チュニジア共和国
チュニジア共和国(Republic of Tunisia)
基礎データ
一般事情
1 面積
16万3,610平方キロメートル(日本の約5分の2)
2 人口
1,246万人(2023年、世銀)
3 首都
チュニス
4 民族
アラブ人(98%)、その他(2%)
5 言語
アラビア語(公用語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)
6 宗教
イスラム教スンニ派(ごく少数だがユダヤ教、イスラム教シーア派、キリスト教も信仰されている)
7 略史
年月 | 略史 |
---|---|
紀元前9世紀から都市国家カルタゴとして栄えた。ベルベルとフェニキアの文化が融合する。 | |
紀元前146年 | ローマ帝国がカルタゴを征服 |
439年 | ゲルマン系ヴァンダル族がカルタゴを占領し、ヴァンダル帝国を建設 |
533年 | 東ローマ帝国のビザンチンがヴァンダル帝国を滅ぼし、ビザンチン文化が開花 |
7世紀 | アラブ侵入、イスラム化の始まり |
1574年 | オスマン帝国の属州となる |
1881年 | フランスの保護領となる |
1956年3月 | フランスから独立 |
1957年7月 | 共和制に移行し、ブルギバ大統領就任 |
1959年6月 | 共和国憲法発布 |
1987年11月 | ベン・アリ大統領就任 |
1989年4月 | ベン・アリ大統領当選(その後、五選(1994.3、1999.10、2004.10、2009.10)) |
2011年1月 | ベン・アリ大統領が国外退去 ムバッザア暫定大統領就任 |
2011年3月 | 1959年憲法の停止 |
2011年10月 | 制憲国民議会選挙の実施 |
2011年11月 | 制憲国民議会の開会 |
2011年12月 | マルズーキ大統領就任、ジェバリ首相内閣の発足 |
2013年3月 | ラアレイエド内閣の発足 |
2014年1月 | 新憲法公布(同年2月施行) |
2014年1月 | ジョマア内閣の発足 |
2014年10月 | 国民代表議会選挙 |
2014年11月~12月 | 大統領選挙 |
2014年12月 | エセブシ大統領就任 |
2015年2月 | エシード内閣の発足 |
2016年1月 | エシード内閣改造 |
2016年8月 | シェーヘド内閣発足 |
2018年5月 | 地方選挙 |
2019年9~10月 | 大統領選挙 |
2019年10月 | 国民代表議会選挙 サイード大統領就任 |
2020年2月 | ファフファーフ内閣の発足 |
2020年9月 | ムシーシー内閣の発足 |
2021年7月 | 国民代表議会の停止 |
2021年10月 | ブデン内閣の発足 |
2022年4月 | 国民代表議会の解散 |
2022年7月 | 新憲法草案に関する国民投票の実施(翌8月、最終結果が公表され(賛成94.6%、反対5.4%)、施行) |
2023年1月 | 新憲法下で国民代表議会選挙を実施(投票率:第1回11.2%、第2回11.4%)。新議会成立。 |
2023年8月 | ハシャニ内閣の発足 |
2024年8月 | マドゥーリ内閣の発足 |
政治体制・内政
1 政体
共和制
2 元首(大統領)
カイス・サイード 大統領(His Excellency Mr. Kais Saied)(2019年10月就任)
3 議会
- 国民代表議会
- 議席数:161(国内選挙区:151、海外選挙区:10)
4 政府
2015年2月、エシード首相による新内閣が発足。
2016年8月、シェーヘド首相による新内閣が発足。
2020年2月、ファフファーフ首相による新内閣が発足。
2020年9月、ムシーシー首相による新内閣が発足。
2021年10月、ブデン首相による新内閣が発足。
2023年8月、ハシャニ首相による新内閣が発足。
2024年8月、マドゥーリ首相による新内閣が発足。
- (1)首相
