中東
レバノン共和国(Lebanese Republic)
基礎データ


一般事情
1 面積
10,452平方キロメートル(岐阜県程度)
2 人口
約610万人(2018年推定値(2019年CIA The World Factbook))
3 首都
ベイルート
4 民族
アラブ人(95%)、アルメニア人(4%)、その他(1%)(2019年CIA The World Factbook)
5 言語
アラビア語(仏語及び英語が通用)
6 宗教
キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)等18宗派
7 略史
年月 | 略史 |
---|---|
16世紀 | オスマン・トルコの支配下に入る |
1920年 | 仏の委託統治領となる |
1943年 | 仏より独立 |
1975年 | レバノン内戦始まる |
1978年 | イスラエルのレバノン侵攻 |
1989年 | ターイフ合意(国民和解憲章)成立 |
1990年 | 内戦終結 |
2000年 | イスラエル軍南レバノンから撤退 |
2005年 | シリア軍レバノンから撤退 |
2006年 | ヒズボッラーとイスラエル間の戦闘。国連安保理決議1701号採択。 |
政治体制・内政
1 政体
共和制
2 元首
ミシェル・アウン大統領(2016年10月就任)
3 議会
一院制(128議席 キリスト教徒とイスラム教徒が同数 任期4年)
4 政府
- (1)暫定首相名
- ハッサン・ディアブ(2020年1月就任。同年8月10日、内閣総辞職)
- (2)暫定外務・移民相名
- シャーベル・ウェフベ(2020年8月3日就任(ヒッティ前外相の辞任に伴って)。同年8月10日、内閣総辞職)
5 内政
レバノンには18の宗派が存在し、各宗派に政治権力配分がなされ、バランスの確保に意が用いられている(大統領 マロン派、首相 スンニ派、国会議長 シーア派)。
また、各宗教・宗派もそれぞれ一体ではなく、各宗教・宗派内でも複数の党派がそれぞれの政治的立場や利害を巡り確執や同盟関係を複雑に展開する政治構造がある。
2005年2月にラフィーク・ハリーリ元首相が暗殺されて以降、国内ではイスラム教シーア派のヒズボッラーなど親シリア・イラン派と、故ハリーリ元首相次男のサアド・ハリーリ氏を中心とする親サウジ・イスラム教スンニ派のグループなどの反シリア派が対立してきた。
他方、こうした対立にも拘わらず、国政の必要上、臨機の妥協も図られ、反シリア派が過半数の議席を確保した2009年6月の総選挙後、諸党派間の協議を経て同年12月にはサアド・ハリーリ氏を首班とする挙国一致内閣が成立(第一次ハリーリ内閣)。しかし、同内閣はハリーリ元首相暗殺事件の真相究明のための国際法廷である「レバノン特別法廷」を巡る対立から2011年1月に崩壊し、2011年6月、親シリア派主導のミーカーティー内閣が成立。しかし、同内閣も2013年3月、国会選挙と選挙法改正を巡る対立等により辞職、以後約10か月間に亘り新内閣が組閣できず、ミーカーティー内閣が暫定職務代行内閣として継続。その後、治安情勢悪化を受け、各政治勢力間で内閣不在への危機感が高まったことから妥協が図られ、2014年4月、超党派のタンマーム・サラーム内閣が成立。
2014年5月、スレイマン大統領の任期が終了したが、後任の人選に関し諸党派間の調整がつかず、約2年半にわたり大統領の不在が続いた後、漸く合意が成立し、2016年10月31日、ミシェル・アウン前自由愛国運動(FPM)党首を大統領に選出。右に伴い、憲法規定によりサラーム内閣が辞職し、12月28日、挙国一致のハリーリ内閣が発足(第二次ハリーリ内閣)。
また、国会議員の任期も、本来は2013年6月までであったが、選挙実施のための選挙法改正を巡り諸党派間で合意に至らず、2014年11月まで任期を延長、更に2017年6月まで再延長した。漸く2017年6月に新選挙法が可決され、準備期間として議会任期を再々度2018年5月まで延期した上で、議会選挙が2018年5月に9年ぶりに議会選挙が実施された。選挙後、諸党派間の協議を経て、2019年1月、サアド・ハリーリ氏を首班とする挙国一致内閣が成立(第三次ハリーリ内閣)。
