平成14年6月11日
1.日時: | 5月31日(金)18時30分より20時30分まで |
2.場所: | 名古屋国際センター |
3.出席者: |
●司会: ・町永 俊雄 (NHK名古屋放送局アナウンサー) ●パネラー: ・榎田 勝利 (愛知淑徳大学文化創造学部多元文化専攻教授) ・佐藤 光 ((財)アジア保健研修財団(AHI)事務局長) ●第2次ODA改革懇談会委員: ・荒木 光弥 (国際開発ジャーナル社編集長) ●外務省: ・滑川 雅士 (外務省経済協力局審議官) ●聴衆: 約220名 |
4.議事概要: | 以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんのであらかじめ御留意ください。) |
●司会 (町永アナウンサー) | : |
![]() 最初にODA改革懇談会で議論されたこと、その意義につき懇談会メンバーの荒木編集長にポイントを御説明願いたい。 |
●荒木編集長 | : | 第二次ODA改革懇談会は本年三月末に最終報告書を外務大臣に提出した。懇談会の中では、同時多発テロの勃発を契機にテロと援助の関係について考えさせられた。また、この春には政治家の不当な介入につき問題になったが、これを契機にこのような介入のない仕組みを持つ、国民の目から見てわかるODAとはどうあるべきか等について議論した。また、従来政府主導で実施されてきたODAを国民のもとで実施するものとしていく、或いはどのようにして多くの人達にODAに参加してもらうか、日本全体にとってODAがどういう意味をなすのか、市民参加型の援助(自分は「国民」よりは「市民」という言葉の方がふさわしいと思う)をどのように推進していくかについても議論した。従来政府が専ら実施主体となってきたODAを可能な限り市民の手に渡すべきというのが本懇談会のスタンスであり、ODAが市民をバックアップするものとして、日本国民の利益のために、被援助国国民の幸せのためとなることが必要である。また、財政逼迫の中、予算を倹約、節約して効率的に行う厳しい実施体制を構築するとともに、国民への支持を得るためにも透明性を確保することが必要である。
|
●司会 | : | この報告書を外務省としてはどのように受け止めているのか。
|
●滑川審議官 | : | 世論のODAに対する厳しい意見を聴き、当省としても非常に厳しい挑戦に直面していると考えている。報告書はこうした中で国民参加、透明性、効率性について貴重な提言を頂いた。90年代までのODAは量的拡大に重点が置かれたために実施側も足腰が伸びきっている状態となり、ODAへの理解、参加を求めると言った余裕が持てなかった面もあると思う。効率的な援助を行わなければならないことはいうまでもないが、改めて援助国被援助国双方が納得できるような効果的なODAをどのように進めて行くべきか考えていく必要があると思う。なお、こういうことを言うこと自体おかしいのかもしれないが、従来の役所の懇談会では役人が作ったものを御了承頂くものだったのが、今般の第二次ODA改革懇談会の最終報告書は委員の皆さんが分担して執筆して下さったものである。今後は役所や実施機関だけではなく、幅広い分野の方々が参画していく中でODAが進められていくようになるのではないだろうか。こうした意味でもこのタウンミーティングの中では忌憚なく議論して欲しい。
|
●司会 | : | この報告書で着目すべきポイントはどこであると考えるか。
|
●佐藤事務局長 | : | 「国民参加のODA」というフレーズに着目しているが、国民参加の意味合いがどこにあるのか、具体的にどの態様の参加が求められているのか、現場だけではなく政策立案までの参加を意味するのかにつき考えた。国民参加のメカニズムをどうするかということこそが重要であると考える。
|
●司会 | : | 国民参加をどのように担保していくのか。
|
●荒木 | : | ODA総合戦略会議を常設機関として設立し、各界各層がメンバーとなり、メンバーとなるNGO、自治体等各界の意見を反映させることが想定されている。また、戦略会議の議論の内容も情報公開をして行くことが必要である。もう一つの方途はODAとNGOが連携するスキームをJICAベースのものを中心にいろいろと構築することである。既存のあらゆるODAスキームにつき、NGOとの連携の可能性を探求していくことで新たな展開が見えるのではなかろうか。
