参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in ワン・ワールド・フェスティバル
(議事概要)

日時: 2005年2月5日(土)14時~16時
テーマ: 「戦略としてのODA-アジアで信頼関係は築けたか-」
場所: 大阪国際交流センター
出席者: パネリスト:
・白石 隆
(京都大学東南アジア研究所教授、「国別援助計画」インドネシア・タスクフォース委員)
・村上 公彦
(社団法人アジア協会アジア友の会事務局長)
・広瀬 哲樹
(外務省経済協力局審議官)
コーディネーター:
・古野 喜政
(財団法人日本ユニセフ協会大阪支部副会長)
議事概要:  以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんので予め御留意ください。)


議事概要

開会
(古野コーディネーター) 全体 8,000億円を超えるお金を私たちの税金から出すわけですが、8000億円といえば、1万円札を積み上げて、富士山の高さの倍を超えて、富士山の頂上の上のほうにかかっている雲の高さくらいの高さだという。要するに巨額です。それが世界的に見ると少ないという声もあるが、それはともかくとして巨額であることは間違いない。そういうお金がどういう形で、どういう所に、どういう思いで使われているかについて、私たちは関心を持っている、そういうところについてまず外務省の方から話していただきます。次に白石さんからお話しいただきます。白石さんは紹介にあったように、京都大学の東南アジア研究センターの教授です。アジア、特にインドネシアを専門になさっている。しかもODAがどうあるべきかということについて、インドネシアのご専門いう立場から、大いに関わっておられると聞いています。そのあたりから私たちが出してきたODAのお金が適正にうまくいったのかどうか、ということに絞ってお話をいただきたい。特に、インドネシアと中国に、突出してたくさんの金が出ているわけです。それはどういうことからそうなったのか、というようなことについてお話をお願いしたいということを申し上げてあります。それから、村上さんですが、事務局からお願いした時に、「ODAのことは詳しくは知らない」ということだったそうです。経歴をあとでよく見ていただければお分かりのとおり、NGOで長年活動をされている。牧師さんでもあるのですが、NGOの立場から、今言ったようなことをずっと見てこられて、援助のまさに現場から見てきたもの、考えてきたことを、時間は短いかも知れませんが思い切りお話しいただけたらありがたいと思っています。それでは外務省の広瀬さんからお願いします。
(広瀬審議官) 広瀬審議官 それでは、私から、今座長の方からご紹介のあったことを全部できるかどうかわかりませんが、最近のできごと、それから、今までどういう形でODAをやってきたのか、それから、今どういうことをやっているのかというところまで、ご紹介したいと思います。昨年、12月26日の午後にわれわれのところに入ってきましたのは、スマトラ沖でかなりの規模の地震があったこと。その後、スリランカで死人が出ている、あるいはプーケットでホテルが倒壊している、という情報が入ってきました。それ以来、経済協力局という、外務省の中でODAをやっている部署は、2年続きで正月がなくなりました。昨年はイランのバムというところで、直下型の地震があったのですが、今年はその体験をいかして、  NGOの人には、27日には日本を発っていただきましたし、政府の国際緊急援助隊も同日出て、スリランカ、それからタイのプーケットに行きました。これは「CAREジャパン」という、私たちと一緒に仕事をしているところから提供していただいた写真ですが、写真で見ますと、奥の方から手前の方に強烈な波が来たことがわかります。手前のところにある海草の流れを見ていただきますと一方方向になっています。とにかく、自動車が突っ込んできたぐらいのかなりのスピード、数10キロのスピードで波が押し寄せた。それから、壁が波と平行に残っているのが見えると思います。それ以外のところはほとんど倒壊している、鉄筋が入っていないと、まず、全部倒れてしまうような力で、レンガ造りでも倒れてしまうというようなものであったという強さです。これが倒壊した後、確か2週間以内、津波が起こってから2週間以内の図だそうです。ですから何も残っていない。瓦礫が残っているという状況です。次も、すごい日差しの強いところですので、人が日陰にいて、残ったものを整理している状況です。次も、これぐらいの材木が数10キロの速さで押し寄せてくるとどういうことがおこるかという跡が残っています。だいたい怪我をしたり、亡くなられたりした方々というのは、こういう材木を体に受けて亡くなっています。これは教会ですが、教会のちょっと上の方をご覧いただきますと、茅とはいいませんで、むこうはたぶん椰子の葉なのですけれども、それで葺いてまわりだけブロックで積み上げたり、コンクリートで積み上げた建物です。そこで呆然としている方がいる。着の身着のままで逃げて、あと食料・水といったようなものが不足している状況です。カ端の方に飲み水がちょっと見えると思います。子どもですが、普通の状態かと思ってよく見ると、右肩、画面ですと向かって左の端のところに包帯や絆創膏があたっているのがわかると思います。現地に入った人たちの印象では、呆然としている、トラウマ状態の方もいたという話です。
 こういった緊急援助もODAのひとつの役割で、今年は最初から非常に忙しい仕事をしています。次のところをご覧いただきますと、ODAの50年の歴史の中で、戦後ODAを開始する前の復興期に、これもたまたまCAREジャパンではなくて「CARE・USA」だと思いますけれども、CAREという団体が、アメリカ政府の余剰の産物、あるいは日本に対するガリオア・エロア資金を使って、日本に物資を供給して、子どもたちに配布したことがあります。ですから、左下のところに、CAREという文字が見えるかと思います。こうしたかなりの規模の無償や有償の資金協力をアメリカからもらいました。これは20億ドル、今日の価格に直しますと10倍ぐらい大きいといわれていますけれども、半分有償、半分無償という形でもらっています。右側の新幹線ですが、これは、日本が世界銀行から借りて日本の技術でつくったものです。つまり、日本の戦後復興というのは、私たちがODAをやるときに一つのパターンを提供していると思っています。一つは、左側をご覧になるとわかるのですが、バングラディシュという世界でも一番貧しい国のひとつのアジアの国につくった対岸へかかる橋です。これは首都から輸出港に至る道路を繋ぐもので、これがあるかないかによって、1日ぐらいかかる時間が変わると言われるものです。これが、例えば新幹線のようなハードで経済を支えるというものに使えるODA、右のほうは、これは切手になって記念としてもらっているものですが、青年海外協力隊。下のほうは野口英世博士を記念したガーナの医学センターです。右のほうは、ノウハウ、技術協力を通じた開発途上国支援です。いずれも開発途上国政府が、私たちの行ったものを評価して作ったものです。
 私がはじめてODAに参加したときは、インドネシアのアサハンダムという、アルミ精錬のためにも使えるような大型のダムで、37.8万キロワットアワー、今だと380メガワットという、そういったダムを記念したインドネシアの紙幣がありました。次は、各国で日本のODAに対する世論調査を行い、日本に対するイメージはどうかを、集めたものです。インドネシアとベトナムが両極、両側にありますが、日本のODAが目に見える形で評価されている、十分役立っている、という評価です。裁判などの形でスマトラ虎が被害を受けているという裁判もあるのですが、国民の人たちに、お会いできる範囲でお話をするとわかるのですが、日本のODAがどういうものかという評価を聞かれると、これに近いような反応だと思います。フィリピンのようにマルコス疑惑があったり、いまだに汚職が抑えきれないところなどでは、ODAに対するネガティヴな評価も少し目立つという気がしますが、総じて高い評価を得ています。下のほうは、それと裏表とまでは申しませんが、日本に対する、友邦国として、どこが信頼できる国かということを見ていただきますと、信頼できる、どちらかといえば信頼できる、というのを合わせますと、6割から8割くらいの間で、ポジティブな評価があるという状況です。私たちが東アジアあるいは東南アジアに行きますと、日本のODAが橋であれ道路であれ、いろんな形で残っています。それが現在、どういう風に配分されているかといいますと、日本の左上の図で、約60パーセント弱、53パーセントがアジアという形態になっています。だいたい6割弱が二国間ODA、だいたい9000億円弱あるODAの中で二国間ODAと言うのは、だいたい7000億円弱くらい行っているのですが、そのうちの半分強がアジアに供与されています。他の国を見ますと、アメリカなどは植民地という過去のいきさつがあまりないためか、非常にバランスのとれた形で、アジアにも、中東にも、アフリカにも、中南米にも出す、というようになっています。これはNGOを通じたODAが4割を占める特殊なやり方を反映している。英国についてはアジア、中東、アフリカとあるのですが、ほとんどが旧植民地国になっています。その典型がフランスで、ほとんど7から8割は旧植民地国、フランス語圏に向いています。ですからアフリカが非常に多い。中東にかなりのものがいくという形になっています。日本には植民地は台湾や朝鮮半島があったわけですが、そういったもフへのODAがゼロですので、アメリカに近い。しかし地域的には日本の周辺国をやる、というようなODAのパターンになっています。
 次の表は、これは今年のODA白書に掲載してもらったものですが、世界の援助はアフリカを向いています。なぜアフリカを議論するのだろうということと、もう一つは東アジアの努力をもう少し私たち自身も評価し、世界も評価してもいいのではないかという目標でやってみました。これは、ODAがアジア、特に東アジアの成果をつくりあげたというつもりはないのですが、サブサハラアフリカに対する支援というのは、人口あたりの金額で言うと、東アジアの5倍くらいのODAが注ぎ込まれている。世界のODAの最前線と言われるのが今もサブサハラですし、10年前、20年前も同じようにサブサハラというのがODAの最先端で、かつ中心地域でもありました。それが成果となってあらわれていない。極端に言うと貧困比率が世界で一番大きく増えている地域です。
 それにひきかえ東アジアや南アジアでは、貧困比率が下がっているし、絶対貧困といわれる旧1ドル以下の収入者も下がっている。趨勢的に下がっている典型的な地域になっています。
