参加希望 国際協力について語ろう

ODAタウンミーティング in ワン・ワールド・フェスティバル
(議事概要)

日時: 2006年2月4日(土)14時~16時
テーマ: 「ミレニアム開発目標に向けたODA戦略」
場所: 大阪国際交流センター
出席者: パネリスト:
・大西 健丞さん
(ジャパン・プラットフォーム評議会議長)
・杉田 伸樹さん
(外務省経済協力局審議官)
・高橋 基樹さん
(神戸大学大学院国際協力研究科教授)


(五十音順)

議事概要

開会
(高橋教授) 写真  それでは、できるだけフロアの参加者との市民対話の時間をとりたいと思いますので、早速始めさせていだだきます。今回のテーマは「ミレニアム開発目標」について、ODAは何ができるか、あるいはもっと広く、国際協力として日本に住む私たちに何ができるか、ということを議論してゆきたいと思っております。まず、私から今日のイントロダクションをしたいと思います。
 今回のタウンミーティングは、「ワン・ワールド・フェスティバル」の一環として行います。「ミレニアム開発目標」については、後ほど外務省の杉田さんから詳しくご説明があると思いますが、「世界にたくさんある問題、その問題について何かをしよう」という話です。世界にたくさん問題はありますが、第1にそれについて私たちは一体何ができるのか。第2に「何をすべきか」。よく話は混同されるのですが、「できる」ということと「すべきであるかどうか」ということは違うと思います。第3に「できたとしても、してはいけないこと」もあるかもしれません。つまり、三番目のこととして、「何をしてはならないのか」という議論もとても大切だと思います。こういったことを念頭に置いて、お話を進めていきたいと思います。
 国際協力がご専門の方、私よりよくご存知の方もたくさんおられますし、「素人に言うようなことを」というご指摘もあるかもしれませんが、少しお許しください。「ミレニアム開発目標」には、「開発」という言葉が入っていますが、むしろ重要なことは「開発」という言葉の背後にある「貧困」ということです。「貧困」は、人によって定義がさまざまですが、疑いのすくないことは「貧困」が人類の最大の問題ということだと思います。ミレニアム開発目標は、2000年にニューヨークの国連本部で世界の200ヵ国前後の首脳が集まり、これを達成するために「みんなで力を合わせ、足並みを揃えて貧困に立ち向かおうと決めた」ものです。この中身については多くの意見や批判があることはたしかです。しかし、ともあれミレニアム開発目標は、人類の歴史始まって以来はじめての世界中の首脳による、具体的な貧困削減目標についての歴史的な合意です。「ワン・ワールド・フェスティバル」という言葉を援用させてもらうなら、一つの世界(ワン・ワールド)を私たちがつくっていく、おそらくその出発点になりうるものだと思います。
 ニューヨークでミレニアム開発目標に合意したのが2000年9月ですが、ご承知の通り、ほぼ一年後の9月11日に、同じ都市で世界貿易センタービルが崩壊するなど同時多発テロが起こりました。それは、「一つの世界に向けた合意がなされた」、と私たちが思ったところで、冷や水を浴びせたような事件だったと思います。世界は一つだろうと思いますが、同時に世界は多様であり、多くの対立をはらんでいるということも忘れてはいけないことだと思います。そして、ミレニアム開発目標で世界は合意したと言いつつも、世界には私たちがまだ認識していない問題があり、よく知らない社会環境がたくさんある。当然、よく知ることが必要なわけです。その関連で開発途上国の人たちは違う、とか貧しい人たちの生活は日本とは全然違うということがしばしば言われるのですが、同時に私たちは同じ人間同士であるということも間違いのないことです。だからこそ、国際協力を語ろうとするのですが、やはり貧しい社会に出かけていく、日本もある意味で貧しい国なのかもしれないことを留保した上で申し上げているのですが、南の国に出かけていく際に、私たちは外国人である、特に「日本人は外国人であるということを忘れてはいけない」ことをここで強調しておきたいと思います。その意味については、後ほど説明したいと思います。
 さて、そこで、「貧困」の問題を抱える国や地域、私は経済学者なので、とりあえず「所得の低い国」と定義しますが、そういう国に関わるときに、いくつか関わりのチャンネル、経路があります。一つは民間人が自発的に参加することでできる活動、これをとりあえずNGOの活動とします。もう一つは、今日の主役であり、主要なテーマですが、政府開発援助(ODA)。政府を通じて、私たちは南の国や地域と関わりを持っています。そこで、一つ申し上げておきたいのは、「ミレニアム開発目標」という非常に大きな課題を前にして、NGOとODA(今日はそれぞれODAの立場から杉田さん、NGOの立場から大西さんに来ていただいていますが)がそれぞれ何かをしようとしている。そこで、「NGOがODAに比べてより何ができるのか」、「ODAがNGOに比べてより何ができるのか」を考えたいと思います。
 かつて、杉田さんの職場の先輩にあたる方が、「ODANGO」(お団子)という言葉―ODAとNGOの連携―ということを言われたことがあります。オダンゴという言葉自体は、最近は死語になっている、ということを杉田さんと確認をしましたが、もう一度、「ODANGO」は可能であるかどうか、ODAとNGOが互いに協力し、単独では生み出せない何かを生み出すことができるのか、こういったことも念頭に置きながら話を進めたいと思います。「ODAとNGOの協力関係なんて、もともと必要ない」というご意見ももちろん大歓迎です。私たち3人の話が終わりましたら、提起いただきたいと思います。では、早速ですが、杉田さんからお願いしたいと思います。
(杉田審議官) 杉田審議官 外務省の杉田です。今、高橋教授から提起された「ODAとNGOで何ができるか」については、最後にお話したいと思います。「ミレニアム開発目標(MDGs)」ですが、これとODAの関係を先に考えます。
 先ほど、高橋教授が話された通り2000年9月の国連ミレニアムサミットで「国連ミレニアム宣言」を採択した。その中で、2015年までの開発の目標を「ミレニアム開発目標」として挙げたということになっています。これはどこが新しいのかと言うと、特に、数字を挙げて目標を作ったということ。今まで開発については世界中で議論されていて、貧困削減のために開発をするということを、継続してきたがなかなか成果が出ない。成果が出てこないということは、その前に「成果とは何か」きちんと把握しなければならない、きちんと目標を作らなければならない、こういうことがおそらくあったと思います。ミレニアム開発目標の新しいところは、5年ごとに中間的なレビューをすることです。遠くにある目標を作り、それに合わせて、それがどのくらい達成できているかを5年ごとにきちんと見ていこう、ということになっています。2005年に、最初の中間レビューがされて、さまざまな形で国際的な会議が行われて、このレビューが話題になりました。では、中身はどうかと言うと、最初に挙げられているのが、極度の貧困と飢餓の撲滅です。これは大きな目標です。次が教育関係で、初等教育を完全に普及させるという目標、それからジェンダーの平等の推進、女性の地位向上、それから保健関係でも3つほどのカテゴリーに分けてあります。1つは乳幼児死亡率を削減させるということ。妊産婦の健康の改善、非常に問題となっている感染症関係で、エイズ、マラリア、そうした病気が蔓延することを防止するということを目標にしています。続いて、環境関係、環境に関しては持続的な開発ができるように、環境の持続可能性の確保となっています。最後に挙げている「開発のためのグローバルなパートナーシップの推進」は、開発に関して、先進国と開発途上国がパートナーシップを組んで推進していく体制を作るということです。こういった大きな8つの目標を掲げています。
 それぞれについて、具体的な例や数字を挙げています。例えば、貧困については、1人1日1ドル未満で生活する人の割合を半減させる、こういう具体的な目標を持っています。教育関係では、初等教育が完全に履修されるということ、つまり100%初等教育を受けられるようになるということ。それから保健では、例えば5歳未満の乳幼児死亡率を3分の1に削減する、妊産婦死亡率を4分の1に削減する、それからHIV・エイズの蔓延、それからマラリア等の感染症の発生を食い止める、という目標です。それから環境では、水に関して、安全な飲料水のない人々の割合を半分に削減する。こうした具体的な目標を立てたということです。そして、5年に一度レビューをすることになっています。進捗状況ですが、1人1日1ドル未満で生活する人の割合の目標は図の黄色い線で示されています。例えば東アジア・太平洋では、1990年の29.6%から2015年には14.8%にするということ。これが今のところ進んでいるのが東アジアで、15.6%くらいまで減らしている。このままのトレンドで行くと2015年には2.3%くらいまで減るという予測です。見てお分かりの通り、青い線が黄色い線より下にいっているのが、特にはっきりわかるのは東アジア、太平洋地域です。一方で、それがうまくいっていないのは一番右下のサハラ以南のアフリカです。同じような状況は、教育についても、黄色(目標)は2015年までに100%までいくとしていますが、東アジア、太平洋、あるいは中南米、カリブ、それから中東、北アフリカ、それぞれでは上まわっている一方、サハラ以南のアフリカでは非常に遅れている。
