グローカル外交ネット
大会に向けた交流を通じて残される宝物
(新潟県十日町市とクロアチア)
外務省地方連携推進室
棚田やブナ林など日本の原風景。魚沼産コシヒカリや日本酒,へぎ(片木)そばなどに代表される食文化。「人間は自然に内包される」を理念に,地域の様々な価値を現代アートという媒体で掘り起こし,その魅力を高めて世界に発信する3年に一度の世界最大級の現代アートの祭典「大地の芸術祭」。豊かな大地や人々の創る文化・芸術に恵まれた新潟県十日町市は,遠く離れたクロアチアとの間で2002年以降脈々と続く深いストーリーも持ち合わせています。
日韓サッカー・ワールドカップが開催された2002年。十日町市では,1998年フランス大会3位の強豪国・クロアチア代表チームが事前合宿を行うことになりました。クロアチア代表の大会成績は残念ながらグループリーグ敗退という結果に終わりましたが,事前合宿を行った際には,十日町市主催の歓迎・壮行セレモニーや少年サッカースクールへの参加など市民とも積極的に交流しました。1998年大会得点王で,2002年の代表チームのキャプテンを務めた世界屈指のフォワード,シュケル選手は「クロアチアチームが優勝するのは難しいかもしれない。しかし,ワールドカップにはもう一つの優勝がある。それはホストとなってくれた十日町市の人々と友情を育み,素晴らしい思い出を残すことが,優勝にも値する大切なこと」という言葉と共に,クロアチア代表選手との交流は十日町市にレガシーを残すことになります。
クロアチア代表チームが事前合宿を行った多目的グラウンドは,同国との友情を大切にしたいとの想いから「クロアチアピッチ」と名付けられ,そこで毎年開催されるクロアチアカップサッカーフェスティバルでは,同国サッカー協会から寄贈されたクリスタルカップを手にしようと大人や子どもたちが懸命にボールを追いかけ,駐日クロアチア大使館関係者を含む,在日クロアチア人チームも代表チームと同じユニフォームを着て大会に参加しました。また,グラウンドに併設されたクラブハウスは,クロアチア建築家によるデザインの無償提供を受ける形で建設され,ジャパン・クロアチアフレンドシップハウスとして生まれました。
2004年の中越地震後のクロアチアサッカー協会からのお見舞いのメール,2006年のドイツでのサッカー・ワールドカップで実現した日本対クロアチア戦のパブリックビューイングでの応援,文化・芸術・食など市民交流の祭典「クロアチアウイーク」の開催など,十日町市とクロアチアとの間の交流は脈々と続き,2016年1月には東京大会のホストタウンに登録されました。
ホストタウン交流に大切な役割を担っている一人が2017年にホストタウン交流事業を推進するため十日町市スポーツ振興課に国際交流員(CIR)として採用されたスヴェン・ビエランさんです。クロアチア出身の国際交流員は,日本でも初めてです。十日町市とクロアチアの友好発展に向けたスヴェンさんの思いを語ってもらいました。
- Q 国際交流員(CIR)に応募したきっかけは何ですか。
A 当初,JETプログラムの中にはクロアチア人の募集はありませんでした。ですが,十日町市がクロアチアとのホストタウン事業を進めるにあたり,クロアチア人を採用したいと希望したため,クロアチア人の募集が新設されました。その後,在クロアチア日本国大使館から,JETプログラムで十日町市への募集があることを知りました。応募する前には,十日町市とクロアチアの交流について詳しくは知りませんでしたが,交流の経緯について調べていくにあたり,非常に興味をもちました。また,留学時に住んでいた東京と大阪には無かった日本の原風景への興味もあり,他の土地でも暮らしてみたいと思ったことと,日本語をもっと学びたいと思ったため,応募を決めました。 - Q 十日町市に国際交流員として着任した時の地域や地域の人々の印象について教えてください(現在その印象が変わった部分があればあわせて教えてください)。
A 十日町市に初めて来たときには,想像していたよりも田園風景が広がっていて驚きましたが,自然の多さに感動しました。自然の風景と人々の気質はクロアチアに大変よく似ています。また,クロアチア人は物事に対しておおらかで,ささいなことは気にしない人が多いように思いますが,日本人は規律を守り,まじめな方が多いと思いました。特に,十日町市の人は仕事熱心な方が多いことに加え,クロアチアを愛してくれているので,ホストタウン事業に対しても一生懸命に取り組んでいただいています。そして,十日町市の方はクロアチアに対しておもてなしの心を持って接してくださいます。私のことも家族のように迎え入れていただき,とても嬉しく思っています。 - Q 2017年の着任以降,様々なホストタウン交流事業に関わる中で,一番印象に残った出来事を教えてください。
A 十日町市とクロアチアの交流はとても豊かであり,全ての事業に上下はなく,等しく重要だと思います。その中でも,2つの事業が印象に残っています。
一つめは,2018FIFAワールドカップロシア大会に際し,「日本・クロアチア相互応援企画」という事業に取り組みました。十日町市民の祈りを込めた千羽鶴などをクロアチアサッカー協会(クロアチア代表チーム)に謹呈し,クロアチアの小学校からは,折り紙で作られた国花アイリスや日本語の応援曲が,日本サッカー協会(日本代表チーム)へ謹呈されました。両国間で相互に応援しあおう,というスポーツマンシップに則った,たくさんの素晴らしく純粋な気持ちに触れ,とても感動しました。
二つめは,2019年の夏に行われた,東京2020オリンピック競技大会のテストイベント事前キャンプ受入事業です。当市は,2019年8月・9月に,クロアチアの柔道・空手・テコンドーの選手団を受け入れ,充実したキャンプを実施しました。キャンプ期間中には,クロアチアの選手たちと,子どもたちをはじめ,多くの市民との交流が行われ,学校訪問も行いました。また,当市の文化や歴史を堪能していただきました。選手団の事前キャンプが無事に成功し,市民との交流も進めることができたことは,新たな国際交流の大きな一歩となり,とても印象に残っています。
- Q 東京大会に向けて,あるいは東京大会後も見据えて,ホストタウン交流を通じて十日町市に何を残していきたいと考えていますか。
A 十日町市とクロアチアの交流は2002年から続いています。東京大会が終わったとしても,この先もずっと続いていく交流です。私が携わらせていただく間に,この絆をより強くし,市民を中心とした,スポーツ・文化・経済交流の三つの柱の土台をしっかり構築していきたいです。今後も,十日町市とクロアチア共和国の友好の架け橋となり,未来につなぐべき国際交流というレガシーを残していきたいと思います。 - Q この他十日町市とクロアチアとの交流についてビエランさんの思いがあればお聞かせください。
A 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を一つのチェックポイントとして,十日町市とクロアチアの交流をさらに強くしていきたいです。今までの交流は,クロアチア人が十日町市を訪れる機会が多かったのですが,これからは,十日町市の子どもたちや選手が,クロアチアで行われるスポーツキャンプなどに参加できる方法を考えていきたいと思っています。もちろん,お互いに行き来するような文化・経済交流も考えています。さらに,今まで継続してきた事業やイベントを,より多くの方に参加していただけるようブラッシュアップし,市民が交流のキーパーソン(担い手)となるように努めていきたいです。
2002年の事前合宿をきっかけにレガシーとして残されたクロアチアとの友好関係。東京大会のホストタウン交流を経て,その交流が深みと幅を増し,大会後も十日町市民・クロアチア国民双方にとってかけがえのない宝物として末永い交流が続くことを期待しています。