分は必ずしもその考えが正しいとは思わない。その理由として3点ある。第1に、途上国では未だに物は足りていない。第2に、日本は人を送るというが、本当に途上国に送るべき人材がいるのか。第3に、援助される側にはお金はなくとも能力のある人がたくさんいる。モノという点で、下水道など日本では整備されているものの、途上国では全く整備されていない。人を送る点については、日本では青年海外協力隊などが有名だが、20代の全く経験のない人を送っても、効果がないのではないか。また、外国には有能な人がいる点については、多くの途上国では日本よりもNGOがかなり活動しており、彼らはプロで能力が高い上、現地語も出来、下手な日本人よりも能力が高い。意味なくモノではなく人を送るというのは無責任で、相手方にとっても役に立たないのではないか。 (安達氏) これまで3人の方から意見を受けたが、パネラーの方いかがか。 (浅沼教授) 少し誤解があったようだが、先ほどモノより人と申し上げたとき、人間を送ればいいという趣旨を述べたのではない。途上国に対する協力や援助は、一つのパッケージである。その中にはモノもあり、途上国が作る組織、機構、政策、計画作りへの支援も含まれている。例えば、日本の援助でよく批判される点にインフラ支援ばかりというのがあるが、経済発展のためにインフラは必要であるが、電力のためにただ単にダムを作り、タービンを供与して電気を作るのではなく、もっと重要なのはエネルギー計画を作ることである。エネルギー部門をいかに発展させていくのか、それを途上国自身が考えることを援助した上に、最終的にモノがないのでモノを供与するのだが、計画から実施まで、エネルギー業界をいかに構成していくのか、そうしたアイデアまで含めて援助していかなければならない。その意味で、日本の援助はこれまでモノ重視だったと言え、一番下流の部分に重点が置かれ過ぎたのではないか。では人材がいるかといえば、おっしゃるとおりなかなかいないとは思う。だが、だからほっとけばいいというわけではない。人材がないながらも、政策機構作りまで努力しなければ、本当に協力したことにはならないと思う。 (秋元課長) 初めに、日本の援助は押し付けで、評価されていないのではないかという点について、日本が援助する場合、相手国からこういうことを援助して欲しいという要請が上がってくるが、無論国によっては、自分達だけで要請書を作れる国と、外国企業のノウハウを使わないときちんとした要請が出てこない国がある。この点は国により千差万別である。ただ大事なことは、この国に対してこのプロジェクトをやろうという場合、相手からの要請を鵜呑みにしているわけではない。JICAの調査団が、ここまでやるのかというくらい念入りに調査を行っている。2回、3回と調査団を派遣したり、国内にはそんなに調査団ばかりを送るのは金の無駄遣いで、もっと早く援助すべしという声があがることすらある。その援助により環境問題を起こさないだろうか、地域住民に本当に喜ばれるのだろうか、その国の開発政策のなかで、どのくらいの優先度がおかれているのかなどを念入りに調べた上で援助している。従って、日本の援助が評価されていないということはない。個人的に言えば自分は国内の公共事業よりも高く評価されていると思う。ぜひ現地にいって現場を見に行っていただき、声を聞いていただきたい。例えば、ブータンの電話回線の件であるが、3年ほど前に全国レベルのデジタル回線を引くという援助を行った。ところが、それに携わったコンサルや企業が、無断で当初予定していなかった機材を購入したために、新聞などにたたかれて、ODAが無断に変更使用されたという記事が掲載され、日本ではこのプロジェクトは悪いプロジェクトの典型とされている。ところが、先日女優の紺野美沙子さんと会談することがあった。彼女はUNDPの親善大使として先日ブータンを訪れ、帰ってきて言われたのは、ここではこの電話プロジェクトは「神様」のように思われており、これによって今後ブータンは発展していけると評価されている。彼女が会った全ての人が感謝の意を表明したと言う。従って、もっともっと現場を見ていただきたい。