参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in 福岡
(議事概要)

1.日時: 9月21日(金)18:30~21:00
2.場所: 天神ビル11階・10号会議室(福岡市中央区天神2-12-1)
3.出席者: 司会:
 ・林田スマ(フリーアナウンサー)
パネラー:
 ・川崎隆生(西日本新聞国際部次長)
 ・二ノ坂保喜(NGO福岡ネットワーク)
第2次ODA改革懇談会委員:
 ・小島朋之(慶応大学総合政策学部教授)
 ・千野境子(産経新聞論説委員兼編集委員)
外務省
 ・秋元義孝(経済協力局政策課長)
聴衆
 約120人
4.議事概要:  以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんのであらかじめ御留意ください。)


議事概要


(1)まず司会の林田スマ氏からの出席者紹介及び本会合の趣旨説明、出席者からの簡単な自己紹介が行われたのち、秋元政策課長から第2次ODA改革懇談会中間報告について骨子に基づき説明があった。

(2)パネルディスカッション

(林田氏)
 では、まず二ノ坂氏からお話をきかせて欲しい。

(二ノ坂氏)
 ODAが本当に役に立ってきたかという点について、秋元氏はそれなりに各国の発展に寄与してきたという立場であると思うが、私は本当に役に立ってきたのかという観点から始めたい。それにはまず歴史を紐解くことから始めないといけないと感じている。中間報告には官主導型のODAの限界と明記されているが、私たちNGOからみてもいくつかの問題点が指摘できる。国民の立場から言うと、ODAのお金の流れや仕組みが複雑で、一般の人になかなか分かりにくい。実際に国民の納める税金や年金、郵便貯金などが政府からODAとして無償資金協力や円借款や国際機関へ出資といった形で出ている。国民が納得できる形で透明性を確保する仕組みが必要。
 次によく言われるが国益について、今再検討する必要がある。今回のタウンミーティングに参加するに当たって、インターネットなどを使って色々な意見をみてみた。経済界のいう国益、国民のいう国益、NGOのいう国益、政府のいう国益とはみな違う。違った上で国益を語っていることにかなりの問題点がある。国益を考える際には、国を漠然としたイメージで捉えるのはなく、国の枠組み、国民国家のあり方そのものが変更を余儀なくされつつあることを念頭に置かないといけない。例えばテロも国境を越えた動きの一つで、地雷撤去キャンペーンもまた国境を越えた市民の動きが国際政治を動かしている一つの現象である。こうしたなか、国の枠組みが変わってきており、そうした視点で国益をもう一度考え直さないといけない。
 次に、ODAという形で実際に途上国にお金が流れているが、現地において色々な問題点が生じていることを知る必要がある。それには3点ある。一つは現地の住民の意思決定が本当に保証されているのか、という点である。ODAは要請主義を取っているので、現地政府からの要請があって供与するかどうかを日本で検討するのだが、実際は往々にして、日本のコンサルの調査に基づいて要請されることがある。また現地政府が日本に要請するのだが、政府と住民の意見が違うことが往々にしてある。その場合、どのような立場に立って援助するのかを考えないといけない。2番目が環境問題で、環境アセスメントをしっかりすることになっているが、まだまだ不十分である。ODAが公共事業の国際版にならないようにしないといけない。3つ目は貧富の差の拡大問題である。途上国における貧困や人権侵害、民主化などを解決するための方策としてODAや国際協力が言われているが、現実は逆に貧富の差を拡大させ、開発難民を生み出しているのではないか。貧富の差の拡大については、国家間の貧富の差もあれば、途上国内における貧富の差の拡大もある。

(林田氏)
 いい意見をありがたく思う。なお、後半は聴衆の方々からも意見をきくので、前半はパネラーの方々のお話をよく聞いていただければと思う。では、川崎さんよろしく。

