文化外交(海外広報・文化交流)

文化外交最前線 [II]:ユネスコ編
―第5号―

2007年7月21日
ユネスコ大使 近藤誠一

はじめに

 石見銀山の七〇〇年に及ぶ壮大な歴史と文化は、先人達の限りない尽力によって築かれたものです。二十一世紀となった今日、地球上・人類の貴重な産業遺産としてユネスコの世界遺産に登録されようとしています。銀山の七つの谷から、再び輝く歴史の扉が開かれる日も近いのです。

(竹下弘著 紗房集『私説石見銀山』(なかむら文庫2005年6月)前書きより)

今月のテーマ:石見銀山遺跡:世界遺産はどのようにして決まるか-その1

<クライスト・チャーチの逆転劇>

 「石見銀山遺跡を世界遺産一覧表に記載することに異議のある国はありますか?無いと判断します。記載を決定します。」2007年6月28日午後3時半、議長がこう言ってハンマーを叩いた瞬間、石見銀山遺跡は世界遺産、世界の石見銀山遺跡になりました。島根県や地元の大田市が文化庁と共に10年以上もの歳月をかけて準備をしてきた努力が実った瞬間でもありました。ニュージーランドのクライスト・チャーチで開催された第31回ユネスコ世界遺産委員会の6日目のことです。日本代表団席にお招きしてあった地元大田市の竹腰市長などと固い握手を交わしました。各国代表も祝福の握手を求めにきました。

 関係者の喜びもひとしおだったのは、石見銀山遺跡の世界遺産への道が厳しいものだったからです。去る5月12日、ユネスコの諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡会議)が、石見銀山遺跡は世界遺産としての価値の証明が不十分として世界遺産リストへの記載は「延期」すべしという勧告を出したのです。日本が今まで推薦した遺産13件はすべて当初から「記載」の勧告を受けて順調に世界遺産に登録されただけに、関係者にとって大きなショックでした。

 では世界遺産とは何なのでしょうか?その目的は?どうやって登録を決めるのでしょうか?そして今回の教訓は?

<世界遺産の生い立ち>

 ユネスコの世界遺産の取り組みが始まったきっかけは、1959年にエジプトのナイル河でアスワン・ハイ・ダムを建設する計画が明らかになったことです。これによって古代エジプト文明を伝えるヌビア遺跡が水没することを知ったユネスコが救済のキャンペーンを始め、世界中から約8,000万ドル(約100億円)を集めて遺跡の移築に成功しました。

<世界遺産保護への運動>

 この成功は世界の文化遺産や自然遺産を国際的に保護する仕組みをつくろうという機運を盛り上げ、1972年にユネスコ総会が「世界遺産条約」を採択しました。この条約の目的は、後に引用するように、人類にとって貴重な文化遺産や自然を、アスワン・ハイ・ダムに象徴されるような社会的・経済的「新たな脅威」から守るために国際的協力体制をつくることです。

 この目的を達成するため、まず条約に加盟した国は、自国にある文化・自然遺産を保護し、将来の世代に引き継いでいく第一義的義務を負います。そしてその義務を着実に実施するための調査・研究、政策、国民の研修などを実施しなければなりません。意図的に遺産を破壊する行為は厳しく禁止されます。

 その上でその遺産の保護は国際社会全体の責任と見なされ、他の条約加盟国はその遺産の保全や復興に必要な支援を行うことになっています。アスワン・ハイ・ダムの教訓から、当事国に強い責任を負わせると共に、それを全うさせる上で国際社会の監視・協力が不可欠とみなした点が大きな特徴です。

<世界遺産一覧表への記載>

 こうした世界遺産の保護を実効的なものにするためにいくつかの工夫が考えられました。その中心となるのが、「世界遺産一覧表」と呼ばれるリストの作成です。これは条約加盟国(2007年8月30日現在で184カ国)の代表21ヶ国からなる世界遺産委員会が年に1度の会合で、加盟国から推薦のあった案件の中から、「顕著な普遍的価値」があると見なされるものを選ぶことで作られます。

 また都市開発や武力紛争、自然災害などにより「重大かつ特定の危険」に晒されていると見なされる遺産は、同時に「危険にさらされている世界遺産一覧表」(危機リスト)に記載されます。遺産をこれらのリストに載せ公表することは、その価値を世界に認知させると共に、特別の保護の必要性を国際社会に訴えるという効果をもっています。

<保護・保全の仕組み>

 更にこれらのリストに記載された案件の保護を現実に実行するために2つの仕組みがあります。まず個々の世界遺産が置かれている状態を常に監視するため、事務局によるモニタリングと加盟国による定期報告が義務づけられています。また保護や復興のための国際的援助に必要な財源として、加盟国の分担金や任意拠出金によって「世界遺産基金」がつくられています。

