日本の領土をめぐる情勢

 

平成28年4月13日

尖閣諸島 Senkaku Islands

尖閣諸島に関するQ&A

基本問題

中国(ないし台湾)の主張に対する日本の見解

尖閣諸島に関するアメリカの立場

尖閣三島の所有権の国への移転

基本問題

Q1尖閣諸島についての日本政府の基本的な立場はどのようなものですか。

  • A1尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり,現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません。

Q2尖閣諸島に対する日本政府の領有権の根拠は何ですか。

  • A2
    • 第二次世界大戦後,日本の領土を法的に確定した1951年のサンフランシスコ平和条約において,尖閣諸島は,同条約第2条に基づいて日本が放棄した領土には含まれず,同条約第3条に基づいて,南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれました。1972年発効の沖縄返還協定によって日本に施政権が返還された地域にも含まれています。
    • 尖閣諸島は,歴史的にも一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しています。即ち,尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入しました。この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。尖閣諸島は,1895年4月締結の下関条約第2条に基づき,日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません。

【参考:サンフランシスコ平和条約第2条】

(b) 日本国は,台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

【参考:サンフランシスコ平和条約第3条】

 日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。),孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

【参考:沖縄返還協定第1条】

2 この協定の適用上,「琉球諸島及び大東諸島」とは,行政,立法及び司法上のすべての権力を行使する権利が日本国との平和条約第三条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち,そのような権利が千九百五十三年十二月二十四日及び千九百六十八年四月五日に日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従ってすでに日本国に返還された部分を除いた部分をいう。

【参考:沖縄返還協定 合意された議事録】

 第一条に関し,同条2に定義する領土は,日本国との平和条約第三条の規定に基づくアメリカ合衆国の施政の下にある領土であり,千九百五十三年十二月二十五日付けの民政府布告第二十七号に指定されているとおり,次の座標の各点を順次に結ぶ直線によって囲まれる区域内にあるすべての島,小島,環礁及び岩礁である。

地図

北緯二十八度東経百二十四度四十分
北緯二十四度東経百二十二度
北緯二十四度東経百三十三度
北緯二十七度東経百三十一度五十分
北緯二十七度東経百二十八度十八分
北緯二十八度東経百二十八度十八分
北緯二十八度東経百二十四度四十分

Q3日本は尖閣諸島を有効に支配しているとのことですが,具体例を教えてください。

  • A3
    • 1884年ごろから尖閣諸島で漁業等に従事していた沖縄県在住の民間人から国有地借用願が出され,1896年に明治政府はこれを許可しました。この民間人は,この政府の許可に基づいて尖閣諸島に移民を送り,鳥毛の採集,鰹節の製造,珊瑚の採集,牧畜,缶詰製造,燐鉱鳥糞の採掘等の事業を経営しました。このように明治政府が尖閣諸島の利用について個人に許可を与え,許可を受けた者がこれに基づいて同諸島において公然と事業活動を行うことができたという事実は,同諸島に対する日本の有効な支配を示すものです。
    • また,第二次世界大戦前において,国又は沖縄県による尖閣諸島の現地調査等が行われていました。
    • 第二次世界大戦後,尖閣諸島はサンフランシスコ平和条約第3条によって,南西諸島の一部として,米国の施政権下に置かれたため,その後1972年5月15日に尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還されるまでは,日本が尖閣諸島に対して直接支配を及ぼすことはできませんでした。しかし,その間においても,尖閣諸島が日本の領土であって,サンフランシスコ平和条約によって米国が施政権の行使を認められていたことを除いては,いかなる外国もこれに対して権利を有しないという同諸島の法的地位は,琉球列島米国民政府及び琉球政府による有効な支配を通じて確保されていました。
    • さらに,尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還された後について,幾つかの例を挙げれば以下のとおりです。
      • (1)警備・取締りの実施(例:領海内で違法操業を行う外国漁船の取締り。)。
      • (2)土地所有者による固定資産税の納付(民有地である久場島)。
      • (3)国有地としての管理(国有地である大正島,魚釣島等)。
      • (4)久場島及び大正島について,1972年以来,日米地位協定に基づき「日本国」における施設・区域として我が国から米国に提供。
      • (5)政府及び沖縄県による調査等(例:沖縄開発庁による利用開発調査(仮設へリポートの設置等)(1979年),沖縄県による漁場調査(1981年),環境庁によるアホウドリ航空調査の委託(1994年))。

