グローカル外交ネット

令和4年10月21日

邑楽町企画課

1 交流のきっかけ

 関東平野の北部に位置し、利根川と渡良瀬川に挟まれた自然豊かな群馬県邑楽町内には、隣町の旧三洋電機(現パナソニック)ラグビー部で活躍した在日トンガ人ワテソニ・ナモア氏(故人)が家族で在住し、町体育館でタグラグビー教室の講師を務めるなど以前から町との関わりがありました。また、同氏はキリスト教の牧師でもあり、同国駐日大使をはじめ関東近郊に在住するトンガ人の方たちが、月に1度同氏宅に併設された教会に集まり、一定のコミュニティが形成されている状況にありました。
 そこで、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)の開催にあたり、当町はトンガ王国のホストタウンを目指す取組をスタートさせることとなりました。

2 コロナ禍の余波

 ナモア氏の案内で、令和2年3月に東京の同国大使館を訪れ、当町が東京2020大会においてパラリンピック及び共生社会の同国ホストタウンを目指すことを表明し、駐日特命全権大使のご理解を得ることから始まりました。その時すでに、新型コロナウイルス感染症による世界的パンデミックに見舞われており、医療体制が脆弱な同国では、水際対策としてのロックダウン政策が続き、渡航も出来ず、本国との調整はすべてナモア氏の“個人的なつて”頼みでした。
 令和2年度は、ホストタウンを目指す取組として、町民をいかにして巻き込むかに力を置き、様々なPR用品や動画を作成、TwitterYouTubeなども活用して情報発信を行い、気運醸成を図りました。東京大会が1年延期され、時間的な余裕が生まれたたものの、コロナ禍での度重なる緊急事態宣言などにより、本国や大使館との調整も遅々として進みませんでしたが、11月にはナモア氏の尽力により、伝統芸能などを披露した文化交流イベントとタグラグビー及び障がい者スポーツのボッチャ体験会を主体としたスポーツ交流イベントを同時開催することができました。

 しかし、翌月の12月21日、ホストタウン認定に向けた本国との合意前に、コロナ禍で仕事の無理をしたナモア氏が急病で帰らぬ人となり、年内は彼の友人らとともに送り出す準備に追われました。

3 盟友の手助け

 ナモア氏は1985年にラグビー留学生として来日しましたが、もう一人ともに来日していたのがラトゥ・ウィリアム志南利氏(元ラグビー日本代表、現NPO法人日本トンガ友好協会代表)でした。自らナモア氏の盟友と語るラトゥ氏は、ナモア氏の遺志を継ぎ、当町とトンガ王国をつなぐ役割をすぐに買って出てくれました。本国のパラリンピック委員会と短期間に何度も調整し、わずか2か月で合意を取り付けることができ、令和3年3月に、当町は晴れて「トンガ王国のホストタウン」及び「共生社会ホストタウン」のダブル認定を受けることができました。

4 無観客東京大会を迎えて

 令和3年度になり、夏の東京2020大会に向け、気運醸成にも一層拍車が掛かり、町全体でトンガ王国のパラリンピック選手を迎える準備を整えました。
 しかしながら、国内は新型コロナウイルス感染症第4波の影響で無観客試合となり、トンガ王国はパラリンピック選手団の派遣を見送ったこともあって、現地での応援もパブリックビューイングでの応援も叶わなくなってしまいました。選手との交流こそできませんでしたが、ラトゥ氏を中心に国内のトンガ人との交流を企画、11月には駐日特命全権大使ファミリーをお迎えし、在日トンガ人の方々と食を含む文化交流セレモニーを華々しく開催して、引続きトンガ王国と邑楽町が友人である努力を重ねていくことを確認しました。

5 災害がもたらしたもの

 年が明け、令和4年1月15日、トンガ沖大規模噴火災害が発生しました。ホストタウンを務めた当町は、大使あてにすぐにお見舞い文を発出するとともに、出来得る限りの支援を表明しました。
 町はこの時すでに、令和3年5月にラトゥ氏が立ち上げたNPO法人日本トンガ友好協会及び同協会を支援するパソナ・パナソニック・ビジネスサービス(株)との間で、同年7月地方創生に係る三者間包括連携協定を締結していたこともあり、どこよりも早く大使館の承認を受け、義援金活動を立ち上げようとしたNPO法人を全面的に支援しました。支援活動の中で私たちもうれしかったことは、町内の小中学生たちが自発的に募金活動や千羽鶴を送るなど、自治体発の支援に留まらず、その輪が子どもたちや町民に自然に浸透していったことでした。
 大規模な支援活動は3月には終了しましたが、翌4月には駐日特命全権大使が当町を再び訪れ、支援に関わったすべての人への感謝の言葉を直接賜りました。災害を防ぐことはできませんが、そこから立ち上がろうとする人々の意志と努力、さらにそれを応援しようとする心は、国を超え、言葉の壁を越え、人々を強く結びつける力があると認識させられる出来事でした。
 また、6月にはラグビー日本代表クラスの在日トンガ人チーム対日本人チームによるチャリティーマッチが東京・秩父宮ラグビー場で開催され、邑楽町を活動拠点にする小中学生による「おうら少年少女合唱隊SING!」が日本ラグビー協会より招待を受け、試合開始前のセレモニーで元日本代表キャプテン廣瀬氏の主宰する「スクラム・ユニゾン」ととともに両国国歌を斉唱し、観客の胸を打ちました。

6 大会のレガシー化に向けて

 コロナ禍の影響で、いまだ当町はトンガ王国本国とは直接交流する機会を得られていません。しかしながら、私たちは何の不安も覚えていません。在日トンガ人たちのつながりは強く、NPO法人日本トンガ友好協会を通じた様々な交流は今後も継続的に行われていきます。
 同法人の設立主旨は、同胞、特にほとんどがラグビー留学生である彼らのセカンドキャリアの支援です。当町は令和4年4月、ほかに地方創生に係る包括連携協定を結ぶすべての法人と「地方創生包括連携協定プラットフォーム」を設立しました。このプラットフォームを通じて、私たちはSDGsの17番目のゴール「パートナーシップの推進」を達成しようとしています。この取組を通じ、私たちはますますウィンウィンの関係を構築し、邑楽町に関わるすべての人たちのウェルビーイングを高めていきたい、そんなふうに考えています。

(写真1)ボールを持って走る少年とナモア氏の様子 写真1 文化・スポーツ交流イベントで
タグラグビー講師を務めたナモア氏
(写真2)両国国歌を斉唱する「おうら少年少女合唱隊SING!」とラガーマンの様子 写真2 ラグビーチャリティマッチで両国国歌を斉唱する
「おうら少年少女合唱隊SING!」
(写真3)トンガ王国支援募金と書かれた箱をNPO法人日本トンガ友好協会代表ラトゥ氏へ渡す邑楽中学校生徒代表の様子 写真3 邑楽中学校生徒代表より
NPO法人日本トンガ友好協会代表ラトゥ氏へ義援金贈呈
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