(川崎氏)
 私はNGOでもなく、国際協力に直接参加したこともないが、バンコクに赴任していたときにODAについて色々と見聞きした。ODAで見せていただいたものは、まず道路、鉄道、橋といった、目に見える形の社会基盤整備であった。渋滞をなくすもの、都市間を近づけるもの、便利な社会をもたらし、経済発展に貢献するものなどである。次に草の根無償のように、身近なものも見させてもらった。具体的には、幼稚園でみんなが集まって意見交換をする小屋に500万円、お父さんがエイズで死んだ家族が生活を送れるようミシンを買うための2、30万円の支援などである。固いものから柔らかいものまで色々な形で援助していることは良く分かった。その経験からいえば、ODAが役立っていることはある程度は認めないといけない。ただ、新聞等で取り沙汰されているように、色々なところでおかしいと言われているのも事実。使われていないダムなど、やたらと無駄があるのは事実。
 官主導を超えて国民参加型援助をしていく点について、なぜこれまで官主導になってしまったのかといえば、これまで財政などは中央が決めてきた。これまでは官主導だから良かった部分がある。海外のNGOでは民間のお金持ちからどんどんお金が入っている。エルトン・ジョンという、ダイアナ妃が亡くなったときに音楽を出して相当売れた歌手がいるが、彼がNGOに資金を出して農村開発をしていると聞き驚いたことがある。日本はお金持ちでもボランティア活動や社会貢献活動にあまりお金を出さない。これには日本の金持ちは欧米やアジアの金持ちと比べあまりお金持ちでないこともあるが、官主導ではないと援助にあまりお金が出ないこともある。企業のメセナも不景気になってうまくいかなかった。官主導を超えてというが、官主導でないとできなかったのが国際貢献である。では最近予算が厳しくなったので援助を民間でやれといっても、民間にもお金はないのでやはり資金面は官が担当するしかない。援助の担い手のところで、あくまでも官主導ではなくて民間の出番となる。
 今まで援助の関係の話は東京で決まってきた。田舎の話を聞かなくても良かった。ところが、地方分権時代、なんとなく日本全体の意見を聞いていこうという時代になって、今回初めて外務省などが我々の意見を聞きに来てくれた。これは今回の大きな特徴だと思う。東京で決めないで地方から意見を聞く機会を設けてくれたことはありがたいが、もっとより耳を傾けて欲しい。教科書問題では国家間では色々あったが、その間地域の交流は沈んではおらず、政治家やマスコミは騒ぎすぎと言われた。福岡にいる方は分かるだろうが、あれだけ教科書問題で騒いでいた時に、実際の交流はきちんと行われていた。地域同士の結びつきは国際協力の中でも相当進み、実力が備わってきている。そこで、1兆8千億の資金を使う際に、東京の団体のみにお金を流すのではなく、地方の小さな交流団体まで目配りして欲しい。この点を国民参加型のODAを行うにあたって是非行って欲しい。
 もう一点地方に関して言えば、環境に対するODAは非常に結構である。仮に中国の環境問題で、酸性雨など相当環境問題が悪化したり原発が爆発したりしても、最初に被害にあうのは距離的に最も近い九州である。距離的に近いということは、朝鮮半島の安定は九州という地域にとっては大変重要な問題であることを意味する。北朝鮮へのコメ支援には様々な議論があったが、九州では身近な問題として感じられている。そういった点まで考えて国際協力を行っていって欲しい。
 国益論では、今の各自治体でも国際化計画を立て直しているが、交流から協力へという流れがある。自治体が活力のある町を作るには、国際化していくことが国益に相当し、地域の利益のためにも国際協力が必要である。外交というと国と国との関係でしか捉えられていなかったが、実態的には地域と地域、人と人との関係になっていることを十分に認識してもらって、ODAの見直しを進めていって欲しい。
 最後に、仙台でも意見が出たそうだが、外務省の不祥事事件は相当効いている。実際に自分の取材で、でたらめを目の当たりにしたことがあったが、外交に対するお金の使い方をきちんとしないと、ODA10%カットは仕方がないと言われる。対中援助を始め、ODA無用論の意見もあるが、個人的には中国向けも含めそう思わない。戦後補償の一部という意味あいもある。戦後50年もたち、いまだに中国や韓国からあれだけ言われるのは、過去相当なことをしたからのはずで、戦後補償を含め、アジアへの責任は果たすべきである。

