ODAとは? ODA改革

ODA大綱に関する公聴会(福岡)議事録

ODA大綱に関する公聴会(福岡)
日時:平成15年8月2日(土) 13:30~16:30
場所:電気ビル・渡辺通支店 会議室


(司会:楠原) 写真今日は、すごく暑くなりまして、やっと夏らしい夏になったという感じがします。私は司会を務めさせていただく楠原圭子と申します。FNA(アジア開発銀行福岡NGOフォーラム)で事務局を担当しております。よろしくお願いいたします。
 本日はこのようなお暑い中、外務省主催「ODA大綱改定案に関する公聴会 in 福岡」へご参加くださいましてありがとうございます。この会の開催は先月下旬になって急きょ決定しました。そのため皆様へのお知らせが行き届いてないのではないかと関係者は心配していたのですが、これだけたくさんの方にお集まりいただきまして、本当にほっとしております。どうもありがとうございます。
 この会合はこの会場にいらっしゃる皆様方にも参加していただき、ODA大綱について幅広く意見を交換していただきたいという目的の会合です。特にこれまであまりODA大綱について触れる機会がなかったという方でもぜひ積極的に発言していただきたいと思います。外務省の方にもお越しいただいておりますので、このような機会は、福岡ではあまりない、初めてといってもいいような会合ですので、ぜひ積極的にご参加をお願いいたします。
 会合の手順としては、まず、外務省からODA大綱改定案に関する政府原案の説明をいただきます。次に、問題提起していただく方をお二人にお願いしておりますので、そのお二方からコメントとそれについて外務省の方から何かお答えをいただく予定にしております。その後、会場の一般の皆様方からご質問、ご意見をいただきまして、それについて外務省の方およびコメントをしていただいたお二人の方からの回答、意見をいただくというかたちで進めていきたいと思います。
 なお、あらかじめご注意申し上げておきますが、記録をとっておりますので、会場からのご発言は必ずマイクを通してご発言いただきますようお願いいたします。
 では、参加者のご紹介をします。
 外務省から、須永和男、外務省経済協力調査計画課長にお越しいただきました。須永課長は、外務省入省後、お若いころは経済協力局技術協力課に4年半在籍されて、その後、在フィリピン日本大使館にて2年半、経済班長として経済協力を担当されました。その後、在ジュネーブ日本代表部で世界貿易機関(WTO)を担当されておりました。その後、国際エネルギー課長などを経て、昨年1月に調査計画課長になられております。ODA白書などを担当されております。
 この会が急きょ決定したと先ほど申しましたが、大変ご多忙中のところにわざわざ須永課長に福岡にお越しいただき、やっとこういう会を開催することができました。本当にあらためてここで御礼を申し上げたいと思います。
 次に、問題提起をしていただく方、お二人をご紹介させていただきます。まず、学界を代表して、西南学院大学経済学部教授、吾郷(健二)先生にお越しいただいております。吾郷先生は、京都大学大学院経済学研究科博士課程を修了後、現職に就かれ、世界経済論、発展途上国経済論を担当されておられます。ご専門は、世界経済論、開発研究、国際開発論、ラテンアメリカ経済論で、著書としては『グローバリゼーションと発展途上国』『第三世界論への視座』などを出版されております。ほかに共著、翻訳を多数手がけられております。
 次にNGOからは、大倉純子さんです。大倉さんは、債務と貧困を考えるジュビリー九州の共同代表としてご活躍中です。この公聴会を福岡で開催する運びとなったのも大倉さんの大変熱心な働きかけによるもので、一部では「かみついた」といわれていることもありますが、「そんなことはありません。ていねいにお願いしたらよく理解していただきました」とご本人はおっしゃっていますが、大倉さんの働きかけでこのような会が実現しました。
 本来ですと、バランスをとるという意味でも産業界の方にもご参加いただかなければならないのですが、時間的な余裕がないということもあり、今日はお招きすることができませんでしたので、あらかじめおわび申し上げます。
 では、まず須永課長より、ごあいさつを一言いただきたいと思います。ごあいさつのあと、続けてODA大綱政府原案に関する説明をお願いいたします。
(須永) 写真皆さん、こんにちは、須永と申します。よろしくお願いいたします。本日は暑い中、お集まりいただきまして本当にありがとうございます。
 最初に、外務省でも今いろいろなことがあり、九州での公聴会の決定が遅れてしまったことをここでおわび申し上げます。先ほどご紹介いただきましたとおり、その間、大倉様、寺嶋様と話をして何とか開催するという決定をしております。それから、外務省は九州のほうに出先がないこともあり、特にNGOの方々には開催の周知徹底から、人の集め、ディスカッサントの選定、いろいろな会場の設営まですべてお願いしてしまいましたが、大変お世話になっております。この場をお借りして御礼申し上げます。
 私のほうから、まず、今の大綱の改定作業について、その日程的なものを最初に説明して、中身をどのように改定するのかということについて簡単にご説明します。改定作業は、去年の秋ごろから始まっています。その背景は、ここ1~2年、ODAにいろいろな不祥事があったり、ODAそのものに対する批判が非常に高まったりということで、外務省の中でもODA改革懇談会というのを第一次、第二次とやってまいりました。その間、やっているうちに、今度は外務省そのものの不祥事がいろいろ出てきて、また外務省自身の改革という問題が出てきて、その中で外務省がやっている事業の1つがODAであるので、ODAの改革だということで、以前からやっていたODA改革と外務省改革の中でのODA改革とごちゃごちゃになって、去年1年いろいろな改革騒ぎがあったわけです。やって来たことを最終的にきちんとまとめるためには、ODA大綱というのはODAの政策を書いた文書の中では一番上位に位置づけられている文書ですので、それを改定しなくてはいけないということになって、去年の秋ごろからODA総合戦略会議の先生方にお願いして、論点の整理をしていただいています。政府のほうでも今年1月ごろからどのように改定するかということで、いろいろな方々、それこそNGO以外の方でも政治家の方もいますし、経済界の人や農業団体の人とも話をしましたし、国際機関の人とも話をしました。どのようにしたらいいかということで考えてきたわけです。
 今お手元に配付しているのが政府の原案です。これは7月7日に公表して1か月間パブリックコメントをやっております。ちょうど今やっている最中で、かなりいろいろな意見をいただいています。それとともに公聴会ということで、すでに大阪と東京でやっていますが、今回は九州のほうにまいりました。ぜひ今日はよろしくお願いします。
 このパブリックコメントが終わりますと、その意見を踏まえて、修正しなくてはいけないと思っています。
 今日の公聴会もそうですが、今日も含めて過去3回の公聴会、パブリックコメントでいただいた意見については、すべての質問について外務省のほうの考え方を示して、修正するところは修正しますし、修正しない場合には、「このような理由です」というのをつけて、きちんと公表したいと思っています。つまり、今日お聞きした意見については、そのままにしないで、必ず回答をしたいと思います。個人に対しては回答しませんが、出されたすべての論点については回答して、それを公表するというかたちにしたいと思います。それについて、また不十分であるとかいろいろなご意見があると思いますので、それについても私のところにご意見がある場合には出していただければと思います。
 そういう過程を経たうえで8月末ぐらいに閣議決定をしたいと思っています。どうして8月末かというと、ODAだけではないのですが、国の予算編成作業というのが9月から始まることになるのです。ですから、我々としては8月の間に、新しい大綱をつくって、一番の基本方針を固めたうえで、予算要求も同時並行的にそれに沿ってつくっていって、9月以降は来年度の新しい大綱に沿ったかたちのODA予算を編成したいと考えております。
 中身の話に入ります。お手元に「政府開発援助大綱の改定について(案)」という資料があります。1枚目は、前書きみたいなもので読んでいただければと思います。1枚めくっていただいて、ここから説明します。これが具体的な案文です。全体的な構成は、主に3つに分かれています。最初の部分が「I.理念」、4ページ上に「II.援助実施の原則」、同じページの上に「III.援助政策の立案および実施」というのが出てきます。これが大きく分けて3つのパートと考えています。
 順番にご説明します。最初の理念の部分はさらに4つに分かれて、目的、基本方針、重点課題、重点地域になっています。どうして4つに分けたかというと、最初に何でODAをやるのかというのが来ています。次に、基本方針というのはどうやってやるのか、どういう考えでやるのか。次の重点課題と重点地域というのは、何をやるのかということです。ここに書いてあることは、ODAが対象としている分野、地域を網羅的に書いたわけではなくて、特に重点としているところを書いています。特に重点課題と重点地域については政府として重視するところを書いたということです。
 順番を追って説明します。1.目的のところです。最初の2行で、「我が国ODAの目的は国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」と書いてあります。これだけだと非常に抽象的ですが、目的のところで今まで一番大きな議論があるのは、国際的な貢献をするということと、国益的なもの、日本の安全と繁栄、要するに日本自身の利益になるようなことをどう書くかということでした。
 私自身が書いたわけではないのですが、私が課長の一人としてやっているのですが、この案文は、外務省だけではなく政府全体、いろいろな省庁とも合意してつくったものですが、この中で今どのようなかたちでなっているかというと、まず、ODAの目的というのは、「我が国は世界の主要国の1つとしてODAを積極的に活用し、これらの問題に率先して取り組む決意である」。これが1つあるわけです。「これらの問題」というのは上に出ていますが、貧困、飢餓、難民、災害などの人道的な問題や地球規模の問題、あるいは平和を構築する問題、民主化や人権の尊重を促進して個々の人間の尊厳を守るというような問題を指しています。「これらの問題に率先して取り組む決意である」と、これが1つです。これが一番大きな目的だと思います。
