参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in 秋田
(議事概要)

1.日時: 6月15日(土)13:30~15:55
(15:30の予定終了を25分延長)
2.場所: 秋田経済法科大学40周年記念館
3.出席者: コーディネーター:
・佐渡友 哲
(秋田経済法科大学教授)
パネラー:
・川口 博
(小坂町長)
・渡部 登志子
(青年海外協力隊OG)
学識有識者:
・杉下 恒夫
(茨城大学教授)
外務省:
・北野 充
(外務省経済協力局有償資金課長)
聴衆:
 約150名
4.議事概要:  以下の通り(なお、発言内容については事務局の責任の下にまとめたものであり、発言者のチェックを受けておりませんので予め御留意ください。)


議事概要


(1)まず進行係より、本件会合の趣旨説明を行った後、北野外務省有償資金協力課長より、ODAを巡る最近の動きに関し、以下の通り、説明した。

(北野課長) 秋田会合 (イ)今回のタウンミーティングについては、佐渡友教授をはじめとする地域の人々のイニシアティブで開催が準備されたと聞いているが、このような皆様の開発途上国に係わって行こうとする「気持ち」は、ODAを担当するものとして大変ありがたいものである。こうした「気持ち」を大切にすることが、現在進められているODA改革の核心部分に通じるものである。

(ロ)ODAを巡る状況

 ODAを巡る状況は、非常に厳しいものがある。外務省を巡る状況に関して、私も外務省員の一人として、色々な不祥事の発生について本当に申し訳なく思う。その外務省を巡る問題は、ODAにも影響している。今年いろいろ報道された北方4島を巡る問題は、スキームも実施方法も違い、ODAとはまったく関係がない。しかし、新聞を見ていると、外務省にこうした事件が起こったことで、ODAについても同じような問題があるのではないかという気持ちが読者の方には出てくるのではないかと思う。
 また、日本の経済財政状況は非常に厳しく、国内で難しい状況にある方々が多い中で、どうして外国のことにお金を使わなければならないのか、という声は非常に強くあり、実際、昨年度もODAの予算は10%削減ということになった。
 さらに、中国に対する経済協力についても多くの方から疑問を持たれたり、批判を受けている。このようにODAを巡る状況は非常に厳しい。
 本日は、そのような中、我々ODAを担当する側として、何を考え何をしようとしているかについて申し上げたい。

(ハ)真剣なODA改革への取り組み

 まず最初に申し上げたいメッセージは、我々が現在、真剣なODA改革の実施に取り組んでいる、ということである。本日の配布資料の中に、第2次ODA改革懇談会最終報告及びその概要がある。これは、昨年5月から関係の有識者の方にグループを作っていただき、これからのODAのあり方をどうするかを議論し提言を頂いたものである。これは「第2次」のODAの改革懇談会であるが、「第1次」というのは97年の時である。このようにODA改革の議論というのは、これまでずっと続いているプロセスである。ODAというのは、常に見直し問題点を直していく、より良いものにしていく、という努力をしていないと、時代に合わず、皆様からのサポートも得られないので、より良くするための努力をしている。そして、今、我々がどのような事項に重点をおいてODA改革を考えているのかを現わしているのがこの報告書である。
 第2次ODA改革懇談会の中身に関しては、キーワードを一言でいうと、「国民参加」ということである。さらに、これに加えて、我々が重視していることが2つあり、「透明性」と「効率性の向上」である。この懇談会の最終報告は、「国民の心と知力を総結集したODA」、「戦略を持った重点的・効果的なODA」及び「ODA実施体制の抜本的整備」の3点を中心とするものであるが、その中で、「国民の心と知力を総結集したODA」が最初の項目となっている。ODAを実施していくためには、外国と関わり、途上国の開発の問題に関わっていこうとする人が増えていき、そういう人々の力が活きていく仕組みにしていくことが重要である。そのために「開発人材の発掘育成」といったことが大切な主題となってくる。また、「ODA総合戦略会議」の設置という点も、この懇談会の最終報告の重要な提言であるが、これも、国民の意見を反映しつつ戦略的・効率的なODAを実施していくための仕組みである。今、我々は、こうしたODA改革の実施に向けて大車輪で取り組んでいるということを最初に申し上げたい。