中国(ないし台湾)の主張に対する日本の見解

Q4中国(ないし台湾)による尖閣諸島の領有権に関する主張に対して,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A4
    • 従来,中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的乃至地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません。
    • また,そもそも,中国政府及び台湾当局が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは,1968年秋に行われた国連機関による調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からです。それ以前には,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えていません。中国側は,異議を唱えてこなかったことについて何ら説明を行っていません。
    • なお,1920年5月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。また,1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があるほか,1958年に中国の地図出版社が出版した地図集(1960年第二次印刷)においては,尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っています。 さらに,米軍は米国施政下の1950年代から尖閣諸島の一部(大正島,久場島)を射爆撃場として利用していましたが,中国側が当時,そのことについて異議を呈した形跡はありません。

【参考:中国政府及び台湾当局の主張の開始の背景】

 1968年秋,日本,台湾,韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFE:UN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ,尖閣諸島に対し注目が集まった。

【参考:中華民国駐長崎領事の感謝状】(仮訳)

中華民国駐長崎領事の感謝状

 中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。
 日本帝国八重山郡石垣村の玉代勢孫伴氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。 中華民国駐長崎領事 馮冕
中華民国9年5月20日

【参考:1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】(抜粋・仮訳)

琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い

 「琉球諸島は,我が国(:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の7組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり,合計50以上の名のある島嶼と400あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は4,670平方キロである。諸島の中で最大の島は,沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で,面積は1211平方キロで,その次に大きいのは,大島諸島における奄美大島で,730平方キロである。琉球諸島は,1000キロにわたって連なっており,その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で,外側は太平洋の公海である。」

【参考:『世界地図集』(1958年出版(1960年第二次印刷))】

世界地図集

 1958年に中国の地図出版社が出版した地図集。尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っている。中国側は,同地図集には,「中国との国境線の部分は,抗日戦争前(すなわち台湾が日本植民地だった時代)の地図を基にしている」との注記があり,1958年発行の地図における記載のみをもって当時の中国政府が日本の尖閣諸島への支配を認めていたという根拠にはなり得ないと主張。しかしながら,中国側が指摘する注記は,原文では「本地図集の中国部分の国境線は解放前の申報(注:当時の中国の新聞)の地図を基に作成した(中文:本図集中国部分的国界線根据解放前申報地図絵制)。」とのみ記述。具体的にどの部分が解放前のものかは不明。そもそも,同地図では,台湾を「中華人民共和国」の領土として記載しており,台湾の附属島嶼であると主張する尖閣諸島に関する記述だけを台湾が日本の植民地であった時代の表記で残すことは不自然。

