参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in 大阪
(議事概要)


平成16年11月27日


(片山裕コーディネーター) 本日はお忙しい中、大勢の方にご参加いただき大変ありがとうございます。ただ今から「ODAタウンミーティングin大阪」を始めます。皆さんご存知だと思いますが、ODAタウンミーティングは、平成13年8月に第1回が東京で開催されて以来、全国各地で開かれています。今回で第28回になります。ODAを初めとする国際協力の現状を国内で紹介するとともに、各地においてODAあるいは国際協力に関する国民の声を聴取することによって、今後のODA改革に資するという目的です。今回のタウンミーティングもそういう目的にかない有意義になるよう、皆さんもご協力お願いします。
 今年は、日本がいわゆる国際協力の分野に戦後参加してから50年になります。外務省のパンフレット「ODA50年の成果と歩み」、特に12ページと13ページが大変便利ですが、歴史年表がまとめられています。教科書によく出てきますが、日本が国際協力、海外援助に本格的に乗り出した記念すべき「コロンボプラン」と「バントン会議への参加」というのが日本にとっての戦後の国際社会への復帰を画する二つの大きな出来事ですが、ODAで言うとコロンボプランが重要です。いわゆるODAもこれを契機に次第に本格化していきます。ちょうど今年が50周年にあたり、今年の9月から11 月までの3ヵ月間を国際協力50周年記念事業期間として、外務省を中心として各地でいろんな記念事業を行っています。今回はその記念事業期間の最後にあたり、そういう意味では大阪にとって名誉なことではないかと思っています。
 今日は立命館アジア太平洋大学長のモンテ・カセム先生と外務省の児玉審議官のお二人に最初にスピーチをお願いしたいと思います。もちろんお二人とも1時間、2時間とお話ができる方ですが、今日はなるべくディスカッションも含めてフロアからご意見を頂いて、相互交流の意見交換の場にしたいと思っています。20分くらいに報告を限定させていただき、なるべく多くの時間をとりたいと思います。
 それでは最初にモンテ・カセム立命館アジア太平洋大学長に基調スピーチをお願いします。立命館大学そのものが日本の大学の中で最もアグレッシブな大学として有名ですが、その立命館大学の改革を象徴する人がモンテ・カセム先生です。今までは京都の立命館大学でご活躍でしたが、今度は別府にあります立命館アジア太平洋大学学長として、まさに辣腕を奮っておられます。私の神戸大学にとっても立命館大学は非常に脅威でして、敵に塩を送ることがないようにしたいと思いますが、それでは先生よろしくお願いいたします。
(モンテ・カセム先生) ありがとうございます。今は敵であっても明日は友になるかもしれない人です。よろしくお願いします。国立大学の法人化にともなう世界の大学の競争の中で日本の大学が今後どう生き残るかという問題の中でひとつ私が提案したいのは、大学の中に眠っている資源をもっと活用できるのではないかということです。今までは各個人として先生方が国際協力の現場に関わってきたのですが、そういうやり方ではなく、大学が組織としてODAの現場にどう貢献できるか、ということを考えることが必要なのではないか。特にODA50周年を記念して、大学も眠りから起きて頑張れば日本の歴史に残るのではないかと信じています。それで今日の話題を、「眠っている資源、大学の知的財、人材、組織を活用したODAのあり方」を中心に話していきたいと思っています。
 日本のODAの評価をしてくれと頼まれまして、私の目から見て日本のODAはどう見えているかというと、まず日本のODAは幅が目立つと思います。政府省庁のものもあれば民間プロジェクトもあり、青年海外協力隊の活動やボランティア支援のようなものもあり、国際協力機構(JICA)のもう少し大掛かりなものもあり、国際協力銀行(JBIC)の円借款もあり、また、国際機関を通して流れていくような援助もあります。何よりもこの援助の幅を活用することがとても大事だと思います。よくJBICを無くせばいいという意見もあるのですが、ODA大国の中でこれだけ幅を持った援助手段をもっているのは日本だけです。それをもっと活用して国際的に影響力を増してもよいのではないかと思います。影響力というのは単に政治的な意味ではなく、このODAの精神である人道的な支援を継続的に行い、自分と国際社会が一体化していくような明日を皆がつくっていく社会をつくることが大切だと思います。
 本当に日本のODAの50年はすごいです。戦争から10年足らずでODAを出しはじめたことはその時には大変だったと思いますが、それは国民一人一人の喜びだったと思います。JICA等の諸援助機関を見ていて私が一番感じるのは、ODAバッシングはやりやすいということです。例えば日本の援助機関があまりに大きいプロジェクトをやっているから不透明だとか色々なことが言われています。私の国でも病院をつくった際、翌年の国家予算の3分の2をしめる構成の予算となるからあんなODAをやるべきじゃないという意見がありました。しかし、あの病院こそ非常に困った人々の生命を守るためのものです。その問題はどこにあるかというと日本側の問題ではなく、スリランカの議会の問題であり、スリランカ政府の問題です。だけど日本のメディアが大きくとりあげて、日本はこういう病院をつくるべきじゃないと言います。また、私が南米、アルゼンチンの奥地に5年間行った時、お手伝いが75ドル、4分間の国際電話の料金が25ドルでした。それはなぜかと言うと、まず、電話が普及してないから非常に高いです。インドならどこに行っても電話がある。国際的な活動には必須のものです。インドネシアでできてなぜ南米でできないのかというと日本のODAです。20年、30年先はアジア太平洋の時代になるというが、その鍵は日本のODAのお金です。そういう点で日本は一番貢献しています。
 そういう観点から見ると、ODAの幅を見て、小さいものから大きいものまで連動してやっていくことが大事であって、喩えれば「蟻」のようなものです。蟻というのは非常に謙虚な性質を持っていて、日本も非常に謙遜する国民性があり、やっていることを自慢しません。だけど蟻というのは体の重量が人間以上に大きいのです。だけど僕らは蟻のことをあまり大事にしません。蟻がモノを解体しない限りは資源の循環もできないが、私たちはそのことを知らないし、蟻もそのことを言いません。日本のODAも同じです。蟻はそこで何をやっているかというと、自分たちの持っている機能からすると自分の体重の20倍です。これは人間にたとえると車2台を背に乗せて坂を上っているようなものです。こういうことを日本のODAはやってきました。一生懸命謙遜して頑張っています。これを、胸を張って応援したいのが私の気持ちです。
 こういうことを見ると、先ほど申し上げたように、JICA、JBIC、JOCV等の現地オフィスが非常に暗いです。それをもっと活性化し、活用できないかということで、私がスリランカで仕事をしていた時に、JBICのオフィスで政策審議をやるということで、いろんなODAに関わる多様な機関が集まる機会を一週間設けて、いろいろな知恵を集めて賑やかになりました。JBICのオフィスが知恵を集める始点になりました。こういう発想がありません。別に豊かなのが悪いのではありません。気づいてないのです。そのように活用していけばODAを通して生き生きしいた現場になります。なぜ僕がこれを言うかというと、日本のODAはスリランカが受けている援助の69%。直接的なODAが半分近く、間接的に国際機関を通して19%くらいです。スリランカでは誰もこの数字を知りません。そういうところをもう少し直してほしいです。スリランカみたいな国を見た時に感じるのだが、数多くの開発途上国の中には中立的なメディアがありません。すごく偏っています。だからそういうところでもう少し中立的に物事を伝えたいのです。そういう方々を支えたいのです。別に日本がそういった中立的な立場をその国に保障することによって、その国の声なき声を国民の希望とか、外務省だろうが何だろうがかまいません。市民社会に中立的に物事を伝えるために日本の外交術を使ってはどうかと思います。
 私はこのようにして、最終的に日本のODA活動の中で人的行為を促進することが一番大事だと思います。そこを進めていくといい外交が成り立ちます。政府の信頼から市民の信頼へ物事をシフトしたらどうかと思います。無口の美徳から日本は少し移ったほうがよいのではないでしょうか。信頼関係を持つことは出発点ですが、そう思います。人材育成はODAに大切かという質問がありましたが不可欠だと思います。最終的には物事を展開するのは人間です。国内レベルでも、国際レベルでも現場で活動をできる人間が不足しています。スリランカの和平構築の際も、国際協力銀行の方、国際協力機構の方とお付き合いする中ですごく感じたのは、平和構築をするような人間が世界中でも多分、両手で数えるくらいしかいません。そこには3人の大物の日本人がいます。緒方貞子、明石康、等です。この3人の力をもっと大事にして、彼らが昔からやっているいろいろな方法を知識としてアーカイブ化して、後の世代に残したり、次世代を育てたり使うべきだがまだやっていません。そういう時に大学が役に立つと思います。特に若い時からやるべきなのは、海外に学生が行くための奨学金は1.5割です。国外に留学させるための資金は7割です。その資金を1対1にして海外に行く奨学金を3.5割くらい増やして5割にして外に出ることができるようにしてはどうでしょうか。なぜかと言うと、若い方々が外交に関して、現場に入る前に現場を知っておくべきだからです。最初は語学研修でよいのです。そのあと自分が専門を学ぶためでもよいから奨学金を与えるようにしました。それはなぜかというと若い柔軟な頭があるうちに社会の中に入って友人をつくり、どこにでも行けるような人材を育てることが大事だからです。そうした人材のみが激変する国際環境に対応できるのです。
 大学とはどんなものかというと、大学はその中立性を活用するべきです。スポンサーへの配慮等もありますが、産官学の連携を進めながらも、なるべく自分が中立性を保ちながら進めていくことの重要性をずっと前から考えていました。