 また、日本のODAというのは、よく見えない、何をやっているのかよくわからない、という議論が多い。これは広報の問題かもしれないが、ODA大綱を2年前、2003年の夏に見直しました。目的は「国際社会の平和と発展への貢献を通じてわが国の安全と平和の確保に資する」と、日本語ではちょっとよくわからないのですが、英語にすると、世界の平和と発展に寄与する、また、それは間接的にわが国の繁栄と安全に役立つと。こういったODAの定義をしている国というのは世界でもかなり珍しい方です。他の国は、「ODAは外交の手段です」とか、アメリカなどは、「ODAは国益のためにやる」といった明確な定義をしている。私たちが調べたDAC加盟国の主な国では、日本のように、博愛人道的な定義をしているところは珍しく、そういうODAの議論をやっているのは珍しい国だと感心された記憶があります。こういったODAの中で、今、大きな問題は平和構築です。要するに今までODAを実施してきた国というのは、平和が前提となっていた。だからODAに参加する人の命が奪われるということはあまりなかった。けれども、そういう現状になっているし、そういった国々に対する支援というのが中心になっている。「人間の安全保障」、ひとりひとりの人間をどうよくしていくかというのが、やはり大きなODAの課題への対処法として考えられるようになった。同時に、ODA改革を常にやりつづけないと新しい課題に答えられなくなっている。
 そういった観点から、従来はどちらかというと結果を報告するというのが大きかったODA分野ですが、できるだけプロセス、決定のプロセスにも入ってもらったり、意見をできるだけ多く得て、いろんなプロセスのみならず、こういう大綱を決めるときや政策の中にも取り入れて反映できればという試みをしています。タウンミーティングもその一環という位置付けです。なかなか1対1で話す機会もありませんし、また、インターネットで意見を聞くときも、そのまま会話という形にはなっていないので、対話の機会が少ないのですが、随分、ODA分野で皆さんの意見を聞くことができるようになったと思っています。さらに、「連携・対話・支援」というのがODAをやっていく上での3本柱ですが、NGOという私たちとはちょっと違うアプローチ、直接相手国の国民に手をさしのべるということを主にやっている方々との協力関係をどうするかということで、いろいろ工夫しています。支援の仕方、NGOを支援するというのは変なのですが、NGOと同じ想いで同じ事業をやれるのであれば分担してやろう、政府ができないところもNGOが得意分野としているところがあればNGOにやっていただこうということで、規模は小さいながら、だいたいODAの中の2%から3%くらいを振り向けている。「日本NGO支援無償」という形でお金を出すというのは、NGOの方々にとっては透明性のある使いやすいお金だそうで、いろいろと使い方を工夫してやってもらっています。特にその中で、それを原資にして、ジャパンプラットフォームという、緊急支援型のNGOを支援する組織があります。これは、民間、経済界、メディア、それからNGOといったようなODAに関わる人が集まって、本来は政府・民間両方が1対1くらいの支援をしてNGOを支えていこう、あるいはNGOの提案を受け取って新しいODAの試みをやっていこうという試みです。これも、先ほどの津波の時にも役に立って、翌日にはすでに、ジャパンプラットフォームのメンバーが飛行機に乗り、スリランカやプーケットに出かけました。またスマトラにも28日には入ることができました。こういう工夫をしながらやっているというのが現状です。非常に雑駁ですがここで1回終わらせていただきます。
(古野コーディネーター) 古野コーディネーター どうもありがとうございました。本当はもう少し時間があれば、ODAについて私たちがもっと知りたいことがたくさんあるのですが、それは後でもう一度、皆さんとの質疑応答の中で答えていただくことにして、次に白石さんにお願いします。アジアというのは、人によっていろんな国の方とのつきあいがあり、個人的にいろんな想いはあるでしょうが、戦後のアジア史の中で、現実に日本が付き合っていく中で、ODAがどういう役割を果たしてきたのかということと、どこに問題点があったのか、ということに絞ってお話いただきたいと思います。
(白石教授) 白石教授 3点申し上げたいと思います。ひとつは、援助というと何となくイメージとして「よそ様のためにしてあげる」という感じで、その裏返しとして、「ODAは日本の利益になっているのだろうか?」といった質問も出てくるわけですが、実際にはODAは両方の利益になるものでないとそもそも続かないし、実際、戦後50年の日本のアジアとの関わりを見ると、ODAは非常に重要な役割を果たしてきていて、それはいろんな意味で日本の利益になってきたということであります。ただ、そこで、「何が日本の利益なのか」というのは、必ずしもそう簡単に決まる話ではありません。時代によって「日本の利益」をどう定義するかはずいぶん変わってきます。例えば1960年代、まだ日本が東南アジアに戻って行こうとしているときには、日本の製品を売るためにはどうしたらいいか、日本が必要とするさまざまな資源を開発する、その一助とするような経済協力の一環としてODAが語られたということがあります。しかし、1980年代半ば以降くらいになると、日本の企業がアジアのいろんなところで非常に広く展開するようになる。そうなると、アジアの安定と繁栄がまさに日本の利益になる。先ほど広瀬さんが、世界の平和と安定がそのまま日本の利益になるのだと言われましたが、それと同じことが実はアジアと日本の関係についても言える。そういう広い開かれた日本の国益という観点から、経済協力あるいは援助ということが重要になってくる。ちょっと別の言い方をすると、日本の援助ということで、例えば他の国から日本はどれくらい感謝されているのかという話が常にあります。もちろん感謝されるに越したことはありません。しかし、決してそれが一番大事なことではない。援助というのは、あるいはODAというのは、「よそ様のためになる」だけでなくて、実はわれわれの利益にもなることをやっているのであって、それでもって居丈高に感謝しろというのは失礼な話だ、そのくらいの感じで受け止めた方がいいといえると思います。
 それから第2点目は、そうは言っても、世界でもアジアでも、日本は100%好きなことができるわけではありません。それは個々の人の身になって考えればいいのですが、自分が世の中で好きなことをなんでも100%できるなんてことはあり得ません。国についても同じです。これは少し政治学的に言いますと「行動の自由」というのですが、そういう日本の行動の自由というのは、やはりかなり制約されている。どういう形で制約されているかというと、戦後の日本の外交政策においては、日米同盟というのが基本です。ですから、日米同盟という枠の中で、アジアについては日米協力をやっている。ですから仮に日本の利益になるといっても、それがアメリカの利益にならないようなことは、場合によったらしたこともあるかもしれませんが、そう頻繁にやるわけにはいかない。そういう意味で、日本の行動の自由というのは日米協力との関係で決まっているところが多くあります。では、どういう日米協力の原則があったのか。単純化して言うと、アメリカの利益とは何かというと、アジアにおける安定を維持する、ということだと通常言われます。ただ、そこでの安定というのは、政治軍事的な意味で安定ということで、実際、アメリカ政府の中でアジア政策をやっている人たちの主流は政治軍事の専門家であります。そういうアメリカの定義する「安定」を前提として、その中で日本としては経済の繁栄あるいは開発ということを強調してきた。ですから、ODAのDというのは開発であり、そこで開発とはどういうことかというと、実はアジアの国々というのはかつては中国とタイを除くと、ほとんど植民地だった地域です。そういう地域が戦後独立して国民国家として国造りをするようになってくる。そのときに、その国造りを応援するということが、実は日本にとっては非常に大きな課題になり、そこで開発ということもいわれた。なおついでにもうひとつだけ言いますと、そのときにアジアでは日本だけがモデルになったわけではなく、ベトナム、かつてのカンボジア、ビルマ(ミャンマー)などにおいては社会主義の革命中国がモデルになって、日本と中国の間でモデル競争のようなことがあった。そういう中で、最終的に日本型モデルが日米協力の枠の中でうまくいったということであります。
 それから3番目に、これは座長の質問に直接お答えするものですが、なぜインドネシアと中国において日本のODAが突出して累積援助額で大きくなっているかです。実はインドネシアは、アジアの地図をちょっと思い浮かべていただくとよく分かると思うのですが、日本が南に下りて中東に行こうとする、あるいはヨーロッパに海で抜けようとすると、必ずそのどこかを通らないと行けません。その意味でインドネシアは、地政学的に極めて戦略的な場所を占めている。それから2番目に、インドネシアは極めて資源の豊かな国です。それから3番目に、戦後、日本にとっては、かつての戦前の中国に代わる、いわばパートナーというのがアジアで必要だった。このときのパートナーはインドネシアを中心とする東南アジアの国であった。その意味で戦略的で、経済的にも政治的にもインドネシアが非常に重要で、逆にインドネシアの方からいっても、スハルト時代はもちろん、それ以前のスカルノ時代から、日本とインドネシアの関係は、インドネシアの国家建設、あるいは国造りにとって非常に重要な役割を期待されていたということがあります。では中国はどうか。実は、中国についても、私は、日本のODAは非常に成功したと考えています。それはどういうことか言うと、ちょうど1978年に中国で開放政策が始まるわけですが、その頃の中国は、まだ国際的な経済システムに十分に統合されていなかった。そういうところは政治的に非常に重要な問題があると、あまり経済のコストが高くないため、かなり乱暴なことをしかねない。しかし、日本がODAをやり、経済協力をやり、他の国々も中国と経済協力をやることで、気がついてみると中国の経済は、今では世界経済との関係を抜きにしては運営ができなくなってしまっている。だからその分、なかなか勇ましいことは言いますが、実際にはもう乱暴なことはなかなかできない国になっている。これは、まさに、日本の政府が狙ってきたことであって、中国の経済が勢いよくなったから日本の援助が失敗だった、というのはまさに歴史をまったく見ない、極めて近視眼的なものの見方だと思います。ただ、そのことはこれからも日本が中国に今の水準でずっとODAを出すべきだということではありません。それはその時々の日本のアジア戦略の中で考えるべき問題だと考えます。 一応、3点だけ申し上げて後でまた他の問題がありましたら、追ってお話したいと思います。
(古野コーディネーター) 中国と韓国、いわゆる北東アジアと東南アジアでは違いがあると言いますが、いかがですか。
