1.日時: | 2003年11月2日(日)15時~17時 |
2.場所: | 大阪国際交流センター小ホール |
3.出席者: |
(パネリスト) 浅沼 信爾 (ODA総合戦略会議委員・一橋大学大学院教授) 片山 裕 (神戸大学教授) 神田 浩史 (特定非営利活動法人AMネット代表理事・ODA改革ネットワーク世話人) 広瀬 哲樹 (外務省経済協力局審議官) (コーディネーター) 有田 典代 (特定非営利活動法人関西国際交流団体協議会 事務局長) |
4.議事概要: | 以下の通り |
●有田: |
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●広瀬: | それでは、ODAの大きな枠組みであるODA大綱について、周辺の事柄も含めて、簡単にご説明させていただきたいと思います。ODAには大体国民一人あたり1万円ぐらい負担していただいています。つまり、税金が使われている訳で、それについて国民の皆さんが一言、ではなくて、たくさん言っていただくのが当然だという前提で、ODA大綱の見直しが行われました。前回のODA大綱が作られてから10年以上が経ったというご紹介がありましたが、特に昨年は、外務省改革の一環ですとか、ODA改革懇談会の提言として、日本のODAのおおもとをなすODA大綱が、もう古くなっているのではないか、政府、JICA、JBICという援助機関だけではなく、NGOの方々が現場でやっておられる貢献も大きいのではないかといったいろいろな問題が出てきました。それらを踏まえて、おおもとにあるものから見直すべきだという意見が強くなってまいりました。また、外務省内部での見直しの議論もありました。その中でODA総合戦略会議というものを作り、ご意見をいただきながら、ODA大綱を見直すという作業をやってきました。本格的に着手しましたのは、今年の1月ぐらいですが、通常の法律改正に比べましても、随分時間をとって見直しを行ってきました。外国での意見聴取も含め、大きなもので70回くらいの討論会を経て、皆さんのご意見を伺いました。夏にはインターネット上で政府原案を公開し、パブリック・コメントをいただきました。二百数十ぐらいのコメントがあったかと思います。その結果もインターネット上に載っておりますので、ぜひご覧いただきたいと思います。また、原案と決定された大綱との間では、特に女性の開発援助における役割といった重要なところで大幅な見直しが行われており、我々としても、いろいろな意見を踏まえて、かなり修正が出来たと思っております。
ODA大綱の中で従来と違うところをまずご紹介したいと思います。「改定について」という但し書きがついております。これは前回にはございませんでした。なぜ、この前書きが重要かという点ですが、「我が国としては、日本国憲法の精神にのっとり」という一文を入れることによって、平和憲法の下で「ODAを使った世界への貢献というのは重要である」ということを再確認し、強調しようとして、この前文を付け加えた経緯があります。 この大綱には3つの大きな特徴がございます。まず、「国益」という議論がなされました。我々の考え方から言いますと、国際社会の平和と発展を実現することによって、我が国の安全と繁栄が実現できるという点があります。つまり、ODAには2つの目的があって、国際的な公共財を提供することに加え、そのことが自分たちのためでもあるということです。この不況の中で、なぜ国全体で1兆円近くのお金を途上国に出さなければいけないのかという必要性を国民の皆様に訴える必要があるわけです。我々が考えているのは、資源を輸入し、貿易で生きている日本を考えますと、途上国に平和と繁栄を実現することは、日本が成り立って行く上で必須であるという点です。従って、経済が苦しい時でも、国民の理解と支持を得ながら、必要なお金を割いていかなければならない。但し、その方法については、国民の皆様からの異論、反論、提案もあるでしょうから、それを踏まえながらやっていきたいということを目的の中で謳っております。 第2番目の特徴ですが、Basic Human Needs、即ち、人間にとって基本的に必要なものを供与するという今までの大綱の理念に加えて、平和の構築を重視する考えを前面に出しております。アフガニスタンの復興、東ティモールの国造り、カンボジアの和平、最近では、イラクの戦後復興といった動きについても、ODAを活用して国際的な協力をしていこうという考えを出しています。 第3番目に、弛まぬODA改革ということを謳っております。大綱は不磨大典、不変のものではなく、常に見直し、いろいろな意見を採り入れ、事態の変化に応じて新たなルールや基準を作り、どんどん見直していこうということを謳っております。 ODA大綱は大きく分けて2部構成になっております。一番初めに理念があります。そして、基本方針として5つのことを挙げております。基本方針の中に自助努力支援がありますが、途上国がやるということを少しだけ助けるのがODAで、途上国に代わって何かできる訳ではないというのが基本的な考え方です。これが日本のODAの50年間にわたり続いてきた理念です。 加えて、「人間の安全保障」とか、「公平性の確保」とか、「我が国の経験」といったものを生かそうという点があります。また、外国では、援助疲れのあと、もう一度ODAを増やそうということから、国際機関、世界銀行などが、いろいろな考えを持ち寄って国ごとのニーズや状況に応じた対応をやろうとしております。 次に重点課題があります。これは非常に分かりやすいテーマだと思います。貧困削減、持続的成長を図るため、途上国が持続的に発展していく道筋を描くことに協力すること、環境問題や感染症問題といった地球的規模の問題に取り組むこと、最後に「平和の構築」ということで、開発の前提となる安全を確保しようということを謳っております。 「援助の実施の原則」の中では4つの原則というのを謳っております。特に環境と開発の両立でありますとか、軍事転用の問題でありますとか、大量破壊兵器の問題でありますとか、それから基本的人権、自由の確保といったことに留意点を設けました。これらについて、単に違反したから制裁をするというよりは、事前に政策対話を通して、相手国政府の首脳などと議論しながら、その国の政策について、我々の考えをストレートに伝えていきます。もし、それから外れるようであれば、影響力を行使しますし、それを守っていただいた時にはそれを誉め、それを支援するような援助をやりながら、4つの原則を守ろうとしております。 最後にこういったプロセスへの国民の皆様による参加、実施に当たっての評価の実施、適正な手続きによる調達といった点や、どういったプロジェクトを選定していくかを考えようとしています。因みに、今年のインドネシアからの支援要請については、初めてロングリストというものをインターネット上で公表し、相手国政府からの要請を初めて載せています。そのように出来るだけ相手国の要請を広く国民の皆様にお伝えし、そのプロセスの中で相手国政府と一個一個の内容について確認しながら、日本政府として、ODA大綱に則り、その国の援助方針に従って、援助するのにふさわしいプロジェクトを選定し、支援していこうと考えております。 こういった努力につきまして、我々は、年一回ではありますがODA白書をとりまとめ、その中でできるだけ詳しくご報告しています。また、適切なタイミングで公表できるようにインターネットを通じて、いろいろな情報を公開するように努めております。 ODA大綱は皆様との議論を通して良くなっていくものだと理解でおります。是非、いろいろな形でご議論いただき、現実の政府の援助のやり方と大綱との関係を見直していただいて、議論を続けていっていただけたらと思います。 |
●有田: | ありがとうございます。争点の多かった改定について5分でご説明いただくのは、大変難しかったと思いますが、また、後程、ご質問があればお受けしたいと思います。
さて、ODA大綱の改定に当たって原案のたたき台を出されたのがODA総合戦略会議で、浅沼さんはそのメンバーでいらっしゃるのですが、ODA総合戦略会議とはそもそもどういう役割を持つもので、どのようなメンバーがおられ、どのような議論をなさったのか、あるいは、今後、どういうことをめざしていかれるのかということについてご説明をお願いしたいと思います。 |
●浅沼: | それを5分間で説明するのは大変ですが、要点のところだけを・・・。まず、第1に、ODA総合戦略会議というのは、第2次ODA改革懇談会の意見の中から出てきて、作ることになったものです。私自身、このことは大変よかったと思っています。何故かと言いますと、ODAというのは、皆さんご存じのように政府開発援助と訳されるもので政府のものです。ですから、従来はODAをどういう方針でやっていくのかということについては、外務省を中心とした政府の省庁、与党、実施機関であるJICA、JBICであるとか、そういうところが決めていたわけです。そのプロセスの中に、政府には直接属さない有識者、つまり、外部の人間を集めてきて、彼らに議論させることはよかったと思うのです。そのメンバーは私のように大学に籍を置く者のほかに、ODAプロジェクトを海外で実施している企業の方、メディアの方、国際政治をやっておられる方、NGOの方というふうに随分違う方が入っておられ、それぞれの経験に基づく知見を使って、日本の政府開発援助の将来を決めていこうと議論している訳です。