民間モニターなど色々なことを我々は行っている。第2に、中国向け援助を念頭にされた発言があったが、中国と今後日本がどう付き合っていくかというのは大変難しい問題である。おそらく21世紀の日本にとって、どの国よりも付き合いが難しく、重要なのは中国である。今まで確かに中国に対して日本は年間2000億円程度の円借款を供与しており、無償資金協力と技術協力をあわせて年間100億円以上供与している。この規模フODAを今後続けることが良いとは思わない。ただこの難しい中国との関係を、日本としてもきちんとマネージしていくためには、緊密な政治・経済関係、緊密な人と人との関係を築いたり、文化交流など様々なことを行っていく必要がある。その中でODAの役割はまだまだあると思う。ただ、今までのような方法の援助は好ましくないと考えており、今新しい援助政策を準備しているところで、9月末か10月には発表できる予定である。これまでの日本の援助は中国の沿海部を中心にしたインフラ整備であったが、こうしたものは中国は自前でも出来るであろう。今後は環境問題、人材育成、市場開放のための制度づくり、日中間の人と人との交流による相互理解の深化、内陸部の最貧困層への援助などにシフトしていくべきと考えている。 (安達氏) では会場の方、再びご意見をどうぞ。 (聴衆D) 現地を見ればいいとは非常に腹立たしい。現時点で、日本が援助した焼却炉が人がゴミにまみれているのに動かせない状況もあり、またダムについてもある国では問題を起こしている。先日来日したその国の大統領は、日本はハードを寄越せばいい、我々がソフトをやると言った。一方NGOは結構現地に溶け込んでいる。ODAのうち政府と民間の比を全く逆にすればいいと思う。ODA自体に関しては、多分今回カットされる2割位は相手政府のお偉方の懐に入ったり、商社にキックバックされる。そういうメカニズムでは、良い援助ばかりを宣伝しても、実際に現地に行けばみんな怒ることになる。ここではそういう実態を聞いてもらいたい。 (聴衆E) ODAの援助を考える際に、例えば途上国に数千億をかけてダムを作るなどの大型土木工事を伴う経済インフラ整備は、現地政府の要望もありそれなりに意味があるものとして始まったと思うが、実際は現住民の生活基盤を奪ったり環境破壊につながったりして、必ずしも十分成功したといえなかったのではないか。自分が所属する東ティモール関係のNGOでは、16年ほど前から東ティモールの難民のいる地域で、子供達のために原住民の言葉であるテトン語の学校造りを行ってきた。テトン語は話し言葉で、書き言葉がない言語なので、教科書をつくるなどの地道な活動を続けてきた。東ティモールでは、我々の調査では100%がテトン語を話せ、80%がインドネシア語を話せ、ポルトガル語は公用語に決められたものの数%の人しか話せない。公用語をポルトガル語に決めたため、現地政府からテトン語を支援して欲しいという要望はなく、援助はできないと何度も外務省から言われたが、現地の声に是非耳を傾けて欲しい。現地では、若い世代ではほとんどがテトン語を公用語にして欲しいという希望ともっており、それが無理でも第2国語としてテトン語を普及し育て、将来は公用語にしたいとしている。こういうアジア固有の言葉を、アジアの国が援助しなくてどこが援助するのか。ポルトガル政府はポルトガル語教育のために教科書づくりをし、人材を派遣している。日本のような国がアジアの原住民の声を大切にするような援助を是非して欲しい。公共事業も大切だが、教育や文化に力を入れて欲しい。金額は少なくともその効果は絶大で、モノよりも人づくり、人よりも将来の機構づくりに役立つのではないか。最後にNGOの体力がついて欲しいというのはその通りである。NGOは金もなく、人材もない。NGOに体力をつけろというならば、ODAの中で、NGOが現地へ行って文化援助活動をする場合の人件費の面倒をみるような制度を整備することが、NGOの発展につながるのではないか。先ほどパートナーといわれたが、日本のNGOと現地の住民とが互いに協力して、新たな文化を作り出していけるような、ODAの質的な転換をこういう会合から促進していっていただければと思う。 (聴衆F) まず、私も含めて日本ではODAをどこで誰に出しているか知られていない。今回このタウンミーティングにこれ程の人が集まったのは、これまでこうした会合が開かれたことがなかったからである。今後も、何かあったのでこういう場を設けるというのではなく、継続的にこういう場を設けて欲しい。経済的に厳しくなるなか、ODAは質的な転換が重要である。規模を小さくするだけではなく、内容を充実させて欲しい。NGOによっては、2,3万円の会費で活動しているところがある。ODAを一般的にも知らしめる努力をすべきで、まず初めにこうした会合を一般人にも知らしめることが大切である。ほとんどの国民が現地に行くことが出来ないのだから。 (聴衆G) 私は幸運なことに教師の海外研修で今年の夏にザンビアに行き、JICAの人が現地のNGOを巻き込んで活動しているODAの現場を見させてもらったが、その中で特に印象的だったのは、現地の最貧層のかたが、朝食べるものがないほど貧しいにもかかわらず、目を輝かせて、ボランティアをしていることである。彼らを突き動かしているのは、人のために役に立てるということである。貧しいから失ってしまった人間としてのプライドを、そのボランティア活動により取り戻しているように感じた。こうした現地の貧しい人のボランティア活動の、モチベーションの高揚を図れるようにODAを活用して欲しい。2点目に、現地で青年海外協力隊員の活動現場を見たのだが、協力隊員は物もない中、本当に頑張っており、自分は真似できない。日本人が少ないなか、顔の見える援助をまさにしているのが協力隊員である。帰国後、彼らが力のあるNGO作りの柱にきっとなると思う。従って、もっと協力隊員にODAを振り向け、隊員の頑張りを経済的にもバックアップして欲しい。第3に、アフリカの件で、欧米の援助がうまくいっていない理由に過去の侵略の陰があると思う。日本がアジアに援助する場合も過去の侵略ということがあると思うが、アフリカの場合には、日本は引け目なく援助できる。また、アジアの経済が頭打ちになっているなか、アフリカは発展の可能性を秘めている。今後はアフリカ諸国がODAをきちんと使いこなせるように、日本がODAを使って彼らの行政能力を育てていくべきではないか。ODAの使い方への批判は非常に多いと思うが、応援している人もたくさんいるので、もっと国民に分かりやすいようにODAをPRしていただきたい。 (聴衆H) ODAの予算は、今色々と問題となっているが、現在の日本の状況をみれば身の丈に応じた予算額にすべきであり、是非削減して欲しい。日本は借金だらけであり、一般の人に当てはめれば、自分の家が借金をしているのに他の人に援助をしないのが普通である。次に援助において顔が見えないのは、外務省の職員なり担当者の質が悪いからである。自分たちが扱っているのが税金という認識がない。従って、まず外務省員一人一人が、もし海外に行った場合は、日本を代表しているという認識を持って欲しい。国内での詐取横領という恥ずかしいことはやめて欲しい。そういう人のいる組織が、いくら良いことを言っても信頼できない。先ほどのブータンの例では、日本を神様と言っているが、誰が援助してもらったのに悪いというか。そういう感覚は改めるべき。日本の顔が見えないのは外務省に問題があるからだ。 (徳田氏) 日本の顔が見えない点について、日本はJICA以外にも、国連などを通じてたくさんのお金を出している。それらをひっくるめて、日本がどういった国際貢献ができるかを考えて欲しい。ODA改革懇談会の中間報告に書かれている総合戦略会議に期待する。私の教え子のフィリピン人に、フィリピンの鉱害問題で論文を書いた者がいる。彼は、何回も鉱害に悩む現地に行き調べ、論文を書いた。彼の指摘した大きな点は、その鉱害はオーストラリア企業で生じたのだが、その企業はベスト・プラクティスや、住民に売上の数%を還元したり、鉱害防除のために住民から通報してもらうなどすばらしい鉱害防止活動を行っている企業であった。