- カメル・マドゥーリ(His Excellency Kamel MADOURI)
- (2)外相
- モハメド・アリ・ナフティ(His Excellency Mr. Mohamed Ali NAFTI)
5 内政
- (1)仏からの独立以来就任していたブルギバ大統領に続き、1987年以降、ベン・アリ大統領は近代化・西欧化を推進。その一方で、社会主義運動及びイスラム過激主義運動を弾圧して政治的安定を維持してきた。これにより経済は安定成長を遂げたが、政治的自由や複数政党制の導入等の民主化が課題となった。
- (2)2010年12月にチュニジア中南部で発生した貧困・雇用対策を求める大規模抗議デモを機に、国内各地で反政府デモが発生。住民と治安部隊の間で衝突も頻発。2011年1月14日、反政府デモ・暴動が急速に拡大・深刻化し、23年間国家元首の座にあったベン・アリ大統領は国外に亡命。憲法規定に従い、ムバッザア代議院議長が暫定大統領に就任した(「自由と尊厳の革命」)。
- (3)2011年10月、新憲法制定のための議会(制憲国民議会)議員を選出する選挙が実施された。同選挙はチュニジア史上初の自由選挙であり、我が国の選挙監視団を含む多数の国際選挙監視団が派遣された。選挙の結果、議会に多数議席を獲得した穏健イスラム主義政党「エンナハダ」、中道政党「共和国のための会議(CPR)」、左派政党「エタカトル(FDTL)」の間で、大統領・首相・議長ポストに関する3党合意が結ばれ、FDTLのベン・ジャアファル党首が議長に、CPRのマルズーキ党首が大統領に選出された。その後、マルズーキ大統領はエンナハダのジェバリ幹事長を次期首相候補に任命し、12月にジェバリ氏を首相とする新内閣が議会で承認された。
- (4)2013年2月、野党「民主愛国主義者運動」のベライード党首暗殺事件が発生。同事件を受け、ジェバリ首相は国家を政治的危機から救うべくテクノクラート(実務者)内閣の形成を提案したが、同提案は首相の出身政党であるエンナハダから反対を受け失敗に終わり、同首相は辞表を提出。同月末、エンナハダはラアレイエド内務大臣を次期首相として選出し、翌3月に内務・外務・司法・国防の主要4閣僚等にテクノクラートを配したラアレイエド内閣が議会で承認された。
- (5)2013年7月、野党「人民運動」のブラヒミ制憲国民議会議員の暗殺事件が発生したことを受け、政府・議会の解散支持派と反対派の対立による抗議活動が各地に広まった。また、議会内でも与野党の対立が深まり、議会は一時麻痺状態に陥った。硬直した政治状況を打開するため、チュニジア労働総連盟(UGTT)、工業・手工業連合会(UTICA)、人権擁護連盟(LTDH)、全国弁護士協会(ONAT)の国内主要4団体(注:これら4団体は「チュニジア・ナショナル・ダイアログ・カルテット」と総称され、2015年にノーベル平和賞を受賞した。)が与野党間協議の仲介役となり、テクノクラート内閣の組閣や憲法制定、独立高等選挙機構(選挙管理委員会)設置等の主要政治日程を定めたロードマップを提示した。その結果、11月、主要21政党がロードマップに署名し、国民対話会議(与野党間協議)が開始され、12月にジョマア産業大臣(当時)が次期首相に選出された。
- (6)2014年1月、制憲国民議会において新憲法が賛成多数で可決され、同年2月に施行された。また、同月、ジョマア首相率いるテクノクラートによる新内閣が誕生した。
- (7)2014年10月、新憲法下で初となる議会選挙が実施され、2012年に結党された「ニダー・トゥーネス(チュニジアの呼びかけ)」が217議席中85議席を獲得し第一党に、2011年の制憲国民議会選挙では第一党であったエンナハダは69議席を獲得し第二党となった。