そこに課された第1の議題が、先ほど広瀬さんから紹介がありましたODA大綱の見直しです。ODA大綱の全体のところは広瀬さんがご説明なさいましたが、私自身は、その中で2つ良いところがあると思います。 第1点は、ODA総合戦略会議での議論を通じて、ODAと日本の国益との繋がりがどこにあるのだろうということを相当詳しく議論し、コンセンサスに達したことだと思います。先ほど広瀬さんからご説明がありましたように、日本にとってのODAによる国益というのは、狭く解釈して、ODAを受けている政府に国連の議決で日本の都合の良いように投票してもらおうということがあります。例えば、もっと鯨を獲れるように、国際的な会議で投票してもらおうとかいうことです。その一方で、そんなことではなくて、途上国の平和と繁栄によって、国際体制自体や国際的な政治・経済・社会体制そのものが繁栄して、そこから日本が利益を得るという考えもあります。考えてみれば、日本という国は国際社会の中にどっぷりつかって生活をしている国です。昨日、白身の魚を食べましたが、後で考えてみたら、この白身の魚はケニアのビクトリア湖で獲れたものです。そういった国益論が第1点です。 第2点は要請主義です。ODAを実施するに際して、要請主義というのがありました。相手国政府からの要請を受けて、日本がそれをやるということです。今度のODA大綱で議論されて決まったことは、ODAは途上国の平和と繁栄を最終的な目標とするわけですから、当然、途上国の真のニーズを見極めることが必要であるが、必ずしも現政権がそのような観点からこれをやってください、あれをやってくださいと言ってくる訳ではないだろうから、ODAを供与する日本政府が真のニーズを見極めて、その上でそのODAを実施しようと考えたことです。 この2点は、戦略会議の議論の中で大変実りあったところだと思います。ODA大綱が済んだ後、通常はどういう議論をしているのかと言いますと、ODA総合戦略会議というのは政府が設けたもので、ODAの戦略会議で予算をもっと増やそうとか、ODAを実施している人員、定員をもっと増やしてほしいという意見はいくら言っても、それがすぐに実現されるわけではないです。そこで、途上国の真のODAニーズは何だろうというところを見極めることに最大の努力をしている訳です。どういうことかと言いますと、大原則であるODA大綱の下で、いろいろな国について国別援助計画を作りましょうということになっています。例えば、スリランカでしたら、援助ニーズはどこにあるだろうということを把握するため、スリランカ政府は何を目的として、何をしているのか、その局面で日本のODAがどれくらい貢献できるのかということを調べ、議論する。そういう国別援助計画の議論に注力しています。ちなみに、今、議題になっているのが、スリランカ、ベトナム、これから議論しようとしているのが、パキスタン、インド、インドネシア等です。そういう議論を続けながら、ODA大綱の趣旨に沿って、ODA政策がきめ細かく採られるようにするために、ODA総合戦略会議を使っていこうというのが政府のお考えでしょうし、我々委員もそれに貢献したいと考えております。 |
●有田: | どうもありがとうございました。では、次にNGOのお立場から神田さんにお話を伺いたいのですが、神田さんもODA大綱の改定にあたっては公聴会などで積極的に具体的な提案をなさってこられましたが、新しい大綱をどういうふうに見てらっしゃるのか、また、これからの国際協力において、ODAとNGOはどういう関係にあり、NGOはどういう役割を果たしうるのかという点でお話を伺いたいと思います。
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●神田: | はい、ありがとうございます。神田です。10年あまり、ODA政策をモニターし続けて、いろいろな政策提言をしてきた中で、二つの大きな変化があったと思っています。一つはプラス面で変わってきたことですが、個々の施策がいろいろと改善されてきたのは事実であると思います。何よりもこういったODAをPRする場で僕が発言するということ自体、10年前には考えられなかったことですから。外務省のほうで、批判的な言説を持つ人間をこういう場で発言させるようなことはなかったと思います。いろいろな意見を出し合って、それでODAに対する理解を深めていこうという認識が出てきたり、あるいは、いろいろな意見を聞いて、ODA政策を作っていったりしていこうという流れになってきたのは大きな変化かなと思います。
ただし、もう一つの変化としまして、特に今回のODA大綱の改定の中で、奇しくも広瀬さんも浅沼さんもプラス面で言われた点が、私にとってみるとすごく違和感のあるところとなっています。国益を重視するODAというものをこれほど真っ向から謳う点ですが、議論されてきた浅沼さんや実際に使われる広瀬さんにしてみたら、ご説明があったように、「非常に幅広い概念として使っているのです」となるのでしょうが、言葉というのは一人歩きしてしまうものですから、「我が国の繁栄と安全」を目的としたODAというものが、先走ってしまうということを懸念しています。 実際にスリランカの国別援助計画の見直しの中で、すでに「我が国の繁栄と安全」という文言が出てきていることもあり、そういった点を危惧しているところです。要するに90年代、日本が資金的に豊かであった時には、もう少しゆったりと構えてODAの議論をされていたのが、不況になってきたからということで、国内に利益が来る形でないとODAがサポートされないのではないかという懸念を持たれているのかと思います。しかし、国際的な潮流からは逆行しているわけで、一つの国がその国の利益のためにODAを出すのを止めようという国際的な潮流の中で、今回のODA大綱の改定があったことに対して異論があります。 大綱につきましては、ポジティブな面は、非常に開かれたプロセスでもって改定が進められたということです。今後のODAに関する政策立案においても、これと同等あるいはこれ以上のやり方が必要ではないかと思います。外務省内でもそこまでやらなくても良いのではという話もあったとのことですが、パブリック・コメントや公聴会という手続きを踏まれて、そこに私たちのいろいろな意見を出し得たということがあります。ただし、結果として見てみると、原案から最終案までの間に変わったのは43カ所だけです。こんなの誰が調べたのだと思われるかもしれませんが、いるのですね、こんなことをチェックする酔狂な輩が。43カ所変わっていて、その内40カ所は単なる文言の修正、字句の修正だけです。コメントを受けたなと思われるところは3ケ所だけです。その原因として、原案作成の段階が非常に閉鎖的に行われたのが大きなポイントだと思われます。ODA総合戦略会議というのはNGOの仲間も入っていますが、基本的にクローズドで開かれてきました。それに対して私たちは意見が言えなかった。ODA総合戦略会議で合意されたことが原案として出てきているのですが、その原案からの修正があまりにも少なかったなと思います。内容的に申しますと、先ほどの国益の点は非常に大きなポイントとして挙げられると思います。それ以外に3点あります。もちろん全部見ていただきますと、開発教育、情報公開、広報というところに対して違和感を持たれている方がおありかと思いますし、私も異論があるところですが、大きいところで3つあるのを挙げさせていただきます。 一つ目は、誰がODAの主役であるかが明示的ではないとう点です。日本側というところが強調されすぎていると思います。私の立場から申しますと、ODAの主役というのは受け取り国の住民であると思います。そういった記述が見られない。援助実施の原則の中で、開発の主体が受け取り国の住民であるというようなことを規定する必要があったと思っております。もう一つの点といたしましては、この大綱を誰がチェックするのかとう点です。白書で報告すると言われていますが、これは外務省が作る文章ですから、大綱の実施がどういうふうに進んでいるのかということに対するチェックの制度がありません。これは大綱自体の問題であるかとも思います。大綱である限り、チェックが働きにくいというのがあるでしょうし、私は、かねてからODA基本法が必要であると提唱してきています。1兆円規模の予算がありながら、これをチェックする法律がない、規定する法律がない、そして、議会の関与が明確でないというのは、制度的欠陥であろうと思っています。