(林田氏)
 次に小島委員よろしく。

(小島委員)
 お二人の意見にコメントしたい。両者の意見を収斂すると、日本のODAに対してどういう視点を取るかということになると思う。ODAは役立ったのかという場合、役立ったとはどういうことなのか、中身が問われるべき。更に国益について、国益の内容をどういう視点で捉えるかが重要になる。役立ったというとき、日本側からみるのか、供与された国からみるのか、役立つとは何かという話になるが、私は日本のODAは、問題はあるものの役に立ったのではないかと考えている。なぜか。日本のODAの目的の一つに、「御恩報謝」の意味がある。50数年前、日本は戦争に敗れ、苦しい状況にあった。その時、日本への様々な国際的支援があったことが、日本の戦後復興、経済発展につながったことは言うをまたない。新幹線や高速道路にせよ、国際的支援を受けて出来たものである。日本が国際的支援を受け、今や経済的先進国となり、第2の経済大国になった以上は、逆に途上国を支援するのはある意味当然なことである。なお、対中ODAは戦後賠償という点については異論がある。
 第2点は、国際的責任についてである。日本が位置する東アジアにODAが集中しているのは、日本の持つ国際的責任と非常に深く結びついていると思う。この地域に平和と発展、安定と繁栄を確保していく条件を作り上げていくことに、日本のODAが使われた。例えば、1997年に東アジアが通貨金融危機に陥った際に、危機克服の過程で日本は1000億ドルを超える財政基金を用意した。顔の見える支援と高く評価された新宮沢プラン300億ドルのうち特別円借款はODAである。こういった形で国際的責任を果たすことがある。アジアと日本との相互依存が深まり、もはや互いに協力していくしかお互いが生き延び、発展していけないことは明らかである。そういったアジアと日本との共生の面で多額のODAが使われてきた。ODAの目的がこういった点にあったとすると、十分に役に立ったと考えている。無論問題があることは言うまでもないが、そういった初期の目的を果たしたが故に、更に新たな目的を掲げ、新しいODAの道を探っていくことが新たな課題になってきたと思う。
 国益については、二人の意見に同感である。もはや国、政府だけが主体ではないのは正にその通りである。小渕内閣のときに21世紀の指針という懇談会があり、共治、すなわち英語でいうガバナンスという概念が言われたが、これには政府がもはや主体ではないという認識を踏まえていた。従来の政府、公的機関が主体となった問題解決ではなく、地方自治体、NGO、個人も含めて自覚的に効率的な問題解決に当たろうというあり方がガバナンスである。ガバナンスとは、ODAも含め正に新しい国が進めていく様々な問題解決のあるべき姿である。にもかかわらず、ネーション・ステート、つまり国が非常に強いことも忘れてはならない。今回のテロにおいても、その後のブッシュ演説においても、攻撃は国家向けではなくテロに対してというが、やはりアフガンといった国家が想定されている。依然として、国民国家、ネーション・ステートの時代はそう簡単には終わらない。ならば、ODAについても、政府があるべき役割を果たしていかなければいけないと思う。

(秋元課長)
 日本のODAが役立ってきたかという点について、もっと自信を持って良いと思う。DACなどの援助国を中心とする国際社会では、日本のODAの成功話と欧米の失敗話が際立っている。日本は一貫して東アジアを中心としたアジアにODAを供与してきた。東南アジアの経済発展は、もともと経済インフラもないところに、日本のODAを活用し、各国が自助努力でインフラを作っていき、諸外国から民間投資を呼び込み、それにより輸出産業が育成され、外貨を獲得し、国内に投資され、今やいくつかの国は援助される側から援助する側になろうとしている。これに対して、欧州では、アフリカへ主に援助してきたが、アフリカは80年代と比べ今の方が経済状況は悪い。東南アジアとアフリカの経済発展の違いを、ODAだけに帰着するつもりは毛頭ないが、欧米諸国がアフリカへ如何に支援していくかを考える際に、日本が東南アジアで行ってきた経験を活用できるならば活用してくれということも言っている。日本の平和と繁栄を考えた場合、東アジアの平和と安定は不可欠で、東アジアの発展に日本のODAは役に立ってきたと胸を張っていいのではと思う。日本は10年も世界1のドナー国としてやってきたが、戦後日本がしてきたことで世界で本当に誇れることは、日本が一貫としてODAを、世界最大規模でしてきたことだと思う。それが、色々な国での日本への尊敬と信頼を生んできた。
 さはさりながら、個々のプロジェクトが全て成功しているかといえば、正直にいえば出来の悪いのもある。ODAは、行政機構が十分でない、ガバナンスに問題のある途上国相手に行うので色々な困難がある。この部分はODAで行うものの、この部分は途上国自身でやってくれという形で始めたものでも、途上国が自分の国で予算を捻出できずに、その部分が中途半端で終わったこともあるし、紛争など様々なことが起き、途中でプロジェクトが中断してしまったなど、色々なケースがある。ただそれでも、新聞などで報道されているよりは、大部分のプロジェクトは初期の成果が達成されていると思う。マスコミはプロジェクトがうまくいっている場合は報道してくれず、入札などで不正があったなど、問題がある時は記事にされるので、問題点ばかりの印象が残ってしまうが、大部分のプロジェクトは、国内の公共事業と比べると、きちんと調査もされ、終わったあとのモニタリングもされ、うまくいっていると思う。
 住民の意思の反映や環境問題について、難しいのは、政府と地域住民との意見対立や、政府が住民の意思に基づいた意思決定ができない場合である。こうしたことは住民移転問題等で生じるが、この点については、きちんと事前調査を行うとか、現地NGOや地域住民との対話を行うとか、やるべきことは多いと思う。
 最後に官主導について、ODAは「政府開発援助」ということで、政府が行う経済協力をODAと呼ぶのであるから、ことの性質上官主導になるのはやむをえないのだが、政策策定にあたっては、政府だけでなく企業、NGO、有識者の意見を反映し、又、実施に当たっては、NGOを始め色々なプレーヤーを活用すべしというのはその通りである。因みに米国のODAのうち3割位はNGOを経由して実施しているが、日本は1割にもみたない。直ちに日本が米国同様にNGO経由で援助できるかとなると、そのためには日本のNGOや民間団体がもっと大きく強力になってもらう必要がある。そういうNGOを育成するとともに、NGOをいかにODA実施に当たってもっと取り込んでいくかということが課題である。

