ODAとは? ODA改革

「第2次ODA改革懇談会」(第10回会合の概要)

「第2次ODA改革懇談会」事務局

本懇談会では、ODA改革に関する幅広いご意見を募集しております。
ご意見は、odakaikaku@mofa.go.jp又は03-5776-2083(FAX)までお寄せ下さい。

1.日時

 平成13年11月20日(火)10:00~12:00

2.場所

 外務省667号会議室

3.議題

 評価・モニタリング、情報公開・広報

4.出席者

 懇談会メンバー(池上委員、上島委員、田中委員は欠席)。外部有識者として、牟田博光東京工業大学大学院社会理工学研究科教授及び杉下恒夫茨城大学人文学部教授を招待。外務省から、植竹副大臣他が出席。関係府省庁、JICA(国際協力事業団)及びJBIC(国際協力銀行)がオブザーバー参加。

5.議論の概要

 評価・モニタリングについて牟田東京工業大学教授より、情報公開・広報について杉下茨城大学教授より、それぞれ報告を受けた後、意見交換が行われた。主な意見は以下の通り。

(1)評価・モニタリング

  • PDM(プロジェクト・デザイン・マトリックス)は、投入、活動、目標、指標、外部条件などの論理的な相互関係を表にしたものである。投入(output)がどのようにして成果(outcome)につながるか、また、例えば5~10年で指標がどのように変化するかを見ようというものである。学校建設を例に取れば、学校の建設自体は最終的な目標ではない。先生や生徒がいなければ機能しないし、男子生徒だけでは男女平等が達成されない。学校建設によって、就学率や地域の知識向上にどのような効果があったかも見る必要がある。
  • PDMでは、数値目標値をどのようにして算出するかが難しく、誰もが悩むところである。例えば、過去のトレンド+α、ベスト・プラクティスの一般化、年間10%の増加等が用いられるが、いずれにしろ見込みであり、詳細なデ-タに基づく客観的な数値ではない。これらは「意志」、「姿勢」であり、主観的である。詳細なデ-タはプロジェクトを開始しないと集められない場合が多い。
  • モニタリングと中間評価は別物である。モニタリングは、目標達成ができているかどうかを調べ、進捗状況を管理するものであり、プロジェクト内部で組織的にデ-タ収集を行い、自己評価を行うものである。モニタリングは、PDMが予定通り動いているかどうか見れば良い。これに対して、中間評価は、事前、事後と同じレベル、視点で評価するものであり、モニタリングの結果も利用する。また、見込み違いがあった場合や思った通りに進まない場合には、当初目標を精査して、事前に作られたPDMを現実的なものに修正し、以後のプロジェクトの指針にする。このためには、改訂のための正規の手続きが必要である。無論、内部の人間が適当に改定しては困るので、外部の人間も入れる必要がある。改定は、現実的であり、しかも当初の理念に合致する必要がある。
  • 事後評価は、最新のPDMに基づいて行う。PDMの変容があった場合には、当初の見込みが甘すぎたか、基本的な前提に誤りがあったか、データが間違っていたか、突発的な事故があったか等、PDMの変容についても評価する必要がある。
  • 誰が評価するかという評価者の問題については、外部の人間を入れることは重要だが、内部の人間も加える必要がある。また、参加型評価の必要性が強調されており、一般論としては納得いくが、中央政府、地方政府、知識人、NGO、住民代表等、裨益者の代表は誰か、また、参加割合をどうするかといった問題がある。
  • 中間評価に当たって外部の人間にイニシアティヴを取ってもらうことは大事だが、内部の人間も排除すべきではない。内部の人間はプロジェクトを良く知っており、情報量も多いので、内部の人間を巻き込む必要がある。
  • 評価結果のフィードバックによって、次の類似のプロジェクト、プログラムの計画策定、実施に反映され、長期的に成果が向上することが期待されるが、本当にそうか。評価結果が読まれて活かされる保証はない。援助のし放しの可能性もある。評価結果をフィードバックして、プロジェクト・プログラムの成果の向上につなげるためには、精神論ではなく「仕組み」が重要である。体制的には、評価部門で行う評価結果が実施部門で生きるための組織的な仕組みを作る必要がある。また、内容においては、評価結果を利用しやすい形に処理する教訓集、チェックリストを作り、例えば、チェックリストをクリアーしなければ新しいプロジェクトは認めないこととすれば、ODAの質の向上に役立つ。さらに、方法的には、被援助国関係者をインボルブして、プロジェクトをどのように運営すれば上手くいくかを理解してもらうことも重要である。