 大学の中立性を活用することによって、私が外務省に全外交責任を負わせて審議官に「ああしてないじゃないかこうしてないじゃないか」と指摘するのではなくて、複数のトラックでの外交が必要です。情報収集等には日本の大学が役に立っています。大学の持っている知的財をもっと速やかに活用できるようにしなければならないがここに半分ずつ問題があります。それは大学の中味と財源の問題です。変えればユニークなものが出てきます。
 大学とのパートナーシップの可能性について話して終わりにしますが、例えば大学とNGOが協力する場合は、JBICを例に話しますと、日本の伝統的な技術を持っている職人の伝統技術を導入することによって、スリランカの復興支援に貢献できないかと。どこに貢献するかというと、生活環境が行き届いていない所には、その現地の職人と日本の職人が一緒になってそれを改善していきます。自分の家を作ったり発電所を作ったり、そういったものに貢献できるのではないでしょうか。そこに大学がどう関係するかというと、そのプロセスそのものを強くしてアーカイブすることもできるし、その技術そのものをさらに高度化するために研究もできるし、いろんなことができる実験室のようになります。
 もう一つは大学と国際協力機関との協力です。これはJICAでやっているセカンドトラック外交の一環です。ちょうど10月にはテロ防止と大量破壊兵器の抑制を国連を中心とした国際的な知識力形成ができないかということで国連改革をしています。それが大学の中立的な立場を使って30人ほどの専門家を選んで、イスラエルの元将軍やエジプトの軍縮外相や軍縮大使、パキスタンの大使とインドの外務総理顧問とか、普通なら敵対関係になるのですが、大学が中立な立場になって、皆さんがある意味で良好な関係の中で激論をやりました。その姿を若い外国人の学生に見せました。見せるだけじゃなくて学生にその分野について事前に勉強させました。学生がその話をするときに専門家が来てその若い学生を指導しました。孫と祖父みたいな関係みたいで非常に面白かったです。すごく若い学生の励みになったと思うし、その年上の専門家達も後の世代への架け橋になりました。そうした世代間の架け橋、そういうことをこのテロ防止の非常に激しいところでやったおかげで、例えば日本で集団安全保障をどうするかと言っている時に、どうすればよいかのいろんなケースを私たちが出します。それを使ってもっとよりよい政策を日本政府がつくることができます。こういう楽しいものがたくさんあります。達成感があるということです。こういうことをやることによって国際的なガイドラインを作ればよいのです。対話の場には中立はすごく大事でそこを活用します。また北東アジアの和平構築についても過去5年間、北朝鮮、韓国、中国、ロシア、アメリカ、日本、またアセアン諸国、EU代表者の方、ずっとこれをセカンドトラック外交の場を提供してやってきました。そんなことはどんな大学でもできることなので、もっと頑張ってやったら日本の国際戦略を打ち出す手段のひとつとして幅広い経験則を集めたネタを活用して色々な政策をつくることができます。 
 大学と大学内での国際協力も可能性があると思います。例えば熱帯生態、そういう熱帯生態系の諸生物の多様性を保存することには大学関係、マレーシアの大学と私たちの大学で一緒に何かできないかと。そのためには若い学生を採用します。若い学生を養成することには大学はやり慣れています。いずれ国際協力につながると思います。そして、どんなことをやっているか、なぜやっているかということを考えてみると、これからのアジア太平洋地域の開発途上国の一番のニーズはどこにあるかというと多様な遺伝子があります。その多様な遺伝子がこれからの生命科学の分野で、ある意味で大事な資源になります。が、その現場を私たちが破壊しています。私の京都キャンパスの1.5倍くらいの面積が毎分失われています。そこを復元するような技術開発をやっていますが、そうしたことをして保存することでアジア太平洋地域の将来の比較優位性を保つことにつながります。そういうことも考えています。
 最後に、重慶市のサッカーの事件があって、中国はかなり日本に厳しい状況だと思っていると思いますが、その重慶市から30人の大学の学生が研修を受けました。7週間もいると仲間になります。そこでフランクに話します。そういう場を複数のレベルでつくることがすごく大切です。フランクに話すことができる場をつくることによってフォーマルな外交がうまくいきます。必ずしも外務省の外交官にやれといっても無理です。立場があるから制約があります。だからそういう方々を支えたり、みんなが発言したりする場をつくるのを大切にしていただきたいです。
 最後になりますが、大学の国際的な活躍をもっと使えると思うのは、産官学民の連携です。これは私の所では情報技術を活用して、ビデオ会議を使うような授業がありますが、それは後ほどまた皆さんに丁寧に見せる機会があったらお見せします。基本的に何をこの授業でやるかというと、高齢者と障害者が健常者とともに社会の中に自分の潜在能力を最適に活用できるような場づくりに貢献するのです。この授業自体は非常に小さいです。時間があったらお見せしますが、これは大学間の協力です。立命館大学、スタンフォード大学、オークランド法科大学院、またスリランカのいくつかの大学等の共同事業として始めていったわけですが、一番大事なのは、これを展開するための試作品というものを作らなければなりませんが、この試作品のコストを10分の1に下げました。私はこわいから3分の1くらいにしていますが、本当は10分の1まで下げる。この意義はすごく大きいです。何が大きいかというと10分の1までこういうハイテクノロジーを使った開発コストを下げることができるというのは開発途上国にハイテクノロジーをもっていくことにつながります。これは日本の売り物にすることです。これを技術大国日本の売り物にすることです。こういうことが大学を活用することによって可能だということで、また機会があったらこういういくつかの例をお伝えしたいと思います。とりあえず終わらせていただきます。ありがとうございました。
(片山コーディネーター) カセム先生ありがとうございます。短い時間でしたが色々な論点からお話して頂きまして、前半はJICA、JBIC等について、後半は大学の役割、ODAとの関係、人材育成、マネジメントについてお話いただきました。ディスカッションの中で議論を深めていきたいと思います。続いて児玉審議官にお願いします。
(兒玉和夫審議官) ODAタウンミーティングを主催する立場の外務省を代表して、本日お集まりいただいたことに関して皆さまに心よりお礼を申し上げます。それからこのODAタウンミーティング開催につきましてご協力を頂いておりますNPO法人の関西国際交流団体協議会、それから本日司会を進めていただきます片山先生、先ほどお話頂きましたモンテ・カセム学長はじめ、皆さまにもお礼を申し上げたいと思います。時間厳守ということで15時半には話を終わらせたいと思います。配布した資料のなかにODA民間モニター報告書というものが入っています。昨今のODA改革の流れの中で、ODAの効率的で質の高い実施という観点からODAの透明性を高める改革が行われてきました。平成11年度、今から5年前ですが、日本のODAをまさにタックスペイヤーとして、私も皆さんもタックスペイヤーですが、私たちの税金で支えられているのですが、国民の皆さま自身の目で海外のODAの現場を直接見ていただき、その様子を見てご意見やご感想をということでまたフィードバックをいただくという制度としてODA民間モニター制度が確立してきています。その5年という蓄積を経て、これだけのような形で報告書も出てきていますし、こういうこともODA改革の重要な要素で、インターネットで出された意見も受け止めて、より実りのあるODA、それからこれは片山先生からご紹介いただきましたが、今年がコロンボ計画というアジア太平洋地域における技術協力を開始する国際機関というとイメージが薄いのですが、モンテ・カセム先生の母国であるスリランカのコロンボに設立されました。設立されたのはもっと前ですが、日本がそのコロンボ計画に参加したのは今から半世紀さかのぼる1955年です。これをもって日本の政府開発援助が始まったということで、この50年間の歩みというものは非常に一つの大きな節目となっております。今年は50周年ということで色んな形で全国の皆さま方にODAを回顧し、それからそれを踏まえてこのODAをこれからどう実施していくのかということで、色々な意見交換の場を設けて、批判も頂きながらよいものにしていく努力を積み重ねていきたいと考えております。本日のタウンミーティングの主旨もまさにそこにあるのではと思います。50周年の歩みということで、「ODA50年の成果と歩み」いうパンフも、できるだけ意義のある情報を盛り込みました。また参考にしていただけたらと思います。