(ニ)世界の動きの中でODAの持つ意味について

 本日、二番目に申しあげたいメッセージは、世界の動きの中でODAがどういう意味を持っているか、ということを皆で考えていこう、という点である。今、世界では、環境問題、マラリア、エイズなどの感染症、難民問題など、地球規模の問題が頻発している。また、昨年9月11日のテロ事件、それ以降、国際的に討議してきたアフガニスタン復興支援の問題も国際社会の大きな課題である。今、世界の状況を見ると、冷戦時代に蓋をされていた人種、宗教、民族などの根源的な問題が、貧困の問題と重なり合い噴出し、それが地域・世界の不安定化を招いている状況であると思う。したがって、開発途上国の貧困問題、開発問題を真剣に考えないと、この国際社会自体がとんでもないことになるのではないかという意識がますます高まっており、世界資金会議、サミットなどの国際会議の中で、開発の問題が非常に大事な問題として議論されている。途上国からは先進国からもっと援助を得たいという要望が強く出されており、先進国の側の対応をめぐって、時には両者間の対立の状況にもなっている。先ほど上映されたビデオでは日本は長年ODA第1位の座を占めていると説明されていたが、最も新しいデータでは日本は1位ではなく、アメリカに次ぐ第2位になっている。90年代、欧米諸国では「援助疲れ」といわれ、援助に振り向けられる資金が減ってきていたが、今では援助を重視しようと、アメリカやEUは増額の方針をはっきり打ち出している。その中で、日本は途上国の開発の問題にどうかかわっていくかが問われている現状であり、世界の潮流から取り残されることになりはしないかが懸念される状況である。

(ホ)日本の経済力・国際的責任に見合った規模のODAを行っていく必要性

 本日、三番目に申し上げたいメッセージは、日本の国際的な責任・日本の経済力にふさわしいODAをやっていくことが必要である、という点である。日本の国としてのあり方を考えると、世界と関わって生きて行くという以外に生き方はない。そうであれば、世界の問題にも無関心ではいられない。なぜODAをするのか、については、総合安全保障とか、人道的な配慮とかいろいろな考え方の整理の仕方があるが、すべての議論のベースとして、世界とどう関わっていくかの点がある。日本は軍事的手段を持って世界と関わっていくことはしないという選択をしている。その中で、ODAは国際社会に関わっていく上での日本としての重要なメッセージである。
 国際社会は、親切な善意だけで生きていけるものではなく、ある意味では競争社会である。即ち、異なる価値感を持った者の間のせめぎ合いであり、価値観であれ、会計基準であれ、我々の考えと違うものが世界標準になったり、それに合わさなければならないということが起こったりしうる。このようなことからすると、国際社会の流れから取り残されたり、国際社会の中で存在感が薄れるということは、我々にとって生きにくい世の中になるということである。つまり、日本としての声を出し、メッセージを出していくことが非常に重要なことである。日本は、今、経済的にも財政的にもいろいろ難しい点があるけれども、国際社会は日本を待ってくれないことを念頭におき、我々としてどうするのかを考えなければならない。
 財政状況が厳しい中、我々として援助の質の向上を考えていかなければならない。我々は、そのための努力を行っているが、質があれば量の方はどうでもいいというわけではなく、質と量の両方を考えながら実施する必要がある。色々なデータがあるが、主要な援助国のグループ22カ国の中で、日本の負担は決して高いものではなく、一人当たりのODA負担を計算すると22国中7位、約120ドル。また、ODAが国民所得にどのくらいの比率を負担しているかというと、日本は0.28%で22カ国中12位と非常に低い数字である。量が多いだけが良いのではなく、内容のある援助をすることも大切であるけれども、一方、先ほど申し上げた国際社会のあり方を考えれば、質だけではなくて量も考えなければならない。
 本日は貴重な機会を頂いたので、いろいろ御議論させていただきたい。


(2)パネルディスカッション(パネラー発言要旨)