 他の指標についても、さまざまな資料があります。例えば毎年出しているODA白書ですが、この中にも地域別、分野別の進み具合が出ています。総じて言えば、アジアは非常に進捗しています。サハラ以南のアフリカでは停滞、あるいは場合によっては後退している部分も非常に多いという状況かと思います。この状況をマクロの指標で見ると、1人当たりのGDPでわかるのですが、見ての通り、東アジアは1980年代の初めまではサハラ以南のアフリカよりもずっと下だった。その後、東アジアは1人当たりのGDPを大幅に増やしたが、サハラ以南のアフリカの国々ではずっと停滞している。このために貧困削減もできない状況だということです。
 日本はこのミレニアム開発目標に関して、どのような貢献をしているかという話ですが、ひとつは「考え方をつくりだす」ということです。このミレニアム宣言を作り出す前にも、さまざまな形で日本のイニシアティブで、OECDにDACという政府開発援助に関して議論をする場で「新開発戦略」をつくり、目標を掲げてそれに向けて努力するという考え方を提案している。それから、分野別にも、保健・教育・防災・環境など、さまざまな形で日本がODAを使って、どういう協力をしていくかという基本的方向を決めています。
 今まで、日本がどのような取り組みをしてきたかということですが、歴史に詳しい方はご存知かもしれませんが、昨年の4月に、ジャカルタで50年前に開かれたバンドン会議の50周年として、ジャカルタでアジア・アフリカの閣僚会議、首脳会議が開かれました。そこで「ODAを増やします、特にアフリカを支援します、3年間で倍増します」と言っています。それから7月には先進国サミットがあり、ここでもODAの事業量を戦略的に増やすとして、5年間で100億ドルの積み増しをするとしています。「アフリカン・ヴィレッジ・イニシアティブ」という、これはひとつの学校をつくる、病院をつくるという話だけではなくて、アフリカのコミュニティを総合的に発展させるという考え方を取り入れることを提唱しています。それがまとめて出てきたのが国連の首脳会合で、これは9月に行われています。
 日本の考え方ですが、開発に関しては「オーナーシップ、パートナーシップ」を大事にするという考え方です。オーナーシップというのは、開発をする国、その国の自助努力、あるいは自分の責任、つまり開発を行うこと自体はその国の責任であるということです。それに対してパートナーシップは先進国が協力をしていくという考え方です。ですから、あくまでも開発の主体は開発途上国にあります。それから「人間の安全保障」。これは、安全保障というと、普通は軍事や外交の話をするのですが、そうではなくて、「個人やコミュニティに焦点をあてた人間一人ひとりの保護と能力の向上の必要性」に視点を充て、そこから経済成長を通じて貧困削減をするというのが基本的な考え方です。あとは平和の構築、災害の取り組み。平和の構築に関してはこれまでもやっています。アフガニスタンやイラクでの取り組み、災害では津波支援や昨年のパキスタン地震に対しての取り組みがあります。経済成長を通じた貧困削減については、例として挙げているタイの東部臨海地域の開発ですが、工業のためのインフラとして港を整備する、あるいは農業開発で灌漑設備をつくるということをやっています。それから社会分野ではさまざまなことをやっています。教育については、ホンジュラスでの算数教育、アフガニスタンでのジェンダー間の平等のための貢献。保健では、インドネシアで日本の母子手帳のようなものを導入、マラリア対策で蚊帳を配布。環境についてもやっています。
 最後に、高橋教授が話された「ODANGO」の話ですが、ODAに関しても、NGOが、一つの担い手だとして、政府としてきちんと考えています。具体的にはODAの枠組みの中でも日本のNGOを支援するという仕組みがあります。協力相手国のNGOに対して協力をする「草の根無償資金協力」もあります。ODAのできることはさまざまあり、開発の課題も多様にあります。そういう中で、うまくNGOと協力してODAを使っていけたらと思っています。私からは以上です。どうもありがとうございました。
(高橋教授) 高橋教授 手短にというお願いをしましたので、杉田さんには簡潔にご説明いただき、ご協力ありがとうございます。ミレニアム開発目標が何か知らなかった方も、杉田さんのわかりやすい説明で共有できたのではないかと思います。
 それでは次に、NGOの立場から、大西健丞さんに発表いただきます。今日は、大西さんがどういう人か見に来られた方も多いと思いますが、先ほど触れた9.11(セプテンバー・イレブン)と大西さんは、切っても切れない関係にあるのかもしれません。アフガニスタンにアメリカが攻撃をしたわけですが、その後、日本のNGOが大変な活躍をして、その渦中で日本の政治家や指導層の一部がどのようにNGOを捉えているか、ということが大問題になりました。これは2002年のことですが、その時に、ある意味で矢面に立って、言ってしまえばNGOの立場を守りぬいて、「日本の国際協力にNGOあり」、を示したのが大西さんではないかと思います。今日のお話は、大阪出身ということもあって、発表いただくのにまさに最適な方ではないかと思います。どうぞよろしくお願いします。
(大西さん) 大西 健丞さん ご紹介いただきました大西です。よろしくお願いします。今日、10分時間をいただいてお話をさせていただきますのは、ジャパン・プラットフォーム(以下JPF)という社会的なインフラをどうしてNGO主導でつくったのか、また、それがどう働き、問題点があるかどうかを率直にお話します。今日はODAタウンミーティングということです。確かにODAを使わせていただいている立場ですが、私たちはNGOで、決してODAを守る立場ではないので、比較的辛口になるかもしれません。ご容赦ください。
 まず、JPFの構想が出てきた発端をお話しします。今から7年前の1999年にコソボ紛争で100万人以上の難民が発生しました。その時に、日本のNGOは非常に苦労しました。なぜかというと、なかなか寄付が集まらない。募金をしても寄付が集まるのにたいてい数ヵ月かかり、急に起こった紛争による難民の支援になかなかお金がまわせない。外務省やODAにも、緊急事態、特に紛争地帯で緊急用の資金を供給するスキームが全くなかった。99年ですから、ついこのあいだの話です。現場に行った私たちは、多くの人が野ざらしになっている中で何もできないことに大変苦しみました。そこで唯一できたのは、阪神・淡路大震災の時に使った501戸の仮設住宅を兵庫県から無償で譲り受け、外務省でも善処していただいて、無償資金を使って輸送することでした。ただ輸送したのではなくて、写真を見ていただいておわかりのように、下にレンガがあって、ねずみ返しが付けてあったり、神戸よりコソボの方が寒いので断熱材をさらにたくさん入れたり、雪が降っても大丈夫なように屋根を補強したりしました。そうやって501戸の仮設住宅を持っていき、冬が来る前に建設した。これはハードシェルター、つまりテントでない硬い住居としては、ヨーロッパの国々にも先んじた最初の住居でした。ただ、量的に見ると、先ほど説明したように、まだ外務省からのスキームもないし、税制優遇を含めNGOを支える社会的なインフラが整っていなかったがゆえに、日本のNGOは欧米のNGOに比べて非常に小さな活動しかできなかった。“Small is beautiful”という言葉があります。私は開発援助においては小さくてもきめ細かな活動が重要だと思いますが、緊急援助の時は“Small is not always beautiful”です。ある程度のスケールメリットがないと、難民キャンプで何をしているのだと唾を吐きかけられるようなこともあるので、一定の量を確保することが必要です。
 同じ1999年、コソボで活動している最中に東ティモールの紛争が起こり、また避難民が出てきました。オーストラリア軍が介入を、カッコ付きの「人道」介入という形で行った時には、すでに何10万という家が焼かれていました。ですから、焼かれた家を至急建て直す必要があり、ピースウィンズだけで5,300戸近い家を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協力して1年以内に建て直しました。なぜ国連と組んだかというと、やはり外務省のスキームの使い勝手が悪かったからです。スピードが非常に求められているのに、時間がどうしてもかかってしまう。特にやっかいだったのは大蔵省主計局(当時)とのやりとりです。当時の大蔵省も現地を知らないので、私たちからすると、ほとんど嫌がらせではないかと思うような質問がたくさん来ました。それに対して、全て外務省を通して答えないといけない。外務省の人も夜中まで大変でした。別に悪意を持って遅らせていたわけではなく、日本の仕組みがそうなっていたわけです。全く緊急事態に対応できるようにできていなかった。そうした状況で、国連から委託を受け、車も全て国連の提供で、私たちは援助活動をしました。