 それではパワーポイントを使ってごく簡単に進めますが、最初のポイントは、戦後日本は国際社会からの援助により復興を果たしたという事実の確認です。これは若い世代、私は昭和28生まれですが、ガリオア・エロア基金による支援が終わったあと生まれた人間ですので実体験はないですが、20億ドルのアメリカの支援を受け、日用雑貨などの必需品を購入するわけです。そして政府が国民に配給する。それは販売をするわけですが、それは販売をすることで国庫には内貨と言って、日本の円が内貨予算として蓄積される。その内貨を日本政府が国家予算の中に充当して使っていろいろな事業をやっていく。そういう仕組みができた。それを管理したのは日本銀行ですが、実は今言った仕組みというのは今私たちが行っている援助に生かされている。例えば食料援助ですが、いろいろな国の飢餓に対して、エチオピアであれスーダンであれ、いろいろなところで何百万トンと行っていますが、それは私たちが二国間ベースでコメ等を供与するときは、国内で安く販売して、その政府の中に内貨が貯まって、それをまた有効に使う。そういう形で底辺の仕組みをより強くしていく、そういう効果もあった。それをガリオア・エロアの経験を踏まえた上でそれが採用されている。ここに新幹線が写っていますが、新幹線や黒部第4ダムも世界銀行の借款でつくられたものです。このように日本も50年前までは被援助国でした。もう一つ重要なことは、第二次大戦後の日本のODAはアジア諸国への戦後賠償と平行する形で、あるいは賠償という制度を導入する中でそれがその後も日本の無償資金協力の一つの雛形となったということ。ビルマ等をはじめとして720億円、これは円をドルに1ドル360円で換算した数字です。それから義務賠償という形で経済協力という要素を盛り込んだ形での東南アジア諸国におけるカンボジア、タイ等に対する義務賠償という形で東南アジア諸国に対する開発支援というものが緒に着きました。日本のODAの歴史では1954年のコロンボ計画への加盟からODAを開始し、その翌年には最初の二国間ベースでの技術協力ということで専門家の派遣、研修員の受け入れ、そして1958年ですが、これは最初の円借款の年です。贈与ではありません。借款ですから最後には返してもらう。借款の重要なことは貸付金利が非常に低いということで、そこには援助の要素が十分に入っているということです。最近の円借款では約30年で返してもらいます。最初の10年間は利子だけ返してもらう。30年据え置き、金利は1%、2%、3%、いろいろなレベルがありますが、非常に安い金利で貸付をして、事業をファイナンスするということで1958年インドが最初でした。それから無償資金協力が実際、賠償ということではなくベトナム、ラオス、タイで始まったのが1969年ということです。それから、よく日本の援助は顔が見えるのか、感謝されているのかということがメディアからも言われ、厳しく国会でも議論になりますが、これはやらせでもなんでもなく、現に例えばバングラデシュにおけるジャムナという多目的橋の建設。これは日本のODA、円借款で行いましたが、それがその国の紙幣として採用されています。それからガーナで青年海外協力隊を派遣して25周年になり、ガーナ政府が記念切手を発行する形で日本の人造り、青年海外協力隊の協力を評価してくれました。同じく野口英世博士の生誕120周年ということでの記念切手もこういう形で出されています。これはほんの数例ですけれども感謝されているという例です。
 それから日本の援助を考える上で、先ほどカセム先生が指摘されたように日本の援助は幅がある。いろいろなスキームをフル動員してその国に合った援助を展開している。合わせて日本の援助の特徴は先ほど賠償という話をしましたが、日本はアジアの一員であって、1970年、今から34、35年前、どういう地域に二国間のODAが配分されていたかということですが、一目瞭然で圧倒的にアジア中心ということがお分かりいただけると思います。しかし同時に忘れてはならないのは、アジア以外の中東アフリカ、中南米、大洋州あるいは欧州に対してもそれなりの支援を行っています。例えば中東は、最近は20%くらい減っていますが、アフリカにおいては大体ODAの1割程度が配分されているということがこれで分かると思います。それからここで一つ興味深いグラフですが、東アジアとサブサハラ・アフリカ諸国の一人当たりの国民所得の推移の比較です。東アジアではサンプルはどこかというとASEAN4カ国とNIES。サブサハラはアフリカ諸国の中からほとんどの国が入っていますが、60年代から今日に至るまで、ほとんど国民一人あたりの実質所得が改善していない。他方、東アジアでは特に1970年代の後半から1980年代の初期にかけて急速に持続的な、実質的な経済成長、一人あたりの成長が確認されています。「これはなぜこうなのか」、これはまさにさまざまな経済学者の中で議論がありますが、少なくとも私たちが考えているのは、日本のODAが全てであるわけではもちろんないですが、これは間違いなく日本の政府開発援助を東南アジアに対する支援を継続することで、それが続けて日本の輸銀などのODAではない公的資金が導入され、さらにはそれを受けて日本の企業が民間直接投資という形でどんどん進出して、特にプラザ合意以降、1980年代の後半は東南アジア諸国に大変な投資ブームが起こりました。そういうことがトータルとして起こった結果として経済力を高めたという一つの因果関係があると類推できるのではないでしょうか。いずれにしてもそういう見方は東南アジア諸国も受け入れています。
 他方、昨今のODAの状況ですが、これはアメリカ等G7諸国の最近のODAの実績を折れ線グラフにしたものです。赤い線が日本、青い線がアメリカ。アメリカと日本は実績枠で1位2位を争っていたのですが、日本は1993年から2000年までトップの位置を占めていたのですが、残念ながら2000年以降、2001年から2002年、2003年と減り続け、アメリカに大きく水をあけられています。これは簡単に言うとアメリカから157億ドル、日本から88億ドルということで、ODA市場1兆円とよくいわれますがこれを切る状態です。加えてここに、非常に正直にでていますが、2000年以降ODAを増やしているのは日本以外のG7諸国。残念ながら日本はもろもろの理由でODAが減っています。ODA比較ということで、先ほどは絶対額で日本は盛り上がっているとカセム先生が言われましたし、私どもも胸を張っているわけですが、他方で、例えば一人当たりのODAの負担額で見ると、72ドルでノルウェーやデンマークでは300ドルを超えています。単純な計算ですが、年間のODA予算を支えている日本人一人当たりの負担金は7000円から8000円の間、他方ノルウェーやスウェーデンなどの北欧諸国は3万円に達しているというのがこの数字です。それから国民総所得比、GNI比というグロスナショナルインカムと比較しても日本は0.2%。国際社会の0.7%目標がありますが、それを満たしているのはスウェーデンだけ。アメリカも満たしていませんがそれが客観的な状況です。そこで、なぜこのように下がってきているかというと大きく2つ理由があります。一つは日本経済が1990年代、不況にあえいできた中で財政も悪化し、ODAも聖域でありえなかったということで削減があった。もう一つは国民の皆さんからの厳しいODA批判。それは批判を招く原因がODAを実施する側にあった。いろいろな不祥事もあった。そういうことを受けて、ODA改革ということになって政府を挙げて外務省も取り組んでいる一つの試みが昨年の8月から取り組んでいるODA大綱の見直し。目的・課題、とありますが、目的のところでODAというのは「日本はなぜODAを出すのか」という理念。「国際社会の平和と繁栄を通じてそれを通じてわが国の平和と安全に資する」これは正確に理解してほしいのですが、日本が開発途上国の開発を支援することはそれが回り回って、日本自身の平和と安全に資するという意味で、これは相互依存関係の認識の現れだと思います。安全と繁栄をはっきりと大綱に盛り込んだことで、わが国の安全と繁栄というのは国益であり国益重視となる。これは私たち日本人がなけなしの税金を投入している。お金を出す以上はそれに見合う成果がないといけない。それはやはり回り回って国益。小泉総理が簡潔に言いましたが、「情けは人のためならず」。仮に情けはその人のためであっても自分自身に帰ってくる。同じようにODAも途上国のためだけにしているわけではなく、日本の利益のためにやっているということが大切です。それから改革ということで、いろいろな形での公開性、国民参加ということでいろいろと申し上げてきましたが、今後目ざすべき方向性ということで、今、皆さんにご理解いただきたいのは、国際社会における重要な開発目標であるMDGs「ミレニアム開発目標」。2000年紀、2000年が重要な柱ですが、2000年に国連で採択された開発目標がある。それは2015年までに、貧困、教育、保健、環境、それぞれのセクターでの達成目標が数値化されました。それをとにかく国際社会をあげて達成する。それに先進国はODAを投入することで達成を支援すべし、というのが開発目標の主旨です。日本もこれに貢献しています。一番大きな目標は1日1ドル未満で生活している人たち、年間300ドル以下の絶対的貧困にあえいでいる人たちが12億とも言われる。そういう人口を半減することが国際社会のより大きな目標となっている。日本はこれまでどういう援助をしたのか、ということですが、ブルーが社会インフラ、これが教育とか医療をさしています。教育、医療に17%、経済インフラ、これが道路や発電所、橋梁、そうした産業基盤となる経済援助。それから緑が農業関係。灌漑支援や農道建設など。工業とその他とある。プログラム援助というのは食糧支援など、プロジェクトではなくてある計画に対して支援をするという形。日本はバランスがとれる形でしています。特徴的なのは34%を経済インフラに出していることです。これは何を意味するかというと、貧困削減をするには成長がないとできない。ここはすごく大切なところで論争になっていますが、教育と保健だけをひたすらやっても成長は起こりません。これは社会主義圏で証明されています。付加価値がなければいけない。中小企業振興でありいろんな工夫がいる。それを日本はずっと主張してきました。
 最後に、人材育成の重要性ですが、途上国の人材育成は当然ですので特に他言を要しませんが、今政府をあげてNGOと工夫しているのは、国民参加の拡大という中で援助人材の養成が非常に認識されています。昨年の大綱の中にも専門性をもった人材を育成する、このような人材が国内外で活躍できる機会の拡大につとめる。また途上国に関する地域研究、開発政策研究を活発化し日本の開発に関する知的資産の蓄積をはかる。ということで、例えばFASIDという財団法人ですが、国際開発教育機構を通じた人材育成プログラムも充実しています。JICAにおける研修・留学制度も非常に活発化しています。
 日本の人材育成、技術協力は50年で、専門家、青年海外協力隊の派遣は9万5000人を送り出しています。海外からの研修員は27万5000人を受け入れています。国民参加の拡大ということではタウンミーティングもありますし、ODA民間モニター、あるいは開発NGOの活動や援助の現場にどんどん参加することがあります。それから外務省NGOパートナーシップということで、いろいろな形でNGOとの対話、協議の場が設けられています。連携から協働、共に働くという方向に歩を進めていて、こうした支援の予算の数字もだんだん改善されています。特に象徴的な例は「ジャパン・プラットフォーム」があり、協議会にNGO、経済界、政府、メディアの代表者が入っている。そこで方針を決めて実際にNGOがプラットフォームという形で難民救済などいろいろな被災に対する活動に取り組んでいる。ここに詳しく書いていますが、平成13年度以降、アフガニスタン、ザンビア、イラン、イラク等での支援を展開している。外務省としては国民参加の拡大や透明性を強く意識しながらよりよいものにしていく努力を続けています。