Q5中国政府は,尖閣諸島は日本側が主張するような無主地であったのではなく,古来から中国固有の領土であり,歴史資料によれば中国人が最も早くに発見,命名及び利用し,中国の漁民がこの海域で漁業等の生産活動に従事し,中国の東南沿海の民衆が魚釣島を航海標識とし,明代には中国側の冊封使によって既に発見・認知されており,中国の海上防衛区域に含まれた台湾の附属島嶼であったと主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A5
    • 日本は1885年以降沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,これらの島々が単に無人島であるだけでなく,清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で,沖縄県編入を行ったものです。
    • 従来,中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的ないし地質的根拠等として挙げてきている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません。例えば,国際法上,島を発見したり,地理的な近接性があることのみでは,領有権の主張を裏付けることにはなりません。また,最近,中国側は中国国内の多くの歴史的文献や地図を根拠に,中国が尖閣諸島を歴史的に領有している(無主地ではなかった)旨主張していますが,その根拠とされている文献の記載内容は,原文を見れば分かるとおり,領有権を有することの証拠とするには全く不十分なものです。具体的には,
      • (1)中国側は,明の冊封使である陳侃の『使琉球録』(1534年)に「釣魚嶼,黄毛嶼,赤嶼を過ぎ,…古米山を見る,乃ち琉球に属する者なり(中文:過釣魚嶼,過黄毛嶼,過赤嶼,…見古米山,乃属琉球者)」との記述があることをもって,「古米山」は現在の久米島であり,久米島より西側にある尖閣諸島は中国の領土であったことを意味していると主張しています。また,中国側は,徐葆光『中山伝信録』(1719年)に「姑米山は琉球の西南側の境界上の山である(中文:姑米山琉球西南方界上鎮山)」との記述があることも,同様に久米島以西が中国に属してきたことの根拠であるとしています。しかし,これらの文献では,久米島が琉球に属することを示す一方,久米島以西にある尖閣諸島が明や清に属することを示す記述は全くありません。
      • (2)中国側は,胡宗憲『籌海図編』(1561年)の「沿海山沙図」などの地図に,尖閣諸島が記載されており,同諸島は明の海上防衛の範囲に入っていたと主張しています。しかし,同書では,同諸島が明の海上防衛の範囲に入っていたかどうかは明らかではなく,地図に記載があることをもって尖閣諸島が当時一般に中国領として見なされていたことを示すことにはなりません。
    • 日本側が行った調査では,むしろ20世紀以降1950年代や60年代までにおいても,中国側が尖閣諸島を日本の領土であると認めていたと考えられる事例があることが確認されています。例えば,
      • (1)米軍は米国施政下の1950年代から尖閣諸島の一部(大正島,久場島)を射爆撃場として利用していましたが,中国側が当時,そのことについて異議を呈した形跡はありません。
      • (2)1920年5月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。
      • (3)1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があります。
      • (4)1958年に中国の地図出版社が出版した地図集「世界地図集」(1960年第二次印刷)においては,尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っています。

Q6中国政府は,1800年代までに中国や日本を含む外国で制作された地図が尖閣諸島は中国に属することを示している旨主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A6
    • 地図の用途や作製者等は様々であり,その存在のみをもって領有権の主張を裏付けることにはなりません。我が国は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,尖閣諸島を正式に日本の領土に編入しました。これに対し,我が国が1895年に編入する以前に中国が尖閣諸島に対する領有権を確立していたという主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠は示されていません。また,中国政府が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは,1970年代以降のことです。
    • 中国側が,その主張の根拠の一つとしている林子平の『三国通覧図説』(1785年)の中の地図については,それが当時の領土認識を示すことを意図して作成されたものか明らかではなく,そもそも台湾の大きさを沖縄本島の3分の1程度に描くなど,正確な知識の裏付けもありません。(注:実際は,台湾の面積は沖縄本島の30倍。)