(白石教授) 感謝されているか、されていないか、という話に関係することですが、韓国や中国では、日本の様々な援助プロジェクトで造られたものを土地の人が知らない、ましてや感謝なんかしていない、それでは東南アジアではどうかという話がありますが、私はおそらく東南アジアと中国、韓国では違うだろうと思います。韓国と中国、特に中国の場合には、今の政治経済体制を共産主義のイデオロギーでは正当化できなくなっている。にもかかわらず、体制は正当化しないと維持できませんので、そのときにナショナリズムを使って正当化しようとする。ところが中国のナショナリズムというのは、中国にいって「責任ある大国」として行動すべきだというといつも怒られるのですが、そういう「責任ある大国」のナショナリズムとなっていない。中国は20世紀の虐げられた時代の記憶に寄りかかり、それで日本はけしからんというタイプのナショナリズムを使いがちなところがある。そこが東南アジアとはずいぶん違う。一つだけ例を挙げると、実は1月中旬、1週間ほどインドネシアへ行っておりました。その際、国家企画庁長官に会ったのですが、日本の評判が非常にいい。別に私が日本人だからからおあいそを言ったのではなく、日本政府が、津波災害について、今度はこれだけお金を出しますといえと、すぐにそれだけのお金が出てくる、そういう律儀さが日本の信頼度を高めている。それはナショナリズムの話ではない。もっと普通の人間関係にあるような信頼関係であり、それが日本に対する信頼の一番基礎にあると思います。ですから私は別にインドネシアの高官が日本に「ありがとう」と言ってくれなくてもいい、そういう信頼関係を維持することが非常に大事な問題だろうと思います。
(古野コーディネーター) ありがとうございました。今日のテーマの中で、私たちから見て一番大事なポイントのひとつが感謝です。前回大阪でのタウンミーティングに外務省の児玉審議官が参加したときですが、そのとき一番問題となったのが、感謝の問題です。数年前、田中真紀子外相のときですが、大きな問題の一つが「宗男ハウス」でした。これは何かというと、国会議員が現地に行く、橋がかかっている、この橋は実は日本のODAで造ったものなのに、それを現地の人が知らない。国会議員が怒り出す、という。それは大変だったと、児玉審議官が発言された。 そのあたりが重要なことだと思います。
 それでは、村上さん、最近多くの場面でNPOやNGOなど、いわゆるボランティア活動などが安易に使われている。外務省の下請け的に使われているのではないかと、正面から書いた記事が最近多く出てきて、少し気になっています。長年NGOで現場を見てこられた村上さんから見て、これまで感じてきた、ODAについて、実はこう思っているという点から発言をお願いします。
(村上事務局長) 村上事務局長 最初に、こういうところに参加して、難しいことを発言するのはかなわん、それにODAをまともに考えたことがないというのは、もちろん納税者の一人としては、税金の使われ方が大事だ、ということは考えなければいけないのですが、私どもNGOというのは、非常に多様性があります。さまざまな活動があって、分野があるわけですから、見方もいろいろありますので、個人的にNGOをやっている一人として、個人的な見解としていろいろ言わしていただくことになります。基本的に私は、ODAとNGO活動の次元が違う、枠組みが違うという考え方をしていたので、基本的に、ODAはどのように実施されているのだろうかという関心はもっていなかった。たまたまこういうことになって、ちょっと2、3の本を読むと、ODAというものがますますわからなくなりました。ただ、いろいろな国に行ったときに、これは日本の橋だ、日本の道路だ、ということに関して、昔は、日本のODAは金の使い方がずさんだということが論議になったことが印象的ですが、最近、ここ10年くらいのアジアの各地を見ていますと、非常にいいものを造っている。それから、担当の人たちの話を聞くと、非常に律儀だと思います。私の印象を一言で言うと、日本のODAはまじめだけれどもへたくそ。要するに、広報。例えば、ブッシュさんなんかは必ずアメリカは「世界の自由だ」、と。最初に大義名分を言う。そして、大義名分を言っておいて、好きなことをやる。日本は非常に良いことをやっているのですが、大義名分がわからない。だから、「何か余ったお金を持っていってやっているのではないか」、「あるいは商社とうまいことやっているのではないか」とか、疑惑だけがでてくる。しかし、実際に現場に行って見てみると非常にまじめにやっている。だから、一言で言うと、まじめなへたくそなんかなあと。国際社会の中で見たら、私の個人的な見方では、国際社会というのは単位が国ですから、そうすると先ほど言われたように国と国との関係、というわけで平和をどう見るか、国際政治をどうもっていくかというところで、このODAが役立つのだろうと思う。NGOは国という単位がないので、むしろ人間的な交流というのがベースになります。ですから全然観点が違うと思っていますし、ODAそのものが歴史的に見て、1950年代から、もともと先進国というか経済国家が自分たちの経済力をさらに一層、確固たるものにするために、いわば貧しい国の人たちに、金持ちが貧しい貧乏人に金をンしてその利子をとっていくような、そういう性格のものだったと思っているので、その意味では日本のODAは、その中の流れの中で、非常に日本的まじめさで乗っかってきた。そして、ある程度、外交戦略として考えているだろうけど、私たちから見たら、「戦略なき金のバラマキ」の面がある。それは、税金を使う立場では、なぜそれを使うのかと、ODAとはどういう性格のもので、なぜそうしなければならないかという広報を、これをやはりきちっとやっていかなければならない。われわれNGOでも広報はへたくそで、これは日本人のDNAの中に広報がへたくそ、という、ある種の共通項を感じます。やはりNGOと違うのは、国家という枠組みをはずしてやるわけにいきませんし、国益とまったく無関係なODAなんて成り立たないと思っています。ただ、それをどううまく相手にも感謝されながら、自分たちの有効なお金がまた日本の国にどういう形で還元されてくるのかというのがODAの基本的な性格だろうと。それが、私はODAに関心を持ってなかったのですが、今回、こういう話になってきて、NGOは、市民と市民の交流という中で協力をするわけですから、協力のためというより市民交流の一環として国際協力というか援助というか、支援活動というのを位置づけていますから、ちょっと性格が違うと。ただ、相対として今の各地における日本のODAの成果は、かなりいい線をいっているのではないか。担当者は、きまじめすぎるくらいきまじめです。それから制度的に担当者自身がイライラするくらい縛りがある。そういうところは、もう少し研究課題になるのではないかなと思います。私としては、先ほど言いましたが、ODAは「まじめでへたくそな性格」をもつものだと、そんな印象を持っています。
(古野コーディネーター) 「まじめでへた」というのは非常に面白い指摘で、また後で広瀬さんにお尋ねしたいと思います。村上さん、いわゆるODAの資金といいますのは、税金ですね。それからNGOに任せられるお金ですね、これをどういう勘定するか分かりませんが、それがあまりにも少なすぎるのではないかということ。実はNGOはまだそこまで行ってないのだという考え方もあるかと思いますが、それがひとつ。それと、私たちのような素人が見ると、どうもNGOの人は、国会議員や外務省の役人に対してとても腰が低くというか、丁寧なのは結構ですが、そういう印象をテレビで見て受けたことがありました。NGOから見たそういう当局者に対する感じというのをお願いします。
(村上事務局長) NGOといっても、NGOの目的と性格によってODAとの繋がり方というのは違ってくると思います。基本的に私のスタンスはどちらかというとあまり興味を持たない。自分たちでやることは自分たちで。そのかわり自ずとサイズも決まってしまいますが。
(古野コーディネーター) 自分たちのやることに対して外部の資金は1割まで、と規約で決めているのですか。
(村上事務局長) 全体 自分たちの場合は、財務委員会など、いろんな委員会をつくります。例えば財務委員会なんかは、1割を超えて補助金などの外部資金に頼らないということを原則に持っています。NGOのやり方で、中には、例えば私たち、市民型とかエージェント型とか呼んでいますが、それはどういうことかというと、「専門家をたくさん持っている。お金集めはしないけれど、必要な資金をODA等からもらって活動する」これを、私たちは勝手にエージェント型と呼んでいます。市民型の場合の意味は、「子どもからお年寄りにいたるまで、やることの意味を理解しながら自分に何ができるかを考えていく」、これが市民型です。ですから、「そのお金を使って何をするか」ということよりも、むしろ「意識を変えていく」という方に重点をおいている。場合によっては、今の緊急支援活動や、非常に大きな単位の支援をしていくNGOにとっては、自分たちだけで金を集めることはできませんので、それにはODAのお金がそこに還流していくということは非常に大事な要素です。ODAのお金とNGOのお金の使い方をどう考えるか、というのはそういう立場の人がいいと思います。私のような関心のない者にそれを言えといわれても難しいです。この間、ある関係で、国際協力銀行のプロジェクトを拝見したのですが、もしもあのお金が1割でもNGOに還流したら、お金が大きすぎて、いろんな組織は、現地の組織を含めてつぶれます。それから、人間というのはお金に弱い。今までせっかく構築してきたものがお金で潰れるという感じがしました。ですからこれは、やるプロジェクトによって変わってくるという印象を持ちました。欧米と比べると、欧米のNGOは、まさにガバメントに対してそれを補完する意味のノンガバメントです。私はノンというのは、初めはアンチかと思ったら違う。ノンというのはガバメントがやれないところをノンガバメントでやってあげましょうという外交政策の手段だということが分かりましたが、そこではものすごいお金が行きます。それはそれでひとつのやり方です。ですから、アジア協会アジア友の会はNGOというよりはPVO、プライベートボランティアオーガニゼーションといった方が合うのではないかという気がします。これはいろいろバラエティがあるので、どれがどうだということは言えませんし、それぞれのやり方です。ただ、日本は外務省も含めて、国際感覚が非常に弱いと思います。市民はもっと弱い。弱いから国民の平均値はそれを反映する墲ッですから、国民の平均が低いのに外務省が突出して高いというのはありえない。それをみんな国政も含めて反映しています。それともうひとつは、こういう国際協力や援助というのは、もともといわゆる市場型社会の発想だと思います。いわゆる世界そのものを一つの市場経済というところで考えている。ところが農耕社会などは、どちらかというと自分のところだけ一所懸命考えたらいいという。他人の援助よりまず自分のところをすることを考える。