 「こうした取組は、ひいては友好関係や人の交流の増進、あるいは国際場裡における我が国の立場の強化、我が国自身にも様々な形で利益をもたらすものである」と、間接的ですが、我が国にも利益をもたらすという書き方をしています。
 その下に、グローバルな問題ということですが、もう少しアジアの視点、日本というのは国際貿易の恩恵を享受し、資源・エネルギー、食料等を海外に依存している。だからODAを通じて開発途上国の安定と平和に積極的に貢献する。これも同じですが、要するに国際社会で生きていくうえで「途上国の安定と発展に積極的に貢献する」。これが次に来るわけです。「このことは我が国の安全と繁栄を確保し国民の利益を増進することに深く結びついている」ということです。目的というのがあって、それに向かって努力することが我が国の安全と繁栄の確保にも深く結びついているという書き方をしています。
 ここは今日いろいろご議論があるかと思います。あとでどうしてこういう書き方をしたかという点についてもご議論できればと思っています。
 次に2.基本方針というのがあります。これは5つ書いてあります。
 (1)が開発途上国の自助努力支援ということです。これは最近、国際会議でもよく話題になる「グッド・ガバナンスに基づく途上国の自助努力」というのが書いてあります。この「グッド・ガバナンス」はなかなかいい日本語がないのですが、「良い統治」と書いてありますが、要するに途上国の政府だけではなく、ガバナンスでも企業のガバナンスやプロジェクト自身のガバナンスなどいろいろな意味で使われるのですが、一番基本的なところは途上国自身が汚職などなくて、政府の経済運営や政治の運営などもきちんとしているということだと私は理解しています。そういうものに基づく途上国の自助努力を支援するのだというのが第1点です。
 次は、(2)「『人間の安全保障』の視点」というのが書いてあります。この「人間の安全保障」というのは、1992年につくった今の大綱にはない概念で、(1)の良い統治とも関係しているのですが、途上国で、政府がない地域や、政府があっても良い統治をやっていないところがあるのです。このようなところでは、むしろ政府を相手にして援助をしているだけだと、その地域に住んでいる人間そのものの尊厳や幸せ、人生が守られない可能性があるのです。そういう場合には、日本政府としてはむしろ個人やそこに住んでいる地域社会に直接援助をやるという、新しい概念を出しています。これは実は目的のところにも入れています。目的の、1ページ4行目最後に「これらの問題は、国境を越えて個々の人間にとっても大きな脅威となっている」とか、次の段落の「個々の人間の尊厳を守ることは、国際社会の安定と発展にとっても益々重要な課題である」と。
 今まで日本の援助というのは途上国の政府を相手にしてきました。ところが、政府がしっかりしていないというか、おかしな政府だと必ずしも援助の効果が上がらないということがあり、そういう場合には、直接そこに住んでいる方々に援助の手を差しのべる。それは、日本政府が直接やると、政府というのは相手国政府との外交関係もあるのでなかなか難しい場合があるので、そういう場合にはむしろ日本のNGOや中立的な国際機関を使って援助をするということをだんだんやっています。一番基本的なことは、やはり途上国に実際に住んでいる人の福祉といったものが向上するということが一番重要かと思っていますので、そういう観点から(2)でこの「人間の安全保障」というのを入れています。
 (3)で、「公平性の確保」です。この「公平性の確保」というのはなかなかいい言葉が思いつかなくて、こういうかたちにしています。日本がODAをやると利益を受ける人もいるけれども、あまり受けない人、かえって不利益を受ける人もいるということに配慮して、例えば、ジェンダーとか社会的弱者、貧富の格差、ODAの実施が開発途上国の環境や社会面に与える影響、これはいろいろなものがあると思います。環境破壊をしたり、住民が移動したりということで、過去にも日本のODAでそういう悪い例があります。そういうものがないように十分注意を払って公平性の確保を図るということを書いています。
 (4)「我が国の経験と知見の活用」は毛色がちょっと違います。一言申し上げますと、このODA大綱は、私も会合だけで数十回いろいろな人たちがやっていますので、実は、かなりごった煮になっています。チャンポンといったらいいかもしれません。ごった煮になっていて、いろいろな人の意見が入っています。話が脱線しますが、大綱の文章が2倍ぐらいになっています。私みたいな課長の仕事のしかたとしてはあまりよくなくて、つまり同じ長さの文章の中ですべて解決するというのが難しいことです。私が安易になって、文章全体が2倍になっています。いろいろなことが入っていて、その代表例がこの(4)で、これは産業界の人やいろいろな省庁の人の意見を入れた部分です。これは我が国の経済社会の発展や経済協力の経験を役立てると。それで、「我が国が有する技術、知見、人材および制度を活用する」と書いてあります。「さらに、ODAの実施にあたっては、我が国の経済社会との関連に十分配慮をしつつ、我が国の重要な政策~」、この辺は意味がよくわからないと思うのですが、日本で農業政策や貿易政策、あるいは青少年政策、教育政策などいろいろな政策がありますが、それとの整合性をとるということです。
 整合性といってもわかりにくいかもしれませんが、1つの例を挙げると、日本がどこか途上国に援助をして、農業や繊維工業など、その国の産業が非常に強くなったとします。いろいろな省庁から「ブーメラン効果」といわれたのですが、日本が援助したおかげでその国のどこかの産業が強くなって日本に産品が入ってくると、日本の特定の産業が被害を受けるというようなことです。そういうことを私なりに一般的に書いたのがここです。
 そのほかいろいろなことがあります。例えば青少年政策で、青年海外協力隊で海外に人を出す事業をしています。これは毎年2000名ぐらい出しています。そうすると、日本に国際経験を積んで帰ってきますので、それは途上国への援助であるとともに日本の青少年に国際経験を積んでもらうという意味もあるということです。
 そのようないろいろな日本の政策との連携を図って、政策全般の整合性をとっています。整合性というのは矛盾がないということです。そのようにしたいというのが(4)の趣旨です。
 (5)は「国際社会における協調と連携」ということで、これはまた違ったことですが、今、国際社会では開発目標の共有化が非常に進んでいます。日本もそういうものにきちんと積極的に参加しなくてはいけないという意識でこれを書きました。日本の援助は、二国間援助で途上国政府を相手にして二国間で援助をやるというのがずっと中心だったのです。ところが、今はだんだん開発目標を共有したり、援助のやり方そのものを一緒にしようという動きが非常に強くなっています。詳しく説明すると長くなりますのでしませんが、そういう動きが出て、途上国政府とだけ話をして二国間で援助をやるというのは、あまりはやっていません。これも少し政策転換を図る必要があるかと思い、ここに書いています。
 次に3.重点課題です。これはまずは(1)貧困削減というのを掲げています。先ほど開発目標が共有化されていると言いましたが、その一番大きなものがこの貧困削減です。ミレニアム開発目標というのは貧困削減中心に考えています。国際社会が今共通して追求している開発目標ですから、日本もこれを第一に持ってきています。ただ、その中で1つだけ特にヨーロッパの国と日本が違うと我々が言っているのは、この最後の文章に、「貧困削減を達成するためには、開発途上国の経済が持続的に成長し、雇用が増加することが不可欠である」と書いてあります。
 これは私は正しいと思っています。日本自身が経験したことですし、アジア諸国が今、経験しつつあることだと思うのです。ヨーロッパ諸国は、アフリカを中心に貧困削減のいろいろな取組を行っていますが、どうも経済成長という要素があまり考えられていないので、私はそれを心配しています。世銀にもヨーロッパの同僚にも言っています。今、だんだん少しずつ変わって、世銀も最近はやはり成長が重要だと言いはじめています。去年、ヨハネスブルグのWSSD(持続的開発のための世界首脳会議)で、小泉総理も行ったのですが、私も主管課長の一人で現地でいろいろな交渉をしてまいりました。一番印象に残ったのが、アフリカの代表はみんな言っていましたが、自分たちで貿易ができて外貨が得られるということ、つまり自分たちでお金が稼げれば援助は要らないのだということを明確に言っていました。それはおそらく、私も以前やっていましたが、国際的な貿易制度そのものがどうも途上国にとって都合がよくないのだろうと思うのですが、そこら辺の問題が非常に大きいのだろうと思います。ですから、そこはODAの範囲を超えてしまうものですから、ここには書いていませんが、いずれにしても途上国自身が貿易をしたり産業を興して成長するということが非常に重要かと思っています。
 次に持続的成長というのはまさにそういうことが書いてあります。ここは今もう説明してしまいましたので、特に長くは言いませんが、いろいろな貿易や投資との連携を図るということも書いてあります。
 (3)が地球的規模の問題の取り組みということで、これは読んでください。
 (4)が平和の構築で、これは新しい概念です。これについてもいろいろな議論をして、戦争のためにODAをやるのかとかいろいろな批判をいただいている部分です。私どもは最初の案文からかなり修正を加えて、やることを具体的に書いています。具体的には、「ODAを活用し、例えば~」ということで、書いています。これも、ODAでこういうことが全部できるとは思っていません。ODAだけで元兵士の武装解除といったことができるわけがありません。ただ、ODAで新しい雇用創出やいろいろな教育、職業訓練などあるかもしれません。そういうことをやれば、多少は武装解除、つまり日本の明治維新ではありませんが武士をやめても生活して食べていく必要があると思うので、生活して食べていく部分では何か支援ができるのではないかと思っています。
