スロバキア共和国
スロバキア共和国(Slovak Republic)
基礎データ
令和6年6月17日


一般事情
1 面積
49,037平方キロメートル(日本の約7分の1)
2 人口
543万人(2023年:スロバキア統計局)
3 首都
ブラチスラバ
4 民族
スロバキア人83.8%、ハンガリー人7.8%等(2021年:国勢調査)
5 言語
スロバキア語
6 宗教
ローマ・カトリック56%、プロテスタント(ルター派)5%等(2021年:国勢調査)
7 国祭日
9月1日(憲法記念日)
8 略史
年月 | 略史 |
---|---|
9世紀 | 大モラビア国時代 |
10世紀 | 大モラビア国滅亡、ハンガリー王国の支配下に入る |
1526年 | スロバキア地域を含むハンガリー王国がハプスブルク家の統治下に入る |
1867年 | オーストリア=ハンガリー二重帝国への改組 |
1918年 | 第一次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊後、チェコスロバキア共和国建国 |
1939年 | ナチス・ドイツの影響の下、スロバキア国独立 |
1945年 | 第二次世界大戦後、チェコスロバキア独立回復 |
1948年 | 共産主義体制確立 |
1968年 | 「プラハの春」事件 |
1969年 | チェコスロバキアの連邦化 |
1989年 | 民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終焉 |
1993年 | チェコと平和裡に連邦を解消し、独立 |
2004年 | NATO、EU加盟 |
- 国の中部、北部にはカルパチア山系のタトラ山脈が、ドナウ川沿いの南西部には平原が広がる。
- 10世紀にスラヴ人の国家であった大モラビア国が滅亡した後は、ハンガリーの統治下に置かれたが、第一次世界大戦後の1918年10月にチェコスロバキア共和国として独立。
- 20世紀、特に第二次世界大戦後の共産主義時代には重点的に工業化され、軍需工業、重工業が発展。
- 1989年にビロード革命を達成の後、1993年1月にチェコとの連邦を解消し、スロバキア共和国として独立。
- 「欧州への回帰」を目標に、2004年3月にNATO加盟。同年5月にEU加盟を果たした。2009年1月からユーロを導入。
政治体制・内政
1 政体
共和制
2 元首
ペテル・ペレグリニ大統領(Peter PELLEGRINI)(2024年6月就任)(任期5年、三選不可)
3 議会
一院制(定員150名、任期4年)
4 政府
- (1)首相 ロベルト・フィツォ(Robert FICO)(2023年10月就任)
- (2)外務・欧州問題大臣 ユライ・ブラナール(Juraj BLANÁR)(2023年10月就任)
5 内政
- 1993年1月の独立以降、1994年の一時期を除き1998年10月まで政府を率いたメチアル首相(民主スロバキア運動:HZDS)は、その権威主義的・非民主主義的な政治手法により諸外国の批判を浴び、スロバキアは欧州統合の流れの中で周辺諸国から遅れをとることとなった。
- メチアル政権下で経済も停滞し、EU加盟交渉でも周辺国からスロバキアが取り残される形となる中、国民の焦りと不満が高まり、1998年9月の総選挙の結果、メチアル政権時の野党が中心となりズリンダ大連立内閣が成立。ズリンダ政権は民主化政策推進と経済・財政の立て直しに取り組み、諸外国からも高い評価を得た。また、憲法改正により大統領直接選挙制度を導入し、1999年6月にはそれまで政党間の駆け引きにより1年以上空席となっていた大統領に与党「市民合意党」(SOP)のシュステル党首が就任した。
- 経済も回復を見せ、EU加盟交渉も開始される中、2002年10月に中道右派4党の連立による第二次ズリンダ政権が発足。2004年にはNATO及びEU加盟を果たした。2004年4月には二回目となる大統領直接選挙が行われ、国会に議席を有していなかった「民主運動」(HZD)のガシュパロヴィチ党首が勝利し、6月に就任した(2009年4月に再選)。