  • 評価は、評価の担当者が行うべきもの。中間評価という名目で、実施担当者以外の人が、実施中のプロジェクトに口を出すのは、責任分担(実施と評価)から望ましくない。必要なのは、プロジェクト実施中に、実施担当者が、状況変化を見極めつつ、事業のデザインの手直し、ある場合には中止をしやすくする制度を作ることである。
  • 事前から中間・事後に至る一貫した評価システムの確立と言うが、一体どこまで評価する必要があるのか。評価は重要であるが、現有の人員、財政を考えた場合、どこまでやる必要があるのか。微に入り細に入り基準を設定して評価を行うことは、それはそれで良いが、評価の際に最も力を入れるべき点は、外交戦略との関連性についての評価である。
  • 評価のためには、事業予算の最大1%(人件費を入れれば5%)ぐらいを当てる必要があるのではないか。評価は長期的には効率化を促進するものであり、その限度が1%であると考える。
  • 評価に対する関心が高まっており、一種のファッションとなっている。これに乗っているときは用心しなくてはならない。広報予算を各事業予算のオーバーヘッド予算として計上するとの意見があるが、例えば30%といった大きな数字ではなく、ごく一部でも良いから入れておくことが大事である。
  • 資金的援助を伴う大型のプロジェクトについては、実施機関は真剣に評価活動を強化しようとしている。この点は評価すべき。しかし、技術援助等未だ評価活動が皆無に近いものがある。この際、ODA改革の一つの目玉として、専門家派遣による技術援助の効果・効率性を全面的に評価し直すことにしてはいかがか。
  • 研修員は、講義終了後にアンケートを実施するだけでは不十分であり、取得した技能が帰国後本当に役に立っているかを評価する必要がある。
  • 個々の案件だけを評価していれば良いのか疑問である。例えば、中国の貧困に関しては、様々なレベルや方式での協力が展開されている。このため、政府、JICA、JBICが全体として絡み合う形で評価されないと意味がない。
  • 包括的アプローチを推進する中、国別援助計画の重要性が高まっている。日本のODAは、国別援助計画の枠内でどのような成果があったのかを評価する必要がある。
  • これまでの評価はプロジェクト中心であったが、今後は、プログラム、政策、国別援助計画等大きな枠組みに関する評価が重要になってくる。
  • 評価があまりにも専門化し過ぎると、評価する人を評価しなければならなくなってしまい、何のための評価なのか分からなくなってしまうのではないか。
  • 十分な評価をする必要性と人材・資金とのバランスを考慮する必要がある。事業終了直後には成果が必ずしも出ていない場合でも、2~5年後、あるいは10年後のタイミングで成果が出ることもある。このバランスをどう考えていくかが重要である。
  • 日本の役所は一度決めたことを変えようとしないが、中間評価を、一度決めたことを変えるための手段としたい。事業の見直しをして、効果的、合目的的に変える方が良いのなら、中間評価を事業責任者が判断するための手段とすべきである。
  • 特にマス・メディアから、A、B、Cといった形でODA事業に得点を付けて欲しいとの注文がある。評価には様々なアプローチ、基準があり、全体を総合することは難しい。評価は役に立つことが重要なのであって、A、B、Cといった具合にランク付けをするためのものではない。
  • 文部科学省の奨学金で日本に留学しているフィリピン人の留学生が評価に関する論文を書いた。論文の内容は、アキノ政権下における農地改革に対する日本のODAへの批判が展開されており、読むに耐えない。しかしながら、日本がどのような上位の政策目標を持って、どのような判断をしたのかについて、資料が欠けているので、反論のしようがない。
  • カンボジアでは、各国が援助競争を繰り広げているが、日本の援助は資金的には豊富でも苦戦している。実施段階で制度的な縛りが多い。ODAの実施に当たって、制度上の問題が質の向上を妨げている。ODAの政策、理念については、これまで十分議論されているので、ODA制度をより使い易い形になるよう変えていく必要がある。
  • 自治体を含め実績評価が活発に行われているが、プロジェクトごとにバラバラに行われているのが実態である。上流の政策に到達しようとすると、その前に硬直化した制度に直面する。制度を変えないと効果が出る訳はない。このため、選択的・集中的に評価をしないと、評価をしても効果が上がらない。
  • 制度の問題については、例えば、日本の無償資金協力で建設する施設はコストが高いとの批判がある。これを受けて改善が図られてきたが、それでも他の援助国、国際機関が作った施設と比べまだ割高である。無償資金協力の仕組みを変えないと、これ以上コストを下げることは出来ない。
  • 評価の中立性を高めるために外部の評価組織を作るべしとの意見がある。事業部の圧力で評価結果がねじ曲げられてしまう恐れもあるため、外部による中立的な評価をしないと、本当の評価は出来ない。