 この2つの経験から、私たち東京にあるNGOのいくつかは同じ思いを持ちました。それは、日本のNGOは欧米に比べてまだ経験が乏しいし、比較的小規模だと。その中でCNNやBBCがどんどんお茶の間にライブで紛争の悲惨な映像を届けるようになり、一般の人たちの関心が大きく高まってきた。特にNGOは何かしないのか、何かあれば応援する、という機運が高まってきます。当然、外務省に対しても何もしないのかという声もあったと思います。そこで、よく考えたらNGOは市民社会的なものが発達しているところから出てきている。でも日本を見たら、明治以来150年間、どちらかと言えば権威主義的な発展をしてきたために、そういった社会的なインフラが全くと言っていいほどなかった。NPO法が1998年に施行されましたが、それまでNPOは法人格すらなかった。私たちが団体をつくった時は、電話も個人名義で引かざるを得ないような状況でした。社会的なインフラが整っていないと、NGOがいくら頑張っても限界があるので、「プラットフォーム」という言葉には基盤という意味がありますが、要するにNGOが拠って立つ基盤をつくろうと考えたわけです。
 これは学問的には少々荒すぎる言い方ですが、簡単に言えば、社会を3つの部門に分けるという説明がよくあります。第1セクター、第2セクター、第3セクターと分けて、日本の場合、最初のファーストセクターが国や地方自治体の政府機関、2番目が企業社会、3番目がサードセクターと言われたり、一部には市民社会と言われたり、シビルソサエティと言われているところです。日本の場合、この3番目の勢力、つまり民間非営利のセクターが公益を担うという発想が乏しかったために、それを支える団体が非常に少なかったと思います。最近では「官から民へ」という言葉が唱えられていますが、私たちの感じるところでは、「官から民へ」の「民」には3番目のセクターは入っていないという気がしています。
 JPFにはNGOや政府だけではなくて、企業社会の人たち、もしくは会社そのもの、財団、メディア、もちろん監査法人もですが、あと学識経験者、そういった人たちに入っていただき、評議会というところで援助方針などを議論しています。今まではNGOと外務省の話し合いで基本的にNGOに対する支援が決まっていたのですが、外務省からの資金、つまり税金を使った資金だけではなくて、経済界からの資金も導入しようとしました。もちろん個人からも。なぜかというと、ODAの資金にはやはり費目によって制約が多少あるということと、例えば具体例ですが、イラクに関しては2003年のイラク戦争まで、イラク北部に入っていた私たちのNGOに対しては外務省からの資金援助はなかった。サダム・フセイン政権と日本との関係の中で、やはり政治的に影響するという理由からです。資金が出そうになって、与党のミッションが行くと止まってしまうということもよくあったのですが、いずれにしろ、そういう微妙なところでなかなか資金が出ない。やはりバランスを持たせるために、民間からお金を入れる必要があるということになったので、ここではいろいろな企業、もしくは個人からたくさんの資金や物資の援助をいただいています。
 コソボの時は少数のNGOが少量の援助をするだけだったのですが、アフガニスタンの9.11以降の緊急支援で、日本のNGO9団体がこれだけの地域に展開してJPFの資金を得て活動しています。これはODAです。最初は、企業や個人の寄附はすぐには集まりません。ですから、最初の半年はODAに支えていただきました。この写真はアフガニスタン支援の具体例です。2001年7月と書いてあるのを見ていただきたいのですが、9.11の前からアフガニスタンに入って調査していました。私自身行って、タリバンの兵士に案内してもらいました。当時タリバンはテレビを見ることもカメラで写真を撮ることも禁止していました。でも、彼はたまたまインテリで、「俺が後ろを向いている間に写真撮っていいよ」ということで、この写真になったわけです。次の写真は何かというと、3年間続く干ばつで村が放棄されて、空になりました。2001年7月の段階では、このように木切れにボロ布をかけて自分でキャンプをつくって、大量の避難民が都市のそばに流れ出てきていたわけです。一方、首都のカブールの4分の1近くが、このように荒廃した状態のままでした。こういったさまざまな問題がある中で、乳幼児死亡率も非常に高かったのですが、2001年7月の段階で、プラットフォームがNGOに資金を出してアフガニスタンで援助活動を展開することが決まりました。そこへ9.11の事件が起き、日本人はすぐに隣のパキスタンに引き揚げました。というのは、人質に捕られる可能性が非常に高いと判断したからです。ところが2ヵ月の空爆の間に、先ほどの避難民キャンプはもっと酷い状況になっていまして、冬が来る前にテントをどうやって輸送するかということが大問題になりました。テント以外に、もちろん食料や日用品もありました。この写真の谷を通って行き、一番の難所は4300メートルのサラン峠です。秋でしたからすでに凍っており、トラックが滑って崖下に落ちていくことがよくありました。落ちたらバラバラです。さらに問題があって、この道のわきには対戦車地雷が埋まっているのです。滑って道からはみ出たトラックの前半部分が完全に吹き飛んで、まだ肉片が凍りついた状態で放置されているというシーンもたくさんありました。大変な状況下だったので、リスクを分散するためにテントの一部をトルクメニスタンという隣国まで、世界一大きなアントノフという輸送機を使って飛ばし、4分の3はトラックでなんとか運ぼうと、こういう道を通って行ォました。私たちのトラックも1台が崖から落ちてバラバラになりました。ただ、幸いにしてドライバーは15メートルほど落ちたところでドアを開けて脱出し、無傷で帰還しました。
 この写真は冬が来る前に何とか届いたテントです。日本のNGOとしてはたぶん初めての経験で、5,300張のテントをキャンプに届け、5万人近い人々を収容できました。地平の果てまでテントです。テント代だけで数億円、輸送費も含めると本当にかなりのお金になるのですが、社会的な基盤であるジャパン・プラットフォームを通じてODAに支えられ、企業社会にも支えられ、一般寄附者、個人にも支えられました。それが機能して、初めて日本のNGOがこういったキャンプを運営することができるようになった。これは私たちにとって非常に大きな進展でした。
 この写真には「イオン」のロゴが見えますが、そうしたスーパーマーケットでも募金を行い、これも2億円くらい集まりました。いろんな企業や市民に支援していただき、国連とも提携して、1月の段階で5,613家族が先ほどのキャンプで暮らせるようになりました。
 JPFは、設立されて5、6年の間にすでに10カ国で活動し、総予算56億円弱が使用されています。さまざまな国がありますが、特に最近ではパキスタン、スマトラ、イラクと、多くのメディアを騒がせた地域でも支援を展開しました。もちろんピースウィンズ・ジャパンだけではなくて、他の団体もそれぞれ裨益する仕組みなので、最初は参加するNGOが13団体だけでしたが、現在では約25団体になりました。
 このグラフはJPFの資金の推移です。2006年はまだ始まったところですので、当然少ないのですが、比較的順調に伸びています。このエンジ色のところが民間資金です。一目瞭然ですが、ODAがかなり大きいです。これがJPFのある意味、現実であって、ODAももちろん増やすようにお願いしていますが、民間資金をもっともっと増やすことが大きな課題です。現在さまざまなところをまわって、JPF自体の改革を行い、理事に経済界のリーダーにも入っていただこうと、内部のガバナンス改革をしています。
 最後に、外国政府による援助と日本の援助を比較します。欧米の各国は紛争地帯にも、また、非常に治安が不安定な貧困地域にも現地事務所を出して、自国の団体を含めたNGOを支援しています。残念ながら日本の場合、イラク戦争のころから少し変わり始めてはいますが、大使館などの政府機関が現地にオープンしていない。日本のNGOとしては非常に苦しむことになります。現状ではイラクでもバグダッドの大使館が開いているので、今までと比べたらすごいことだと思いますが、JICAは残念ながら撤退しました。それはセキュリティの問題があって当然と言えば当然ですが、各国との比較で見ると、やはりもう少し腰を据えてリスクを分析し、リスクを取れる人材を育てて、リスクの高い遠隔地域にも在外公館や地域事務所を開いて留まってほしいというのがNGOの感想です。現地事務所がないと、現地で一次データが取れません。一次データがないと現状がわかりませんし、情報の交換ができません。日本人はよく情報はタダでもらえると思っていますが、現場では情報が一番高いものです。そうしたものを現地でしっかりと得て援助計画を立て、できるだけ困難な地域でもNGOとJICAや外務省などが連携を取ってやりたいと考え始めているところです。どうしても在外公館やJICAが出てこないのであれば、仕方がないのでJPFだけでも事務所を出してしまおうかというのが現在の考えです。