(林田氏)
 では、千野委員にお話を伺いたい。

(千野委員)
 懇談会の委員になったことで感じたことは、外交で顔が見えないと言われてきたが、ODAも、外に対してだけでなく、国民にたいしても顔が見えていないと感じる。国内でもっと顔が見えて、私たち自身がもっと関心を共有し、参画していくことが重要ではないかと思う。また、ODAが東南アジアに役立ってきたかという点について、私も川崎氏も数年前同時期に東南アジアにいたが、アジア危機にぶつかったとはいえ、東南アジアは大きな発展を遂げていると感じた。その背景には、総体として、日本経済は東南アジア経済とほぼ一体となる形で東南アジアの発展に寄与し、それにはODAが大きな働きをしてきたというのは総体としては間違いがないと感じている。現在、新たな段階に日本のODAは直面しているのではないか。日本のODAはこれまでのやり方でいいのか、と言えばそうではないと思う。最後にマスコミの問題であるが、自分で自分の首を締める言い方をすれば、確かにマスコミは問題提起型である。いいことをやっているという心暖まる話も無論載るが、問題点、最近で言えば機密費問題など、無駄が多いなどという指摘が載ることも当然である。そのことによって、官も鍛えられるし、糾されるべきものは糾されなければいけない。同時に私自身はバランスある報道をしなければいけないと思う。また読者の方にも、バランスをもってみて欲しい。一つの報道をもって全部を判断してしまうような新聞の読み方は良くないと思う。

(林田氏)
 これまでのコメントに対して、パネラーの方に一言ずつお願いしたい。

(二ノ坂氏)
 ODAが新しい段階を迎えており、これまで通りではいけない点は皆が共有できていると思う。また、役立ったかという点について、東南アジアの経済的な発展にはODAがそれなりの役割を果たした点はそういえると思う。同時に日本の発展にもODAが寄与している点も考えないといけない。これはODAの構造的な問題かもしれず、その目的をどこに置くのかにもよるのかもしれない。ODAの目的を経済と安全保障に集約するならば、途上国を助けることで日本も助かり、途上国が経済発展することで日本の安全保障が確保される点は否定できない事実だと思う。もう一つの問題点として、その国にとっての発展について、目指すものは経済的な発展だけでいいのかという点を指摘したい。もう一つの開発、別の道はないのか。公害問題が一つの例であるが、日本が経済発展の途中色々な間違いを犯してきたが、彼らも同じように経済的発展する上で間違いはあっても仕方がないと考えるのか。こういった点も含めて、その問題点は基本的にODAは正しく役に立っている過程で生じた過ちで、克服すべき課題とされるのか、ODAの構造そのものなかで、そういった問題を引き起こすような何か問題点があるのではないか、という捉え方の違いで、今後のODAの改善の方向性が大きく異なってくるのではないか。今後は、経済だけでなく、人権、福祉などの視点も役立ったかを見る際に重要になってくるのではないか。

(川崎氏)
 ODAは公共事業よりましという話があったが、考えてみるとODAは公共事業の見直しと非常によく似ている。公共事業型のODAは、もう少し見直した方がいいのではないか。財政、政治の関与のあり方など政府が公共事業の見直しを進めているのと同じような視点でODAを見ることも出来るのではないか。またソフト化の視点もあっていいのではないか。きめ細かくしていかないと、顔の見える援助にはならないと感じた。

