参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in 神戸
(議事概要)

1.日時: 8月26日(日)13:30~15:30
2.場所: 神戸大学国際協力研究科(六甲台本館102号教室)
3.出席者: 司 会:生島ヒロシ(キャスター)
パネラー:
 ・永峰 好美(読売新聞編集局解説部次長)
 ・西川 のりお(漫才師)
 ・横山 祐子(ピース・ウィンズ・ジャパン東京事務局)
第2次ODA改革懇談会委員:
 ・渡辺 利夫(座長、拓殖大学国際開発学部長)
 ・五百籏頭 眞(神戸大学大学院法学研究科教授)
 ・池上 清子(家族計画国際協力財団(JOICFP)企画開発事業部長)
外務省
 ・秋元 義孝(経済協力局政策課長)
聴衆
 約200名
4.議事概要:  以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんのであらかじめ御留意ください)。


議事概要


(1)生島キャスターから出席者紹介及び本会合の趣旨説明が行われた。

会場となった神戸大学六甲台本館  どうもよろしくお願いいたします。本日は、ODAのあり方について、聖域なき構造改革が言われODA10%削減という動きがでてきたなか、今後ODAをどう展開していくのか、援助が必要な国に的確に送られているのかなど、率直な質問をぶつけていきたい。途上国に対する援助は日本は世界最大のドナーだが、今後は必要なものは残し、カットすべきはカットするという方向になっていくと思うが、これをどう具体化していくのか、全国からお話を聞いていこうというものである。改めて今日は皆様の意見を伺いつつ進めていきたい。

(2)山口泰明外務大臣政務官の挨拶

 本日は、お忙しいなかご来場いただきありがとうございます。外務大臣政務官の山口泰明である。現在外務省は色々と言われているが、正すべきは正し、きちっと対処してまいる所存。
 さて、先日、エルサルバドル、ジャマイカなど中米カリブ6ヶ国を訪問してきたが、訪問した全ての国で日本のODAは感謝されていた。例えばニカラグアではODAの記念切手が出るほどであった。また、青年海外協力隊やシニアボランテイアの方々と会う機会があったが、皆非常に頑張られていた。
 本日は、ODAについて色々な意見を聞かせて頂きたいと思っている。最後に本日の運営に御協力頂いた神戸大学及び関係者の皆様に感謝申し上げたい。

挨拶をする山口外務大臣政務官   (左から)永峰氏、西川氏、横山氏、五百旗頭氏、池上氏、秋元氏


(3)渡辺座長による挨拶及び第2次ODA改革懇談会中間報告の紹介

中間報告を説明する渡辺座長(右)(左は司会の生島氏) (生島氏)
 世界の人口が60億人で、途上国の人口は4、50億人、うち13億人が貧困状態にある。今、ODAは過渡期にあると思うがいかがか。中間報告の紹介も合わせて渡辺座長に話をしてほしい。

(渡辺座長)
 90年代を通じて日本のODAは最大規模を誇ってきた。しかし、経済・財政状況が非常に厳しい中、日本のODAは強い逆風にさらされている。
 平成10年にODA予算は10%削減されて以来、ODAは一般会計予算の伸びを上回ることはなかった。来年度も既に10%削減が決まっている。そういう厳しい状況の中で、ODAに対する国民の支持率もじりじり下がってきている。厳しいなか、なぜ援助しなければらないのかと。ODAは我々の税金を中心として成り立っているのだから、我々がODAをどう考えるかということが重要である。
 こういう中で、第2次ODA改革懇談会が設置され、かなりの回数議論され、先日中間報告が発表された。中間報告という形で問題提起を行っており、これに対し、色々な意見を聞きたい。従って、今回のタウンミーティングには大きな位置付けが与えられている。

-以下、中間報告「骨子」に基づき説明-


(4)パネルディスカッション

約200名の方が集まり、盛況となった (生島氏)
 今日は皆さんの意見を幅広く聞いていきたい。ODAの印象、今後のあり方についてパネラーの皆さんの意見を聞かせてください。