 普段は40分で話す内容で、もっと話はあるのですが、今日は10分ということで、簡単にバシバシと切りました。後半で皆さんとお話しできると思いますので、敢えて少し刺激するようなお話をしました。決して外務省が嫌いというわけではなく、たくさん友人もいますし、尊敬できる方も多数いますので、敢えて事前に言っておきます(笑)。
(高橋教授)  現場の大変な重さというか、厳しさが伝わってくるような発表だったと思います。特に大西さんが関わってこられたのは緊急援助ですが、最近は、先ほども指摘があったように、復興あるいは開発援助とどのようにつないでいくかというのも大きな問題になっていると思います。私もODAの、特に開発の現場から見た問題をお話ししたいと思います。私自身は現場の人間ではありませんが、友人は霞ヶ関よりも現場に多くいます。現場の人たちは霞ヶ関に対して声を上げられないところがあり、そうすると杉田さんは違うとおっしゃるかもしれませんが、それを代弁したい面もあります。杉田さんの名誉のために申し上げておくと、杉田さんが悪いのではなくて、大西さんが仕組みとおっしゃいましたが、仕組みのために、現場の方たちが非常に困っていることがたくさんあります。皆さんが私の報告を聞いて、現場の人たちが言っていることはもっともだと思われたら、皆さんが有権者であり、納税者ですから、「仕組みをこう変えたらいいではないか」と発言してください。そうすることで、杉田さんの仕事がしやすくなると思います。そういう発表をこれからしたいと思います。
 私の専門はアフリカです。現在の一つの仕事は、日本の政府はODAの国別援助計画をつくっていますが、その原稿を書くというものです。現地とも、いつもメールなどでやりとりをしたり、最近は便利なのですが、テレビ会議を使って、現地と直接、日本にいながらにして話をしたりしています。そうした話に基づいて進めていきたいと思います。
 これは杉田さんから紹介がありましたが、「ミレニアム開発目標」を見たとき、アフリカが最も困難な状態にあるということです。先ほどの紹介があったところで確認しておきたいのは3番目の点。アフリカは1990年から比べると1日1ドル未満で生活する人口が実は増えています。1990年から2001年の間に44.6%が46.4%に増えている。この1日1ドル未満の人の人口比率が半分近くもあると同時に増えているのです。これは、世界銀行のレポートから取っているのですが、無理に将来の予測線を貧困人口比率が下がるように描いていますが、本当にそうなるという保証はどこにもありません。そうなってほしいという希望で描いてある、といってもよいものです。2015年は38.4%に減ることになっていますが、実はそうなるかどうかは誰にもわかりません。その38.4%にしてもアフリカにとってのミレニアム開発目標としての貧困人口比率は22.3%という、これも相当高い数字ですが、その目標に遠く及びません。いかにアフリカの問題が深刻かが、この経済学者がつくった数字を信じていただけるとわかると思います。私たちは、そのアフリカの中から、エチオピアという大きな国を選んで日本のODAがどうあるべきか、あるいはNGOとの協力がどうあるべきか、ということを計画の案に書いています。エチオピアという国の名は、ここで私と同世代以上の皆さんの中には、飢饉や飢餓、貧困というイメージとともに思い出される方が多いと思います。1970年代、それから80年代に大飢饉を起こした国です。同時に、エチオピアは、長い間内戦を戦って、しかも70年代には革命があり、90年代にはまた政権の交代がありました。70年代には帝政が廃絶され、多くの方がご存知のハイレセラシエが、最後の皇帝となった革命がありました。また90年代にはエリトリアがエチオピアから分離独立をしています。そしてその2つの兄弟国は、独立国になると戦争をします。世界の最貧国が一機で何千万ドルもするようなミグ戦闘機などの兵器を買って戦争をしました。また、90年代には長い間の内戦を経た後、やっと平和になり、エチオピアの中で連邦制と複数政党制を採用するという、大変な激動の歴史を経てきています。
 さて今申したように、エチオピアは世界で一番低い所得の国のひとつとして位置づけられています。この中で11,000円以上をお財布の中に入れている方が多いと思いますが、多くの皆さんの今の財布の中に入っているそのお金よりも、エチオピア人が平均的に1年間で稼ぐ所得の方が低いのです。こうした貧困、あるいは飢饉と飢餓は、実はエチオピアの政治を動かすとても大きな要因になってきました。ハイレセラシエが皇帝を辞めざるを得なかったのも、実はもともとは飢饉に原因があります。彼がそれを防止できなかったことがとても大きな問題になりました。しかし、いつもエチオピアは常に飢饉という問題と一緒に語られるのですが、90年代以降は頻繁に干ばつが襲ってくる、雨が降らないことがありましたが、大飢饉に発展することは防いできた。アフリカというと、私たちはいつも貧困で飢餓で、内戦をしていて可哀そう、というイメージがあるのですが、非常に貧しいながらも何とか過去のような大変な事態が繰り返されることを防いできている国があるということも認識する必要があります。それにもかかわらず、エチオピアは、先ほど説明したようなアフリカの貧困の中でも最も深刻な状況におかれています(図の左一番上にエチオピア1995年から2000年と英語で書いてありますが、エチオピアは左上の一番隅。)この縦軸の意味は、どれだけ貧困層が増えたか。ほぼ16~17%、エチオピアでは増えたということです。同時に、この水平の軸はどれだけ一人当たりの所得が減ったかということです。先ほど、皆さんのお財布にあるお金よりも一年の所得が低いと言いましたが、その低い所得がまた下がっている(ただ、ごく最近年は状況が少し違います)、そういう国です。経済学者を信じていただければ、こうした状況がエチオピアという国については、マクロの平均的な数字としては言えるということです。
 さて、先ほどから「人間の安全保障」という言葉が出ていますが、これは皆さんもご承知のJICAの緒方理事長が大変力を入れていることでもあり、日本のODAの新機軸とも新しい理念とも言われています。人々の生命と生活、先ほど杉田さんからも人々や個々人ということが強調されていましたが、人々に注目しよう、安全保障はよく国家の安全保障として語られることが多いのですが、国の安全保障、軍事的な安全保障ではなくて、人々の安全、生活というものを考えようということだと思います。同時に重要なことは、ミレニアム開発目標は高い目標ですが、前に進むことだけではなくて、後に退くことを食い止めることが必要だということです。これは大変結構なことだと思います。そういう意味では、エチオピアは、日本が人間の安全保障を追求する限りは決して見過ごすことのできない、むしろ最も優先して取り上げる国だと思います。そこで、日本政府としては、最初に国別援助計画をアフリカで策定する国の一つとしてエチオピアを選んだということです。
 さて、ODAを見るときに、少し観点を変えて、皆さんの多くは、大西さんの話を聞くと、NGOの援助は本当に緊急のニーズがあるところに届いているけれども、私たちの税金から出ているODAは本当に届くべきところに届いているのか、あるいはODAで働く現地の人がいるというけれど、その人たちは届くべきところに届けているのかということを疑問に思われると思うのです。私はその疑問に思っている人たちに逆に伺いたいのですが、その問いは本当に正しいのでしょうか。緊急援助を除き、貧困や飢餓、私たちは大変な問題がエチオピアにあることを確認しましたが、外国の援助がそれを無くすべきなのでしょうか。もっと問い方を変えると、外国の援助だけで遠い未来に向かって30年も40年も後まで、貧困や飢餓を撲滅することは本当にできるのでしょうか。非常に単純な(しかし、真実だと思われる)話をすると、貧困や飢餓の撲滅の主役は、本当は貧困や飢餓の状況の中にある人々、彼や彼女ら、その人たちそのものだと思います。あるいは、彼や彼女がつくっている政府でなければならないだろう、そう私はあえて皆さんに問いかけたいと思います。それを、改めて日本の援助の昔の理念である自助努力という言葉を使ってみると、そういうものを果たして効果的に支援できる援助とはどんなものか、という問い方をしなければいけないと思います。問題は、昔のハイレセラシエのように自分は贅沢な生活をしながら、国民が飢饉に苦しんでいる時に、それについて何もできないような政府、あるいはハイレセラシエは腐敗していなかったかもしれませんが、多くの貧困国にある、極度に腐敗していて無力な政府、自分たちの国に貧困や飢餓がありながら、そのための努力をしない政府に私たちはどう向き合わなければいけないか。これが実はODAの一番深刻な課題だと思います。政府ではなくて人々をパートナーとする支援ということはよく言われます。しかし、それは人々が自発的にやっているNGOの正当な役割であっても、本当に政府の仕事なのか、それを、私は皆さんに問いかけたいのです。