ただし、行政機関である外務省にそれを作れというのが無理な話であって、法律化されるかどうかは市民の意見に依るわけです。今回、衆議院の総選挙が行われているのに、ODAが全く争点になっていない、候補者の公約、政党のマニフェストを見ても、ODAにさしたる重きを置いていないというのは、おそらくODAに対する関心がそれほど高くない、ODAがまだまだ市民の手の届くところに行っていないからではないかと思う次第です。もう一つ、ODAとNGOの関係という点でお話する必要があるので、その点だけ触れておきます。 この10年の変化として、NGOに流れるODAの資金のチャネルが太くなってきたことがあると思います。もっとも太くなってきたと言っても、1兆円規模のODAの1パーセント、実際、純然たるNGOに流れている分としましては1パーセントもないわけですが、10年前に比べると徐々に増え続けていると思います。NGOがODAを活用するということは、どんどんやっていったら良いと思ってはいます。ODAの原資は、税金であり、郵便貯金であり、年金であるわけですから、私たちが出しているお金を政府に占有される必要はないわけで、どんどん積極的に使っていったら良いと思うのです。しかし、その関係性は非常に難しくて、お金をもらえばある程度政府に規定されてしまうというふうなNGOの動きが一方ではあるということも警鐘を鳴らしておく必要があるかなと思います。ODAに関しまして、実際、NGOが使う予算以外に大事なことは、政策立案プロセスにNGOが参加することです。今回の大綱改定において、このことは明示的に入っているわけではありませんが、読んでいくとそういうふうなことに該当するところはいくつかあります。NGOがこういった政策立案に参画する意義といたしまして4点あると考えております。 最も大きな意義は、政策立案プロセスを透明化することだろうと思います。一部の専門家だけが政策決定に関わる、官僚だけで政策決定をしていくわけではなく、市民に広く開かれるという意味で、NGOの参画の意義があると思います。二つ目も大事なことだと思いますが、受け取り国の住民の代弁者としてNGOがいろいろな提案をしていくということです。これはおそらく外務省の方々、大使館に勤めておられる官僚の方々よりも、実際に現場に入って活動しているNGOのほうが、その地域の住民の暮らしや住民の声に敏感であるし、そういった声を集めてくるのに長けていると思います。そういったことを官僚組織の中、あるいは、JICAやJBICという実施機関の中だけでやるには限界があるわけで、NGOが受け取り住民の声を代弁するという機能を果たすのは非常に重要な点ではないかと思います。三つ目は、ODAの世界にはない専門性をNGOが持っているケースも多々あります。特に、適正技術というようなその地域特性にあったような技術体系、お金がかからない技術体系を持っている。そういうことを吸収しているNGOは少なからずあります。そういうことをODA実施にあたって反映させていくことも重要かと思います。四つ目は、自分たちが培ってきた国際協力の経験をいかにそのODAに反映させるかということです。こういった4つの点でもって僕自身、NGOがODAの政策プロセス、政策そのものに関与していくことはすごく大事だと思います。 NGOは決して、一部の酔狂な人だけがしているわけではなくて、NGOに対する理解を深めてもらおうという意味でワン・ワールド・フェスティバルも開かれていると思いますので、幅広く多くの市民の方々がそういったNGOのチャネルを介して、政策に関与していくことが可能ではないかと思っております。こういった政策をどういうふうに律していくのかということ自体が納税者の責務であるという認識が日本の社会ではすごく希薄であって、外務省がおかしいからこんな変なODAがあったとか、鈴木宗男さんがいたからこんな変なODAだったのだというふうに思っておられる方もおられるとも思いますが、何よりも市民によるチェック能力が欠けているというあたりを考え直していきたいなと思います。以上、雑駁ではありますが、ODA大綱に関するコメントとODAとNGOの関係について思うところをお話させていただ・きました。 |
●有田: | ありがとうございました。片山さんも研究者のお立場からODAについて積極的に発言なさっておられますが、神田さんと同じようにこの新しい大綱をどのように見てらっしゃるのかご意見お伺いしたいのと、今後のODA改革に期待されている点についてお伺いしたいと思います。
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●片山: | 発言が最後になりましたが、時間が気になって・・・皆さん10分くらい喋ったなと思いますが、5分間で止めたいと思います。まず、ODA大綱ですが、これ皆さん、ざっと読まれて、神田さんのような専門家でないと、「結構よく書けているではないか」と思うでしょう。文章としては大変よく書けていると思います。本当言いますと、平成4年のODA大綱も意外と悪くないのですが、それでいて、日本のODAの評判はあまりよくないわけです。何でそうなのかということを、自分もODAに具体的に関わったこともありますので、そこで見たり聞いたりしたことに基づいてお話していきたいと思います。
それは何かというと、実施体制ということにあるわけです。ODA大綱の中に「援助政策の立案及び実施」という箇所があって、そこには一貫性のある援助政策の立案ということが書いてあります。これはよく書けています。書けているけど、本当言うと、ここが一番問題かもしれないと思っています。どういうことか具体的に言います。何故、外務省がODAをやっているのかというのは、決して自明ではないのです。ここにも、外務省が調整の中核となることが書いてあります。もっとややこしいことがあります。ODAに関わるいろいろな省庁があります。財務省とか、経済産業省とか、厚生労働省とかがある。そういうところにODA資金がばらまかれている。外務省は、実はODAの専門省庁というわけではなくて、調整をやっている。立案とか政策決定過程です。あっちの意見を聞いたり、こっちの意見を聞いたりするのですが、外務省は国内の支持基盤が弱いですから、ほとんど言われっぱなしです。実施過程に関して、外務省にODAの専門家がいるかというと、ほとんどいません。私もマニラで2年間、専門調査員としてODAを端から見ていましたが、とにかく外務省の職員は担当を2、3年で変えますから、ODAの専門家が育つわけではありませんし、その地域の専門家が育つわけでもありません。例えば、JICAと外務省で専門性を比べたら、たぶんJICAの方が断然高いでしょう。しかし、JICAは外務省に頭が上がらないし、外務省は財務省に頭があがらないのです。日本のODA額がものすごく多いのにも拘わらず、評価が低い一つの理由はここにあると思います。但し、評価が低いということは、本当は留保をつけなければいけなくて、各国のトップクラス、首相とか閣僚クラスは、日本のODAをものすごく評価しています。 ここで話しが変わるのですが、先ほどの神田さんがおっしゃった国益論について別の観点から話してみたいと思います。外務省がODAを持つことは決して悪いことだとは思っていません。これは日本外交の最大の資源であって、これがないと外務省は殆ど何もできないと思います。ODAがあったから、少なくとも発展途上国に対して、一定の発言力をもってきたし、国際社会で影響力を持ってきたのだと思います。中東やラテン・アメリカでかなりの発言権を持っていることには、たぶんODAがかなり関与しているのだろうと思います。アメリカやヨーロッパとは違う遇され方をされてきました。これはマイナスの部分もあって、各国の為政者クラスは外務省やODAに感謝しているのですが、一般の人々は、日本のODAを殆ど知りません。各省庁のミドルクラスはJICAについてよく知っているのですが、一般の人はJICAについて全く知らないのです。ものすごい金額を投入しながら、海外での認知度はきわめて限られています。これがたぶん問題の一つだろうと思います。実施体制について何が問題かというと、専門家が少ないのです。外務省でもJICAでも、長く定点観測して、しかも、国際機関の専門家に伍して負けないくらいの議論を展開したり、文章を書いたりしたりする人がいないのです。ここが現場に関わっている者として少し不満なところで、そこのところを曖昧にしています。課題は一杯あるのですが、日本の国内政治と同じで、「調整します」と言いながら、多元化した決定過程を放置している。ここをこれから相当頑張ってやらなければならない。 具体的に言います。何ができるかと言うと、各省庁に分散していることをある程度まとめる必要があるだろう。外務省の肩を持つと、ODAの窓口としての外務省の窓口機能、政策立案機能を高めないといけない。同時に、JICAやJBICを一元化して援助庁のようなものを作らないといけない。外交のツールとしてODAを使うのは、僕は個人的には反対ではない。軍事力よりも援助を使うほうがましですから。援助庁を作って専門家を育てていく。援助コミュニティーと言いましょうか、大学もNGOも入るようなコミュニティーを充実させる。その中で専門家不足の解消を図らないといけないと思うのです。ODAは結構金額が大きいので、利権や既得権益が絡んでいます。これを各省庁から集めたりするには抵抗がありますから、本当に難しいのですが、そういうことをこれからやっていかなければいけないのではないかと思うのです。 |