(川口町長)  小坂町は130年以上前から鉱山の町として栄えてきた町である。明治時代、ドイツから御雇い外国人が来て、数年間指導してくれ、小坂町は日本有数の鉱石製錬技術を持つに至った。しかし、現在、鉱山は閉山されている。それは、1985年のプラザ合意以降の円高に対応できなかったことに依る。小坂の町民は、この事件で小坂の経済と世界の経済がつながり同時性を持っていることを身をもって知った。その意味では、これからの町造りは、ローカルであっても世界を見据えて地域を作っていかなければ取り残される時代である。
 こういった経験から、小坂町では、本物を残さなければならないという意識が芽生え、資源大学校を小坂町に誘致し、レベルの高い研修・研究を行っている。平成3年から、夏に20ヶ国より3ヶ月間JICA研修員を受け入れ、冬には15ヶ国からJICA研修員を受け入れており、現在までに60ヶ国以上から約400名のJICA研修員を受け入れている。この受け入れでは、研修員が町内の学校に行って母国の話をしてくれるので、我々も勉強になっている。また、国際交流の面では、ODAとは関係ないが、タイの東北部の貧困地域(カラシン、ムクダハン)の学校に行けない子供達にお金をボランティアで町民が送付し学校に行かせている。彼らと交互に1年に数回、写真と手紙のやりとりをしており、これは町としての顔の見える交流である。今年8月に、北東北3県の知事サミットの前夜祭として、子供サミットを企画しており、このイベントには、JICA研修員やタイの里子6名を招待している。

(渡部さん)  秋田の雄勝町に住んでおり、夫も私もシリアの青年海外協力隊のOB・OG。夫は、町の写真屋をしており、JICAのポスターや写真集の取材で中東、アフリカ、東南アジアに行ったり、湾岸戦争の後には、夫が国連ボランティアとしてシリアで帰還民の帰国を支援する仕事をしたり、イランにイラク難民の取材に行っている。
 雄勝町では、今現在、6名の協力隊員OB・OGが住んでおり、世界のことを思っている町にしたいと思う。そのOGの1人が、協力隊員としてニカラグアに派遣されていた時に、自分のところに、現地の音楽学校に支援したいから中古の楽器でいいから集めて協力してくれないかという依頼があった。そして、中古の楽器を集めていたところ、現地ニカラグアで市長が交代し、市の方針が変わり、状況が難しくなりそうなので、準備をやめて欲しいとの連絡があった。準備していた都合もあり困っているところに、在ニカラグア日本国大使館が協力してくれ状況が変わったので、再度進めて欲しいと依頼があった。援助をする際には、現地の受け入れ体制、どうすれば有効に使ってもらえるかを考えることが大切だと痛感した。
 私が今、行っている活動として、隊員OGとしての経験や旅行で英語が役立った経験を伝えるために、国際理解教育を英語で実施するGTICというNGOの活動に参加している。ここ11年間、ひとつき1テーマを決めて、教材を作り、子供達が生き生き参加して学ぶ授業ができるように心がけている。
 JICAのプログラムに、協力隊員0B・OGが学校の教室に招かれ世界のことを話す「サーモンキャンペーン」というものがある。先生方においては、子供達が世界を身近に感じるために活用して欲しいと思う。

(杉下教授)  私がなぜ経済協力、途上国問題に入ったかは2つきっかけがあった。ひとつが、ルワンダで78年に大量の難民が発生し取材に行ったこと。その時に今皆さんもご存知の国境なき医師団という世界的なNGOが活躍していた。国境なき医師団はその後もノーベル賞を受賞した世界的なNGOである。女医さんと看護婦さんが6、7名のチームで難民の救助に当たり、必死に助けられる子供達を手当していた。私はそれをみて感動を覚えた。もっと心を揺さぶられたのは、手当の甲斐なく死亡した子供達は、ミイラみたいに包帯を体中に巻かれ外に投げ出されているが、それに母親が抱き着いて朝まで泣いていたことだ。異常な状況の中にある難民キャンプに行ってアフリカ人の子供の死が現地の親には日本人の親ほどひどく悲しくないのかなと感じていた時期に、その母親が朝まで子供を放さず泣いている姿を見てやはり人の命はどこでも大切だと気付いた。そこで我々日本人が何かできることはないかと思ったことがこの世界に入った一つのきっかけである。
 もうひとつのきっかけは、海外の特派員を終わってちょうど日本に帰ってきた1989年頃のことである。日本がODA実績世界一になって、バッシングがあってマスコミでは日本のODAの「失敗」の側面について悪口を書いていた。そこでインドネシアのODAについて書けと命じられ、インドネシアを取材しているうちに、確かに例えば100万円投下して50万円分の効果しかあげられなくて50万円分が無駄になっているようなプロジェクトもあった。マスコミとしては必ず厳しい目でみなければならないけれども、「待てよ」という気がしたのは助かった50万円の効果によって子供の命が助かったり、子供が学校に行けるようになったりとか、効果のある50万円のほうばかり見える。ジャーナリストとしては、無駄な50万円の方に目を向けなければいけないのだが、効果のある50万円の方がどうも見える。逆に効果のある50万円を日本のODAがだめだから停止したり削減するということになれば、今学校に行けてる子がいけなくなり、今病院に行ける人たちがいけなくなってしまう。税金なり公的資金を使っているので、あまり無駄にされては困るが、我々がODAを停止して一番困るのは、ミャンマーのスーチーさんもかつて言ったように、受益している国の首脳ではなく最下層の人たちだと思う。であれば、我々ジャーナリストがやることは何かと言うと、現在50万円の無駄があるなら、40万円に減らし、30万円にするというように、無駄を少しづつ減らすために提言していくことであると思った。
 私は、この2つのきっかけでやってきた人生にそう多くの悔いはもっていない。私がルワンダで見たこと、インドネシアで見たことを微力ながら、少しずつ進めていきたい。