|
●司会 | : | 国民参加への体制・組織を構築していくことは重要であるが、これを一般市民の実際の参加へどう繋いでいくか、具体的にいえば一般の方が日常生活と開発途上国の問題の克服が結果的に我々の生活を豊かにしていくことの連関性を実感するところまで持っていくことは、大変難しいのではなかろうか。
|
●佐藤 | : | まず戦略会議内で何が話されているか示されることが必要である。
|
●榎田教授 | : | 現在はODAが市民やNGOに近づかざるを得ない状況にある。これは外交が外務省の専権事項だったものが市民、国民の協力なしに行えないものへと変容しているためである。日頃住民、市民レヴェルのユニットで考えている自分にとっては「国民参加」という言葉には戦中の総動員制のように聞こえ違和感を覚える面がある。もうひとつは市民、NGOに近づくと強調される中では、従来インフラ中心のODAだったものを、NGOの潜在能力を活用しつつどのように進めるかというODA改革案が示されるのであれば、望ましいのではなかろうか。
|
●荒木 | : | 冷戦時代には強い政府を作ることが至上命令で、市民レヴェルで考えることがないがしろにされてきた。草の根レベルで途上国の人々の考えを汲み取っていくようなNGOの意見は重要であり、今後は好むと好まざるとに関係なくODA実施にあたってはNGOと提携せざるを得ないのではないか。
|
●佐藤 | : | 今までの議論は日本の中で政府と市民、NGOがどう連携していくかというレヴェルに留まっている。しかしながらイメージを少し拡げると、途上国への協力の本質は他者に対するお節介であり、先方にも政府、市民、NGO等様々な立場の方がおり、日本のNGOもODAも途上国への協力の現場での、たくさんいるアクターの一人であり、異なる立場の人々との提携、協議、対話、調整をしていく中で、やはり途上国の人の思いを汲み取ることをまず念頭に置く必要がある。このような視点がなければ、ただ日本側だけの独り善がりな提携や喧嘩となるのみである。NGOとしては市民の立場からどのように関わっていくかを考えていくものである。
|
●司会 | : | かかる立場のNGOがどのようにODAと結びつくべきと考えるか。
|
●佐藤 | : | 得意分野に応じて、対等な立場での棲み分けが必要だと考える。やはり政府とNGOでは得意分野が違うということである。NGOがインフラ整備を行うことはできないし、目の前にいる人一人、村一つを救うと言うことは場合によってはありえるかもしれないが、やはり政府のやる援助とは違う。自分の組織では日頃よりJICA中部国際センターとも協力してプロジェクトを実施しているが、かかる協力を通じて規模が大きくなるに伴い、自分たちだけで小規模で行っていたときに生じたデメリットが薄まる。やれるところでローカルレベルでの協力を行い、政策レヴェルの助言を行うことが出来るのではないか、またその際にどちらが上かと言ったような序列を付けるべきではないのではないかと考える。 自分たちの活動は、被援助国の保健社会福祉団体のリーダー職員を受け入れ、トレーニングを行っている。技術的な研修ではなく、リーダーとしてどうすればいいのか経験をシェアするということである。 |
●司会 | : | 佐藤事務局長が実際に行っている人材育成分野でのODAとはどういう形で結びつくのがよいと考えるか。
|
●佐藤 | : | 人材育成の分野は一挙に大量人数を行うことが出来ないため、一回の研修にも巨額の予算を必要とせず、むしろ息の長い形のトレーニングが必要である。現在JICAの委託によりミンダナオ島の人々10人程度が研修に来ているが、NGOであれ、JICAであれ、人材育成の分野では一度に大きなプロジェクトを行うことは必要でなくなってくるのではなかろうか。
|
●司会 | : | NGO側では企業との連携等を既に行っているが、ODAとNGOがどのように結びついていくべきかということはなかなか見えてこない。この点榎田教授はどのようにお考えか。
|
