グローカル外交ネット

令和4年1月25日

大阪城天守閣館長 北川 央

 大阪城は、海外の城郭では、オーストリア共和国グラーツ市のエッゲンベルグ城、フランス共和国ナント市のブルターニュ大公城と友好城郭提携を締結しています。
 エッゲンべルグ城はグラーツ市の郊外にあり、神聖ローマ帝国(ハプスブルク帝国)の皇帝フェルディナント2世の政治顧問を務めた公爵ハンス・ウルリッヒ・フォン・エッゲンベルグが1625年に建てたマニエリスム様式の壮大な宮殿です。
 2006年10月4日、当時私が兼務していた関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター(文部科学省オープンリサーチセンター)から私のもとに、オーストリアのエッゲンべルグ城というお城に大坂城を描いたと思われる屏風絵があるので、一度写真を見て欲しいとの連絡が入りました。
 翌日、早速に持参された写真を見たところ、そこに描かれていたのは紛れもない秀吉築城の大坂城と城下町大坂で、しかも秀吉が亡くなった1598年前後の景観でした。
 私はこの屏風絵を「豊臣期大坂図屏風」と名付け、すぐに所見をまとめてなにわ・大阪文化遺産学研究センターに送り、10月18日にその私のレポートをもとに関西大学がプレス発表を行ない、翌19日には全国紙の1面カラーで屏風絵の発見が大々的に報道されました。
 この大報道で、エッゲンベルグ城を所管するシュタイアーマルク州立博物館ヨアネウムでも屏風絵の高い価値を認識され、2007年7月、州立博物館ヨアネウムと関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター、大阪城天守閣の三者で3年間の共同研究プロジェクトが立ち上がりました。
 2008年8月にはなにわ・大阪文化遺産学研究センターの先生方とともに、私もグラーツを訪れ、エッゲンべルグ城で屏風絵を実見するとともに、グラーツ市のクンスト・ハウス(芸術会館)において開催された国際シンポジウムで研究報告を行ないました。シンポジウムは立ち見が多数出るほどの大盛況となり、その内容は『Ôsaka zu byôbu』という豪華本として現地で出版されました。

  • (写真1)エッゲンべルグ城で発見された大阪城が描かれた屏風絵
    豊臣期大坂図屏風(エッゲンベルグ城蔵)
(写真2)赤い球体をバックに展示されている甲冑 ブルターニュ大公城「サムライ展」会場風景

 その後も調査・研究を続け、国際シンポジウムも回を重ねましたが、州立博物館ヨアネウム側から3年間の共同研究プロジェクト終了後も大阪城天守閣との交流を続けたいとの申し出があり、私の方から友好城郭提携を提案したところ、たいへん喜ばれ、2009年10月2日、大阪城西の丸庭園の大阪迎賓館において、友好城郭提携の調印式を行う運びとなりました。調印式にはオーストリアのハインツ・フィッシャー大統領ご夫妻も出席され、大統領は調印式の立会人を務めてくださいました。
 締結を記念して、大阪城天守閣では2009年10月2日~11月23日の会期で特別展「豊臣期大坂図屏風」を開催し、10月3・4日には天守閣前の本丸広場で記念イベントも開催しました。翌年の10月2・3日にも1周年記念イベントを開催し、3周年に際しては、大阪歴史博物館を会場に、州立博物館ヨアネウムの武器博物館所蔵の武器・武具と大阪城天守閣所蔵の武器・武具を比較展示する特別展「日欧のサムライたち オーストリアと日本の武器武具展」を、2012年3月24日~5月6日の会期で開催し、また同年10月16日~22日の日程で、私とともに「大坂図屏風を訪ねる旅 ハプスブルク帝国の古都オーストリア・グラーツ」が企画され、50人ほどの方々がツアーに参加されました。
 10周年にあたる2019年には、州立博物館ヨアネウム館長のヴォルフガング・ムヒッチェ氏、エッゲンベルグ城主任学芸員のポール・シュスター氏をお招きして、11月2日に大阪歴史博物館講堂で記念フォーラム「グラーツ・エッゲンベルグ城の魅力と『豊臣期大坂図屏風』」を開催、翌3日には記念式典、3・4日には記念イベントも開催しました。
 さて、大阪城とエッゲンベルグ城との友好城郭提携を知った、フランス共和国ナント市のブルターニュ大公城のベルトラン・ギエ館長から、大阪市のパリ事務所を通じて、友好城郭提携の申し入れがありました。2010年3月のことです。
 ブルターニュ大公城は、1466年にブルターニュ大公フランソワ2世によって築かれた城郭で、代々ブルターニュ大公の居城でしたが、1532年にブルターニュ公国がフランス王国に併合されてからは、ブルターニュ地方におけるフランス王の居城となりました。フランス王アンリ4世が、プロテスタントにカトリック教徒と同等の権利を認めた「ナントの勅令」を発布した城として世界史的にも著名です。
 けれども、ブルターニュ大公城と大阪城との間には、エッゲンベルグ城とのような歴史的な関係が認められないため、まずは両城の交流から始めることにしました。
 ギエ館長からは、大阪城天守閣の所蔵品を借用して「サムライ展」を開催したいとの要望が寄せられ、2014年6月28日~11月9日を会期に、大阪城天守閣が特別協力(文化財の出品、企画協力、展示・撤収指導)をする形で、「サムライ展 1000年の日本の歴史」が開催されました。開幕前日の内覧会にはフランス共和国前首相のジャン=マルク・エロー氏ご夫妻もお越しくださいました。
 この「サムライ展」は、首都パリをはじめ、フランス国内で大きな話題となり、ブルターニュ大公城で開催された展覧会としては過去最多の入場者を記録しただけでなく、フランス文化省によって「エクスポジション・ダンテレ・ナシオナル」(国益に貢献する展覧会)に選ばれ、展覧会図録も同年フランス国内で刊行された美術本、アジア関係本、双方の分野で金賞を受賞しました。