2019年10月、増税措置等への反対を契機とする大規模な反政府デモがベイルートなどのレバノン各地で発生。抗議内容は次第に増税反対から現在の政治体制への抗議や汚職の根絶等を要求する内容に変化し、デモ参加者たちは「テクノクラート内閣」の樹立を要求。こうした中、同年10月、ハリーリ首相が辞任を表明。同年12月、アウン大統領はハッサン・ディアブ元教育相に組閣を指示し、2020年1月にディアブ新内閣が成立。
ディアブ内閣は、経済危機対応や行財政改革等の課題に直面。同年3月、ディアブ首相は外貨建て国債の返済延期を表明し、4月には財政支援を受けるべくIMFとの協議に着手する旨表明した。その後も経済悪化が進む中、8月4日にベイルート市内のベイルート港内の倉庫にて大規模爆発が発生。本爆発の原因として政府の怠慢や汚職体質を非難する大規模反政府デモが発生し、10日にディアブ首相は内閣総辞職を表明。8月31日、アウン大統領はムスタファ・アディブ駐独大使を次期首相候補に指名。なお、本件爆発を受けて、国際社会は、レバノン国民に対する緊急支援等を表明するとともに、レバノン政府に対して行財政改革等の迅速な実施を要求している。
外交
1 全般
レバノンは、シリアとは伝統的に緊密な関係にあり、内戦開始以降のシリア軍レバノン駐留(1976~2005年)に見られるように、長くシリアの強い影響下にあったが、国内外の圧力もあり、2008年にレバノン、シリア間の外交関係が正常化した。
中東和平問題に関しては、レバノン・シリア両トラックの一体性を強く主張し、公正かつ包括的な和平を求めている。中でもレバノンは、民族宗派間の人口バランスを崩すパレスチナ難民のレバノンへの帰化を拒否し、難民の帰還権を強硬に主張する立場をとるとともに、ヒズボラなど対イスラエル抵抗組織の活動を許容している。アラブ連盟の一員であり、アラブ諸国との外交に重点を置く。旧宗主国の仏とも緊密な関係にある。
2 対イスラエル
1970年代にパレスチナ勢力がレバノンに流入して以降、レバノンは中東和平問題に巻き込まれ、1978年には南レバノンをイスラエルに占領された。2000年5月、イスラエルは南レバノンから撤退したが、レバノンは両国境界上にあるシェバア農地が依然としてイスラエルに占領されたままであるとして引き続きイスラエル軍の撤退を求めており、シェバア農地周辺におけるヒズボラの抵抗運動も継続している。
2006年7月には、ヒズボラがイスラエル軍を襲撃し兵士8名を殺害、2名を拉致したことから、イスラエルとヒズボラ間の戦争が勃発し、双方に多数の死傷者が出るとともに、レバノン国内にも多くの被害が生じた(翌8月、安保理決議1701が採択され停戦が発効)。
その後も引き続き、シェバア農地を含めたシリア・レバノン間の国境の画定やヒズボラ等国内武装勢力の武装解除などを内容とする安保理決議1559、1680、1701を始めとする関連安保理諸決議の履行が課題として残されている。
3 対シリア
シリアは歴史的経緯からレバノンを特別の同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後も推定約1万4千人の軍部隊を駐留させて親シリア政権を樹立し、実質的にレバノンを支配してきた。しかし、2005年2月にハリーリ元首相が暗殺されると、シリア排斥の政治運動が急速に盛り上がり、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、シリア軍は05年4月にレバノンから撤退(レバノン杉革命)。その後、2008年10月にレバノンとシリアは外交関係樹立を宣言する共同声明に調印し、通常の二国間関係に移行した。
2011年3月以降のシリア情勢に対し、レバノン政権は公式には不干渉の立場をとっているものの、ヒズボラはシリア政権を支援し事実上参戦、また、約100万人以上のシリア難民受け入れによる社会の不安定化、シリアからの過激派勢力の侵入による治安の悪化、主要産業である観光業収入の減少等による経済状況の悪化など、シリア危機はレバノンに大きな影響を及ぼしている。
4 対米