(永峰氏)
 軍事的手段を持たない日本にとって、ODAは非常に重要な外交手段である。しかし、毎年同じようにお金がもらえるとなると外交の武器としては失敗である。先般東ティモールに行った時、国造りの最中で、援助による道路作りが地域住民も参加しながら行われていた。わずかな賃金であっても住民も働いており、相手国民の開発に対する意識啓発や動機付けをするような供与の仕方という、小さなところから援助を考えていく必要がある。自助努力を促す援助という位置付けを明確にしなければならない。
 また、内閣府の世論調査によると、現在日本の4分の1の人がODAの供与をやめるべき、少なくすべきと考えている。失業が高く、不況下においてはこの現象は当然である。ODAが決まるプロセスの不透明さが国民に不信を抱かせているし、外務省自身の機密費や在外公館経理などの不祥事にも原因があり、本当にODA経費が必要なところにいっているのか疑われている。外務省に対して信頼を回復するための努力を望む。

(西川氏)
 今日、この会場に来ている人はODAに詳しい人が多いと思う。しかし、本来のタウンミーティングの趣旨としては、まったくODAについて知らない人が来るのがベストである。世の中にはそもそもODAという言葉も知らない人が多い。
 また、今何故中国のような大きな国に援助をするのかよく分からない。日本国内の状況もままならないのに、何故援助をしないといけないのか。きつい表現で言えば、日本はひょっとしたら諸外国から、「気前のいいばか殿」と思われているのではないか。金さえ出せばいいという世界のスポンサーと思われているのかもしれない。なめられているのではないか。例えば、小泉総理の靖国参拝問題について、中国の唐家セン外交部長に田中外務大臣は「やめなさい」と言われた。お金は出すはぼろくそに言われ、こんなに割の合わない話はない。何故、ここまで援助している日本がそこまで強く言われないといけないのか。
 今は単にお金を出しているだけではないか。ODAを出していても、そのような状況が変わらないのであれば援助する意味がない。自分は現時点では援助にお金を出すべきではないと思う。一旦、白紙に戻して、もっと心とお金に余裕が出てきたときに出すようにしたら良い。

(生島氏)
 なめられているのではないかという発言がったがいかがか。きついことをいえば、日本はすぐへこむと。またこの件は後程ふれるとして、NGOの横山さんのコメントを。

(横山氏)
 日本は確かに不景気であるが、途上国にはもっと貧しい人がいっぱいいる。私たちNGOは草の根レベルで活動しており、個人的にはODAが村なり個人にいかに変化をもたらすかを目撃している。しかし、ODAのもたらす変化、成果を日々感じている方はこの会場に何人いるか(2人が挙手)。関係者以外にほとんどいないところに問題がある。ODAは外交の手段であるというのはもちろん分かるが、それだけではなく、国民一人一人にとって、ODAから何か得るものが無いといけないと思う。途上国をODAを通じて知ることが出来るとか、英語の教材の題材となって世界情勢を学ぶとか、地理の勉強につなげるなど、ODAがもっと納税者の生活に組み込まれたものとなる必要がある。そのためには、例えば学校教育との連携を図り、国民に開発について学んでもらったり、市民参加型のODAを模索していく必要がある。

熱心にパネラーの発言に耳を傾ける聴衆 (生島氏)
 自分はいくつかODA番組に関わったことがあるが、感動して涙したことがある。一方、現実に必要なものが必要なところに配られているか、削減や効率の問題について色々といわれており、委員側のコメントお願いしたい。

(渡辺座長)
 懇談会の委員に聞きたい。西川さんは日本はCash Dispenserだといわれたが、かなり多くの方がそう感じているのではないか。特に中国に対してはそうだと思う。ODAの外交政策の観点からまず五百籏頭先生に聞きたい。また、日本のODAは自助努力支援を特色としてきた件については秋元さんにコメントを頂きたい。横山さんのコメントについては池上さんに聞きたい。更に、何故国内状況が苦しい今ODAを供与しなければならないのかという問に対しては、モラル上の義務か、与える側の我が内なるODAか、援助することが我々の幸せに通じることという点もあるかもしれない。