●有田: | どうもありがとうございます。争点がたくさん出てきてしまったようです。実は、ここでフロアの皆さんからご意見を伺う予定だったのですが、問題提起がありましたので、そのことに関して、4人のパネリストの皆さんにもう一言ずつご意見を伺った後、フロアの皆さんのお時間にしたいと思います。
国益論の問題ですが、これは本当にお立場によって捉え方が違う部分があります。また、新しいODA大綱は、制度面での改善は進んだが、改革の実効性については問題があるという指摘がありました。そして、そのために援助コミュニティーの充実やNGO、市民の参画をどうしていくのかという課題が提示されました。そこで、浅沼さんにお聞きしたいと思います。浅沼さんは大学の先生ですが、その前には世界銀行、外資系投資銀行の要職につかれており、実際に開発援助の現場におられ、経済的な側面から開発援助を見てこられました。神田さん、片山さんからの問題提起を受けて、日本のこれからのODAはどうあるべきかという点ついてご意見をお願いしたいと思います。 |
●浅沼: | これも5分となると大変ですが・・・。まず第1に、私自身は日本のODAには参画してきませんでしたが、外部から、ある意味では近くで、それを観察させてきていただいてきたわけです。そのときの印象ですが、賠償から始まって輸出振興として続いてきた日本のODAを長期的に見てきますと、神田さんや片山さんが批判されたようなものではなく、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスに比べて大変よかったと思っています。私は日本のODAを相当高く評価している。つぎのように言うとわかりやすいと思うのですが、もともとのODAも途上国の平和と繁栄をサポートしていくのが大目的です。国際開発目標、ミレニアム開発目標の開発目標は7項目くらいありますが、項目だけ言いますと、貧困削減、初等教育、女性の地位向上、乳幼児の死亡率低下、妊産婦の死亡率低下、いろいろな病気をなくすための保健システムの構築、環境となります。この7つの目標のうち6つまではどうしても財政が出動しないとできない話です。その中で財政が出動してもできないもの、絶対にODAではできないもの、みんなが先進国の国民所得の1%まで出してもどうしても達成できないものが貧困削減です。この貧困削減というのがどうしても基本にあるわけです。貧困があるとあとの6つの目標がなかなか達成できない。それを達成するためには、全体的な経済成長が必要になってくるわけです。そこで先程言った途上国の平和と繁栄という話になるわけです。全くの極貧を見てそれを救おうというのは、どちらかと言えば人道主義的な動機付けでもできるのですが、そうではなくて、途上国の平和と繁栄なのです。それが達成されなかったら、目標のほとんどが達成できなくなってしまう。そういうところから考えますと、経済成長というのは鍵になってくるわけです。経済成長をなんとか促進しようと思ったら、いろいろな要素が成長には関わっていますから、いろいろなことをしなければならない。その中の一つが、経済社会インフラの構築です。これは、政府の言葉では「インフラ整備」といいますが、「整備」ではなくて、「構築」なのです。しかも、産業インフラだけではなくて、経済社会インフラの構築がどうしても必要になってくる。日本は、経済社会インフラをなんとかして構築するための融資をしよう、もしくは、支援をしようという面では相当力を入れてきた。そこには金額面も当然あります。そういう意味で日本の援助は相当役に立ってきたし、他のバCラテラルな、双務的な援助の傾向は、どうしても金額がないものですから、一点豪華主義になってしまいます。環境だけを扱おうとか、女性の地位向上だけの扱おうとか、先進国のたいていの国がなる中で、日本は全体的な経済成長、経済発展を目的とした社会経済インフラを作るのだということでやってきた。これは大いに評価すべき点だと思います。それでは、全く欠陥がないかというとそうではありません。そういうことをする中で、日本としては、社会経済インフラを構築するときの戦略であるとか、計画であるとか、政策であるとか、制度であるとか、人材であるとか、そういう一連のことにもっと深く関与すべきであった。そうした面も支援をしてくるべきであった。その支援の仕方は、相手国の政策担当者との政策対話であり、一緒に働くことであり、技術の提供であり、そういうことであったと思っております。日本の援助が円借款、即ちローンであったということで相当非難されていることもあるわけですが、これは相当良い条件で、借りたということで、自分たちの計画の中に組み込んで、上手に管理しているところはうまくいっております。だから借款だからといって非難されることはない。言ってみれば、事業を興すときに自分の家族の貯金だけでは十分ではなくて、かつ、銀行は貸してくれるかどうかわからない。そういうときに、親戚から借りた金だと考えたら良いわけです。そのように借款を運営してきましたから、まだまだ改善するところもあるが、良い効果をもってきたと私自身は考えております。 |
●有田: | もう一つの争点の問題はアジア重視という点であると思います。この点は片山さんに伺いたいのですが、片山さんは東南アジアの政治学を専門になさっていらっしゃいます。(配布したODA広報パンフレットの)7ページをちょっとご覧になったらわかるのですが、日本のODAというのは、160の国や地域に対して実施されており、そのうち57パーセントがアジア諸国です。それでは、実際に日本のODAは、東南アジア社会の経済の発展にどのように寄与することができたのか、浅沼さんがおっしゃった経済・社会インフラの構築において評価すべき点があったのかということについてお話いただきたいと思います。
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●片山: | その点につきまして、私は浅沼さんと全く同意見でして、いろいろと批判はありましたが、東南アジアの経済発展に非常に大きく貢献したと思っております。ただし、アジアに特化して良いのかどうかという点には、ちょっと難しい問題があります。今はそのことには触れずに、今後ともアジアに重点を置くとしたら何が問題かということを話させていただきたいと思います。
アジアではもう援助を卒業する国が出てきているわけです。彼らが何を求めているかというと、先程浅沼さんがおっしゃったインフラでは必ずしもないのです。インフラは大体揃ってきている国がかなりあります。もっとソフトウェアがほしいというのが、実際、発展途上国、東南アジアの国々でさえ言っていることです。実は、日本の援助は、ここが一番弱いのです。具体的に申しますと、私は、フィリピンのミンダナオ島の平和構築に関わり始めていまして、外務省とかJICAが、とりあえず学者でも使ってみようか、お手並み拝見ということで、苦労しているのですが、何が一番困るかというと、「ガバナンス」ということです。ミンダナオ島の場合ですと、イスラム過激派が台頭しているのは自治政府がうまくいっていないからだ、もうちょっと良き政治を実現すれば良くなるだろうということで、発想は間違っていないと思うのですが、このとき、外務省とかJICAの人たちが「ガバナンス」とは何のことだと言うわけです。そんなものは成果が出るのかと言って、止めておけと言わんばかり。それよりは研修センターのような建物を作ろうとか、港を整備しようとか、インフラやろうとかいう発想なのです。これは、議論としては間違っていないのですが、新しいODA大綱とかに出ているように、知的な部分、ソフトの部分に移行している割には、日本の援助体制、実施機関がそこについていっていない。ここが一番の問題で、相当頑張らないといけない。 ただし、繰り返しますが、先程の浅沼さんの議論には私は賛成で、こうしたインフラは、基本的には貧困問題でも大事だと思います。ある日本の大使の言葉を引いて問題提起してみたいと思います。10年程前に人権外交を巡って日本は批判されていました。東南アジアの人権抑圧に対して声を上げないということです。これに対して、この大使は言いました。「私は、発展途上国の最大の人権抑圧は貧困だと思う。国民の半分以上を貧困の淵に置いておいて、人権も何もあったもんじゃない。だから、日本は貧困解決のために、その中で一番大切な、そして、内政にも干渉しないインフラをやるのだ。」これは、「衣食足りて礼節を知る」ではないですが、ある意味で日本的な、アジア的な観念かもしれませんし、説得力があると思います。しかし、どうも日本の援助は、多くの人がそうであるように、過去の成功例に足を引っ張られている。成功したが故にうまく時代の変化に乗っていけないということもあります。これは援助機関だけの問題ではなくて、援助コミュニティとか市民団体とか大学も積極的に関わっていかないといけないことですが、そういう意味で、我々はかなり大きな意識改革を求められていると思います。 |