- (8)2014年11月から12月にかけて革命後初の直接大統領選挙が実施された。マルズーキ候補(現職大統領)とニダー・トゥーネス党首のエセブシ候補(元首相)の決選投票の結果、エセブシ候補が大統領に就任。2015年2月、元内務相のエシード氏首相率いるニダー・トゥーネス、エンナハダ、自由愛国連盟(UPL)、アフェック・トゥーネス等からなる連立内閣が成立し、革命後初の本格政権が発足した。2016年6月、エセブシ大統領が「国民統一政府」構想を発表、各政党及び国内主要団体(UGTT,UTICA等)による協議を経て、同年8月、シェーヘド地方問題担当大臣(当時)が率いる新内閣が発足した。
- (9)2019年9月~10月に大統領選挙及び国民代表議会選挙を実施。カイス・サイード氏が大統領に就任。2020年2月、ファフファーフ首相率いる新内閣が発足したが、同年7月、与党との対立により、就任からわずか5か月でファフファーフ首相は辞任。サイード大統領は新首相にムシーシー内相を任命。
- (10)2020年9月、ムシーシー首相が率いる内閣が、議会での信任投票で過半数を獲得して発足したが、政治の主導権を巡り、サイード大統領とムシーシー首相は対立。2021年7月、サイード大統領は、ムシーシー首相を緊急事態における大統領の特別措置によって解任し、議会を30日間停止。サイード大統領は、政治改革に向けて、実質的に立法・行政権を掌握する大統領令を発出。約2カ月後の9月、同大統領は、チュニス国立工科大学教授のナジュラ・ブデン氏を首相に任命し、組閣を委任。ブデン氏は、チュニジア史上初の女性首相となった。
- (11)2022年 4月、大統領は、停止されていた議会の解散を発表。同年7月には、新憲法草案に関する国民投票が実施され、8月、賛成94.6%、反対5.4%の結果で可決。同月、新憲法が施行された。翌年1月には、新憲法下で国民代表議会選挙が実施され、新議会が成立。ロシアによるウクライナ侵略や気候変動等によりチュニジアの経済・財政が影響を受ける中、経済社会改革に取り組むことができるかが注目されている。
- (12)チュニジアは独立以来一貫して初等教育の普及と高等・専門教育の充実に力を入れている(義務教育対象年齢は6歳から16歳までの9年間)。また、女性の権利保障と社会進出を重視した法整備も進められてきた。特に、1956年個人地位法により一夫多妻制の禁止や夫の一方的決定による離婚の禁止等が保障されており、家族計画の普及にも積極的である。2017年7月には、女性に対する暴力を防止、処罰するための新法が制定され、同年8月にはエセブシ大統領が、相続における両性の平等実現とチュニジア人女性と非ムスリムの結婚手続きの簡素化に向けた議論の開始を提言した。
- (13)ベン・アリ政権下では、言論・報道の自由、情報アクセス権の制限、政府による検閲等、政府による人権の抑圧が指摘されていたが、革命後の新政権はこれらの自由・権利を認めた。その結果、多くの報道機関が生まれ、NGO等の市民活動が活発になったが、他方で労働争議や暴力的な抗議活動、また、サラフィストと呼ばれる保守的なイスラム主義者による暴力行為が頻発した。特に南部・内陸部を中心に、雇用・開発を要求する若者による座り込みなどの抗議運動が2017年現在も継続しており、経済活動に打撃を与えている。
- (14)近年、軍・治安当局に対する攻撃を除き、外国人等のソフトターゲットを狙ったテロ事件は、2002年のジェルバ島のシナゴーグ爆破事件以降発生していなかった。しかし、2015年に入り、3月のバルドー博物館襲撃テロ事件(邦人3名を含む外国人観光客21名が死亡)、6月のスースにおける銃撃テロ事件(外国人観光客38名死亡)と、外国人観光客を標的にしたテロ事件が続けて発生した。同年11月にはチュニス中心部で大統領警護隊バス爆破テロ事件が発生し、全土に非常事態宣言が発出された(2019年7月現在まで継続中)。2016年3月には南部リビア国境近くの町・ベン・ゲルダンで、リビアから侵入したテロリストに治安施設が襲撃される事件が発生したが、この事件を最後に、2023年12月現在まで民間人が標的となった大規模なテロ事件は発生していない。
外交・国防
1 外交基本方針