(五百籏頭教授)
 鎖国体制下にあった徳川時代の日本の人口は3000万人である。つまり、国内自給自足でまかなえる人口は3000万人が限度ということである。今日、1億2千万の人口がいる上、生活水準も何倍も良くなっている。つまり、人口の3/4については、貿易などの国際交流があってはじめて生存している。資源も市場もない日本がいかに国際関係に依存しており、我々は相互依存の中でしかやっていけないのはこの点明らかである。
 また、戦前の世界で日本だけが非西欧の中で強さ、豊かさを手に入れた。そのことを見本にした国もあったほどである。しかし、日本人は自分達のために一生懸命頑張っただけであり、自分達が世界史のなかでどんなすごいことをしたかを自覚していない。非西欧の中での唯一の成功者ということは意識していなかった。先の大戦の際には、日本は近隣諸国に進出し、多大な迷惑をかけたが、個人個人としては、国のために一生懸命しただけという意識であり、良いことも悪いことも自覚は当時全然なかった。この様に概して日本人というのは、外の目に対する意識が希薄であり、援助の議論も国内的視点が中心となりがちである。国際社会のなかで、平和に発展して協力関係を築いたことが戦後行った良いことの代表である。世の中は単純であり、人のために行動でき、人に役する人が好かれ、尊敬され、人を殴りつけたり害したりする人は憎悪される。国際社会も同じである。戦前の日本は相手を害することをしたので大変憎悪をよんだ。一方、我々があまり自覚せずに国際社会のためにやってきた良いことの好例がODAである。
 かつて読売新聞のある記者が、70年代末にバンコクでスポーツのアジア大会を観戦した時、かつて侵略国であった日本はブーイングを浴びこそすれ全く人気がなく、戦後平和に発展してきたのになぜ、とショックを受けた。ところが、20年後に再び同大会を観戦した時には、非常に温かな拍手があってまた驚いたという。この20年の間にどういう良いことをしたのか、キョトンとしたそうだ。私も同感である。田中角栄が70年代にバンコクを訪問したときは反日暴動で大変だった。以後、日本からのODAを増やし、ひも付きを減らし、日本との貿易や直接投資を随分行い、商売以上の協力を含めた経済関与という益をして、アジアの国々は大変発展した。そしてその中で日本への反日感情もなくなった。先日、山崎拓自民党幹事長が東南アジアを訪問した際、予想外に、全くといっていいほど日本に対する批判は出てこなかった。東南アジアでは20年かけてこうして静かなる和解がじわっと進んだ。5年や10年では足りない。しかし、東北アジアの中国、韓国では異なる。中国とは8年間戦い、韓国は植民地化した。両国はアジアの中でも最もプライドの高い国であり、未だに歴史問題について批判をしてくる。その両国とも最近変わってきた。98年以降金大中大統領はもはや過去の歴史のことでもめるのはやめようと言っているし、中国も江沢民の訪日後は歴史問題への言及は減った。彼らも変わってきた。金大中が述べたのは、過去の重みはあったが、これからは前向きにいきたいとし、日本の平和の発展と貧しい国への経済協力を大変評価した。江沢民も、最近は考えを変え、過去の感情よりも共同利益に基づいて日中関係を再調整しようという前向きの立場になってきた。
 日本は国益を外交政策で追求しないといけない。しかし、国益とは近視眼的であってはならない。世界を知らない内向けなものではなく、世界に開かれた国益を追求しないといけない。中国が威張っているのは事実。確かに、中国を含め、東アジア諸国はもうODA卒業に近づいている。かつての日本同様に、援助を貰う方から与える方に進んでおり、立派に発展してきており、卒業は当然。環境への協力は日本の自己利益のために必要だが。国別にこういう援助が必要と再定義する必要がある。しかし、まだ本当に苦しんでいる国も現実にはある。中央アジアの旧ソ連諸国など、金も何もない。そういう中で日本の援助はどんなにありがたいか。国際社会は血も涙もない厳しい世界である。その中で、日本のODAは厳しい国際社会の中で非常に人気があるということを忘れないで欲しい。世界で日本が好きなカテゴリーは2種類ある。一つは北欧、トルコ、ハンガリー等の旧ロシア帝国の膨張を恐れた国で、日露戦争により一息つけたという歴史の記憶である。もう一つは、それ以上に大きく、ODAを受け取とり、厳しい国際環境の中で助けられた国である。改革、リストラ、効率化は確かにしなければいけないが、これらもまた日本が基本的に大事にしなければいけない資産である。

(生島氏)
 援助が必要なところにいっているのか、今後のODAのあり方など解説してほしい。

(秋元課長)
 渡辺座長が言われた点、日本の援助が自助努力を特色としている理由だが、日本自身、戦後、世銀から多額の援助を受け、東海道新幹線、東名高速道路、黒部ダム等を造っており、10年位前にようやく完済した。こういう経験を踏まえ、日本は、ただ金をじゃぶじゃぶ供与するのではなく、本当に自国の行く末を考えて努力するという国に援助してきた。日本の援助の6割はアジア向けのものである。日本の対東アジアODAは世界の中で最も大きなサクセス・ストーリーである。ここまで発展をもたらした例は世界で類を見なく、東アジアのいくつかの国は最早援助を必要としない状況になってきた。一方、欧米が熱心に資金をつぎ込んだアフリカについては、成長率が90年代一層下がるなど未だに展望が開けていない。
 今後ODAは今の水準を維持していくことは難しいと思う。最近、小泉内閣としてODA予算の10%削減が決まった。その中で、もっと効率性が求められている。本当にODAが必要なところに供与されるためにも、我々はもっと厳しく精査をしていく必要がある。