 「サムライ展」の大成功で、関係が十分深まり、博物館としての活動についても互いに理解し合えたことから、2017年に友好城郭提携を締結することになりました。2017年は、徳川幕府最後の将軍徳川慶喜が大坂城の本丸御殿でフランス公使レオン・ロッシュと会見した1867年から150年の節目にあたります。4月11日に大阪城西の丸庭園の大阪迎賓館において調印式を行ない、立会人はフランス共和国総領事のジャン=マチュー・ポネル氏に務めていただきました。また、ブルターニュ大公城側の希望で、調印式は同年10月19日にナント市役所でも行われました。これを記念して10月21日にはオペラ座(グララン劇場)で私の講演と公益財団法人山本能楽堂(大阪市)による「土蜘蛛」などの能の上演が行われ、チケットは完売し、5階席まで超満員の大盛況となりました。
 帰国後、11月3・4日には大阪城の本丸広場で記念イベントを開催し、大阪迎賓館での調印式の際に上演した祝典歌劇「出会いの宴 150年の時を越えて」やナント市のオペラ座で上演した能などを披露いただきました。
 ブルターニュ大公城との間では、「サムライ展」に続く、大阪城天守閣所蔵品を使った展覧会の計画が進んでいましたが、残念ながらコロナ禍により未だ実現には至っていません。
 そしてさらに、イタリア共和国ミラノ市のスフォルツェスコ城との間に友好城郭提携の話が持ち上がりました。
 スフォルツェスコ城は1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが築いた城で、ヨーロッパでも有数の規模を誇る巨大城郭です。現在、内部はミラノ市立博物館(スフォルツェスコ城博物館)として運営されています。
 1582年、九州のキリシタン大名大友宗麟・有馬晴信・大村純忠が伊東マンショら4人の少年をローマ教皇のもとに派遣しました。
 彼らは各地で大歓迎を受け、スペイン・ポルトガルの両国王を兼ねるフェリペ2世、ローマ教皇のグレゴリオ13世、シスト5世にも謁見し、8年半をかけて帰国を果たしました。ところが、1587年に豊臣秀吉が伴天連追放令を出していたため、そのままの立場では帰国できず、ポルトガル国インド副王の使節という肩書で帰国しました。そして、秀吉に謁見し、クラヴォやヴィオラ、レア―ジョなどの楽器を使って、彼らが習得してきた西洋音楽を奏でました。秀吉はたいへん喜んで、三度もアンコールを繰り返し、「汝らが日本人であることをたいへんうれしく思う」と声をかけました。これにより、事実上、伴天連追放令は空文化したといわれます。
 この「天正遣欧少年使節」の正使を務めた伊東マンショの肖像画が2015年に発見されました。ドメニコ・ティントレットが描いた、とても写実的な肖像画で、2016年に東京国立博物館で初公開されました。
 肖像画を所有するのは、ミラノのトリヴルツィオ財団で、同財団はスフォルツェスコ城内にあります。
 こうした関係と、2021年に大阪市とミラノ市との姉妹都市提携40周年を迎えることから、友好城郭提携の話が浮上し、コロナ禍がなければ2021年12月にミラノで調印式と私の記念講演会が行われる予定でした。
 エッゲンベルグ城、ブルターニュ大公城の館長・主任学芸員とは日常的に学術交流・情報交換を行なっていますが、スフォルツェスコ城とも同様に、歴史の縁に基づいた中身のある学術・文化交流ができればと考えています。

  • (写真3)大阪城と友好城郭提携を締結しているエッゲンベルグ城外観(左)とブルターニュ大公城外観(中)、友好城郭提携予定のスフォルツェスコ城外観(右)
    左から、エッゲンベルグ城(エッゲンベルグ城提供)、ブルターニュ大公城、スフォルツェスコ城
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