(片山コーディネーター) どうもありがとうございました。大変短い時間でしたが、日本のODAの開始から現在の問題点について非常にバランスのよいお話をいただけたのではなかったのでしょうか。時間がないこともあり、質問してみたいと思っていることもあると思います。例えば経済インフラへのODAの貢献が依然として重要であるというのが日本の立場ですが、これに対する意見もあるでしょうし、それからODAに対する批判からODA額の減少をもたらしたことについてどういう影響があるのかなど、後の質問の中で議論を深めていければと思います。
 それでは、フロアにディスカッサントの方が待機しているので、ディスカッサントの方からのコメントを聞きたいと思います。3人参加いただいており、財団法人PHD協会・総主事代行、藤野達也さま、財団法人太平洋人材交流センター・事務局長、藤田賢次さま、財団法人たんぽぽの家・理事長、播磨靖夫さまですが、5分以内に発言をお願いします。その後、お二人の基調講演者にレスポンスをいただき、それから今度はフロアと議論をしていこうと思います。それでは藤野さんよろしくお願いします。
(ディスカッサント・藤野) 時間が限られていますので、簡潔にいきたいと思います。
 NGOの存在意義というか価値にポイントを置いて話したいと思います。いわゆる政府でやっていることは、皆さんが満足していればNGOはあまり活動しなくてもよい。それがあまり充分ではない、やり方や方向性があまりよくないなど問題を含んでいて、それが市民の側からこのままでは駄目だということで出てきているものだと思います。ODAに関して言えば、国益をどう捉えるかなどたくさん言いたいことはあるのですが、今日はそれだけの時間がないので特に人材育成に限って発言します。PHD協会も小さいながら人材育成をやっています。それはお金をばら撒くだけのものではなく、根本的に問題解決していくには人が重要と思うからです。その上で政府レベルや行政でやっているものは上のほうからのアプローチになる。それはそれで効き目もあるがしかし、そもそも援助しないといけない人たちは草の根の人たちが中心です。そういう人たちのニーズや意見を汲み取っていかないといけないのですが、上のほうの人たちが考えるものと草の根の人たちで考えることは違う。
 日本のODAもどんな人材を育てるか、という点で、これだけの経済成長を遂げたことの実績と自信をもっていて、それを前提にしすぎているのではないか。日本がここまで豊かになったことについて文句はないが、豊かになりつつも社会問題を抱えていて、果たしてこのままでいいのかという見直しがでてきています。わたしたちはそういった視点で「どんな人材を育成するか」についてアプローチをしています。あまり現状肯定的にものを捉えることはよくないと思う。先ほど、カセム先生からお話いただいた適正技術の考え方はまさにそれだと思います。いわゆる上から最新のインフラ整備でやっていくのではなく、昔から草の根にある技術を大事にする。そんなアプローチを大事にすることは今のODAではなかなかとりあげにくい。私たちが組織の中でどんな農業を考えるか、「持続可能」ということを前提に考えると、たくさん投資をし、農薬や機械を使ってやるのが果たして途上国の草の根の農民に本当に必要かといえばそうではない。一部の商売に関わる人たちを肥やすだけで、かえって農民を疲弊させることにつながるのではないか。一部の地主とか、権力者はいいが…。そういうことをたくさん見てきているので、目ざすべき将来の方向性が、日本がここまで築き上げてきたものを全面否定するものではないものの、一部変えていく部分、オルタナティブな部分があってもいいのではないかと、今のODAの中味を見ていて思います。
 そういった部分についてODAが理解を示して、そういうところを心がけるNGOに支援をする、ある種のオルタナティブを考える方向性をODAが今後持っていることが必要なのではないかと、今二人のお話を伺いながら、また、日頃のこれまでの活動を通して考えていることをお話させていただきました。
(片山コーディネーター) 大変重要な論点を出していただきましてありがとうございました。これから議論をしていく上で大変重要な論点になると思います。それでは続いて(財)太平洋人材交流センターの藤田さんからご意見をお願いいたします。
(ディスカッサント・藤田) 藤田です。お二人の先生からお話をうかがいまして、日頃の活動についてある意味で心強いお話をいただきました。一つにはカセム先生が人と人との交流、あるいは重慶市のお話もありましたが、互いの交流や意見交換を通してわかりあえるということについて、まさに感じるところ大ですし、これこそが大事ではないかという感じがしています。
 それから児玉審議官からはODAの50年間の成果、あるいはその後の動きとしての「国民参加の拡大」ということをお話いただきましたが、われわれの団体はできて14年強です。14年ほど前に民間で設立し、人材育成の支援、研修事業、相互理解の促進に取り組んできました。そういう意味ではODAの大きな方向性に沿う形で活動をしてきました。その中からいくつか私どもの活動についてお話しします。私どもの団体は、特にODAや国の関係機関の制度を活用して開発途上国の人材育成支援を行っています。今年で約35の研修事業をやっているのですが、そのうちのだいたい8割くらいはODA資金あるいは国の関係機関の制度を活用してやっています。それ以外に最近は現地の関係機関と直接組んで、相手の要望に基づいて研修事業等を行っています。そういうこともだんだん増えてきています。特に中国の沿海部等ではいくつかでてきております。それから経済団体と協力して、関西の特色ある中堅、中小企業やノウハウをいかしながら行っております。先程のお話も伺って、特にこれから変えていかないといけない、またいろいろな団体のご支援をいただいて取り組んでいかなければと思っているいくつかの課題があります。一つは最近、大学に海外の留学生がたくさん来られている。関西でも多いのですが、留学生がぜひとも日本の企業でインターンシップをやりたいが、残念ながら受け入れてくれる企業が少ないという相談をよく受けます。留学生や外国からのインターンシップの受け入れ促進。例えば経済団体については、(社)関西経済連合会や傘下の会員企業でそういう体制をつくったり、インターンシップの場合の報酬というか、本人たちへのフィードバックです。なにがしか留学生たちに補助を出すという仕組みをつくり、せっかく日本に来た留学生にさらに学んでもらう、そんな取り組みが必要だと思います。
 それからもう一点。これは特に若い人のということがテーマですが、技術やノウハウの移転や交流促進という意味で、現在、JICAのスキームで日系人の経営研修があります。これは日系人に限っているのですが、例えばこういうスキームを日系人だけではなくて、他のアジアの若い方に適用して、短くても3ヵ月、長ければ1年近く日本の企業あるいは団体に入って実地に研修をする。長い目で見ると、日本を知ってもらい、日本ファンを増やす魅力的な方法だと思う。こういう形の企業の参加促進あるいは団体の参加促進という意味での国民参加の拡大につながるのではないか。このあたりも今後、いろいろな機関の方とご相談させていただきたいと思います。団体の紹介が中心でしたが、これで終わらせていただきます。
(片山コーディネーター) ありがとうございました。今、留学生を対象としたインターンシップは大学からすると大変ありがたいことで、私が知っている限りでも三洋電機はすでにやっていますし、松下電器もやっています。ぜひ、関連する企業の方は増やしていただけたらと思います。ありがとうございました。それでは続きまして(財)たんぽぽの家・理事長の播磨さんにお願いしたいと思います。
(ディスカッサント・播磨) ODAには「渚(なぎさ)」が必要だと思っています。「なぎさ」は水際の場所ですが、微生物がいっぱい住んでいて、一見、効率が悪いように見られているけど、水の浄化や生命の誕生など、非常に役に立っている。そういう「なぎさ」が必要ではないかと思います。それがNGOやNPOになるのではないかと思う。私たちの提案としては、ODAにジョセフ・ナイが言っているようにソフトパワーをもっと活用していく、それを積極的に推進するということが必要だと考えています。生命観や芸術文化など、アジアの場合は共通の土台があるので、そうしたものを推進していくことが必要ではないか。芸術文化と言うと、国際交流基金がありますが、芸術文化の範囲が非常に狭い。人間の生き方の全領域にわたる芸術文化、特に人が生きていくことを助ける役割をもつ芸術文化の役割が認識されていない。むしろそのあたりをODAが目を向けていく必要があります。なぜこういうことを言うかというと、私たちは障害者をベースにした国際交流を1980年代からやってきましたが、そのひとつの考え方は、安全・生存・教育というところは、ここ30年の間に各国で取り組んできた。これはまさに生存権の保障です。けれども「豊かに生きる」いうことに関してはまだまだです。文化や芸術の取り組みは遅れている。これは幸福追求権の保障ということですが、そういうものは後回しだということです。そういうことで1990年代から障害者の音楽祭「アジアわたぼうし音楽祭」を2年に1回やるようになりました。これには各国が驚いている。日本は電化製品と車しか作らないと思っていたが、こういうアイデアを生み出す国であるということで共感を得て、やりたいという国が10年先まで手が挙がっている。これはなかなか大変心強いことです。さらに新しい運動として「エイブル・アート・ムーブメント」を1995年から提案している。芸術文化を通して社会問題を解決していこう、芸術文化を通してコミュニティを再生していこう、芸術文化を通して人々をエンパワメントをしよう、そしてソーシャル・インクルージョン。こういう課題を掲げて、各国に呼びかけています。今年初め、大阪市立大学のCOEで、タイのチュラロンコン大学で「アート・フォア・オール」というフォーラムが開かれて参加してきました。この10月にもジョグジャカルタの大学で「エイブル・アートのコンセプト」というテーマで先生たちと議論をしました。人間の幸福というのは物質的に豊かになるということではなく、主体的に選択できる生き方の幅があるほうがいいのではないかという考え方が各国ででてきていると思う。経済成長はよくないとはいわないが、それは必要条件であって十分条件ではないということ。豊かさというのは、あらゆる領域の活動にかかわる総体的なものである。そういうものをやはりODAの中に戦略的にもっていくことが大事だということがまず一点。もう一つは、特にアジアの人たちが、経済成長の中で経験している、また抱えている大きな問題、たとえば、都市化によって高齢化が進んでケアができていない高齢者の問題。福祉制度はアジアにはないためほとんどがファミリーサポート。ケアの体制ができていないため孤立化しているという共通の課題がある。古典的な貧困も重要な問題だが、新しい貧困も出てきている。こうした新しい貧困が近代化の中でいっぱい出てきている。そういったことにも目を向けていくことが必要だと思います。