(生島氏)
 援助の透明性については如何。

(秋元課長)
 どういう国に対して、どれくらいの援助を行う必要があるのかということについては、特に中国については関心が高いと思うが、さらに透明性を高め、情報開示を進めることが必要である。中国には円借款を中心に多額の援助をしているが、このままの水準で援助し続けるのがいいのかという点について、まさにコメントを今日いただければと思う。また、中国に限らず、どの国にどれくらい援助していくべきか、透明性を高め、国民がコメントし得るプロセスが必要で、今、国別援助計画の策定を進めている。既に何ヶ国分かは策定・公表してきているが、総花的でまだメリハリが足りないという批判がある。予算が厳しくなるなか、よりメリハリのついた国別計画を作り、国民にも開示し、良いものにしていきたい。

(生島氏)
 中国に毎年2000億円援助しているが、今後、世界中に中国パワーが広がっていく。もう中国向け援助を思い切って削減してもいいのではないか。対中関係はどうなるか。

(渡辺座長)
 中国では、1人当たり所得は800ドルに満たず(日本は3万ドル以上)、まだ低いので注意する必要がある。内陸では2000年前と同じではないかという地域もある。個人的見解であるが、一番の問題は、日本のODAに対して日中双方に賠償的なものではないかという意識があることである。賠償の代替と思えば、相手は感謝するはずもなく、効率性云々ともならない。この意識が両国の指導者にある限りうまくいくはずがない。いずれ両者でそういう意識を払拭していかなくてはならない。

(永峰氏)
 個人的には、対中ODAの必要性はまだ感じる。内陸部は非常にまだ貧しい。貧困層はより貧困になっていき、そういう人が難民化して日本にも流れてきている。地域的に分けて再検討して、環境面に力を入れるなどODAの見直しが必要である。

(五百籏頭教授)
 同感である。中国では砂漠化が深刻となっている。環境面で中国を支えることは、黄砂が飛来し、酸性雨も降る隣国日本にとって利益でもある。中国は国家として極めて大きく、なんでも日本で面倒みることはできない。基本的には何でも自分でやってもらい、ただ環境は重要な問題なので、日本は援助していくというのがいいのではないか。

(西川氏)
 中国は軍事費には多大な資金をつぎ込んでいる。その点がうなずけない。国家として大きく、他の国から金を仰いでいる場合ではない。中国という国に矛盾を感じる。中国はODAを償い、貰って当然と思っている気がする。いつまでも引っ張り過ぎではないか。

(生島氏)
 さて、ご自身のご経験という実態を踏まえて、池上さんコメントを。

(池上委員)
 以前、エチオピアに行った際に、非常に立派なスタジアムがあった。現地の人に聞いてみたら、中国からの援助で作ったという。そのとき、対中援助をもう一度考えた直していった方がいいと実感した。今後、対中援助についてのディスカッションが欠かせない。また、パキスタンとインドには核実験後ODA供与を停止しており、中国向けは再開したがその基準がはっきりすることが好ましいのではないか。
 ODAを供与することの意味は、共生ということである。つまり、私たち一人一人と途上国の人達とのパートナーシップ、心のつながり、宇宙船地球号の考えや先般田中大臣が言われたような「地球市民」といった言葉に言い換えても良い。日本は貿易立国であり、どう世界で生きていくかという点でも、更に共生は身近に感じるのではないか。
 では、共生のためにどうODAが役立っているか。先日ザンビアのある村に行ってきた。そこは20%以上の住民がHIV感染者であり、HIV孤児がたくさんいた。誰が彼らの面倒を見ているかというと、村で見ていた。しかし、エイズ孤児の数が多くなり過ぎて面倒が見られなくなってきている。そこで、どうしたらいいかを考えると、村の自分の力で、村自体が力をつけ、その結果孤児の面倒を見ていけるようになることが望ましい。小額の無償資金協力である草の根無償資金が村に入って、村の収入作りを支え、得た資金を使って孤児を育てていくことを目指そうという考えである。
 また、ガーナ、フィリピンなどでみられているが、日本の技術や経験を共有していく協力もある。例えば、日本は昔、保健推進員という制度があった。それぞれの村から選ばれ、半専門家となる訓練をうけ、村の健康を守るボランティアをする人がいた。こういう日本の経験を途上国に伝えて、途上国の村のなかで保健を自分達で守るといった協力もありうる。そうして人のつながりや技術の協力などによって、共生が達成できる。このように大きな協力の現場ではなく、直接村にお金が渡るスキームがあることを紹介させていただいた。