(古野コーディネーター) ありがとうございました。広瀬さんは安心されたのではないかと思いますが。白石さんからも、日本は律儀でよくやっていると。中国は第2位ですか、累積では。ODAの相手国として巨大な金が出ている。これについてもそれなりに一つの成功であるという評価です。それから村上さんの話でも、とにかくまじめでへたという、これはある意味で半分以上にほめ言葉ではないかと思いますが。その辺についてお話いただきたい。それから、日本経済が90年以降、バブルがはじけて、経済が落ち込んできた。それに比例してどんどんどんどんODAのグロスが小さくなっていくことについて、どう思われますか。50年前に日本が政府間で開発途上国への経済協力を始めた。そのころ私はちょうど大学に入った時で京都にいました。着るものがない、食べるものがない、今から思うとよくあのときにそんなことを開始したなという気がするわけです。私は、お金がもうかったから援助をするとかしないとか、そういうことではない。つまり、ボランティアの、そのお手伝いをしている人間からいうと、そういう気がします。その点についてのお考えを聞きたい。もうひとつ、いわゆるNGOからみて、NGOにもいろいろありますが、NGOと政府がやるODAとの棲み分けといいますか、その辺に問題があると思うのですが、その点のお考えをお願いします。
(広瀬審議官) どこまで答えられるか分かりませんが資料があります。国際とか、地球市民という言葉がありますが、日本市民と地球市民との間で一番イメージが違うもの、これが「ミレニアム開発目標、MDGs」といわれるものだと思っています。MDGsでいうのは、一番簡単なのは、絶対的貧困という、1日1ドル以下で年収365ドル以下の国民がいるわけです。地球市民の中に大体6億人から、多い試算ですと10億人がいるわけです。そういう人たちを救おう、あるいはもっと豊かにしよう、具体的には2015年までに半減しようとする目標が世界にあります。この認知度が日本国内ではおそらく1%以下。ところが先進国、OECD加盟国といわれるような先進国グループでは2割から3割。アメリカ・イギリスに限りますと4割から5割の人たちが、こういうことをやらなければいけない、認知度だけではなく、やるべきだと考えている。一方、日本においては、現時点で指導者を含めアンケートをとると、ほとんど認知がない。これはなぜ大変かと言うと、私たちが考えて、日本には未だ受け入れられない目標を達成しようということですが、世界ではやるのが当たり前になっている。たとえば、真ん中のあたりに保健と言うのがありますが、HIVエイズ、知っている方は知っていると思いますが、これが感染すると10年くらいの間に5割の人がエイズを発症します。そして、発症がわかった段階で、カクテル剤といわれる3種類のHIV抑制剤というのを飲みますと、ほぼ健常な生活が維持できます。今一番安い薬で年間300ドルくらい、1日1ドルくらい、薬を飲むだけでかかります。先進国でみるとだいたい5倍くらいかかります。これにかかっている人が、開発途上国だけで3千万人くらいいます。その5分の2くらいの人が発症し始めています。ですから1千万人くらいの人が毎日毎日1ドルの薬を飲むことができるようにする、そうすることによって健康を維持できる。エイズになって死ぬという状況を延ばすことができるという。そのコストを考えるとき、薬を飲むのに3食きちんと食べなければいけない。ところが、1日1ドル以下で生活していると、3食、このカクテル剤を飲むのに必要な脂肪とか蛋白とかそういうものを採ることができない。1ドルの薬プラス1ドルくらいの食事をどこかから提供しないと、エイズの発症抑制ができない。という状況です。これをみて、欧米では多くの人たちはチャリティにお金を出したり、政府にもっとODAを増やしたりしろというふうに圧力をかけています。日本と違う所は、日本ではこういう圧力がなく、伝統的なODAをやっているという状況です。
 MDGsにどれくらいお金がかかるかというとちょっと膨大すぎて、議論が荒唐無稽になるのであんまりしたくなくなるのですが、これはサックスというコロンビア大学の研究者が行った、ミレニアム開発目標に関する調査、1月17日に公表されたものです。今のODA、左から2番目のところにありますが、2002年で650億ドルくらい、これを2年後、今年からすると2006年には1350億ドルに増やそう、2010年には1520億ドルに増やそうと。15年までの試算があるのですが、どれくらいのペースで増やしていくかというと、下から4行目ですか、2006年までに2002年と比べて700億ドル倍増しよう。それから、2010年までに870億ドルまで増やそう、という膨大なものです。これはなぜ膨大かと言うと、下から2番目のところにありますが、国連分担金、全世界の2割くらいを日本が負担しています。こういう国際公共財を供給するのにその負担割合でいくと、270億ドル、2兆8千億とか9千億円くらい。今、日本が出しているのが8千億から9千億円くらいのODAですから、3倍増から4倍増というような分担を期待されるような議論をやっているわけです。これが、日本の外に出ると、先進国の間では、やるのが当たり前という発想でみられている。義務があるかどうかは別として見られているという状況です。今まで日本がやってきたのは、伝統的ODAといいましたが、見ていただきますと、アメリカやフランスは紫色の社会インフラや病院であったり、さっきの医療システムを作ってHIVカクテル剤を供給することをやったり、医療・病院・教育・水というような、道路等とは違う、ライフラインに相当するものを中心にやってきました。日本はそれよりもう少し、港湾だとか道路だとか電力だとか、もう少し成長志向のものを供給してきました。その結果どうなったかといいますと、90年代、確かに日本は世界一だと言っていたこともあるのですが、ヨーロッパやアメリカは援助疲れで90年代は下がってきました。しかし、2000年くらいから、このミレニアム目標を設定して、行動がまったく変わったと考えてよいと思います。アメリカは、3年で1.5倍にするということを公約通りやりました。こういうことは非常に珍しいのですが、公約通りやって日本の倍くらいの規模になっています。2004年はもう少しアメリカは急テンポで増えています。それから、フランス、ドイツ、イギリスといった国々も、2015年までにGNP比0.7%という国際的な約束を守るためのロードマップという、いつの時点でどれくらいやるかという国際公約をつくっています。ドイツは今はやっていませんが、そろそろやりたい、という意向を示すようになっています。アメリカと日本だけ、0.7%にコミットして2015年までにやるというのを約束していないのですが、アメリカは独自のスタンスで増やしています。ですから、日本がどんどん減らしているというのは特徴的な状況になっている。
 そこで、日本における負担がどのくらいかといいますと、世界のG7諸国の中では、フランス、イギリス、ドイツの次ぐらいで、一人当たりの金額で言えば中位であろうと思います。アメリカよりは多い。それから国民総所得(GNI)との比率でいくと、右の方で見ますと、DAC加盟国という世界の先進国の仲間がありますが、そこでは下から2番目。アメリカは突出して低いのですが、日本もどんどん下がってきているので、いずれ危ない状況が来るかもしれません。ですから、けっして日本がお金をたくさん出している国ではないのです。世界と比較すれば多いという状況ではありません。これはもう予算に端的に表れていて、左側の図で一番多かったときから比べると、もう33%減。ずっと減り続けています。他の大きな項目に比べても減り方が激しいものになっている。右側を見ると、そんなに大きな予算項目かというと、社会保障、公共事業、文教、防衛といったようなものに比べると、全体の中で1.7%くらいの小さな予算額です。国際的に注目されている予算額だとお考え頂きたいと思います。これも別に外務省が査定しているから、という話ではなくて、やっぱり世論調査に表れています。上のところは現状のままでいいというピンク色のものもありますが、積極的に増額すべきだという緑色のものが急激にこのところ下がってきています。それにひきかえ、なるべく少なくすべきだというものが、割合、テンポとも早く増えてきています。ですから日本のように、政策決定を全員一致方式でやろうとすると、必ず変化をしている部分の人たちの意向が反映され、今の予算の動向になっていると理解しています。
 そこで、こういった議論をしているわけですが、先ほど座長の方からいろいろこういうことをどう考えるかという話をご指示いただきましたが、世界の流れと日本の中の考え方がずれているということを一番心配しています。それは、政策をやっている私たちだけではなくて、NGOの方々ともずいぶん違いがあります。NGOの方々はもっと政府からお金をくれという、半分くらいの方はそういう考えですが、私たちも仕事のやり方が足りないのかと思って世界と比較して調べたのですが、アメリカとイギリスは例外的に多いが、そこを除くと、NGOに対するODAの比率というのは日本とほぼ同じ。1、2%から始まって数%以下。あれだけ出しているというヨーロッパの諸国もそういうところが多くなっている。アメリカは例外的に40%くらいNGOを通じてやっている。これは法律で定められているのでそうやっているという説明です。ですから、私たちがやっていることが、先ほど言いましたように成長志向で、例えば発電所をつくったり、輸出用のコンテナ埠頭をつくったり、相手国が成長したい、輸出したいのを支援するやり方をしているのです。そういったものと違う形で世の中で議論が行われているというのが1つ。もう1つは、NGOの人たちが個々に、個別の人に接触し、その人たちに支援していくというのは非常に重要なことです。どちらかというと、欧米ではチャリティから市民がNGOを支援する、国民ひとりひとりが支援する、というのが日本と大幅に違っているという印象を持っています。私も担当していることもあって調べてみたのですが、ずいぶん大きさが違うもので初めは数字が信じられなかったくらいです。例えば、今回の津波の支援でも、先ほどたくさん集まっているというお話を聞きましたが、1月28日の段階で国際的に調べたものだと、ドイツで政府が650億円出している一方、国民からは450億円寄付が集まったと。日本は政府が500億円出して、だいたい30億円から40億円、市民から集まっている。これでも例外的な集まり方だそうです。アメリカは300億円出して、600億円市民から集まった。イギリスでも、政府が批判されている150億円に対して国民が350億円出した。というような形で、やはりチャリティの大きさ、政府を経由しないお金の大きさというのは西欧社会の特徴かも知れませんし、私たちの努力が足りないのかも知れません。日本国内においては、やはり、政府主導で、全員合議制でODAの政策をやっている。その?ナ、現状は、今年ODAの方向をきめるようなMDGsというミレニアム目標というのが大きな議論の対象となっているが、国内はなかなか理解が広まらないだけではなくて、政策の議論すらなっていないという状況です。このギャップを非常に感じています。
