グローカル外交ネット
日本人移住者が繋ぐ大玉村とマチュピチュ村の交流
駐ペルー日本国特命全権大使 片山和之
1 はじめに
大玉村。福島県のほぼ中央に位置し、人口9千人程度の小さな村ですが、最近は積極的子育て支援策や豊かな自然環境が注目を集め、定住先として人気が高まり、人口増加を続けている自治体の一つです。ペルーから一時帰国の機会を利用して昨年12月14日、東京から日帰りで大玉村を訪問し、押山利一村長とともに生涯学習受講者修了式に出席して記念講演を行い、また、別途村長との意見交換、郷土資料館の参観等を行うことができました。しかし、駐ペルー大使の私がなぜ大玉村を訪問し、この文章を書いているのか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。それには、1895(明治28)年大玉村(当時の玉井村)に生まれた野内与吉という人物の足跡が深く関わっています。
2 日本とペルーをつないだ日本人
与吉は比較的裕福な農家の次男に生まれましたが、1917年のある日、ペルーへの契約移民募集広告を目にします。それに触発された彼は、両親の反対にもかかわらず、「海外で成功して日本に戻って来る」と言い残して横浜港から「紀洋丸」に乗って出港、ペルーのカヤオ港に到着し、サン・ニコラスの農園で働くことになります。ちなみに、ペルーは当時日本人契約移民を受け入れており、現在では3世、4世が中心ですが、ブラジル、米国に次ぐ日系人人口を有すると言われています。
ペルーに渡航したものの、農園での実際の仕事は事前に聞いていた契約内容と大きく異なり、賃金も十分に支払われませんでした。彼は、半年程で見切りをつけ、隣国ボリビアを含め各地を転々と放浪することとなります。そして最終的にペルーの古都クスコで鉄道会社に職を得ます。ここで列車の運転や線路拡張工事に携わり、鉄道完成後には更に奥地のマチュピチュ集落で現地家族と暮らすことになります。
与吉はとても器用で、山腹の湧水から水路を作って生活用水を集落に引き込んだり、壊れた機械を修理したり、小川を堰き止めて小さなダムや水力発電所を作って電気を供給したり、温泉を掘ったり、旅館を建設したりと、集落の人々の生活向上のために働きました。そして、「7つの職を持つ男」と呼ばれるまでに地元民に愛されます。1939年には集落の最高責任者(実質的な初代村長)にまで上り詰めます。しかしながら、日米開戦は、ペルーの日系人に大きな不幸をもたらしました。資産凍結や米国内の日系人収容所への送致等が行われ、与吉のところにも官憲が派遣されましたが、村人が彼を守ってくれたそうです。
ペルーに出稼ぎに行って以来、故郷大玉村に帰る機会もなく、音信も途絶え長年の月日が過ぎていきました。そうこうしている1958年、三笠宮同妃両殿下がブラジル日系人移住50周年記念行事に天皇陛下の御名代として臨席された際に、帰途マチュピチュに立ち寄られました。その際に、殿下に花束を贈呈したのが与吉の長女オルガでした。このことが「インカの三笠宮さま遺跡発掘にお立ち会い、野の花もって日本女性の歓迎」との見出しで日本の新聞で報じられ、記事中には「日本人野内与吉さん福島県出身」と記されていました。この記事が大玉村の家族の目に触れ連絡が遂に復活しました。それから家族が呼び寄せの資金を集め、10年後の1968年、なんと51年振りに与吉は帰郷を果たします。既に両親は他界していましたが、兄弟や親戚縁者の暖かい出迎えを受け、講演や新聞・ラジオのインタビューを通じてペルーの魅力を日本国民に伝えました。与吉が最初に質問したのは、郷里に電気は通じたかということだったそうです。大玉村の家族は与吉が日本に留まることを勧めたそうですが、翌年、妻や子供が待つペルーに帰っていきました。大玉村への帰郷が半世紀ぶりに実現して安堵したのか、ペルーに帰国してわずか2か月後に74歳の波乱万丈の生涯を終えました。
この縁がきっかけで大玉村とマチュピチュ村は2015年に姉妹都市提携をしました。ちなみに、私が大玉村を訪問した際には、与吉の生家跡地、記念展示等を拝見し、与吉の縁者の方々から生地に立てられた新しい家で貴重なお話を伺うことができました。大玉村は、このような歴史背景もあり、国際交流にも熱心な自治体です。本来であれば東京オリンピック・パラリンピックのホスト・タウンとしてペルー選手達の面倒を見ることになっていましたが、新型コロナウイルスのためにその活動が大きな制約を受けたのは残念でした。一方、両国市民の相互理解促進に貢献したことで、マチュピチュ村には2020年度に日本の外務大臣表彰が授与され、当時の村長をリマの大使公邸にお迎えして伝達式及び昼食会を催すことができました。
3 今後の日ペルー関係に向けて


本年2023年は日本とペルーが外交関係を樹立して150周年(中南米で最古)に当たります。通商航海条約の締結は8月21日ですが、1年を通じて両国において官民による様々な記念行事を通じて、両国戦略パートナーシップ関係を更に一段高みに上げていきたいと考えています。2月はじめにはペルー外務省において立ち上げの記念行事が盛大に行われました。記念切手・記念硬貨の発行、回顧展、記念パンフレットの作成、両国練習艦隊の相互訪問、日ペルー友好の日(4月3日)記念行事、外交関係樹立日(8月21日)前後の大型文化行事、その他様々な文化、学術、経済、スポーツ交流行事等が計画されています。
外交関係樹立150周年に次ぎ、来年は日本人移住125周年であり、同時にペルーがAPECを主催する予定です。更に、その翌年2025年は大阪・関西万博が開催されます。両国関係を発展させる絶好の機会が今後数年続くことになります。
これを機会に大玉村とマチュピチュ村の友好交流が更に深まることを祈念しています。また、現在、日本とペルーとの間には姉妹都市提携が4組しかありません。世界で3番目に大きな日系社会を擁するペルーと日本との特別な関係からすればいささか寂しい感じが否めません。是非、この機会に友好交流提携が増えることを切望しています。