 最後に、1980年代から交流を続けてきていて感じることは、各国の変化のスピードが速いということ。一方私たちの取り組みや政府の取り組みのテンポが非常に遅いということ。この速い変化のスピードについていける施策や方針が求められていると思います。
(片山コーディネーター) ありがとうございました。ジョセフ・ナイの「ソフトパワー」論は日本外交にも大きな示唆を与えるものとして大変重要だと思います。それでは最後になりましたが、関西NGO協議会の榛木さんお願いします。
(ディスカッサント・榛木) 関西NGO協議会の榛木と申します。児玉審議官から先ほど、透明性と人材育成という言葉を受け、関西NGO協議会は、ODAとの定期協議でNGO側事務局を担うことをしてきましたので、その観点からお話させていただきたいと思います。NGOと外務省の定期協議、いわゆる対話の場を築いてきました。1996年から始まり年4回の会議が96年から2002年までありました。その期間はお互いの関係性をどう模索していったら良いかという探り合いの時期で、それに伴って話し合いながら関係性を持ち、その意義を継続していくことの重要性を見つけ出していった信頼性の醸成の時期でした。2002年度にシステムをかえて「連携推進委員会」というNGO支援や連携推進を主に協議する委員会と「ODA政策協議会」というODA政策について協議する委員会に議題を2つに分けて年3回ずつ定期協議を行っています。2003年からは「より緊張をもちつつも深く信頼性を確立していく。その中でより一層、ODAもNGOもアカウンタビリティを確保していくという、お互いの専門性によって、互いの新しいステージを満たしていく」と言うことが一つできたのではないかと思います。ODA政策協議会事務局からの見解ですが、やはり日本のODAの重要性は増していると思う。グローバリゼーションが発展して、開発途上国の社会開発、教育、保健、医療、福祉の分野で、いわゆるODAに対する糧が少なくなる、減少していくということになると、より一層、貧富の格差が増大し、社会に対する不満等が鬱積していき、新しい南北問題が生まれ、ひどい排除を助長します。それと私たちの生活自体が、特に先進国が大量生産消費社会を食い止めて、新しい社会を模索しつづけながらもできない現在において、資源の先取りや廃棄物等の問題が環境問題として生まれてきて、それが将来社会をどうしていくのかという不満も大きく出てきているのではないかと思います。ODAに関わる外務省と各省庁の関係者だけでなくて、日本の市民、いわゆるODAに関わる人々の広がりは拡くなっていますが、その中において、NGOとODA、外務省とが話し合うことによってODAの信頼性を確保していくことができると思います。NGOというのは代表するものがありません。というのは、市民による自発的な国際協力の団体ですので、グローバルであり、柔軟であり、ネットワークを有し、そして専門性を追求しながら活動をしている団体です。NGOとODAが協働することによって、より多くのそして多様なセクターとの出会いが始まり、そこに公共政策の立案の可能性が大きく広がると思います。そしてその公共政策の立案の拡大から、市民が、ODAが実施されている現実が見え、今後の展開が理解されることで地球規模の取り組みということに貢献できる、国際的に日本が信頼されていくことに自分たちが関わっていける。今までは官庁に任せていたことを自分たちの柔軟な認知によってODAについて発言する場が与えられることで参加できる、それがODAの信頼性の確保につながっていくのではないかと思います。より政策立案のプロセスを透明化していくためには、やはり立案を初めから公開して、このようなタウンミーティングや定期協議で、外務省もNGOも他セクターと協調していくことが大切です
 そしてその場において、NGOや他セクター、市民、そしていかにして受益者、つまり途上国の人たちの意見をその場に反映されるような話し合いの場、そして情報が公表される場を持てるかが重要です。今までは開かれてなかった話し合いの場が、そこに集う人たちが公募されたり、公開性を持つことで省庁を変えていく、外務省を変えていくということの一つのきっかけになると思います。そして、政策立案に対してもあらゆる合同研修とか、研究部会とか、公開の場や公聴会において、NGOやODAが、そして市民が集うことによって、そういう試案を策定する透明性の高さが世界的に評価されるのではないかと思います。今後、NGOもODAにこのように意見を申し上げる限りにおいては、NGO自身もいろいろと反省して、NGOが蓄積した経験を市民に提供して、より透明性を高くし、自律していきたいと思います。そのように、お互いを高め合うことが最終的には社会の成熟度を高めていくことに寄与していくと思っています。今後においても、なかなか一度には行きません。人材育成、人材交流、人と人とが出会い交わる、また働き、その何かを創り上げていくことによって、少しずつ可能になっていくと思います。様々の場においてその努力と言いますか、エネルギーを費やすことを一つの目標として歩んでいくこと。発表する場ではきちっと説明すること。そうすることによって、今後ODAの政策に関しても市民の方々の目が開かれていくと思います。
(片山コーディネーター) ありがとうございました。これも大変重要な論点です。ODA政策立案の透明性に関しては多くの議論がこれまでもなされてきましたが、この点についてNGOが果たす役割の大きさはどんなに強調しても強調しすぎることはありません。この問題については、外務省もJICAもJBICも大事だと認識はしているのですが、やはり現実問題になると意外と難しい。私はJICAのムスリム・ミンダナオ自治政府のガバナンス支援の有識者委員会の座長をやっていました。日本人の学者、フィリピンの学者等、有識者を集めて協力してきたのですが、当初、「イコールパートナー」で参加するということでした。しかし、結果的にうまくいかなかった。結果的に委員会は解散しました。透明にして対等な関与というのがいかに難しいか、実感しております。
 それでは、全ての問題点にレスポンスしていただくのは時間がないと思いますから、とりあえずお二人のスピーカーに、出されたいろんな問題点の中で、とりあえずここで取り上げるものがあればお話しいただければと思います。ではカセム先生からお願いします。
(モンテ・カセム先生) 皆さん、私は播磨さんが言っていた「ODAのなぎさ」がどこにあるかというのが大切だと思います。私の資料の中に「Discovery Research Lab」というのがでていますが、そのラボが「なぎさ」の役割を果たしている。いろいろな知恵を出し合っている。それによって環境系のNGOもできるし、安全保障の取組みもできる。何かを生み出すための溜まり場で、ゆるやかな問題認識をもって自由に先輩や後輩、専門家と交流できる場をつくっている。そういう場所が明るい出入りできる場所でないと簡単に創造性は生み出せない。ある意味でソフトパワー、芸術性の重要さだと思う。私も感じるのは、豊かな文化的な背景がこのアジア太平洋地域にある。私の大学では、75ヵ国から学生が来ています。彼らはそこでとても創造的なものを生み出している。ある芸術団体があり、アフリカの人たちもアジアの人たちもみんなが参加し、今まで世の中になかったようなものが誕生する。それを見に来る周辺の市民たちもみんな交流した。しかし、最初は私の大学を作ろうとした時には、警察を増やさないと犯罪が増えるかもしれないとか、エイズが進行するかもしれないから病院の対策をどうするかとか、そういった状況だった。だけど大学が4年後にそこにできて変わった。この前、カメルーンの学生が交通事故で亡くなった。そのカメルーンの学生はワールドカップのサッカーチームがきたときにカンパしてくれた中津江村というところで通訳をしていた。彼はすごく村人に愛されていて亡くなったら、彼が病院に入院したときから、彼の遺体が出てくるまでずっと誰かその村の方が付き添いに来ていた。これはエイズが広まるかもしれないと思っていた同じ市民です。だから4年間でソフトパワーの豊かさを示すと愛が生まれてくる。それが僕は何よりも大切だと思う。
 これは榛木さんの関西NGO協議会の場合もそうだと思いますが、日本は研究会やシンポジウムの大国だと思います。そこに参加して、自分が参加したという錯覚だけで帰っているのではないかという感じがする。やはり行動に移らないと、達成感が出ないし迫力が出ないし継続性がでない。運営している側がしんどくなるだけ。何か協議会であった協議の内容を具体化するようなものを、これは外務省と榛木さんのところでつくらないといけないと思うのですが、私はラボを作ったことで、どういう結果が出たかというと、やはりこういう試作品が出てくるし、学生が環境に取り組むから企業にいってもやるし、そういうことができるようになると全く気持ちが変わる。だから、それなりに現状を変えていく。僕は達成感と言うものが、専門性ないと出てこないと思う。白紙の頭になんか議論してもなんにもならない。そこで僕は大学に責任があると思う。そういう専門性を高めるために、単なる研究会をつくるのではなくラボをつくるのはそのため。やっぱり環境の分野、福祉の分野、犯罪防止の分野、マイクロファイナンスの分野など、そういう分野で自分で自分が学習して勉強できるような場を作ることで変わってくる。私たちは、どちらかというと児玉審議官の言う「雛作りの場」にいると思う。だから雛を丁寧に育てることによって、立派な鶏になって卵を産むようになる。そこが大学の使命ではないかと思います。そういう体験からでてきたものをきちんと僕らがアーカイブにまとめて後世代に伝わるようにしなければならない。