 ODAは、政府と政府の間の協力です。欧米の人たちはそこで何をするのか、(欧米と言ってもさまざまな国があり、十把一絡げにすると怒られるかもしれませんが)悪い政府があるとすれば、それに圧力をかけて、場合によってはアメリカのネオコンと言われる人たちがそう言われていますが、武力によってでも倒してしまう。しかし、今のイラクの状況が如実に示しているように、そういうやり方は多くの破綻国家を生み出しているだけかもしれません。今のイラクの状況がそうであるようにたくさんの悲劇が生まれています。今ここで、私は日本がとるべき欧米と違ったやり方を具体的に提案するだけの能力はないのですが、ただ言えることは、おそらく政府のあり方に問題があって貧困が放置されている国の内部の状況について、ほとんど私たちは忘れ去っている。まず忘れないことが重要である。私たちはそういう国にわざわざ出かけていく人のことを「馬鹿みたいに危険を冒している」と言ってしまいますが、そうでしょうか。私は彼らの気持ちをそういう国の内部の問題を見つめてきた人たちとして、尊重することが必要だと思います。
 そして、どんなに腐った政府だろうとそれは人間がやっていることですから、彼らに話しかけることが必要だと思います。エチオピアは何千年も続いたといわれる帝政を国民がひっくり返しました。ひっくり返し方は間違えていたかしれません。けれども、エチオピアがそうであったように、アフリカの貧しい人たちは貧困への怒りを決して忘れてはいません。声を上げられれば、彼らは上げてきています。決して彼らは諦めてはいないし、立ち止まってもいないということを認識することが必要だと思います。
 今、私は国別援助計画を現地で活動しておられる方々と一緒になって書いていますが、重要なことはやはり相手の国を見つめるということです。相手の国の事情をきちっと捉える必要がある。日本はどうしても外交の一環として援助を考えてしまうので、相手の国が多くのことについてやってくれと言うと、百貨店のようにやってしまいます。そうすると薄く広く広がって、何も効果が出ない援助になってしまう。だから一番重要なテーマを選んで、日本ができることの中で一番効果的なことをやろうということを議論しています。それは「選択と集中」ということです。
 それからエチオピア政府は、先ほど腐った政府があると言いましたが、今、一生懸命自分たちで計画をつくっています。それを無視した援助はしてはいけない。
 同時に、大西さんからパートナーの話がありました。杉田さんからも指摘がありましたが、エチオピアを援助しているのは日本人だけではない。イギリスも援助していますし、国連機関も援助していますし、多くのNGOが援助しています。独りよがりの援助、これが一番いけない援助だと思います。一緒に働くパートナーを大事にする援助。こう言うと、一部の方が「日本はどこに行ったの?」「日本の顔はどこで見せる?」「日の丸はどこではためかすのか?」と言われるかもしれません。そうした援助を主張する方と何回か対話をしてきましたが、話を詰めていくと、「日本が苦しい時になぜ援助するのか」「日本の税金なのに、日の丸をはためかせてくれる企業をどうして連れて行かないのか」「日本の企業に請け負わせることは大事だ」と言われることがあります。そういう方に是非考えていただきたいのは、そうして見せる日本の顔は美しい魅力的な顔でしょうか、ということです。日本のODAはそうした試練に直面しているのです。
 国連の安全保障理事会の常任理事国になることは、昨年うまくいかなかった。このことを聞かれると杉田さんはご担当ではないので困られるかもしれませんが、日本政府が期待していたのはアフリカの票でした。アフリカの票が十分入らなかったとすると、もしかしたら、私たちの見せる顔が魅力的でなかったのかもしれません。
 私は顔を見せるのではなく、理念を表す援助をするべきだとずっと主張してきました。しかし、例えばお前の国の政府は悪いとか腐敗をしているとか、自分の国の貧困や飢餓に向き合ってないとか、しっかりしたことをやっていないと言うことは簡単ですが、その言葉はそのまま自分たちの社会に返ってきます。「君たち、貧困削減や腐敗防止の問題についてはこういう風にやってほしい」とエチオピア政府に言うことは、逆に日本がしっかり同じことをできているのか、ということになるわけです。今、「格差社会」とか「下流社会」という言葉が流行っていますが、私たちの社会が本当に胸を、エチオピアの社会に向かって張って、同じようにしろと言えるような社会であるかどうか。今日答えを出すようなことはしませんが、一言問題提起だけを申し上げておきたいと思います。
 理念を表す援助というのは、私たちは本当に国際社会において、貧困や飢餓の削減に役立つ理解やそのための知恵を持っているかどうかが試されるのだろうと思います。その答えとか知恵というのは、やはり相手方の主体性を重んじて、共に悩んで共に考えることからしか始まらないのではないかと思います。極めて抽象的な問題提起ですが、今ODA改革では霞ヶ関でも悩んでいます。それは、本当です。霞ヶ関の人たちは悩んでないと皆さんが思われると、それは少し可哀そうだと思います。もっと皆さんにご理解いただきたいのはODAの現場の方も悩んでいます。大西さんのようにODAとの連携をうまくつけていきたいと思われているNGOの方々も悩んでいるでしょうし、またNGOそのものの発展を考える立場からも悩んでいる方もおられると思います。
 すみません。今日は私が一番時間を使ってしまったかもしれませんが、残りの時間はまだたっぷりありますので、このあたりで話を深めていきたいと思っています。進行と発表といろいろやっていますが、立場を司会に変えます。ありがとうございました。
(高橋教授)  あえて議題を挙げて、ここで仕切ることはしませんが、私は「仕組み」ということが、ひとつ大いに問題になると思います。それから、大西さんからも提起がありましたが、「日本は権威主義的社会だった」というのは、ある程度本当だと思います。国際協力をやっていくと、日本の社会のあり方は深刻に問われることだと思います。それから、これはもう少しプロの方の関心があることだと思いますが、緊急援助から復興、そして開発というこの継ぎ目・つなぎ目の問題が、「人間の安全保障」になる過程も非常に問題になっています。こういったことが非常に興味深く、私たちが深めることのできる具体的な問題ではないかと、一応提起させていただきました。しかし、これに縛られる必要はないので、フロアからどんどんコメントや質問をしていただきたいと思います。いくつもあると思いますし、多くの方に発言していただきたいのですが、まず今日は、日本国際飢餓対策機構の清家さんに関西のNGOということで口火をきって頂きたいと思います。清家さん、お願いします。
(清家弘久さん:
日本国際飢餓対策機構)
 ありがとうございました。今日は、特に「ミレニアム開発目標(MDGs)」を市民にどう広げていくかというタウンミーティングだと思いますので、その辺を聞いてみたいと思います。
 2005年の中間発表で、やはりこれはかなり難しいだろうという見解がなされています。そこで今、言われているのは、いわゆる「良い統治、good governance」。「良い統治」の政府に向けた開発をまず先に進めていって、目標値を上げていくことが言われています。そこでですが、本当に必要とされているところは、高橋さんが先ほど言われた「相手国政府がやるべきこと」ということは確かにある。しかし、本当に必要とされている国や地域はある意味「good governance」がないところ。数値目標だけを上げるならば、「good governance」があるところで、ODA資金をどんどん使ってやってしまう。そして、MDGsにどれだけ貢献したかということを示すことができるということは、ある意味、非常に簡単だと思います。先ほど、杉田さんが最後のほうで、タイでの報告をされましたが、果たして、未だタイへの支援が必要とされているのかと疑問に思います。そうした「good governance」のある国でもやってしまうことが国連で話されていますが、それに対して日本としてはどういうスタンスでやっていくのかについて聞きたい。それからもう1点。外務省としては日本のNGOが育ってきたと思っていると思いますが、日本のNGOの税制の面で、NPO法人に対する税制優遇に関して議論がなされているが、まだまだ制度は整っていない。現段階では、NGOが本当の意味で成長・成熟していないと思う。ODA資金はどんどん投入されているけれども、しかし、実は市民の参加は会員数でいくと横ばい。2001年から横ばい、または若干下がっているという現状で、日本のNGOが果たしてODAの関係者から見て、信頼できるパートナーになってきているのか聞きたい。
(高橋教授)  時間も限られているので、あと2人、3人から質問なりコメントをいただいてお答えいただきます。どうぞ。
(質問者A) 写真 先ほどエチオピアという話がありましたが、第二次世界大戦前、エチオピアのハイレ・セラシエの王室と日本の貴族との縁談話があり、日本とエチオピアはとても親しくしていたということ。タンザニアやケニアを含めて、東海岸の国や地域は日本との関係上、大変よい選択。というのは、アフリカはヨーロッパが、中南米はアメリカが面倒を見る、という暗黙の了解がある。だから、植民地で宗主国も多かったから、ヨーロッパはほとんど日本が関与すると批判される。ところが、歴史的にも関係のあるところであれば入りやすい。もちろん、スペインやモロッコから南アフリカに至るまで、商社や銀行、メーカーなど多くの企業が進出していますが、それはいい選択だったと思う。