Q7中国政府は,日本は日清戦争を通じて尖閣諸島をかすめ取った,その後,台湾とそのすべての附属島嶼及び澎湖列島が不平等条約である「馬関条約」(下関条約)によって割譲され,そのまま日本に編入されたと主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A7
    • 日清講和条約(下関条約)によって,日本が清国より譲り受けた台湾及びその附属諸島嶼については,同条約はその具体的範囲を明記していませんが,交渉経緯等からしても,尖閣諸島が同条約(第2条2)の台湾及びその附属諸島嶼に含まれるという解釈を根拠付けるようなものはありません。
    • また,日本は既に日清戦争以前の1885年から,尖閣諸島に対して清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認しつつ,同諸島を正式に日本の領土として沖縄県に編入するための準備を行っています。日本政府は,下関条約に先立つ1895年1月の閣議決定により,尖閣諸島を沖縄に編入し,日清戦争後においても,尖閣諸島を,割譲を受けた台湾総督府の管轄区域としてではなく,一貫して沖縄県の一部として扱っていました。
    • こうした事実から明らかなとおり,日本は,日清戦争の前後を通じて,尖閣諸島が清国の領土であった台湾及びその附属諸島嶼の一部であったと考えたことはありません。したがって,下関条約による割譲の対象とすることもあり得なかったわけです。
    • また,日華平和条約(注)において,日本はサンフランシスコ平和条約第2条に基づき,台湾及び澎湖諸島等に対する全ての権利等を放棄したことが承認されていますが,日華平和条約の交渉過程ではこのような経緯からも尖閣諸島の領有権は一切議論されていません。このことは,尖閣諸島が従来から日本の領土であることが当然の前提とされていたことを意味します。
      (注)日華平和条約は,1952年,日本が当時承認していた中華民国(当時)との間で締結したもの。

Q8中国政府は,1885年の日本の外務大臣から内務大臣に宛てた書簡等を取り上げ,明治政府は尖閣諸島の沖縄県への編入前に同諸島が中国の領土であることを認識していた旨主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A8
    • 1885年の外務大臣の書簡は,編入手続を行う過程における一つの文書であり,そこには清国の動向について記述があるのは事実ですが,日本政府として,清国が尖閣諸島を領有していると認識していたとは全く読み取れず,同書簡はむしろ当時尖閣諸島が清国に属さないとの前提の下,我が国がいかに丁寧かつ慎重に領土編入の手続を進めてきたかを示すものです。外務大臣が同書簡の中で実地踏査を支持していることからも,尖閣諸島を清国の領土であると考えていなかったことは明らかです。
    • また,1885年に内務大臣から外務大臣に宛てた書簡でも尖閣諸島に「清国所属の証跡は少しも相見え申さず」と明確に記載されています。

【参考:井上外務大臣から山縣内務大臣への書簡(1885年10月21日)】

 「右島嶼(注:尖閣諸島)の儀は,清国国境にも接近しており,先に踏査を終えた大東島に比べれば,周囲も小さく見え,特に清国にはその名も付し,近時清国新聞等にも我が政府において台湾近傍清国所属の島を占領せんとする等の風説を掲載し,我が国に対して猜疑を抱き,頻に清政府の注意を促しているところでもあり,このような時ににわかに公然と国標を建設する等の処置を行えば,清国の疑惑を招くだろう。実地踏査をさせ,港湾の形状並びに土地物産開拓見込の有無詳細を報告させるに止め,国標を建て開拓等に着手するは他日の機会に譲るべきだろう。」

【参考:山縣内務大臣から井上外務大臣への書簡(1885年10月9日)】

 「(前略)太政官上申案  沖縄県と清国福州との間に散在せる無人島久米赤島外二島取調の儀に付,別紙(注:1885年9月22日付沖縄県令から山縣内務卿への上申書(付属書2))のとおり同県令より上申したところ,右諸島の儀は中山伝信録に記載せる島嶼と同一の如くであるが,ただ針路の方向を取りたるまでにて,別に清国所属の証跡は少しも相見え申さず,かつ名称のごときは我と彼と各その唱うるところ異にして沖縄所轄の宮古八重山等に接近したる無人の島嶼にあり,同県において実地踏査の上国標建設の義差し支えなしと考える」

Q91895年に尖閣諸島を日本の領土に編入するに当たり,十分な調査が尽くされなかったのではないですか。

  • A9
    •  尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入したものです。この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。