非同盟中立。米、仏等欧米諸国と緊密な関係を有し、穏健かつ現実的な外交政策を標榜。ベン・アリ政権崩壊後は、欧米に偏重した外交政策を修正し、マグレブ諸国(特に隣国リビアとアルジェリア)との関係強化を優先事項として掲げ、湾岸諸国やアフリカ、アジアとの関係の活発化を目指すなど対外関係の多極化に努めている。特に、アフリカ諸国との経済関係強化は外交の最優先課題の一つに挙げられている。
2 軍事力(ミリタリーバランス2022)
- (1)予算 約12億2,000万米ドル(2021)
- (2)兵役 徴兵選抜制(12か月)
- (3)兵力 35,800人(陸軍27,000人、海軍 4,800人、空軍4,000人)
3 主要外交問題
- (1)近隣諸国との関係
- チュニジアは、北アフリカ5か国(アルジェリア、リビア、モーリタニア、モロッコ、チュニジア)が加盟するアラブ・マグレブ連合(AMU)を通じた地域内経済交流の活発化や治安協力を重視している。なお、同連合の事務局長は、現在タラク・ベン・サレム元駐ロシア大使が務めている。
また、国境管理や治安要員の訓練等において、アルジェリア、リビアを始めとする隣国との治安協力体制の強化を図っている。 - (2)欧州諸国との関係
- チュニジアは輸出の76.4%、輸入の66.6%を欧州が占め(2016年、チュニジア統計局)、約3,217社のEU諸国企業(2015年)がチュニジアに進出している。今後は、EUとの間での農業、サービス分野の関税撤廃が目標(工業製品については2009年に撤廃済み)。2012年11月、EUはチュニジアに対し「特恵的パートナー(Partenaire privilegie)」の地位を付与し、政治的対話や協力関係を強化し、チュニジアの各種行政手続きや製品が欧州の基準に達するよう支援していく意思を表明した。
また、2023年7月には、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長、メローニ・イタリア首相、ルッテ・オランダ首相、サイード大統領が立ち会う形で、チュニジアとEU間の包括的戦略パートナーシップに関する覚書(MoU)が調印された。このMoUは、6月にEUの右3首脳とサイード大統領が共同発表した「包括的パートナーシップパッケージ」の実施に合意するもので、マクロ経済の安定、貿易と投資推進、グリーンエネルギーへの移行、人的交流、移民問題と人的流動性に向けた協力の推進が謳われている。 - (3)中東和平問題への取組
- チュニジア政府はパレスチナ独立国家建設及び国連正式加盟を支持しており、1990年代に多数の中東和平に関する多国間協議を主催する等同問題に積極的に関与していた。
チュニジアはイスラエルと正式な外交関係を結んでいないが、オスロ合意後の1996年、チュニジアとイスラエルの双方は利益代表を開設した(なお、テルアビブに派遣された初代チュニジア利益代表はジヒナウイ元外務大臣。)。
1996年のネタニヤフ政権誕生後、チュニジアはイスラエルから利益代表を召還した。2000年9月のイスラエル・パレスチナ間の衝突以降、利益代表部は閉鎖され、現在まで再開されていない。
パレスチナ解放機構(PLO)は、1982年にベイルートからチュニスに本部を移転したが、オスロ合意後の1994年にパレスチナに再移転した。 - (4)サハラ以南アフリカ諸国との関係
- アフリカ連合(AU)およびアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)を通じて、政治・経済的協力関係を築いている。また、JICAと協力してのサブ・サハラ諸国への研修の実施等についても、医療保健分野、観光開発分野等で積極的に実施している。また、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ナミビア、ソマリア、ルワンダ、ブルンジ、コンゴ等多数のアフリカ諸国に平和維持軍を派遣した経験がある。