- 2006年6月、任期を3ヶ月前倒しして総選挙が行われ、ズリンダ政権による構造改革がもたらした格差に対する国民の不満などを背景に、中道左派野党の「方向-社会民主主義」(スメル:Smer-SD)が第一党となり、フィツォSmer-SD党首を首班とするSmer-SD、「人民党-民主スロバキア運動」(ĽS-HZDS)、「スロバキア国民党」(SNS)の連立政権が発足した。メチアル元首相が率いるĽS-HZDSと民族主義政党であるSNSの政権入りに対し、当初国内外から懸念が表明されたものの、フィツォ政権は「低所得者に優しい社会福祉国家の創設」を目標に掲げ、比較的安定した政権運営を行った。
- 2010年6月の総選挙でSmer-SDが再び第一党になったものの、連立パートナーであったĽS-HZDSの議席喪失、SNSの議席減少の影響もあり、連立交渉に失敗。その結果、ラディチョヴァー「スロバキア民主キリスト教連合」(SDKÚ)選挙リーダーを首班とするSDKÚ、「自由と連帯」(SaS)、「キリスト教民主運動」(KDH)、「架け橋」(Most-Híd)の4党による中道右派政権が発足した。
- 2011年10月、EFSF(欧州金融安定化ファシリティー)機能拡充条約の批准を巡り与党が分裂し、ラディチョヴァー首相は繰り上げ選挙の実施を条件に野党Smer-SDの支持を得て同条約の批准を果たした。2012年3月に行われた繰り上げ選挙ではSmer-SDが圧勝して単独で過半数を獲得し、フィツォ首相の下でスロバキア史上初の単独政権が樹立された。2014年3月の大統領選挙では、キスカ候補がフィツォ首相を破り勝利。スロバキアで初の共産党経験及び政治経験のない大統領として同年6月15日に就任した。
- 2016年3月に実施された総選挙において、Smer-SDが議席数を大きく減らしたものの第一党を維持し、Smer-SD、民族主義政党「スロバキア国民党」(SNS)、「架け橋」(Most-Híd)、中道右派新党の「ネットワーク」(Sieť)による第三次フィツォ政権が発足した。また、同選挙では初めて極右政党「人民党、我々のスロバキア」(ĽS Naše Slovensko)が議席を獲得した。
- 2016年9月、「ネットワーク」(Sieť)所属議員7名のうち5名が「架け橋」(Most-Híd)に移籍したことを受け、新たな連立協定が結ばれ、第三次フィツォ政権はSmer-SD、「スロバキア国民党」(SNS)、「架け橋」(Most-Híd)の3党連立となった。
- 2018年2月以降、汚職疑惑を調査していたジャーナリストの殺害事件を機に、内閣の辞任を求めて、ビロード革命後では最大規模となる反政府デモが実施された。同年3月、フィツォ首相が辞任し、ペレグリニ政権が成立。一部閣僚は交代したが、連立与党(Smer-SD, SNS, Most-Híd)の枠組みは維持された。
- 2019年3月に行われた大統領選挙は、有力候補者不在で候補者が乱立したが、決選投票では、「野党・無党派」(チャプトヴァー候補)対「与党(Smer-SD)」(シェフチョヴィチ候補)の構図となり、既存政治への不満を背景にチャプトヴァー候補が勝利。スロバキア初の女性大統領が誕生した。
- 2020年2月、政府の汚職問題に対する批判が強まる中、国会総選挙が実施され、2006年以降(2010~2012年を除く)政権を担ってきた最大与党「方向-社会民主主義(Smer-SD)」は大幅に得票率を減らし第一党の座を失い野党に転落。既存政治への失望の受け皿として幅広く支持を獲得した「普通の人々・独立した人達(OĽaNO)」が、初めて第一党となった。
- 2020年3月21日、マトヴィチ党首率いる「普通の人々(OĽaNO)」、「我々は家族(Sme rodina)」、「自由と連帯(SaS)」、「人々のために(Za ľudí)」の4党による連立協定が合意され、マトヴィチ首相率いる新内閣が発足した。
- 2021年3月28日、マトヴィチ首相が強行したロシアからの新型コロナウイルスワクチン購入を巡り、連立政権内で対立が生じ、同首相は辞任。4月1日、ヘゲル新政権が発足した(4党の連立政権は維持)。