●有田: | 神田さんは環境問題、特に水問題に関心をお持ちで、今年3月に開かれた「世界水フォーラム」では市民ネットワークの事務局長もお務めになりましたが、環境配慮について伺いたいと思います。環境配慮と公正さの確保のため、JICAは環境社会配慮ガイドラインの改定を進めていますし、実際、JBICもこの10月から新環境ガイドラインを適用していると聞いています。ODAの実施において環境配慮をさらに充実させていくにはどうしたらよいかという点について簡潔にお願いしたいと思います。
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●神田: | JICA、JBICで環境社会配慮のガイドラインが策定されてきた。この策定プロセスならびに内容は、ともにこの10年間のODAの変化の大きな成果ではないかとプラスに見ています。僕が話をするとボロカスと受け止められるかもしれませんが、そんなことはなくて、こういうところは成果ですということはきちんと言っていく必要があると思います。JICAでは、これから環境社会配慮ガイドラインがパブリックコメントにかけられるのですが、外部の委員会、研究会で原案がつくられた。これにはNGOも参加しましたし、何よりもその原案策定プロセスが透明であったというところは、JICAもJBICも共通するところです。策定段階で、ホームページを通じて私たちもいくらでも意見が言えたので、原案の中に私たちの意見が反映されていることが見うけられます。そしてこれから更にパブリックコメントにかけられる。一方で、JBICのケースでこんなことがありました。企業の方から、「こんな厳しい環境ガイドラインを作られたら、日本のODAに日本の企業が参画できないではないか。」というような異論があって、そういったことがパブリックコメントで出てきた。NGOの意見も一つであり、企業の方の意見も一つであって、それらを吸収するメカニズムがあるというのが、ODA政策を作っていく上で大事なポイントかと思います。今日ここにご参加してくださっている方々も、JICAの環境社会配慮ガイドラインでこれからパブリックコメントに懸けられるものを一読していただいて、是非、質問なり意見なりを出していかれたら良いかと思っております。
ただし、良い文章ができても、それがどう活用されるのかというのが次の大きな課題です。これに関しましては、前段で片山さんがおっしゃったことと同感であって、実施体制、実施要員が弱すぎるというのが特徴だと思います。ODA関係分野でも、例外なく人員を減らしていく、公務員を減らす、あるいは、公的機関の人員を減らすという流れの中で、むしろ人員を増やされなければならないのに、減らされていくというジレンマを抱えておられるように思います。僕なんかは、1兆円もODAを実施するなら、相当な人間を配置する必要があるのではないかと思います。JBICなんか円借款を300人くらいの人で担っているという現実があります。世界銀行と比較するのが適切かどうかは分かりませんが、世界銀行が1万人もいるのに対して、JBICわずか300人で年間5千億も6千億ものお金を扱っているというのは、いろいろな国に対して、いろいろなセクターにお金を出しながら、それだけの人数しかいないというのは、絶対に改善していかなければならない大きなポイントではないかと思います。 それに加えて、もう一つ大事なことは、いろいろな事業の現地化をもっともっと進めていかなければならないことだと思います。NGOというと、日本のNGOかと聞かれる方が多いかと思いますが、私の場合、日本のNGOに加えて、現地のNGO、あるいは、現地の研究者がもっとODAに参加し、それによって改善されていくところがあるのではないかと思っています。そういうことをもっと充実させていく。世界銀行など一番に掲げられるという大きなポイントは、現地スタッフが充実しているというところにあると思います。これはなにも、日本人をその国に送って、現地スタッフを増やすという発想だけではなくて、現地の人と協働関係を作っていく、現地の人を雇用して日本のODA実施を充実させていくという発想が大事だと思います。 |
●有田: | 広瀬さん、こうした課題提起を受けて、ODAはどういうふうな役割を果たしていくべきかとお考えでしょうか?
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●広瀬: | 3つくらい問題点があると思います。まず人員の問題、それから実施体制の問題、それから国造り、平和構築といった従来のODAの外にあるような新たな分野です。皆さんご指摘のように、実施体制が十分かといいますと、そんなことは客観的に見てもないわけです。人員の必要性については、我々自身ももちろん行政内部で訴えています。ただし、ここにおられる方はそんな意識ではないと思いますが、国民の皆様からアンケートを取りますと、世の中で一番要らないもののトップがODA、その次が公共事業となるそうです。これは我々のPR不足のせいかもしれませんし、外国にやってしまうというところがやはり怪しげだということかもしれません。ただし、国民のパーセプションというのでしょうか、変だと思っているところを全力で是正していかない限り、我々が如何に必要性を訴えても、なかなか是正できないと感じています。2点目は、ODA事業を統合する、基本法を作るというところに関わってくると思います。我々としては、そういう議論があることは勿論承知していますし、いろいろと考えたこともあります。私自身、消費者保護基本法というのを以前に担当して、何年間か経験したことがあります。消費者をいざ守ろうとして、何があるのかと言いますと、基本法というのは罰則規定もなければ予算措置もないし、体制整備についても何も書かれないのです。PL法を作る前段階までやっていたのですが、PL法を作ろうとしても何の助けにもならないのです。PL法を作るにあたって、消費者保護基本法を使えないのかといろいろ法律を検討しました。義務規定がない法律を論拠にそこから説き起こしていくのはほとんど不可能なのです。今の大綱に盛り込まれていることですら、基本法に盛り込むことはほとんど不可能となってしまいます。それが行政法の基本的な作り方なものですから、基本法がいかに役に立つかという点を論理的に整理していただきたいと思います。法律論を詰めた上で議論した方が良いと思います。同じことが統合論でも起こると思います。日本の行政組織では、ゼネラリストを養成して、非常に少ない行政官でやっていく。他国の実施機関、例えばUSAIDの人員は、我々よりも一桁多いですし、現地スタッフも同じくらいいるわけです。部門別の専門家、国別の専門家として養成しますと、専門家というのは深くは対応できますが、横の広がりは少ないので、多くの人員を必要とします。ODAの増額が不要だと考えている人が国民の半数以上おられることを踏まえたとき、10倍の人を雇って5千人とか1万人とかをこの分野に振り向けていただけるのかどうかというと、国論を起こさない限り議論ができないような気がいたします。
そういう観点からしますと、自分で良くする、自分の隣にいる国民の貧しさを改善しようという熱意がない国にいくらお金をつぎ込んでも無理だということではないでしょうか。そのことを踏まえて、我々がやっているのは、ODAの現地化を進めることです。大使館を中心に、JICAとかJBICといった実施機関を集め、そこにNGOの方も参加していただく。日本のNGOもありますし、国際的に活躍しているNGOにも入ってもらっています。それだけではなくて、毎月のペースですが、世界銀行やIMFとも国際的な調整会議をやっています。ODAは、ますます我々から遠いところで、現地でやるようになるのですが、現地に即したやり方を重視しながら、出来るだけインターネットなどを通じて、情報を国民の皆様に提供していこうと努力しています。現在の枠組み、国民の反対論、人員の制約などの下で、さっきから提起がありますが、実際に裨益する、利益を受け取る人達の意向を汲み取りながらやろうとしています。どれだけ効果があがるか、皆さんの意見もいただいて、今後、その成果というのを世に問うていくことになると思います。 |
●質問者A | ODAに関心があり、今日はすごく勉強になりました。素人的な質問になるかもしれないですけが、この大綱が施行されて、チェック機能がどうなっていくのか、具体的にどのように査定して、どういうふうにやっていくかということをお聞きしたいと思います。