経済
1 主要産業
- (1)サービス業:
- 観光業、情報通信産業 等
- (2)製造業・鉱工業:
- 繊維、機械部品、電機部品、りん鉱石、食品加工 等
- (3)農業:
- 小麦、大麦、柑橘類、オリーブ、なつめやし 等
2 GDP
約485億米ドル(2023年、世銀)
3 一人当たり国民総所得(GNI per capita)
3,770米ドル(2023年、世銀)
4 経済成長率
0.4%(2023年、世銀)
5 物価上昇率
9.3%(2023年、世銀)
6 失業率
15.1%(2023年、世銀)
7 総貿易額・主要貿易品目(2022年、世銀)
- 輸出
- 225億米ドル 機械・電気機器、衣類、石油関係、化学製品・肥料等
- 輸入
- 276億米ドル 機械・電気機器、衣類、石油関係、自動車等
8 主要貿易相手国(2021年、国際貿易センター(Trade Map)
- 輸出
- (1)フランス、(2)イタリア、(3)ドイツ、(4)スペイン、(5)リビア
- 輸入
- (1)イタリア、(2)フランス、(3)中国、(4)ドイツ、(5)トルコ
9 通貨
チュニジア・ディナール(TND)
10 為替レート
1米ドル=3,1069TND(2023年年間平均レート、チュニジア中央銀行)
1TND=45.31円(2023年年間平均レート、チュニジア中央銀行)
11 経済概況
- (1)1987年からのベン・アリ政権下で着実な経済発展を遂げ、年率5%程度の安定した経済成長を継続していた。1995年にはEUとの間で自由貿易圏を設立する趣旨のパートナーシップ協定を締結し、2008年に工業製品に関する関税撤廃が導入されるなど、欧州、湾岸諸国との経済自由化を推進した。一方で、30歳以下が人口の過半を占める人口構成等に起因して、雇用対策、特に若年高学歴層の雇用対策が大きな課題となっていた。また、観光リゾート開発、工場進出等で発展が続く沿岸都市部と、農業以外に主要産業がない内陸部との格差が大幅に拡大した。ベン・アリ政権は、外国企業の内陸部への誘致や観光による地域開発を進めていたが、ベン・アリ政権内部の汚職等により外国からの投資は伸び悩み、失業問題は高学歴層を中心に高止まりしたままであった。
- (2)2011年1月14日の革命によって自由を得た市民による待遇改善や雇用を求める労働争議や道路封鎖が頻発し、企業の生産活動に支障をきたす事態が多数見られるなど、チュニジア経済は停滞することとなった。政変の影響による外国人観光客、新規投資の減少、リビアの混乱の波及等により、2011年の経済成長率はマイナス1.8%と激減したが、2012年にはプラスに転じた。
- (3)2015年に入り、相次ぐテロ事件の発生により、観光客の大幅な減少等、経済への影響が出ていたが、2016年第2四半期以降大規模なテロ事件等は発生しておらず、比較的安定している。地域間経済格差の解消、雇用創出が現在の課題。
- (4)2020年には、新型コロナウイルス感染拡大によって、製造業と観光業が中心のチュニジア経済は大きな打撃を受け、同年のGDP成長率は-8.8%まで落ち込んだ。2021年に入り、感染状況が改善する中、同年のGDP成長率は3.6%まで回復するも、2022年に入っても、チュニジア経済は新型コロナの前の水準まで回復せず、2023年の成長率は、中東・北アフリカ地域の中でも0.4%と、遅い回復となった。
経済協力
1 主要援助国(2021年 単位:100万米ドル 出典:OECD)
(1)EU(545.49)、(2)ドイツ(440.58)、(3)フランス(286.36)、(4)米国(109.86)、(5)日本(86.54)
2 日本の援助(2022年度までの累計)
- (1)有償資金協力 3,531.77億円(借款契約ベース)
- (2)無償資金協力 85.40億円(交換公文ベース)
- (3)技術協力実績 293.40億円(経費実績ベース)
3 最近の主要案件
二国間関係
1 政治関係