- 2022年9月、与党第3党SaSの連立離脱により、ヘゲル政権は少数連立政権へ移行。同年12月、SaS提案による内閣不信任決議案可決を受け、全閣僚が解任されるも、大統領の信任の下、ヘゲル政権が限定的な権限内で政権運営を継続。2023年5月、農業相・外相の辞意表明を受け、ヘゲル首相が大統領に信任撤回を要請。同月大統領がオードル暫定政権を任命。
- 2023年9月、繰上げ総選挙が実施され、過去3度政権を取った左派政党Smer-SDが、支持率23%を獲得し復活勝利。Smer-SD、中道左派Hlas-SD、民族主義政党SNSが連立合意し、同年10月、フィツォ政権が発足した。
- 2024年3月から4月にかけて任期満了に伴う大統領選挙が実施され、2回にわたる投票を経てペレグリニ国会議長が大統領に選出された。同年6月に就任。
外交・国防
1 外交基本方針
- (1)EU及びNATOの枠組内でスロバキアの国益を追求。
- (2)ヴィシェグラード・グループ(チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア。V4と呼称される。)協力を維持。
- (3)西バルカン諸国の欧州統合に向けた取り組みを積極的に支援。
2 軍事力
- (1)国防予算:24.6億ユーロ(2023年度)
- (2)兵役:志願制
- (3)兵力:陸軍10,450人、空軍4,400人
(2024年:ミリタリーバランス)
経済
1 主要産業
自動車産業、電機産業
2 GDP
1,321億米ドル(2023年:IMF)
3 一人当たりGDP
24,337米ドル(2023年:IMF)
4 経済成長率
1.2%(2023年:IMF)
5 物価上昇率
10.9%(2023年:IMF)
6 失業率
5.8%(2022年:IMF)
7 総貿易額
- (1)輸出 1,083億ユーロ
- (2)輸入 1,041億ユーロ
- (2023年:スロバキア統計局)
8 主要貿易品目
- (1)輸出 車両、機械・電気機器、原子炉・ボイラー及び機械類並びにこれらの部分品
- (2)輸入 機械・電気機器、車両、原子炉・ボイラー及び機械類並びにこれらの部分品
- (2023年:スロバキア統計局)
9 主要貿易相手国
- (1)輸出(%) ドイツ(21.0)、チェコ(12.1)、ポーランド(7.3)
- (2)輸入(%) ドイツ(14.3)、チェコ(10.1)、中国(7.4)
- (2023年:スロバキア統計局)
10 通貨
ユーロ(EUR)(2009年1月より導入)
11 経済概要
- 旧体制下のスロバキアの工業は軍需関連をはじめとする重工業が中心であったため、民主化後は産業構造の転換に苦しむ企業や地域も比較的多かった。1993年の独立後の数年間は比較的高い経済成長率を記録したが、メチアル政権の下で外国投資誘致も思うように進まず、同政権の市場経済を無視した経済政策等の影響により1999年には経済は落ち込みを見せた。
- 1998年に発足したズリンダ政権の下、財政の立て直しと共に市場経済への移行が本格的に進められ、欧州の中心に位置する地理的利点、比較的安価で良質な労働力等を背景に大型外国投資の誘致にも成功するなど、経済は順調に回復を示した。
- EU市場への輸出依存度が高いスロバキア経済は世界金融・経済危機の影響を大きく受け、2009年はマイナス成長を記録したが、その後は徐々に立ち直りを見せ、輸出と共に国内消費が牽引するバランスのとれた形でEU・ユーロ圏でも高い経済成長を示した。2020年はコロナ危機の影響によりマイナス成長となり、2021年以降は反動により高い成長率が予想されていたが、世界的な半導体不足やロシアのウクライナ侵攻の影響により、先行きが見通せない状況にある。
- 自動車及び電機製造が産業の中心で、大手自動車メーカー(フォルクスワーゲン、ステランティス、キア、ジャガー・ランド・ローバー)がスロバキアで乗用車の組み立てを行っている。2015年以降、自動車の年間総生産台数は毎年100万台前後である。人口1000人あたりの自動車生産台数は198台で世界一(2023年現在)。2022年、ボルボがスロバキア進出を決定。