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●質問者B |
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●有田 | お二人ともチェック機能、評価、査定の部分に関することだと思いますが、これは、広瀬さんにお願いしてよろしいでしょうか。
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●広瀬 | 端的にお伝えできるか分かりませんが、まず、相手との対話、あるいは、政策協議の話があると思います。相手国が体制を整え、我々ができることをお手伝いするというのがODAの基本ではないかと思います。国際機関も実際には同じ考え方だと思います。現在、その国の発展の度合い、経済状況、社会状況を考えた場合、こういうのが良いのではないかという国別の援助指針を作っています。先程、浅沼先生からご紹介がありましたが、多くの国についてこれを作りつつあります。査定の問題というのは、プロジェクト採択基準の問題だと思います。それについてはODA戦略会議で相談しながら、まず案をつくる。それをパブリックコメントに付して、皆さんのコメントをいただき、それから各国の政策当局と話をしながら、いったいどういう政策目標があるのかというのを確認しながら作っていきます。そうして採択された1個1個のプロジェクトが実施された後でどうなっているのかという評価についても、今では大きなものについては全件やっております。もう一つ、草の根無償というNGOの方々に参加してもらっているものがあります。NGOは、世界中で3千とか、1万5千くらいあるとか、いろいろと言われています。まちまちで、JICAよりも大きいOXFAMのようなNGOもありますし、このあいだ問題をおこした日本沙漠緑化実践協会のようなものまであります。その実施能力からお金の管理の問題までいろいろな点を一つ一つ評価しないといけません。第3者に内容のチェックをやってもらうように今変えております。そういった形で、大綱に盛られた現地化を進めながら、効率的に皆さんのコメントをいただき、また、ODA総合戦略会議などで専門家のコメントをいただきながら実施に移していくことを今始めております。全部の途上国でできるかどうか分かりませんが、必要な知恵を借りながら、できる限り、実施体制強化につながるようなものを作っているところです。
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●質問者C | タウンミーティングというのは広く市民に呼びかけることで、ODAのことを知っていただくという機会だと思うのですが、外務省のホームページには今回のことが載っていないのです(注:実際には掲載)。いろいろとやっておられるのに。やはり本当に知ってもらいたいと思うなら、基本的にホームページで公開すべきだと思います。それから、浅沼先生がおっしゃった「政府開発援助」ですが、ODAというのはOfficial Development Assistanceですから、「政府」とは限らないはずです。私たちが出した税金が使われているものであることをもっと意識するならば、Official Development Assistanceは「公的資金による開発支援」であるということをはっきりと謳わないといけないと思います。日本語の「政府開発援助」というネーミングはおかしいと思います。そうしないと、やはりODAが私たち市民から遊離したものになると思います。
それから、ODAの中には世銀だとか国連だとかへの資金協力が毎年あると思うのですが、この間も読売新聞に出ていましたが、国連に関して、日本は全体の19%の支援をしている。国連に19%も出しておいて、例えばユニセフのようなところは、民間でお金集めをしているわけです。これは二重取りだと僕は思っています。そういう意味で、19%も出しているのであれば、国連の中で意見をちゃんと言うべきであって、例えば世銀の中でどういったことが話されているのかということをちゃんと市民に対して公開するべきではないかと思います。 もう一つは費用対効果ということで、例えば、私は以前ベトナムにJICAや外務省の方と一緒にNGOのプロジェクト調査に行きました。すばらしいプロジェクトをやっておられたのですが、外務省やJICAの人に「これをODAでやったらどうなのか」と言ったら、「5倍かかります」とおっしゃったのです。同じアウトプットが出てくるのに5倍かかるというのは、おかしな話だと思います。安いからNGOにさせろということではないのですが、どれだけのインプットがあって、どれだけのアウトプットがあったのかという費用対効果をきちんとすべきだと思います。 |
●質問者D | 不思議なことにパネリストの方が全員男性です。男性と女性の役割分担ということもある程度あるのかもしれませんが、例えば、女性が参画する上での社会保障が十分なされているのか、男性主導でODAが行われた時に、現地でそれが生きたお金として使われているというチェックを本当にしっかりしていくことができるのか、現地の人とのコミュニケーションをとっていけるのかということに疑問があります。もう一つは、例えば累進制の課税制を人道支援目的で高額納税者主体に行うことを提案するなど、その辺まで踏み込んだ提案をなさっているのでしょうか。
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●有田 | 私のほうからお答えできる部分はお答えしたいと思います。まず、タウンミーティングの広報につきましては、外務省のホームページにアップさせていただいております。今日の意見をいただいたものも事後アップすることになっております。それから、パネリストの件ですが、私、主催者の一員として、別に女性、男性を区別して選んだわけではありません。今回の関西地域でこのタウンミーティングを開催するにあたって、外務省からお一人、ODA戦略会議委員からお一人、NGOからお一人、というか関西から本当はお一人だったのですが、私が強引にお二人にとお願いした。ふさわしいと思われる方をご提案させていただいておりますので、神田さん、片山さんも男、女ということに関係なく、選んでおります。但し、そのことと現地での女性の役割、ODA、NGOが開発に携わる意味とは視点が違うと思いますので、ご了承ください。
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●片山 | 費用対効果の問題は非常に重要ですが、実は、これはかなり急速に改善されていると思います。一例をあげますと、JICAの専門家です。一人送るとどのくらいかかると思いますか。3000万円です。現地のNGOを使うとたぶん数百万円で済むのですが、省庁が専門家派遣を既得権益化しているのです。各省庁から派遣される場合は、JICAの専門家といっても殆ど現地を知らないのです。こうした問題点はほとんどの人が認識していまして、JICAはいま急速に長期専門家派遣を減らしつつあります。どうしても必要であれば、公募ベースでやるとか、短期でやっていくとかしています。さらに、現地のローカル・リソースをもっと活用するということも現在行っています。まだ、日本はこうした方法にあまり慣れていないため、必ずしも成果が大きくありませんが。他方、ローカル・リソース活用は、いいことずくめかというと、必ずしもそうではありません。専門家も出さないで、現地が全部やって、オーナーシップも向こうで、それで日本はお金を出すだけで良いのかという根本的な問題に突き当たります。この問題まだ解けていないのですが、少なくともかなり改善されていくと思います。
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●有田 | ODAのネーミングの問題がありますが、浅沼さん、お答えいただけますか。
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●浅沼 | そう呼ばれてきたのです。ODAのOfficialというのは、やはり「公的資金を使って」ではなくて、「公的な部門が行う」という意味で今まで使われてきましたから、翻訳すれば、「政府」でも良いのではないでしょうか。もっと重要な問題というのは、ODAとNGOの両方が途上国の平和と繁栄に貢献できる、完全に両方なければならないという点です。しかも、それぞれ特徴がありますから、ある種の役割分担みたいなものが自然発生的に出てくるだろう、その上で、両者の協調や協働があっても良いだろうと思います。