(古野コーディネーター) どうもありがとうございました。今のお話の中には、非常に重要なことがいくつか入っていたと思います。私はユニセフのお手伝いをしていますから少しは知っていましたが、こういう形できっちり数字で出されるとやはりそうなのか、という気がします。参考のために言いますと、ミレニアム開発目標ですか、この中に出てきていた話の中で一番わかりやすくよく使われるのが、5歳未満児の生存率の問題です。これは世界中で現在5億5千万人くらいの5歳未満の子どもが途上国にいると思いますが、そのうち年間千百万人くらいが死んでいます。それで1年間というのは秒数に直しますと3千3百万秒あまり。いつも言うのは、ちょうど3秒間に1人ずつ、1、2、3と数える間にひとりずつ死んでいることになります。これを、この目標では2015年までに3分の1に減らそう。ということは、3秒間に1人死んでいるのを9秒間に1人死ぬくらいになんとかもっていきたいと。大変ですが、それでも、まだ世界中にそういう援助を求めている人がいるわけです。にもかかわらず、やはり日本のやっていることは今出てきたような問題。しかもその中でびっくりするのは、私たちは精一杯やっていると思うのに、いわゆる民間からの募金が、ここで出てきているような数字しかないのです。村上さん、どうですかこの数字は。
(村上事務局長) 津波の場合は特殊なので、通常はもっと低いと思います。そこには、シェアリングしていくという意識が日常生活の中に、小さい時からそういう訓練がない。そのひとつだと思います。これは観念の問題ではなくて、生活習慣の中でつけていくものだと。だから、理解をして出すということから、むしろ、そういうものに対しては反射作用的に、あるいはそうすることが生きる人間のひとつのスタイルだというものに、文化というか、生活態度が変わらない限りはなかなか難しいのではないかと思います。
(古野コーディネーター) そういうことだから、そして日本のNGOのやり方とヨーロッパのNGOの働き方、ODAとの関係の差が出てくるのでしょうか。
(村上事務局長) これはやはり私にはよくわかりませんが、個人的な観測では、やはり、社会の成り立ちが、ひとつの何というか共同体がなければならない。日本も村があるわけですが、いわゆる、今グローバル化しているのは西洋というか、私はハンティングと言うのですが、ハンティングパターンの文明の社会で、お互いの利益がひとつですから、そこでは助け合わなければ成り立たない。ところが農耕の場合は、自分のところというのを持っているわけですから、他所よりも、そこでまず成り立たせるというのが大事だと。そういうものの違いがあるのではないかという気がします。
(古野コーディネーター) ですから、国という単位で考えるか、国を超えて、たとえば難民問題からその辺の考え方がきたと思うのですが。
(村上事務局長) 今、質問なさったように「献金の仕方が」というとき、私はいつも言うのですが、日本人は出し慣れていない。出し慣れるというのが大事で、例えば教会ですが、教会は毎日曜日は献金をするわけです。それだけではなくて、教会を支えるための寄付もやるわけです。そうすると、私どもの会で一番安い会費が年間6000円です。ところが教会に行ったら、月6000円くらい簡単に出すわけです。献金とかなんとかで。また、クリスマス募金や、なんとか募金などが頻繁にあるわけです。そうすると教会に行っている人は、年間20万くらい平均すると出すわけです。いろんな意味でまじめにやった人は。そう見ると、出し慣れている人と出し慣れていない差というのは大きい。ですからみなさん、出すのに慣れてください。それが一番大事なことだと思います。
(古野コーディネーター) やはり、こういう問題を考える時に、文化の差や文明の差と言いますか。特に宗教ですね。今おっしゃったようにキリスト教では旧約聖書の最後に、これはほとんどの日本人はクリスチャンでない限り知らないわけですが、「10分の1を献金せよ」と書いてあります。そういう習慣や文化の中で育った者とそうでない者の差でしょうか。
(村上事務局長) そのような気がしますが、どうでしょうか。
(古野コーディネーター) 白石さん。先ほどトータルな話が出たのですが、緒方貞子さんね、明日ここでも講演されるそうですが、大変多くの人が申し込んで、大半は話が聴けないという人気だそうですが、その緒方貞子さんが去年の5月にアフリカを回られた後、現地で記者会見をした。その中で言ったことなのですが、日本に13年ぶりに帰ってきてびっくりしたことは、50年前にアメリカで議論されていた古い国益論がまだまことしやかに論じられているというのに非常に驚いたと。彼女がJICAの理事長になって一番驚いたことはこのことだったと書いてある。それは結局、アフリカに対する援助、日本人の気持ちがアフリカに向いてないということをおっしゃっているわけです。今、広瀬さんのお話の中でトータルな話の中で出てくるのは、ヨーロッパの国はアフリカに相当出しているが、日本はやはりアジアで来たということです。その辺はどう考えたらいいのでしょうか。それから、これからどうするかということ。中国についてはさっきお話がありましたが、これからアジアに対するODAをどうするのか。
(白石教授) 非常におおざっぱな言い方をすると、多分、日本政府も含めたODAコミュニティの中では、援助というかODAというのは、大きく二つの目的があると思います。ひとつは、少しくだけた言い方をすると「世界的なおつきあい」。そうすると先ほどの広瀬さんの話に戻るのですが、国際的なレベルで、あるいはグローバルなレベルで、こういうODAの目的などを議論すると、そこでの知的なリーダーシップをなかなか日本人がとれなくて、それでジェフ・サックスのような人がとってしまう。ヨーロッパ人はそういうところで随分発言します。しかも日本の場合は、有償と無償の2つの援助のやり方があり、有償の方は返してもらわなければならないので、そう簡単に出すわけにはいかない。日本は何となく困った立場におかれるけれども、ともかくそうは言ってもおつきあいは要る。それからもうひとつは「経済協力」の一環としてのODAで、それは、アジアの安定と繁栄は日本の利益である、そういう戦略的合意にもとづいて行われてきたODAです。私はこのふたつは最初から別のものとして扱われていたような印象を持っています。ですから、そのふたつをどういう形で組み合わせていくかというのは、緒方さんのように国際的に長い間活躍されて、それでそちらの方を重視する人と、それから、私はどちらかというと後者ですが、日本の将来のことを考え、東アジアとの連携のためにODAを外交の手段として使うべきだという立場では、力点の置き方が違ってくるように思います。
(古野コーディネーター) そうするとどうですか、トータルとしてODA予算は減ってくるのではないでしょうか。
(白石教授) 増えているときにはこういうことは問題にならないわけで、減っているから皆苦しい。今の日本の財政ですと、これはやはり減っていくしかないと思います。先ほどの広瀬さんのプレゼンテーションの中で非常に説得力があったのは、出さなくていいという人の比率が増えているということです。そういう大きな国民的合意の崩れているときには、やはり予算は減っていきますので、その意味で苦しい状態というのはこれからも続くと思います。
(村上事務局長) 私の個人的な思いですが、お金が余っているとき、豊かなときは金がだぶついている。だから援助してもいいという感覚で捉えられたときには、これだけ金が厳しくなってきたのだから、そっちの方は遠慮したらどうだ、出費を減らそうという感覚になるのではないかと。先ほど「まじめでへたくそ」と申しましたのは、日本が国際社会の中でどういう国でありたいというイメージを世界にどう訴えているのかが、大きなポイントになる。だから私は、1つの仮説として、「日本は国際奉仕国家になる。人も技術もあらゆる世界に役立つような国になります」。と世界に向けて宣言して、もしそういうことをやったとしたら、国民はそれで納得したら、そのことを減らすということにはならないと思います。ところがそれがないから、無駄金を持って行っているのではないかと。お金の使い方や日本はこういう国なのだ、日本は国際社会の中でこういう日本でありたいと思っています、ということを世界の中ではっきり言えばいいと思います。平和国家でありたいというのは政治的な発言で、事業を拡げるというのとは違う。「平和をつくり出す国になる」という動きのある表現があると、いわゆる大義名分ができていくのではないかという気がします。
(古野コーディネーター) 広瀬さん、今の意見に対してどうですか。
(広瀬審議官) 国内に政治的な合意がない、政策的な合意がない、というのは一番大きいと思います。「平和をつくろう」と言ったときに、日本の外へ出ると、「平和をつくろう」というのはまず武力があって、武力紛争を抑えるかあるいはできないようにするか、その後初めて日本が考えているような、人を出し、警察行為をやり、復興、それから人を豊かにするという作業が始まるわけです。やはり血の流れる部分があって、そこに対して日本がどんな形にせよ日本人が出て行って世界の平和をつくっていく、という合意は全くないという感じがします。
(村上事務局長) 私が「動きがある」という表現で言ったのは、むしろ平和をつくろうというよりは、「国際奉仕国家、世界に役立つ国になります」という、そういう表現の方が穏やかではないかと。そういう宣言がされて、各国がそれを受け入れた時に少し国民の反応も違ってくるのではないかという意味です。
(広瀬審議官) すいません。言葉尻をとらえたような形になって。同じ脈絡です。つまり、日本において、世界における平和志向国家、自分はこうしますという段階でとどまっている範囲ではほとんど異論がないわけです。ところが「平和をつくります」とか「奉仕します」と、自分のあるものを犠牲にして他人のために、と言い始めると、日本のように多数決で決まりにくい国では、1人でも2人でもこの中に反対がいれば、その人たちの意見と言うのはかなり影響するわけです。他の民主主義国家であれば、あるいは西欧国家であれば、多数決になるわけです。異論はあるでしょうが、多数決で動くものという原則があるからできるのですが、日本の政策合意においては、必ずしも成立しない形をとっている。多数の暴力という言葉があるように、多数決だけで政策を決めるということは少ないため、必ずしも政策合意に至らない。ですから私たちが苦しむのは、行動を伴うものについては、なかなか政治合意や政策合意がはかれなくて、さきほどのMDGsみたいに中味を見ていただいて、これに反対する人がいるかというと多分いないでしょう。ただ、そのために毎年1万円ずつ税金を増やすというとほとんどの人は反対します。そうするとどこかから別の、今、政策でやっているものからお金の配分を変えないといけなくなるのですが、今度は個別反対論が起こってきて、それについて個別利益を持っている人たちが強く反対するため多数決にならない。合意がとれなかったということで政策合意に至らないというプロセスが待っているため、国外と日本国内の合意形成の違い、それから問題意識の相違、そういうものを考えるとなかなか大きな目標過ぎるという気がします。