 4.重点地域は、今の大綱と同じでアジアが重点地域だと書いてあります。ここは、中身はずいぶん変わっていて、「ただしアジア諸国の経済社会状況の多様性、援助需要の変化に十分留意しつつ、戦略的に重点化を図る」ということにしています。これは、例えば今中国に対する援助についても非常に批判があります。何で中国にこんなに援助をやるのかということで、今後は中国への援助というのも再考する必要があると思っています。タイも最近は円借款は要らないというように首相自身が言っていますから、そういうことも考える必要があるし、アジア重視というのは当面変わらないと思いますが、中身はずいぶん変わってくるのかと思っています。同時に、今の大綱と比較して読んでいただくとわかるのですが、例えば、アフリカや中東、中南米というところについての記述をかなり増やしています。ここから読みとっていただければと思います。
 それから、南西アジアというのは外務省用語でわからない人がいるかもしれませんが、南アジアのことです。インドやパキスタン、スリランカ、バングラデシュといったところです。南西アジアや中央アジア(モンゴル、カザフスタンなど)も新しく書いています。この案文が意図したところは、今までの東アジアというところからもう少し幅広い視野でやる必要があるのかと思って書いています。
 次に、II.援助実施の原則というのがあります。ここはほとんど変えていません。ODAの4原則といって、おかしなことをやったら援助を止めるということに使っています。これは特にアジア諸国を中心に浸透している4原則ですので、あまり変えていません。変えたのは上から2行目で、「開発途上国の援助需要」という言葉があるのですが、これは今の案文を見ていただくと「開発途上国の要請」という言葉になっています。これは要請主義を見直すということで「援助需要」という言葉を使っています。つまり、開発途上国の政府の要請をうのみにしないという意味で、これはあとで説明しますが、政策協議の強化という点にも関連しますが、「要請」を削除しています。
 司会の方からも最初に紹介がありましたように、私は十数年前ですが、フィリピンでODAの仕事を現場でずっとやっていました。今でもおそらくそうだと思うのですが、今は私は現場からかなり遠ざかっていますのでわかりませんが、当時はフィリピンが出してくるいろいろな、特に無償資金協力の要請はほとんど日本の企業がつくっていました。途上国の要請といっても、それがその国の需要を真に反映しているかどうかわからないのです。日本の企業が要請をつくっている場合がほとんどで、今でもおそらくそういうのがずいぶんあるのではないかと私は思っています。企業がつくってもそれが相手国の真の需要を反映していればいいのかもしれませんが、一番重要なことはその国の需要をきちんと把握することが大切かと思い、要請主義を見直すということを打ち出しています。
 IIIの1.援助政策の立案および実施体制、ここで我々が一番やりたいと思ったのは、(1)政府全体として一体性、一貫性をもってODAを実施するということです。ODAというのは外務省のほかにもいろいろな省庁がやっていて、バラバラやっているという批判が非常に強いのです。実態的にもかなりバラバラな面があるものですから、そこを政府全体として一体性と一貫性をもって実施するためのいろいろな措置が書いてあります。1つは国別援助計画をきちんとつくるということです。それを各省庁がやれば国別援助計画は1つですので、それなりに一貫性がとれるのではないかと。
 それから、(2)各関係省庁間の連携で、今まであまり開催されていなかったのですが、対外経済協力関係閣僚会議という、総理も官房長官も出る会議で、こういうものをきちんと開催して、政府が一体性をもってやるということを確保したいということです。
 (4)は政策協議の強化ということで、これが要請主義の見直しと関係するのですが、1行目に、開発途上国から要請を受ける前から政策協議を活発に行うことにより、その開発政策や援助需要を十分把握することが不可欠であると書いてあります。これは要請主義の見直しということです。あとはかなり早めに行きます。
 5ページ、一番上は(5)現地機能の強化と書いてあります。今までは日本の援助は東京中心だったのです。東京で皆決めていましたが、どうもそれはいけないと思って、現地にできるだけ主導権を渡そうというのがこの発想です。それで、現地の政府だけではなく現地関係者を通じて現地の経済社会状況等を十分に把握すること。この現地関係者というのは、現地に住民や地方自治体、あるいは企業、NGOの人などいろいろな人がいると思いますが、そういう人たちとよく話をして、現地の経済社会状況を十分把握する。そうしないと、まちがいが起きるのではないかという考え方です。
 (6)が内外の援助関係者との連携で、これは読んでいただければわかると思いますが、政府だけでODAをやっていませんので、いろいろな方々と連携するということが書いてあります。
 あとははしょりますが、2は国民参加の拡大ということで、これは人材育成や開発教育、情報公開などこういうことがずっと書いてあります。
 3は、効果的実施のために必要な事項で、これは不正や不祥事が起きないように、あるいは援助であまりにも失敗例や非効率なものが起きないようにするということで、(1)評価の充実。(2)適正な手続きの確保で、これはJBIC(国際協力銀行)でもいろいろな環境ガイドラインをつくったり、JICAもつくっています。これは外部の人と一緒に議論しながらつくっているのですが、こういうものをやるということです。(3)不正腐敗の防止。これは外部監査を導入するとか、こういうことを書いています。
 最後は、IV.ODA大綱の実施条件に関する報告ということで、ODA大綱の実施状況は毎年、ODA白書で明らかにするということです。こういうことを明らかにすれば、またそれについて、皆さんからもこれはおかしいのではないかという意見も出てくるかと思いますので、そこでまた議論してもいいと思いますし、これをつくってそれを棚に上げてほったらかしにしないで、毎年このようにやっていますというのを報告するというようにしたいと思っています。
 長くなりましたが、以上で終わりにします。
(司会:楠原) ありがとうございました。今、ご説明いただきましたように現在の社会情勢にのっとって新たな概念を含めてODA大綱を見直しているということです。
 お手元に配付した資料のご説明を忘れておりましたので、説明させていただきます。今の「大綱の改定について(案)」のほかに、政府開発援助大綱の見直し、関係者の主な意見という資料がいっていると思います。これは、4月末の時点で出ているさまざまな意見をまとめたものです。そのほかに、1枚で新聞記事とODAに関する表、これも参考資料としてご覧ください。あと2部、政府開発援助大綱案への意見、これは吾郷先生のご意見、それから修正提案ということで大倉純子さんのご意見をお手元に配付していますので、ご確認ください。
 次に、吾郷先生からコメントをお願いします。
(吾郷) 今お話をお伺いしてもわかりますが、大綱案を読んでみてすぐにわかると思いますが、ご本人も認めておられるように非常に分量が多くなって、ごった煮になって、一見、矛盾するようなことも書いて、ありとあらゆることが全部書いてあり、非常に整理されていないという印象を受けます。私のあとで大倉さんが非常に細かい修正提案を出されているようですので、私の場合は、焦点を絞って基本の基本の幹だけの話をさせていただきます。それから、私の意見は、先ほど司会者は「学界を代表して」と言いましたが、全く学界を代表しておりません。学界でもありとあらゆる意見があるわけで、私のはそのうちの1つの意見です。
 今回の大綱案の最大の特徴は、最初に述べられたように、きわめて狭い意味でとらえられた日本の国益なるものが全体を支配していて、非常に格調が低いと思います。端的に言いますと、支配的サークルの経済的な政治的な利害が前面に出ていて、残念なことに読んでいて大変あさましいという印象を受けます。崇高な精神と高邁な理想がODAのような分野では掲げられるべきでありますが、そうなっていないというのは、つらつらと考えてみるに、今日の日本社会全体の品格の低さ、さまざまな最近の政治家の発言などいろいろなことで日本の社会そのものが非常に下劣、下品になってきていると感じます。そういうことと無縁ではないと思います。非常に残念です。
 私は今、非常に無視、軽視されている日本国憲法は21世紀に日本が世界に誇りうる、いってみれば、本当は憲法には財産権や知的所有権などないのですが、最大の知的所有権であって、日本が世界に向かってその財産と精神を啓蒙、啓発すべき、日本だけがなしうる独自の国際貢献であると考えていますので、今、無視されている日本国憲法の前文の精神、一言でいえば「国際主義」ということになると思います。それと第9条の理念は「平和主義」で、それにのっとってこの大綱案は、須永さんの大変なご努力にもかかわらず、根本的にやり直すべきであると考えています。
 前置きはそういうことですが、あとは細かい点は大倉さんにお任せして、基本的な点に限って私なりの修正案を考えていきたいと思います。
 まず、1番目の理念の(1)の目的で、一番大事な冒頭の1行です。「我が国ODAの目的は、国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」というのを次のように全く改めるべきであると。「日本のODAの目的は日本の安全と生存が国際社会の平和と、欠乏からの自由のうちにのみ存するとの自覚のもとに国際社会の平和と発展に寄与することである」。その理由として、ODAの目的というのは国際社会の構成員の大多数を占める発展途上国の発展を支援することであって、日本の安全と繁栄を確保することではない。その点で、大綱案は主客がひっくり返っており、根本的なまちがいである。日本の安全や繁栄は、日本のGDPのわずか0.3%、あるいは0.2%ぐらいでしかないODAの目的にはなりません。なることもできません。その前になってはいけないものです。ODAは自衛隊の軍事費のわずか4分の1から5分の1くらいのものですから。