- (1)日本は1956年6月26日にチュニジアを承認し、1969年2月5日に在チュニジア大使館を開設した。1985年以来定期的に「日・チュニジア合同委員会」が日本、チュニジアで交互に開催され、二国間関係全般、中東情勢、アジア情勢等について幅広い意見交換が行われている。2022年8月、チュニスにて第8回アフリカ開発会議(TICAD8)を開催。2023年6月にはチュニスにおいて第11回合同委員会が開催された。
- (2)2011年3月の東日本大震災に際し、チュニジアからツナ缶6万個の物資供与があったほか、在京チュニジア大使館のイニシアティブで宮城県石巻市及び千葉県旭市に支援ミッションが派遣され、救援物資の提供や炊き出しが行われた。
2 経済関係
- (1)日本の対チュニジア貿易額(財務省貿易統計、単位:億円、2023年)
- 輸入(CIF) 約187:まぐろ、衣類、電気機器〈電気回路、音響・映像機器など〉
- 輸出(FOB) 約109:自動車、鉄鋼、機械〈原動機、ボイラーなど〉、電気機器〈通信機、電子部品など〉
- (2)日本からの進出企業数(2023年10月現在)
- 27社(現地法人化された企業を含む)
3 文化関係
- (1)チュニジアに海外拠点を設置する筑波大学を中心とした学術交流
- (2)国費留学生の受入れ
- (3)日本映画・アニメの上映会の実施
- (4)日本人音楽家によるコンサートの実施
- (5)日本語講座を設置する語学学校への支援 等
4 在留邦人数
193名(2023年10月)
5 在日当該国人数
757名(2023年6月、在留外国人統計)
6 要人往来(肩書きは当時)
年月 | 要人名 |
---|---|
2000年9月 | 荒木清寛総括政務次官 |
2001年1月 | 町村信孝文部科学大臣 |
2001年5月 | 衛藤征士郎衆議院議員 |
2001年8月 | 衛藤征士郎衆議院議員、土屋品子衆議院議員 |
2002年5月 | 松浪健四郎外務大臣政務官 |
2002年9月 | 武藤嘉文元外務大臣、松岡利勝衆議院議員、西川公也衆議院議員 |
2003年7月 | 不破哲三衆議院議員、緒方靖夫参議院議員 |
2003年9月 | 参議院公式訪問団(団長:本岡昭次副議長) |
2003年10月 | 川口順子外務大臣 |
2004年3月 | 有馬龍夫政府代表 |
2004年5月 | 有馬龍夫政府代表 森喜朗元総理大臣、杉浦正健衆議院議員、山本明彦衆議院議員(日AU友好議連) |
2004年8月 | 長浜博行衆議院議員、能勢和子衆議院議員、高橋千秋参議院議員(公式訪問) |
2004年8月 | 町村信孝衆議院議員、渡海紀三郎衆議院議員 |
2005年4月 | 河井克行外務大臣政務官、松田岩夫参議院議員 |
2005年11月 | 竹中平蔵総務大臣(世界情報社会サミット) |
2005年12月 | 衆議院予算委員会派遣議員団 |
2006年1月 | 河野洋平衆議院議長(公式訪問) |
2006年7月 | 矢野哲朗参議院議員、椎名一保参議院議員 |
2006年8月 | 伊藤信太郎外務大臣政務官 |
2007年8月 | 西村康稔衆議院議員、山際大志郎衆議院議員 |
2008年3月 | 宇野治外務大臣政務官 |
2008年7月 | 桜井郁三環境副大臣 |
2008年7月 | 三原朝彦自民党国際局長一行(立憲民主連合(RCD)党大会参加) |
2008年7月 | 小池晃参議院議員(立憲民主連合(RCD)党大会参加) |
2008年11月 | 高橋千秋参議院議員 |
2009年6月 | 緒方貞子JICA理事長 |
2009年12月 | 山東昭子参議院副議長、家西悟参議院議員、木庭健太郎参議院議員 |
2010年1月 | 飯村豊政府代表 |
2010年7月 | 松下忠洋経済産業副大臣 |
2010年12月 | 前原誠司外務大臣・大畠章宏経済産業大臣(第2回日本・アラブ経済フォーラム、第1回日・マグレブ諸国閣僚懇談会) |