にもかかわらずなぜ問題が起きたのか調べたところ、相手にしていた住民と思っていた人達が、実は上部階層の人達で、彼らの話を聞いても結果として効果がなかった。つまり実際の住民ではなかったことが問題であった。この本当の姿を明らかにしたのはNGOであった。先ほどの東ティモールの件でも、政府ではおそらく対応できないだろう。そこにうまくNGOを活用しないといけない。どう国内のNGOの体力をつけていくか、今後検討されることを期待している。 (聴衆I) 自分の経営の専門家としての感覚から言えば、ODA予算は現状から考えて無条件に3割カットできる。外務省が計算してODAをすればするほど、現地の高官や日系企業に利権構造を生む。ODAにはこういう自己矛盾があることを認識して欲しい。一方、NGOやNPOは財政基盤がなく、自分の意見が持てず、活動できない。これは税制の問題である。日本は昔から税金を収めていただければ、我々の優秀な頭で配分する、という社会であった。NPO、NGOがきちっとした活動をしてもらうためには、財政基盤がしっかりしていなければいけない。税を払うぐらいならば、NGOに寄付して、税金を安くしたほうがいい。民活により活動してもらう税制にすべし。 (聴衆J) ODAへの批判があるなか、こうしたタウンミーティングは是非継続して欲しい。自分の海外経験で、人間とは溺れた同属がいると、自らの命もかえりみずに助けに入ってしまうという人道的な気持ちがある。人道的や経済的な目的で政策的なODAを支援する気持ちがあることと別に、技術者としては、技術が発展的に使われるならば、どこで技術移転をしてもいいという気持ちがある。例えば、日本に帰ってくる技術がある。東南アジアでの口蹄疫であるが、日本も協力をした結果、口蹄疫とはどのようなものであるか、日本にフィードバックされた。そういう形で、人が持っている技術が他の国でも生きるということは、地球市民を別の意味で捉えているともいえ、市町村で行っていることが世界に広がっただけで当たり前な感じである。技術を持っていない人が行くのはどうかと思うならば、技術を持ってから行けばいい。NGOに限らず色々な意見をきいてODAを進めていって欲しい。 (聴衆K) 外務省やJICAがこのところ地域に目を向けていることを実感している。海外に学生連れて調査にいって感じたことだが、JICAの活動はかなりきめ細かくなっており、その変化を自分は評価している。地域の視点から提案すると、青森から九州まで環日本海側にある自治体、経済界、市民、NGOなどが、ロシア、モンゴル、中国の東北3省、朝鮮半島等に注目し、色々な自治体がJICAのお金で研修生を受け入れたりし、宮城県も吉林省と協力関係を結んだり、県の経済界もミッションを送ったりしている。北東アジアの交流に是非ODAを使って欲しい。北東アジアはアジアの発展のフロンティアであり、北東アジア開発銀行設立の構想もある。この地域に資金を投入すれば日本海側の色々な都市が活性化し、日本の発展に結びつく大きな動きとなる。同時に中国への援助は大変批判されており、外務省は中国を沿岸部と内陸部と区別しているが、実は東北3省も遅れており、これをODAで支えることで北東アジアの状況はかなり変わってくる。今までのODAは要請主義であるが、今後はむしろ外務省側から北東アジアの経済発展に寄与するという条件を決め、援助の仕方を与えるのはどうか。そうすれば、経済開発にかなり貢献するODAになると思う。 (聴衆L) 私は毎年県の国際交流協会が出している本にも書いてあるように、目標を立て、その目標をほとんど完璧に達成してきた。今年も7月に学校や村に援助し、訓練所も建てた。フィリピンに救急車を3台いただき渡す予定だったのが、政変の関係で毎日磨いている。今回、アロヨ比大統領がきて、ある国会議員にお願いし、外務省の政務次官にアロヨ大統領が会うということで、資料を英文で一生懸命作り待っていたが、結局国賓でないので無理だ言われた。そこで、私がマラカニアンの大統領補佐官に連絡して、土曜日の朝食会に入れてもらった。なぜ、外務省は私たち一般の人の要請に対して、国賓にもかかわらず国賓でないといって対応しないのか。