 また、「good governance」については、やはり政府がきちっとしていないと、いくら支援しても無駄。加えて、企業が進出できない。東南アジアではミャンマーに対して法務省が民法の法整備支援に出かけて、これが非常に現地にも喜ばれているという。これもODAの一環に入ると思う。加えて今、タイかベトナムに商法の法整備のために出かけている。また、これはNGOになるのかもしれないが、東大の法学部の学生がジブチの政府の政治システムの整備に協力したり、などの例がある。そういう地道な取組みもあるし、ODAは国対国のため、紐つきで出て行って日本の経済を活性化させ、日本の高度な技術を移転したり、非常に政治的な面もある。例えば、ユニセフやユネスコのポストを取るために、ケニアに援助を出したりなど。これは、イギリスやフランスが権力をもっているため、その関係国に経済協力ODAを行い、ポストをとって日本の世界遺産・アジアの世界遺産が大変たくさん登録されたという経緯がある。そうして政治的に使わなければならないODAと、本当にJICAさえ行けないような所に出かけている、ジャパン・プラットフォームの大西さんやこの会場にもたくさんおられるNGO関係者、難民支援や識字教育、それから学校建設や教育支援に取り組んでいる人を支援するODA。ODAを二本立てにして、政治的な面から行っていく分と、民間に資金を回すものと、外務省の中できちんと分けていく。その中で、緊急援助の場合は、国連難民高等弁務官事務所などと一緒にやるなどしていかないといけない。そこのところが外務省の中でもはっきりしていないのと、NGOの関係者の「お金をよこせ、お金をよこせ」と主張するためまとまらない。
 アフガニスタンの時は、JPFを作って草の根レベルの活動を政府の管轄下で、一応誰がどこに行っているか目配りしながら、活動することができたはず。そのようにきちっと分けなければいけないので、JPFは国連難民高等弁務官事務所と連携して、その業務を担う部分とJICAの裾野の部分をやるという位置づけをきちんとしないといけない。
 もう一つ、関係ないことかもしれないが、例えば、ODAは政府間なので政府で援助する。ユネスコのポストを取るためにケニアにODAを出した。結果、他のところも協力してポストを取った。また、これは非常に成果があったのですが、例えば南太平洋のイギリス連邦の国にマーガレット皇女が亡くなった時に記念病院を建てている。これは病院のないところなので非常に大きな社会貢献。ところがその名前に王室の名前がついている。そこになぜ日本の名前がつけられないか。ひとつには政治交渉への配慮、そしてその当時、捕鯨委員会があり日本は叩かれていた。その時にどうしてイギリスに今回は強い発言はしないという念押しができなかったのか。そうした使い方がなかなかできないというのが非常に残念。これも結局、太平洋の開発援助につながる。ODAは2種類あるが、関連しているし、何かあったときは他の面もきちっと押さえてほしい。
 それからもう一つは、財務省がNGOまで資金が回る金融支援のシステムを90年代につくった。それが急に消えているようだが、例えば、開発途上国の民間人が日本政府のODA支援を受けて事業を起こしたりできるのだが、それが現在どうなっているか教えてほしい。そうすれば、日本の人たちが開発途上国に出かけていってODAからくるものを現地の人たちと一緒に、職業支援などに資金を使えるようになっているはず。
(高橋教授)  はい、ではあとお一人。できるだけ多くの参加者に発言していただきたいので手短にお願いします。それと差し支えなければお名前を教えてください。
(質問者B)  広島から参加したNGOのものです。先ほどから「ミレニアム開発目標」についてご説明いただきましたが、これは「DESD(Decade of Education for Sustainable Development)」のことか?「DESD」については、広島で勉強会をずっと行っているが、それと同じような意味か。それのODA版ということなのか?もう一つは日本の「仕組み」という話があったが、ODAの話とは少しずれるかもしれないが、このグローバル化した世界の中で生き抜くためには、日本の人材を育てる必要がある。今の私たちNGOがどんなに頑張っても、そういうところは十分にできない。そういったことを行政とともに協力をしてできるようなシステムが何かできないか、検討してほしい。
(高橋教授)  お二人にお答えいただきたいと思います。自由に、お答えいただける範囲から。
(杉田審議官)  いくつかお話がありました。1つは、「ガバナンス」の問題とODAをどう考えるかという話。もちろん、何回も強調していますが、その国の開発に責任を持つのはその国です。ですから、その国がきちんとしたガバナンスを持っていない、あるいはその国において「正統性」といったものがきちんとしていないという場合は、日本がODAを出すことは説明がしにくいと思います。ODAに関しては、日本の基本的な方針は、2003年にODA大綱を作っています。ここではさまざまな議論がありました。基本的な考え方は、日本はなぜODAをやるのか、その中でも、どういうことをやっていかなければいけないかということ。基本的には「オーナーシップ」の問題です。ガバメントを改善するために、例えば、技術的な支援をするとか、そういったことは当然考えられると思いますが、少なくともガバナンスが悪い状況を放置したままでODAを供与するということは、日本の納税者の理解も得られないし、それは少なくとも正当化できない。
 それからODAを政治的に使うという話がありました。「政治的に使う」という意味をきちんと定義しなければいけないと私は思います。必ずしも目の前にある利益を求めるためにODAを使うのではないと思います。そのタームはどのくらいになるかという話は、なかなか言いにくいところもあると思います。ただ、基本的に日本のためになる、これは非常に大きな意味で言って国益といっていいと思いますが、その日本の納税者の税金を使っている限りは、それに使うということでなければいけないのは当然のこと。ただ、その場合、まず、「国益とは何か」という議論があり、それがどのぐらいのタームなのか、こういうことをきちんと議論しなければいけない。つい先日、私どもの大臣が講演をしました。題名は「情けは人のためならず」で、ODAについて語りました。非常に意味深い言い方だと思います。「情けは人のためならず」。何回も言いますが、ODAは日本国民の税金を使っているので、日本国民に対して説明責任があります。これはどのような形でも逃れられません。ただ、それをどう使うか、どういう意味で使うかに関しては、さまざまな議論をしていただきたい。それは私たちだけの議論でできる話ではない。それから、ODAについてそれをどうするかという議論についても、政治レベルで非常にハイレベルな議論もされていて、それはODAをやっていく人間にとってはありがたい話です。また、国民がODAに対してきちんと関心を持っていることもありがたい。そこはきちんと議論をしてもらいたい。そういう意味で、政治的に使うというような話と、それから人道的というか緊急というか、そういったものに使うということと、概念上すっぱり分けることができるものなのかという疑問を私自身は持っています。そういうことを言うこと自体、効果的かどうかについては、おそらく議論があると思います。
 それから、人材について。NGO、もっと言えばODAに関わる人材という議論もおそらくあると思います。こういう話はすぐにできる話ではないし、ある意味で経験を積まなければいけないところはあります。大西さんも話された通り、日本のNGOがさまざまなことができるようになったのは、実際に現場に出て行って経験を積んだことが背景にあります。それはODAについてもやはり同じで、やはり現場に行ってきちんとわかる人材となるには、どうしても経験がいる。そこはすぐに何か効果的な手段があるということではなく、少し長い目で見ながら人材は育てていかなければならないというニーズがあるのは、皆さんの合意が得られるところだと思います。
(大西さん)  人を育てるには時間とお金がかかります。6ヵ月くらいはボランティアでやってくれる優秀な人がいるかもしれないが、生活がかかっている時に1年も2年も無償でやってくれる人はなかなかいない。僕も前のNGOで最初は無給で働きましたが、1年半しかもたなかった。「人材が先かお金が先か」という話になった時に、やはりマネーフローの方が先という結論になった。要するに、お金の流れる道を作ることが、優秀な人材を確保するには必要です。それで今、さまざまな人に手伝ってもらいながら社会的なインフラを作っているわけです。私たちの団体でも、広島のNGOの人を何ヵ月か預かって、スマトラで一緒に活動した。その次の問題は、経験を積んだあと、広島に戻ってそのNGOに定着するかどうかということです。全部が全部定着しなくてもいいが、優秀な人材がある程度の期間その組織にいないと組織力は上がらない。それをどうやって定着させるかを考えていくと、どうやって給料を出すかという元の質問に戻ってしまう。どうですか?