(林田氏)
 たくさんの意見があったが、今後は会場の皆と考えていきたい。発言したい方は手を挙げて欲しい。

(3)市民対話

(聴衆A)
 かつて石油化学業に勤めており、タイ、マレーシアで投資をして大失敗したことがある。ODAを考える際の3つの背景が私にはある。第1は、かつてバンドン会議で、日本による戦争の傷を忘れようといって、戦後復興に向け、支援してくれたことがある。第2に、「ビルマの竪琴」で、供養するため残ってくれと言われ、日本人は涙を流した。第3に、バブル崩壊後、日本企業は海外投資から撤退し、現地では失業者がたくさん生まれた。
 この秋のシニアボランティアに合格したいのだが、お役に立てる自信はあるものの、オフィシャルなものではなく、試験に受かる自信がない。自分にはプライベートで、ミャンマーに里子がいる。10才の時から資金援助をして、今や25才で、ホテルで働いており、見事に成人した。これが自分の人生で最大の誇りで、私のODAである。日本もお金が厳しくなったが、この自分の経験からいえば、人を育てることに力を集中すれば非常に喜ばれる上、お金もあまりかからない。多額のプロジェクトをするのではなく、小出しでたくさんの人にお金を出す方が役に立つ。政府もカンボジア協力で、故渡辺美智雄議員が生前大変頑張られた。塩川財相もマレーシアで日本人学校造りに頑張られたなど、官もいいことを大変してきた。悪いこともたくさんあっただろうが、こういったことは水に流し、これから役に立てばいいと思って政府も頑張って欲しい。自分は60才近いが、この年代で大変優秀な者は回りに多く、給料は減額されてもいいから、途上国の役に立ちたいという人がたくさんいる。その時、NGOで行けとは少し寂しい。現地生活費程度が支払われ、海外で役立ちそうという推薦状でもいくつか集めれば派遣されるというシステムでも作って欲しい。

(秋元課長)
 シニアボランティアは非常に良いプログラムであり、来年度ODA予算は10%削減となったが、シニアボランティアだけは来年度も削られないように、守り抜きたい。合格を祈っている。

(聴衆B)
 福岡に来ていただき感謝している。これをきっかけに、懇談会のあり方を外に開かれたものとし、市民の声を吸い上げて欲しい。東京、神戸、仙台でもタウンミーティングを開かれたようだが、この結果をどういうふうに懇談会に反映されていくのか。中間報告でも国民参加と書かれているが、素直に意見を懇談会に反映していって欲しい。第2点として、中間報告にはODA調整官庁の指令塔機能の強化、ODA総合戦略会議の設置が望まれるとあるが、この点をもう少し詳しく教えて欲しい。

(秋元課長)
 タウンミーティングの結果を反映して欲しいとは正にその通り。今後懇談会でどう議論していくかについては、小島先生、千野先生をはじめとした委員の先生方にお願いしたい。戦略会議については、中間報告で出てきた考えで、まだ突っ込んだ議論はしていない。自分が認識しているものとしては、ODAは政府だけが行うのではなく、自治体、NGO、企業などの有識者の意見を吸い上げる形で進めていくべきで、そういった考えで出てきたものと認識している。戦略会議について、考えられているのは外務大臣の諮問機関だと思うが、具体的議論はこれからである。

(聴衆C)
 自分はフィリピンのレイテ島でNGO活動をしており、医療、文化、教育、ストリートチルドレン支援などの活動をしている。レイテ島のオルモックという場所に、フィリピンで5箇所作られたスーパードームの一つがある。シニアメンバーで日本舞踊、マジックショーなどをドームなどの施設で巡回して指導しているのだが、ドームを作って満員になったのは、2回しかないと市長に言われた。収容人数が何千人というもので、そういうドームを作っても利用されていないのは残念である。援助でどうも地元にそぐわない施設を作っていると思う。同じようにオルモックには水害で8千人が亡くなった川があるが、JICAが堤防を作った。堤防はコンクリートと石で何キロも舗装されており、どうも場にそぐわない。長持ちするようにという気持ちは分かるが、折角作ったのに、現地の意向を取り入れていないという声があった。堤防をコンクリートで全面舗装するのではなく、緑の木を植えるなど、アクセントを付けるべき。日本のODAには問題があるとされるが、こういった問題というのは、ちょっとした気配りが足りないことによるのではないか。