 次は憲法前文の引用ですが、「われらは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のであり、また「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」がゆえに、我々の崇高な責務としてODAを行うのである、というべきであると思います。もちろん我々がもっぱら利他的な動機にのみ基づいて行動しているというわけではありません。日本国民に限らずいかなる国民も崇高な理念のみで生きているわけではないというのは言うまでもありません。ただ、我々は崇高な理念に基づく行動が究極において我々を利するのだと。つまり大綱案のいうような狭い国益、日本の企業がもうかるとか、そういう意味ではなくて、もっと広い意味において我々を利するものだということを自覚している、認識しているということです。
 次に、2番目に基本方針ですが、1番目の発展途上国の自助努力、支援、この2行目に、「良い統治に基づく開発途上国の自助努力を支援するため、これらの国の発展の基礎となる人づくり、制度構築や経済社会基盤の整備に協力することは、我が国ODAの最も重要な考え方である」と書いてあります。私はここは、「人づくり、制度構築や経済社会基盤の整備」というのは削って、「貧困削減」だけにすべきであると。あるいは少し譲歩して、「貧困削減」に須永さんの原案の「人づくり、制度構築、経済社会基盤の整備」というものを付け加えるのはかまわないかと思います。
 その理由は要するに援助の根幹は貧困をなくすことであるという日本の援助政策の根本哲学を鮮明にするためです。分量を倍にして、ぐちゃぐちゃとしないで、鮮明に我々の基本援助哲学を言うということです。須永さんが書いておられる「人づくりや制度構築や経済社会基盤の整備」はもちろん重要ですが、その前になによりもまず、「貧困削減」がなされて国民が全員一体となって、自分たちの社会、自分たちの地域、自分たちの国の発展に努力を傾ける、そういう体制ができなければならないわけです。「国民自らの主体的な努力」と私はいいますが、大綱案では「自助努力」と書いてあります。そういうものを実現するための第一の課題は、膨大な、大多数の国民の主体的な参加を拒んでいる貧困をまずなくすことです。貧困をどうとらえるかというのはいろいろありますが、私が一番参考にしているのはインドの経済学者のアマルティア・センです。センの言っているような意味に一番近く、最も広い意味でとらえています。詳細は省きます。
 貧困削減がなって初めて人づくり、制度構築や経済社会基盤の整備が可能となるのです。ここのところで、基本方針の最初のところで、貧困削減が第一に挙げられていないだけではなく、全く挙げられていないというのは私に言わせれば大綱案の考え方の根本的な欠陥を示すものです。須永さんは、日本の経験を参考にするということをおっしゃっておられるわけですから、そうであるならば、まさに戦後の日本の発展の基礎を築いたものは何かといえば、大多数の一致するところは、農地改革によって戦前の天皇制時代の地主小作制度をなくした、農村の貧困をなくしたというのが戦後の日本の発展の根本の前提だったという、そのことに思いをいたすべきだと思います。
 3番目の重点課題の最初のところは、貧困削減が掲げられています。ここは先ほどの須永さんの説明で、私と考え方が最も違う点です。私は残念なことに、経済成長がなって初めて貧困削減がなるというのは全くのまちがいだと。これも私の意見で、学界で経済成長と貧困削減の関係をどう見るかというのは意見が分かれていますが、須永さんのご意見は、私がここに書いておりますように、新古典派、新自由主義者のご意見です。私はそれに真っ向から反対して、改良主義的、修正主義的な意見を述べていて、実際に学界で論争があるのです。
 貧困削減を達成するために経済成長が不可欠であるというこの考え方は、私に言わせると、そういう考え方そのものがこれまで貧困をもたらしてきたわけです。表面的に、統計上のマクロの数字で経済が成長したといっても、発展途上国で経済成長率が3%だ、5%だといったところで貧困は決してなくなっていない。アフリカでも南西アジアでもラテンアメリカでも経済が成長しても貧困がなくなっていないどころか、貧困はどんどん増えていっています。唯一の例外が東アジアだけだったのです。唯一の例外の東アジアは、しかし、1997年のアジア危機で結局元のもくあみになってしまったのです。それは経済成長がつぶれてしまって、もっと以前に帰ってしまったのです。それ以後いくつかの国では急激な回復がありますが、韓国はまた怪しくなってきています。ですから、論争点です。
 繰り返しますが、日本の主張で西洋も少し考え直してきているとか、国際機関も考え直してきているとおっしゃっていますが、私に言わせると、基本的には世銀などは経済成長が貧困をなくすという考え方でこれまでずっとやってきたのです。世銀もどこでもみんなそれをやってきました。それが失敗して、貧困削減だということを言い出してきました。けれども、須永さんが書かれている「貧困削減のためには経済成長が必要だ」という考え方を依然としてそこに引きずっている。だから、世銀がいくら政策を転換したところでうまくいかない。
 4番目の重点地域、冒頭の「日本と緊密な関係を有し日本の安全と繁栄に大きな影響を及ぼしうるアジアは重点地域である」という考え方があります。先ほどアジア重視の中身がいろいろ変わってきているとか、地域も必ずしも東アジアだけではなくて、もう少し地域を広げるのだとおっしゃいましたが、それは私に言わせると、狭い国益主義の考え方が最も端的に現れている部分であって、重点地域というこの項全体を削除すべきです。私の考えは、世界中どこであれ最も貧しい国の最も貧しい地域の最も貧しい人々への援助ということです。先ほど、人間の安全保障を重視して、直接途上国の個人や貧しい人たちへの直接支援をNGOを使ってやるとか言われましたが、NGOを使ってやらせるのだとか、直接政府を抜かしてやるとまずいからとか、そうではなく、最貧国の最貧地域の最貧層の人々への援助が最も優先されるべきだと考えます。
 大きなIIの援助実施の原則ですが、従来の4原則の当該部分の冒頭の文言は、「上記の理念にのっとり国際連合憲章の諸原則および以下の諸点を踏まえ開発途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係等を総合的に判断のうえODAを実施するものとする」と書いていますが、その文言に続けて、アカウンタビリティの訳に説明責任が適当かどうか疑問もありますが、ともかくそういう定訳になっていますので、それを採用しますが、「この総合的判断は透明性と説明責任(アカウンタビリティ)の原則に基づいてなされるものとする」を追加すべきだと考えます。
 先ほど読み上げた「国連憲章の諸原則および以下の諸点」。以下の諸点というのは、従来の4原則ですが、「これを踏まえ開発途上国の援助需要」、この援助需要は従来の要請主義を変えたのだと今おっしゃいました。「経済社会状況、二国間関係等を総合的判断のうえODAを実施するものとする」という文言を踏襲されているわけです。これまで、いわゆる4原則は全く実行されてこなかったという点での反省が全く見られないというのは、私にとっては驚くべきことです。
 日本の援助がどうして環境破壊をもたらしてきたのか、つまり環境と開発を両立させると言いつつ、そうならなかった。それから軍事的用途や使用は回避するとか、開発途上国の軍事支出に注意を払うと言っておきながら、そんなことはしなかった。中国やミャンマー、スハルト時代のインドネシア、そういう軍事大国や軍事政権、人権侵害国に日本の援助が集中した。どうしてそういうことが起こってきたのか。それは4原則をどう踏まえているのか知りませんが、「開発途上国の○○を総合的に判断のうえ」と。だれが総合的に判断しているのか全くわからない。どういう総合的判断なのか。ですから、その総合判断は今後は国民の前に正当性を証明しなければなりません。レジティマシーを証明しなければなりません。情報公開とあいまって、透明性と説明責任(アカウンタビリティ)が最低限の必要事であります。
 それから、私は4原則を5原則にして、第1原則を次の文言として新たに付け加えてもらいたい。「援助受取国の住民参加のもとに住民主体の開発を支援する」。先ほどから言っていますが、援助は真に効果的なものにするためには、それが外部から、日本から押しつけられたものであってはなりません。現地の自然的な、歴史的な、社会的な、文化的な、制度的な、さまざまな条件、実情に即したものでなければなりません。かつ、また当該住民自身の主体的な参加を伴わなければなりません。銃で強制して開発させるわけにはいかないのです。上からやれといって命令してやらせることはできないのです。これまでの援助がしばしば現地の環境と地域社会を破壊するものであっただけに、この点での反省は今回のODA大綱見直しの最大の眼目と本来ならなければならないはずのものです。国益を注入することが大綱見直しの根本原則であっては全くナンセンスである。
 3番目に、援助政策の立案および実施というところで、全然触れられていないので、4として、異議申し立て制度の項目を設けるべきであります。
 今まで述べてきましたように、従来の日本の援助は、特に社会面、環境面において援助相手先に重大なる破壊行為をもたらしてきたわけです。ところが、その大半は現地の住民やNGOなど関係者から早くから指摘されていたものばかりです。そういった関係者からの問題の指摘に十分耳を傾け、計画を修正しておれば、それらの破壊行為は大いに減少していたでしょう。日本の援助が相手側に資するものではなく、相手側にただ打撃を与えるということはなかったでしょう。
