グローカル外交ネット

令和元年7月29日

外務省大臣官房地方連携推進室

 東京オリンピック・パラリンピックまで残すところあと一年となりました。これから大会に向けて,ホストタウン交流がますます活発に行われることを期待しています。
 ホストタウンの中には,東日本大震災の被災三県(岩手県,宮城県,福島県)の自治体を対象に,これまで支援してくれた海外の国・地域に復興した姿を見せつつ,住民とのホストタウン交流を行う「復興ありがとうホストタウン」があり,2019年7月末現在23の自治体が登録されています。今回はこのうち,岩手県雫石町と相手国のドイツとの交流の一端を紹介します。
 1995年に雫石町国際交流協会とドイツの都市とは,相互交流の覚書を締結し,毎年のように中高生の交換留学が行われていましたが,東日本大震災発生直後,雫石町を訪問したことのあるドイツの生徒,教職員,卒業生のショックは大きく,交流先の学校を中心に(「学校が学校を援助する」をスローガンに,)市民を巻き込んだ募金活動を展開し,雫石町国際交流協会を通じて,津波の被害が甚大であった山田町を含む岩手県の沿岸部11校に届けられました。こうした縁から,ホストタウン交流にあたっては,雫石町は山田町と連携して,ドイツに対し支援への感謝と復興した姿を発信していくこととしています。
 こうした中,ドイツの生徒が雫石町を訪問する機会を捉え,雫石町の生徒が中心となって山田町を案内し,復興した姿を見てもらい,交流の様子や感謝の気持ちを盛り込んだポスターを制作するプロジェクトがスタートしました。

(写真1)スライドショーでの意見交換 スライドショーでの意見交換

 雫石町から盛岡市を経てバスに揺られること約3時間,到着した山田町では山田町中央公民館を訪問し,山田高校の生徒が制作したスライドショーにより,復興の取組などのプレゼンが行われました。印象的だったのは,「山田町は美しい海に面しているが,東日本大震災の津波被害の教訓を踏まえ,景観を損なうことを覚悟で高さ10メートルにもなる防波堤を建設している」との説明に対し,ドイツ人生徒から「この町の自然,特に海は本当に美しい。高い防波堤で海が視界から消える,圧迫感があるなどあるかもしれないが,自分がこの町の住民であれば,やはり命を守る防波堤の建設を支持する。」との意見が出されたことです。景観を犠牲にしても,命を守る大切さを噛みしめている様子でした。
 この後,ドイツ人生徒たちは,山田町の語り部さんたちの案内で,震災直後の写真とも見比べながら,津波に被災した時刻のまま時を刻むことを止めてしまった大時計,土地を嵩上げして再建されつつある鉄道駅,自宅が倒壊して今も公営住宅や仮設住宅にお住まいの住民の方からお話を伺い,震災当時の状況や復興の様子,住まいの現状について真剣に耳を傾けていました。

(写真2)オランダ島での交流 オランダ島での交流
(写真3)日独対抗リレー 日独対抗リレー

 山田町には,江戸時代にオランダ船が漂着したことから「オランダ島」と呼ばれる島があります。かつては定期船が運航していましたが,今は限られた機会のみ運航されるフェリーに搭乗して,エメラルドグリーンに光る海に足をつけてみたり,綺麗な貝殻を拾ってみたりと,かけがえのない時間を過ごしました(山田町はオランダの復興ありがとうホストタウンに登録されています)。
 ドイツの生徒とは日本語が通じないことはもちろん,学校で学んだ英語も通じるかどうか不安で,雫石町の生徒はドイツの生徒とのコミュニケーションに躊躇する様子が見られましたが,ドイツから植樹を寄贈された小学校を訪れていた時のこと,事前に申し合わせることなく,とても自然な形で日独対抗のリレーが校庭で始まり,お互いの友情をはぐくんでいる姿がありました。「スポーツの持つ力はすごい」と改めて実感した瞬間でした。

 さて,今年2月末にドイツ語も交えたポスターを完成させ,「ドイツを訪問して直接感謝の気持ちを伝える」機会が到来しました。雫石町の生徒は東京で行われたホストタウンサミット(ホストタウン関係者や各国の選手をはじめ関係者を集めて交流するイベント)でポスター制作の取組を発表し,その足で渡独し,無事このミッションをこなすことができました。訪問時には,雫石町と交流のある自治体出身の有望な競泳選手とも面会し,その場でドイツ競泳チームのコーチから2020年大会終了後に選手と一緒に雫石町を訪問する,との約束を取り付けることができたそうです。緊張しながらも,一つ一つ経験を積み重ね,日々たくましくなっていく生徒たちを見て,ホストタウンの大きな可能性が見て取れました。

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