(2)情報公開・広報

  • ODAの最大の評価者は国民であるが、近年、ODAに対する国民の支持が下がっている。何故評価が下がっているのかを考える必要がある。外部要因もあるが、情報公開・広報には改善すべき点が多くある。
  • ODAの支持率が下がっているとのことであるが、果たして本当にそうか。ODAの支持が低下しているのは、むしろ政治家の間ではないか。日本人はそんなにケチな人間ではない。ODAが世界の平和と安定に寄与するということが分かれば、国民は納得するのではないか。
  • ODAの情報開示度は、他の政策に比べて高い。しかし、一般国民にとっては、ODAに関する情報は闇の中であり、ODAは分かりにくい。これは、ホームページをはじめODA関連情報にアクセスするのは、学者・研究者、オンブズマン等意識ある市民業者、メディアの4種類に限られているためである。一般の市民を対象にした情報公開がなされておらず、このことがODAに対する不信感やODAの支持率低下につながっている。
  • ODAに関する政府公報は、量的に少なく、後手に回るケースも多く効果的でない。80年代後半以降、ODAバッシングに対する後手後手の言い訳をすることで、ODA批判をカバーするという最悪の広報が続いてきた。広報というフィールドを自分から使う広報がなされていない。
  • 広報媒体を、効果がすぐに目に見えるマスメディアに頼る傾向が強く、根気と時間をかけた持続的草の根広報のマインドに欠ける。マスメディアには、ODAの情報がなかなか出ない。また、出たとしても悪く書かれることが多いため、苛立ちがある。政府が書いて欲しいことを、今の新聞が書くのは皆無に近い。多様化したメディアを軽視しているのではないか。
  • 国民、メディアを含め経済協力に関する国民的コンセンサスが形成されていない。80年代半ばにあったようなODA批判が、一度収まってもまた出てくる。メディア、国民とも同じ所の堂々巡りをしている。この背景は、戦後賠償からのまま放っておいて、その時々で黒字環流や国際貢献の必要性等の中にうまくはめ込んで、2、3年はODA批判を抑えたが、国際状況の変化の中で同じ批判が繰り返されている。何故ODAを供与する必要があるかという根本についてコンセンサスを作らないと、こうした批判は収まらない。
  • 民間では、広報戦略を持たない一流企業はないが、ODAには広報戦略がない。ODAについては、短期的戦略と中長期的戦略を作成する必要がある。短期的戦略とは、新しい画期的テーマについての広報テクニックである。他方、中長期的戦略とは、今よりも将来において、国民にODAを理解してもらうための戦略である。特に若い層に国際協力の必要性を肌で感じてもらうための開発教育の充実が必要である。JICAのジュニア専門家等にヒアリングをすると、開発に携わることとなったきっかけは、ほとんどの場合、中学時代の先生が青年海外協力隊OBであったことなどを通じて、若い頃に開発協力の必要性を肌で感じたことにある。
  • 今の大人に環境の重要性を訴えても、効果は期待できない。子供の頃から植え付ける必要がある。開発教育は重要であり、文部科学省とも連携して力を入れるべし。校長や教頭が開発教育に熱意を持っていても、彼らは文部科学省の指揮下にあるので、上から指示を出さないと動けない。
  • 「日本がなぜ、大規模な経済協力を行うのか」を原点に戻って本音で国民全体で議論する国民参加型議論の場を創造する必要がある。日本は、国際協力をしないと生きていけない旨を国民に理解してもらう必要がある。タウンミーティングが開催されているが、何故援助を行うのかという原点に戻って議論をする必要がある。例えば、ODAがゼロになったらどうなるかを議論して、そこからODAを積み上げるといった視点が必要ある。そうすれば、国民の中にODAをやった方が良いとの理解が深まる。
  • 9月11日に発生した米国における同時多発テロは、別の視点から、国民にODAを理解してもらうチャンスである。紛争予防、復興支援などのODAの持つ政治的側面への国民の理解を促進する必要がある。ODAは政治的行為であり、人道的・経済的側面は付随的なものと理解している。ODAは紛争予防の側面が強く、国際社会の安定と繁栄に貢献するということを国民に理解してもらうチャンスである。
  • 政治的視点からODAを活用するとの意見については必ずしも賛成ではないが、ODAが世界の平和と安定に役立つということについては、ODAの基本的理念の一つとして大きな声で言うべきである。日本の国益のための援助ではなく、相手国のための援助ということは、立派な理念である。外交戦略としてODAを使うことには反対である。