●榎田 | : | 棲み分けも重要だが、それよりも対話が必要であり、現在外務省でも対話の方途を模索していると承知しているが、未だその点不十分であると考える。NGOは単一のテーマに専念するところにきめ細やかさ、柔軟さといったメリットを有するが、ODAは大きなところから網をかけるといった、役割分担と言うよりは得意分野というものがある。日本のNGOは財政基盤、運営基盤、人材、アカウンタビリティーのための予算が不足しているという問題がある。 NGOが強化されるポイントは優秀な人材を集められるかどうかであるが、日本の場合は特にボランティアスピリットと使命感が求められるが、生活基盤なしでは持たない。かような組織基盤の強化のためにも、どのようにして行政府から資金を調達するかが問題となるが、日本では行政が資金をNGOに供与する際には「金を出すけれど口も出す」が、これを行政が「金を出すけれど口は出さない」、すなわち市民が決める関係をどう作れるかがポイントである。北米においては、NGOの事業活動資金の1/3が政府補助金により賄われている一方で、その活動は非常に自立的に行われていると承知しているが、何故日本でそれが出来ないかという問題がある。財政的な問題としては、政府とは別途第三者機関を設立し、国(政府)そのものは専ら予算の支弁のみを行い、事業の適否を判断は右機関に任せるというシステムが出来ないか。 |
●荒木 | : | カナダではODAの実施は4つの財団がNGOと協議して実施立案に参画しており、そのプロセスには行政は介在していない。米国も同様のシステムを有すると承知しており、日本は政府がやりすぎている感を受ける。官主導の従来のシステムから民間側に立った財団を設立して、NGOと対話するチャンネルを作るべきではなかろうか。
|
●司会 | : | 政府とNGOの棲み分けについて、現地に詳しいNGOとどのような関わり合いを持っていくべきと外務省は考えているのか。
|
●滑川 | : | NGOとはつかず離れずといった大人の関係を構築していきたいと考える。というのもNGOはそれぞれ異なる立場で仕事をしており、政府との連携を求めるNGOもいれば、自立して活動していきたいと考えるNGOもいる。政府との関係の違いに関わらず、意見交換も協力も必要なときに冷静に、建設的に議論が出来る関係を構築する必要があると考える。以前川口大臣とNGOとの関係につき議論した際にも、大臣より米国においては政府の意見に反対するNGOを半分入れる旨述べるところがあったが、いずれにせよ役所の考え方に賛成するNGOだけに限ることなく、そのときそのときにきちっとした議論・相談が出来る関係を早く作っていきたい。
|
●司会 | : | 従来は対話が足りなかった、NGOとの関係も不信が前提としてあったのではないか。
|
●滑川 | : | 対話を進めてきたつもりではあるが、不十分だった面もあると思う。NGOも随分たくさんあるのでどういう形で対話すればいいか考える必要があるが、例えば本年はNGOの方々とのタウンミーティングをすることも検討している。政府との協力を求めるNGOとは引き続き協力関係を維持し、それ以外のNGOとの対話も、勿論無理に参加を求めるものではないが、続けていきたい。
|
●司会 | : | ODAを取り巻く環境で最も変容したこととして、財政状況の悪化が挙げられるが、不景気の中で何故日本が援助を続けるかにつき、「参加」というのが一つの説得材料かと考えられるが、この点において懇談会の場ではどのような議論がされたのか。
|
●荒木 | : | ODAの必要性を考える場合に、国益に資さなければならないといわれることが多いが、それでは国益とは何かにつき随分と懇談会の中でも議論された。国益には経済的な利益を中心とした見える国益の他に、見えない国益、すなわちODAが場合によって日本人、特に若い人にありようにつき方向性を提示しているのであれば、長期的に日本人を発展させる国益、重要な役割ではなかろうかという議論があった。
|
●司会 | : | ODAが援助する側にも役に立つという今の意見について、実体験も踏まえて援助することをどのように捉えるか。
|
●佐藤 | : | 若い人に役に立つODAそのこと自体には反対するものではないが、その前に現実がどうなっているのか、即ち日本のODAの現状や使われ方、NGOがやっていること、相手の国が何を考えているかをしっかり見て、考えることが、若い人を含めて生き甲斐や大事なことを見つけることにつながる実教育となるのではないか。これらを抜きにして唐突に若い人の生き甲斐作りにつき論じるのは飛躍的に過ぎるのではなかろうか。