(5)市民対話(聴衆よりの意見、質問)

司会を行う生島氏 (聴衆A)
 日本のODAの贈与比率は約5割弱だが、欧米では98%位だと聞いている。この違いはなぜか。

(秋元課長)
 日本のODA事業予算は全体で約1兆8千億円であり、この半分がいわゆる円借款(約9千億円)である。残りは、無償資金協力、技術協力及び国際機関への拠出であり、「贈与」と見なされる。現在融資を行っているドナーは、日本、世銀、アジア開発銀行等であり、アメリカ等はやっていない。では、なぜ日本は円借款を行っているのか。それは途上国の自助努力を支援するという理念があるからである。被援助国が、自国の発展のために自助努力をする、借りたお金を返済するために一生懸命努力することが大事であり、日本も実際そうして発展してきたという経緯がある。

(聴衆B)
 この傾向は今後も変わらないのか。

(秋元課長)
 それは議論の余地がある。円借款の相手は、国がしっかりしていて、自助努力できる国でなければいけないが、こうした国のいくつかは既に経済的に発展し、円借款がいらなくなってきている。他方で、アフリカ諸国が融資を受けても、返済することは大変難しい。こういった国には無償が中心になり、無償を増やしていかないといけないだろう。

(五百籏頭教授)
 私としては、今後、有償をODAの半分から1/3にするべきと考えている。ただし、ゼロにするべきではない。欧米は高みに立って、日本は未だに金貸しをしているのかと批判するが、これいはきれいごとである。欧米などは、じゃぶじゃぶ資金をあげていたのが、冷戦が終わって援助するのを止めてしまった。日本は本当に途上国が発展することを望んでいるので、援助している。かつては私は無償が少ないのは質が悪いと思っていた。しかしあるタイの学生に教えられた。彼が言うには、彼は日本のODAが一番国造りに役立つと言うことである。多額で、アメリカは戦略援助といって頻繁に援助をぶった切るのと違い、途中でストップすることはないし、何と言っても、果実を出さなければいけないという緊張感があるということであった。日本は、人道支援、協力隊、草の根などを初めいろんな援助手段をもっており、円借という良いものも持っている。

(池上委員)
 自助努力といっても一日1ドルで生活しなければいけない国は、借りたお金を返済することは難しい。つまり返せる国しか借りられない。円借款は中進国には役に立つが。では、日本の援助はどこの国に出すべきかという議論がある。最貧層に力を入れるならば、贈与は2/3あっていいと思う。日本としてどこに、どの程度出すのかという方針を再検討すべきではないか。

(聴衆C)
 (1)改革懇では、改革という以上は今までのODAに対してどのような総括をしたのか。(2)他の審議会等では真剣に議論するとき公聴会という形をとるが、その気はないのか。タウンミーティングは広報にはいいが、論拠のある意見を聞くにはいい場ではない。(3)改革懇の会議の場と議事録を、95年の審議会の公開が閣議決定されているにもかかわらず、なぜ公開しないのか。

(秋元課長)
 改革懇はそもそもそのような公開が義務付けられた審議会とは異なり、大臣の私的な懇談会という位置づけである。会議の公開については、実は改革懇の初回会合時に議論されたが、議論の内容を全て公開することになると、活発で率直な議論が出来なくなる恐れがあるということで、会議は非公開で、議事の概要を公開することになった。

(聴衆D)
 透明性ということで言えば、ODA大綱は守られているのか。また中国では、日本のODAが中国の国民に十分知られていないということである。朱鎔基さんが来日した時には日本のODAを中国国民に知らせる努力をすると言っていたが、外務省はその後この件をトレースしているのか。中国は共産主義の国家であり、リーダーのみが援助や友好といい、国民には反日教育をしつつ、あえて援助の存在を伝えていない。