 例えばこれは電子系でつくった環境系のコンセプト図みたいなものですが、どんな形でもいい。こういう知識を取得して、後世代に伝えたり社会に広く伝えたりする場面ですね。広く伝えるにはいつも人の中には3種類の人間がいる。修学旅行生が「わーっと」走り回っていくようなストリーカー的な存在の人もいるし、私たちのように少々関心があるけど専門家ではなくてゆっくり歩いてみたいタイプと、完全な専門家ですね。専門家が少なく帝、私たちが少し多くて、修学旅行生みたいな人が一番多いと思う。この三者の関心を引きとめるように「知識の溜り」が活動しない限り、社会の様子は変わらないですね。私が実験しているのは、修学旅行生みたな人にはゲームを使ったり、遊びを使って深い意味を理解させていく手段はないかとか。ストリーカーにはツアーを兼ねてやったり、実際のツアーでもいいし、電子ゲームのバーチャルなツアーもあります。私たちが完全にきちんとアーカイブしている、このスペックはどのくらいですか。30年くらいのアーカイブがいると思うのですが、今までの図書館のようなものではなくて、新しい電子技術を使ってこうした楽しいものができる。ブロードバンド時代にはテレビもパソコンも携帯も垣根がなくて統合される時代。そこにこういう知識を広く取得できるような場を与えて、そういうところに出るソフトパワーの想像力を難しい外交問題にもつなげると、どこかで解決につながると思います。
(片山コーディネーター) ありがとうございました。それでは児玉審議官にも短めにレスポンスをお願いします。
(兒玉審議官) 3点ほどコメントさせていただきます。第1点は透明性と国民参加という議論ですが、私どもとしてODAにおけるNGOの重要性は何かと言うことについては、基本的に次の3点に集約されます。一つは、草の根レベルでのきめこまかな機能的かつ効果的な援助が実施されるということ。二つ目は緊急人道支援活動、特に治安が安定する前の段階における効果的で迅速、柔軟な活動をしていますが、そういうメリットがあると思います。それから三つ目は、政府の勝手な位置づけかも知れませんが、ODAに対する皆さまの理解と支持が拡大できることです。これは実は数字でも現れていて、例えばオランダのODA予算の20%はNGO支援に通じてなされています。それがオランダのODAに対する国民意識が高いという一つの証左ではないかと言うことが言えます。それから、昨年ODA大綱を改定したが、それは私ども外務省、経済界、研究者、NGO関係者と合計80回以上の意見交換の場を設定して、その上で政治プロセスを経て閣議決定された。今まさに外務省のホームページをご覧いただければ掲載されていますが、ODA戦略会議を作りながら、新中期政策の改訂作業が真っ只中です。私は今それを担当していますが、パブリックコメントにさらすということで、12月の中旬を前に一月ほど、それでその間、公聴会を開いて意見を聞いています。
 それから二つ目は、どんな人材を育成するのかについては、中期政策の中に非常に特徴的ですが、「人間の安全保障」の視点を取り上げています。詳細には触れませんが、ホームページにも掲載されていますのでご覧いただきたいのですが、「人間の安全保障」とは何かと言うことについて、定義を披露させていただきます。「人間の安全保障」とは「ひとりひとりの人間を中心に据えて、脅威にさらされる、あるいは現に脅威の下にある個人および地域社会の保護と能力強化、エンパワメントを通じ、尊厳ある生命をまっとうするような社会ルールづくりをめざす考え方」と書いています。この中にそういう考え方の中で、例えば人々を中心に据えて届く援助、地域社会を強化する援助、人々の能力強化を重視する援助、脅威にさらされている人々への裨益を重視する援助、文化の多様性を尊重する援助など、いくつか重要な要素が盛り込まれています。私はこれを実践することで、文化の問題等も相当すくいあげられて、日本の援助はいい方向に進化、前進していくということを示すことができるのではないか。そのとっかかりはこの新中期政策の中で整理していきたい。そしてこれは中期政策の議論を通していただいてご議論いただければと思います。
 最後に留学生の話については、これはご参考ですが、外交フォーラムの10月号に、留学生政策が100年以上続いているのですが、それが一体どういう効果があったのか、政策評価をやっている。東京工業大学の助教授の佐藤由利子さんの論文が掲載されていて、一言で言うと、開発途上国の人材養成と日本との友好促進という二つの目的はほぼ達成されている。ただ、実は最近の問題は、留学生が帰国をするのではなくて、優秀な留学生が日本企業や日本の研究所で雇用する動きが生まれている。そういった状況に対してどう対応するか、という観点からの留学生政策の見直しが行われているというのがテーマになっています。ぜひご参考にしていただけたらと思います。
(片山コーディネーター) ありがとうございました。それではお待たせしました。残りの時間が必ずしも十分ではないかもしれませんが、これから皆さんからご意見、コメントをいただきたいと思います。講師のお二人はODAについていろいろなご経験と知見をお持ちで、いろいろとおっしゃりたいことがあると思います。なるべくいろいろな方にご発言いただきたい。双方向のディスカッションになりますよう、論点に関しては1点に限ってご発言いただければと思います。大変恐縮ですが、1、2分で質問なりコメントをいただければと思います。それからご発言の時には、もし差し支えなければ、お名前とご所属を言っていただければ大変ありがたいと思います。それではお願いします。
(質問者A) 1982年からスリランカの支援を個人的にやっている。カセム先生の話を聞いて、失礼なことを申し上げるようだが、カセム先生の分析には一つ足りないことがある。日本人は頑張っているという話だが、カセム先生は頑張っている日本人を見て「頑張っている」というだけで終わっている。日本のODAは1億8,000万円ということだが、そのお金はどこからきたかということを分析してほしい。どこから来たかというと、開発途上国をはじめとして日本以外や日本人からものを買ってもらったお金。日本が価値の高いものをつくり、それを世界の人が買ったお金が戻ってきているということ。日本国内でお金が勝手に沸いてきているということではない。最近、国内で失業者がたくさんいるが、スリランカに毎月3,000円を送っている人がいる。スリランカの人は日本からお金をもらって当たり前だ、と言っているが、私の知り合いで、失業をしながらもお金を送っている人がいるが、それはどういうことか。また、ODAというのはOfficial Development Assistanceで、Overseasではない。海外にお金を送るということだけがDevelopmentだと考えられているが、日本国民で1ドル以下の生活している人もいるのだから、そういったことには何も顧みられていないというのはどうかと思う。
(質問者B) 論点は「持続可能な開発のための教育(ESD)」について。ESDは、日本政府が言い出したにも関わらず、お金も不十分な額しか出さないし、政府として中身に関する動きもほとんど見えないという意見が国際会議でも聞かれる。各省庁の縦割りのままでラウンド・テーブルを行っている程度で、首相にいたってはヨハネスブルクでの発案者であるにも拘らず、先般の国連の演説では安保理に加わりたいと言うだけで、ESDの言葉さえ聞かれなかったのは問題がある。2,500億円という拠出額は各省からばらばらに出すようだし、その総額は2,500億円にははるかに満たないという観測がしきり。首相は国際的な約束事を守って教育や文化の面での国際協力をきちんとしていってほしい。ESDでは、日本はリーダーシップを取れるはずだし、取らなかった場合には特に開発途上国だけではなくユネスコからの信頼を失う可能性も小さくない。ESDはその名の通り「開発」を課題にしており、日本のような過剰開発をしてしまった社会が、それを修復するような姿勢で「環境」を中心にすえるのは、社会開発という視点からするといささかずれているが、日本政府も国会も「環境教育=ESD」という立場で乗り切ろうとしているかに見える。EUの基本概念は社会開発。リオ会議以降、環境問題だけを扱うのでは不十分だという認識の下で、人権や多文化共生、ジェンダーなどを含めた概念として社会開発が語られ始めた。社会開発のベースは戦争や紛争のない平和な社会。イギリス政府は既に1998年からESDに係わる政府の委員会を立ち上げ、2003年には報告書を書き上げている。日本政府はかなり遅れるかたちで国際社会に提案したが、実行が伴っていないという印象を世界中のさまざまな人びとや組織に与え続けている。日本政府は各地で地道にこういったことに取り組んでいる人々から声を聞くという作業を積極的にしていくことが求められているはず。社会を持続可能にしていくということは、こうした参加のプロセスを確保するということでもあると思うがどうか。
(片山コーディネーター) 今の論点は児玉審議官が「人間の安全保障」という観点での話で出されているかと思います。また質問者Aの質問はタックスペイヤーが頑張って出しているのにそれに対して自覚があるかのということに関わってくる。大事な論点だと思いますので後ほど触れます。
(質問者C) 在住外国人。非国民だがタックスペイヤーなので参加した。児玉審議官に質問。タックスペイヤーの立場として、なぜ外国人がODA民間モニターに参加できないのか。そして、青年海外協力隊になぜ国籍条項が設けられているのか。このことにより定住外国人の子どもたちや青年たちは、人材育成の場や複数レベルでの対話の場から締め出されることになる。JICAに問い合わせたところ、オフィシャルパスポートをもって協力隊に行くから必要ということだった。この問題は外務省だけの問題ではないので、クリアすることは難しくないと思うが、困ったことに、一番この問題に無関心なのは日本のNGO。この問題を日本のNGOの会合で発言したが無視された。無視・無関心というのはバッシングよりももっと恐ろしいことだと思うので、今日この場にお集まりの皆さんにも考えてほしい。