2010年12月 | 柳澤光美参議院議員、米長晴信参議院議員、佐藤正久参議院議員(参議院ODA調査団) |
2011年5月 | 飯村豊政府代表 |
2011年10月 | 浜田和幸外務大臣政務官(制憲国民議会選挙・日本監視団) |
2012年2月 | 山根隆治外務副大臣(第1回シリア・フレンズ会合) |
2012年3月 | 緒方貞子JICA理事長 |
2012年12月 | 浜田和幸外務大臣政務官(拡大中東・北アフリカ構想(BMENA)未来のためのフォーラム第9回閣僚級会合) |
2013年8月 | 逢沢一郎衆議院議員(日・アフリカ連合友好議員連盟会長)、牧島かれん衆議院議員 |
2014年3月 | 岸信夫外務副大臣 |
2014年10月 | 中根一幸外務大臣政務官(国民議会選挙・日本監視団) |
2015年2月 | 宇都隆史外務大臣政務官 |
2015年3月 | 中根一幸外務大臣政務官 |
2016年9月 | 田中和徳衆議院議員(日・アフリカ連合友好議員連盟副会長)、秋葉賢也衆議院議員、岡本三成衆議院議員 |
2016年12月 | 滝沢求外務大臣政務官 |
2017年7月 | 薗浦健太郎外務副大臣(第9回日・チュニジア合同委員会出席) |
2018年3月 | 堀井学外務大臣政務官 |
2018年8月 | 奥野信亮総務副大臣 |
2018年8月 | 武藤容治経済産業副大臣 |
2018年12月 | 河野太郎外務大臣 |
2019年7月 | 山田賢司外務大臣政務官 |
2019年10月 | 中谷真一外務大臣政務官(国民代表議会選挙・選挙監視団派遣) |
2020年12月 | 茂木敏充外務大臣 |
2022年5月 | 本田太郎外務大臣政務官 |
2022年8月 | 林芳正外務大臣(総理特使、TICAD8) |
2023年6月 | 山田賢司外務副大臣(第11回合同委員会) |
2024年5月 | 深澤陽一外務大臣政務官 |
年月 | 要人名 |
---|---|
2000年3月 | フリーア通信相 |
2000年5月 | メルダッシ国際協力・外国投資相 |
2000年6月 | ムバッザア代議院(下院)議長(小渕総理葬儀) |
2000年10月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
2001年5月 | メルダッシ国際協力・外国投資相(投資セミナー出席) |
2001年11月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
2002年2月 | メルダッシ国際協力・外国投資相(投資セミナー出席) |
2002年12月 | ベン・ヤヒア外相 |
2003年5月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2003年9月 | ガンヌーシ首相、ジュイニ開発・国際協力相(TICAD III) |
2004年5月 | ベン・ヤヒア外相 |
2004年6月 | ベン・ヤヒア外相 |
2004年7月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2005年4月 | ハッダード観光相 |
2005年5月 | ワーリイ通信技術相 |
2005年6月 | ガンヌーシ首相(愛・地球博)、ジュイニ開発・国際協力相 |
2005年10月 | テッカリ司法・人権相(大統領特使) |
2006年1月 | ケシュリッド保健相 |
2006年5月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2006年7月 | アブダッラー外相 |
2007年4月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2008年3月 | シティウイ外務相付国務長官(第6回日・チュニジア合同委員会) |
2008年4月 | カッラール評議院(上院)議長(参議院議長招へい) |