(秋元課長)
 ODA大綱について言えば、これは守っている。ここにいる方はきっと中国のことを思い浮かべていると思うが、外交は一定の基準だけで白黒つくものではない。ODA大綱にも軍事費、大量破壊兵器開発、民主化等と共に社会経済状況や二国間関係を総合的に考慮すべきと書いてある。我々は総合的な判断の結果、ODAを実施してきている。また、中国国内での広報活動であるが、未だ十分ではないが、それなりの努力がなされていると理解している。昨年は日本からの援助20周年を記念して式典が行われ、広報、パンフレット等も作成されている。日本のODA案件の開所式には政府幹部が出席し、日本の援助で建てられた病院や学校の入り口には日本のODAであることを示す銘板がかかっている。また現在、中国政府から日本のODAに関する番組をつくりたいとの要望もあがってきており、以前に比べて努力がなされていると理解している。

(聴衆E)
 質問というか提案だが、私としては中国に対するODAは削減するべきと考える。中国は核兵器やミサイルを開発するお金があるわけで、そのような国に対して平和を推進する立場の日本が支援するのはおかしい。今後貧しくても核を持つ国はでてくると思う。平和に逆行する国にODAを停止や削減するシステムづくりをしてはどうか。

(秋元課長)
 中国へのODAは開始されてから20年経つ。当時は、日中国交の正常化を経てこれから日中二国間関係を構築していこうとする中で援助が開始された。また、80年代には、このような二国間関係だけの考慮に加えて、米ソの対立の中で、西側の一員として戦略的に中国を支援することの意義があった。また90年代、冷戦構造は崩れたが、二国間関係の強化に加えて、トウショウヘイの進める改革・開放政策を支持するために支援が続けられてきた。このような経緯があるが、これからの対中援助をどう考えていくべきか。
 21世紀の日本にとって、どの国との関係が一番難しくかつ大事であるか。それは中国である。中国が今後どういう国になっていくのか予測が難しい中で、中国との関係をどうmanageしていくのかを考える必要がある。日本は中国と政治的、経済的、文化的なつながりを通じて重層的な関係を構築していかなければならない。これは日本の国益にとって非常に重要である。こうした中で、ODAを活用していくことは重要であろう。ただ、確かにこれまでの中国に対するODAの使い方は見直されなければならない。今までは主に沿海部のインフラ整備を支援してきたが、今後は、日本にとって利益になること、例えば環境や、人材育成、日本シンパを作るための人的交流、また内陸部の最貧層の支援に焦点が当てられることになるだろう。今は対中援助政策を転換していく時期にあるといえる。政府としての対中経済協力政策をこの秋にも発表できると思う。

(五百籏頭教授)
 一言でいえば、80年代の中国は共産国家で付き合いきれなかった。それが市場経済化し、つまり世界の綱領のなかで経済発展する選択をし、それを促進したのが日本のODAであった。賠償という考えの面もあるが、積極的にいえば、日本のODAは中国の市場経済化、開放を支援し、効果をあげてきた。核実験のため制裁を加えたが、中国が核兵器実験を止めると言った背景には日本のODAが停止したこともあった。その後、実験をやめると宣言し援助が再開されたが、以後実験は行っていない。なお、インドとパキスタンは実験を止めるといっていないので制裁を続けており、中国とは異なる。この件は大綱による制裁が効いたといえる。
 最大の問題は、中国の反日教育にあると思う。中国は日本との友好を望んでいるのか、と思う。これは大変おかしいことである。日本は戦後、平和的な発展を遂げており、また天安門事件の後、中国の孤立化を懸念し、世界へ制裁解除を説得した経緯がある。最近ではWTO加盟にしても小渕前首相は大変ご尽力された。当時、アメリカはユーゴで中国大使館を誤爆して米中関係はガタガタであった。中国の学者に、過去の悪いことのみを指摘し、最近行っている良いことを見ないのはおかしい、日本に感謝しないのかと言うと、以前であればカッと怒ったのであるが、今では、同感してくれる人もいる。台湾問題を相対化すべしという識者仲間もでてきた。中国も若い世代は開けた感覚になってきた。中国は今まともな方向に動いているので、それを大事にし、日中とも仲良くしていかないといけない。引越しできないのだから、アメリカとさえ仲良くして、中国韓国どうでもいいというのはとんでもいない間違いである。アジアの仲間で、異質で付き合いにくいが、仲良くしないと21世紀は乗りきれない。中国けしからんという立場はよく分かるが、もう少し大きな観点から、協力していくにはどうしたらいいか、もう少し配慮してやっていかなければいけない。