【参考】

日清戦争前における我が国の領土編入準備に関するその他の主要な関連事実としては,(1)1885年9月22日及び同年11月5日付の沖縄県令の内務大臣宛上申書によれば,沖縄県は内務省の命令により,尖閣諸島の調査を行い,特に同年10月下旬には日本郵船の出雲丸をチャーターして尖閣諸島の巡視取調を実施し報告書を政府に提出しているということ,(2)1887年の軍艦「金剛」の発着記録によれば,同艦は水路部測量班長・加藤海軍大尉を乗船させ,同年6月に那覇から先島群島(尖閣諸島方面)に向かっており,また,『日本水路誌』(1894年刊)等には1887年及び1888年の加藤大尉の実験筆記(実地調査に基づく記録)に基づくものとして魚釣島等の概況が記載されていることが挙げられる。

Q10日本政府は1895年の閣議決定を対外的に明らかにしておらず,秘密裏に行ったのではないですか。

  • A10
    •  1895年の閣議決定が当時公表されなかったのは事実ですが,これは当時における他の一般の閣議決定についても同様だったと承知しています。右閣議決定以来,日本は,民間人の土地借用願に対する許可の発出や国及び沖縄県による実地調査等,尖閣諸島に対して公然と主権の行使を行っていたので,日本の領有意思は対外的にも明らかでした。なお,国際法上,先占の意思につき他国に通報する義務があるわけではありません。

Q11中国政府は,1943年「カイロ宣言」,またその後の1945年「ポツダム宣言」を日本が受け入れた結果,尖閣諸島は台湾の附属諸島として,台湾とともに中国に返還された旨主張しています。また,中国を排した状況で締結されたサンフランシスコ平和条約により米国の施政下におかれることとなった南西諸島に尖閣諸島は含まれておらず,1953年12月に米国政府は『琉球諸島の地理的限度』を発表して米国の管轄範囲を無断で拡大し,1971年に米国が沖縄の施政権を日本に返還する際に尖閣諸島もその返還地域に組み入れられた,中国政府は一貫して尖閣諸島が日本の領土と認めていない旨主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A11
    • カイロ宣言やポツダム宣言は,当時の連合国側の戦後処理の基本方針を示したものですが,これらの宣言上,尖閣諸島がカイロ宣言にいう「台湾」の附属島嶼に含まれると中華民国を含む連合国側が認識していたとの事実を示す証拠はありません。
    • そもそも,戦争の結果としての領土の処理は,最終的には平和条約を始めとする国際約束に基づいて行われます。第二次世界大戦の場合,同大戦後の日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり,カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について,最終的な法的効果を持ち得るものではありません。
    • 日本は,サンフランシスコ平和条約第2条(b)により,日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄しましたが,尖閣諸島はここにいう「台湾及び澎湖諸島」に含まれていません。なぜなら,尖閣諸島は,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき,南西諸島の一部として米国が施政権を現実に行使し,また,1972年の沖縄返還により日本が施政権の返還を受けた区域にも明示的に含まれているからです。
    • サンフランシスコ平和条約締結に際し,尖閣諸島は日本の領土として残されましたが,主要連合国である米,英,仏,中国(中華民国及び中華人民共和国)のいずれも異議を唱えていません。むしろ,中国は,1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」において,米国が,カイロ宣言やポツダム宣言で信託統治の決定がなされていない琉球諸島を,琉球諸島の人々の反対を顧みず占領したと非難していますが,同記事には琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があり,尖閣諸島が琉球諸島の一部であることを認めています。中国はサンフランシスコ平和条約の締約国ではありませんが,日本は当時承認していた中華民国(台湾)との間で日華平和条約を締結しました。同条約において,日本はサンフランシスコ平和条約第2条に基づき,台湾及び澎湖諸島等に対する全ての権利等を放棄したことが承認されていますが,同条約の交渉過程では,日本領として残された尖閣諸島については一切議論されていません。このことは,尖閣諸島が従来から日本の領土であることが当然の前提とされていたことを意味します。
    • 1968年秋に行われた国連機関による調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まり,1970年代以降になって,中国政府及び台湾当局が独自の主張を始めました。それ以前には,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えていません。何ら異議を唱えていなかったことについて,中国政府は何ら明確な説明を行っていません。