  • ODAはそう美しいものではない。ODAは外交戦略の一環として位置づけるべきである。ODAが外交戦略の一環として行うものでないとすると、国が行う政策として説明できにくい。ODAは慈善ではない。対中ODAについても、日中関係の安定につながり、外交の視点から見ると役割は大きかったと言える。また、マルコス政権時代の対フィリピンODAには滅茶苦茶な部分があったのは確かだが、それでも西側諸国の一員として同国を支え、フィリピンの発展を支えたことは、ある程度の意義はあった。
  • ODA大綱は、湾岸戦争の後にとり繕って出来たものである。また、ODA基本法の策定を予防しようとしているような印象もある。国民、メディアが納得するようにODA大綱を作り直してはどうか。ODA大綱の改正は、ODAを国民に説明できる形に作り直す一つの手段である。
  • ODA批判に対して打たれ強くなるための信念を持っているか疑問である。このような信念を国民的に作り上げなければならない。ODA大綱の改正のために国民的レベルで議論をするとの提案には大賛成である。国民の意見を吸い上げるための議論をしてはどうか。
  • 外務省はODA大綱改正に触れたがらないという印象を持っている。しかし、ODA大綱は直ちに正すべきである。また、ODA大綱を知らない人が多い。ODA大綱にはこういうことが書いてあって、このようなことをやっているが、このような問題があるということを何かの機会に議論する必要があろう。
  • マスメディアに頼らない、市民の目を重視したODA広報態勢を確立する必要がある。BS、CS、コミュニティ・ペーパー、全体としては全国紙よりも発行部数が多い地方新聞等にこまめに広報するマインドを持つことが重要である。また、NGO、地方自治体、青年海外協力隊員OBなどが持つ広報ツールとの協力も視野に入れる必要がある。恒常的・草の根的な細かい広報を行うためのシステム作りを行わないと、効率の良い広報は出来ない。マスメディアだけではなく、様々なメディア・ツールを使うことを考えるべし。
  • 政府は、ODAについてマス・メディアに良く書かれることを期待してはいけない。政府に必要なのは、打たれ強くなることである。どんなことを言われても、やりたいこと、やらなければならないことは、やるんだという意識が必要である。また、見当違いのODA批判は正さなければならない。
  • 海外におけるODA広報の強化と、海外における日本のODAへの評価を国内にフィードバックするシステムがほとんどないため、このようなシステムを構築する必要がある。海外では、日本のODAは理解されており、評価も良いが、それが日本国内には伝わらない。また、海外におけるODA広報を国別に作成する必要がある。ODAは顔が見えない等の批判があるが、途上国によってメディアの発展度合いが違うので、相手国に対するきめの細かい広報が必要である。
  • 海外における日本のODAの評価を日本国内にフィードバックすることは極めて重要であり、その際、途上国の政府やNGOの生の声を聞くことが重要である。
  • ODAの質の向上を目指すのであれば、相手国の生産性の向上だけでは不十分である。国民への情報公開・広報を進め、相手国の国民の理解を増進させる必要がある。このためには、各事業予算に広報予算をオーバーヘッド予算として必ず計上するぐらいのことをする必要があろう。
  • 日本の広報は圧倒的に不足しているが、そのためのエネルギー、人的余裕がない。現地において、日本の援助関係者、企業関係者らが、現地住民や政府と日々の接触機会を増やして、ODAを伝えていくことが重要である。例えば、途上国で病院を作って、機械を持って行って、日の丸を貼っても、それで終わったことにはならない。日の丸を貼ることよりも、一人の医者、看護婦が現地に行く方が大きな意味がある。
  • ODAは全省庁の問題であるが、広報責任体制が現状では曖昧である。外務省はODAの調整官庁であるが、ODA全体を広報する責任体制が曖昧である。
  • ODA広報は、外務省、JICA、JBICのみならず国全体の政策である。国の政策として一貫して実施する体制が必要である。
  • 経済界の動きとして、ビジネス・エシクス(企業倫理)を前向きに捉えている。企業の存在として、社会の存在と無関係に金儲けをしても、長い目で見ると利益にはならないという意識が強まっている。ハーバード大学やスタンフォード大学のビジネス・スクールでも企業倫理についての議論が行われている。経団連では、地球環境憲章を作ったが、ボランタリーにこれを遵守するためのマニュアルを作成する企業が多い。環境監査については、自治体やNGOのためのguiding principleを作る作業があっても良いのではないか。国民の各レベルを巻き込んでODA文化を作り上げることが重要である。

6.次回会合の日程等

 次回会合(弟11回会合)は、12月3日(月)に開催し、国際機関との連携について議論を行う予定。

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