 開発への住民参加は、須永さんもおっしゃっておられるオーナーシップの一環です。関係住民自身の主体的な参加なしには開発は不可能です。大綱案はこの項の2番目に「国民参加の拡大」と言っています。援助政策の立案や実施体制に日本の側の国民が参加するということを謳っているにもかかわらず、相手側の開発への住民参加については何も触れない。厳密にいえば保障メカニズムではなく、ただ、わずかのチェックのために何らかの機構が必要だという意味ですが、異議申し立て制度への言及が全くないというのは理解に苦しみます。日本の援助による開発には、民主主義、情報公開、住民参加、透明性、説明責任などが必ずなければならないということを、日本の援助の実施原則として明文化すべきです。これまでそういった原則の実行は相手国政府の責任であるとして援助する日本側は責任を免れてきたわけです。問い詰められても、「自分たちは相手側政府に言っている」「相手側政府はそういうことをちゃんとやってくれているはずだ」と。「そうやっていない」と言っても、「相手側政府に問い合わせて確認してみたらやっていると言っている」、これで終わりです。そのように援助する日本側が責任を免れてきましたが、そのようなことを繰り返してはならない。そのために、実行を担保する措置として、実際に現在、世銀やアジア開発銀行などの該当制度を参照して、当該住民その他の関係者による異議申し立て制度を制度化すべきです。
 また、後で発言するかも知れませんが、以上、基本点に限って意見を申し上げました。

(*****)

(足立) 足立と申します。中米のコスタリカという国の研究をやっている者です。
 国益に関して、これまで何人かの方もおっしゃったように、国益というものは何かということが明らかでない以上、どうかというところが一つあると思います。ただ、「これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」と、目的の一番初めに書いてありますが、その意味によっては、僕の個人的な意見としてはこれは当然あっていいと思うのです。ただし実際問題として、ODAに絡んで国益重視と言っている方々というのは、そこでいかに自分たちに利益が返ってくるかというところを当然考えながら言っている方が多いと思うのです。ということは、それに関係ない大多数の国民にとっての国益になるようなことというのがはたして出てくるのか。あるいはそこまで視野に入れているのかというところが非常に疑問です。
 これは私の意見ですが、この大綱というものは政府の姿勢を示すものということになります。つまりは説明するものです。日本国民に対して説明するものであり、かつ当然諸外国に対する説明にもなってきます。ということは、この大綱自身が1つの外交ツールということになります。それに関して、最初から諸外国からこの文書を見たときに、「これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」というところを見たとき、はたしてどういった外交感情が生まれるかということを考えると、この言葉自体が国益に反するということになると僕は思うのです。ですから、もしそういった国益というものを考えるのであれば、国益に関するような文言というのは大綱から一切削除するべきだと思っています。
 以上です。
(司会:楠原) 国益ということに関してほかにご意見があれば。
(*コバヤシ*) *コバヤシ*と申します。今までの意見と大体同じですが、先ほど紹介がありましたように、ODAは、OECDの定義では途上国の経済発展と福祉の向上に寄与すべきものであるということであるならば、国益ということはそれに入らないわけですから、ここに入ってくる必要はないと思います。
 政府開発援助大綱として、日本がどのようにODAを使うかということがここに述べられていて、その中に、日本の国益のためにODAを利用したいと考える人がいるということですが、日本の国益のために海外に対し何かをやりたいということであるなら、ほかの外交ツールでも可能だと思うのです。ODAの大綱としては、吾郷先生やほかの方からもありましたが、今のご時世で日本としては崇高な目的をもって世界に誇れるような大綱にしてほしいと思います。
(司会:楠原) ほかにご意見はございますか。
(寺嶋) NGO福岡ネットワーク政策提言委員の寺嶋と申します。
 国益について、ODAはそもそも国益のためで我が国の繁栄と安全のために使うということ、それと外交のカードの1つとして使うということについて非常に大きな問題を抱えていると思っています。
 これは昨年、朝日新聞で報道されたのですが、イラク攻撃のときにアメリカとイギリスが決議案を安全保障理事会に提案しました。その後修正案を出した際に、新聞記事で、報道されたのが、日本がODAの被供与国を回って、アメリカとイギリスの提案に賛成するようにという圧力をかけたということが報道されています。それから、ユネスコ事務局長の選挙がありましたが、その際に日本人の候補があったのですが、その日本人のほうに投票するようにということで、ODA被供与国に圧力をかけて回ったと。これは結果的に日本人が事務局長になったと聞いています。それから、国際捕鯨委員会の決議があったときに、日本の提案に賛成するようにということで、このときもまたODAの被供与国に対して賛成しなければ援助を止めることもあるかもしれないと圧力をかけて回ったと聞いています。
 このようにODAは、まがりなりにも政府開発援助という言葉がついていながら、実際のところはどこまで援助の側面があるのか、人道支援という側面があるのかというところに大きな疑問があります。現行のODA大綱もすべてにおいて100点満点だったとは言えませんが、それでも基本的な方針というのは比較的よいものだったと思っています。今回の改正案よりは少なくとも原則の点でよかったのではないかと思っていますが、今回のODA大綱改正案が急に出てきたということ、非常に拙速なプロセスで、わずか8か月足らずという議論の中で改正されようとしていることに問題を感じています。
 先ほどのODAを外交のカードとして使って圧力をかけて回ったという報道について、はたしてそういうことが事実であるかどうかということについて、まずお尋ねしたいと思います。
(司会:楠原) ほかに国益ということに関してご意見は? では、須永課長からお願いいたします。
(須永) 今日は驚きました。私よりずっとご年配の岡添さんですが、ご意見をいただきまして、そのほか、市会議員の方の森本さんでしたか、いろいろな方にご出席いただいて、今気づいているうちにほとんど席がいっぱいなっているということで、本当に九州は関心が高くて、普通の一般の方のたくさん参加していただいて意見を言っていただいて本当にありがとうございました。いただいた意見はきちんと持ち帰って、私の上司にも報告しますし、また総合戦略会議もありますので、そういう機会にも、そういう時間が私に与えられれば、まとめてお話ししたいと思っています。
 実は、私はこの間NGOとの会合についても全部報告して、それが今日も配られています。これも私が勝手にまとめて報告したものです。私としてはかなりニュートラルにつくったつもりですが、このように報告しています。また同じような機会があればいいなと思っています。本当にありがとうございました。非常に感激しています。
 国益の前に、岡添さんの「国民」や「我が国」という言葉に抵抗感があると。私も戦後生まれの人間ですので、反論する余地がありません。
(岡添) 戦後ではなくて、戦中です。
(須永) 失礼しました。私の母親も戦中ですので、同じかと思います。閣議決定の文書で「我が国国民」とよく使っているものですから、使っているということですが、私は「日本」というように使おうかと思ったのですが、これもどこかの会合でもしましたが、私の原案では「日本」としたのですが、閣議決定の文書に「日本」というのはおかしいだろうと言われて、今は「我が国」というかたちになっています。
 NGOへの支援、これは冒頭に説明したように、ODA予算はものすごく減っていますが、NGOへの支援は増えています。これも今後おそらく増えていくでしょう。先ほど申し上げたように、外務省が(NGOを)使っているということは全くありません。外務省のODA予算をNGOの人に使っていただいているということだろうと思います。むしろ政府の予算をもらうことに抵抗感があるNGOの人もたくさんおりますので、そういう方は受け取らないと思いますが、関係がだんだんよくなっていまして、母子保健やエイズの話など、日本のJOICFPなど、いろいろなNGOの方が海外で活躍しています。AMDAもあります。連携してやっています。おそらくNGOへの支援するための予算というのは今後増えるでしょう。今年の予算でも増やしたいと思っています。
 国益というのは、国益をODA大綱の目的に書くべきだというのが非常にあって、では国益というように書いたらどうなるかと思って、ODA総合戦略会議でも議論していただいただのですが、国益は論ずる人によってずいぶん見方が違って、日本に経済的な利益が返ってくるということから、国際社会に貢献して、そういうことを言わないのがむしろ国益だと言っている人まで幅広くて、これはどう書いたらいいものかと思いました。
 しかし、繰り返しになりますが、書かないとどうもいろいろ特に国会議員の先生方からも要望があって、通りにくいなと思って。「我が国の安全と繁栄」というのは、ODAだけではなくて日本の非常に基本的な政策のところです。それをとりあえず書いてみたということです。でも、今日はずいぶん抵抗感が強いということがわかりました。*アオイ*さんでしたか、危険な状況にあるというのは、別にODAのことではなくて日本全体のことをおっしゃったのかと思いますが、私自身は国際的な定義にぎりぎりこれだったら大丈夫だと思ってやりましたが、そこはいろいろな意見があるかもしれません。外国から見たら、そうなのです。私はいつもいろいろなところでそこら辺を言っているのです。
 ちなみに、私はODAの理念的なものについてはほかの国の例も調べてみたのです。これも総合戦略会議で私が説明して、配っていますので、資料もインターネットからとれるかと思っています。
 アメリカだったら、このようなことが書いてあります。「開発途上国の持続的な経済社会発展の実現、ならびに自国および世界の問題の解決の参加への努力を支援することを通じて米国の国益に貢献する」。途中は抜かしますが、「米国の製品やサービスの需要創出および米国と被援助国の協力関係の増進につながる」と。何が言いたいかというと、イギリスはこんなことを書いていません。イギリスは貧困削減というように書いてあるのです。やっている実態はあまり変わらないと思いますが、イギリスも自分の国の外交目的や国家目的に沿うような援助も結構やっていると思います。というのは、やはり旧植民地への援助が多いです。イギリスもフランスもそうだと思います。問題は、それをどう文書に書くかということが重要かと思っています。これは日本国民へのメッセージであるとともに国際社会へのメッセージでもあるので、あまり国益的なものを強く出すとかえって国益に反することになると、そのとおりだと思います。かたや、日本国民へのメッセージとしては、日本に利益がいろいろな点であるのですよということをきちんと書けという意見が非常に強かったということで、冒頭に戻りますが、それが一番苦労した点です。