Q12台湾(中華民国)はともかく,中国(中華人民共和国)はサンフランシスコ平和条約上の尖閣諸島の取扱いには反対していたのではないですか。

  • A12
    •  サンフランシスコ平和条約締結後の尖閣諸島の扱いは,国際的には公知であり,中華人民共和国が当時これを承知していないはずはありません。現に中国共産党の機関紙である人民日報は1953年1月8日の記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」において,米国の施政権下に入った琉球諸島の中に,尖閣諸島を明示的に含めて記述しています。その後も同国は,1970年代まで,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対して,何ら異議を唱えていません。また,中国側は,異議を唱えてこなかったことについて何らの説明も行っていません。

【参考:カイロ宣言(1943年)関連部分】

 同加盟国(注:米,英,中華民国)の目的は,日本国より1914年の第一次世界大戦の開始以後に日本が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること,並びに満州,台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。

【参考:ポツダム宣言第八項(1945年)】

八 「カイロ宣言」の条項は,履行せらるべく,又日本国の主権は,本州,北海道,九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。

【参考:サンフランシスコ平和条約第2条】

(b) 日本国は,台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

【参考:サンフランシスコ平和条約第3条】

 日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。),孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

【参考:沖縄返還協定第1条】

2 この協定の適用上,「琉球諸島及び大東諸島」とは,行政,立法及び司法上のすべての権力を行使する権利が日本国との平和条約第三条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち,そのような権利が千九百五十三年十二月二十四日及び千九百六十八年四月五日に日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従つてすでに日本国に返還された部分を除いた部分をいう。

【参考:沖縄返還協定 合意された議事録】

 第一条に関し,同条2に定義する領土は,日本国との平和条約第三条の規定に基づくアメリカ合衆国の施政の下にある領土であり,千九百五十三年十二月二十五日付けの民政府布告第二十七号に指定されているとおり,次の座標の各点を順次に結ぶ直線によって囲まれる区域内にあるすべての島,小島,環礁及び岩礁である。

地図

北緯二十八度東経百二十四度四十分
北緯二十四度東経百二十二度
北緯二十四度東経百三十三度
北緯二十七度東経百三十一度五十分
北緯二十七度東経百二十八度十八分
北緯二十八度東経百二十八度十八分
北緯二十八度東経百二十四度四十分

Q13中国政府は,日本の尖閣諸島における立場とやり方は,世界反ファシスト戦争の勝利の成果に対する公然たる否定であり,戦後国際秩序と国連憲章の趣旨・原則に対する深刻な挑戦であると主張していますが,これに対し,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A13
    • 日本による尖閣諸島の領有権の取得は第二次世界大戦とは何ら関係がないものです。第二次世界大戦後の日本の領土に関する法的な処理を行ったサンフランシスコ平和条約や関連条約も尖閣諸島が日本の領土であることを前提とした処理が行われています。また,サンフランシスコ平和条約に基づく処理の前に,尖閣諸島について中国や台湾が領有権を主張したこともありません。
    • しかし,1968年秋に行われた学術調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まると,中国政府及び台湾当局は1970年以降になって,同諸島の領有権について独自の主張を始めました。さらに,最近,中国は,こうした自国の独自の主張を正当化するために,突如として新たに「第二次世界大戦の結果」などという議論を持ち出し,日本があたかも第二次世界大戦後の国際的枠組みを歪めているかのような主張をしています。しかし,日本との関係で第二次世界大戦の結果を処理した国際的枠組みであるサンフランシスコ平和条約に基づいた処理に対して異議を申し立てている中国の行動こそが,戦後国際秩序への深刻な挑戦と言えるでしょう。
    • また,二国間の見解の相違を安易に過去の戦争に結び付けることは,物事の本質から目をそらすものであり,説得力をもつものではなく,また非生産的です。そもそも中国は,日中両国首脳が署名した2008年5月の日中共同声明において,「中国側は,日本が,戦後60年余り,平和国家としての歩みを堅持し,平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきていることを積極的に評価した。」と明確に述べています。
    • 「第二次世界大戦の結果」などという議論を持ち出しても,平和愛好国家として歩んできた戦後半世紀の日本の正当な主張を否定することはできず,また,尖閣諸島に係る中国の独自の主張を正当化することはできません。