米は、レバノン内戦中に多国籍軍へ派兵したが、83年にはヒズボラによる自爆攻撃で海兵隊員241名が犠牲になる事件が発生したこともあり、その後、米軍は撤退した。
米は、特に2001年の同時多発テロ事件以降、対イスラエル抵抗運動を継続するヒズボラに厳しい目を向けており、同年11月には資産凍結対象テロ組織リストにヒズボラを掲載。仏と共に採択に力を注いだ04年の安保理決議1559、2006年7~8月の衝突後に採択された決議1701においても、レバノン国内武装勢力の解散・武装解除を求めている。
5 対仏
旧宗主国である仏とは政治、経済など全般的に緊密な関係にある。仏は、内戦後のレバノン復興を目的としたハイレベルの国際会議をこれまで1992年以降複数回主催(直近は2018年4月)し、2020年8月に発生したベイルート大規模爆発に際しては国連と共催で「ベイルート及びレバノン国民に対する支援のための国際会議」を開催するなど、イニシアティブを発揮してきた。2002年にはベイルートでフランコフォン・サミット(仏語圏サミット)が開催された。
国防
1 軍事力(ミリタリーバランス 2019年)
- (1)国防費
- 21億2,000万ドル
- (2)兵力
- 6万0,000人 (陸軍5万6,600人、海軍1,800人、空軍1,600人)
2 国防戦略
2011年3月以来続くシリア紛争のレバノンへの波及を防ぐため、レバノン・シリア北東部国境地帯の国境防衛に重点を置いている。また、南レバノン情勢の安定実現のため、レバノン国軍は国連レバノン暫定軍(UNIFIL)と連携し、各種支援を受けながら南レバノンでのプレゼンスを維持している。このため、主に米、英を中心に、仏、伊などの欧州諸国を中心とする諸外国からの軍事支援を受けている。
経済
1 主要産業
金融業、観光業、食品加工業等
2 GDP
533.67億ドル(2019年世銀)
3 GDP成長率
-5.6%(2019年世銀)
4 インフレ率
3.0%(2019年世銀)
5 失業率
6.2%(2019年世銀)
6 貿易
- (1)輸出 40.26億ドル(2017年WTO)
- 主要輸出品 金、発電装置、屑銅、書籍(2016年WTO)
- 主要輸出先 南アフリカ、EU、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、シリア(2016年WTO)
- (2)輸入 201.09億ドル(2017年WTO)
- 主要輸入品 石油精製品、自動車、医薬品、金(2016年WTO)
- 主要輸入元 EU、中国、米国、エジプト、ロシア(2016年WTO)
7 為替レート
- レバノン・ポンド(LBP)
- 1ドル=1,509レバノン・ポンド(2019年8月)
8 経済概況
内戦以前の首都ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれ、中東のビジネス・金融センターとして繁栄していたが、内戦によってシステムが崩壊。1990年の内戦終了以後、経済復興が進められており、ベイルートの街並みなども再び整備されてきているが、2006年のイスラエルとヒズボラの武力衝突で国家全体のインフラ被害などが生じていることもあり、膨大な累積債務をどのように解消するかが大きな課題となっている。
近年のレバノン経済は、観光、不動産、外国からの送金等、国外の政治・経済情勢に大きく左右される分野に依存しており、経済の自立性を高めることや行財政改革(財政健全化や汚職対策など)の実施が課題となっていた。特に、2011年のシリア危機以降、経済成長が鈍化する中、公的債務や貿易赤字が拡大し、外貨収入の減少によって金融安定化策の政策的余地の縮小が指摘されてきていた。こうした中、2019年10月以降の大規模反政府デモの影響を受けて、レバノン国内では国際送金や米ドル預金の引き出し等が制限されるなど、経済状況が急激に悪化した。