 では、だれが国益を判断するのかという質問も今ありました。これは、最終的には役人はODA大綱を実施する際には、日本の平和と繁栄といったことを判断するのですが、我々のトップは外務大臣だし、外務大臣を任命したのは総理大臣です。例えば、以前、中国が核実験をやったときにODAを止めたことがあります。あるいは、インドが核実験をやったときにはやはりODAを止めたことがあります。これは総理の判断、政府全体として判断すると。政府のトップは総理ですので、そういうことになると思います。
 平和の構築。当然のことながら、平和の構築はODAだけでできるものではありません。ODAが平和の構築の分野で出しゃばって、かえって戦争や、本来は軍隊のやるような近いところまでやるというのは私はものすごく反対です。そこは今回の公聴会でも強い意見が出ていますので、私はここで明確に申し上げておきますが、平和の構築のところは、そういう観点から、少し修文する必要があるかと思っています。今のを読むと、もう平和の構築でODAオールマイティのような書き方になっているので、誤解を与えているかと思っています。ここもいろいろな批判がありますので、少し修正しなくてはいけないかと思っています。私自身はそう思っています。
 それから、情報公開ですが、開発途上国の人にも情報を公開するということで、日本語で「情報公開」というと、役人の用語では「国民に公開する」ということを普通とるのです。だから、表現は変わってしまったのですが、5ページ目の(4)の情報公開のところに、「特に途上国を中心とした国際社会に対して我が国ODAに関する情報発信を強化する」というかたちで書いてはみたのですが、これももしご批判があれば検討してみたいと思っています。
 ジェンダーですが、本当に私としては目的のところにもジェンダー、男女の格差というのを入れて、それから公平性のところにも入れたのですが、まだまだ不十分だという意見が非常に強くて、私が正しく理解していれば、今日は森本さんがそういうご意見ではなかったと思います。ここも少し修文しようかと思っています。もう少しジェンダーを強くしないといけないかと。というのは、今の大綱ですと、後ろのほうの(14)か(13)に1文入っているのです。ご覧いただければわかるのですが、文章で入っていないものですから、これもいろいろな公聴会で、これも記録がそのうち出ると思いますので読んでいただけると思いますが、特に東京の公聴会ではジェンダーで30分ぐらい演説がありまして、だめだ、だめだと言われたものですから、ここを修文しなくてはいけないと思っています。
 最後に、寺嶋さんのところの、イラクの話、それからユネスコの話です。私は、イラクのあれも主管課長ではないので実態は知らないので、これは推測ですが、ODAだけではないと思うのです。ODAも含まれて、日本全体としての国際的な影響力を使って、アメリカに協力したということがあるのだろうと。もし必要があれば、外務省にも主管の局と課がありますので、直接問い合わせていただければと思います。私があまり無責任なことは主管外なので言えませんが、日本全体の影響力、そういうことではないかと思います。当然その中にはODAは含まれていると私は思っています。
 ただ、自民党でもどこでもそうですが、あるいはほかの農業団体でもそうですが、例えばWTOの農業交渉で日本の立場に反対しているところにはODAをやるなとか、途上国はかなりの部分がODAが出なくなるのです。それから、国際捕鯨委員会の話もそうです。こういう意見は非常に強いです。それが国益だと言っている人は多いのです。私はそれは真っ向から反対しています。ODAはそういうものではないと。これは結構説得力を持つのですが、ODAでそういうことをやるということはお金で票を買うということですよ。そんなことはできないでしょう。国内だってできないし、国際的にもできませんと。これは私は一生懸命、私だけではなく外務省の人は全員そうです。私の上司もそうです。いろいろなところに何回も行って説明しています。そういうのをちゃんとこの大綱の中に書けという人が強いわけです。そこは書けないということを言っています。

(*****)

(須永) ちゃんと手を挙げて指名を受けてから発言してください。
 とりあえずそこで終わりにしましょう。
(司会:楠原) まず国益に関して、どうぞ。
(吾郷) ODAとかそういうものを使って、例えば今の話でアメリカの決議案に賛成するようにさせることには私は全く反対である、私の上司も反対で、外務省全体が反対であるとおっしゃいましたが、全く信じられない話で、私が今横やりを入れたのは、では、だれがそういうことをやっているのか。外務大臣がやっているのか。総理大臣がやっているのか。外務省全員が反対しているのに、日本のODAを使って安全保障理事会で米英案に賛成するように圧力をかけた。外務省全員が反対であると。どこで整合的な説明ができるのか、お伺いしたい。
(須永) 先ほど私が説明したのは、外務省ではなくて日本の……。これは個人的なことのなので、私はわからないものですから、最初に申し上げたとおり、本当のことを知りたければ外務省にも主管の局や課がありますので、そこに問い合わせていただきたいのです。外務省もいろいろな課や局があるから、よそのことはよくわからないのです。  私は今日は話が途切れるとあれなので、私の推測でていねいに言っているつもりではいるのですが、日本の国全体の影響力を使って、いろいろな場で日本の立場を通そうとするのは当然だと思います。それと、この国が反対したからODAはやらないとか、そういうことを言ったことはないということ。これは別ですから、ここは区別していただきたいと思います。つまり、おたくがこの農業交渉で日本を支持しなかったら、ODAはやりませんよとか、そういうことを言ったことはありません。明確に。今後も外務省全体としてそういうことは反対していくつもりです。
(司会:楠原) まず国益ということに関して何かほかにご意見はございますか。
(荒木) 福岡市議会議員をしております荒木といいます。
 今のお話を聞いて、国益という話と総合的は判断という話ですが、では、いったい総合的な判断というのはどういうかたちで行われるのか。例えば、先ほどもODAの需要についての話もあるのですが、いったいどういうかたちで需要というのが今後特に必要なところに必要な支援をという立場に立った場合、どういうかたちで需要というものが集められ、なおかつそれが国益との関係で総合判断というのはどこでどういうかたちでされるのか、私はまたあらためてわからなくなったのですが。
(司会:楠原) ほかに関連するご意見ご質問は。
(本村) 先ほど国益を判断する人についてお答えいただいた本村です。
 平和構築の問題にも絡んでくることからわかるとおり、これは場合によっては国民にかなり深刻な損失をもたらすことにもつながりうる決定ですから、内閣総理大臣が決めるというようなことではなくて、国会がもっと関与するようにしなければ、それだけ重要な判断に関して十分に議論を尽くしたと言えないのではないかと思うのですが、一方で財政投融資が混じっていることとかあって、そういう決定のプロセスが見えにくいという問題があるのですが、そういう決定の制度自体、改正する必要があるのではないかというあたりについては、外務省としてはどのように認識されていらっしゃるでしょうか。
(司会:楠原) ほかに関連のご質問、ご意見は。では、課長、お願いします。
(須永) 最初に、総合的な判断と需要の把握ということで、需要は、私どもはこの大綱で打ち出したいのは現地の機能、5ページの(5)です。在外公館でもずいぶん人数が少なくて弱いところがあるのです。あとは実施機関、これは国際協力事業団や国際協力銀行や、そういうところの海外の事務所です。現地にいる人が一番現地のことをわかると思うので、ここが自分たちだけで判断しないで、現地の関係者を通じていろいろ情報を十分把握するということを書いたわけです。それを、現地が主導的な役割と果たすことによって、東京に住んでいると現地の状況がわからないですから、現地の人がいろいろな人たちと話したり、あるいは情報を収集したりして判断したことを我々は尊重するということが一番大切かなと思っています。
 では、東京で何を判断するかといったら、これは足立さんでしたか、「外交ツール」という言葉を使われました。ODAというのはどの国にどれくらい、どういう分野でやるかというのは非常に外交的な判断と申しますか、政治的な判断も必要な場合があるわけです。例えば、北朝鮮は国際的な定義ではODAをやっていいところになっているのですが、これは一切やってないわけです。それは日本政府の判断としてやっていないわけです。そういう国もありますので、どの国にどれくらいやるかというところは、ODAの世界以外の判断はかなりあるのだろうと思います。そこら辺が総合的な判断というところで書いたので、ここはわかりにくいということにもつながってくるのですが、税金を使ってやっている以上、日本に対して本当に敵対している国にはやはりODAはやるべきではないと私自身は思っています。そういう意味での総合的な判断がそこであるのだろうと思います。
 もう1つ、国会の関与ですが、これは基本法の議論とかなり出てくる話なので、もし国会の関与を本当に強めるのであれば、名前は何でもいいのですが、ODAを規律する法律が必要だと思います。こう言ってはあれですが、政府の一課長が法律をつくるべきだとか言えないのです。最終的には国会の判断だと思います。国会というか、日本の場合は議院内閣制になっていますので、官邸と国会がそのように判断して、やはりODAについて基本法をつくったほうがいいということになれば、つくるということになるのでしょう。