一つ例を挙げます。実は、日本も参画しているのですが、バングラデシュは大変洪水の多いところで、一年で何千人という人が洪水のせいで死んでしまう時もあります。それを解決するための堤防工事なのですが、堤防工事をやったときに、ああいう平べったい国では農民を移住させなければいけない。移住の時の補償と新しい場所を探したりするのはいったいどうやってやるのだということが問題になったのです。これは公的な機関がやっても、なかなかうまくいかない。バングラデシュ政府に任せておいても、政治や腐敗の問題があってうまくいかない。堤防を改修するという噂が出ただけで、人が押し寄せて小屋を建ててしまうのです。小屋なのですが、書類を見てみると、邸宅(Villa)とある。そのVillaの補償をいくら出せというふうなものが押し寄せてきます。私が関与して考えたのは、バングラデシュをよく知っているNGOに一体どのくらいの補償が必要で何をしないといけないかをまず調べてもらうということです。その上で、実際に出すお金もNGOに配ってくださいと頼む。NGOがその地域を知っていれば、どこに貧困家庭があり、誰が本当に影響を受けたのか分かるでしょうということで頼んでやりました。そういうふうに分業体制、棲み分けがあり、かつ協働があると思うのです。 日本の援助は箱モノばっかり作ってぜんぜんフォローされていないと話がありましたが、そういうケースもいくつかはあります。ODA大綱の3ページ目に「立案及び実施体制」というところがあります。この中の「一貫性のある援助政策の立案」とあるところの第2パラグラフに、「ソフト、ハード、両面のバランスに留意しつつ、これらの有機的な連携を図るとともに」という何かちょっと訳のわからない言葉があります。この意味するところは、申しましたように、インフラというのは箱モノでもなければ、道路工事でもない。実際にインフラを構築するとなりますと、最も典型的な箱モノと考えられる電力を例にとっても、どれくらいの需要があるか、どういうふうに供給していくか、水力でやるのか、火力でやるのか、火力であるときには、どのエネルギー源を使うのか、電源開発は別会社でやるのか、送電はどういうふうにするのだ、配電はどういう体制でやるのか、民間部門が参加して発電事業ができるようにするのかといった一連の作業があるのです。その作業の一番最後に、「それでは、ここに火力発電所を造りましょう」という箱モノの話が出てくるのです。ここで述べられていることは、出来る限り最初から最後まで、一緒に途上国政府とみていきましょうという話なのです。 そこでの問題点というのは多々ありますが、一つの大きな問題点は、先程、広瀬さんがおっしゃったように、実施機関の人間が足りないというところなのです。個人的には、援助予算を減らしてでも、実施体制に貼りつける人間、特にさっき言いましたような、AからZまで関与したり、支援したりできる人間をぜひ増やしてほしいと考えておりますが、これは、今の日本の政府の体制などから言って、難しい問題であると思います。これは広瀬さんも指摘された通りです。 |
●質問者E | 「平和の構築」ということでお話があったと思うのですが、平和とはどういう社会、どういう状況が平和であって、そのためには、具体的にどういうことをしていくのかということをお聞きしたいのですが。私は、平和というのは「世界中の人々の人権が守られる状態」だと思うのです。そのためには、どうしていけば良いか。アムネスティは世界人権宣言を実現していこう、そういう世界を作っていこうというポリシーをもって活動している。それで、外務省としては、平和とは具体的にどのようなもので、、具体的にどういうことを行っているのかということをお聞きしたいと思います。
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●広瀬 | 平和にはいろいろな段階があり、いろいろな定義があると思います。現在の時点での平和というのは、少なくとも基本的な人権が守られ、繁栄への道筋が整っている状況であると考えています。アフガニスタンなどで具体的に進めているわけですが、紛争後の社会を、住んでいけるような国にするために、紛争当事者の武装解除をし、社会に復帰させ、行政機構を作りあげ、雇用も確保していく。そこから、人間の安全保障が保たれ、その上に経済活動が付いていって、発展への道筋が確保されていくというのが我々の考えかたです。カンボジア、東ティモール、アチェ、スリランカといったところでも同じようなかたちで、国際的な枠組みの中で、例えばノルウェー政府と一緒に相手国や紛争の当事者も交えながら、ODAという触媒を使って、基本的な人権を実現し、その後に経済メカニズムが入ってくるといったことをやっているのが現状です。
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●質問者F | 本日は良くも悪くも興味深い話をたくさんうかがえて、今後ODAのことをウォッチしていこうですとか、いろいろと意見を言っていきたいとか、前向きな感想を持たれた方が多かったと思うのですが、どういうふうに政策のプロセスに参加していけるのかということについて、ODAマニアとしてご活躍されている神田さんにサジェスチョンを伺いたいと思います。
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●質問者G | これだけの予算があって何で大綱なのか、もう法律で良いではないかと思うのですけが、これだけの予算があって、何故基本法ができないのでしょうか。それから、ちゃんと国会で議論がされたのかと思います。国会議員というのは、私たちの代表なわけで、その場で議論がなくて、これだけのものがこれだけの期間で出来てしまうというのはどうかなと思います。
先程、ホームページの質問がありましたが、たぶんトップ・ページに来ていないのだと思います。外務省のホームページに行って、それからODA大綱のところに行って、そうしたら載っているのではないかと思うのです。トップページにあると、まだ言い訳は立つと思うのですが、1回見て、また見て、そしてODA大綱のページを見るなんていう人は、それ程いないのではないかなと思うので、出来ればトップページに「こんなのやりますよ」というのをきちんと出していただければ、もうちょっと国民参加につながるのではないかなと思ってます。 |
●有田 | 神田さんと広瀬さんにお答えいただくのがよいのかと思います。政策プロセスへの参加、今後の改定、動きへの参画ということと、大綱と法律の違いとその必要性について、簡潔にお願いいたます。
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●神田 | 大分前に質問された方もコミュニケーションということで問題提起されていましたが、それともつながる話かと思います。これもマニア側の、マニアと自認する必要はないのですが、責任かもしれません。きちんとした情報発信ができてないということがあるのかもしれません。実は、外務省とNGOの定期協議が96年に始まったのを皮切りに、外務省、財務省、JICA、JBICという2つの省と2つの実施機関とNGOとの間で会合が定期的に行われているのです。JICAとの定期協議以外はすべてオープンですから、誰でも参加しようと思えば出来るのです。外務省のホームページにも出ているのですが、どこを見たら良いか分からないということがあると思います。関西ですと「関西NGO協議会」というNGOネットワークのホームページなんかでチェックしていただけるのですが、外務省とのものは、年3回ずつODA政策協議会と連携推進委員会というNGOがODAをどう使うかというテーマを議論する場の2つの分科会に分かれてやっております。それに加えて全体会を年2回することになっておりますので、合計8回、そういうチャンスがあるのです。財務省に関しては、ホームページに載せてないので、財務省と話をしているのですが、現在のところ、「『環境持続社会』研究センター」というNGOのホームページに何月何日に行われますということが出ております。それから、JICA、JBICはそれぞれのホームページにありますし、JBICは各地で開催しておられます。こうした会合は殆ど東京でやっており、そのことが、大阪からの参加を難しくしているのですが、JBICの場合には、各地での開催に尽力されてます。それから過去に財務省やJBICが行ったことがあるのですが、テレビ回線を使って、各地から参加するというようなことを試みたりしています。 私たちもそうしたところをオープンにして参加できるスペースを広げていこうと折衝しているのですが、如何せんそういう時に、例えば、JBICからは、「せっかく大阪から参加できるようにしたのに、3人しか大阪から参加してへん、おまけに、1人はずっと居眠りしているし」とか言われたりしています。勿論、そんなこと知らないよという人が多いから、仕方がないのですが。僕も外務省のホームページというのはめったに見ません。そんなに見るわけではないですが、たまに見ていると出ている情報もあります。あるいはNGOとホームページをリンクして情報交換をしていくというのも大事ではないかなと思っています。それから、外務省でもJICAでも、ものすごくわかりにくいところにありますが、「みなさまのご意見をお寄せください」というコーナーがホームページにあります。それこそODAのトップ・ページにもってこいよという話かもしれませんが、こういうところに寄せられるいろいろなご意見に対して、外務省のほうで改善されればなと思います。 |
