グローカル外交ネット
絹が結ぶ縁 富岡製糸場とフランス
ダミアン・ロブション
(公財) 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
大会運営局 ブロードキャスト部 プロダクションサービス課 主事
日本では,人は「運命の赤い糸」で結ばれていると言われています。日本と母国フランスの場合,明治初期に遡るシルクの糸で結ばれていると言えるでしょう。
私が日本に初めて来たのは2010年,パリにあるフランス国立東洋言語文化学院の日本語学部を卒業した直後でした。高校3年生のとき,最初は趣味として学び始めた日本語が私の人生にこれだけ決定的な影響を与えるとは思ってもみませんでした。猛勉強の末,上智大学大学院の交換留学生として初来日を果たした私は,今度は学んだ日本語を実践の場で生かすために,仕事でまた日本に行きたいと思いました。フランスの友人から,JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の存在を知った私は,留学中に現役のフランス人国際交流員に会うことができました。本人から実際の職場の雰囲気や仕事の内容などを聞き,日本の自治体の日仏交流に貢献できるよう,JETプログラムの国際交流員になりたいと決意しました。
私が応募した2013年は,フランス人の国際交流員を公募していた日本の自治体は7つあり,その中でもっとも魅了的に見えたのは群馬県富岡市でした。幼いころから歴史が大好きな私は,当時まだ世界遺産候補だった富岡製糸場の歴史に惹かれました。富岡もまた,首都圏からほど近い位置にありながら,豊かな自然ときれいな山々に囲まれた,趣のある風光明媚で個性的な街です。「義理と人情」に厚い富岡の人は,私のことを最初から快く受け入れ,いつも優しくしてくれました。きれいな水ときれいな空気に恵まれた富岡は,おいしいレストランや観光スポットも多く,住民としても観光客としても過ごしやすい街です。
私が富岡製糸場課に配属されたとき,最初の仕事は富岡製糸場の創業当初に関するフランス語の文献の調査と和訳でした。明治初期,日本とフランスは蚕糸業においてお互いに戦略的なパートナーで,フランス人の指導のもとで設立された富岡製糸場は,日本の近代化をけん引した模範的な工場になった一方で,フランスにとって輸出の第一品目だったシルク製品の原料である良質な生糸の安定供給を可能にしました。着任して1年ほどが経ち,「富岡製糸場と絹産業遺産群」はユネスコの世界文化遺産に登録されました。それを機に,富岡は日本国内はもとより,フランスをはじめ国外でも有名になりました。富岡市内の小学校の体育館で,世界遺産委員会の生中継を上映した際,歴史的な朗報をフランス語から日本語へ同時通訳で伝えた喜びと誇りを一生忘れません。その翌年,外務省在リヨン領事事務所が富岡製糸場の世界遺産登録を記念する大型日仏文化事業 「SOYEUX DESTINS(絹が結ぶ縁)」を,富岡市の協力を得て,「シルクの街」フランス南東部リヨンで開催しました。
このイベントを機に,リヨンとその周辺地域に点在している様々な関連施設や自治体が富岡製糸場を中心としたネットワークを構築し,その一番代表的な例としては,富岡製糸場の建設指導を任されたお雇い外国人ポール・ブリュナの生まれ故郷であるドローム県ブール・ド・ペアージュと富岡市との友好都市協定の締結を挙げることができます。「SOYEUX DESTINS(絹が結ぶ縁)」の準備にあたって,私はフランス人向けの展示パネルの内容の作成,各種PR資料の編集や翻訳,そして友好都市締結の際の通訳などを行いました。富岡市でも,富岡製糸場とフランスの関係を紹介する複数の企画展の企画や準備に携わり,富岡市民をはじめ,富岡製糸場を訪れる多くの見学者に日仏友好の大切さに触れていただくことができました。富岡製糸場が日本の近代化に果たした役割,そしてフランスが日本の近代化に与えた知られざる影響をもっと多くのフランス人に知ってもらおうと,フランス語のFacebookページを立ち上げたほか,富岡市が制作した映画「紅い襷~富岡製糸場物語~」のフランス語字幕の作成やフランスにおける上映会の企画にも力を入れました。
明治初期にいち早く海外の技術と人的交流を受け入れた富岡市は,富岡製糸場の設立に遡るフランスとの縁を活かし,マルシェなどフランスに因んだ様々なイベントで地域振興を図ってきました。また,東京五輪に向けて,富岡市はフランスのホストタウンにも登録され,スポーツや文化などフランスとあらゆる形での交流を進めています。1854年に創業し,1871年に富岡製糸場に銅製の繰糸器300釜を供給したセルドン銅工場は一時期歴史的な観光スポットとして人気でしたが,業績不振のため2010年から閉鎖されていました。しかし,「SOYEUX DESTINS(絹が結ぶ縁)」の企画展に出展したことにより地元アン県の県議会に注目され,現在同県の戦略的観光施設として整備が進められており,2022年にオープンする予定です。セルドン同工場が地球の反対側で世界遺産となった富岡製糸場との歴史的な縁でこのように蘇るのは,まるでおとぎ話のようです。
富岡製糸場のような産業遺産の場合,神社仏閣やお城などと違い,その価値は一目瞭然ではありません。外観ではなく,工夫を凝らした解説,つまり魅力的なストーリー性をもってこそ,人に感動を与えることができ,遺産の保護に賛同してもらうことができます。日本の歴史的な背景を知らない人に対しては,ものごとのアピールポイントや説明の仕方が変わってきます。富岡製糸場の場合,世界遺産に登録されているので,その「顕著な普遍的価値」をいかに分かりやすく,説得力のある話し方で紹介できるかがポイントになります。インバウンドをさらに増やすには,日本の地域住民が故郷愛を育み,理解し,それをうまく外の人に伝えることが大切です。日本各地の観光資源が「宝の持ち腐れ」にならないように,情報の単なる多言語化ではなく,情報の見せ方がとても重要です。
日本の地域で今後ますます必要になってくるのは,「グローカルな人材」の確保なのではないかと思います。ある地域に精通しながら,日本型思考を超えた広い視野を持つ人こそ,明治時代に匹敵する日本が今迎えている「第2の開国」を切り開くことができると思います。私は富岡市の国際交流員の任期を終え,この秋から東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に勤務しています。自分も,第2の故郷である富岡への強い愛着を忘れずに,日本を全世界にアピールする最大のチャンスである東京オリンピック・パラリンピックの成功に向けて精いっぱい頑張ります。
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世界文化遺産・国宝の富岡製糸場
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日仏友好の黎明期を物語るセルドン銅工場
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富岡市とブール・ド・ペアージュ市の友好都市協定締結