 私個人の見解を申し上げれば、外交のツールとしての機動性や柔軟性を確保するためには大綱で十分だと思っていますが、そこについてはいろいろな意見があります。むしろ今日、市議会の方も来ていらっしゃいますので、そういう方やこちらでも国会議員の方がたくさんいらっしゃると思いますので、ちょうど選挙も近いということで皆さん、帰ってきていると思うので、そういう方々と直接議論していただいてもいいと思います。それは、基本法が必要だという世論が盛り上がればできると思います。
(司会:楠原) 今のご意見についてどうぞ。
(足立) 今話を聞いていて、1つ矛盾があるのではないかと気がついたのです。まず、例えばこういうケースを考えてみてほしいのですが、ある国があって、そこの国と日本の政府が対立しているという関係にあるとします。そこの国のどこかで援助を欲しがっている、あるいは援助が必要とされている地域があるとします。その地域の人たちは自国の政府とは立場が違うというケースはかなり多いと思うのです。そういったときに、そこの国の政府と日本の政府が対立関係にあるから、そこに援助をあげないとなると、これはむしろ逆に国益に反することになるのではないか。そういった矛盾したケースが考えられるのではないかというのが1点です。
 もう1つ、それに関して矛盾に気づいたのは、要請主義に関することです。要は相手の政府ではなくて、援助を必要としているもう少し細かい地域や、そういったところの要請、あるいは需要というものを考えるというように転換したほうがいいともとらえているし、そうなのかと思っているのですが、そこでやはり対立政府の関係というものに関する関与をもう少し下げないと、本当の意味での現地要請主義というところにはなかなかかなわないのではないか、難しい部分があるのではないかというところを、思ったり、聞きたいのですが。
(大倉) 関連しているのですが、人間の安全保障の視点のところで、須永さんが内政干渉みたいなことはできないけれども、無政府状態のところや良い統治をしていないところには、国対国という関係ではなくてもっと柔軟な援助をするということだったと思うのです。そうすると、良い統治をしてないところというのは、やはり外交関係が日本とはいいとは限らないと思うので、そういうところにでも援助をするという今、足立さんも言われたような視点かなと思ったので、それだと困っている北朝鮮の人を救わないのは何でかなという気もします。
 それに関連して、「良い統治」という言葉が一、二あるのですが、この「良い統治(グッド・ガバナンス)」という定義、概念というのは、国際的に1つのものがちゃんとあるのでしょうか。もし日本政府なりのグッド・ガバナンスの定義があるとして、その定義や判断基準というのは何になるのでしょうか。
 先ほど、インドや中国が核実験したときにODAを止めたという話がありましたが、パキスタンも同じように核実験をやってODAを止めたのですが、アメリカがアフガニスタンに爆撃を始めたとたんに、また対パキスタン援助が始まったりして、よくわからないですね。
 もう1つが、「要請主義」と「外交カード」という言葉と関係あるのですが、ちょっと前の今年4月の朝日新聞に、「ODA日本の意向を反映へ、アジア諸国と新協議方式」とあって、要するに、要請主義を廃止して日本の意向を十分反映させるために先取りして協議を開始するという報道があっています。
 その協議の内容というのが、「外務、経産、財務の3省と、JBICの担当者がインドネシア、中国、インド、ベトナム、フィリピンを訪問し、インドネシアに対しては日本企業から要望の強い電力施設や道路、港湾の施設のほか税関手続きの効率化など外資導入に役立つ事業の必要性を伝える。ベトナムに対しては同政府のバイク部品の輸入規制の撤廃を投資環境改善の一環として求める。フィリピン、インドにも投資環境整備の重要性を指摘する一方、『日本企業の投資環境が改善されない場合にはODAに対する国内の理解が得られないため援助額が減る可能性なども説明する(経産省)』」という報道があったのです。
 この報道に関して、7月20日に福岡に来られた平田(健治)企画官に質問したところ、「その報道は正確ではないです」というご返事だったのですが、正確ではないといっても、7月9日か、このODA大綱案が発表されたときに朝日新聞でODA大綱案が発表されたというニュースがあって、朝日新聞のウエブの方ではやはりこの4月6日の記事が参照というかたちで挙がっていたのです。もしこれが誤報だったら、これは違いますということではっきりしてもらわないと、「ああ、政府は政策協議といいながら実はこんなことをしようとしているのだ」と、国民は思うと思うし、要請主義の廃止というのは結局外交カードではないかと、そうなると思うのですが、どうでしょうか。
(須永) 今日は非常にいいご質問ばかりで大変疲れますが・・・・・・。
 最初の質問は本当にいい質問ですよね。対立する国の中で住民、地域、それから地域の要請、需要、これは人間の安全保障の考え方です。まさに、それでは対立する国の中でもかわいそうな人がいっぱいいるし、本当に困っているのはその人たちだというのがあるし、それから先ほど人間の安全保障のところで大倉さんから質問がありました。まさに総合的というのはそういうことです。これは国ごとにいろいろな要素を考えなくてはわからない。私は北朝鮮もそうだと思います。それは広く北朝鮮で困っている人たちに今、日本は食料援助もたしかやっていないのです。あれはもともとODAではないのですが、やっていないのです。やったこともものすごく批判が強くて、今、止めているのではなかったかと思います。これも、外務省には50ぐらいある課のうちの課長の一人なので、私は担当官ですが、だからそういう国もあれば、北朝鮮には援助をやっていません。かわいそうな人がいてもやっていないという国もあれば、かたや、例えばミャンマーなんかは国際的な批判を浴びつつも、ああいう圧政下で苦しんでいる人があるのに、そこに保健医療の分野など、人道的な支援は日本はやっています。これも今、あまりミャンマー政府がひどいことをやると止めますよと言っていますが、それはまさにその国の状況や日本との関係、あるいは政府がどれくらい悪いのかというのをよく見ないと、なかなか判断できない。一律では判断できない部分だと思います。
 しかしながら、大綱で今打ち出そうとしていることは、まさに政府が悪いから相手にしないといっても、そこで苦労する人がいたら、そういう場合にも援助しましょうというのを打ち出している。それは総合的に判断することがあるのですが、それがこの基本方針の(2)で書いている人間の安全保障の視点です。そこで言っていることは、まさにここに書いてあるとおりですが、個々の人間に着目した人づくりを通じた地域社会の能力向上などと書いてあって、相手の国の政府がうちの援助需要でございますと持ってきたものだけではなくて、住んでいる人や地域からも直接情報を仕入れて判断するというのがこの人間の安全保障です。そこは、先ほど足立さんからご質問で、よく勉強されている方だと思いましたが、そういう視点は我々も忘れてはいないということです。
 グッド・ガバナンスの定義もその総合的判断とかかわってくるのです。このグッド・ガバナンスも、おそらく質問された大倉さん自身がわかっていることだと思うのですが、国際的な定義は「ない」のです。今は政府のグッド・ガバナンスから始まって、私も冒頭で言いましたが、企業のグッド・ガバナンスもあるし、プロジェクトのグッド・ガバナンスもあるし、水のグッド・ガバナンスもあるし。この間、関西でやった水フォーラムに私も行きましたが、水のグッド・ガバナンスはどういうことだろうと思いました。政府のグッド・ガバナンスに限ってみても、客観的な基準はないのです。それはものすごく国際的に議論をしているのです。
 例えば、去年のWSSDでグッド・ガバナンスを入れることに途上国はものすごく反対しました。これを入れると、これがコンディショナリティになってしまうから途上国は反対するのです。グッド・ガバナンスの尺度で計って、グッド・ガバナンスがない国には援助をしなくて、ある国にはするのですねと。アメリカは実際にそのように言っているわけです。途上国が反対した理由の1つが、では、基準があるのかと。ないのに、そんな言葉を使わないでくださいと。我々は徹夜で交渉して結局言葉は入ったと思いますが、そういう概念です。ですから、それを承知で大綱でも使っています。しかしながら、こういうグッド・ガバナンスを書くことによって具体的な定義はなくても途上国の人はこれを読めば、ああ、うちもグッド・ガバナンス(良い統治)をやらなくてはいかんなと思うかもしれません。一般的に。これは、それくらいの意味しかないです。本当にそうだと思います。
 報道について言えば、私もその報道は必ずしも正しくないと。経産省から見れば正しいかもしれません。外務省から見れば正しくないと、そのように言わざるをえません。ほかにもどこかの新聞で、要請主義を廃して日本はもっと日本の産業界の利益を代弁するようになるのだという記事がありましたが、私自身、そのような目的で大綱をつくって要請主義を見直すというのは頭の片隅にもないですから。それは経産省の人はそう思っているかも、それは直接経産省に聞いてください。経産省の人が出ていますので。こちらにも、九州産業局とか、たしかあると思いますので、直接訪問していただいて聞いていただければわかると思います。外務省の担当である私が頭の片隅にもないということをはっきり申し上げたいと思います。
 以上です。
(大倉) 最後のところで、「経産省にはあるかもしれないが、私の頭にはない」と言われたのですが、やはりODAに関することですし、それこそ新しい大綱案に、一貫性のある援助政策の立案のために関係府省間の連携をとるということをご自分も書いていらっしゃいますので、そういう下品な使い方はしないようにと、経産省の方に言っていただけたらと思うのですが。
(須永) ここで大倉さんと1対1で話をしてもあれですが、4ページの真ん中に、関係府省間の連携で「外務省を調整の中核として」というのが入っていますから、外務省は一格上になっていますので、経産省にそういうことは事実かどうか、私は確認していませんのでわかりませんが、もしそういうことがあれば、それは説得してやりたいと思います。冒頭でも申し上げましたが、わからないのですが、日本の企業の利益とかそういうことを言っているところは今度の大綱には明示的にはないです。本音で思っているかもしれませんが、そこは。これが予定どおり8月末に閣議決定されれば、それは運用するときに気をつけなくてはいけないとは思います。