●広瀬 | 若干補足させていただきますと、政策に参加する一番オーソドックスな方法は、公務員に応募することです。ぜひ、我々の中に新しい血を注ぎ込んでください。それともう一つ、大綱と法律ですが、法律については、典型的なものでは「当面の間」といって50年間続いている法律があります。「当面の間、こういう特別措置を認める」といいながら、50年間続いているものがあります。そのように、余程の事情がない限り変わらないというのが日本の法律です。行政法であれ、基本法であれ、六法に関わるものであれ、余程のことがないと修正されない。ODAのように5年とか10年、あるいは極端な場合には1、2年で変わるものを法律で縛って、かつ、与野党の対立法案ですとほとんど成立しない。先程、神田さんからもご紹介がありましたが、ODAは総選挙でも争点になっていない。そういったことを考えますと、法律にして50年もつものであれば良いんですが、世界の変化はもっと激しいものですから、私は今のところ大綱のほうが良いのではないかと思っております。
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●有田 | 多分、皆さんまだまだご質問があるかとは思いますが、終了の時間が迫ってまいりましたので、最後にパネリストの方々から、本日のタウンミーティングのご感想を一言ずつお願いしたいと思います。
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●片山 | 大体申し上げたいことは言いました。先程質問で出た平和のことですが、これは概念的には広瀬さんが大変上手にお答えになったと思いますが、具体的に私どもが考えているのは次のようなことです。イスラム紛争の根源は何かというと、2つ説があると思います。1つは、宗教的なアイデンティティが深くあるという説。もう1つは、富の分配の不平等とか、貧困とか、重要な政治経済の政策決定過程から住民や特定の人々が排除されていることが根底にあるのではないかという説です。宗教的な「聖」、「俗」で言うと、一つ目は「聖」の部分に属する議論であり、二つ目は「俗」に属するもので、フィリピンの場合では、後者が理由であるということでイスラムの人々も含めて殆どの意見が一致しているのです。宗教的なアイデンティティの問題であれば、解決は非常に難しいのですが、少なくとも貧困の問題や大事な政策決定から少数民族が排除されている問題であれば、何とかできるかもしれないと思っています。平和とか宗教とかを大上段に構えるのではなくて、基本的には、発展途上国の少数グループが富の分配において不平等を受けたり、大事な政治決定に参加できないことを何とかしようということで、具体的には、自治政府や自治体が、住民が一番必要としているサービスを最低限供給できるのか、そのために官と民がどうやって協力できるのかということを考えております。
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●神田 | 先程宣伝するのを忘れていました。「どうやったら参加できるねん。なかなか参加できないではないか」と思われるかもしれませんが、ODA改革ネットワーク世話人という肩書きをつけてもらっています。ODA改革ネットワークは、東京、名古屋、京都、福岡にそれぞれ活動拠点があり、ODA改革ネットワーク関西は京都に拠点を持っていますが、隔月で大阪で例会を開いて、いろいろな定期協議で議論がされたことをNGOなりに纏めたかたちで報告させていただいておりますので、ご関心をお持ちの方がいらっしゃれば、声をかけてください。それから、関西NGO協議会と共催で、隔月で勉強会を開いています。そんなことで僕なんかも意見が違うところは多々あるのですが、ODAに対する理解が促進されないことには、ODAが良いものになっていかないと思っていますので、ODAに関してしつこく、粘り強くやっていこうと思っています。奇しくも今日、外務省から配られたODA広報パンフレットの一番後ろに日本のODAの成功例として書かれている事業というのが、実は、私が一番最初に関わったODAプロジェクトで、このプロジェクトの失敗をもって、私はNGOに転じようと思ったのです。見方が違うと、こうも違うのかと思わされる事業というのが、このキリマンジャロの米作りに現われていると思います。その辺りも含めて、見方は違うが、多様な見方を取り入れていって、セクターを超えて協働し合うことこそが、ODAに限らず、いろいろな公共政策が充実していく鍵かと思われますので、これからもよろしくお願いいたします。
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●浅沼 | 今日、皆さんからの質問をうかがっていて、ODAを理解していただくのは大変だなと感じました。ODAは神田さんもおっしゃったように決して無用の長物ではなくて、我々みんながその利益を、日本にいる住民として受けていると思います。最も卑近な例を挙げれば、やはり食物の中に途上国で生産されたものがどれ程多いかということを考えても分かりますし、我々が日頃使っている電化製品にしてもその通りなのです。まさに、途上国の平和と繁栄のもとで出来たものを我々は享受していると考えて良いと思います。しかし、翻って、どうしてそんなに理解されないんだろうと考えますと、途上国の平和と繁栄を目的として政策をとったときに、どうしても効果が間接的に出てくる。手段自体が間接的で、玉突き的な効果を主眼としているところに理解されない理由があるのではないかと思うのです。その点は、よく理解していただきたいと思うのです。例を挙げます。これは中国の古典に出てくる言葉らしいのですが、「貧乏な家族に一匹の魚を与えれば、その家族は一晩、一日食べられるだろう。但し、その魚の代わりにつり竿を与えて、つり方を教えたら、多分一生おかずに困らないだろう」という話です。それで、どっちが良いんだという話になるわけです。これは、先程の費用対効果の問題でもあるわけですが、ODAというのは、長期の持続的な経済成長をベースにして途上国の平和と繁栄を図ろうというわけですから、やはり竿ということになるわけです。つり竿ということになると、これは間接効果なので、「貧乏で腹空かすかせている人がいるのだから、魚をやろうよ」という意見が多くなってくるのは当然です。しかし、そうではなくて、間接効果なのだということを強調したいわけです。昨今、アフリカなんかで内戦が起こって、その結果、飢饉が起こることがある。飢饉を見ますと、たいていの人は食糧を与えようということになってくる。そこにも間接効果があって、食糧援助をちゃんと考えなければ、その国の農業の発展が抑えられてしまうという効果があるわけです。そこで、よく考えると、緊急には食糧が必要かもしれないけど、これを常に食糧援助をやっていてはいけないな、策を考えなければならないなということになります。そういうことを全部考えた上で、ODAを効果的なものにしていかなければならない。そういう意味で、やはりODAの原資はタックス・ペイヤー(納税者)から来るわけですから、皆さんの理解も大いに得たいなと思います。
それからもう一つ。ODAは納税者のお金で行われるのですが、そこで注意しなければいけないことは、ともすれば、先進国の納税者の意向があまりにも強く反映されすぎることにです。、我々の意見をあまりに過大も押し付けてしまう、お前のところはこれでは駄目だ、こういうふうにしろという押し付けになってしまうところが心配なのです。そこで、ODAの総合戦略会議のメンバーとして私が心したいと思うのは、ODAを総合的に見て、10年、20年のスパンで見たときに、どんな効果があるのだろう、どういう影響があるのだろうと考えること、それから、途上国の、住民と言わずに、経済は一体なにを必要としているのだろうかという真のODAニーズを見極めていきたいことです。その点でも皆さんの理解と協力をお願いしたいと思います。 |
●広瀬 | 私のほうからは一言だけ。ODAについて議論をしていただきたい、関心を持ちつづけていただきたいということです。議論を続けていくことで良いこと、悪いことが分かると思います。関心を失った時点で政策は殆ど崩壊していくと思います。今後ともいろいろなご意見を拝聴できればと思います。どうもありがとうございました。
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●有田 | どうもありがとうございました。 |