(質問者B)  要するに、そういった国の中の仕組み。その仕組みが少しずつでも動いていけるようであればありがたい。
(大西さん)  JPFに関して言えば、現地で働く人間と一部の東京の事務担当者の人件費が出るようになっています。これは前と比べるとだいぶ違う。これを一般のNGOにも拡大していくようにお願いしたい。一方でNGOはやはりロビー活動をもっとしっかりしないといけない。外務省や県庁に物申すのでも、遠くで吠えているだけでは絶対に届かない。近距離に入って、インサイドでやらないと絶対に負ける。だから、もっと肉迫した方がいい。
 もう一つはやはり、例えば財務省で主計官をやった人がNGOで働きたいと思うようにしないといけない。それくらいにしないといけない。大使の経験者でNGOをやっている人もいますが、NGOのステイタスも含めて、能力を上げていかないと駄目かなという気がします。しかし、少しずつそうなりつつある。特に若い人に言いたいのですが、これからはいわゆるアメリカ語で言うキャリアパスは、この業界では崩れます。NGOに入ったら一生NGOで冷や飯を食うということはないと思います。間違いなく突破されますし、突破します。だから早めに現場で経験を積んでください。そしたらどこでも、政府でもNGOでもJICAでも働けると思うので、早く現場に行くようにしてください。
(高橋教授)  ちなみに、アフリカ研究者の中でも、厳しい国に行った人ほど偉いと言われます。
 「ミレニアム開発目標」の位置づけについて。完全にはお答えできないかもしれませんが、捉え方としては、1990年代に欧米では援助疲れが蔓延して、成果が上がっていないと納税者から非常に厳しい批判を受けた。一番それがこたえたのは、おそらく国連の諸機関。ユネスコもあるいはユニセフもWHOも、それぞれのところがそれぞれのセクターで具体的な数値目標をあげざるを得ない状況に追い込まれた。それで、杉田さんからご紹介があったOECDのDAC(開発援助委員会)という機関、これは開発援助を供与している国の集まりになりますが、そこも具体的目標をあげざるを得なかった。こういうものが最終的にはバラバラにやっているのではなく、総合した方がいいということで、ミレニアム開発目標になったと理解すればいいと思います。7番目、8番目に環境とかパートナーシップという少しわかりにくい目標も入っています。国連としては総会で決めたことなので、国連の諸機関はそれに縛られる。実は、世界銀行、そして国際通貨基金(IMF)もミレニアム開発目標のために努力をしなければならないことになっています。
(質問者C)  大阪外国語大学のアフリカ地域文化専攻の学生です。NGOとODAの連携という話があったが、資金面や組織面で、日本のNGOは不十分な面があるため、ODAの力を借りる必要があると思う。ただ、NGOは「Non government」なので、ODAとの連携が上下関係になって、「資金をあげるから、ODAの政策にいいようにやってくれ」という関係になったら、NGOがNGOではなくなると危惧している。NGOはやはり非政府として、ある程度ODAを批判できるような立場、あるいはODAではできないことをやってほしい。その辺も踏まえてODAとNGOの連携ということを両者に伺いたい。
(質問者D)  神戸大学の国際協力研究科の学生です。3つほど質問がある。1つはODAという言葉ですが、いくつも定義があり、OECDで決めているODAは、開発途上国に対して、貧困をなくすように助ける援助のことをODAと定義している。日本政府がODAと言った時に、いろんなODAのやり方があると指摘した参加者がいましたが、いろんなことを全部ひっくるめてODAだと言っている。つまり、他の国のODAの金額はこれだというのに比べると日本のODAの金額はだいぶインフレがかっている金額になっているということ。つまり、外交の一環として援助をやるということから、まずそこが出発点になっていると思いますが、外交とODA、要するに「低開発の貧困を何とかするというのがODA」という基本に立ち返って、OECDには日本もメンバーで入っているのだから、そこの定義と日本の定義をなるべく合わせることを是非考えてほしい。そういう意味では、開発援助大臣とか開発援助長官など、責任者がまず日本にいないことが大問題。先進国でそういうポストの人がいない国は、私は聞いたことがなく、日本は本当に先進国のつもりなのかどうか聞きたい。
 第2点は、MDGsに関連して、経済成長を通じた援助を日本はやっていくということだが、例えば、大西さんが行かれているアフガニスタンでMDGsを実現するためには、「経済成長すればあなたたちは金持ちになります」と言っても、どうやってそれを実現すればいいのかわからない。アフリカでも実はほぼ同じような状況。私はアフリカ滞在経験は5年ですが、アフリカの経済成長はあってないようなもの。そういう中で経済成長をすれば貧困がなくなるというアジアでは通用した理屈を、経済成長が簡単にうまくいかないところで、無理矢理話を通そうというのが日本のODAの一つの問題。MDGsをどう達成するのかという戦略について、もしお考えがあれば、聞きたい。
 3つ目はNGOとのパートナーシップ。今、後ろの学生さんから質問があったが、やはりNGOはアドボカシーが重要。政府が何をやっているのか、やってはいけないことをやっているのではないのか、もっともっとアドボケートしていくことが大事。大西さんがやはりODAや政府の資金をもらっている立場で、批判しているわけではないと発言されたが、批判すべきところはもっと批判していい。そういう政府のやるべきことを補うのがNGOではなく、NGOは、「これは大事だ」ということをもっと訴えて、政府がそれを助けなくてはならない。
 それから、人材のこと。私、実はかつてNGOにいた時に大変な苦労をした。要するに、管理費に資金がもらえない。例えば、小学校の子どもに給食サービスをやるというプロジェクトをつくると、その給食費には山ほど資金がくるが、それを運営するための人件費や日本との電話代などには一銭も資金をくれない。ところが、実はそちらの資金がとても大事。そうすると、NGOのキャパシティビルディングとか、その人たちの人材育成は、日本の外務省にとっては関係がないと考えていると感じざるを得ない。他の諸外国では、どうやっているかというと、それも含めて、もっと柔軟に皆さんが、「NGOがやるべき」ということを政府が支援する。「政府がこれをやらなければいけないから、それをやりたい団体にだけ資金をやる」という、かつての江戸時代のお役人の発想では、市民社会が大事になっている今の世の中では、うまくいかないのではないか。大西さん、杉田さん、ご意見があったら伺いたい。
(質問者E)  甲南大学経済学部の4年生。大西さんが、NGOに興味がある若者は頑張って現地に行ってくださいと言われたが、自分自身引っかかっているのが、具体的にどうやって何をしたら、若者たちがNGO活動に積極的になるのかということ。私、4年生で、NGOや国際貢献に大変、興味や関心がある。JICAからも青年海外協力隊の試験を受けてみないかと誘っていただいたが、断った。というのも、先が見えない。「男なら家庭を持って、生計を立てなければならない」という使命感や現実もある。そういう中で、実際に私の友人や私も含めて、NGO活動に興味や関心はあるが「貧困」と言えば言いすぎかもしれないが、生計が立てられないという問題や現実があって、実際そこまで踏み切れない学生たちも多い。その点に関して、どうやって若者たちのNGO活動を活発化させるのか、また、そういう壁をどう乗り越えていくかというのが質問。
(高橋教授)  私は国際協力研究科の大学院の教員をしていますが、多くの学生が「NGOに入りたい、NGOに人生を捧げたい」と言う。今のご質問はそういう人よりはある意味で「はるかによく先を見ている」と思う。これは重要な問題。主計官を呼ぶどころではなく、普通の学生も呼べないのでは、非常に深刻な問題では。
(大西さん)  順番を逆にして、先が見えない、だからNGOに行かないという今の質問から。例えば、企業のベンチャーも先が見えません。私が大学生の頃は企業のベンチャーはほとんど無視されていて、当時は、大学へ行って一定の教育を受けたら、ベンチャーなんかするなと言われていた。それがこの10年で変わって、ベンチャーは逆にもてはやされるようになっている。アメリカ語ではNGOとか「civil society organization」のことを「シビックベンチャー」とも言います。公益を担うためにベンチャーをやる。一定の給料はもらうけれども、もちろん大儲けするためにやるわけではないと。NGOも企業のベンチャーも生活保障の面でリスクがあるという点は同じです。だからリスクテイカーかどうかというところでまず分かれる。リスクを取りたくないということであれば、この業界に招き入れることはたぶん難しい。僕だってピースウィンズや他のNGOで10年以上働いてきたが、一寸先も見えない。一週間後には路傍で転がっているかも、と思うこともあります。現場に行くための門戸は確かに狭い。例えば、私の団体で言うと、もう私が採用試験を受けてもたぶん通らないと思うくらい高い倍率になっている。私の例で言うと、最初はやはり一宿一飯の恩義を受けながら、東南アジアやアフリカのNGOを回った。邪魔になりながらも「お願いします」と泊めてもらいながら見て回り、その過程でさまざまなことが見えてきた。その後に進学するなり、NGOの門を叩くなりでもいいと思う。ぜひ、先に現場に行ってほしい。頭でっかちでは駄目です。私たちの時は、NGOで働くと言ったら、「お前は親不孝もんか」と親戚や近所の人から散々言われたが、最近はそういう時代ではない。ある程度、NGOはもてはやされている。だから現場に出て、実際に自分でやらなくてもいいから傍で見るという作業をしてほしい。イラクは今はやめてほしいが、若い時はある程度のリスクであれば、自分の目で見て、そこで現地の物を食べながら、少し考えてください。