- 失業率低下に伴う労働者不足問題が課題。また、ブラチスラバとそれ以外の地域、特に東部との間の格差が大きく、政府は東西を結ぶ高速道路の建設や東部地域への投資誘致等に取り組んでいる。更に政府は自動車依存の経済を脱却すべく、イノベーション・研究開発の推進も優先課題に掲げている。
経済協力
- 日本は、スロバキアのスムーズな民主化、市場経済への移行支援の観点から、技術協力を中心とする経済協力を実施。また、1998年12月には、「高速道路建設計画」に対する約110.94億円の円借款を供与(2003年着工、2007年完成)した。
- スロバキアのEU加盟及びドナー国への移行をもって、日本のスロバキアに対する経済協力は事実上終了した。新たな取り組みとして2008年及び2010年にスロバキアを含む形で援助協力ワークショップを行った。
日本の援助実績(2007年度までの累計)
1.対チェコスロバキアODA(1992年まで) | ||
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形態 | 実績 | 内訳等 |
(1)資金協力 | ||
無償資金協力 | 0.91億円 | 文化無償2件 |
(2)技術協力 | 5.96億円 | |
研修員受入 | 139人 | |
専門家派遣 | 3人 | |
調査団派遣 | 33人 | |
機材供与 | 0.7百万円 | 1件 |
開発調査 | 1件 | ムニェルニーク発電所排煙脱硫対策調査 |
2.対スロバキアODA(1993年以降) | ||
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形態 | 実績 | 内訳等 |
(1)資金協力 | ||
円借款 | 110.94億円 | 高速道路建設計画に対する1件 1996年12月18日E/N署名 |
無償資金協力 | 4.61億円 | 文化無償10件 |
(2)技術協力 | 14.86億円 | |
研修員受入 | 349人 | |
専門家派遣 | 23人 | |
調査団派遣 | 110人 | |
機材供与 | 35.68百万円 | 6件、医療機材供与等 |
開発調査 | 3件 | フロン川流域地域環境管理計画等 |
3.輸銀融資(チェコスロバキア時代のスロバキア分を含む) | ||
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形態 | 実績 | 内訳等 |
承諾累計 | 334.79億円 | 民間セクター育成ツーステップローン (第1次~第3次)等 |
二国間関係
1 政治関係
- 日本は1993年1月1日のスロバキア独立と同時に同国を承認し、同年2月3日に外交関係を開設した。在スロバキア日本国大使館は2002年1月に設置。
- チェコスロバキア時代からの良好な関係もあり、二国間関係は順調に発展している。2007年1月には麻生外務大臣が日本の外相としては初めてスロバキアを訪問し、クビシュ外相との外相会談、フィツォ首相表敬を行った。また、同年10月にはクビシュ外相が外務省賓客として訪日した。
- 2009年11月にはライチャーク外相が外務省賓客として訪日した。
- 2012年6月にはガシュパロヴィチ大統領夫妻が公式実務訪問賓客として訪日し、天皇皇后両陛下との御会見、野田総理との首脳会談を行った。
- 2013年6月には、日・スロバキア外交関係樹立20周年を記念し、秋篠宮同妃両殿下がスロバキアを御訪問された。
- 2013年6月にワルシャワで行われた「V4+日本」首脳会合に合わせて、安倍総理とフィツォ首相の間で二国間首脳会談を実施。
- 2015年11月、2016年5月及び2017年7月(外務省賓客)、ライチャーク外務・欧州問題相が訪日した。
- 2016年4月、武藤外務副大臣がスロバキアを訪問し、「Global Security Forum」(GLOBSEC)に出席した。