(3)質疑応答

(Aさん) 有償の円借款の供与条件、為替変動への対応について聞きたい。

(北野課長) 秋田会合  円借款の返済期間や利子の条件は、被供与国の経済力(一人あたりGNP)によって何段階かに分け、また、案件の種類によっても地球環境に資するものは、特に有利な条件で出している等いくつかのカテゴリーがある。このように一概には言えないが、返済期間は30年~40年が典型的なものであり、利率については、1%を切るようなものから被供与国によっては3%ぐらいまでの幅がある。
 為替変動については、円高・円安のどちらに振れることもある。「円借款」なので、円で供与し、円で返済を受けている。

(Bさん)  1つは、開発途上国では石油とか有効な資源が見つかると、テロ対策として少数民族が虐殺しそこで資源を採掘することが行われていると聞いたが、事実か聞きたい。
 もう1つは、フィリピンでは、日本企業の作った製品を運び出すための港を作っており、その住民移転のために軍が戦車を使い、住民移転を強要していると聞いたが、この点事実か聞きたい。

(杉下教授)  最初に経済協力に関心を持つ方には、ネガティブなイメージを持つ方が多いが、関心の持ち方は何でもいいと思う。ODAは、複眼的多面的なものである。一方の立場からすれば、極めて効率的なODAを実施しているということになる。別の立場からすれば、とんでもないという批判が出てきかねない。また、国際政治の状況の中で、ある政権を支持することが必要だということもある。住民移転の問題では、100人いれば100人違った意見がある中で、どこかで見切りをつけなければならない。少なくともここ10年間は、事前のアセスメントは必ずしているし、逆に慎重すぎる程の住民との折衝を行っている。

(北野課長)  フィリピンの事例では、具体的な案件名が分からないので、私の知っている例について説明させていただく。ルソン島にバタンガスという港があり、その改修を円借款で支援するプロジェクトで、住民の移転の状況を待っている案件がある。何年か前に、住民の方と警察とでトラブルがあり、円借款の実施機関であるJBICの方で協力を継続するためにはこの問題を解決しないと資金を出さないと警告したことがある。去年、私の同僚の者に現地に行ってもらった。住民の移転では相当多くの方が満足されていて、移転後もかなりの生活水準となっている。しかし、何人かの方は、移転の状況に満足しておらず、補償の金額を高くして欲しいと主張しているという報告を受けた。このような住民の移転の問題は、基本的には、その国の実施機関の方で解決してもらわなければならない。我々が直接に入っていって解決することは難しい。一方、問題が起こったときに、何もせずに手をこまねいているというのではなく、被援助国の側にいろいろと要望して、解決してもらう努力をしている。日本のODAで協力して、現地で評判が悪ければ、いったい何のために協力しているか分からないこととなってしまう。開発プロジェクトを実施するに際しては、環境社会面の影響がないわけではないので、慎重に検討して実施するようにしている。JBICでは、環境配慮のためのガイドラインを拡充し、住民との間できちんと対話が行われるよう確保することとし、トラブルが生じないように、細心の注意を払っている。

(Cさん)  他の主要ドナーが国際会議において援助の増額を表明する一方、日本はODAで世界1位と言われてきたが、実際にはアメリカが第1位となった。日本がODA実績で第2位になったことで外交の力の低下があるのではないか。
 ドナー国側と被援助国側の関係についてだが、ドナー国側がODAの実施に際して被援助国の内政に関わるような注文をしたりすることは内政干渉として途上国から反発を招く事態もあるのではないか。

