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北マリアナ諸島サイパン市と千葉県香取市との姉妹都市協定署名について
在サイパン領事事務所所長 小野 一彦
1 はじめに
2021年10月29日、北マリアナ諸島サイパン市と千葉県香取市との間でオンラインによる姉妹都市協定が署名されました。このニュースは当地紙でも大きく報じられましたが、多くのサイパン市民が長年待ち望んできた出来事でした。本稿では、日本とサイパンとの関係について簡潔に触れた上で、サイパン香取神社の再建を契機に長く交流を温めてきたサイパン市と香取市が姉妹都市となるに至った経緯を御紹介します。
2 日本とサイパンとの関係
1894年の米西戦争の結果、それまでスペイン領だったサイパンはドイツに売却されました。1914年の第一次世界大戦の勃発により、旧日本軍はドイツ領であったサイパンを侵攻し、これを実効支配しました。1920年には国際連盟の委託を受け、サイパンは日本の委任統治領となり、南洋庁サイパン支庁が設置されました。日本統治時代には製糖業が盛んとなり、沖縄などから多くの日本人がサイパンに移住しました。最盛期には2万人を超える日本人がサイパンで暮らしていたと言われています。しかし、太平洋戦争中サイパンは戦略上の要衝として、日米両軍による激しい地上戦の舞台となり、戦闘員だけでなく地元住民を含め5万人以上の命が失われました。戦後は米軍の管理下を経て国連の信託統治領となり、1986年には米国自治領の「コモンウェルス」となりました。一方、日本との関係は一時途絶えていましたが、1960年代から70年代に入ると慰霊のためサイパンを訪れる日本人が増加するとともに、観光地としても注目を集め、最盛期の90年代後半にはサイパンを訪れる邦人観光客は年間45万人にも達しました。最近は、直行便の運航停止などの影響もあり、サイパンを訪れる邦人観光客は減少傾向にありますが、日本文化の影響を依然感じることができ、地元住民は極めて親日的です。
3 サイパン香取神社の再建
1914年、ドイツ軍の望楼があった場所に戦艦「香取」の艦内に祭られていた香取神宮の分霊が分祠されて「香取神社」とされました。1931年には現在のシュガーキング公園内に新社殿が造営され、社名を「彩帆(サイパン)神社」としましたが、1944年に戦火により社殿を焼失しました。その後約40年間手つかずとなっていましたが、1985年に香取神社連合会などの手により神社が再建され、現在の「サイパン香取神社」となりました。香取市には全ての香取神社の総本社である香取神宮があり、サイパン香取神社も香取神宮の分社の一つに当たりますが、再建後毎秋(10月下旬頃)には、宮司を始めとする香取神宮関係者がサイパンを訪問し例祭が行われています。昨年はサイパン香取神社再建35周年の節目の年に当たり、オンラインで香取神宮と繋いで例祭が行われました。
4 姉妹都市提携に至るまでの経緯
筆者は、2019年5月にサイパンに着任しました。着任後間もなく、アパタン・サイパン市長が率いる代表団が香取市を訪問し、更に交流を深めたいとして香取市に対し姉妹都市協定を提案しました。また、2020年2月には香取市から大堀副市長を始めとする非公式な視察団がサイパンを訪れました。しかし、新型コロナウイルスの世界的感染拡大などもあり、姉妹都市提携に至る具体的な進展は見られませんでした。そこで筆者は、2021年2月の天皇誕生日レセプションにおいて、宇井香取市長からサイパン市側に前向きなメッセージを出してもらおうと思いつき、香取市側に対し書簡の発出を打診したところ、市長の同意が得られました。書簡には、「サイパン香取神社との繋がりを機縁とし、是非とも協定を結びたい。」との強い想いが書かれていました。このメッセージを聞いたアパタン市長は深く感動し、「自分も同様の想いであり、是非姉妹都市を提携したい。」として、直ちに宇井市長に返書を送り返しました。しかし、その後も新型コロナウイルスの感染拡大に伴う様々な制約から、具体的な進展は見られませんでした。
こうした状況を打開するため、筆者は休暇帰国で一時帰国した機会を捉えて香取市を訪問し、宇井市長と面会しました。そして、アパタン市長の熱い想いを直接伝えるとともに、このような情勢でもあり、オンライン形式で姉妹都市を提携してはどうかと提案しました。宇井市長としては、自身がサイパンを直接訪問し姉妹都市を提携したいと考えておられたようでしたが、来年に迫るアパタン市長の任期等を考慮し、その場で「可能な限り早期の姉妹都市協定を締結する」との言葉をいただきました。これを契機に姉妹都市提携に向けた両市の歯車が回り始めました。筆者はサイパンに帰任すると、直ちにアパタン市長に対し宇井市長の意向を伝えました。筆者はサイパン市側とも協議の上、可能であれば8月中に姉妹都市を提携したいとの意向を香取市側に伝えました。しかし、香取市側としては、緊急事態宣言下でもあり少々拙速すぎるのではないかとの反応であったので、提携の時期については再度調整することとなりました。そんな中、8月中旬になって香取市側から10月23日に署名式典を行いたいとの打診がありました。しかし、当日は午前からサイパン香取神社による例祭、午後には当事務所主催の大規模文化行事(オンライン落語)が予定されていること、そして夕刻には当地日本人会主催の「秋祭り」と日程がびっしり立て込んでいるため対応できない旨香取市側に伝えるとともに、式典を1週間程延期し、10月29日としてはどうかと逆提案したのです。その後香取市側では色々検討を重ねたようですが、最終的にはこの日程に同意し、10月29日サイパン時間11時(日本時間10時)から姉妹都市協定署名式典が実施される運びとなりました。
両市関係者の尽力もあって、式典はオンラインながらも素晴らしく感動的なものでした。香取市にとって今回の姉妹都市提携は海外の自治体との最初のケースであり、かつオンラインでの式典ということで苦労もあったと思いますが、サイパン市側とも協力しつつ、見事な署名式典を開催することができました。ここに両市長を始め両市関係者の皆様の御尽力に心から敬意を表したいと思います。往来が限られる状況下であるも、双方の努力と熱意によって、両市間の距離というハードルを超えることができ、その結果としてこのようにオンラインによる友好協力関係の増進が可能となりました。しかし、これは両市にとって決してゴールではありません。新たなスタートに過ぎません。今後とも両市が様々な交流を通じて関係を深める中で、日本とサイパンとの関係が一層強固になるよう祈念します。