(古野コーディネーター) どうもありがとうございました。時間も大分経ってきて、今日は事前の打ち合わせでは、少しでもたくさんの時間を参加していただいている参加者との話にあてたいということでやっています。が、最後にもうひとつ、広瀬さん、NGOとの関係について1点だけ付け加えていただきたいのは、今日はNGOの方々がたくさんみえていると思いますが、先ほど量的な問題のところで申し上げましたが、今の日本のNGOについてです。NGOにはこれからこうあってほしい、そのために私たちはこう考えているということ。それからもうひとつ、よく言われるODAの透明性の問題。これについて私たちはこうやって気をつけている。この点は理解してほしい。ということがあれば、その点を付け加えてください。
(広瀬審議官) 座長の誘導に乗せられてかもしれませんが、私が個人的に思っているのは、多くのODA関係者が思っていることでもありますが、日本のNGOの方々は非常にまじめにやっている。組織をあげて、あるいは外の力を使ってというより自分でまず動こうという人がいて非常にまじめにやっておられる。私は評価しています。同時に、外国の国際NGOといわれる人たちとの違いで一番感じるのは、彼らは実績にもとづいて、他の政府であれ日本政府でもきちんと批判します。私たち、国内のNGOの人たちと議論をしても、例えば大綱の何条のここは変だとか、国益論は変だとか、透明性をはかるべきだ、それからプロセスを公表しろ、俺たちも参加させろ、という抽象的な議論では非常に長い議論ができるのですが、具体的に、この援助のどこの段階でどうすればできるのか個別にやりましょう、どこに問題がありますか、となってくると、急に声が少なくなる。これで、せっかく政府から離れてもっと厳しい目で見ている人たちであるにも関わらず、具体論がないというのは、非常に残念なことだと思います。ですから、私たちのように政策をやっている人間は、抽象論は負けないぐらいやれると思いますが、具体論ではやはりいろいろこうしたいと思うこともあるので、やはり具体論で厳しく議論していただきたい。それが集約されれば透明性の議論にもつながるでしょうし、ODA全体をよくしていくプロセスの中で役に立っていくと思います。
(白石教授) 今のことに少し関係があることとして、NGOの話ではありませんが、痛感していることがあります。例えば今回、アチェの首都、バンダアチェにシャ・クアラ大学という大学があるのですが、そこでは、日本で教育を受け修士以上の学位をとった人がだいたい80人いまして、そのうち20人が亡くなった。しかし、それでも60人ぐらい残っている。これからのアチェ復興を考えると、大学の役割はすごく大事で、日本のODAの政策として、経済インフラはまだ重要ですが、同時に人材育成がますます重要になってくるだろうと思います。ところが、例えば、橋を1つ造ると400億円と言われる。ところが留学生を1人、5年間留学させようとして、毎年1千万円かかるとしても、400億円あると800人を教育できる。ところがそれをやるには、今の日本政府とJICAの事務体制ではとても無理、NGOでも無理、日本の技術協力、有償協力、人材育成、そういった分野で、日本と外国のインターフェイスになるような人をもっと育てないといけない。実際、人材育成は重要ですといくらいってみても、英語で学生をきちんと教育できる教員、きちんと対応できる事務員がそれぞれの大学にどれほどいるか、これひとつ考えてみても、実のところほとんどいない。その意味で政府においても民間セクターにおいても日本の人材育成も同時にやる必要がある。それは単にNGOだけの話ではなくて、先ほどのチャリティの話とも関係しますが、日本の社会そのものがそういう意味でもっと力を持たないと、これから先、日本のODAの問題もなかなかもうひとつ先には進まないのではないかと思います。
(村上事務局長) 先ほど、欧米のNGOは、国の政策に対して具体的に口をはさんでくるということを言われたのですが、私はいくつかの国際NGOを見ていたら、あれはもうビジネスですね。自分たちが日本政府から金を引っ張り出すために、そういった文句やいちゃもんをつけてきているのであって、日本のNGOの能力がないとかいうことではなくて、日本のNGOはまじめでへたくそなのです。そういう意味で、欧米のすごいNGOというのは、あれはもうビジネス産業だと見ているし、実際、人間の尊厳ということを、口で言っているけれども、実際現場に行ったら全然違うということをわかっているので、組織力はすごいですが、あまり欧米のNGOがそれほどすごいとは思いません。それから専門家ですね。博士号を持ったスタッフが1000人いるとか。私は、そんなところはもうひとつのODA組織だと思っています。そういう意味で外務省が欧米のNGOから文句を言われて、そのためにお金を出さされるのにはしっかり抵抗してもらおうと思います。
(古野コーディネーター) 非常に重要なご指摘だろうと思いますが、白石さんが言われたように、この問題は、要するに日本社会全体の、トータルとして、日本人が現在どうあるのか、これからどうあっていかなければいけないのかという、そういうことなのでしょうね。ODAにしてもNGOとの関係にしても。先ほど控え室でも申し上げましたが、5年前に私たちが日本ユニセフ協会の大阪支部のボランティア組織を立ち上げるときに梅棹忠夫さんに、1999年から、日本の民間のユニセフの募金額は世界一になったと言ったら、「すごいな、日本もやるねえ」と言われたので、「ところが個人一人当たりの額でいったら14位」と言ったら、「まだ途上国だな」と言われました。やはり今の話を聞いていると、本当にそういう気がします。
 では、このあたりで会場から、「この点はどうなっているのだ」という質問を何人か、時間のある限り意見を出してください。この場ですぐ答えられるものは答えていただきます。それから、事務局とも話しているのですが、広瀬さんに対して、外務省は、今スマトラ沖のことで、大変忙しいとのことなので、メールで質問していただければ可能な限りお答えするということです。質問を、今日お渡ししましたアンケート用紙に住所とお名前を書いていただき、質問やご意見を書いてください。後で全部とは言いませんが、可能な限り事務局で対応するように私から頼みます。よろしくお願いします。それでは、どなたか、質問やご意見がございましたら、挙手をして、名前と、可能であればどういうことをやっておられるかを言ったうえでご質問をお願いします。それではよろしくお願いいたします。
(質問者A)  質疑応答 ODA民間モニターに参加したものです。日本が、今までにODAで供与したことのある地図がここにありまして、ODAを供与したことのない国を見ますと、アメリカ、それからソ連、そしてヨーロッパとなっています。いろいろなことを比較するときに、アメリカとロシアは省きまして、アメリカと西ヨーロッパと比較しているのですが、私は北ヨーロッパの動きというのを非常に面白く感じています。一人当たりのODAの割合や、GDPに対する割合などはかなり高い。ノルウェーなどは平和の輸出国と呼ばれているようなところで、国際社会の中で、国際貢献という意味でかなり面白い展開をしていると思います。そのあたりをどのように評価するかということを教えていただけたらと思います。
(質問者B) まず、広瀬さんにお聞きしたいのですが、今回のテーマの、「アジアに信頼関係は築けたのか」という話に関係してくるのですが、中国との関係が今ここまで悪化していて、実際、日本は中国にODAで過去20数年間、3兆円まで投じているわけで、そこまでしながら、どうしてここまで信頼関係が崩れてしまったのかということについて。先ほど白石先生から中国側の原因がちょっと指摘されましたが、日本側の反省なり分析というものをお聞きしたいと思います。それから、もうひとつ白石先生にお聞きしたいのですが、今の日本人のODA離れの原因のひとつとして、90年代までの援助のガバナンスの欠如があったと思います。ご専門のインドネシア、スハルトとODAの関係などは、その後どのように、あるいは実態として、どういうものだったのかということを、検証なり分析されたものや、もしお考えとしてあれば、その後どうなったのかということについても、よく分からない部分があるのでお聞きしたいと思います。
(質問者C) 外務省のODAのことをお話された方に答えていただきたいのですが、15年ほど前の話ですが、大阪でアジア市民大学講座という勉強会、別にNGOではなく、単に勉強をしているだけで何の行動もしない小さな会なのですが、そこにODAの勉強をしたいということで、元アジア経済研究所の研究員をされていた経験があり、大阪の大学でインドネシア関係の文学を教えている方で、過去にODA等を担当されていた方に、ぜひお聞きしたいということで聞いたことがあるのですが、よく覚えている話があります。インドネシアのある小さな村に行き、そこで、ODAのお金を援助する。どういう調べ方をしているかというと、村に行って、村の人たちが本当に必要なものをアンケートなり何かで出せればいいのですが、ちょっと村長さんに会って、とにかくいろいろ親しくお酒でも飲みながら、「こういうことが必要かな」という話をして、「わかりました」となる。続いて、また次の町へ飛行機で飛んで行って、そこでまた同じようなことを繰り返している。15年以上前のことなので今は知りませんが、そういう話を聞いた。ああ、こんなことやっていたのか。私たちの血税といいますか、貴重なお金が、ODAの国際協力というのが必要だとは分かっているのですが、こんなに杜撰なことをやっていたのでは、今でも多いと思うのですが、まして当時、スハルト政権のときには一番インドネシアに対するODAの金額も多かったわけですが、それも相当部分がスハルト権力のポケットに入っていったということ。証拠はありませんが、大体そういうことはよく聞きますが、これもまた大変なことです。いくらアジアの特殊状況として開発独裁がどうのこうのと理屈をつけても、協力すること自体が間違いだという印象が非常に強いです。現在は変わっているだろうと信じていますが、いろいろと数字を示しながらお話していただきましたが、お答えいただければ幸いです。
(質問者D) 今日のテーマの「アジアでの信頼関係云々」というところですが、外務省の方は、本当にアジアの政府の側からのモニタリングというのでしょうか、評価はどうやっているのか。政権が次々と代わっていくということがありますので、その当時の政府の意見というのではなく、もっとトータルで、今まで出されたものに対して、どういう評価をしているのか、お聞きしたいと思って今日は参りました。