|
●司会 | : | ODAの課題として今指摘されたの問題点を踏まえた上でどのような点があるか。
|
●荒木 | : | 「外務省の10の改革」でも指摘されている通り不当な政治家による介入についても問題になっているが、介入する余地がどこにあり、介入できない仕組みをどのように作るのかが懇談会の大きな課題であった。具体的にはプロジェクトの決定プロセスが本当に国民のためになるのかどうか、有識者が公正に関与するシステムができないか議論した。従来は概して右の決定プロセスが密室で行われてきた感があり、密室であるが故に政治家の不当な介入を招いてきたのではとの考えから、幅広い専門家にかかるプロセスに参加してもらい透明性を高めることができないかと考えた。これは大変なことかもしれないが、これをやらなければ国民の支持を得ることが出来なくなるのではなかろうか。また、評価制度についても政府のお手盛りではなく、市民、NGOが参加するものとしてより透明性を高めていかなければならない。
|
●佐藤 | : | 先程の青年層への教育の関係でいえば、大学等でただの練習ではなく、日本の援助の評価をどうするかについて細かいところまで真剣に検討することが必要になるのではなかろうか。
|
●司会 | : | 例えばインターネットのホームページには、ODAに関する情報が相当細かく掲載されているが、これらのデータ等が見える国益、見えない国益とどうつながっているのだろうか。
|
●榎田 | : | ODAや国際協力の一つの側面として、日本は非軍事的な国際貢献をするということが、日本の外交上の大きな国益と言える。非軍事的な国際貢献の中でも最も規模の大きなものがODAであり、だからこそ評価、成果とか透明性が重要になってくるのではなかろうか。もう一つは、中央政府とは別に国民側も大きく変化しており、世界がグローバル化する中でシビルソサエティーの形成が国境を越えた形で動き始めている。日本も遅蒔きながらその中に入ってきているが、そういう意識の中で地球的規模の問題に対して国民一人一人が自分たちの責任を意識し認識してきているというのが大きい。市民のODAに対する目、政府の政策に対してもしっかりした目を向けるようになりつつあると言えるのではないか。 自分は学生と様々な活動をしているが、多くの学生が小中学校でODAとか開発教育につき聞いていたら、考え方が変わっていただろうと言っている。また、ある学生が小中学校で協力隊出身の教諭に習った影響で考え方が変わったといっていた。開発教育、国際理解教育が具体的に教えられるようなカリキュラムがあれば変わると考えられるが、現状では大学に上がって初めてODAにつき知るという学生が大半である。自分のクラスでは学年の頭にアンケートを取るが、外務省のおかげでNGOの知名度は上がっているが、ODAについて知らないのが大半というのが現状である。 8割の学生がボランティアに関心を有するがきっかけがあればやるものの、自分から積極的にはやらない。このような潜在的に関心を有する層を誰が掘り起こし活動に繋いでいくのか、どう橋渡しをしていくかにつき議論がされていない。外務省ですらJICAには地方支部があるものの、中央と地方を繋ぐ術を持たないのが現状である。 |
●佐藤 | : | 20年前に活動を始めたときは、アジアの人々のお手伝いするために始めたが、世話をしようとした人々から自分たちのことはいいから貴方の国のことを考えてくれ、すなわち自国政府に言うべきことを言ってくれといわれる。そのときから開発教育、自国とアジアの国の関係、歴史的経緯を理解し、その中で何が出来るかということに留意してきた。活動を続けていてもこの会場に来られているような元々興味のある方は少ないので、問題意識を持っていただくことは難しい。
|
●榎田 | : | 若者の話に戻れば、彼らは概して短期決戦型で、国際理解教育を施すにはどうすれば効果的かと考えると、外国人との交流、スタディーツアーへの参加、即ちリアクションが目に見えるものへの参加を好む傾向がある。また、目に見えるものへの参加を好み、また大人社会に対する不信からか、大人が企画したこのような講演会への参加には関心を有さない一方、自分たちが企画したものには関心を寄せる傾向にある。