(聴衆D)
 自分はNGO活動でフィリピン、タイ、ミャンマー、インドにかかわっている。第1次改革懇談会ではこうしたタウンミーティングはなく、NGOからの声明文を橋本内閣に届けたことがあった。ODAは誰が決めるのか、どこが実施するのか。中間報告の大きな項目である「実施体制の整備」とあるが、多くの欧米諸国は援助庁ということで一元化されているなか、日本では縦割行政で国益よりも省益が優先され、福岡のような地方でも、アジアの玄関口ということで色々と協力をしている。総合戦略会議は、単なる諮問機関ではなく、きちんとした計画、実施、評価をする体制を整備し、単に意見を聞くのではない体制をとるべき。財政逼迫でODA削減というが、日本はトップドナーといっても、実際には対GNP比では欧米よりもはるかに劣っている。デンマーク、ノルウェー、オランダは、日本よりもはるかにパワーがあり、色々な協力をしている。アメリカ、イギリスでも、少量ながらもODAを増やしているなか、日本はトップドナーなので減らすというのはおかしい。対GNP比を上げることも必要。また欧米NGOは責任をもって任されるプロジェクトがあるが、我々弱小なNGOは、パワーを付けることも必要だが、官主導、縦割りのなか、今は草の根のような隙間を担っており、今後一分野を担えるようにしたい。第1次懇談会のあと、NGO環境整備事業、連携・提案型プロジェクトといった形で官とNGOとの関わりは拡大しているものの、更なる連携をし、イコール・パートナーシップぐらいの連携を図っていくことも必要ではないか。問題あるからODA削減というのはおかしい。

(小島委員)
 これまでの意見を聞き、福岡はさすがにODAに関する知識が高いと思った。おっしゃることはごもっともである。タウンミーティングを反映させることについては、これは一番重要である。第1次改革懇ではこうした試みはなかったが、今回は各地で開かれており、改革懇に反映させるためにこういう企画がなされた。ODAは国の政策ならば、国の主権を担う国民の意向をODA改革に反映させていかなければならない。第2に、どういう方向で改革していくかについては、自分は去年対中ODA見直しの懇談会にも参加したが、アジアの一部の地域を除いて、アジアでは経済発展はそれなりのレベルに来ている。ODAの支援対象は、生産力の拡大から質に移ってきているだろう。例えば、環境、貧富の格差拡大防止、教育などである。現実にその方向に日本のODAは足を踏み入れている。NGO活動されている方も、協力の対象はそういった分野だと思う。私自身も、北朝鮮、中国、モンゴルで環境協力に関与しているが、まさにそういた分野に焦点を絞っている。

(千野委員)
 自分も小島委員と同様な感想だが、中間報告の前文に、「経済的低迷のゆえにODAに対する国民的支持が希薄化していると考えるのは短絡」という表現があるが、その通りであり、ODAに対して強い関心がもたれていると感じた。だから、タウンミーティングの意見を今後の改革懇に反映させていくことを、委員一人一人が強く感じていくべきと思った次第。今後のODAの方向性については、ある程度出てきていると思う。一つは国毎で違うことである。ある国ではダムはいらなくなっている。ある国ではダムが切実に欲しいだろう。その国のニーズと日本が行いたいことを、国毎にきめ細かく考えていかなければいけない。第2点は、援助人材が厚くなくてはいけない。シニアボランティアに応募されている方が合格されることを祈念している。

(聴衆E)
 タウンミーティングの意見を懇談会に反映したいというが、中間報告でも国民参加とあるが、何をもって国民参加というのか。私はこのタウンミーティングが国民参加のきっかけとなればいいと思う。今日の会合では、市民対話とも言えず、また国民参加とも言えない。こういう場が設けられたことはうれしいが、懇談会にどう反映させていくのかという統一された見解がないことにはがっかりしている。また、今後、何度かこういう場を福岡で持って欲しい。それは可能なのか。また、ODA基本法の策定については大賛成。法に沿ってきちんODAを実施していければと思う。

(聴衆F)
 国民参加という点で、こうしたタウンミーティングの開催には感謝しているが、もう一歩進み、第2次ODA改革懇談会のオブザーバーとして国民が参加していけるよう検討して欲しい。

(聴衆G)
 JICAの国際研修事業を産業関係で担当している団体の者だが、その団体は20年以上前に設立され、ボランタリーベースで活動している。ODA予算削減に従って、研修予算も減っている。技術は切り売りするものではない。また研修は途上国の人作りに貢献しており、協力の一番重要な部分である。額は1兆円のうち2百数十億円と小さいが、一律にカットされるとはいかがなものか。メリハリのある予算配分や予算削減をして欲しい。