(西川氏)
 中国は何でも押し切ろうとするように感じられる。日本は反論しないのを彼らは知っている。気持ちを寛大にしないといけないが、大国に対して我々が寛大にするというのは変な話である。ODA問題は行き着く所は中国問題ではないか。

(渡辺座長)
 我々は引越しできない。中国がやっかいだから付き合わないという選択もありえないわけではないが、それが良いとは決して思わない。やっかいな国だからこそうまく付き合うということだ。ODAが大きな効果があるわけではないが、多少なりとも開放された社会、西側とうまくいく社会に中国がなるよう目指すべき。我々は引っ越しをする訳にはいかず、中国とは共生せざると得ない。遠くないうちに、中国はもっと大きな国になるだろう。となると、中国との関係が悪くなると、日本の存立にも影響を与える。

(生島氏)
 時間もないので、ここからは質問というよりは、皆さんの意見をなるべく多くききたい。

(聴衆F)
 ODA礼賛論について意見。日本のODAがアジアで成功したと言うが、オリンピック開催地の投票では、日本にアジアから一票も入らなかったが、どういうことか。中国の問題よりも、対インドネシアのODAの問題の方が大変な問題である。中国よりもはるかに大きな額がこれまで援助されている。スハルトの独裁政権を日本が30年間支えた。東ティモールの問題にしても、日米がインドネシアをODAを中心にして支持してきた結果なのではないか。これらを総括しなければ、日本のODAの明日はない。中国だけでODAを論議するのは滅茶苦茶である。小さな国への援助で、いかにNGOと組んでいけるか、本当の意味での、向こうの人のための援助を考えないといけない。また、ODAはよりNGOと連携して欲しい。途上国のニーズに応えるのが援助であり、現場を知らないといけない。東ティモールでは日本の援助で届いたトラクターが使い方も分からず放置されているということである。このような話は世界中にある。

(聴衆G)
 自分はアフリカに対する援助に興味がある。今後ODA削減の流れの中で、アフリカ援助はどうなるのか。削減して欲しくない。

(渡辺教授)
 個人的にはODAの対象が今までの東アジア、インフラ中心から最貧層への支援に少しずつ移っていくだろうと思う。

(聴衆H)
 1995年に中国で3つの小額ODAのサイトを見学した。トラクターやレントゲンなどの供与だったのだが、どの現場でも政府や党関係者には感謝はされたが、モノはピカピカになって置いてあった。現地の人々からは、日本の援助で供与されたものはランニングコストがかかり、修理出来ず、極論すればトラクターよりは牛が欲しかったという声があった。また、ブラスバンドより鉛筆がいい等言われた。外務省としては実情は知っていても、相手国政府からの要請を担保とするのだろうが、援助を本当に必要としている人たちのニーズが反映していないのではないか。感謝しているのは政府と納入業者だけである。

(聴衆I)
 援助する国の選び方について意見がある。例えばカンボジアだが、93年に自衛隊や警察官、ボランティアを派遣し、民主化を支援してきた。この過程で警察官の方が殉職され、別の日本人の方が亡くなるなど、どろどろした不安定な状況であった。にも拘わらず支援が続けられている。ある国にお金をつぎ込み続けなければならない基準が存在するのか。

(生島氏)
 これらの意見を今後生かしてほしいが、最後に出席者の皆様から一言。

(6)クロージング:パネリストからのコメント

(永峰氏)
 皆さんのODAに対する関心が高いことに驚いた。今後、ODA実施のキーワードとしては「国際協調」、「共生」や「地球市民としての共感」が挙げられると思う。ある学校では、ODAを教材として使い、初めは自己肯定感が低い子供が多いなか、だんだん、色々な地球上の人達とつながっている、あるいは誰もが必要とされていることを理解していき、自分たちを見直すという教育効果があがってきている例があった。子供たちの未来につながるような、ODAのきちんとした見直しが必要ではないか。

(西川氏)
 大変関心のある方が多かった。これが阪神タイガーズファンにもいればと思う。日曜日に自分の時間を割いて日本のODAのために会場にいらした方々に敬服する。ありがとうございます。ただ、ここに来ている方はODAに対する関心は高く持っているが、普通の日本国民はそうではないのではないか。