(片山コーディネーター) 3人の発言が出ましたので、それに対してまず児玉審議官から。
(兒玉審議官) まさにODAという事業が何によって可能かということで2つくらい論点があります。一つは、最初の方の指摘は正しい認識だと思います。例えば大綱の中でこういう文言があります。「相互依存関係が深まる中で、日本は国際貿易の恩恵を享受し、資源、エネルギー、食糧などを海外に大きく依存する国である。そういう日本としてODAを通じて開発途上国の安定と発展に積極的に貢献すべきである。」そういう認識がありますが、私があえて申し上げるとすれば、「買う売る」というのは、それて一応完結している相互依存の関係であって、その上でそれを税金として吸い上げて、それを国庫として、また予算としてどう使うかはまた別の判断があります。それはプラスアルファとしての判断として、われわれ日本の国民の安全と利益に資するという相互依存、さらに広い意味でのあえて英語で言うと、United self-interest、またはUnited National Interestという考え方が、今一番世界で共通に受け入れられる考え方だと思います。その上でまさに国内の問題はどうかというと、最近、個人的にも問題意識をもっていたので数字をもってきました。一つは生活保護費の給付の問題。これは三位一体改革の中で議論になっていますが、ここからあることが分かります。平成15年は生活保護費が1兆7700億円。実はこれはここ10年間で最高の額。これは何を意味しているかというと、デフレ不況がまだまだ後遺症がある中で、平成14年度は1兆6000億円、平成13年度は1兆5000億円で、毎年1000億円ずつ増えており、それに対して1兆7000億円を投入しています。それからもう一つの指標として面白いと思っているのは失業保険給付の問題。これは非自発的失業者と自発的失業者にとってかなり問題で、ピークは平成13年度で、これは決算額で言うと2兆6000億。それから平成15年度は1兆9000億円まで下がってきています。だいたい受給者の人員というのは100万人前後といわれます。われわれは失業保険というセーフティネット、生活保護というセーフティネットを使ってそれなりの手当てをしています。それと比較してODA予算というのはこれで十分なのか、もっと減らすべきなのかという議論は政治レベルも含めてもっと議論されていいと思うが残念ながらそうではありません。そこがまさにわれわれが考えないといけないこと。冒頭で申し上げましたが、一人あたり7000円から8000円で十分ということでいいのかどうかということ。個人的には日本が役割を果たすにはもう少し出すべきだと思うが、そこは皆さんにもお考えいただきたいと思います。
 それから、最後の国籍条項の問題については、今、ここで答えを持ち合わせていません。いずれにしてもこれからあらためて議論していきたいと思います。
(モンテ・カセム先生) 質問者Aの指摘は大事だと思うが、私も30年間税金を払っており、選挙権のないタックスペイヤー。タックスペイヤーとして私がODAに対して言いたいのは、日本の失業者が増えている現実がありながら、ODAのコミットメントを高めろというのはどういうことか、と言う質問が起こりやすいのは当然のこと。これに対しては2つ答えがある。
 1つは、裏口が安全であってこそメインストリートのビジネスが栄えるということ。裏口の安全を確保するという慈善方式の先行投資という見方がある。
 もう一つの見方は、「買う売る」ということは児玉審議官も言っているが、それがそれだけの取引だけで成立する訳ではないのであまり論じたくないが、もしもそこを論じる必要があるとすれば5%に満たない失業率の日本が一生懸命モノをつくって売って、そこの稼ぎをODAで出そうとしているということを考えると、14%の失業率を抱えるスリランカの国民がその下にいる。今、日本対スリランカの貿易バランスを見たらどちらが優位に立っていると思うか?その差額と日本のスリランカに対するODAと比べたら、どっちが多いと思うか?そうして冷静に見てみると、必ずしも受け手側の国が有利にはなっていないということが分かる。だからそこを私たちは感情的にならないで冷静に見て、物事を判断し、自分の国の福利厚生の向上をしようとするときは第3国を引き合いに出す必要はない。それはそのまま政治家にタックスペイヤーとして福利厚生の向上に対して声を上げる。国民であろうがなかろうが、タックスペイヤーとしてそういう現状に対して発言していったらよい。この2つを比べることによって解決策を生み出すことができるとは感じない。
 もう一つは人材育成で、私はバックストリートを安全にすることでメインストリートが栄えてくると思っているが、立命館アジア太平洋大学には75ヵ国から留学生が来ている。私たちの奨学金にも多くの学生が応募してくるが、それでも5%から8%の学生にしかあたらない。何とかしたいと思っているが、なぜできないかというと、留学生の場合、助成金や奨学金のような制度がない。融資をできるような仕組みがない。多くの方が日本で就職をしているし、立命館アジア太平洋大学の場合は100%の就職率。普通の大学だったら20%から30%。その人たちは返す力があると思うが、返すための貸出しの仕組みがない。これを何とかしたいと思って国際的に取り組んでいる。私が考えているのは、日本国内での育英基金というのを留学生のために国も考えてもよいと思う。どうしてかと言うと、学生数4000人の立命館アジア太平洋大学は、別府市だけでも年間、地域におちるお金が80億円。全体の初期投資は400億円。だから、利子をなくせば5年間で返済できるような経済効果がでてくる。その80億円の中で36億円は留学生の消費。だからそこを考えると、育英基金ができたら、留学生が困っているときに助けてくれたということで、留学生の心の中に残り、日本の財産になる。自分の国に帰ったりどこかに行ったりしても、日本の看板を背負って活躍してくれる。私はその恩恵を受けた留学生なので、今、少しでも何とかお返しができる立場にあるので、先ほど紹介されたNGO、適正技術支援のNGOで3、4人くらい毎年2週間ほど、困った人のために何とかしてあげようということで、適正技術を導入して各種活動や調査等に取り組んでいる。それは非常に大事なことだと思う。藤野さんが言ったことに関連するが、例えば「ODAは国益のため」というのがはやりで、理由として高まっている。それも大事だと思うが、もう一つは一個人が困っている他人を助けたいというのは当然心から沸いてくる気持ち。困った人を助けることは当然人間が持っている素晴らしいところ。今回びっくりしたことは、NPO法制定の準備の中で勉強しているときに、1905年にイギリスのチャリティ法に、人間が他の人間を助けたいという時に助けてあげることができるような社会基盤をつくるのは国の責任だということだという。なぜそれが国の責任かと言うと、それが基本的人権だから。他人を助けようというのは基本的人権。外務省はODAの50年というが、イギリスのこの法律ができて500年。だからそういうことを考えると、われわれ人間がその時その時の、はやりの人間の行動のメッセージだけを見て考えるのではなく、もっともっと根本で考えるべきことだと思う。
 私がスリランカの復興支援に関わったとき、3つのランクに分けて、日本が紛争を解決する方針を出した。3つは何かというと、ひとつは「confidence」といって、人間同士の信頼がなくなっている状況で信頼関係を築いたり、きずなをつくったりするような取り組み。これは政府よりも市民とか、国民とか、人間同士の一番小さな単位をたくさんつくる。スリランカのゲリラ全員の武器をなくそうと思ったら、年間28億円しかいらない。スリランカ自体が今、2兆円近くGNPが発生しているが、その中の28億円くらいで武装解除ができる。それを開発基盤に展開すると、毎年3キロから4キロくらい道路をつくればすむ話。そういう地方道路等をNGOがやっている適正技術を活用して造って、もっとハイレベルなものはJICAやJBICなどのODA予算を使って技術レベルの高い国の幹線道路をつくり、それを連動させることでスリランカの自立支援にもつながるし、困っている人も助かるし、武装解除もできる、といったよい「Win-win」のシチュエーションがつくることができる。そういうことをやることによって、「キャパシティビルディング(Capacity Building)」という次のステップに行って、それは人間に力をつけるものとインフラをつくること。つまり組織をきちんと制度化していくということ。それができたら3番目は「ネイションビルディング(Nation Building)」で、その国が国際社会の中でどう生きていくかということ。3番目のイメージになると日本の国益のことを考えるようになる。2番目は相手国のことを考える。1番の例は人間そのものを考える。そういう3段階くらいにODAの戦略を分けて考えると、質問者Aが言ったようなことを超えて、私たちが人道的な援助から、国益を大事にする3段階のものを同時に実行すれば、受け手側も出す側も非常に満足すると思う。
(片山コーディネーター) 質問者Aの方からの反論もあろうかと思いますが、どなたか他にコメントなりご質問はございますか。
(質問者D) 大阪学院大学の教員。今日のお話しを伺っていて、長期的視点と短期的視点がある。国益の問題。数年後に日本がどれだけ安全かという話と、開発途上国が数年後にどうなるかという観点からの議論とがある。それから、長期的に50年、100年後に日本がどう思われるかという観点からの議論がある。昨年だと思うが、日本とトルコとの国交100周年記念事業があったが、100年前に日本がトルコの客船を和歌山沖で助けたという記事がホームページにのっていたが、それはすごいことだと思った。今日の議論の中では、外務省の児玉審議官の話だと外務省の範囲になると思うが、どのように海外協力が大切だと考える人材を育成するかと言うことだと思う。
(片山コーディネーター) 大変重要な点だと思いますが審議官いかがでしょうか?