Q14中国政府は,1972年の日中国交正常化及び1978年の平和友好条約を締結する交渉の過程において,「両国の指導者は『釣魚島問題』は放置し,以後の解決に委ねることにつき重要な了解と共通認識に達した」と主張していますが,これに対し,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A14
    • 尖閣諸島が我が国固有の領土であることは,歴史的にも国際法上も疑いないところであり,現に我が国はこれを有効に支配しています。尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在していません。
    • このような我が国の立場は一貫しており,中国側との間で尖閣諸島について「棚上げ」や「現状維持」について合意したという事実はありません。この点は,公開されている国交正常化の際の日中首脳会談の記録からも明らかです。このような我が国の立場については,中国側にも幾度となく明確に指摘してきています。

【参考:日中首脳会談(田中角栄総理/周恩来総理)(1972年9月27日)】(外交記録公開済み)

 (田中総理)尖閣諸島についてどう思うか?私のところに,いろいろ言ってくる人がいる。
 (周総理)尖閣諸島問題については,今回は話したくない。今,これを話すのはよくない。石油が出るから,これが問題になった。石油が出なければ,台湾も米国も問題にしない。

【参考:日中首脳会談(福田赳夫総理/鄧小平副総理)(1978年10月25日)(日中平和友好条約交渉時)】(外交記録公開済み)

 (鄧副総理) (・・・思い出したような素振りで・・・)もう一点言っておきたいことがある。両国間には色々な問題がある。例えば中国では釣魚台,日本では尖閣諸島と呼んでいる問題がある。こういうことは,今回のような会談の席上に持ち出さなくてもよい問題である。園田外務大臣にも北京で述べたが,われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが,次の世代は,われわれよりももっと知恵があり,この問題を解決できるだろう。この問題は大局から見ることが必要だ。(福田総理より応答はなし。)

【参考:上記首脳会談と同日の鄧小平氏記者会見(1978年10月25日)】

 (記者)尖閣諸島は日本固有の領土で,先ごろのトラブルは遺憾と考えるが,副総理の見解は。
 (鄧副総理)尖閣列島をわれわれは釣魚島と呼ぶ。呼び方からして違う。確かにこの問題については双方に食い違いがある。国交正常化のさい,双方はこれに触れないと約束した。今回,平和友好条約交渉のさいも同じくこの問題にふれないことで一致した。中国人の知恵からして,こういう方法しか考えられない。というのは,この問題に触れると,はっきりいえなくなる。確かに,一部の人はこういう問題を借りて中日関係に水をさしたがっている。だから両国交渉のさいは,この問題を避ける方がいいと思う。こういう問題は一時タナ上げしても構わないと思う。十年タナ上げしても構わない。われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話し合いはまとまらないが,次の世代はわれわれよりもっと知恵があろう。その時はみんなが受け入れられるいい解決方法を見いだせるだろう。

