グローカル外交ネット

令和4年8月16日

山梨県山中湖村役場村未来政策課
国際振興専門員 ボシス・トム

1 山中湖村との出会い

(写真1)山中湖をバックに自転車に乗る国際振興専門員 ボシス・トムさん 初めての山中湖

 山中湖村に出会ったのは、2016年5月22日です。当時は、プロとして活動していた現役の自転車ロードレースを引退して、そのまま2015年9月に来日したばかりの中央大学の留学生でした。中央大学の国際寮から自転車で富士山5合目まで登って、そのまま帰ってくるという少し変わった習慣があり、江戸時代の富士講巡礼をしている気分になりながら四季折々の富士山を楽しんでいました。
 東京から走っていくと、必ず経由するのが、富士山に向かって徐々に登っていく「道志道」です。富士山は、手前にそびえ立つ丹沢山地とその周辺の山々に隠れており、いくら進んでもずっと姿を現してくれないのも、この道志道の特徴です。
 山伏トンネルを出ると、やっと山中湖村に突入します。これまで急斜面だった周辺の山々も滑らかな形になり、狭苦しかった道志渓谷が山中湖の開放的な湖畔に変わっていきます。そして、森を出ると、「隠れん坊で茶目っ気のある富士山」が突然、雄大な姿を現してくれます。

 山中湖村で初めての感動体験は、新緑溢れる「ママの森」と空の深い水色を反射する山中湖の間を貫くサイクリングロードを駆け抜けたことです。「ここは世界で一番綺麗なサイクリングロードに違いない」と悟ったことを今でもはっきりと覚えています。
 富士山が世界中で知られているだけあって、富士五湖の中で、富士山にも東京にもいちばん近い湖である山中湖は開発が進んだ観光地のイメージが強かったので、この豊かな自然の中を自転車で走れることに何よりも驚きました。
 当時、まさかこの山中湖村で生活することになるとは、夢にも思っていませんでしたが、国際的な観光地としてとてつもない可能性を秘めている場所だということを強く意識するようになったのはこの時です。

2 東京2020オリンピックのフランス代表団の事前合宿受入と山中湖村への移住

(写真2)フランス代表選手らとの記念写真 フランス代表選手らと筆者

 山中湖村と縁ができたのは、東京2020オリンピックのおかげです。2017年の秋、現役時代にお世話になったフランス代表のマネージャーさんから、事前合宿のために拠点を置ける自治体を探しているということで、相談の連絡がありました。7月上旬に3週間に渡って行われる世界最大の自転車ロードレース大会、「ツール・ド・フランス」が終わった当日の夜中に、パリ・シャルルドゴール空港から時差8時間の日本に移動し、数日後に予定される東京2020オリンピックで金メダルを狙うという計画ですが、この時期の東京の強烈な蒸し暑さの中で、十分に回復しコンディションを維持できる環境を見つけるということは、どう考えても無謀な計画だと思いつつも、一つの提案をしてみました。

 「山梨県の山中湖村というところであれば、夏でも涼しく、スタート会場の東京都にもゴール会場の静岡県にもすぐ移動できる。自然が豊富で信号も少なく、練習環境にも優れている。そして何よりも、日本が世界に誇る、富士山にいちばん近い湖の絶景に癒され、心身ともに最高のコンディションを整えることができる。」

(写真3)湖畔を走るフランスの代表選手 フランス代表の練習風景

 翌年3月、事前合宿が山中湖村に決まり、フランス代表のスタッフとして、山中湖村の関係者が行う歓迎会に出席することになりました。その場で村の方々に初めてお会いしたことがご縁となり、同年7月、山中湖村の国際交流員として、自分自身がフランスチームから山中湖村チームに移籍したかのように、この山中湖村に移住しました。

 山中湖村で活動していく中で、「特に閉鎖的・保守的な地域だ」「この地域の人は冷たい」「変化を好まない」というような話を数えきれないほど聞きました。しかし、振り返ってみると、このような話は当事者である村民自身から言われたものばかりであり、私自身は実際にそう思ったことは一度もありません。苦戦する場面も多々ありましたが、自分も他人も含めて、双方ともに異文化に対する理解不足が原因であったことが多く、山中湖村に限ったものではありません。むしろ、村民の優しさや温かさに感動することばかりで、自分をありのままに受け入れてくださり、日本の社会人の一人として育ててくれたことについて感謝でいっぱいです。

 大会当日は、共に戦っていた仲間たちが東京都調布市の武蔵野の森公園をスタートし、同じ道志道を経由して、山中湖を2度回ってから富士山の麓でゴールという、世界最高峰の舞台で世界最大のタイトルを競いました。注目度の高い自転車ロードレース男子では、世界チャンピオンのジュリアン・アラフィリップ選手やツール・ド・フランス総合ランキングの表彰台を経験しているティボー・ピノ選手とロマン・バルデ選手が不在の中、若手のダヴィド・ゴデュ選手が7位を獲得し、念願のメダルには届かなかったものの、しっかり結果を残してフランス代表にとっても良い大会になりました。

 実は、東京2020オリンピック自転車ロードレース競技の中心地域として、山中湖村が世界中で注目を集める中、大会当日、人生の一つの転機を迎えた私は現地にいませんでした。大会中に誕生した息子を迎えるために妻のそばで過ごしたからでした。山中湖が「世界で一番綺麗なサイクリングロード」として注目されること同様、息子が誕生したことも私の人生のクライマックスであり、自身にとって光栄な出来事が重なったことは、これからもずっと山中湖村と繋がっていく素敵なご縁になると思っています。

 山中湖村を、観光客の立場、住民の立場、そして行政の立場、様々な立場で経験してきました。時には、完全なる「よそ者」で、時には「中の人」でした。結婚や息子の誕生など、人生を変えるような出来事も、山中湖村で経験しました。突然起きた新型コロナの発生や、入国制限、外国人としての身分、そして未熟な自分自身といった様々な壁にぶつかりながらも、2018年の夏から始動した「自転車の聖地プロジェクト」の一部だけでも、何とか形になってきています。
 運命で繋がっているこの地域において、新たな可能性を少しでも生み出すことに貢献できたとすれば、「自転車の聖地“山中湖”」のレガシー創出に手が届いたのではないかと思います。

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