|
●荒木 | : | ODAは国民協力の一部に過ぎず、日本の社会全体に、NPO、第三セクターを介在させる必要があると考えられる。市民社会の中で政府をチェックすることで民主主義を軌道に乗せていくものである。国際NGOはこれらの役割を担うNGO、NPOの一つであり、社会全体と言うよりはアジア地域との関係をどうするかといったような一部の役割を担うに過ぎない。
若者文化で驚嘆させられるのは、韓国や上海等他のアジア地域に歌やファッション等の日本文化が流入し、コミュニケートし受け入れられていることである。このようなフレッシュな文化交流がベースとなってODAが華を開くことになればと考える。 |
●滑川 | : | 御指摘の通り、ODAに対する理解がまず重要であると考える。既に実施されているODA民間モニター、本年度より開始される学生向けのスタディーツアーを通じてODAへの理解促進を実現していきたいと考える。ここ20年間で外国との関係は民間企業の駐在員、増大する旅行者等その幅が広まっている。このような中いわゆるODAリテラシーについても高まりが期待される中、外務省としても情報公開を進める、或いはNGOとの対話を進めていく、さらにODAの現場を見ていただくといったことを通じて、御指摘のあったいわゆる入り口の部分の問題を解決する、或いは緩和することが出来るのではなかろうかと、今回様々な意見を伺って痛感したところである。
|
●質問者A | : | JICA国際協力専門員である教授がホームページの中で対中援助につき疑問を述べている。具体的には第三国に援助する中国に援助を実施するのはいかがなものか。
|
●滑川 | : | 中国経済インフラ整備の相当部分を日本がサポートすることによって、中国の改革開放路線が進み、世界経済の中に加わってきたというように対中協力が評価される面もある。国境を越えた環境問題などを考えると支援継続は必要との認識はあるが、援助の方法自体は中国の経済発展の現状に合うよう改善する必要がある。例えば、沿岸部から内陸部に援助の重点を移行していく、環境問題への援助は引き続き必要といった認識の下、2001年に対中国援助計画を策定し、対中援助を見直し、新しい方向付けをした。必要なことはサポートし、自分で出来ることは自分でやってもらうという考えを基本としている。実際2001年度は環境や人材育成を中心とし支援総額を減少した。
|
●荒木 | : | 対中援助は贈与と借款があるが、借款の原資は郵貯等。返済義務を有する円借款が対中援助全体の9割を占める一方、一般的に中国人は借款を援助との認識が薄い。もう一つは国交正常化の際、円借款が言外で賠償の一部という考え方もあり、早い段階で見直しをすれば良かったが、タイミングを逸してしまった。これからの対中援助は、日中両国民の関係をサポートするというニュアンスを全面に出すべきである。戦前の負の遺産につき借款と絡めていわれることないようにすべきではないか。
|
●質問者B | : |
我が国は核保有国にODAを一切やめるべきではないのではないか。
|
●滑川 | : |
ODA実施の指針は、ODA大綱に書かれており、その中に軍事目的に使わない等の考え方が示されている。核の問題について言えば、インド・パキスタンが核実験を行ったときにODAの実施を制限したことがあった。しかしながら、核兵器の保有については国際社会で様々な考え方があり、核保有とODAの実施とを直接対応させるという考え方は取っていない。
|
●質問者C | : | ![]() |
●佐藤 | : |
大使館のみならず外部の人にもこのようなことが起こらないようにどう変えていくのか考えていくことが重要なのではなかろうか。
|
●榎田 | : |
国内で、被援助国でどこまで意見を吸い上げるかということは難しい問題である。わずか5000人の外務省員のみで援助のきめ細かいチェックをすることは不可能である。外部も含めて十分チェックする体制を構築する必要がある。
|
●司会 | : |
かようなケースについては、政府としては当然反省すべきであるが、これらの問題を外務省、大使館限りの問題ではなく、我々自身の問題として考えなければならないところが難しい。
|
●荒木 | : |