- 2017年12月、中根外務副大臣がスロバキアを訪問した。
- 2018年10月、ブリュッセルで行われた第12回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合の機会に、第2回目となる「V4+日本」首脳会合が実施された。(安倍総理、ペレグリニ首相が出席)
- 2019年4月、安倍総理が日本の総理大臣として初めてスロバキアを訪問。ペレグリニ首相と日・スロバキア首脳会談を行うとともに、スロバキア議長国のもと第3回「V4+日本」首脳会合が実施された。
- 2019年9月、ライチャーク外務・欧州問題大臣がOSCE議長としてOSCEアジア共催会議出席のため来日。河野大臣と外相会談を行った。
- 2019年10月、即位の礼出席のためチャプトヴァー大統領が初訪日。安倍総理と会談を行った。
- 2023年2月、国連総会緊急特別会合に出席するためニューヨークを訪問した林外務大臣は、カーチェル外務・欧州問題大臣と外相会談を行った。
2 経済関係
(1)日本の対スロバキア貿易(2023年、財務省貿易統計)
(ア)貿易額
- 輸出 226億円
- 輸入 855億円
(イ)主要品目
- 輸出 自動車、半導体等電子部品、ポンプ及び遠心分離器、電気回路等の機器、合成ゴム
- 輸入 自動車、重電機器、自動車部品、ポンプ及び遠心分離器、絶縁電線及び絶縁ケーブル
(2)日本からの直接投資
自動車関連、電機関連産業等の製造業18社を含む66社(在スロバキア日本国大使館調べ、2023年10月現在)が進出している。
3 文化関係
(1)概略
- 従来、文化面での交流は、日本の伝統文化に関するものが中心であったが、近年はスロバキア民族舞踊団やスロバキア・フィルハーモニー管弦楽団等の日本公演、アニメ・マンガ等、日本のポップ・カルチャーについても、交流の場が広がってきている。
- 自治体間の相互交流としては、奈良県野迫川村がヴィソケー・タトリ市との間で姉妹都市関係、秋田県小坂町がバンスカー・シュチアウニツァ市との間で協力関係を結んでいる。
- 岐阜県岐阜市及び千葉県浦安市が2020年東京オリンピック・パラリンピックのスロバキアのホストタウンに登録された。
- 埼玉県所沢市がEU国際都市交流プログラム(IUC)でブラチスラバのパートナー都市として登録されている。
(2)文化無償協力
<スロバキアに対する文化無償協力実績> | ||
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年度 | 対象機関 | 供与機材 |
4(注) | ブラチスラバ市 コメニウス大学 | 語学教育・視聴覚機材 |
5 | スロバキア・フィルハーモニー | 楽器・音響機材 |
7 | バンスカー・ビストリツァ市国立オペラ劇場 | 音響機材 |
9 | スロバキア・テレビ | テレビ番組ソフト |
10 | ブラチスラバ市 国民劇場 | 音響機材 |
11 | ブラチスラバ大学図書館 | 視聴覚機材 |
12 | コシツェ国立劇場 | 楽器 |
13 | レヴォチャ市 マチェイ・フレベンダ盲人用図書館 | 録音機材 |
14 | ブラチスラバ美術アカデミー | 視聴覚機材・印刷機材 |
15 | スロバキア歴史記念物委員会 | 文化財分析機材 |
17 | ジリナ交響楽団 | 楽器・音響・照明機材 |
(注)平成4年度はチェコスロバキアとしての実績。
4 在留邦人数
336人(2023年10月現在)
5 在日スロバキア人数
300人(2022年12月現在)
6 要人往来(1993年以降)
(1)日本より | |
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年月 | 要人名 |
1995年6月 | 水野 日・スロバキア友好議連会長、楢崎 同副会長 |
1997年6月 | 高村外務政務次官 |
1997年9月 | 浅野 日・スロバキア友好議連会長 |
2000年9月 | 浅野外務政務次官 |