(聴衆H)
 今日の話を聞いて感じたのだが、国別援助計画を作ってより洗練されたODAをしようというのは分かるのだが、失敗するケースも出てくるだろう。そのとき、事後評価が重要で、しかもそれを第3者機関に評価させる必要がある。二度と失敗が繰り返されないように、ディスクローズしていことも重要。

(聴衆I)
 住民参加ということで、4月28日に外務省と大阪大学でWTOに対する市民との意見交換会が開催され、大変良かった。そういった機会をまたとって欲しい。

(聴衆J)
 今日こういう場を作ってもらったことに感謝する。実は九州沖縄サミット前にもここで外務省との意見交換会があった。財務省とも意見交換の場がここであった。このタウンミーティングが一つのきっかけとなり、今後もこうした会合を継続して開いて欲しい。第2に、懇談会のあり方について、第1次改革懇の場合はその後のフォローをどう実行するのか曖昧にしたまま第2次改革懇が立ち上がったと聞いている。第1次の結果をどうフォローするのか関心があるが、第2次の後もきちんとフォローを実施して欲しい。

(聴衆K)
 この夏にインドに行って、日本のODAが使われたダムと供与された機械を初めて見た。もう少し国民が直接ODAの現場を見に行ける機会があればと思う。民間モニター制度があることは知っているが、今回NGOのツアー訪れ、NGOのツアーでももっとODAの現場を見られればいいのにと思った。

(聴衆L)
 外務省のHPで神戸の議事録が載っているのに東京の議事録が載っていないのはなぜ。先ほどこうした対話を増やして欲しいという声が上がったが、市民の側から全国でこういう場を開きたいという動きが生じた場合、委員や課長には来ていただけるのか。

(林田氏)
 行ってもいいと思う壇上の方、手を挙げて下さい。

 -小島委員、千野委員、秋元課長とも手を挙げる-

 では、最後に一方どうぞ。

(聴衆M)
 ODAが役に立っているかという議論があるが、100%役に立つというのは無理だ。そこで、どういう方面でより効果的なODAができるのか考えるべき。技術による国際協力に自分は携わっているが、その国の自助努力、そのための産業工業を発展させていく人材育成に重点を入れていくべき。そういう援助ならばお金もあまりかからない。

(林田氏)
 本日は、たくさんの意見ありがとうございます。まだまだ発言されたい方もいると思うが、今日は年齢を越え、性別を越え、たくさんの方が来られた。まだまだ国民の間ではODAに関して温度差がある。近所の主婦の会話を聞いていると、経済的に苦しいのに人を援助する必要があるのかという声も聞かれる。今後とも、マスコミも含めて、ODAについて国民の皆さんと共に考えていくべきと思う。では、最後に壇上の5人の方々に一言お願いする。

(川崎氏)
 今まで伺って、福岡は嬉しくなるくらいレベルが高いと感じた。神戸、東京の議事録や概要を見る限り、今回の方がレベルが高いと感じたが、逆にいうと、普通の市民の方が来られなかったのかもしれない。結論からいうと、ODAの現場で感じた点が2点ある。一つはタイの田舎で梅酒を作っている青年海外協力隊に会った時のことである。梅酒の作り方を地域の人に教え、そこでおばちゃんたちが夜になると一杯飲むの楽しみにしていると言っている顔をみて、日本人も捨てたものじゃないと思った。一方、公共事業的な部分はいろいろと問題があると聞いており、徹底して監視の目を届かせる必要がある。また監視の目を届かせると同時に、お金を出す側の仕組み、予算がちゃんと流れているということを示す新たな仕組みを作って欲しい。

(二ノ坂氏)
 繰り返しになるが、ODAが役に立ったのかという問題はちゃんと考えていかないといけない。毎年バングラに行っているが、ここ10数年状況はほとんど変わっていない。この間、バングラに注ぎ込まれた援助の量は莫大なものであるが、隅々の人に届いていない。日本側だけの問題ではなく、バングラの行政能力の問題も大きいのだが、その点を含めてODAのあり方を考えていく必要がある。バングラは毎年20億ドルの援助を世界から受けており、その累計は350億ドルにも達する。それを今バングラの人は返している。例えば8割が成功で2割が失敗でも大体いいではないかという考えがあるが、バングラの人は100%返さないといけない。この点は忘れてはいけない。2つ目は、日本のNGOはまだ力が足りないと思うが、現地のNGOや世界各地のNGOのなかには、現地の草の根レベルでの人々の立場に立った活動がかなりあるので、そういったローカルなNGOのやり方、考え方から、日本のODAのありようを学べるのではないか。特に経済だけをコネクションのポイントにするのではなく、もっと信頼、人間、共同体といったものを踏まえた協力の仕方が出来ないかと思う。3つ目は、今日の会合では、非常に参加された方々の意識の高さに驚いているが、こうした会合は本当に継続していって欲しい。単に外務省が開くから皆さんに来て欲しいというだけでなく、NGOの側もこういうことやるから出てきて欲しいと、フォーマル、インフォーマルな形で継続していけたらいいと思う。