2008年5月 | ガンヌーシ首相、ジュイニ開発・国際協力相(TICAD IV) |
2008年10月 | ブウニ高等教育・学術研究・テクノロジー相(STSフォーラム、日本・アフリカ科学技術大臣会合) |
2009年7月 | アブダッラー外相(外賓) |
2009年10月 | エル・バスティ文化・遺産保存相(「古代カルタゴとローマ展」開会式出席) |
2009年12月 | ジュイニ開発・国際協力相(第1回日本・アラブ経済フォーラム) |
2010年10月 | テッカリ高等教育・科学研究相(STSフォーラム、日本・アフリカ科学技術大臣会合) ムリカ首相顧問相(生物多様性条約COP10ハイレベル会合) |
2011年5月 | ケフィ外相 |
2012年2月 | ベン・アベス外相付国務長官(第8回日・チュニジア合同委員会) |
2012年6月 | アブデッサレーム外相(外賓) |
2012年10月 | ベッタイエブ投資・国際協力相(IMF世銀総会) |
2013年6月 | マルズーキ大統領、ジャランディ外相(TICAD V) |
2013年9月 | ガムラ観光相(JATA旅博) |
2013年10月 | サルマン設備・環境相(水銀に関する水俣条約外交会議) |
2013年11月 | カアビ開発・国際協力相付国務長官(JETRO招へいによる日本企業視察) |
2013年12月 | サイーディ首相付経済担当相(第3回日本・アラブ経済フォーラム) |
2014年9月 | ブシャマウイUTICA(経団連)会長(WAW!Tokyo2014) |
2014年10月 | ジュラーシ高等教育・科学技術・情報通信技術相(STSフォーラム) |
2014年11月 | ジャッラーイ教育相(持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議) |
2015年3月 | デルイッシュ環境・持続可能な開発担当相(第3回国連防災世界会議) |
2015年9月 | シェイヘブ高等教育・科学研究相(STSフォーラム) |
2016年10月 | シェイフルーフー・エネルギー・鉱山・再生可能エネルギー相 |
2017年11月 | ジヒナウイ外相(外賓) |
2018年2月 | アクルート大統領府治安顧問(第2回日・チュニジア・テロ・治安対話) |
2018年4月 | ラーブヒー農業・水資源・漁業相付水資源・漁業担当国務長官 |
2018年10月 | フェルジャニ外相付経済外交担当国務長官(TICAD閣僚会合) |
2019年2月 | バッシュトブジ外相付国務長官(第10回日・チュニジア合同委員会) |
2019年6月 | ジャッルール・チュニジア戦略学研究所所長 |
2019年8月 | ジヒナウイ外相(TICAD7) |
2022年6月 | ジェランディ外相 |
2023年10月 | ベン・ネジ通信技術大臣(インターネット・ガバナンス・フォーラム京都2023) |
2024年2月 | ベン・レジバ外務大臣付国務長官 |
7 二国間条約・取極
- 1956年
- 査証免除取極(日仏査証免除取極を独立後も継続)
- 1960年3月
- 貿易取極
- 1974年7月
- 青年海外協力隊派遣取極
- 2022年8月
- 技術協力に関する日本国政府とチュニジア共和国政府との間の協定(日・チュニジア技術協力協定)
- 同年8月
- 二国間クレジット制度(JCM)に関する協力覚書
8 二国間交流
- (1)議員連盟・友好委員会
- 日・AU(アフリカ連合)友好議員連盟(会長 逢沢一郎衆議院議員)
- 日本・チュニジア友好委員会(事務局長 田畑裕明衆議院議員)
- チュニジア・日本友好議員連盟(会長 アーメル・メッデブ国民代表議会議員)
- (2)友好協会
- 日本チュニジア友好協会(会長 小野安昭元駐チュニジア日本大使)
- チュニジア日本友好協会(会長 サラ・ハンナシ元駐日チュニジア大使)
- (3)姉妹都市
- 瀬戸市・ナブール市(2004年提携)