 話が戻りますが、NGOの自立性について。JPFでやっていると、よく外務省の言いなりになっているのではないかという批判を受けます。でも、JPFの評議会の構成を見たら分かる通り、外務省はあれだけ資金を出していながらone of themに過ぎない。それはなぜかというと、多様なアクターというか参加者がいると複雑なカウンターバランスが生まれ、弱者が一番得をするからです。それでプロイセンをヨーロッパで一番強い国にしたのがビスマルクです。バランスが多様化し、しかもそれが安定している状態では、弱者が一番得をする。弱者というのはJPFの場合、NGOです。JPFがなかったら外務省と1対1で交渉することになり、言いなりになりかねない。外務省は5000人以上の職員がいて、何千億円という予算を持っている。一方、NGOは多くて何十人しかいない。予算もたかが知れていて、外務省の何百分の1です。それが1対1で話し合ったら、たいていネガティブな答えが出てくるときは、理由を聞いても回答が帰ってこないんです。外務省の一室で課長補佐レベルが決めて、全然理由も教えてもらえないというのが1999年以前の話だった。ジャパン・プラットフォームができてからは、メディアもいるし、経済界もいるし、財団もいるから、無茶なことは当然言えない。駄目は駄目で、外務省も真剣に説明してくれる。それは素晴らしい進展です。もう一つ言うと、もし言いなりになっているなら、鈴木宗男さんとの対決は絶対になかった。非常に私も嫌な思いをしたし、ある部分、未だに後悔しているのですが、あれは政府の傘下と言われる団体ができる話ではない。あの時、鈴木宗男さんに楯突くのは大変な話だった。なぜか知らないが楯突かないといけない立場になって、矢面に立たされた。あれが貫徹できたのは、JPFが多様なアクター、経済界からもメディアからも支えられていたからだと思います。
 もう一つはアドボカシー。実はやっています。例えばイラクへの自衛隊派遣の話。地域政策がないのに、なぜイラクに軍隊を出すのか。対米政策が重要なのはわかるが、中東やイラクに対する政策がほとんどないのになぜ軍隊派遣になるのかと、相当言った。さまざまな人にかなり蹴り返され、それで損もしているが、敢えて言うことにしました。なぜかというと、イラク地域に入っている日本のNGOは少なかったし、間違っているかもしれないが、現場で見た自分の意見をメディアを通して言うことは大事だと思ったからです。あの時口をつぐんだNGOはたくさんあったが、敢えて損をする覚悟で言っています。アドボカシーというのはかなり血を見るということは、この5年間の経験でよくわかりました。敢えて口をつぐまず、今日のODAタウンミーティングでも言いたいことを言わせていただいております。
(高橋教授)  では、杉田さん。ODAの定義が貧困支援であるということと、経済成長を通じた支援について、また、NGOとの関係についても、お考えがあればお願いします。
(杉田審議官)  私が言うのは余計な話なのかもしれませんが、先が見えないという話について。これはおそらく、日本全体の人材をどう生かすかという話で、今の時代、先が見えないのはどこも同じ話。実は公務員だって、辞めている人はたくさんいます。これは、私のような経済協力に関わる人間が言う話ではなく、別のところで議論すべき話なのかもしれませんが、人材をどう生かすか、そのためにどういう仕組みを作れるかという話というのは日本全体で考えなければいけない。
 そしてNGOとの連携の話、あるいはNGOの独立性をどう考えるか。誤解を恐れずに言うと、資金を出しているから全部言うことを聞くなど、世の中そんな簡単なものではない。もちろん、世の中にはさまざまな関係があります。協力をしたり、あるいは敵対関係だったりというのもある。協力するという場合でも必ずしも相手の言うことを全部認めるというわけではなく、あるいは自分が相手と全く同じになるわけでもない。それは、それぞれが独立してやっているから、独立した考え方をもってやっているということ。とは言え、確かに資金を出しているということを世間一般的に言えば、非常に強い立場であるというのは確かです。その上で一つ言わせてもらうと、なぜ資金を出している人間が多く口を出すのかという話は、これは公務員にとってみれば、それは国民から預かっている税金を使っている、基本的にそれだけのこと。そこの一点から議論をする。そこのところが外れていれば指摘してもらっていい。それを指摘されて答えられなければ、私は公務員としては失格だと思っています。
 それから、経済成長を通じた援助の有効性の話。これは私よりは高橋先生がよくわかっていると思います。なぜ東アジアで働いたメカニズムがアフリカで働かないのか、議論は非常にある。とは言え、この有効性は、おそらく日本が世界に誇るものだと思っています。それはなぜかと言えば、東アジアでこのような経済発展が起こった。それは絶対、見過ごされている話ではない。知識の場でも。その蓄積が必ずや現れる。開発の議論は非常に期間が長い。確かに、直接、困っているところに援助を行うのはわかる。もちろん明日死ぬかどうかと言う時に、成長が達成されるまで待てと言えないのは確か。ただし、「経済成長すればよくなる」という思考回路ができてくれば、必ずよくなると思っています。
 NGOに対しての管理費をどう出すかどうか、という議論。確かに指摘の通りで、これはもっと言えば、実際の手足の部分だけではなく、頭の部分にどれだけ払うかという話。例えば、一つの家を建てる場合にも、設計士と施工をする人とに分けて、設計をする人に少したくさん経費を払って、その人に工事をうまく、しかも安く上がるように考えてもらうというのは一つの考え方。これは仕組みなので、確かに一度できた仕組みはなかなか動かしにくいということはあるのかもしれない。考え方として、頭を使うところにも資金を出せるようにというのは一つの論点だと思います
(質問者F)  人材育成の件は本当に大変。労働条件は悪く、なかなか継続してやっていけない。もう1つは、90年代からJICAでシニア海外ボランティアの制度を作り、「The old be ambitious」ということで、第2の人生は海外で持てる力を発揮して、日本のことをよく知ってもらい、地元に貢献し、国連の安全保障理事国になれるように。地球市民意識の喚起もあり、シニアが、数多くシニア海外ボランティアで出かけて、日本について多くの国・地域で知られるようになったと思う。NGOだけではなく、こちらのシニアを拡充するということ。それからWHOにも来てもらっているが、やはり日本人はインドネシアから帰ってくるとコレラになっている。地元ではコレラが流行っていると聞いたことがない、免疫がない、風土病の多い国や地域では、風土病や疫病など、そういうものを退治してもらわないと出かけられない、紛争地域には出かけられないということで、安全を確保して、できるだけ日本のことを知ってもらい、地元に貢献する、それは非常に有益なこと。今日も多くのシニアの参加者もいるが、若者は、学生の間に経験を深めて協力する。これから高齢社会になって4人に1人がシニアになる。そういう人たちが第2の人生で持てる力を発揮でき、高齢者もJICAに入らずともNGOを作り、日本社会が多くの高齢者を動員して活動を展開していく。生活は、年金をもらっているから、家は人に貸し、家賃収入を得て、海外では年金で暮らせて、教育費や派遣料で地元の人に教える。住環境と安全保障さえ整えば非常に有効な形になると思う。そうしたことも考えていただきたい。
(高橋教授)  最後に申し上げておきたいことは、ODAの主旨はあくまでも開発援助ということです。しかし、現実にはその他の外交や「国益」など、さまざまな観点が同時に入ってきています。ここで考えていただきたいのは、現実に多くの観点が付け加えられてしまうわけですが、考え方としてはODAの主旨は開発援助であるという原点に立ち返って、他のものと峻別してゆく必要がある、ということでしょう。理想的に言えば、外交的な目的のために使う資金とODAを仕分けしてゆく必要はやはりあると思います。杉田さんが盛んに強調されて非常に印象的ですが、ODAは国民から強制的に取り上げたお金を使ってやっています。まったくそのとおりで、だからこそ政府関係者は大事にODAの主旨を全うするよう資金を使っていかなければならない。ですが、翻って重要なことは、出しているのは私たちで、それを使っている政府を選んでいるのも私たちですから、そのお金が相手の国に大変な影響を与えて、場合によっては間違いを起こすこともあるかもしれません。ですから、日本の国民には「お上にODAをうまく使っていただく」というのではなく、「自分たちも参加し、干渉し、意見を言っていく責任」があると思います。そういう意味でも、NGOのアドボカシーだけでなく、チェック機能が大事だと思います。今日は、思わずたくさんの論点を伺うことができて、私たちも大変勉強になりました。またこういう催しが来年以降も続いていくと思います。今日は本当にありがとうございました。杉田さん、大西さん、どうもありがとうございました。
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