今の質問での御指摘のケースに類似した話は度々耳にするものであり、これらについて反省していかなければならない。時代をさかのぼれば当初輸出振興が目的だった日本のODAは高度成長時代に寄与してきたが、他方でフィリピンのマルコス疑惑のようなケースがあったのは事実であり、これは日本政府ばかりではなく、リベートを供与していた日本企業にも問題があったことも事実である。今後はかかるケースへの反省を踏まえ、透明性を高めていくためのシステムを構築していく必要がある。
|
●質問者D | : | ![]() |
●榎田 | : |
技術移転はすでに実施されているが、現在問題なのは文化協力の方であって、残念ながら国内の偏見などが原因で日本を嫌いになって帰る留学生も少なくないと聴く。ODAを文化戦略的な観点から考えることも必要ではなかろうか。
|
●質問者E | : |
報告書の中にODA総合戦略会議の設置につき記載があるが、どういう目的で、どのような内容のものなのか具体的内容について御教示願いたい。また、報告書にはNGOの能力形成に寄与する旨も記載されているが、この点についても具体的内容につき承知したい。
|
●荒木 | : |
懇談会のメンバーとして提言を実行し絵を確保するための責任を感じる。戦略会議の行使する権限をどうするかは、大臣に問題を提起するものか、それに飽きたらず総理に上げるものとするか、さまざまなケースが考えられる。自分個人としてはプロジェクトの原型を作る権限を有するべきではないかと考えているが、現在の行政の中でかかる権限がどれほど確保できるか問題である。また、徹底した情報開示で、戦略会議を皆で判断できるようなシステムとすれば、政府に変わるべき機能が果たせるのではないかと考える。
|
●滑川 | : |
戦略会議での情報開示は重要であると認識する。しかしながら、最終的な意思決定機関を戦略会議とすることは困難であると考える。また、NGOとの連携については、NGO相談員等そのキャパシティー・ビルディングに努めている。
|
●佐藤事務局長 | : | 総合戦略会議にオブザーバー参加なりともできないか。戦略会議を地方都市で行い、オブザーバーでなりとも参加することが出来ないか。
|
●榎田 | : | 委員の人選にも考慮して欲しい。また、ODAに対する各国の広報・開発教育に対する予算配分の違いがある。一人あたり開発教育・広報に費やす経費が97年実績で0.01ドルなのに対し、北欧、例えばスウェーデンは1.69ドルであり、この予算の差が国民一般のODAに対する認識の差として反映しているのではなかろうか。
|
●質問者F | : |
心情的には国民というよりは市民という発言があったが、これらの言葉の意味の違いは何か。また、中国はきちんと円借款を返済しているのか。返済できない国はどうしているのか。
|
●佐藤 | : | 国民という言葉が使われる場合、政府から見て日本の住民というニュアンスで使われることが多く、この言葉が使われると政府が義務を負わそうとしているのではないかといったような警戒心を抱いてしまうが、右のニュアンスだけではない皆さん一人一人の発意を含んだものが市民という言葉の概念と考えられる。
|
●滑川 | : |
中国は円借款の返済は、これまでもきちんと行っているし、していくと期待している。返済の出来ない国については、程度に応じて債務救済、或いは債務繰り延べという形で返済の負担を軽減する措置を執っている。
|
●司会者 | : |
最後に出席者より御意見を一言づつお願いしたい。
|
●榎田 | : |
やはりこの立派な報告書の内容をどれほど実行していくかが重要である。また、この種のタウンミーティングを地方都市でもっと積極的に実施すべきである。
|
●佐藤 | : |
先に述べたとおり、名古屋においても総合戦略会議の開催をしていただきたい。
|
●滑川 | : |
ODAタウンミーティングは今度名古屋でいつ開催できるかわからないが、本年は全国で定期的に開催していきたいと考えている。また、今回意見を述べる機会のなかった方もホームページにメールボックスを設置しているので、意見を寄せていただきたい。
|
●荒木 | : | 改革懇談会の最終報告が絵に描いた餅にならないよう、実行していくよう委員として責任を感じている。出来るだけ各地方の幅広い層が参加できるよう委員として政府に働きかけていきたい。 |