(司会:楠原) これまでのご意見は比較的批判的なご意見が多いようですが、そうではないご意見の方、今、手を挙げにくいかと思いますが、ぜひお願いします。
(寺田) 寺田と申します。この質問は初歩的かもしれないのですが、わりとな質問だと思いますが、まず須永さんの個人的な見解をむしろ聞きたいのです。「開発」という言葉の定義と解釈をどのように今言われるかということをお聞きしたいのです。
 なぜこういう質問をするかというと、冒頭に吾郷先生から提出された資料の中で、「貧困削減のために経済成長が重要であるという考え方自身がこれまでの貧困をもたらしてきた考えそのものであった」というのがあって、全く同感ですが、今日のいろいろな答弁というのがこの考えの枠内でどうも言われているような気が個人的にはするのです。あらためて「開発(デベロップメント)」という言葉の、須永さんの定義、解釈を言葉でお聞きしたいということが1つ。
 2つ目は、これも吾郷先生の資料に載っていますが、第一原則として、援助受取国の住民参加のもとに住民主体の開発を支援するという理念にのっとった、これまでのODAの具体例の中で、須永さん自身が個人的にこれは非常に成功したというような事例を具体的にお聞かせ願いたい。この2つの質問です。
(須永) ありがとうございます。私も吾郷先生のように大学で研究したいなと思ってきましたが。
 2つの質問の、「開発」は私の頭の中では、私も役人ですので、あまりアカデミックな定義もできないのですが、OECDによれば「開発途上国の経済発展と住んでいる人の福祉の向上」ということです。「福祉」というのは、日本語で福祉というと狭いのですが、英語で、“welfare”というとものすごく広いのです。そういう“welfare”のほうの意味、人間が人間らしく暮らす、そのほうだと私は思っています。
 日本の援助で成功した例で今ひょっと頭に浮かんだのが、カンボジアで法整備というのをやりました。これはアメリカとフランスと日本でやったのですが、日本はたしか民法の一部をやったのです。フランスもたしか民法の一部で、アメリカは刑法だったでしょうか。今、成功した話をしろということですので、とりあえずさせていただきますと、アメリカはどうやったかというと、英語の法典をこれだといって向こうに持っていって、フランスもフランス語で書いて、これを使ってくださいということをやったのです。
 それで、日本の学者はたしか森島(昭夫)先生とか、ちょっと失念しましたが、非常に懇切ていねいで、現地の学者と協議しながらクメール語で民法の法典をつくって、しかも現地でセミナーを何回か開いているのです。それは、私が責任で書きましたODA白書、高いのですが、どこかの図書館にあると思いますが、その中に囲み記事で入れてありますので、お読みいただければと思います。日本の学者がクメール語で現地の学者とつくった民法だけ今使われているそうです。日本の政府ではないのですが、日本のいろいろな援助に行っていらっしゃる方々は非常にまじめで、そのように現地のことをよく考えて協力していらっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。それは本当に財産だと思っています。1つだけ例を挙げさせていただきます。
(司会:楠原) ほかにいかがでしょうか。
(角) NPO福岡の角と申します。効果的実施のための必要な事項のあたりで質問と提言をさせていただきたいと思います。
 私はNGOで先ほど話が出ていましたミャンマーの母子センターの草の根無償資金や、インドの女性の職業訓練所の企画の取り持ちをさせていただいたり、国内でNGO事業補助金で、ODAの中の微々たるものですが、かかわったりしております。現在は国内の、いわゆる行財政改革の中で「官と民との協働」というテーマで仕事をしております。
 ここに大綱が書かれている中で、大項目としては4ページからの援助政策の立案および実施の体制で、その実施の体制、国民参加の拡大、そして効果的な必要事項をそれぞれ見ますと、それを保障する、あるいは先ほどからグッド・ガバナンスに定義がない、あるいは総合判断というのは非常に、恣意的まではまいりませんが、ある意味では行政の責任の部隊がどこにあるのかという、わかりにくいところがあります。
 私は、官と民との協働の中で一番進んでいるなというのが、イギリスのODAは確かに宗主国として外交カードを切りながらというのはODAに関してはあるかもしれませんが、「官と民との協働」ではコンパクトという政府と民間セクターとが協定を結んで、それを遵守しながら相互に監視し、また補完し、そして協働を遂げる、いわゆるイコールパートナーを進めていくということがODA大綱の実施のためにも参考になるのではないかということで、政府が行うべきことで5つ、民間が行うことで2つほどあります。日本ではなかなか知られていませんので、これをうまく取り上げていただいたらと思います。
 政府でやることは、特に日本の行政、あるいは行政と民間との中では、冒頭の話にもありましたように、NGOにやらせてやるとか、民間にやらせるとか、もちろんODAの予算の中には大きな企業の予算等もありますから、外務省の管轄だけではないかもしれませんが、政府としてはやはり民間団体の認識、信頼関係というのをきちんと持って支援をするというのが1点目。
 2点目が長期的なもので、どうしても助成や補助、予算が単年度になっておりますので、長期的な計画を資金援助、資金計画というもの。
 3点目が、民間への実施の際には計画の段階から計画、実施、評価。これは評価の充実や適正な手続きということがありますが、その立案、実施、評価をセットにしながら、プラン・ドゥ・シー(Plan-Do-See)のサイクル、NGOではプロジェクト・サイクル・マネジメントとかありますが、そのような相互のイコールパートナーでODAを進めていく。
 それから19省庁が今、10省庁になったかと思いますが、経産省のことはわかりにくいというのもありますし、外務省の中でも部署が変わると、ということがありますが、縦割り行政でない省庁間の一致。
 5点目として情報公開。これは皆さん、すでに触れられました。NGOや民間セクター、企業でもそうだと思いますが、アカウンタビリティ、あるいは責任ある実施、遂行をしていく。もう1つ、これは日本に欠けていると思いますが、政策提言への参加の保証、これは冒頭にこのようなパブリックコメントが1か月、あるいは別に大綱をつくるのにパブリックコメントを聞かなくてもいいとかいうのがよそにはあるから、聞いているほうがマシだというところではいけない。政策提言への参加の保証、その辺でグッド・ガバナンスの定義であったり、総合的判断の評価というのを相互に監視していくということになるのではないかと思っています。
 結局、そういうことになると、やはりODA基本法や、あるいはODA庁も以前話が出ていましたが、各省庁とは関係なしにODA庁の設置で、独立した機関として、これを実施していくということもあるのではないかと思いますので、提言とあわせてご質問をいたします。以上です。
(司会:楠原) 時間がありませんので、最後にご質問を。では、先にマイクを。
(藤田) カンボジアの人々の支援活動にかかわっております藤田と申します。  先ほどから国益をめぐっての議論がずっと続いておりますが、本当に今回の案文を見ますと、この国益の部分だけが強調されてしまって、いったい今何で見直しをしなければいけないのかというものが全然伝わってこない、そんな印象を持っています。特に対極にある援助の受け手、開発の主体である住民の存在というものが全く浮き彫りにされていない。先ほど、吾郷先生が見直しをするのであれば、この開発の主体は受け手だという援助実施の原則の第一番にそのことを明記すべきであるとご指摘をされましたが、まさにそのことが前面に出てこなければならないと私は強く思います。
 特に、この間、貧困削減というのは大変重要な問題となって、これは日本のODAだけではなく、世銀でもADBでもいろいろなかたちで貧困削減という名目のもとに、これから途上国に対する援助という問題がどんどんと進められて、お金が入っていくわけです。そのときに途上国の現状がどうなのか、しかもこうした公的資金の問題については援助のあり方、この間ずっと批判をされていましたから、その手法についてはずいぶん変わってきています。「コミュニティ・ベースの住民参加の」という言葉がたくさん羅列されて、そうした資金が途上国の中に、地域の中に入っていっているわけです。
 ところが現実はカンボジアの例で申し上げますと、先ほど須永さんからカンボジアの民法を成功例というかたちでお話がありました。確かにカンボジア和平10年、いろいろな変化が出てきています。しかし、一方では貧富の差が非常に拡大しているという現実があります。特に有力者による土地や森林、河川資源などの私物化という問題が顕著になっています。そのことが自然環境を破壊したり、自然資源を破壊したりということが非常に深刻になっている現状があります。一方では、行財政制度というものが非常に不備で、司法制度が未整備である。そのことがそれに拍車をかけているという現実もあるわけです。
 こうした現実の中に、言葉だけの「コミュニティ・ベースの住民参加の」というかたちで、また貧困削減ということでの取り組みがされていくということが何をもたらすのかということは言わずもがなだろうと思います。今までの過ちをかたちを変えて繰り返していく、それだけのことに過ぎません。そのことが今一番問題になっているのではないかと思います。
 そういう意味では、援助のあり方というものをもう一度根本から見直しながら、開発の主体は住民であり、受け手が住民であるということをきちんと強調し、わかりやすく原則の中に入れていくことこそが今回の大綱の中で一番重要なことではないか。薄っぺらな国益議論をするよりも、改革をすべきは外務省の抜本的な改革であろうと思います。以上です。


(注)(*****)はテープ未収録の箇所、聞き取り不可能の箇所を示します。

(以上)
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