2000年10月 | 清子内親王殿下 |
2001年8月 | 綿貫衆議院議長 |
2003年5月 | 矢野外務副大臣 |
2006年1月 | 愛知防衛庁長官政務官 |
2006年1月 | 石田国土交通大臣政務官 |
2006年8月 | 北側国土交通大臣 |
2007年1月 | 麻生外務大臣 |
2007年6月 | 浅野外務副大臣 |
2011年12月 | 浜田外務大臣政務官 |
2013年6月 | 秋篠宮同妃両殿下 |
2016年4月 | 武藤外務副大臣 |
2017年12月 | 中根外務副大臣 |
2018年10月 | 関経済産業副大臣 |
2019年4月 | 安倍内閣総理大臣 |
2019年10月 | 宮本経済産業大臣政務官 |
2019年12月 | 中谷外務大臣政務官(OSCE外相理事会出席) |
(2)スロバキアより | |
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年月 | 要人名 |
1993年11月 | モラウチーク外相(外務省賓客) |
1994年6月 | ガシュパロヴィチ国会議長 |
1997年3月 | メチアル首相 |
1997年3月 | ハムジーク外相 |
1997年3月 | コズリーク副首相兼蔵相 |
1998年2月 | コヴァーチ大統領、ガシュパロヴィチ国会議長 |
1998年3月 | カルマン副首相 |
2000年3月 | クカン外相(外務省賓客) |
2000年12月 | ミガシ国会議長(衆議院招待) |
2002年1月 | マツェイコ運輸相(国際会議出席) |
2003年8月 | ベレーニ外務副大臣 |
2005年5月 | クカン外務相(ASEM出席) ズリンダ首相 |
2006年1月 | ミクロシュ環境相 |
2007年10月 | クビシュ外相(外務省賓客) |
2009年11月 | ライチャーク外相(外務省賓客) |
2012年6月 | ガシュパロヴィチ大統領(公式実務訪問賓客) |
ライチャーク副首相兼外相 | |
マラティンスキー経済相 | |
2012年10月 | カジミール財務相(国際会議出席) |
2013年5月 | カジミール財務相 |
2015年11月 | ライチャーク副首相兼外務・欧州問題相 |
2016年5月 | ライチャーク外務・欧州問題相 |
2016年11月 | ジガ経済相 |
2017年5月 | コルチョク副外務・欧州問題相 |
2017年7月 | ライチャーク外務・欧州問題相(外務省賓客) |
2017年11月 | フェレンツ副経済相 |
2019年1月 | フェレンツ副経済相 |
2019年3月 | ジガ経済相 |
2019年9月 | ライチャーク外務・欧州問題相(OSCE議長、OSCEアジア共催会議出席) |
2019年10月 | チャプトヴァー大統領(即位の礼出席) |
2023年4月 | シュヴェツ副経済相 |
2023年5月 | ブロツコヴァー副外務・欧州問題相 |
2024年2月 | サコヴァー副首相兼経済相及びタラバ副首相兼環境相 |
7 二国間条約・取極
年月 | |
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1957年 | チェコスロバキアとの国交回復に関する協定(同年発効) |
1976年 | 文化交流取極(同年発効) |
1977年 | 二重課税回避条約(1978年発効) |
1978年 | 科学技術協力取極(同年発効) |
1983年 | 外交官等に対する数次査証付与取極(1984年発効) |
1997年 | 外交・公用旅券所持者に対する相互査証免除取極(同年発効) |
2002年 | 一般旅券所持者に対する査証の相互免除に関する口上書の交換(同年発効) |
2016年 | ワーキングホリデー制度(同年発効) |
2019年7月 | 社会保障協定(発効) |
8 外交使節
- (1)駐スロバキア日本国大使 川上 泰弘 特命全権大使
- (2)駐日スロバキア大使 イヴァン・スルコシュ 特命全権大使