(児玉審議官) レディメイドな答えは持ち合わせていないが、一言だけ申し上げれば、その長期的視点とご指摘の短期的視点を分けてしっかり腰を据えてその戦略を構築していく。その通りだと思います。その点は痛いほど理解、認識していて、これも大綱の中ではワンパラグラフだけですが「開発教育」ということであげています。言葉では簡単ですが、要するに、国際協力への理解を子ども達への理解や支持、より前向きな態度をどういうふうに接するかということがまさに大事な課題です。それは国際協力の担い手になると同時に日本の外に対するもののありようと言うか、それを支える若い人材を育成していく必要性からもとても大事だと思います。その中で学校教育とどうリンクをさせていくかということ。そういう意味で社会科の時間とか、あるいは小中高校には、大学はいろんな形で経験させてくれると思いますが、私たちからも文部科学省等とも協力しながらいろいろなことを研究し、教材の中に取り込んでやってもらう、そういうことを通じてやっていきたいと思います。
 それからもう一つ、ODA民間モニターがあり、この中から参加している方もいると思いますが、教員の参加を促進しています。教員に声をかけて小中高の教員が全国から参加し、それで教員自身の取り組みを教育の素材として取り上げてもらう。そういう努力を今後とも追及していく必要があると考えています。
(片山コーディネーター) 他にいかがでしょうか。
(質問者E) 平成15年にODA民間モニターでバングラデシュに行きました。
 私の主観ですが、日本のODAは全体的に見てよいと思う。いろいろな課題がありますが、バングラデシュでは非常に高い評価を受けていると感じた。そこで思ったのは日本のODAがもっと日本国民にその活動がより深く伝わるにはどうしたらいいのか、ということ。ODAについて知っている人はよく知っているが、知らない人もかなりまだいると思う。これだけ情報化社会になり、国際化が急速に進む中で日本国民はもっと外に目を向けないと取り残されてしまうのではないかという危機感がある。日本が海外でどういうことをやっているのかを伝えることによって、日本国民が自分の税金がどこでどのように使われているのかを意識して、国民一人ひとりが責任をもって行動したり、政治参加のはずみになったりすると思う。簡単に言うと、日本国民に国際協力に関心をもってもらうための手段はどういったものが一番有効かというのが私の質問。よろしくお願いします。
(片山コーディネーター) ありがとうございます。先ほど手を挙げられた方、どうぞ。
(質問者F) 今の方と反対に、私はODAというはここにいらっしゃる方に教えていただいて、ほんのわずかの知識しかない。ODAについてほとんど理解していない素人の国民の一人。何をするというわけでもないが、私は先ほどの意見の中にあった長期的、短期的というのは大事なことだが、これは簡単に言うと結果であって、ODAはODAの相手国の得というよりも、草の根の国民の人たちを含めた人たちに「なるほど、これは日本がよく国のためにやってくれた。(と思わせるような)これはひょっとしたら大小に関わらず小さなことでも理解を得られるような、ある一部の業者と結託というようなことはないと思うが、そんなことの決してない、理解の得られるODAをやれば必ず日本の安全にもつながるし、世界平和にもつながるものと思う。トルコあるいはイラクなど、日本人に対して大変好感を持っている国が多い。私も昨年、一昨年と行ってびっくりしたが、それはその時やった日本の行動は決して100年後の日本のためとか、そういう作為的なものではなかった。したがって、外務省もよい行動やよい外交を――助けてやったと言うのはいけないが、黙っていても相手に理解してもらえるというのが日本の国民だが、やはりある程度本当のことを大げさではなくて、本当に評価される、そういうことは外務省も是非やっていただきたいと思う。
(片山コーディネーター) ありがとうございます。今の論点は非常に大事で、カセム先生がおっしゃっていた、日本はODA対象国に対してマスメディアへのアクセスがあまり上手ではないのではないコメント、これは全く私も同感です。外務省の外交は途上国のオピニオンリーダーに働きかけて、ODAについての肯定的な評価を引き出すことが下手ですね。もちろんオピニオンリーダーと言うのは、プライドがありますから、外国政府からの働きかけに、そう簡単には影響されません。それにしても、日本政府(外務省)は、そうした働きかけが少し弱い。しかし、今の方は、もちろんODA政策の中味は重要であるけれども、そうした中味を正当に評価してもらう努力は必要ではないかというご意見だと思います。先ほどのバングラデシュに行かれた質問者Eさんは、これは国内ということですね、だから開発教育という形で審議官が答えられ内容にある程度回答が含まれていると思います。時間が押し迫っていますが、ひとかたどなたかお願いします。
(質問者G) 私も今年、カンボジアにODA民間モニターでホームステイした。
 何も私は外務省を課題評価するわけではないが、素人がODA民間モニターに行った感想として、ODAを誇りに思ってほしいと思う。逆に人材育成というのは、相手国の人材育成ではなく日本自身が人材育成されるような、それから先ほど4人の方が言っていた社会の成熟度、豊かさを高めていくようなことを、例えば総合的な学習の時間の中でもやる必要がある。参加したODA民間モニターには教員が半分以上いて、短い時間でそういう勉強をした。さらにカンボジアではアンコールワットで日本の技術を導入し、さらにそれをセラミックス社と今までにない技術を開発した。様々なことが日本自身に跳ね返っているということや、日本の国際化や日本人の人材育成になっているということを私は学んだ。
(片山コーディネーター) まだまだご意見、ご質問等あるとは思いますが、そろそろとりまとめないといけない時間がきましたので、この辺りでカセム先生、児玉審議官から全体の議論を通して何かご指摘がありましたら一言ずつ頂きたい。
(モンテ・カセム先生) 最終的には質問者Fが言っていたことが一番大事なのではないかと思う。日本は冷静に見ると、すごくいいことをしている割には、人は知らないということ。私もスリランカにいた時はゲリラ集団から政府や報道陣に、日本のODAのシェアがこれくらいあるということを言うと、スリランカの人々も勉強不足でいい加減なのかもしれないが驚く。気付くために何かいい手段があればと思って、一つは先ほど触れたが、日本は慎重というか真面目、日本のODAの方は真面目なので、そこをもう少しにぎやかにこうした場を設けて、日頃そういう交際とか交流、会話のできるような手段を自分と同じ政府間の方々だけではなく、もっと一般の市民やNGO、オピニオンリーダー、外国人、留学生を含めてもつ。それから僕はできれば、ODA関係のタウンミーティングみたいなものの相手国版みたいなもので、相手国のいろいろなところに伝えることができればいいと思う。それが必ずしもODA機関がしているものばかりではなくて、国際交流基金の「寅さんの映画」を向こうに見せて日本人はこういう生活をしている人もいる、と見せたり、報道陣に取材させたり、その中で民間交流を促進することができたらいい。それから、なるべく若い留学生が日本にいる間に、彼らに日本のファンになって帰ってもらい、30年から50年後に日本に来てよかったと言う気持ちでずっといられることを念頭において頑張っていただきたいと思う。ありがとうございました。
(片山コーディネーター) 審議官いかがでしょうか?
(児玉審議官) 簡単に3点ほど感じたことを含めて申し上げると、一つは外において諸外国で政府から国民も含めて、ODAは感謝されているのかということ。私は感謝されていると思うが、国会議員の方が行かれて、例えばODAによってつくられた案件のそばで「これは誰がつくったものですか?」と聞いて現地の方が「知らない」と答えたら「政府はちゃんと広報してない」とか「もっとしっかりやれ」とお叱りを受けます。その点において日本人は難しいところがあります。私自身もなかなか個人的にも日本人として感じるが、そこは要するにTPOではないかと。メディアを使うなり、いろいろな式典、竣工式等があるたびに大変な努力をしていて、私は最近までインドにいたのですが、ニューデリーで地下鉄プロジェクトをしていて、2000億円強の日本の円借款を使っていますが、この竣工式の時でも大変な日本に対する感謝の声が政治家からも表明されたし、メディアからも大きく報道されました。現地ではみんなが知っています。そこに日の丸が目に見える形で報道されるかどうかということもありますが、とにかく日本の円借款でできているということは分かっているのです。ただし、それともう1つ、他方、日本人のよさだと私は思うのですが、私たちは、やっていることをことさらにわざわざ表明しなくていいじゃないか、そういうことを言い出さないことが日本人の魅力ではないかということがあります。それはそれで、大変けなげな努力だと思う。それをうまく使い分けるのが必要だと思います。
 最後にもう一点だけ、理念ということですが、これは今日いろいろな議論があります。それぞれみなさんがいろいろな立場からいろいろな気持ちがあると思いますが、カセム先生がおっしゃったように決してODAは私たちが考えているような相互依存関係だけで成り立っているわけではないということは確認したいと思います。つまり、私たちは人道と相互依存に基づいて行っている。人間であれば何か困ったことがあれば助け合うことは国内であっても同じであって、それはわれわれの人間らしさであって、そういう点からも人道援助をやっている。しかしODAのかなりの部分はそういう点だけではなくてお互いに助け合うという相互依存を踏まえて、しかし、相互依存関係だけだとよくわからない。それはどういうことかと言うと回りまわって、私たち自身の利益であり安全に直結するという所を新しい大綱で確認しました。そういう整理の仕方を踏まえて、外務省としては納得して前に進もうと思います。いずれにしても、たいへん勇気づけられる発言もあり、また、問題点や問題提起も含めてしっかりこれからの活動に生かしていきたいと思います。ありがとうございました。
(片山コーディネーター) 私の理解が間違いでなければ、なぜ人材育成がテーマとして出てくるのか、また、国際協力に資する人材育成が出てくるのかと言うと、これは2年程前に明石康さんが出した『明石レポート』というのがあり、日本が国際協力に資する人材育成をオールジャパンでやっていないのではないか、そういう取組みをやらないといけないという報告書が出ています。今度はそれを具体化するために関係省庁がODAの様々な政策機関が政策をつくっている。外務省もそうですし、文部科学省もそう。それを児玉審議官が最初におっしゃったようにODAの中でやっていた。しかもその多くが経済インフラに今まで特化していた。しかし東南アジアなどもそうだが、経済インフラはいらない、むしろソフトがほしい、と言っている。タイもそう。私も地方分権についてタイに関わったことがありますが、どうやったら地方分権をうまくやれるのか、日本の経験も踏まえて詳しく教えてほしいとタイ側は期待しました。でも日本には、そうしたノウハウがあまり蓄積されていませんでした。そういう意味でODAの総額は減っているが、その中でどうやったら効果的な援助ができるか工夫の余地は大いにあると思います。しかし、先ほど藤野さんがおっしゃったようにこの方針転換を図る時に、実は日本が一番苦しんでいるのは、過去の成功が足かせになっているということではないでしょうか。過去の成功というのはつまり審議官が最初におっしゃいましたように「衣食足りて礼を知る」と言うか、ある意味、経済インフラを整備して経済発展をし、その上で人間の文化度を上げる。それが過去の経験から出てきたアプローチでした。だから経済インフラが大事だと。しかし、そこが今、これだけ少ないリソースの中で、依然として一番いいアプローチであるかということは大きな疑問です。だから貧困対策とか教育、保健、環境等のミレニアム・ゴールド目標が出てくるわけですが、こういうものに日本は大変弱い。外務省、JICA、IBICは今必死に取り組んでいるが、はっきり言って弱い。したがってこれはオールジャパンでやらなければならない。NGOも大学も含めて取り組み、この分野で日本は日本独自の比較優位を出していかないと、国際協力分野で日本はどんどん後れていくと思う。そういう意味で外務省、JICA、JBICは現在苦しんでいますが、しかしながら変えなければという危機感は共有しています。そういう意味で、こういう機会にNGOが自分の経験を踏まえて、意見交換したり提言をしたりするのは大変いいことだと思います。今日は本当に残念ながら時間が十分ではなく、全体として議論を深めることができませんでしたが、参加者の方はいろいろなことを考えていただけたのではないかと思います。今日はご協力、ご清聴ありがとうございました。
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