(小島委員)
 第1点、こういった会合のなかで示された意見は、改革懇の答申に反映するべく努力したい。なぜならば、日本のODAの方向性を決めるのは最終的には国民であると思っているからだ。その際に、様々な形でタウンミーティングを開催していくべきであり、外務省に要求したい。外務省も努力しているが、縦割り過ぎて、他の部局がしていても、経済協力局は分かっていないことも多い。外務省改革をもう少ししっかりやって欲しいと思う。国民の意向というときに、対象国の国民の意向は重視されて行くべきである。経済発展以外の様々な側面における生活の充実に向けたアナザウェイを考えていくべきだと二ノ坂氏が言われたが、これもその対象国の地域住民の声を聞いていくべきと思う。そうした方向で日本のODAを求めるならば、日本のODAは要請主義なのでそれに応えていくべきと思う。しかし、依然として住民、国民の意向が経済発展というならば、日本はあえてそういう方向のODAを考えていくべきと思う。もう一点、日本のODAの重点は今後ともアジアだと思う。アジアではまだ日本の援助は必要とされていると思う。特に最近、アジアにおいては一つにまとまろうという、一つの新地域主義の傾向が強くなってきている。私はそういった方向性が更に定着していくのにODAは寄与できるのではないかと考えている。

(千野委員)
 福岡の方のレベルが高いという話があったが、私の出身である横浜も高いのではないかと思う。つまり、日本人の潜在能力、レベルは高いと考えていいと思う。別に他国と比較して優劣を言っているのではなく、日本では当たり前になっていることが、世界では当たり前ではないことが結構あり、私たち日本人が培ってきた様々な経験を生かす、或いは生かすことを求めて待っている国があると思う。従って、今日の議論や懇談会の議論を聞いていると痛感するのだが、潜在能力があり、それをどこかで生かしたいと思っている若い方、或いはシニアの方々は非常に多いと思う。先月東ティモールにいったが、日本人の若い男女が非常に活躍していた。望んでいる人が活躍する場をどうやって作るか、ODAに機動性をもたせるとか、新たなシステムを作るなど、もっと意識的に取り組む必要があると思う。もう一点、文部科学省が考えているODAのプロジェクトの一つに米百表プロジェクトがあると聞いた。幼児教育、給食制度など日本の良い経験を海外に持って行って伝えるものだ。東南アジアでよく知られているのが日本の交番制度で、シンガポールではコーバンといって導入している。文部省もこういったことを考えているようだが、このようなものも一つのアイデアではないかと思う。

(秋元課長)
 中身の濃い貴重なご意見をいただき、感謝する。ご質問に答えると、第一に、ODA基本法を作るべきといわれたが、基本法の中身次第かと思う。ちなみに米国では対外援助法というのがあるが、最も悪い法律の一つといわれている。アメリカの行政府はこれを何とか変えようという必死の努力をしているところである。第二に、ODA予算一律カットとはおかしい、研修予算などは減らさないで欲しいという点については、まさに一律は絶対に避けようと努力している。10%といっても更に深堀りする部分、出来るだけ削減しない部分など、出来る限りメリハリをつけていきたい。第三に、事後評価を充実すべきという点については、おっしゃるとおりで、事後評価に加えて、事前評価、中間評価などもやっていきたいと考えている。第四に、第1次改革懇の結果のフォローアップが曖昧という点であるが、きちんとフォローアップされた資料があり、第1回懇談会の会合では委員の方々には説明させていただいた。御関心があれば自分の事務所に電話いただければFAXする。第五に、直接ODAを見る機会を増やす点については、民間モニター制度などをもっと充実させていきたい。来年は大学生の人に援助の現場に行ってもらい、実際に汗を流して活躍してもらうプログラムも作っていきたい。最後に、市民の側からこういったミーティングをやる際に来てもらえるかという点については、私は都合のつく限り行く。本当にありがとうございました。

(林田氏)
 それでは終わりにさせていただく。皆様ありがとうございました。
このページのトップへ戻る
目次へ戻る