(北野課長)  現在、世界的な潮流として、種々の国際会議で開発の問題に焦点が当たる状況となってきている。これに対し、日本のODAについては、厳しい経済財政状況から、難しい状況にある。ODAが1位か、2位かという問題は、表面的な問題であるが、根本的に大事なことは、日本として世界の問題に関わっていこう、環境の問題、貧困の問題に共感を持って関わっていこうという姿勢である。日本のそうした問題への取り組みが結果としてODAの1位だった。これから、厳しい経済財政状況の下、日本としての姿勢が問われていくのだと思う。

(Dさん)  今回、会場に配付されているODA民間モニターの報告書の中で、バングラデシュのジャムナ多目的橋という建設事業(有償)が取り上げられている。自分はバングラデシュからの留学生で、現地でこの橋を渡った者として、心からお礼を申し上げたい。それまで川を渡るのが不便だったのがこの橋によって生活が大きく改善した。経済的な効果は計り知れないものだ。援助の質と量の議論があったが、この質の面に関連して、調査団について質問したい。調査団の回数、その費用負担は誰がするのかについて教えてほしい。

(北野課長)  事前の調査については、円借款の場合、案件を決める前に、実施機関のJBICで数回、日本政府の側で一回は出すことが通常である。費用面では、JBICの調査団であれば、同銀行の予算、日本政府の調査団では日本政府の予算で行うので、調査の費用で被援助国に負担をかけることはない。むしろ、それよりは調査をしっかりやっていい案件を作ることが大事である。案件を決めるまでの調査に加え、その後の工事の実施の段階まできちんと、フォローアップしていくことが大事である。

(Eさん)  私は、ある団体を通じてスリランカに援助している。それに関連して、スリランカの政治情勢に関心を持っており、北欧諸国が間に立って政府と対立してきた勢力が政府と和解したという報道があった。スウェーデン、ノルウェーなど北欧は、ODA援助実績から見れば日本と比べてずっと低いにもかかわらず、調停を頼まれている。お金を出しているから国際的な信用が高いわけではないのではないか。

(北野課長)  スリランカのケースはノルウェーの外交の成功事例だと思う。このような背景には、北欧諸国がスリランカからある種の敬意と信頼感をもたれていることの反映である。日本も、例えば、カンボジアの和平、和平後の国造りでは大きな役割を果たした。どのようなケースで調停役などを果たすかは、その国との歴史的なつながりなどにもよる。中立的な要素が求められることもある。日本がODAを通じて世界の問題に関心を持って取り組んでいくことが、被援助国の側からの敬意や信頼感につながっていけばよいと思う。

(杉下教授)  北欧の諸国の対GNP比での援助額では、0.7%を越え、1人あたりの努力から言えば、日本の倍から3倍ぐらいを実施している。北欧の国などのように経済規模は小さいから額は少ないものの、国のコンセンサスとして、経済協力に力を入れていることは、この数字から読みとれる。経済規模が小さいながらに努力している姿を国際社会が見ているのだと思う。

(Fさん)  ODAの資料は、「ダムができました」、「学校ができました」という内容のものばかりである。「学校が完成したから何名の人が学校に行けるようなったか」等わかりやすく効果について説明したものがあればと思うが、この点教えて欲しい。

(北野課長)  ODAの評価のやり方に係わるご質問だと思う。評価の手法としても、「学校ができた」ということよりも、「学校ができることによってどれだけの人が教育の機会を与えられたか」、ということが重視される流れになっており、日本の評価もそういう方向になっていくと思う。

(杉下教授)  ODAの評価は進んでいる方である。ODA評価については、作ったものがどれだけ利用され、どれだけ効果を出しているかという評価をするために、今後、事前、中間、事後、第2次評価という方向に進んでいる。

(Gさん)  貧困問題は、被援助国の国内問題でもあり、被援助国の国内がしっかりした仕組みをもっていなければ、いくら援助しても貧困は解消されないと思う。

(杉下教授)  ODAは政府間援助なので、その相手政府のガバナンス、良い政府でなければ最下層には届かない。相手の民主化、透明度そういったものへの支援も実施している。途上国は民主的でないから、途上国で、いかに民主主義にして行くかどうかも、ODAの一つの目的としている。

(Hさん)  日本、ベラルーシ友好協会の理事をしている。チェルノブイリ被災者が、ベラルーシには多くいるが、その方々への支援をODAで実施して欲しい。


(4)その他

 質問終了後、パネラー4名が簡単なコメントをそれぞれ述べ終了した。続けて同じ建物内で、パネラー・コディネーターと参加者との意見交換・質問等を行う交流会を約1時間実施した。
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