(質問者E) 私はJICAの講師を一時やらしていただいたこともあり、その後、研修生と個人的なつきあいを14、15年続けています。一昨年、ODAの民間モニターでケニアに行きました。そのとき気がついたのですが、ケニアの医療設備や学校、机などに、ODAのマーク、日本のマークがついたもの、あれがいろいろなところにベタベタと貼ってあるわけです。いくらなんでもあれは少し行き過ぎではないかと。国会議員が来たときの対策として貼ったということですけれど、ある意味で広報と思いますが、あれは行き過ぎだろうと思います。私はそこしか行っていないのですが、評価について。何もありがとうを言ってもらわなくてもいいのではないかと。日本人が実際に行って、支援をしているということを見せるのが一番大切なことと思います。実際、JICAの方、見たのはケニアだけですが、皆さん、非常に熱心です。ただ、ひとつ感じるのは、戦略的なところがないのではないかと。また、日本人は非常にしっかりやっている。ただそのとき感じたのは、全体的にやはり教育が大事だと。食糧援助をしても、結局は食べるだけだということですので、決してその人のためにはならないと思います。その教育ですが、帰ってきていろんなところで、たくさんの研修生、留学生が受け入れられているのですが、はっきり言って日本に来る留学生は二流か三流です。一流はみなアメリカに行くとか、ヨーロッパに行くとか、聞くことがあります。もっとひどいのは、日本に来ると国費留学は非常に手厚くされているので、経済的に割と楽ができるから来ると。だから今日は白石先生がおられますが、日本の大学に、欧米に負けない教育レベルにまで上げて帰すと。最後になりますが、昨年の11月末に、タイとインドネシアの研修生でホームステイをした人がいたので行ったのですが、12歳のインドネシアの子どもさんが、世界で一番好きなのは日本だと言ってくれました。以上です。
(古野コーディネーター) ありがとうございました。まず、白石さん、今、2人か3人から出ましたが、やはり、インドネシアの場合、スハルト政権は非常に贅沢をしているのが目に付いて、日本のODAのお金がそこに行ったのではないかと、みんなが長年感じてきたところです。開発独裁というのは必ず腐敗しますから、アジアの開発独裁の国に対する日本の援助との関係について、どう考えたらいいのかと私もかねがね考えているところですが。
(白石教授) 実は、スハルトがどういう形で政治資金を作ったのか、私はかつて、かなりまじめに調べたことがあります。例えば、日本のODAの中から直接、それを抜いてくるなんてことをやったら、それは日本人だって馬鹿でありませんからすぐわかるわけです。そうすると累積で日本の援助の第一位になるような、そんな援助を日本政府がやるわけがない。もっとはるかに巧妙にお金をつくるわけです。そこでの作り方というのは、細かい話になるのであまり言いませんが、政府として何かひとつ、規制を作ります。例えば、石油化学産業でこんどあるタイプのプラスティックを作ることになった。そうするとこの品目については外国から輸入品に100%の関税をかける。そうしておいてスハルトの息子と華人のビジネスマンが一緒になって会社を作り、この会社がこのタイプのプラスティックを生産する。そうすればODAなどに頼らなくともお金を作ることができる。開発独裁と簡単に言いますが、10年も20年も権力を掌握して独裁体制を維持するのはたいへんなことでODAから直接お金をくすねるといった単純なことしかできない人ではとてもそういう独裁者にはなれない。
 それからもうひとつ、先ほどプロジェクト発掘の話で、アジア経済研究所の人の話が出ましたけれども、それはただ単純に、その人が仕事をしなかった、というだけのことです。私自身はそういうプロジェクトの発掘、あるいはフィージビリティ・スタディのようなことはやったことありませんが、実際に日本の案件がいくつかどうやって作られたのかということは、かつて調べたことがあります。例えば、アサハン・プロジェクトがどういう政治のプロセスの中でできたのかといったことです。これを見ますと、プロジェクト形成というのは、3年も4年もかけて、いろいろなことをきちんと調べてお金を出すものです。そうでないと、国会で問題になり、官僚の首が飛ぶかもしれない。そんな杜撰なことができるわけがない。したがって、私としては、プロジェクト発掘がそんなにいい加減にやられるということはちょっと考えられません。中にはいまお話のあった人のようにいい加減な仕事をする人もあるかもしれませんが、それでもって日本のODAにおけるプロジェクト発掘のプロセスがずさんだというのは私には考えられないことであります。
 それから次に大学の問題ですが、私は東南アジア、韓国、中国あるいはインドから日本に来ている留学生がアメリカ、ヨーロッパに行く留学生と比べて質が落ちるとは思いません。私は実際、アメリカのコーネル大学で10年教えまして、その後、今、京都大学で8年教えておりますが、質の違いはそれほどないと思います。それはなぜかと言うと、どこの国でも留学したい人は非常に多い。例えばこういう例があります。アメリカのMITは世界でもトップクラスの大学ですが、この大学に入るためにはアメリカの標準テスト、1600点満点のテストでかなり良い成績をとらないと入れない。ある日本人がこのテストで1500点とって入れると思ったら入れなかった。それでなぜ1500点で入れないのか聞いてみたら、MITのアドミッション・オフィスの担当者の言うところでは、「かりにこのテストで成績の良い順に学生をとったら、定員以上のインド人が1600点満点をとって、入学者はすべてインド人になってしまう」ということでした。つまり、それくらい多くの人たちがインドからも中国からもそれ以外の国々からも機会を求めて応募している。しかし、実際に、そのなかでアメリカに留学できるインド人は何人いるかといったらごく少数で、そこで漏れた人は、アメリカでなくとも、ヨーロッパ、日本、オーストラリアなどにも行きたがる。したがって、私としては、質の問題ではないと思います。では何が問題か。ごく簡単に言えば、日本の大学は体系的な教育を行うシステムを特に文系においてはまだもっておりません。それが最大の問題です。今日、大学改革ということで、独立法人化とか何とか、いろいろなことが言われておりますが、率直なところ、日本の大学にはサービス業という意識がきわめて希薄です。例えば一つの研究科あるいは学部が一人の学生を、学部ですと4年間、博士課程ですと5年、教育する。その上で出てくる卒業生は実は生産物なわけです。製品として出して、しっかりマーケットで売れるような人を作らなければいけない。しかし、そういうマインドというのはほぼゼロに近いという気がしています。これをどう変えるかというのが大学改革の一番大事な問題だと思います。
 それから最後に、日中の信頼関係ですが、私は、中国のナショナリズムの問題を言いましたが、実は日本にもナショナリズムがあります。特に靖国神社の問題、教科書の問題、これは基本的にナショナリズムの問題です。こういう問題は、やはり、どこかで折り合いをつけるしかない問題でして、一番の愚はそれを国内政治のために使うということです。しかし、残念ながら、今のところそういうことになっていて、それが日中関係が今、難しい状態になっている理由だろうと思います。ただ「胡錦涛政権」ができて以来の中国首脳の発言を見ていますと、かなり値段を下げてきている気がします。ここはひとつ日本がどう動くかという話かなと、現状認識の問題としてはそう見ております。
(古野コーディネーター) ありがとうございます。やはり中国の問題というのはこれから大きいですね。
(白石教授) 中国は、好き嫌いはあるにしても、いくら私たちがこの人たちが嫌いだと言ってもいなくなるわけではないので、お付き合いしていかなければならない。そうすると、自分たちにとって利益になるような形でどうやってお付き合いするということを、単に2、3年ではなくて、やはり50年くらいの長いスパンで考えないと、駄目だろうと思います。ひょっとしてオリンピックぐらいになったら中国がガタガタになっているのではないかなんて、そういう甘い考えで。そういうのは英語で「wishful thinking」と言いますが、そういうことは考えない方がよい。中国はだいたい、300年か400年に1回、大変な国になります。そういう可能性を考えて対処しなければいけないと思います。
(古野コーディネーター) そうですね。昨年、ちょうど1年前のこのワン・ワールド・フェスティバルの際、大阪に駐在している中国総領事と韓国総領事をお招きして、パネルディスカッションをやりました。そのとき、私が中国の総領事にODAの話をしました。昨年1年間でずいぶんなテンポで変わりましたが、そのときはっきり彼が言ったのは、要するに、ODAについては大変感謝していると。しかし、その使命はそろそろ卒業しかけていると。しかし感謝はしているということを言っていました。
(白石教授) それともうひとつと、中国きちっとお金を返しています。日本の著名人の中には、返していないみたいなことを言っている人もいますが、それは誤りです。その意味でアフリカのどこかの国とは全然違うということを付け加えておきたいと思います。
(古野コーディネーター) 外務省のかつて経済協力局長で、私が韓国にいたころの大使をされていた方ですが、「韓国や中国は、貸した金はきちんと返してくれる」と、口を開いたら言っていました。ところで広瀬さん、先ほどいくつか質問が出ましたが、ちょっとまとめてお話をいただけますか。
(広瀬審議官) いくつかのご質問には、共通にお答えできるところがあると思います。日本の援助に対して、ポイントは借款の文化、要するに返済義務を伴うのですが、普通には借りられない有利なお金を長期にわたって貸してくれると言うのをどう評価するか。これが、私たち日本人と同じように、金を貸してもらえると言うのは特別な待遇だと思える人たちというのは、例えば韓国や中国には共通して存在しています。難しくいうと、「カントリーリスクを考慮すると金利は云々」と、こういう議論をするのですが、こういったところは返済義務があるので、自分で評価して、一番ほしいところにしかお金を借りません。その国は、その国の中で一番優先するものを一番有利なお金で借りる、特に日本の円借款のように低利で長期間貸してもらえるものを優先します。そのポイントというのは、返済するために、成功しなければならないプロジェクトを成功させるように努力するわけです。成功してはじめて、お金を返すことができるという文化を育てていっています。中国は借款の文化の中で一番成功した国だと思います。このODAを実施している仲間ではよく言われるのですが、例えば日本が、北京と天津の間で高速道路と高速鉄道を造ったわけですが、このプロジェクトで中国は、その1つをやったことによって、その他、10個や20個、同じような規格で、日本とほぼ同じ道路や高速鉄道、中速鉄道ですね、200キロくらい出る鉄道を造りました。その安全システムも殆ど日本と同じシステムになっています。私たちが外国から輸入した技術を、次にやるときは自分のものにしたように、中国は世界最高水準の技術を自分の目で見て、日本人と一緒になって仕事をして、次にやるときは自分でやるわけです。これが借款の文化であり、さっき評価はどうなっているとおっしゃった方に対する答えだと思います。つまり借款の文化の弱いところでは、やはり借りたものはいつか何分の1にして返せばいい。少々失敗してもいい。結局、グラントといいますか、贈与に化けるという考えを持っている国はかなりあります。アフリカへ行けば、私たちもびっくりするのですが、「援助させてやる」と。「お前たちいくら援助したいか」と、政府の交渉段階で行ってびっくりして帰ってくると言うのは、1つや2つじゃないくらいあるわけです。そういった国・地域とアジアの文化というのは違っています。それは同時に、評価を自分でやり、優先度の高いところに持っていくニいうやり方をするODAの仕組み、日本流の仕組みを支えてきた東アジアの文化だと思います。