尖閣諸島に関するアメリカの立場

Q15尖閣諸島に関し,これまでアメリカ政府はどのような立場をとっていますか。

  • A15
    • 尖閣諸島は,第二次世界大戦後,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき,南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1972年発効の沖縄返還協定(「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」)によって日本に施政権が返還されました。サンフランシスコ講和会議におけるダレス米国代表の発言及び1957年の岸信介総理大臣とアイゼンハワー大統領との共同コミュニケに明示されているとおり,我が国が南西諸島に対する残存する(又は潜在的な)主権を有することを認めていました。
    • また,米国は,日米安全保障条約第5条の適用に関し,尖閣諸島は1972年の沖縄返還の一環として返還されて以降,日本国政府の施政の下にあり,日米安全保障条約は尖閣諸島にも適用されるとの見解を明確にしています。
    • 尖閣諸島の久場島及び大正島については,1972年の沖縄返還の際に,その時点で中国が既に独自の主張を始めていたにもかかわらず,日米地位協定に基づき「日本国」における施設・区域として我が国から米国に提供されて今日に至っています。
    • このほか,次のような事実も指摘できます。
      • (1)尖閣諸島地域における台湾漁民等による領海侵入,不法上陸等が頻発したことに関し,1968年8月3日付けの外務省発在京米大宛てて口上書により,米国政府が侵入者の取締り及びかかる侵入の再発防止のため必要な措置をとるよう要請したのに対し,米側は侵入者の退去等の措置をとった旨回答した。
      • (2)1971年に作成されたCIAの報告書(2007年に秘密指定解除)には,尖閣諸島は一般的に琉球諸島の一部と考えられている,との記述に加え,尖閣諸島の主権に対する日本の主張は強力であり,その所有の挙証責任は中国側にあるように思われる,と記述されている。

【参考:サンフランシスコ講和会議におけるダレス米国代表の発言関連部分(1951年)】

 「第三条は,琉球諸島及び日本の南及び南東の諸島を取扱っています。これらの諸島は,降伏以来合衆国の単独行政権の下にあります。若干の連合国は,合衆国主権のためにこれらの諸島に対する主権を日本が放棄することを本条約に規定することを力説しました。他の諸国は,これ等の諸島は日本に完全に復帰せしめられるべきであると提議しました。連合国のこの意見の相違にも拘らず,合衆国は,最善の方法は,合衆国を施政権者とする国連信託統治制度の下にこれらの諸島を置くことを可能にし,日本に残存主権を許すことであると感じました。」

【参考:岸信介総理大臣とアイゼンハワー大統領との共同コミュニケ関連部分(1957年)】

 「総理大臣は,琉球及び小笠原諸島に対する施政権の日本への返還についての日本国民の強い希望を強調した。大統領は,日本がこれらの諸島に対する潜在的主権を有するという合衆国の立場を再確認した。」

尖閣三島の所有権の国への移転

Q16中国は,日本政府が2012年9月に尖閣三島の所有権を取得したことに対し,激しく反発しています。これに対し,日本政府はどのような見解を有していますか。

  • A16
    • 尖閣諸島が我が国固有の領土であることは,歴史的にも国際法上も疑いのないところであり,現に我が国はこれを有効に支配しています。尖閣諸島をめぐり解決すべき問題は存在せず,今般,日本政府が尖閣三島の所有権を取得したことは,他の国や地域との間で何ら問題を惹起すべきものではありません。
    • 他方,中国政府は尖閣諸島に対して独自の主張を行っていることは事実です。我が国としてこれを受け入れることはありませんが,政府は,大局的観点から,中国に対して,今般の所有権の移転は,尖閣諸島を長期にわたり平穏かつ安定的に維持・管理するために行うものであり,1932年まで国が有していた所有権を民間の所有者から再び国に移転するものに過ぎないことを説明してきました。日本政府としては,東アジアの平和と安定に責任を有する国として,引き続き中国側に対し,日中関係の大局を見失わずに,冷静に対応することを働きかけていく考えです。
    • また,中国各地で反日デモが発生し,日本側公館に対する投擲等の行為,在留邦人に対する暴力的行為,日本企業に対する放火,破壊,略奪が発生したことは極めて遺憾です。いかなる理由であれ,暴力的行為は決して許されるものではなく,意見の相違に対する不満は平和的に表現されるべきです。中国側に対しては,在留邦人や日本企業等の安全確保とともに,今回損害を被った企業の救済が適切になされることを求めています。
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