(横山氏)
 皆さんがODAに対して関心と共に多くの疑問を持っていると感じた。こうした市民参加の場というのは、皆様の疑問に答える意味でも市民参加型でなければいけないと思った。市民の代表であるNGOが、もっとODAに関与できればと思う。ODAへの国民の参加という意味では、こういった場での意見交換だけでなく、NGOを通したODAの供与で市民の声を反映させることが出来ると思う。アメリカではODAの3分の1がNGOを通した援助に充てられている。日本は未だ0.38%である。ODAとNGOの連携という話が出たが、今後の課題である。市民の声を反映させるためにも、議論する場をつくることも国に任せないで、自分達で作らないとけない。国策からはなれて、市民による人道観点からのODAも重要であろう。

(五百籏頭教授)
 日本のODAは総額では世界1位だが、GNP比から言えば下から3番目であることも言わないといけない。日本は経済規模が世界の14%を独占している超経済大国である。そのためGNP比で下から3番目程度であっても最大の援助国となっている。日本ばかりが、国内に問題があるのにお金を持ち出しているというのはバランスを欠いた見方である。日本は、やりだすと惰性慣性で、予算があるからばらまかないといけないことに陥りがちである。本当に役に立つ協力とは何か、中間報告にあるようにODA総合戦略会議を設けて、大方針を考え、国別計画を詰めていくことが大事。あらゆる手法でもって日本は途上国を支えようとしているが、ノーベル賞はいいものと言われているが、それ以上にODAは日本が国際関与する中で最も良いものなのである。世界と共に生きていく上で貴重なものであるといえる。

(池上委員)
 第1点目は、これからはODAの透明性をより高めていく必要性がある。その意味でも、今回の様なタウンミーティングなどをもっと多く開催するべきである。第2点目は、途上国は医療施設が遠いとか不備であったりする。会場の中に赤ちゃんを抱いているお母さんがおられ、心が温まったが、途上国においては1,000人の赤ちゃんの内200~300人が死亡する国があると言われている。日本ではたった約4人で、世界で最も低く、日本は今や保健大国となっている。この幸せを途上国の人々に一緒に持ってほしい。また、母親が小学校4年生レベルまでの教育を受けているのと、全く学校にいっていない母親の間では、子供に予防接種を受けさせるかで3倍の格差がある。日本のODAは今後こういった社会開発のための保健に使われるべきではないか。

最後の挨拶をする西川氏、生島氏、渡辺座長、秋元氏 (西川氏)
 今のはいい話である。こういったミーティングは、早稲田大学や神戸大学だけではなく、近所の公民館等で開くのも良い。盆踊りの感覚のごとく、もっと近所でこういう話をすべき。彼らは聞きたくても来ていないだろう。そうすれば、ODAについて本当に知って欲しい人が来るのではないか。

(生島氏)
 鋭い質問が飛び交ったが、はっと思う意見もあったかと思うが、色々な意見を取り込み、外務省は変わってきていることアピールしてほしい。世界には貧しい国もあるが、目の輝きがはるかに日本人よりもある国もある。援助をより的確にしていけば、いい関係ができるはずである。

(秋元課長)
 貴重な話ありがとうございます。今日、我々はODAのこれまでのやり方を守ろうとか、自己正当化のため、わざわざやってきたのではない。今のやり方を改革して、新しいODAを作るため、幅広い市民の声を聞く場を持つためにこのタウンミーティングを開催した。これからも、ODAのホームページ等をご覧頂き、何か意見があれば、是非外務省の方までお寄せ頂きたい。

(生島氏)
 それでは最後に渡辺先生。

(渡辺教授)
 今日の議論はまとめられなく、またまとめるべきものではない。多様な意見を多様なままに受け止めるべきと考える。ODA予算は厳しさを増しているが、ODAの予算は大事に使うべきであり、そのために我々も質の向上、効率性改善を目指して改革に取り組んでいる。ただ、これだけで終わっては少し情けない。言葉は悪いが、非効率性に耐えなければならない側面もある。貧しいもの、虐げられたものに何かしてあげたい。そのとき効率性は耐えられるだろうか。言葉は滅茶苦茶だが、非効率性に耐えながら効率性を追求するということも必要なのではないか。我々も議論を続け、年末の最終報告に向けて精一杯頑張るので、皆さんにも是非レスポンスして欲しい。
 今日はどうもありがとうございました。

(生島氏)
 色々な分野でこれぐらい活発な議論ができれば日本はきっとよくなると思う。今日は皆さんご参加ありがとうございました。
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