 それから、別の質問をされた方のお話の中で、白石先生が包括的にお話いただいたのですが、そんな悪い研究者がいたら、多分まず二度と発注しないでしょう。そんなフィージビリティスタディで、国の中で数倍のオーダーで要請書を作るときに、途上国の中でまず不良とされます。また、その国から日本の大使館に要請するときに、あるいは外務省本省に持ってきて審査をするときに、とてもそんな簡単なものでは審査を通らないと思っていただいたらいいと思います。何重ものチェックをしていますし、また、特に大きな額の案件であればフィージビリティスタディのやり直しは、普通にあり得ますので、そういうことをやった研究者が、もしいたとすれば、複数回はやっていないと思います。
 あと、別の方のご指摘でたくさん論点があったかと思います。ODAマークというのは、絶対つけろという人と、つけなくても、世界に奉仕するという論点でもう少し上品に、という論理をする人と両方います。これはもう合意がないものです。あるところでは重点的にペタペタ全部貼っているというところもありますし、北京空港には全くなくて、どこに行ったと言われて、国会でも追及を受けることがあります。ですから、両極がありますし、どこまでが節度ある国民に対する広報活動に相当するのか、そこはいろいろな議論を伺っていきたいと思います。
 教育が重要だというのも、おっしゃるところはよく分かるのですが、教育は日本だけでやる分野ではなくて、二国間の援助の中で私たちは重視しています。特に初等教育を重視していたわけですが、私たちが初等教育を重視していた時代は、欧米は高等教育が重要だと言い、私たちもそろそろ高等教育に向かおうかと今、この数年間言っているのですが、今後は初等教育が重要だ、お前たち何をやっているのかと、言われています。研究者の間では初等教育が重要で、まず、読み書きそろばんという日本のプロセスというのは、まさにこの開発の中で非常に重要なプロセスだというのが定着しています。留学生研修生は、白石先生が実際にやっておられるのでよくご存知だと思うのですが、留学生、国費留学生に加えてODAでも若干、行政職員になって将来エリートになる人たちを教育しています。無償でやったほうがいいのか有償でやったほうがいいのか、先ほど、借款の文化という話をしましたが、どちらの方が規律が働くのか、評価の分かれるところだと思います。今は借款ではなくて無償がいいという議論が多いのですが、やはり日本で育った私たちからすると、返すのが当たり前で、金利が安いのであれば、それは優遇されていると思うような文化は抜けられないと思います。失敗してどうしようもなくなれば、それを免除するということもありうるわけですが、やはり努力してある一定の約束を果たすという文化が育つことが、グローバル化の中で約束を守るという規律につながっていくと思います。
(古野コーディネーター) 白石さんからお話がありましたが、広瀬さん、中国との関係ですね。ODAとの関係で一言だけ最後にコメントしていただけますか。
(広瀬審議官) はい。中国はまさに白石先生が一番初めにおっしゃったように、中国を開放して世界経済の中の一国として組み込むことが世界平和につながるという論点、そのための一番大きな手段と言うのはODAだったというのは、まさにそのとおりだと思います。それと中国側にとって、毎年500億ドル以上の直接投資が入っているときに、数億ドルの円借款、あるいは対中ODAが不可欠なものかと言うとそういう理解はもちろんありません。中国は有能な政府を持っていますし、現状認識もそれほどバイアスのかかったものでないものを持っています。ただし、中国において不幸なのは、やはり愛国教育と言うものが当初の目論見とは少し違った形で、制御困難なものもつくり始めたという感じがします。ですから、開発のプロセスで成熟していくときに、愛国心がいろんな形になって現れると言うのは、私たちもいろいろと経験しましたが、それが不幸な形にならないように、政策当局者はそういう問題点を理解しながら、日本側の問題点ももちろん理解していますし、お互いに有意義であった、過去形と言うのは、まだまずいでしょうが、対中ODAが有効に機能してきたことを今後も財産になるような形で、対中ODAをお互いに理解しながら、いつかはやめることでしょうから、やめていけるように話し合って行きたいという立場で、対中交渉をやっています。
(古野コーディネーター) 今年から、あるいは来年からやめる、というわけにはいきませんか。
(広瀬審議官) 今現在、進んでいるものもあるわけです。それから、中国も日本との関係で、こういうことを期待してプロジェクトを育ててきているものもあります。それはインターネットでも紹介していますが、ロングリストという形で見ていただくとおわかりいただけると思いますが、ある程度彼らは数年先行投資して、貧しい財政の中でも準備して、日本であればこういうものを受け入れてくれるだろうという環境案件であったり、人材育成であったりするようなものをすでに要請してきています。ですから、今年やめるというわけにはいかないと思います。
(古野コーディネーター) わかりました。ちょうどこれで、15分遅れでスタートして2時間経ったわけですが、村上さん、最後に締めくくりとして、日本のODAについてこれだけは言っておきたいということがもしありましたらお願いします。僕はシステムの問題で、今の日本のODAのシステムでいいのかどうか、外務省の経済協力局があり、JICAがあって、というシステムがあります。もっとNGOに、例えば税制の問題とかその他いろいろ工夫をして、システムを少し変えないと改革ができない。広瀬さんがさっき言われたように、今年一番大事なのは改革だということをあげておりますが、改革というのはやはりシステムの改革ではないかという気がしています。
(村上事務局長) システムの前に日本のODAというもの、それから日本という国が国際社会の中でどういうステイタスを、ODAを使いながらやっていくのかということと、それからNGOが、ODAではないけれども、いわゆる人間の尊厳的な生を守るということとが、どういうところで、うまくかみ合っていくのかということが大事です。それから、だいぶ前と少し変わっているのが、ODAを実施する担当者が、かつては国際協力について、まだあまり理解がない人たちが、その部署を担当することになったから適当にやってくれ、ODAを使ってくれと言うところがあったと思います。しかし今は、非常に若い人たちの方がはるかに優秀でよく勉強していて、国際協力がひとつの主流的なものとして、いわば行きたい人が多くなったため、そういう意味で状況が非常に変わってきたと思います。むしろNGOの方が勉強不足という面があると私も個人的に反省しています。ですから、ひとつだけ、官と民という非常に大きなバリアを、おそらく官の方がつくっているのではないかと。そこはこれから大いに一緒に研究会をやったり、勉強会をやったりしながら、これは欧米の方は、例えば私、何年か前にオランダの経済協力局長にお会いしました。話して帰るとき、実は私はNGOをつくったNGOマンだと。NGOマンがその成果を買われて経済局長にポーンと入れるのです。そういう交流というのはすごいと思います。その代わり、そういうのはある程度の見識というか、教養というか、レベルが合っていないと駄目でしょうが、そういうところでは切磋琢磨して、特にNGOの方がもう少し質の向上が必要ではないかという気がしています。ですから、日本の政治システムも関わってくるだろうし、やはり、ひとつのところだけで口先の改革と言うのは無理で、日本そのものがどういうやり方をしていくのか、今は、海外より日本そのものがガタガタになっているわけですから、日本そのものをどう立て直すかと言う、今、私たちはNGOをやりながら、海外よりも国内のほうに関心を持っているというわけです。
(古野コーディネーター) どうもありがとうございました。2時間を少し超えたところで、このあたりで締めさせていただきますが、今日、ご質問の中にもありましたが、広瀬さんのお話の中で、日本のNGOが非常に抽象的な話が多いということに私は関心をもちました。全体の量からいうと小さいかも知れませんが、私自身も東チモールに行ったときにそういうことを見て感じたのは、ここで、なぜこんなものが必要なのかということでした。同じような話をよく聞きます。そういう問題について、他の問題全てについても、ODAについて情報公開を徹底してやるということが、透明性を高めることになりますし、関心を高める方向に持っていけるのではないかという気がしました。
 今日は時間切れで、私の意見として申し上げますが、全体的にみまして、今日の2時間の話を通して感じたことは、日本の国際協力が、政府レベルでも、NGOのレベルでも、まだまだ途上国であり、これから頑張っていかなければいけないということです。21世紀の日本の大きなテーマであると思います。それは、日本社会をどうやってきちんといい方向に持っていくかということにかかっているという、それが今日の結論だと思います。私は個人的には明るい展望を持っています。ひとつはODAに関して言うと、ODAをやっている人たちが若い人たちを中心にやっていこうとしている。内部が非常に変わりつつあるという気がします。それからNGO/NPOです。これはどんどん広がっていくだろうと思います。いろいろな問題はあります。問題はあるでしょうが広がっていくと思います。さらに、私は10年から20年先に、非常に期待を持っている。私はたまたまユニセフのお手伝いをしていて、小学校や中学校によく行きます。小学校5、6年生から中学校1年生ぐらいが非常にシャープです。非常に敏感です。戦争のビデオなどを見せると、子どもが、こんなにひどい目にあっていると涙を流して、そして小遣いの中から募金をしてくれる。大変な額が集まります。10年、15年、20年後にこの子たちは大人になります。社会の中心になっていきます。そうすると国益論等ではなくて、本当に苦しい人や困った人が地球にいる、自分たちが豊かだろうがなかろうが助けなければいけない。そんな文化に、だんだん日本がなっていくのではないかと、日頃よく言ったり考えたりしています。今日はODAをテーマにしましたが、これがいい方向に、これからどんどん広がっていくことを期待しながら今日の会を締めくくりたいと思います。どうも本当に長い間ありがとうございました。
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