 このようにユネスコの世界遺産に関する活動は、貴重な遺産を社会・経済的脅威から保護することを最優先の目的とし、その一義的義務を当事国に負わせつつ、保護と修復のための国際的な協力体制を敷いているところにその特徴があります。この活動の成功例のひとつが、カンボジアのアンコール・ワットです。長年「危機遺産リスト」に載せられていたこの遺跡はユネスコを中心とした再興努力により、2004年にこのリストから外すことができました。他方タリバーンによって仏像が破壊されたバーミヤン遺跡は、貴重な価値が失われる危機にあるということで、2003年に「危機遺産リスト」に載せられました。

<高度な国際性、専門性、中立性>

 今回委員会に出席して強く感じたことは、そこでの議論の高度な国際性、専門性、中立性です。世界遺産をめぐって上で述べたような国際協力体制を敷いている以上、リストに載せるか否かには極めて厳しい基準が適用されます。「顕著な普遍的価値」を有するか否かを判断するため、10の具体的基準が決められているほか、審査に当たっては「真正性」(その遺産が主張されている価値を真正に表しているか(オリジナリティを伴っているか)否か)と「完全性」(主張されている価値の全体を体現しているか)という側面も厳しく評価します。またリストに記載された後の保全状況の審査に当たっても、これらの基準に照らして厳しいチェックがなされます。

 従って審査やモニタリングには高度な専門知識が要求されます。そこでユネスコは委員会での決定の参考にするため、国際的専門家組織の意見を求めます。文化遺産においては前出のICOMOS、自然遺産ではIUCN(国際自然保護連合)というNGOがその役割を担っています。これらは建築、考古学、生態系など関連分野の世界的第一人者個人(ICOMOSは約7000人、IUCNは約1000人)によって構成され、国際性、専門性、中立性を備えています。また世界遺産委員国に選ばれた国も、こうした専門的な議論に貢献できる資格を有する個人を代表として出席させることになっています。

<4段階の審査>

 各国から推薦された案件は、これら専門家の審査によって「記載」(直ちにリストに記載するもの)、「情報照会」(価値は認めるが、保護措置などについての十分な追加情報が3年以内に提出されれば記載し得るもの)、「記載延期」(価値が十分立証されていないので、改めて推薦の出し直しを要請するもの)、「不記載」(記載に値しないもの)の4段階のいずれかに分類されます。これに先立つ諮問組織による審査においても同じ分類に基づいて勧告がなされます。

<専門家の深いコミットメント>

 今回委員会に出席することで初めて実感したことは、これら専門家たちが世界遺産の保護に心底からコミットしていることです。各案件の審査では冒頭にICOMOSやIUCNが5分間で自分の勧告の概要を説明し、その後委員国からの質問に答えます。その発言には、常に与えられた職務への真摯な態度とプライドが感じられました。委員国を代表する専門家も同様です。

 しかし世界遺産の活動、中でもリストに記載すべきか否かの判断をめぐって、文化や立場の違いから、専門家とは異なる意見がでることも少なくありません。特に先進国と途上国の間には、何が「普遍的な価値」か、どこまで保護をすれば適切と見なせるか等についてしばしば意見が分かれます。また世界遺産委員会が国家の集まりであることから、自ずと専門家とは異なる判断や、極端な場合には国内政治的考慮に基づく主張がなされることすらあります。この問題は文化の普遍性と特殊性という重要なポイントにも関わりますので、次号で改めて取り上げたいと思います。

今月の引用

 「文化遺産及び自然遺産が、衰亡という在来の原因によるのみでなく、一層深刻な損傷又は破損という現象を伴って事態を悪化させている社会的及び経済的状況の変化によっても、ますます破壊の脅威にさらされている。」

(ユネスコ「世界遺産条約」前文より)

今月の数字

 世界遺産の総数:851件。
 うち文化遺産 660件、自然遺産 166件、複合遺産 25件。
 (2007年7月1日現在)

今月のクイズ

 問:世界遺産を最も多くもっている上位5カ国はどこでしょうか、またそれぞれがもつ遺産の数を挙げなさい。

 前号の答:前回の問(人間国宝の2007年4月現在の延べ人数)の正解は、(ニ)の114人です。

<大使の一日>(2007年5月15日。実際の日程ですが、固有名詞は省略します)

<大使の一日>
時間 内容
11時00分 館内打ち合わせ(大使執務室)
13時15分 ユネスコ事務局幹部との昼食を兼ねた打ち合わせ(大使公邸)
15時00分 アジア・太平洋グループでの各種委員会選挙の調整会議(ユネスコ会議場)
16時00分 外務副大臣のユネスコ事務局長表敬訪問への同席(ユネスコ本部)
17時00分 外務副大臣と国際機関邦人職員との懇談会(代表部)
20時00分 夕食会(大使公邸)

後記

ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。

イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)

ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/index.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/index.htmll
でご覧になれます。

またユネスコ日本政府代表部のホーム・ページ, http://www.unesco.emb-japan.go.jp/他のサイトヘでは、英語版とフランス語版がご覧になれます。

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