2020年2月以降、レバノン国内でも新型コロナが流行し、政府も感染対策としてロックダウン等の措置を実施。同年3月、ディアブ首相は外貨建て国債の返済延期を表明し、4月には財政支援を受けるべくIMFとの協議に着手する旨表明した。しかし、IMFとの協議は難航して財政支援を得る目処が立たない中、6月以降、レバノン・ポンド(LBP)の対ドル為替レートの悪化や失業率の増加や収入の減少などに伴う市民の購買力の低下、貧困層の拡大等が指摘されるようになった。8月、ベイルート港において大規模爆発が発生し、爆発が発生したベイルート港及びその周辺のみならず、ベイルート市内外の広範囲で被害が発生し、病院や学校等の公共インフラに影響が出るなど市民生活にも大きな影響を与え、経済の更なる悪化が懸念される。
経済協力
1 主要援助国
ドイツ、米国、EU、英国、クウェート、カナダ、ノルウェー、オランダ(2017~18年OECD/DAC)
2 日本の援助(2017年度末まで)
- (1)有償資金協力
- 130.22億円
- (2)無償資金協力
- 69.11億円
- (3)技術資金協力
- 17.56億円
二国間関係
1 政治関係
年月 | 政治関係 |
---|---|
1954年 | 在レバノン公使館開設 |
1959年 | 在レバノン大使館に昇格 |
1986年 | 治安状況の悪化に伴い、館員は、ベイルートから避難し、ダマスカスの仮事務所にて執務。(ベイルートには現地職員を配置。) |
1995年2月 | 大使館員がベイルートに復帰(同年5月本任大使着任) |
年月 | 政治関係 |
---|---|
1957年 | 在京レバノン公使館開設 |
1959年 | 大使館に昇格 |
2 経済関係
- 対日貿易(2019年)(財務省貿易統計)
-
- 輸出
- 15億7,677万円(卑金属、電気製品等)
- 輸入
- 495億5,481万円(自動車、電気製品等)
3 文化関係
日本で学ぶ学生に対する奨学金事業、専門家派遣などに加え、文化無償資金協力を行なっている。
2016年11月には、在外公館文化事業としてティール市において「Japan Day」を開催し、約600名の参加を得たほか、2017年3月には、シリア難民を受け入れている公立学校において空手紹介イベントを実施した。 2018年10 月には、国際交流基金事業としてレバノン・シンフォニック・オーケストラと和太鼓チームによる合同公演を行い、同年11月にはベイルート市及びクーラ市内の大学において国際交流基金海外巡回展「東北-風土・人・くらし」展を開催した。
4 在レバノン邦人数
96人(2018年10月現在)
5 在日レバノン人数
213人(2019年12月現在、法務省)
6 要人往来
年月 | 要人名 |
---|---|
1995年10月 | 福田外務政務次官 |
1997年4月 | 逢沢一郎外務委員長 森喜朗日・レバノン友好議連会長一行 |
1999年1月 | 高村外務大臣 |
2001年8月 | 杉浦外務副大臣 |
2002年6月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2004年8月 | 田中外務大臣政務官 |
2009年12月 | 飯村政府代表(中東和平担当特使) |
2010年11月 | 徳永外務大臣政務官 |
2014年1月 | 牧野外務大臣政務官 |
2015年5月 | 薗浦外務大臣政務官 |
2017年1月 | 薗浦外務副大臣 |
2017年9月 | 佐藤正久外務副大臣 |
2019年12月 | 鈴木馨祐外務副大臣 |
年月 | 要人名 |
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1996年4月 | セニオラ財政担当国務相 |
1996年5月 | ホベイカ電力・水資源相 |
1996年6月 | ハリーリ首相(非公式訪日) |
1997年11月 | ハリーリ首相(公式実務訪問賓客) |
2000年3月 | メルアビー・レバノン・日本友好議員連盟会長 |
2001年2月 | ハリーリ首相(非公式訪日) |
2001年11月 | フレイハーン経済・貿易相 |
2002年7月 | フレイハーン経済・貿易相 |
2002年10月 | ハリーリ首相 ジャーベル・レバノン・日本友好議員連盟会長 |
2004年8月 | アザール国会予算財務委員長 |
2013年1月 | カッバーニー国会議員 |
7 二国間条約・取極
- 日本レバノン航空協定
- 1967年署名
- 海運及び航空所得相互免税取極
- 1969年署名