訓練所の関係では、補助金を、資料を作ったら出すといったので一ヶ月かけて作ったのに、うそであった。今度は担当者が変わったということであった。私は身銭を何千万もぶちこんでやっているが、私のようにきちっとNGOをしたい人がいるのだから、外務省はもう少し一般市民の声をきいて、30分だけでなく、2時間、3時間の話し合いをして欲しい。一般の国民の要望にもう少し耳を傾けるべし。 (安達氏) さて、色々なご意見もいただいたが、またこういう東北でタウンミーティングをやっていただきたい。さて時間がきたので、最後にパネラーの方から一言ずつコメントをいただき、今後に続く中締めとしたい。 4.パネラーの総括 (徳田氏) 今、日本は150万人の子供が毎年生まれており、世界では毎年1億人生まれている。子供たちが世界に対してどうものをみるかという点を通じて、これからの日本を考えるようにしたい。提案として、世界のあらゆる国から17歳の子を日本に集める。世界中の子がくれば共通する言語などはないので、日本語を教え、そこに国民が参加するという仕掛けをしたい。これにはODAが使えると思う。そういうことを仙台の地から始めたい。 (浅沼教授) 皆様の声を聞いていつも思うのだが、ODA政策をちゃんと構築していくのは大変難しいことであるという印象を受けた。何しろODAを受け取る途上国の政府と国民がいて、ODAを供与する先進国の国民と政府がいる。どうしても両方の意見がなかなか合わないと押し付けになったり、不当な要求になったりしてしまう。両者のバランスをよくとり、国際社会の中で生きていく上で、ODAを供与できる立場のものと、受け取らなければならない立場のものとが政策目標をなんとかすり合わせていくことが必要である。そのためには、供与側と受け取り側との対話、協同作業が必要であるなど、大変困難なプロセスが待ち受けていると思う。そこをなんとか、過去の教訓からも学びつつ、皆様の意見からも学びつつ、方向性を定めていかなくてはいけないという印象を受けた。 (秋元課長) 率直かつ貴重な意見をうかがった。外務省は不祥事ばかりで信頼できないというご意見もあったが、その点については大変申し訳ないと思うが、だからこそ、個々の政策についてはこれまで以上に国民の皆様の理解と支援を受けられるように変えていかなければならないと思っている。だから、今日仙台でタウンミーティングを開催し、丸谷政務官にも来て頂き、自分も来た。我々は今、外務省が行っているODAのあり方が一番良いと思っているわけではなく、むしろどう変えたら良いのかご意見を伺いに来たのである。今日色々いただいたご意見はできるだけ真摯に受け止め、これからの改革に反映させていきたい。NGOについて、テトン語教育支援をしたいという話があった、私は賛成である。政府対政府ならば、東ティモール政府は当然公用語のポルトガル語教育への支援要請しか出してこない。だからこそ、民間対民間、NGO対NGOで支援できるならば、是非テトン語を支援していただきたい。タウンミーティングをもっと連続してやって欲しいという意見があったが、始めに申し上げたように、今回は第2次ODA改革懇談会を進めていく上で始めたものであるが、これだけ熱心に聞いていただき、貴重なご意見をいただけるならば、これからもずっと全国各地で行ってまいりたい。税制改正の話があったが、10月1日からNPOに対する税制優遇措置が始まるが、適用を受けられるNPOの資格のハードルが高い。この点については、東京でNGOからヒアリングをして、認定基準を緩やかにして欲しいなどの要望を財務省に伝えるように作業している。そのほかにも貴重な意見をいただいたが、まだまだ言い足りない意見があると思う。言い足りない方はe-mail、FAXを通じて、意見を述べていただきたい。自分まで電話していただいても結構だし、東京にいらした折りには、外務省に来ていただければ、是非会って意見を伺いたい。 (安達) では、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 |